彼女にとっての久しぶりの帰郷は、少々拍子抜けなものになった。
「……鍵、閉まってる」
ユーネがポツリとつぶやく。
ドアノブをガチャガチャと回す。
「な~にやってんだ」
と、チャンス。
「ちょっとでかけてるんじゃない?」
これはJT。普通ならそう考えてもおかしくはないだろう。だが……
「ウチには父母に従業員のディアナも住み込みでいて、3人全員が出払っていることはそうめったにないわ。だれかしら、必ず家にいるもの。そうでないとなると……」
ユーネはドアノブを思い切り引く……すると、
「!」
ユーネの手に、電流が走った。
「ユーネ!」
JTが駆け寄る。
「ドアにヘンな仕掛けが……まさか、ユーネのお父さんとお母さんに何か……」
「いえ、多分……」
ユーネはふたりに家の前で待つように言うと、隣の家のドアをノックした。
鍵をガチャガチャと差しこみ、家の扉を開ける。
隣の家のおばちゃんから家の鍵を受け取ったのだ。
開いたドアから、3人が家に入る。ユーネの家は道具屋を営んでおり、中に立ち入るとさまざまなアイテムが置かれた棚がいくつか並んでいる。しかし、薬草などの消耗品の類は並んでいなかった。
「ウチの両親は1年のほとんどは冒険の旅に出て家を空けるのよ」
ユーネがため息混じりに話す。
「私も小さい頃からよく連れ出されたわ。だけどね、傍目にはみっともないくらいに仲のよい二人だから、本当は2人きりで行きたいのよ。だから珍しいわ、いつも店番にディアナを残していくのに」
だれもいないということは、つまり3人で出かけたということだ。
ユーネは店のカウンターに家の鍵を置く。
JTはそれを見て言った。
「ユーネの両親は魔法で施錠していったわけだね。」
「あれは、施錠なんてものじゃないわ。ほとんど封印ね。並の魔法の鍵だったらどうにかこうにか開けれるけど……個別認識のほうまでやらなかったみたい。母様ったら……」
チャンスは眉をしかめる。
(おいおい。むちゃくちゃな魔力で時々ヘンな世界の扉も無理やりこじ開けるヤツが開けれねえ扉ってどんなだ……)
どれだけ人間不信だよ、と言おうとしたがやめた。ヘンな世界の扉に放り込まれるのがいやだったからだ。
「てゆーか、隣に鍵を預けるのなら魔法を使う必要ってなくない?」
「用心深いのよ。人当たりがいいように見えてね」
ユーネはここしばらくにないほどによく喋った。少々風変わりな家庭の事情を見られたことをごまかすためか、それとも久しぶりの自分の家に気分が高揚しているのか。両親の付き添いで旅にでることが多かった彼女だが、初めて両親以外の人間と長い旅に出たのだ。久しぶりの我が家に少々浮かれていたとしても不思議ではない。
JTはそんなユーネの様子をニコニコしながら眺めていた。チャンスはユーネの話を半ば聞き流し、普段店の外に置かれているであろう道具屋の看板を眺めていた。看板には「一対の腕輪」と書かれており、店の名前と知れた。
ユーネの家に着いたのは、日がわずかに西へ傾いた頃のこと。3人が家でくつろいでいると、すぐに夕食の時間になった。ユーネの自宅なので料理をしてもよかったのだが、どうやら材料がない。保存が利く食料はほとんど持ち出されているし、自分たちが持ち合わせた食料を調理してもいいのだが、それでは結局道中と同じ食事になってしまう。古いものは徐々に胃袋の中に処分してしまわなければならないとしても、到着初日くらいはもう少しましなものを食べたい。
と言うわけで、3人はユーネ宅から程近い目抜き通りへと繰り出した。
「へぇ~」
JTが感嘆の声を上げる
天を見上げれば茜色に染まるエリクシアの天上宮。視線を落とせば地上宮。地上宮のそばには世界最高学府であるエリクシア王立第一魔法学校。
そのお膝元である中央区の目抜き通りは人の波でごった返していた。
「ジュデン都もかなりの人だったけど……」
東の大陸随一の大国・剣国ジュデン。その街に比べても、このエリクシア中央区の人通りの多さは一段上だった。
