「どうです、そっちは誰かいましたか?」
「いや、近衛兵はおろか人っ子一人いないな」
「そうですか……。腑に落ちませんね」
「ああ、何か嫌な予感がする」
暗殺のために敵の本拠地に乗り込んだまではよかったが、そこに人の気配はなかった。館の灯りはすべて消され、カーテンごしに入る朝日がぼんやりと部屋の内装を照らしている。館の奥へと歩んでいくが、それでも人の気配はなく、歩くたびに舞うほこりがちらちらと光る。扉を一つ開けるだけで目的の王座へ辿りつけるというのに二人の足は止まり、取っ手に手がかかる前に自然に手も止まってしまう。訓練を受けてきたからこそわかる危険の香りがそこには漂っていた。
「でも、ひくわけにはいかないでしょう」
観音式の扉に手を伸ばしつつ同意を求める。
「ああ、3つ数えたら開けるぞ」
二人で扉に手をかけ、指で3を数える。
3.
からからに乾いた唇を舌で湿らせ、互いに目で合図を送る。
2.
扉の方へ向き直り、取っ手を握る手に力を込める。
1.
すぐにでも中へ飛び込めるように足に力を込め、唾を飲み込む。
「「行くぞっ」」
二人で同時に扉を開け、中に飛び込むとそこは光に溢れていた。暗闇に慣れた目には一面真っ白な世界が広がっている。そして、光の中から声が語りかけてきた。
「――ようこそ、我が館へ。無謀な若者達よ」
MARIONETTE SPIN OFF 「残影」
守駕夜 辰賭
西暦一七四〇年代後半 ヨーロッパ、某戦場。
暮れなずむ戦場に何十門と並べられた大砲の一つに、二人の青年将校が腰をかけていた。
「やれやれ。ようやっと終わり、ですね」
黒髪を後ろで束ねた青年がもう一人の青年将校に話しかける。
「ああ」
ブラウンがかった短髪の青年はそっけない返事を返す。
「つれないですね、ミラン」
「ああ、ヴァージル」
ミラン、そう呼ばれた青年は地平線に堕ちていく夕日の方向を眺めながら生返事をする。夕陽の赤い光が眼鏡に反射して髪と同じブラウンの瞳を隠し、視線が何処へ向いているかを伺い知ることは出来ない。
ヴァージルと呼ばれた青年はミランをじっと眺め、やれやれとため息をついた。
「ミラン、故郷に残してきた恋人がそんなに心配ですか?」
ミランは無言で肯定する。
「ふう。これだから、恋人もちは嫌なんですよ。私なんか生まれてこの方恋人なんか出来たことがないですからね。そんなのは皮肉か自慢にしか聞こえませんよ」
肩をすくませ、呆れたようにヴァージルはミランを見る。
「悪いな、ヴァージル」
相変わらず夕陽のほうを見ながらミランは答える。
「ま、仕方ないですからね。夕飯奢ってくれたら許してあげます」
ミランの口の端に微笑が洩れたが、それでも眼には寂しさが影を落としていた。
「少尉殿! 砲門一番から七番まで点検終了しました!」
いつの間にか兵士が背後に立っていた。
「そうですか、今日はもう終わっていいですよ。お疲れ様」
ヴァージルは兵士のほうを見ることもなく、手を振って適当に流す。兵士は敬礼すると兵舎へ向き直り、さっさと引っ込んでしまった。戦争が始まってもう五年になる。
身内の継承問題が発端となって起こった戦争は泥沼化し、膠着状態に陥っていた。兵達は毎日終わりの無い殺し合いを余儀なくされ、肉体的にはもちろん精神的にも疲弊しきっている。民は生活できないほどの重税を強いられて搾取されていたが、それでも戦争は金がかかるもので国庫は底をつきかけていた。そんな中、一部の過激派が耐えかねて、敵陣の王位継承権所有者の暗殺に踏み切ったのである。決行は明日未明。暗殺役はヴァージル、ミラン両少尉に委ねられた。
