彼は道の端で露天まがいの店をやっていた。広げた敷布にぺらぺらの紙を並べて、その紙の上に石を載せていた。多分風で飛ばされないようにするためだろう。彼は目を覆い隠すくらいの長いぼさぼさの髪、それに少々埃っぽい格好で、敷布の向こうにあぐらをかいていた。

一見して何の店か全くわからなかった。壁に立てかけていたのれんには、『符術普及の会』とか書いていたが、それを見てもこの店がなんなのかはわからなかった。会ではあっても店ではなかったからだ。

気になった疑問は解かねばならない。JTはその露天だかなんだかわからないスペースを、腰を曲げて覗いてみた。

「これってなんの店?」

 ユーネは敷布の向こう側に身体を折って座る、多分JTよりも年を経ていないであろう少年に尋ねる。

 ぼそぼそ……。

 少年は聞き取るのがやっとという小さい声で話す。だからJTは、つい自分で復唱してしまう。

「え、……術符?符術の店?符術か~。レトロだねえ」

 JTはそこに並ぶ紙――恐らくこれが符だろう――をぐるりと見回した。

「ねえ、手にとって見てもいい?」

 JTが少年に問いかけるが、少年からの返事はうんともすんともない。どうしたのかと思い、符から顔を上げてみると――

「うわあっ!」

 少年はごろりと横に倒れていた。

「ねえ!大丈夫?」

 敷布をまたいで向こう側に移り、少年を抱き起こす。

 すると少年の、少年だと思っていた者の胸にくっついている柔らかい塊が、ぐらりと傾いた。

「え、女の子……?」

 それはともかく。

 その少年あらため少女の腹が、ぐうぅと鳴いた。

 JTが手にしていた紙袋から肉そぼろ入りの饅頭を与えてやると、その少女はもそもそと食べ始めた。その食べ方がなんかの動物に似ているなと思ったら、牛とかの草食動物のそれだと思い至った。いや、あるいは虫かもしれない。

「単なる空腹でよかったねぇ」

 少女はあまり表情を変えずもそもそもそもそと食べ続け、たっぷりの時間をかけて男の拳骨大の饅頭を食した。

 少女は満足そうな顔をして居住まいを正し、JTにご馳走様と頭を下げた。

「どういたしまして。あ!」

 JTは時間を思い出して跳ね上がる。

「あたし急ぎだったんだよ。ごめんね」

 JTは紙袋を抱えて立ち上がる。

「ねえ、君の名前は」

 少女は一泊の間を置いて、ぼそりと呟く。

――あんな。

「あんなかぁ。明日もここにいる?」

 あんなはこくりと頷く。

「そっか。あたしはJT。明日も来るね。じゃあね!」

 JTは手を振ってあんなに別れを告げた。

 JTは朝のんびりと起きると、チャンス、ユーネと自分のスケジュールを確認して、まずは市場に足を運んだ。食べ物を買いにいくためだ。

(今日も倒れてるかもしれないからね)

 紙袋を抱えて昨日の場所まで移動する。

 昨日と同じ場所に、あんなは昨日と同じように露天を構えていた。

「おはよう」

 JTが挨拶すると、あんなはこくりと頷いた。

「そっち、座っていい?」

 これにも、こくり。JTは紙袋を抱えて敷布の向こう側に移った。

「朝ごはん食べた?色々買ってきたけど」

 といってパンを紙袋から取り出して与えると、口を半開きにしてそれを見つめ、首の前で手を組んでまぶしそうにそのパンを見た。

「あげるよ」

 と言ってやると、あんなは無表情なりに喜んだような表情をした。よくわからないが。JTがパンを手渡す。昨日みたいにもそもそともそり続け……もとい、食べ続ける。

 それにしても――JTはあんなの胸をまじまじと見つめる。

 厚手の生地の服をこれでもかといわんばかりに押し出したその巨大な胸は、昨日心の中で少年と間違えてしまったこと申し訳なく思うくらいの存在感だった。そしてJTは、自分の平坦な胸と見比べて、今度は世の中の不公平さを呪った。身長はさほど変わらないのに。よもや別の生き物ではなかろうか。