「このあたりはもうある種、観光地だからね。エリクシア人のほかに旅行者も多いわ。魔術を学ぶ者達にとっては聖地巡礼のようなものだから」
「ふうん」
おのぼりさんと化したJTはぐるりと周りを見回した。ジュデンの人々と比べると、少々小奇麗な感じの人間が多い。活気という点でいえばジュデンのほうも劣るとは思わないが。
「学生街のほうへ行きましょうか。私たちくらいの年齢だとそっちのお店のほうが入りやすいしね」
確かに、十代半ばの自分たちではそちらのほうが似合っているかもしれない。
「ついでに魔法学校の学舎でも見学してくる?」
「学校なんて観て何が面白いんだよ。いーから飯」
チャンスがぶっきらぼうにぼやく。
チャンスはご丁寧にも腰に剣をさしてきていた。ジュデンではそれほど珍しくなかったが、このエリクシアでは武器を帯びるものは少数派だ。ジュデンに比べて保守的な国民性ということもあって、チャンスは道行く人の好奇の視線を買った。当の本人はさして気にしていなかったが。
西の大陸は魔法に満ちた大陸である。声高らかに言うことはしないものの、彼らの優劣は魔力の強弱をものさしに決められる節があり、魔術に関して発展途上である東の大陸と、そこの出身者に対して差別意識を持つ者も少なくない。特に、フォルガ王という世界的なカリスマを得て急成長を遂げているジュデンとその国民に対しては、やっかみ半分の悪感情がある。
こういった傾向は特に年配者を中心に見られる。ユーネが若年者の多い学生街を選んだ理由のひとつはそのことを配慮したためである。
王立魔法学校に程近い学生街。そこは中央区のメインストリートから見ればある種、雑多であった。他国から留学してきた学生が興した郷土料理の店もいくつかあり、その多様性は国内でも屈指である。そのため、学生以外からも人気が高い。
その中から手頃な店を見つけて中に入る。酒も飲めるエリクシア料理の店だ。
「私も来たことのない店だけど……」
ユーネがつぶやく。ユーネがここにいたのは14歳かそこらまでのことだ。学生街とはいえ、それくらいの年齢の少女達が気軽に入る店ではない。
店の中は客でいっぱいで、空いているのはカウンターにわずかに4つだけだった。それも、両側を客に挟まれた位置。その席に、チャンスが奥へつめて座った。その左隣にJT、ユーネが座り、空いた席はユーネの右の席だけとなった。
ユーネがいくつかの料理を注文する。JTの耳にはあまり馴染みのない名前だったが、エリクシアの海で獲れる魚の料理だとユーネが教えてくれた。
「魚、ね。エリクシアって、あんまり海に面した国っていう感じしないけど……」
JTがお手拭をもてあそびながらユーネに話しかける。
「あんまり潮の香りとかしないしね」
「大気中の魔力で鼻が馬鹿になっているのかもね」
「なにそれ」
ふたりで雑談している間に、3人分の料理が出される。大きな魚の上に白のソースがかかったもので、付け合せの野菜もある。
「あとは適当に注文して」
「は~い」
皿の一枚をチャンスに回そうとして右を向くと、チャンスは初対面のはずの隣の客と談笑していた。
面立ちはチャンスと同じかひとつふたつ下くらいの少女に見えるが、服の着こなし方を見るとチャンスや、もしかしたらユーネよりも年上なのかもしれない。生まれたときから顔に張り付いているような、如才無い笑顔が印象的だ。
JTがそちらを向くと、その女性が話しかけてきた。
「あはは!あなたが妹さんね!似てる!」
「あ、うん」
本当は親が違うから似ているはずはないのだが、似ているとはよく言われる。関係を名乗らなくても、「もしかして、兄妹?」とか言われるくらいだから似ているのだろう。同郷ということもあって同じような顔立ちと認識されているのだろうか。
JTはチャンスに耳打ちした。
「チャンス、その人は?」
「ああ、シウリィっていって、魔法学校の学生なんだってさ」