「さあてと。砲台のチェックも終わったみたいだし、それに明日は早いですからね。私は夕ご飯を頂いてもう休ませてもらうとしましょうかね」
「ああ。明日、か……」
「そうです、明日ですよ。夜風は体に障りますからね、恋人に思いを馳せるのも結構ですが、程ほどにしておいてくださいね。風邪引かれたなんてシャレにならないので」
ヴァージルはそういい残して兵舎の方へと歩き出す。その姿が小さくなった頃、
「ああ、わかっているさ」
ミランは自分に言い聞かせるように呟いた。
◆ ◆ ◆
「ご報告申し上げます、大公」
慌てて入ってきた若い兵士が跪き、王座に座る初老の男へ言う。
「うむ、言うがよい」
男は尊大な態度で兵士を迎えた。
「はっ。敵陣が大公に暗殺者を差し向けるという情報が入りました」
その場にいたものは皆動揺し、近くにいるものと小声で会話をし始めた。
「静まれ、それくらいでざわつくでない!」
男が立ち上がり、大声で叫ぶ。途端に場が静まり、皆の視線が男へと動いた。
「どうやら向こうは痺れを切らしたようだな。しかし、その情報、信頼に値するものなのか?」
兵士の目をじっと見て男は問いかける。兵士も負けじと男の目を見返したが、如何せん眼力が違いすぎた。男の威厳に満ちた眼力に負け、兵士は視線を外して床をじっと見、
「はい、敵陣より情報を持って参った者がおります」
震える声で答えた。
「その者はどこにいる」
「扉の外に」
男は目を細め、扉を守る門兵に指示を出す。
「その者をここへ通せっ!」
「御意」
木製の観音扉が重い音を立ててきしみながら開いた。そして、その暗がりの中、蝋燭の灯りに照らされて、ブラウンの短髪の青年が立っていた。
「恐れながら大公、お願いがあって馳せ参じました」
◆ ◆ ◆
ゴスッ
「ぐふっ」
ベッドの中からうめき声が洩れる。
「寝起きに肘鉄は反則だ、ヴァージル……」
「ならさっさと起きやがれ、ですよ」
早朝に相応しい爽やかな笑顔でヴァージルがミランを見下ろしている。肘だけは臨戦態勢で。
「わかった、わかったからその肘を下ろしてくれ」
「どうせ夜更かししていたんでしょう。まあ、ロクな理由じゃないのは大体想像がつきますけどね。ほら、さっさと出発しますよ、道中罠だらけだから時間がかかるでしょうしね。じゃあ、二十五秒で着替えて来てくださいね」
言いたいだけ言って、さっさと部屋を出て行くヴァージル。呆れ顔で見送るミラン。
木の扉が軽快な音を立てて閉まるのを見届けてからミランは窓の外をみやり、
「罠なんて一つもないけどな……」
自分にだけ聞こえるように呟いた。
「遅いッ」
開口一番、ヴァージルはミランを怒鳴りつける。楽しそうに囀っていた小鳥たちは慌てて飛び立っていってしまった。
「悪い、悪い。靴に泥がこびりついていてな」
ドス黒い視線を容赦なく浴びせるヴァージル。タダでさえ冷たい朝の空気が凍りつく。
「あー、すまん……」
さすがにこれ以上は命の保障がない、そう第六感が告げるのを感じたヴァージルは一応謝っておく。が、ヴァージルはくるりと背をむけてさっさと歩いていってしまった。
「つれないな」
ギロ、と振り向くヴァージル。
「いや、何でもない……」
ヅカヅカと歩き出すヴァージル、肩をすくめてそれを追うミラン。ある意味好対照な二人はこれでいて仲が良いのだから、やはりどこかで似たものを持っているのだろう。
「……おかしいですね」
「ああ、罠が一つもないな」
