SPIN OFF Ⅰ (黄苑 恭介)
空風 楓
これは一人の男の後悔の物語。「空間特定。空間内の力を認識。重力、停止」一人の男が真剣な面持ちでかざした手を見つめる。だが、一つだけ現実では考えられないことがあった。手の向こうにある絵筆が宙に浮かんでいるのだ。「重力反転・・・・・・く、解除」男の言葉に合わせるように絵筆が上昇するが、すぐに糸が切れたかのように落ちてしまう。落ちた絵筆を取りながら男はため息をついた。「ふぅ、やはりダメか。まだ停止までしか操れない」男の名前は黄苑恭介。魔術組織セフィロトが一柱、峻厳の名を冠するセフィラであった。彼の能力は、ベクトルの支配。既に存在する力の方向や強さを制御するものだ。とはいっても、結界によって特定した空間内でしか使えず、その操作はまだ甘い。「仕方ない。今日は終わりだ。本業に戻るとするか」そう言って、恭介は絵筆を本来の用途に使い始める。もちろん、絵を描くためだ。恭介は駆け出しであるが、一応は画家なのだ。世界各地を旅しながら、旅先での風景を描くことを生業としていた。今はうにキングダム、という小国にいる。(名前嫌すぎ。変えよう)「ここはこの色で・・・」「綺麗な絵ですね」突然後ろからかけられた声に恭介は慌てて振り向く。そこには、つばの広い帽子を抑えながら微笑んでいる女性がいた。「そんな私の絵はまだまだですよ。でも、誉めて下さってありがとうございます」「いえ、本当のことですから」女性が絵を覗き込むようにして顔を近付ける。恭介は反射的に身を引いた。「この絵はここの風景? でも、少し違うような・・・」「あくまでモチーフですからね」恭介は自分の絵の説明を始める。女性の方も嫌がる様子もなく、むしろ楽しそうに恭介の話を聞いていた。その時はただそれだけのことが恭介にはとても嬉しかったのだった。だが、楽しい時間はとても短い。日は既に傾き始めていた。「もうこんな時間。ごめんなさい、長い間邪魔をしてしまって」「そんなことないですよ。とても楽しかったです」「私もですよ。また縁があったら会いましょう」女性は立ちあがるとお辞儀をして歩き去っていく。恭介はその後ろ姿と影を見つめながらまた会えるといいな、と思うのであった。
◆ ◆ ◆
恭介が彼女と再会したのはそれから一週間くらいした時のことだった。だが、その時彼女は男数人に絡まれているようであった。元々、あまり治安の良い場所とは言えない所であるから恭介もこのような場面は目撃してきた。そして、そのすべてを彼は見て見ぬ振りをしていた。自分の力は隠匿されるべきもの。不要な力の行使は他人を不幸にしていく。セフィロトの最高位である虎次郎の言葉があったからだ。だが、恭介はこの時だけは彼の言葉を守ることが出来なかった。「何を、しているんですか」リーダー格と思われる男の肩に手を乗せる。彼女は恭介に気付いて驚き、男は何も言わずに目線だけを軽く後ろに向けた。恭介は足で小さな結界を描きながら、再度男に迫った。「何を・・・・くっ!」男が突然恭介の腕を取り、後ろに回る。空いた手にはナイフが握られ首筋に当てられていた。周りの男達が恭介を囲む。一瞬の早業。ただのチンピラなどではない。こういったことを生業にする者達の動きだった。「止めて下さい!」彼女の悲鳴を踏みにじるかのようにナイフが恭介の首を引き裂こうと迫っていく。だが、侮るな。今ここにいるのは、人外の力を持つ者であることを知れ。「・・・・・・・ぬっ!」今まで無言を貫いていた男がはじめて困惑する。それも当然のこと。恭介が足元に展開した結界により、ナイフが首へと動く、その力の向きが停止されていることなど、男には分かるはずもないのだから。そして、その一瞬で恭介は男の拘束から逃れ、ナイフを奪い、拘束する。「お前達は何も知らない」「・・・・・・・・・・」恭介が力を緩めると男は拘束から逃れ、僅かに後退りした後その場から去っていく。男の仲間達もそれに続いて去っていった。恭介はナイフを近くに落ちていた鞘に収めると、まだ状況を理解出来ていない彼女に向き直る。「久しぶりですね、大丈夫ですか?」「・・・あ、えと・・・・・」「黄苑恭介、日本人です。以前は名前を言い忘れてしまいました」「私は、シャルカです。危ない所をありがとうございました・・・」これが、恭介とシャルカの二度目の出会い。この時以降、二人は親密になっていくのだが、そのことが悲劇をもたらすことになるとは、まだ二人共分かっていなかった。そのことを知っているのは、ナイフに刻まれた大鷲のエンブレムだけだったのである。
恭介とシャルカが恋人になったのは、あの日から数ヶ月経ってからだった。その間、二人でしていたことは絵の感想をもらったり、街を散策したりといった他愛もないこと。そのことが恭介にとってはかけがえのないものだった。
だが、恭介はシャルカには自分の最大の秘密、セフィロトに関することは一切話さなかった。
それは、ただ怖かったから。普通の人とは違う自分の力、ベクトルの操作。シャルカのことが大切になればなるほど、この異能のせいで拒絶されることが怖かった。幸いにして、目の前で力の行使を見られたのは、2回目に会った時1回。その時でさえ、派手な使い方はしていなかったため、シャルカに気付かれてはいない。虎次郎との相談の末、不老という問題も解決し、シャルカと同じ時を歩むことも出来る。