紹介されて、笑顔で手をわきわきさせて応答するシウリィ。
「あはは!ごめんね~、お兄さんナンパしちゃった」
「ナンパだったのか……」
「あはは!グラス2杯で釣られちゃったわね」
けらけらと笑って、明け透けで、一般的なエリクシア人のようには見えなかった。
「そっちの髪の長い子は、エリクシアみたいね」
と、声をかけられたのが、典型的といえば典型的なエリクシア人気質の娘。
「ええ、第4区寄りの方の道具屋の娘です」
「あはは、そーなんだ?でも、そっちのほうに道具屋なんてあったかしら」
「ほとんど、店を開けませんから……」
これにはユーネも苦笑いで答えた。店主夫婦は年がら年中旅の空で、年によってはあいているほうが珍しいこともある。
「シウリィさんは、学生ですか?」
「うん、そう。王立イチ校。去年攻撃魔法学科出て、今は障壁法学科」
「パレス・クラスを狙っているんですか?」
「あはは。いちおー、そのつもり」
どうやら王立魔法学校の話に移ったようで、チャンスとJTにはよくわからない話題になった。それに気づいてか、ユーネがふたりに説明する。
「イチ校――王立魔法学校には上級クラスっていうのがあって、攻撃魔法学校と、今シウリィさんが在籍する障壁法学科ね。順番はどちらでもいいんだけど、両学科を5年かけて履修して、一定以上の成績ともろもろをもって国家に選抜されると、宮仕えの魔導士からじきじきに指導を受けることができるの。それがパレス・クラスね」
わかったような、わからないような。ともかく、チャンスとJTのふたりが理解したのは、このシウリィと言う女性はとんでもなく勉強好きだということだ。
「俺なんかもう、勉強なんてごめんだけどな……」
と、チャンスは苦笑する。
「あはは。好きなことに関してなら勉強できるものでしょ?チャンスだって、剣術で向上したいと思ったら、いろいろと努力するでしょ?だからあたしのも、勉強じゃなく向上のための努力。ね、チャンスもあたしもそうかわんないでしょ?」
「そ、そう?」
相手がなまじ頭のよい学校に通っている学生なものだからころりと言いくるめられてしまいそうになる。
「シウリィさん剣術詳しいの」
「あはは!知ってるよぉー?ナナ校に友達いるし、サン校の人たちともしょっちゅう遊ぶしね」
「それってどういうこと?」
戸惑うJTに逐一説明をするユーネ。
「あ――……ええと、学校の略称ね。それに、学校ごとに結構、特色って出るのよ。イチ……一校が一番頭がよくて、第二がイチ校に追いつけ追い越せ、第三……サン校は東の大陸からの留学生が多くて、第四がお金持ちの子が通う学校。第五は地元の職人の子が多いの。第六がほとんど女子校。そして、第七……ナナ校が魔法戦士学科がすごく強いの」
丁寧に解説するユーネ。JTも合点がいったようだ。
「なるほど。剣を使う人もジュデンからの留学生もいて結構そういう話を聞いてるってわけね。でも留学生の話ってのも怪しーなあ。魔法学校通ってんならべつに剣士ってわけじゃないでしょ」
「あはは」
その後、閉店に近い時間まで4人は話をしながら食事を(チャンスとシウリィは酒を)楽しんだ。
「もう遅くなったわね。このへんでお開きにする?」
と、ユーネが提案すると、JTとチャンスが「え――――!」という不満の声を上げた。
「え――――ではなく。この店、日付変わる前に閉まるみたいよ」
「別の店行きゃあいいじゃんよ」
「あはは。まあまあ」
ぼやくチャンスをたしなめたのはシウリィだった。
「3人ともしばらくエリクシアにいるんでしょ?また遊んであげるから。あ、半分はあたしが出すわ」
支払いをしようとしているユーネの手に数枚の銅貨を握らせる。
「いえ、そんな……」
「あはは!おねーさんパワーよ。まあとっときなさいって――ココだけの話」
シウリィはこっそりユーネに耳打ちする。
「これはエリクシアの国庫から出たお金だからいーの。奨学金なんだけどね。それに個人の奨学金も何件かもらってるから、いま結構リッチなのよね」