森の中の空き地に立つ敵の本拠地は回りに堀がめぐらされ、入り口が一箇所に限られているものの罠らしい罠は見当たらなかった。それだけならまだしも、道中にも罠は一つも仕掛けられていなかった。
「まさか、情報が洩れたんでしょうか」
表情を曇らせてヴァージルはミランの方を見る。
「裏切り者がいたら、の話だがな。何にせよ警戒するに越したことはないだろうな」
顔を見合わせて、物陰から入り口へと近づいていく。門兵は両サイドに一人ずつ、身の丈ほどの槍を携えて正面を向いて微動だにしない。
ヴァージルとミランは腰にさした短剣を抜き、互いに目で合図を出して一気に門兵につめよる。そして、喉に短剣をあてがい、一気に引き抜く。途端、動脈特有の鮮やかな血が、噴き出さなかった。
かわりにぬるりとした感触が刃を通して伝わり、首が落ちた。刃は茶褐色のドロにまみれ、切っ先から鮮やかな血の代わりに濁った雫がしたたり落ちる。
「これは……人形ですね」
無様に地面に落ちている首を見ながらヴァージルが呟く。その声には信じられないという響きが明らかにこもっていた。
「まさか、門に人形を配置するとはな……。これはさすがに予想できなかったな」
ミランもヴァージルと同じで動揺を隠せずに呟く。朝は爽やかだった空は段々と影を落とし、ほんのりと薄暗くなってきていた。
「どうしましょうか、ミラン」
相変わらず首を見続けるヴァージル。
「どうしましょうかも何も、行くしかないだろ」
それを見るミラン。やがてヴァージルは転がっている首を持ち上げ、端に寄せた。
「そうですね……、行きましょう」
屋敷内へと入っていくヴァージルの背中を目で追いながら脚で首を蹴飛ばし、堀へ落とすミラン。その場に座りこんで地面を少し指でいじり、どぷん、と鈍い音をたてて沈む土塊を見届けて無言で歩き出す。そして、5,6歩歩きだしたところで、
「どうも、嫌な予感がするな……」
自分にしか聞こえない声で呟いた。
ヴァージルが扉に手をかけ、少しだけ開ける。一筋の隙間から中をうかがい、誰もいないことを確認してそっと中へ滑り込む。床一面に敷き詰められた赤絨毯からふわりと埃が優しく舞い、辺りには木と蝋燭の香りが漂っていた。
扉から手だけ出してミランに合図を送る。すぐにミランも中へ滑り込む。
「相変わらず何の気配も無いですね」
「ああ、さすがにここまでだと不気味だな。少し屋敷内を調べた方がいいかもしれない」
こくりと頷くヴァージル。
「では、私はこちらから見ますから貴方はそっちから見てきてください。何かあったらここの扉の前で落ち合いましょう」
「ああ、気をつけろよ」
「言われなくても」
ヴァージルが奥へと消えるのを見届け、ミランは目の前にある大きな観音開きの扉をノックする。返事に三回のノックを聞いてミランはヴァージルとは反対の通路へと歩を進めた。
◆ ◆ ◆
廊下は大きく湾曲して少し先の様子はうかがうことは出来ない。だが、それは様子をみて先手を制することができないという欠点と同時に、敵もまた近づかなければ自分を認識できないという利点があることを意味している。
なるべく敵に見つからないようにと弧を描く廊下の内側に沿って歩くヴァージル。部屋はいくつもあったが、そっと中をうかがってもやはり人影を見ることはできなかった。
あまりの不自然さに嫌悪感さえ抱きつつ慎重に調査を続けるも、これといった収穫はなかった。時計を取り出し、
「そろそろ三十分か……」
いい加減諦めてミランとの待ち合わせ場所に戻ろうとしたとき、来た道から耳をつんざくような轟音が響き渡った。
◆ ◆ ◆