故に、恭介はすべてを隠し通すことを決めた。シャルカの前では、普通の人として在ることを選んだ。
そう決めてから恭介は1枚の絵を描き始めた。この絵を描ききったら、彼女にプロポーズしようと、そう決めて。1週間後、恭介はシャルカを呼び出した。
「どうしたんですか、恭介さん」「前に描き始めたって言っていた絵さ、ようやく完成したんだ」「本当ですか!?」
恭介はシャルカに完成した絵を差し出す。そこに描かれていたのは、恭介とシャルカが初めて出会った場所で、二人が微笑んでいる絵。その絵は幸せを切り取ったかと思わせた。
「綺麗・・・」「この絵はさ、実はまだ未完成なんだ」「え、そうなんですか?」
シャルカが首をかしげる。恭介はシャルカから絵を返してもらうと、愛しさを込めてその絵を撫ぜた。
「この絵だけなら完成だ。でも、この絵で描きたいことはまだ途中だから」「・・・・・・」「私はこの絵に今の私達の幸せを描いた。でも、私は未来の私達の幸せも描きたいんだ。 これからも、ずっと。 だから、ずっと私と一緒にいて下さい」
それは、万感の思いを込めた言葉。シャルカは笑みを浮かべて、その思いに応えた。
「喜んで。私のほうからもお願いします。 ずっと、一緒にいて下さいね」「・・・・あぁ、約束だ」
こうして、恭介とシャルカは結ばれる。この時に恭介が描いた絵きっかけとなり、画家としての恭介の名前は少しずつ知られていった。2年後には第一子であるクリスが誕生することになるのだった。
長女であるクリスが生まれてから6年が経とうとしている。その頃には画家としての恭介の名前は広く世に知られるようになっており、恭介は海外を奔走する日々、シャルカも時々ではあるが、恭介に同行しなければならなかった。それ故に、幼いクリスには両親の不在という負担を強いる結果になってしまっていた。そのような時はシャルカの母親が面倒をみることになっていた。
「1週間で戻ってくるからな。良い子にしてるんだぞ」「帰ってきたらクリスのお誕生日会ですからね」「うん!」
恭介とシャルは海外で開かれる個展のために、今日出かけていった。戻ってくるのは、クリスの6歳の誕生日。毎年誕生日にはパパとママはびっくりするようなことをしてくれる。去年は抱きしめられないくらい大きなクマのぬいぐるみ。今年は一体なんだろう?そのことを考えるだけで、クリスは待ちきれなくなった。
あと6日。
あと5日。
あと4日。
あと3日。
あと2日。
あと1日。
そして、とうとう待ちに待った誕生日がやってきた。その日朝からクリスは落ち着けなかった。今日帰ってくることは知っている。でも、今日の何時帰ってくるか分からない。朝から台の上に立ってずっと外を眺めていた。
「クリスちゃん。そんなに長い間立ってたら、足が疲れちゃうよ」「ん~、もうちょっと!」
おばあちゃんの忠告も聞くことは出来なかった。それ程にクリスの心の中はパパとママに会いたいという気持ちでいっぱいになっていた。やがて、おばあちゃんも諦めたのかクリスの元を離れる。
その時だった。クリスが名案を思い付いたのは。
帰ってくるのを待つんじゃなくて、私が迎えに行けばいい。何度もおばあちゃんと迎えに行ったことがあるから知っている。パパとママが帰ってくるのは、ここから少し歩いた所にある大きな駅。そこまで行って待っていよう。そうすれば、もっと早く会えるんだから。パパとママはどんな顔をするだろう。驚くだろうか。叱るだろうか。そんなことはない。だって、今日は誕生日なんだ。この日だけはパパとママは何でも言うことを聞いてくれる。だから、きっと笑って私の頭を撫でてくれるに違いない。そう考えた時にはクリスは自然と家を飛び出していた。大通りに出て・・・いや、ちょっとだけ近道をしよう。
そう思って裏路地に入った時、目の前に大きな影が出来たことにクリスは気付かず、
そして、意識を失った。
その頃、恭介とシャルカは両手にいっぱいのプレゼントを抱えて駅についた所だった。改札を出た所でシャルカの持っていた携帯が鳴る。
「もしもし」「シャルカかい。そっちにクリスちゃんはいないかい!?」「クリスがどうしたんですか!?」「私が少し目を離した間にいなくなっちまって・・・そっちに行ったんじゃないかと思うんだけど」
携帯で話される内容を横で聞いていた恭介は現状を把握する。家から駅まではあまり距離はない。多分、クリスは近くにいるはずだ。だが、その予想が甘過ぎたことを恭介は周りを探そうとした時に鳴った自分の携帯によって思い知らされる。
「もしもし」「・・・セフィロトが一柱。峻厳のゲブラーに命じる」「何のつもりだ」「そんなことを言えるのか。現状を理解しろ」「・・・・・・・」「海岸倉庫303まで来い」
その言葉を最後に携帯が一方的に切れる。だが、そのことを認識する間もなく、恭介は走り出していた。最悪の結末へと。
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