「はあ……」
「じゃあ、滞在中退屈してたら声かけてね」
と言って、シウリィはメモ帳に自分のアパートのアドレスを書いてチャンスに手渡した。
「俺に?」
「あはは!だってナンパしたんだもん。でもJTもユーネもいっしょに遊ぼうね」
そう言うや、シウリィはひとり、先に帰った。
ユーネが代金を支払う。すると、シウリィからもらった分だけで全額足りた。この店が特段安価なな価格設定、ということではなく、シウリィが余計に渡したのだ。それも、おそらく知っていて。
「気風がいい人だったな」
「そうね」
「もしくは、やっぱり半分返してくれるつもりがあるならまた会おうね、って意味かもね」
「この期に及んで返すのも失礼だし。厚意は受け取っておきましょう」
帰りがけ、ユーネたち3人はそんな話をしながら歩いた。
「お金のことは別にして、もう一度話をしてみたいね」
「会いに行ったらいいじゃない」
「うん」
前日から翌日に変わる頃の時間だが、ちらほらと人の姿が見える。学生街という場所柄、すれ違うのは若者ばかり。その誰も彼もが酒に酔っており、腰に剣を帯びたチャンスを物珍しげにみながら通り過ぎていった。チャンスの腰の魔剣は彼の長身と相まってひどく目立った。
酒癖の悪い者は、命知らずにもチャンスに絡んでくる。そのたびにユーネがチャンスを止める。酒が入っているせいで抑制が効かず、反射行動だけで動くチャンスはこの上ない凶器だ。ほうっておけば、酔っ払ってろれつの回らない魔法使いなど呪文の「じ」の字も言えぬ間に張り倒してしまうだろう。
「おう、お兄ぃさん。カッコいいもの持ってんじゃない?」
3度目に絡んできたのは4人グループの一人で、これも例に漏れず学生と見える若い男だった。そして悪いことに、この男はどうやら東の大陸出身者に対する侮蔑の感情をもっているようだ。
「刃引き法って知ってる?刀剣排斥法。刃物を排斥するってことじゃないよ。刃物を使うような連中はエリクシアから追い出しちまえっていう法律~。アンタ刃引き法違反だろ?」
「あ?」
ぎろり、と上方から男をにらむチャンス。チャンスと男とでは背丈が頭ひとつ半は違う。
ああ、めんどくさい、と思いながらも、一応チャンスと男の間に割り込むユーネ。男の連れも、男の様子に辟易した様子で彼の腕をつかむ。止めにかかったのは二人とも女で、もう一人いた男は後ろで囃し立てていた。
「あんだようっせぇな。刃引き法違反の田舎モンとっ捕まえて警備団に突き出してやんだよ」
そういって、男は小さく呪文をつぶやく。手のひらに電撃が発生する。
「――刀剣排斥法は大昔の法律だし、市街地でみだりに攻撃魔法を使う方が罪ですよ!」
「うるせえ!どけ!」
チャンスは叫ぶユーネを横に押しのけ、腰に差した剣を握った――
「!?」
――つもりだったが、腰に帯びたはずの剣があるべき位置になかった。
「んあ!」
剣の間合いからもう一歩踏み出し、チャンスは抜いた手で裏拳を繰り出した。拳はきれいに男の顔を痛打した。男はそれはもう見事なまでに吹っ飛んだ。
そこまではよかったが、男が練り上げていた雷の呪文が中途半端に発動し、辺りに無数の雷の尾が散った。
「くっ!酔っ払いが難しいのを使うから!」
ユーネが呪文を速唱する。すると、雷の尾が次々と弾けて消えていった。瞬く間に辺りが暗闇を取り戻す。
このあまりにも速い展開に、男の連れ達は唖然としていた。
チャンスが打った右手をプラプラさせながら振り返る。そこには、鞘に納まったままのチャンスの魔剣を抱えたJTがいた。
「ケンカに刃物と魔法はダメ!」
「……ちぇっ」
それを尻目に、ユーネが男の連れの女達に声をかける。もう一人の男は吹っ飛ばされた男を見てすたこらと退散していた。
「……あくまで、こちらに正当性のある反撃ですので。もちろんあなたたちに喧嘩を打っているわけでもありませんので、この男を連れてお引取り願いたいのですけど」