片目を瞑りながら廊下から角の部屋に入り、扉をそっと後手で閉める。部屋には明かりがなく、何も見えない。開いていた目を閉じて今度は閉じていた目を開く。開いていた目ではまったく見えなかったが、閉じていた目は暗闇に慣れていてぼんやりとだが部屋の様子はうかがうことができるようになった。
「ここならアイツもこないだろう」
ドアの近くのソファーにゆっくりと腰を下ろす。
「三回だから、制限時間は三十分か。それまでに少し細工しておかないと、な」
ひとりごちながら服の下から皮袋を取り出す。近くにあったミニテーブルを引き寄せ、ランプに火を灯す。ぼんやりとだが部屋全体に光が溢れ、手元がくっきりと見えるようになる。机の上に白い紙を一枚広げ、皮袋を逆さにすると、ことり、と紙の上に黒光りする棒状の物体が転がりでた。
腰から引き抜いたナイフで鉛筆を削るように優しく、丁寧に刃をあてがう。少しずつ紙の上に黒い粉が広がる。緊張のせいで手は汗ばみ、ナイフを持った左手もかすかに震える。
部屋にはただただ削る音が小さく響き、ランプの光が揺らめいてそれにあわせて影も躍る。額には汗がうっすらと浮かび、唇はカサカサに乾き、その緊張の度合いをうかがわせる。
やがて黒い粉が小さな山を作ると、今度は胸ポケットから小瓶を取り出し、中に入っていた緑の透明な液体を黒い粉にとろりとたらす。じわりと液体はしみこんでいき、黒い粉はより一層その黒を深め、ランプの揺らめきにあわせててらてらと不気味に光っている。
粉が湿って飛びづらくなったことで一安心してようやく一息つく。大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。長年使っていない部屋の空気は新鮮とはいえなかったが、彼にとっては十分すぎるほどの空気だった。
背もたれにゆったりと身を沈め、目を閉じると、瞼を透かして光がぼんやりと入ってくる。
「あとは包むだけだからな」
誰にでもなくつぶやき、少し休もうとすると、ゆれを感じるほどの轟音が遠くから聞こえてきた。慌てて広げていた紙を包み、乱暴にポケットへ突っ込むと彼は部屋を飛び出し、待ち合わせをした場所へと駆けていった。
◆ ◆ ◆
慌てて待ち合わせ場所に戻ってきたヴァージルだったが、そこにミランの姿は無かった。
ヴァージルがイラついてつま先で床を叩いていると、それにあわせるかのように軽快な足音が聞こえてくる。足音の主は大体想像が付くが、万一にそなえて武器を構えるヴァージル。
そして、暗闇から飛び出してきたのは予想通りの男だった。
「遅いッ」
「悪い、悪い。こっちにくる途中で困っているおばあさんがいてな」
「それはもういいですから」
「つれないな」
「どうです、そっちは誰かいましたか?」
完全にシカトする、ヴァージル。
「いや、近衛兵はおろか人っ子一人いないな」
負けじと自分で言ったことを自分で流す、ミラン。
「そうですか……。腑に落ちませんね」
「ああ、何か嫌な予感がする」
敵がいないこと、罠がないこと、そして、「何もないこと」。二人ともそれぞれ思うところがあるようだった。
「でも、ひくわけにはいかないでしょう」
真剣な顔で応じるヴァージル。
「ああ、3つ数えたら開けるぞ」
「そうだ、ミラン」
「なんだ、こんなときに」
「いいワインが入ったので、帰ったら一緒にいかがです?」
「……いいな、夜風にあたりながら飲もう」
二人で扉に手をかけ、指で3を数える。
3.
鋭い眼差しで互いに合図を送りあう。
2.
圧迫感さえ感じる重厚な扉に押しつぶされまいと、取っ手を握る手に力をこめる。
1.