 ずいぶん長い間その憎くき巨峰を眺めていたらしい。JTが顔を上げるとあんなはもうパンを食べ終わるところだった。

あんなが最後の一切れを口の中に押し込み、居住まいを正してJTにご馳走様とお辞儀をする。

「おそまつさまでした」

 食事を終えると、あんなは今度はなにやら作業をし始めた。大きな紙、鋏、毛髪の筆、インク、それと金槌に、さまざまな色の……おそらく魔石。

 あんなはまず大きな紙を鋏で切り出す。大きさを見ると敷布の上に並んでいる術符と同じくらいの大きさだ。

「術符を作るの?」

 JTが聞くと、あんなはこくりと頷く。

「見ててもいいの?企業秘密とかじゃないの?え?ああ、そっか、符術普及の会だもんね」

 確かに、秘密だったらそもそもこんな道端でパフォーマンスする必要はない。

 あんなは切り取った10枚ほどの紙の束を脇に置くと、今度は魔石を金槌で何度も叩いて細かく砕き、砂状になったそれをインクボトルにぱらぱらと注ぎ、細い棒でかき回す。聞けば、そうして魔石を砕いたのをインクに混ぜてやると、インクが魔力を帯びるようになるのだそうだ。

 ここで筆と、さきほど切った紙の中の、その一枚を取り出す。紙に、さきほどのインクと筆でなにやらさらさらと文字を書く。なにやら歪んだ文字がそこに書かれた。たぶん古代文字だろう、その文字が上手いのか下手なのか、JTにはわかりかねた。

 最後に、あんなはその紙に手を触れ、なにやら呪文を唱え始めた。聞いたことがある呪文で、それは確かユーネが使っていた炎の呪文のそれだったと思う。とにかくそれを唱え終えて、作業はそれで終わった。

「術符は完成?試してみないの?」

 とJTは言ったが、これは炎の術符だからここで使うには危ないとあんなは答え、既に出来上がって並べられている別の札を引寄せた。それを掲げ、何か短い言葉を呟き、それをJTに持たせた。

「わっ」

 符を手にしたJTは、身体が浮き上がる感覚を覚え、身を強張らせた。いや、感覚ではなく、実際に宙を浮かんでいた。

 浮揚の魔術がこめられていた術符だった。

「ど、どうやって降りるの!?」

 あわてたJTが術符を手放すと、彼女はどすんと尻から落ちた。術符は青白い炎に包まれて消えた。

「いたたたたすっご~いい!」

 痛いのかすごいのかどちらかにしてほしい。

「普通に魔法じゃん!ねえ、その術符ってさ、一日に何枚でも書けるわけ?」

 腰をさすりさすりJTが聞くと、あんなはフルフルと首を振った。

「え?違うの?え~と、術符を作るには同じ呪文を唱えるのと同じかそれ以上の魔力を込めなきゃならないから、一日に作れるのは呪文によって違うけど、選んでもせいぜい10枚程度、と。ふんふん。あと、ずっと強い魔法を作るのは何日もかかる。なるほどねえ」

 それなりに制約はあるようだ。だけど、毎日余剰魔力でこつこつ術符を作っておけば、大量の魔力をカバンにストックすることができるのだ。

「でもさ、それを差し引いても符術ってすごいんじゃないの?」

 JTが賞賛の声を上げると、あんなは無表情なりに嬉しそうな顔をした。

「長い詠唱だっていらないんでしょう?ふつうの魔術より便利な気がするのに、何でみんなやらないんだろうねえ」

 JTの独白じみた言葉に、あんながぼそぼそと呟く。

――いちばんいいものが必ず主流になるわけじゃないから。

「そんなもんかなあ。……ねえ、あんなはどうして符術をやろうと思ったの?」

 ぼそぼそ。

「え?喋るのが、苦手だから……?あはは!なるほどね」

 JTが笑うと、あんなは恥ずかしそうな顔をした。もちろん無表情なりに、だが。

 それからしばらく、JTはあんなと他愛の無い話を続けた。もっとも、もっぱらJTが話しているのをあんなが聞いていただけだったが。

 