連れの女が顔を見合わせる。そして、その一方の長い金髪の女が口を開く。
「ごめんなさいね。迷惑かけちゃってこの男いっつもこうだから……」
心底呆れた顔をして地べたに寝る男の顔を一瞥する。
「ねえ、こいつ置いていきましょうか。ここに」
金髪の女はもう一方の女に声をかける。
こちらは髪の短い、黒髪の女。背丈は金髪の女より頭半分小さい。
「そういうわけにも行かないでしょ。学校とかあたしたちの名前出されても面倒だし……もう、ハキムのバカは逃げるし……」
そういいつつ、倒れた男の脇に腕を回し、起こそうとする。が、さすがに男一人の体を動かすのはきつい。そう思ったユーネが反対側から男の体を起こす手伝いをする。
「ああ、ありが……と――」
黒髪の女はユーネの顔を見ると、礼を言いかけた口を止めた。
そして、ゆっくりとした確認の口調で、彼女の名前を呟いた。
「……ユー、ネ?」
名前を呼ばれたユーネは驚くでもなく、冷静に黒髪の女の顔を頭の中から捜した。
そしてすぐに思い至ったが、
「……うん」
と返事だけをした。
ユーネが返事をすると、黒髪の彼女の表情が少しだけこわばった。
「…………」
黒髪の女は金髪の女に目で指示をした。金髪の女は彼女たちに近寄り、ユーネに代わって男の体を抱えた。
「迷惑かけたわね」
黒髪の女はそれだけをいうと、金髪の女とふたりで男を抱え、その場をさっさと後にした。
「知ってるひと?」
チャンスの腰から下がるホルダーに鞘をつるしながら、JTがユーネに聞く。
「うん。小さい頃の友達」
「へえ……なんかわけありっぽいけど。ってか嫌われてるっぽい」
ずばり言ってしまうJTである。
「……まあ、あの娘が私のことを好きなわけはないと思うけどね」
「なんで?」
「私の母は昔、王立第一魔法学校の教授の席に誘われたことがあるのね」
「ええっ!それってすごいことじゃない?」
「まあ、そうなんだけどね。だけど母は、それをさして熟慮もせずにあっさり断ったわけ」
「はあ」
チャンスとJTが揃って声を上げる?
「なんで!?」
「……さあ」
さあ、ととぼけたユーネだが、どうせ父と一緒にいたいとかそんな理由だということは容易に想像が付いた。
「そのときは宮中とか教授連とかから非難轟々だったらしいわね。せめて表立った実績がないとか理由をあげればよかったのに、それをしなかったものだから」
「ふうん。それで、娘のユーネまでがいわれのない非難を受けることになったわけだ」
「うん……そうね」
と、話を締めようとしたユーネの顔をじっとみるチャンス。
「……いや、それだけじゃねーな」
ぴくり、とユーネの肩が上がる。
「エリクシアでも並みはずれて優れた魔術師の、その娘。本人は無理でもせめてその素養を受け継ぐ娘を~~~~って発想があったっておかしくないな」」
「――まぁ、ね」
[その誘いを、こいつはどうしたのか」
「…………」
ユーネの顔がいかにもバツの悪そうなものに変わる。
JTはユーネの顔を下から覗き込む。
「……断っちゃったんだ」
「…………」
「そりゃあさ、ほかの連中からすりゃあ、いやみなヤツにみえるかもな」
「いやみとか言うな!」
結局、その件に関しては誘われた時点で負けだったのだ。王立魔法学校に入っても入らなくても。入学したらしたで、優れた魔術師である親の七光りだとか、断ったら今度は無礼な術士の娘はやはり無礼だとか言われるのは目に見えていて、実際そのとおりになった。
自分が人外の魔力を持った不自然な存在であると感じていたユーネは、人間のコミュニティに入り込むべきではないと漠然と思っていた。それは、子供の喧嘩に大人が手を出さない、といったような姿勢に似ていたかもしれない。ユーネの目から見れば、多くの魔術師が操る魔術など、まるで児戯に等しかった。ユーネの使う力は、人がつかう“魔術”などではなく、人ならざるものが使う“魔法”なのだから。
チャンスはそこで、昨夜見た顔を見つけた。