利き足に力をこめ、次の一瞬で扉の奥へ飛び込めるように精神を集中させる。
「「行くぞっ」」
長年の付き合いの二人はさすがと言うべきか、ほぼ同時のタイミングで中へと飛び込む。
灯りが消されて薄暗かった廊下とはうってかわり、内側は眩い光が溢れていた。
「――ようこそ、我が館へ。無謀な若者達よ」
光の中から男の声が聞こえる。その声は尊大で、妙な自信を帯びていた。
「貴方が王位継承者、ですか」
「ああ。唯一の、な」
男は聞くのもバカバカしいというように笑い飛ばす。
ヴァージルは、初めて気圧されている自分に気付く。いくら若いとはいえ、それなりに場数は踏んできている。一国の王だって相手にしてきた。それなのに、自分が何故か気圧されている。何故かはわからないが、わからないせいでそれがかえって不気味さを増していた。
「で。諸君は我を殺しにきた、と」
男は歓迎の気持ちさえ感じられる柔らかい口調で、挨拶のように尋ねる。
「その通りです。その首、頂きにあがりました」
負けじと返すヴァージルであったが、男とは対照的に余裕は片鱗もなかった。喉をしきりにならし、視線は男の目を見返してはいない。
「面白い童だ、我と相対してもまだ立っていられるとは。だが、童が我の首を取ることはない。ここで死ぬのだからなあ」
ぱちり、と指を鳴らすと一斉にカーテンが閉まり、そこには闇が生まれた。廊下と同じで蝋燭の炎が揺らめき、微かに周りを照らす。日常とはかけ離れたある種“異常”な空間がそこにはある。そして、息苦しさも。
「さあて。楽しませてくれよ、童」
男がもう一度指を鳴らすと、金属のこすれあう音が廊下の方から聞こえてきた。
「バカなッ、人の気配は無かったはず。……それなのに、どうして兵士がいる!」
ヴァージルはすっかり混乱していたが、経験を積んだ身体は戦闘体勢を整えていた。一方でミランは落ち着き払っている。
「やれやれ。固定観念は人を縛り付ける、いつもそうだ。たしかにこの館には我以外の人はいない。ただし、兵士がヒトである必要はないのだよ、童」
「何を……」
言っている、その言葉は扉が開く音にかき消されてしまった。扉が壊れそうな勢いで開き、そこに立っていたのは、先ほどみた門兵達だった。
「どうだい、我の可愛い土(お)人形(もちゃ)達は。気に入ってもらえたかな?」
足音は止まることなく続き、やがてヴァージルとミランをとり囲む。円形に包囲された二人は背中をつきあわせ、隙を作らないようにする。
「さて、何か言い遺したことがあれば聞くが」
男は口元に勝ち誇った笑みを浮かべて尋ねる。
「そうだな。二つ、聞かせてもらおうか」
部屋に入ってから一言も喋らなかったミランが静かに話し出す。
「ふむ、聞こうか。お前なら何かあるだろうしな」
「まず一つ。この館の人々はどこへ行った」
「ああ、人間の身体から土くれに魂を移すのは大変だったよ」
男は意にも介さず、涼しげな顔で答える。
「外道が……」
ヴァージルにしては珍しく、感情をむき出しに吐きそうな顔で男にくってかかる。ミランは表情を変えず、
「二つ目。約束が違うな」
とんでもないことを言った。
「気が変わったのだ、悪く思うな。それに表の土人形を傷つけてくれたしな」
約束を破ることなんて何でもない。そういわんばかりに髭をいじりながら男は応じる。
「ソレを聞いてかえって安心したよ」
目をゆっくり瞑り、ゆっくり開く。
「……どういう、ことですか、ミラン」
呆然とする、ヴァージル。
「こいつら片付けてからな、相棒」
「……解かりました。ちゃっちゃと片付けて詰問することにします」
「おお、厳しいねえ」
自嘲を含んだ笑いを口の端から漏らすミラン。小声で、
「すまない……」
自分にだけ聞こえるように謝った。まるで、恋人に話すように柔らかく、甘い口調で。
