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定義

うのはな式定義

  • 眼鏡っ娘は、「眼鏡」をかけている「少女」である。
  • 眼鏡は、視力矯正のために“顔”に装着する器具、ないしそれを模した装身具である。
  • 少女は、外見年齢10~35歳程度の女性を指す。

前提

そもそもなぜ定義が必要なのかというと、宗派によって千差万別の『眼鏡っ娘の定義』が存在するからです。
曰く『伊達眼鏡はダメ』、曰く『性格が眼鏡っ娘的でないとダメ』、曰く『熟女もおk』などなど。
まぁともかく歴史の古い属性であるため、定義をはっきりさせないことには論議が平行線になっちゃいますね。

定義補足

  • 「眼鏡をかけている」っていうのは、要するにそういう設定ってことです。
    • 「眼鏡っ娘的な性格であれば、眼鏡を掛けていなくても眼鏡っ娘」という宗派ではないです。
    • 場合によっては一時的な装着でも眼鏡っ娘と捉える場合はあるかもしれない。
  • 眼鏡には伊達眼鏡は含みます。サングラスやゴーグルなど(以下、亜眼鏡)は含みません。
    • つまり見た目の問題です。
  • 少女はここでは外見年齢を指標としました。
    • ロリババァはおk
    • 私はやや熟女くらいならいいかな、とおもったので見た目35歳まではいいかなぁ、と。
    • 現実の平均的な外見年齢35歳の外見は知らないけど、二次元ならこれくらいかなぁ、と(
  • 三次元もそれはそれでいいけど、特に断りのない限りは二次元のキャラクターを指します。

演繹

うのはな式演繹

  • 眼鏡っ娘であれば、知的である。
  • 眼鏡っ娘であれば、静的である。
  • 眼鏡っ娘であれば、内向的である。

前提

眼鏡っ娘好きは単純に『眼鏡を掛けている少女』が好きなわけじゃないです。
彼らは彼女らの掛けている眼鏡を通して、『眼鏡っ娘っぽいキャラクター』を見ようとするからです。
『眼鏡っ娘よ、眼鏡っ娘的であれ』ということです。
眼鏡っ娘的であるかどうかは、眼鏡っ娘の可否には影響しません。
しかし眼鏡っ娘的であるかどうかは、魅力的な眼鏡っ娘であるかどうかの重要な指標となります。
眼鏡っ娘からどういう『眼鏡っ娘的』を導き出すかというのが、演繹です。

演繹と帰納

と言っても完璧な演繹はそう多くなく、たいていは帰納で得た暫定的な事実を前提に演繹を行う場合も多いです。
上記の演繹も、実際は過去の眼鏡っ娘の多数のサンプルから得られたものです。
より正確に言えば、『理論的な演繹』を多数のサンプルによって正当性を補強したものです。
いくら演繹が妥当でも、現実にそういう眼鏡っ娘がいなければそれはただの屁理屈、机上の空論ということですね。

属性

外見

三つ編み(おさげ)
昔から「眼鏡っ娘と言えば三つ編み」と言われてきたわけだが、出典はよくわからないのが現状である。少なくともToHeartの保科智子までは遡及可能であり、おさげ自体はときメモの如月未緒まで遡及可能である。これ以前についてはおいおい追っていく。
おでこ
おでこが広い眼鏡っ娘というのもこれまたよく見かける。眼鏡を掛けると眼が強調されるわけだから、これにより眼=眼鏡のすぐ上にある前髪を排除する美学が発生したと考えると納得がいく。しかし個人的にはおでこが広い子が特別好きというわけではないので、料理の仕方が要求される要素である。前髪全体を上げオールバックにするとたいていは失敗するので(成功例としては田井中律など)、ピンポイントでおでこをさらすようにするのが賢いやり方と思える。眼鏡っ娘ではないが、桜咲刹那とか御坂美琴とか。おでこの部位が広いにしても、髪をかきあげている田井中律タイプやデフォルトで前髪が短い綾瀬夕映タイプなど千差万別である。注意点は「やりすぎてハゲにするな」「髪全体のボリュームは落とすな」といったところか。
ヘアクリップ(ヘアピン)
ペアピンの中でもピン上の細いボビーピンではなく、クリップのような仕組みで髪を留めるものが眼鏡との親和性が高い。これをボビーピンと区別するため便宜上ヘアクリップという呼称で呼んでいる。ヘアクリップはボビーピンとは違いファッション性が高く、かといって主張し過ぎることはない。これを使うことで眼鏡っ娘をおしゃれに彩ることが可能になる。また、おでことの親和性も非常に高く、このヘアクリップがやばすぎる眼鏡っ娘のおでこを程よく包んでくれると言っても過言ではない。