王立第一魔法学校の学生、シウリィだった。
「あれ?」
そしてシウリィのほうも、チャンスを見つけたようだった。
「チャンスじゃない。どうしたの?こんなところで……」
といって、シウリィは何かに思い至ったような顔になる。
「あはは。どうしたのってことないわね。この辺なんか観光地みたいなものだしね!」
言われてぐるりみまわすチャンス。ユーネが言っていた、石の壁に刻まれた“魔法壁画”、大昔の魔術師が封じられているという“鉄の魔術師像”。品の良い構えの店も多く、その多くは魔術研磨の宝石店だった。
だが、チャンスはここが観光地だと知っていて、足を運んだわけではない。大きな街にきたら、とりあえず1日2日、あちこちを歩き回るのが、チャンスの、いわば“流儀”であった。ここにたどり着いたのは、ただ散歩の通り道だったというだけだ。
「俺が宝石なんかに興味があるように見える?」
「あはは!そうねえ……お腹の足しにならないものには興味が無いって顔かな?」
「ひでえな……」
「あははっ」
困った顔のチャンスをみて笑い転げるシウリィ。いやみな感じが無いのは、彼女の人徳に因るものだろうか。
「でもやっぱり冒険者だから、宝石とか好きなんじゃないの?」
「店に置いてるものなんかに興味はねえよ。自分でみっけたモンだけが、宝物だろ?」
もともと、金とか名誉とか、そんなものを目当てに旅に出たわけではないのだが。
「ふふ、自分で見つけたものだけが宝物か……いいねっ!」
「んん?なんか馬鹿にされてる?」
「ううん、そんなことないよ。男前なセリフ……このへん案内するよ。歩こうか」
シウリィはそういってチャンスを促す。チャンスは、彼女の横に並んで歩く。チャンスの、年齢とは不相応な、少々大柄な体がシウリィと並ぶと、彼女は彼の幼い妹か何かに見える。
ふたりは他愛の無いことをだべりながら、街を歩いた。シウリィは結局、観光案内みたいな真似もせず、おしゃべりに終始した。
亞紗たちがエリクシアの地を最後に踏んだのはもう2年半も前のことだ。もともとエリクシア王宮に拾われて末姫に祭り上げられるまではエリクシアの娘ではなかった。だから、再びこのエリクシアの地を踏むことを心底懐かしく思ったのはウェイやホンリェたちのほうだったかもしれない。亞紗を除いた5人はここで生まれ、亞紗と旅立つまでここで育ったのだから。
彼女たちが2度と戻ることがないと思っていたこの地に戻ってきたのは、亞紗の恩師であり両親の友人でもあったシミズ教授が病に臥せり、そう長くはないという話を風の噂に聞きつけていたからだ。
亞紗たちは忍んでシミズの屋敷を訪ねていった。屋敷にはシミズと、彼より10は若い妻が二人で暮らしていた。彼女は亞紗たちの事情をシミズから聞き及んでいたようで、亞紗の名前を聞いたときは少し驚いた様子を見せたが、シミズの臥せている寝室へ通してくれた。彼女が不穏な動きを見せるようであれば、しばし眠っていてもらおうと魔術師のマクレーンは考えていたが、そんな様子はなかった。
通されたシミズの寝室で、彼女たちはシミズと再会を果たした。思ったより快活そうな様子に、一同は胸をなでおろした。
「……何で戻ってきたのです」
「先生……」
亞紗が口を開くのを制して、ウェイが問いに答えた。
「いても立ってもいられんようになった、ちゅうことですよ」
「…………」
「それと……遅なったけど、この国にちゃんとお別れしてへんかったし。ええ機会やいうことでね。もちろん、家族とか友達には会われへんけど……」
それだけ話した後で、亞紗たちはこの国における自分たちの立場を聞いた。
シミズは一人、エリクシアへ戻り、エリクシア王宮には『亞紗は学生たちとともにエリクシアを捨て出奔した』と伝えた。王宮には嘘を見抜く術者や道具があるので虚偽の報告は出来ないし、そうでなくても彼の地で亞紗が行方知れずになったり死亡したなどということになれば、ジュデン国との外交問題となる。