「じゃあ、あたしもう行くね」

 JTはパンパンと古紙のほこりを払う仕草を見せながら立ち上がる。

「あんなは明日もここ?……わかんない、そっか。あたし達もそろそろかもだしね。ん?」

 あんなは手元の術符の束から一枚を抜き出し、JTに差し出した。

――護りの術符。

「え、くれるの?いいの?わっ、ありがと!ええと、呪文は、ここに書いてあるのを読めばいいの」

 こくり。

あんなは無表情なりにJTに微笑みかける。そして、ぼそりと呟いた。

――楽しかった。

「うん。あたしも。きっとまた、会うこともあるよね。じゃあね!」

 JTは貰った術符を丁寧にたたんでポケットにしまうと、敷布の向こうにぽんと跳ねて、最後にあんなに手を振ると、いまやまばらになった街の人の輪に消えていった。

 

「探したよ」

 頭の上から降ってくる声があって、あんなは首を持ち上げた。

「腕のいい符術師だと聞いていたんだけど、こんなに若いとは思わなかった」

――…………。

「侮ってるわけじゃないさ。……ようこそ、キマイラへ」

たんたんたん。長い石造りの廊下を走る音が響く。地下なので余計に、だ。

3人は目的の場所を目指して走る。

「ここか!?」

 チャンスは突き当たりにあった、いかにも偉そうなやつが好みそうなつくりの扉を打ち破り、室内へ入る。

 魔法の明かりで照らされ、品のいい赤い絨毯が引かれた、人ひとりが書類を相手に格闘するには十分に過ぎる部屋。

 チャンスたちの意中の人物は、この場所にはいなかった。

「……くそっ!またガセかよ!」

 チャンスは口惜しげにうめく。

「仕方ないわね。だけどここだって神聖カデス復活派のアジトのひとつ。それに、この部屋はルー小父様が滞在していた部屋だから、何か手がかりの一つでもあるかもしれないわ。少し探してみましょう」

 ユーネは内心『そんなヘマをする人ではないか……』と思っていたが、かすかな望みに賭け、そう提案した。

「そーだね」

 JTはそう応答し、ドアの真正面に置かれた机を調べるべく近寄った。

 彼女は机の上に、文字の書かれた紙片を見つけた。

「これって……。――!」

 見覚えのあるものを見つけたJTは、すかさずその場から飛び退り、伏せた。

 轟!

 机が爆炎に包まれた。

「!」

「JT!?」

 爆炎に包まれた机は、炎とともに熱い炭となって散った。火の粉が、床に伏せたJTに降り注ぐ。

 チャンスとユーネはJTに駆け寄る。

「大丈夫か!」

「うん……」

「一体、今の爆発は……?」

「……符術」

 JTがポツリとつぶやく。

「符術……って、呪文の代わりに符を使って魔法を発動するっていう、あの……?なんでJTがそんなことを」

「街であった友達に、教えてもらったの……」

 知らないでそのまま手に取ろうとしていたら、おそらくJTの命は無かっただろう。そして、近づいたのがJTでなければ、仲間の誰かに悲劇が及んでいたであろう。

「罠か……周到に罠を仕掛けていくあたり、この部屋に手がかりを残したりはしてないんじゃねーか?もしかしたら棚とかにも同じ仕掛けがあるかも知れねえし……。手がかりが消されちまうのはいいが、俺たちが消されちまったらたまんねーぞ」

