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修羅

「ママ、いくわよ」

娘がいくつかのスイッチを押した。

「ええ、お願い」

カメラの視界が、いくつもの娘の姿を映し出す。有史以来、人が経験したことのない視界ではあったが、私はいつしか慣れてしまっている。いつからだろう? 2つの眼球からではなく、いくつものカメラから送られてくる電気の信号を苦もなく処理できるようになったのは。

カメラの一つが、娘ではない、別の生き物の姿をとらえていた。

小さく奇妙に歪んだ胎児だった。ホムンクルスの胎児に似ている、といつも思う。

ホムンクルスと違うのは、その胎児の脳髄が取り除かれていること。取り除いたのは娘、取り除かせたのは私。

そしていつも、ごめんなさい、と謝罪の言葉を私は呟くのだ。百歳[ももとせ]の間、いつも。

別のシリンダには、端子があちこちに接続された小さな脳髄がおさまっている。

ごめんなさい。

「溶液の成分調整は完了‥‥ママ、接続を開始するわよ」

「いいわ」

私は、新しく流れ込んでくるであろう幼い情報を待った。ふわふわの可哀相な私のクローン。

「接続開始」

私は心地よいノイズを感じた。身体と脳が統合される前の、胎児の呟きが接続端子を通して、ノイズとして伝わってくる。いい子。

だから、反抗しないで。

私はそのノイズを自分の波長でかき消した。優しい子守歌から、コーラスのリードを奪い、そしてオペラのソロへ。

幼いクローンは、言葉を持たない。しかし、自分と同期し、変調し、消し去ろうとする私に気が付いた。圧倒的な私の自我に怯え、恐慌に陥った。

遅かった。

この子はもう「自分」を持っている。

私はクローンの恐怖をわがことのように感じていた。しかし、もうこのプロセスを逆行させることはできない。幼い自我が既に自分のものになりかけている。一度融合を始めたものは分離できない。

ごめんなさい、と呟く。

呟きながら、私はもう一人の私を食い尽くす。私もまた、人喰いなのだ。

「ママ、数値は全て順調に推移。培養槽の身体の方も心拍数は安定しているわ」

娘を囲む数十の脳髄。クローンたちの自我を喰らい、その脳髄を乗っ取ったのが、それが私。

クローンたちの肉体は脳を失ったまま成長し、やがて娘の食料となる。

「‥‥ママ?」

そうしなければならなかった。そうしないと、研究が進められない。夫も元に戻せない。娘も生きてゆけない。

ごめんなさい、と呟く。こんな、浅ましい人間のために造られてしまった、私のクローンたち。

「ママ!? クローン体の脳波が異常値!」

暴れてる。感覚の一部が、鉄のように赤く熱く灼けた。私のクローンの最後の本能が、必死で抵抗している。

「まずっ、急速に‥‥カスパーゼが活性化してる」

まだなの。でも、もっとたくさん私がいれば、もっと早く研究が完了するのよ。もっともっと早く、こんなことは終わりにできる。だから、お願いよ ――― 力を貸して。私はクローンの残存自我を宥める。

しかし、フィードバックされるのは拒絶だけ。

イヤ、と。

もう遅いわ、私に取り込まれないとあなたが死んでしまう。私はクローンを説得する。だが、私と融合が進む過程で言葉も知識も得たクローンは、老成と幼さが入り交じった口調で、嫌だと言った。アタシはアタシ、絶対にアナタにはならない、と。

アタシはアナタじゃない。

そんなこと、アタシ達とは関係ない。それはアナタの都合。

もう、アタシ達を喰わないで。

カメラの拡大画像に、淡雪のように溶け始める胎児の脳髄が映る。

「ママ、接続を強制解除するわ! もう手遅れよ‥‥ニューロンネットワークが崩壊しはじめてる」

狼狽した娘の叫びが厚いフェルトを通したかのように遠くに聞こえる。

ごめんなさい。

こんな身勝手な私で。

でも、どうしても、私にはやるべきことがあるの。だから ―――。

「ヴィクトリア、接続は続行して。そして、私にコントロールを任せて」

あなたを喰らうわ。


私が自らに反旗を翻したクローンを完全に制圧したのは12時間後。今では、あの小さな脳髄は安定を取り戻し、私の思考の一端を担っている。

『‥‥イヤ。』

完全に取り込まれるまでクローンの自我は私を拒絶していた。

「ママ、無茶しないで」

アポトーシスを促進して他の領域から切り離すなんて、ヒヤヒヤしっぱなしよ、と娘が椅子に沈み込んだ。

「もう、3回目よ‥‥こんな危ない橋を渡ったの」

娘はそれ以上言葉を続けることはしなかった。原因は判っている。以前は技術確立過程での失敗だが、今の失敗は、元となる私の細胞が老化しているから。

あのクローンの胎児も、本来ならば老婆のものなのだ。テロメアは無情にも私の余命を数えてゆき、生物としての柔軟性はなくなりつつある。それだけのこと。

「そうね。でもまだ足りないから、次の準備もしておかないと‥‥‥‥」

ふうん、と娘はちらりと私達の脳髄が収まったパネルを見遣る。

まだ、あなたを人間に戻す方法は見つかっていないから。私は娘に決してこの言葉を言うことは無いだろう。だが、もしかしたら娘は気が付いているのかもしれない。私は、最近そう感じられて仕方がない。

「教会に誰か来たみたい。ちょっと様子を見に行ってくるね。」

娘はひょいっと椅子から立ち上がる。そして、傍らの兜[ヘルム]をひったくり、シャッターの向こうに消えた。

愛しているわ、ヴィクター。

愛しているわ、ヴィクトリア。

いかに罵られようと、憎まれようと、どうでもいい。私はただ、夫と娘が元の姿に戻り、再び幸せを見つけられるよう手を尽くすだけ。

そのためなら、私は何度でも私のクローンたちを殺しつづける。今は流せない涙を流しながら、心に墓碑銘を刻みながら。

ごめんなさい、決してあなたを忘れない、と。



人喰いにあらずして人喰いと成り果てた身に、もう罰を望むこともない。

Note

2006/01/21 初稿

昔、オリジナルで書こうと思っていたネタです。いくつもの脳が連結されたら自我はどうなるのだろう、と。オリジナルではもう少し穏やかな結末だったのですが、アレクさんはプロフィールにもあるように、嫌いなものが自分、という人だそうなので、思いっきり自棄な感じで書いてます。

それと『武装錬金』までには多少時間がある時期設定。“武藤カズキ”という存在を知って、葛藤して、彼に白核鉄を託すような心境になる以前のイメージです。

あとタイトルは取り敢えず仮のもの。なんかいいのを思いついたら替えるつもり。

2006/11/11 移行

新サイトに移行しました。タイトルはもう、これでいいかな、と。