「何か言いました?」
「いや、何も」
「それじゃあ、いきますか」
「ああ」
二人は徐々に呼吸を合わせていく。そして、深呼吸をして完全に一致したとき――
――ザシュッ ゴトッ
二人の姿は消えて瞬時に人形の首が次々落ちていった。
「ほほう、これはこれは」
男は玉座で頬杖をつき、楽しげに眺めている。二人は短調作業のようにただひたすら人形の首を落とし続ける。首の落ちる音がリズミカルに響き、やがて首のある人形の姿はみえなくなり、首のない土人形が部屋を埋め尽くした。汗だくで、服のあちこちが裂けた二人はもといた場所に戻り、座り込む。
「これで全部、ですね」
「ああ……」
二人で男のほうをみると男はそれに気付き、あろうことか拍手をし始める。
「いや、実に素晴らしい。ここまでやるとは思わなんだ。誉めて遣わすぞ」
朗らかに笑いかける男の顔には一切邪気が感じられない。まるで子供のように無垢だった。
「これで、兵士は、いなくなりました……。次は、貴方の番、ですよ」
肩で息をしながら男を睨みつけるヴァージル。ミランは無言で睨みつける。
「ふむ、まだそんな元気が残っていたか。それなら、まだ踊れるな」
クク、と笑って、パチリ、と指を鳴らすと、首のない土人形が再び動き出した。
「……おいおい、マジか」
「見ればわかるでしょう、ミラン。奴は生きて返すつもりはないみたいですね」
呆けた顔のミランを半ばあきれ顔で見るヴァージル。
「仕方ないな……」
立つのもやっとだったが、二人の目はまだまっすぐに前を見据えている。
「踊れ、踊り狂え!」
男は立ち上がって血走った目で天を仰ぎ、叫ぶ。二人は再び人形を薙いでいくが、先ほどまでのキレは見る影も無かった。いくら訓練を積んでいるとはいえ、相手は魔法仕掛けの土人形。勝ち目は最初からほぼゼロだった。相手の力量を見抜けなかった時点で負けは決定していたのだ。
ただひたすらに土くれを薙いでいく、途方もない作業。短刀の切っ先は欠け、ドロまみれ。先ほどまで人形だった泥が赤い絨毯を覆い、白茶色に染め上げる。夕立の後のように床はぬかるみ、返り血のかわりに泥を大量に浴びる。それはまるで、終わり無き舞踏会のようで……音楽の代わりに、足音と剣戟が木霊していた。男はそれを肴にグラスをかたむける。男からみたそれは、ワインの色で血の如く染め上げられていた。
「ここまで、ですね……」
満身創痍でとうとう膝をつくヴァージル。ミランが慌てて駆け寄り、
「立て」
とだけ言って、背中を叩く。傷口を触れられてヴァージルの背中には激痛が走ったが、それでも身体はもはや反応さえ示そうとはしなかった。
「おや、もう終わりかな? それではクライマックスといこうか」
パチリ。男が指を鳴らすと、まだ原型をとどめていた人形が次々に崩れていく。男は傍らに立てかけてあった杖を手に取り、立ち上がった。
「真打ちは遅れて舞台に登場するものでね、悪く思わんでくれよ」
にやりと笑いながら玉座から一歩、また一歩と二人に近づいていく。やがて五歩ほどの距離を開けて、男は立ち止まった。
「さて。命乞いした結果がこれだが、まったくもって運命とは皮肉なものだとは思わないかね?」
クスリと微笑をこぼし、楽しげに男は語りかける。
「皮肉なのはアンタだよ」
奥歯を噛み締めて鋭い眼差しを向ける、ミラン。
「おお、怖い怖い。やはり、若いのはイキがいいな」
意にも介さず、男は微笑み続ける。だが、その微笑に嘲笑は微塵も含まれていない。
「ミラン、やはりあなた……」
「ああ、祖国を裏切った。悪いとは思っている。でも、お前と違って俺はバカだから、これしか思いつかなかった」
「バカですよ、あなたは……」
ヴァージルはミランから目をそらす。ミランが申し訳なさそうに見ると、ヴァージルの唇からは血が一筋流れ落ちていた。