 身近にせまった危険で、チャンスの頭が俄然冴えてくる。

「そう考えたら、こんなところに長居している必要はねーと思うな。さっさと出ちまおう」

「……それもそうね。所詮仮宿。もともと手がかりが見つかるとも思っていなかったし」

 3人はこの部屋での調査を打ち切り、廊下へ出た。

今度は来るときとは逆に、敵の姿が無いことを確認してから、慎重に進んでいく。

「しかし、符術の使い手がまだ現存していたなんて……」

「そんなに珍しいのか?」

「ええ。魔法王国と呼ばれるエリクシアでも10人といないはず」

「……まるで絶滅危惧種だな」

 カツン、カツン。ブーツが石の床を踏む音と、3人の声が廊下に響く。

「待って……」

 JTが2人の歩みを止める。

「なに、JT」

「この先の廊下……」

 言われて、チャンスとユーネは先の廊下に注意を払う。

 ぱっと見ただけでは薄暗さでよくわからなかったが、この先の廊下の壁には無数の紙片が一定の間隔をあけて貼られているのがわかった。来るときには無かったものだ。

「術符……?」

「多分これは……」

 JTが魔法のハンマーを振り上げ、石の廊下に叩きつける。

 怒号ッ!!振動が廊下を振るわせる。地下にあるこの廊下は反響が反響を呼び、耳に障る音が響き渡った。そして――

 音の通り道になった壁が、次々と爆発していった。

 余熱が、JTの頬を軽く撫でる。

「何!?」

「……多分、音や振動などの一定の条件で魔法が発動する符術ね」

「あぶねーな。知らねえで通ってたら……」

 爆発は廊下の石壁を粉砕するほどのものではなかったが、生身の体はただでは済まなかったはずだ。

「でもおかしい。このアジトを放棄したのなら、より強力な爆発で廊下を砕いて、あたしたちを生き埋めにするすればいいのに……」

「へっ……。大方適当にダメージを与えといて、自分たちで仕留めようってんだろ。いい性格してるぜ」

 ふん。チャンスが鼻を鳴らす。

 その時、JTだけは別のことを考えていた。彼女の、一番新しい友人のことを。

「……来た」

 イリーナは近づいてくる足音に、敵の接近を確認した。

「どうやら無傷みたいだね」

 若葉はその足取りから、彼らが爆発によるダメージを受けていないことを感じ取った。 

「やはり無粋なトラップに頼って仕留めるなどという美学の無い真似はカデス神のお気に召さなかったようですね……ああ失礼。あなたの符術が無粋だといったわけではないのですよ。気を悪くしないでくださいね」