その後はシミズと王宮との話し合いになった。この件はなかったことになり、国内にも公式の発表はない。黙殺であった。エリクシア王宮が守りたかったものは王族ではなく、その周囲の秘密こそだからだ。
エリクシア王宮がこの件で“保護者”という立場のシミズを罰することがなかったのは、シミズが国内でも無二の学者であったためだ。王女の代わりはいるが(数十名といる王位継承者のなかで、亞紗の継承権は最下位であった)、シミズの代わりはいない。
ことはシミズと王宮の間で手打ちになっている。だが、この国に亞紗たちが戻ってくることを、エリクシアは好ましくは思わないだろう。
長話もよくないということで、それだけで亞紗たちは席を外した。これから近くの宿を取ろうと考えていたが、引き止められ、今晩はこの屋敷で休むようにと部屋をあてがわれた。
そのうちの一室で、亞紗たちは集合してミーティングを始めた。
翼持つ者の女王、亞紗姫と、ジャレン曰く“お姫様騎士団”。その“騎士団”をまとめるのは、初めからウェイの役割となっていた。自身、柄じゃないと思いつつも、彼は立派に務めを果たしている。
「久しぶりの帰郷や。それに、一生のうちあと何べん来れるかもわからん。なるべくならゆっくりとしたいところやけど……ま、羽目をはずさん程度には故郷を愉しんで、2日後にはさっぱりして出ていこうで」
夜の闇の中。ある屋敷の窓の並びの中で、ひとつだけほの赤いランプの光が灯っている部屋があった。
マクレーンは浮遊の魔法で塀を飛び越え、明かりの灯る窓の下に、壁を背に腰掛けた。そして、部屋の中に聞こえるように、口笛を吹いた。
それがふたりの約束の合図。
しばし待つと、灯りのついた部屋の窓が勢いよく、がらり、と開け放たれた。
窓から顔をのぞかせた顔に、マクレーンは下から声をかけた。
「シウリィ」
部屋の主はその声にひどく驚いた様子で、マクレーンの顔を見つめた。
「兄ぃ、ちゃん?」
まるで、幽霊でも見るような顔で。
「んっだよ、めんどくせーなあ」
「何言ってんだか、どーせひまでしょ」
ユーネはチャンスが読んでいた書簡を背後から奪い、振り返った彼の前でひらひらとあおいでみせる。
「これが目にはいらないのかしらね、これは王命よ」
書簡の右下に、青白い文字が浮かんでいる。文字通り、紙から浮き上がった魔法の文字は、エリクシア王宮発簡文書の証であった。
「つかさ、もともとこれってユーネたちのお父さんに出されたものだよね」
ソファに腰掛けてチャンスとユーネのやり取りを見ていたJTが口を挟む。
「それをあたし達に押し付けるような真似したら、まずいんじゃーないの?」
「平気よ。なにせこれは、私たちに“正式に”押し付けられたものだから」
今日の午後、家に届けられていた両親宛の書簡を開封したユーネは、両親の不在を伝えるために宮殿へ上がっていた。彼女の両親は、国よりさまざまな便宜を受けているが、その見返りとして今回のようなクエストを請け負うことがままあった。まま、というのは適当な理由をつけて逃げることがもっぱらだったからだ。
書簡とともに両親の不在を告げに来たユーネは、そのまま大臣の間に通され、両親の代わりに王命を受けよと言われたのだ。
(こんなときは特に、私は本当にあの両親の娘なのかしら、なんて思うわね)
両親は気に入らないと思えばきっと断っただろうが、ユーネは面の皮の厚さという一点においては両親にまったく及ばない。もっとも、面の皮の厚さでいえば、親がいないのであれば子でもいい、という国の節操のなさも相当だが。
というわけで、ユーネは不承不承、この王命を“押し付けられて”帰ってきたのだ。
「私たちのほかには、魔法戦士団の精鋭が出るわ」
「何の慰めにもなんないね」
「エリクシアの魔法戦士なんて物の数になるかどうかわかんねーしな」
「ま、べつに戦いにならなければそれでもいいんでしょ?その、エリクシアの末姫さまを取り返しさえすれば」