外見以外

野暮
「流行を追いかけるよりも、流行に疎いままでいてください」という私たちのスイーツ(笑)への決別の表れと、女性への理想の投射ではないだろうか。
――というのはあながち冗談ではない。眼鏡っ娘のキャラクタメイキングとして昔からあった「地味」「暗い」「ダサイ」などのマイナス要素を逆手にとって、「地味だから好きなんだ」「暗いダサイからってなんだ」という気持ちが眼鏡っ娘好きに芽生え始めた。これを今までのマイナス要素からプラス要素への転換として名付けられたのが、「野暮ったい」である。オタクの大部分は現実に蔓延るスイーツ(笑)に辟易し、理想の女性を二次元へと投射する傾向にある。このスイーツ(笑)嫌いが投射されたゆえ洒脱でない需要が生まれ得、それが旧来からある眼鏡っ娘という洒脱でない概念と結びついた。こう考えると、眼鏡っ娘とオタクの親和性の高さが伺えるというものである。「野暮」は「静的」「内向的」な要素を帯びる。「地味」とか「野暮ったい」といった要素は、緩慢で洗練されていないものを連想させる。一方で後述の委員長や教師というものは、これらの要素とは正反対のものとして捉えられる。この矛盾に対して眼鏡はどのような意味を帯びるのか。これは、洗練されているかいないかは眼鏡の本質ではないということである。では眼鏡っ娘の本質はなんなのだろうか。
断言するのは難しいが、一般化を逃れ世俗から一歩離れたところに身を置く特殊性にあるのかもしれない。
委員長
小中高の学級委員長、ないし小中高の専門委員会委員長を指す。この場合生徒会役員ないし生徒会長は含まないが、属性としてはほぼ等価と認識できる。理性の象徴としてよく用いられる眼鏡であるからして、理性の権化としてよく用いられる委員長との親和性が高いのは非常に納得がいく。
一般的に委員長は後述の教師同様、教え導く立場にあると考えるのが一般的である。しかし教え導くという啓蒙的な立場より強調されるのが、自クラスの生徒をまとめあげるリーダーシップである。これは眼鏡っ娘の内向的な面とはしばし矛盾する要素であり、内向的な面を尊重し「リーダーシップのない委員長」という存在もあるが、これはどちらかというとただの優等生キャラに近く、委員長の本質ではない。リーダーシップとはいうが、これを支える社交性、世話の良さを主眼に置くキャラクタメイキングも多くなされる。幼なじみであればより近く、そうでなくてもそれなりのカバーを範囲する、これが委員長の強みである。ただし、この場合の眼鏡の親和性はさほど高くない。
眼鏡委員長の強みは規律と風紀を慮る方面に働く。これは「甲斐甲斐しい委員長」という概念を他キャラに委譲することでさらに強みを増す。つまり「柔和な委員長」「強硬な副委員長」といったキャラ分担がなされたとき、これは委員長の性質を大きく損ねることな
く、互いに補強された委員長が完成する。もちろん、この場合は一個人として不完全になるという欠点も存在し、これを補完しようとすると両頭体制がくずれるという二律背反構造となる。また、一部のストーリーでは強硬な眼鏡委員長は主人公と相反する(敵対する)存在として描かれ、それを改善するため主人公に対し丸くなるというパターンも見られる(同様にこれは教師にも見られる)。ストーリーのパターンとしては王道に属するものではあるが、一番最初に設定した「規則にうるさい」という印象をうまく扱うことができないと魅力を減少させかねない。これに対して「規則にうるさい」面が行きすぎるなど、否定的に描かれることも多い。しかしその場合第一印象が悪くなる危険性もはらんでいる。結局変化前と変化後の単純な刷り合わせでキャラクタメイキングができると考えること自体が甘えなのであり、よりよいキャラをつくるためにはそれ以上の要素やストーリーが必要となるわけである。
教師
教師の場合は委員長のように理性の表れであるとも捉えられるが、それに加え(もしくはそれ以上に)「オトナの女性」を表現するために都合がいいという面がある。かってに改蔵的にいえば「オ・ト・ナ」である。教師というキャラクタ性は、生徒と対で用いられる。教師は生徒を教え導く存在であり、精神的な優位性を必然的に持っている。教師は生徒がいてこそのキャラクタ性であり、生徒とは不可分のものとなる。生徒がいなけりゃただの人。逆に生徒がいる――しかも主人公など物語の主眼となる――時に、教師は強力無比な存在感を発揮する。この場合の精神的な優位性を保証するものとして、眼鏡が有効にマッチするということだ。
図書委員
図書委員は委員長とは違い、他をまとめる職ではなく事務的な職となる。故に図書委員長でもない限りは委員長とは別の性質を帯びる。図書委員の本質は図書である。
これによりほぼ例外なく「図書委員は読書好き」であるというキャラ付けがなされる。読書は知識を生むゆえ、知的キャラとしての素質を持つ。また、読む図書の性質によっては、オタクとしての偏向性も指摘される。
図書委員の眼鏡は、他の属性よりも強固に用いられる。一般に図書委員の眼鏡は「読書のしすぎ」で説明されるからである。これについては確かに暗所などの悪環境での読書は視力低下を促すものであり、読書というワードが眼鏡と強固にマッチする要因となっている。
図書委員の性格については、基本的に「人見知りで内向的である」というものが多い。読書という趣味が外交的とは捉えられないというのが大きな理由と考えられる。また、偏向性が見られる図書委員の場合は、その偏向具合により他を拒絶する要素となりうるので、これまた内向的との結論が得られる。人見知りであるが故に対人コミュニケーション能力が低い、故にドモる、これがまた魅力になりうる。
図書委員とは異なるが、読書という要素とかつて最も強く結びついたキャラクターがR.O.Dの読子・リードマンであると言える。R.O.Dは読書の中からその主体である“本”、さらにその材質である“紙”にまで深く切り込んだストーリー構成をしている。それを強固に支えるのが読子の読書狂であり、図書に関する性質を余すことなく用いている。また、眼鏡そのものにもストーリーを擁することで、これらの要素と読子という存在と眼鏡というピースに関連性を持たせることに成功していると言えるだろう。
腐女子
ずばりオタクの派生形である。
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