「さてさて、これで終わりかな? 舞台に白茶色だけではいささか華にかけるものでね、絨毯を元の色に戻したいのだよ」
ハッとして男へ向き直るミラン。
「まさか……!」
「おやおや、気付かなかったのかね。私の自慢の“赤絨毯”は別名“千血絨毯”とも言うのだよ」
悪戯がばれた子供のように男は笑うが、二人は嫌な物を見るような蔑んだ視線を男に送る。
「狂ってやがる……」
「失礼だな。狂ってるのはお前だろう?祖国を裏切ってまで命乞いをしに来るなんて。そんな価値があるとは到底思えないな」
男は急に真顔になって、ミランを見据える。笑っているときには微塵も感じさせなかった威圧感が辺りを押しつぶす。ミランは視線を外し、胸元に手をやる。
「まあ、いいだろう。余興にしては十分楽しめた。それでは、グランドフィナーレといこうか」
男は今までになく真剣な眼で、杖を中段に構える。ヴァージルはもはやこれまでと覚悟を決めて目を瞑ったが、
「まだだ……」
ミランが呟いた。
「何……?」
「まだだと言ったんだよ、このタヌキジジイがァッ!」
眼を見開いて男に向かって吼え猛るその姿は、まさにケダモノだった。右手で胸元から白い包みを取り出し、左手でマッチに火を付ける。
男はそれを見て、ブツブツと何かを呟く。
ミランは低姿勢のまま男を突き倒して、その瞬間、辺りは火薬の匂いと閃光、それと轟音につつまれた。ヴァージルは壁まで吹き飛ばされ、思いきり打ち付けられた。腕の力でなんとか身体を持ち上げて顔をあげると、近くにミランが倒れている。這っていくと、まだ微かに息があった。
「ミラン。大丈夫、ですか」
顔を叩いて、意識があるか確認を取る。
「バカ、やろう。大丈夫なわけ、ないだろう」
左目だけ開けてかすれた声で答えるミランは、右腕が真っ黒に焦げていた。
「まったく、あなたはいつも、そうだ。無茶苦茶しか、しないから、いつも私が後始末ですよ」
「すまないな、ヴァージル」
「謝っても、遅いですよ。さあ、帰りましょう……」
最後の力を込めて立ち上がり、ヴァージルがミランを引き起こした瞬間、地面が赤く染まった。かは、と血を吐き、倒れこむミランの胸には杖が突き刺さっていた。カラン、と乾いた音を立てて銀色のロケットが床に落ちた。
「そうはいかないな」
いつからそこに立っていたのか、男は二人の後ろで服の埃を払っている。男はつまらなそうに杖を引き抜き、横に大きく振って血を払う。
「脇役が主役より目立つことがあってはならないのだよ」
ヴァージルは呆然として、手に付いた友の血を見つめる。
「興がそげたから今回はここで幕引きとしよう。そやつに感謝するんだな、童」
男は二人に背を向けて出口へと歩き出す。ミランはもう息をしていなかった。
「待て……」
「命を粗末にするものじゃない」
歩みは止めたものの、男は振り向かずに答える。
「アイツには……待っている人がいた。なのに、何故殺したッ!」
普段の冷静さをかなぐり捨てて男にくってかかるヴァージル。
「舞台に犠牲はつきものなのだよ。特に今回のような大きな舞台には、な」
それで十分とばかりに男は再び歩き出す。ヴァージルはまだ温もりの残る亡骸を手に、天を仰いで涙を零す。男は扉に手をかけ、
「どうやら勘違いしているようだから言っておくがな、童。そやつはお前の命乞いをしてきたのだよ。自分の命が惜しくて命乞いするような奴は自爆なんて真似はできない」
めんどくさそうに喋る。涙の流れた跡が二すじ、くっきりと残る顔を男に向けるヴァージル。
「やはり、気付いていなかったのか。火薬に火をつける時も、『アイツはかけがえの無い友人なんだ。すまない、シェーラ』と謝っていたよ」
扉を開け、最後に一瞥をくれて、
「自分を想ってくれていた友を蔑んだ道化として生きるがよい」
男は出ていった。