 グレンはそばにいる新入りの符術士に陽気に話しかける。

「…………」

 しかし、符術士はグレンの軽口に反応もしない。

「ふう。全く、うちに来る人たちは、どうしてこうも無口でしょうね。これだから私が5人分も6人分も喋らなければいけなくなるので大変なことといったらこの上ない」

「好きで喋っているクセに……」

 イリーナがいい加減ぼやく。

「ねえ」

 若葉が腰の魔剣に手をかける。

「来るよ」

 ホールの扉が爆散した。

「アホか!なんでわざわざ扉をふっ飛ばす必要があんだよ、このアホ魔術師!」

「だってトラップがあったらイヤじゃない!だいたいあんた、いつもいの一番の真っ先にトラップに引っかかるじゃない!」

「ぐっ……!う、うるせえな!」

 登場するなりケンカをしているチャンスとユーネ。

「ねえ」

「何?」

 眉間を押さえて、若葉に話しかけるイリーナ。

「……いい加減、あんな緊張感の無い連中と付き合うのはごめんなんだけど……」

「そう?」

 緊張感の無さで、自分たちも負けてはいないと思うが。だけどそれは彼女の前では言わないことにした。原因は彼女には無いし、言うと怒るから。

JTはいきなり言い争いをはじめたチャンスとユーネの脇を抜け、若葉たちの前に現れた。

 JTは4人の敵をぐるりと見回し、半ば予期していた人物の姿を見つけ、驚くより先に苦い顔をする。

 4人のうちの一人、小柄な体を魔術師風のローブに包んだ、眼を覆い隠すほどに長い前髪の少女。

「あんな……?」

 彼女がJTに気づいたのは、ほとんど同時。仲間の前でもほとんど表情を見せなかった符術士が、JTの姿を前にして驚いた顔を浮かべる。

 符術士あんな。JTが町で出会った少女である。

 JTとあんなが、お互い前へ進み出る。

「こんなところで会うなんて、驚いた」

「…………」

「符術を使う魔術師なんてめったにいないから……仕掛けられた術符を見て、もしかして、と思ったんだけど」

「…………」

 あんなはやはり、何も言わない。

 そんな二人の間に、グレンがバトルアックスを構えて割って入る。

「不躾ですみませんがね。私たちはさっさとあなた方を倒してぶぶっ――」

 グレンはそのセリフを最後まで言い切ることはできなかった。

 JTのハンマーが、バトンのように鋭く回転し、柄の先がグレンの顎を下から強烈に打った。グレンはそのまま仰向けに倒れる。ついでに後頭部も強か打った。

「貴様!」

 グレンがやられたのを見て、イリーナがJTに飛び掛る。しかしすぐにそれが軽率だったことを思い知ることになる。

 JTは先ほどと同じようにハンマーを柄の中心から回転させ、今度はハンマー部でイリーナを攻撃する。イリーナは同じ攻撃は食らうまいと、それを予期して一歩退いてかかっていったのだが、JTがもう一歩、大股で彼女の間合いに踏み込みんだ。そして、もう半周したハンマーの柄がイリーナの脇を襲う。

 イリーナはかろうじてそれを剣で受ける。が――

 「くっ……!」

 いつの間にか間合いを詰めていたチャンスが、JTの動きにあわせ、イリーナの隙を突いて彼女に剣を突きつけていた。

 JTは柄を引き、イリーナの鳩尾に瞬時に狙いを定め、思い切り突いた。前のめりに倒れるイリーナ。

 2人を無力化するまで、ほんの6秒。

 チャンスと、今まさに眠りについた2人以外は全員、JTが閃かせた恐るべき才気に内心圧倒されていた。ユーネですら、ついぞ見せたことの無いJTの秘められた実力を目の当たりにして身を凍らせている。

「へえ、すごいね……」

 若葉は打ち倒された二人を眺める。グレンは不意打ち、イリーナは実質2人がかりでやられたとはいえ、並みの相手だったらこの2人はそう簡単にはやられない。それに、もともと4対2と、数の利を得ていたのはこっちだったのだ。若葉は彼女を非難するつもりなど無かった。

「若葉。悪りいけど、今回も俺たちの勝ちだな。それと、符術士のあんた」

「…………」

「JTの友達だっていうあんたをぶん殴りたくはねえ。この連中と手を切るってんなら見逃してやりたい」

 図らずも、JTの言葉を代弁する形になった。

「あんな……」

 悲しげな表情であんなを見るJT。

「…………」

「あんな?」

 あんなはJTに手を差し伸べる。

「あんな……」

 彼女の手には、数枚の術符。

 あんなが、短い呪文を唱える。たちまちあんなの前に日の壁が出来上がり、JTとあんなの間は隔絶された。

「あんな!」

「野郎!」

 チャンスは火の壁を魔剣で切り裂き、あんなに踊りかかった。

 あんなはチャンスの攻撃を軽い身振りでかわし、もう一枚術符を掲げる。ほんの短い呪文をつぶやくと、術符が散り散りになり、それが莫大な量の水を生まれた。その水は瞬く間にチャンスを飲み込んだ。

「うわっ!」

 チャンスを飲み込んだ大量の水はすぐさま固形――つまり、氷になってチャンスを閉じ込めた。チャンスは左腕と右足、そして首だけを残して氷漬けにされてしまった。どうあがいても氷が解けるまでは動けそうにはない。

「うぎゃ~!冷て~っ!」

「チャンス!」

 ユーネとJTが同時に叫ぶ。

 2人がそちらに気を取られていると、あんなが倒れている2人に、術符――おそらく軽量の術がかかった符――を貼り付け、軽々と引きずっていた。

 そして、あんなとチャンスに気を取られていた二人は、部屋に霧がかかっているのに気づいた。

「おい!この霧はあんにゃろーが魔剣で作った霧だ!目隠しされるぞ!」

 若葉との対戦で心得ているチャンスが、2人に警告を発する。

「わかったわ!」

 ユーネは炎の魔法を発動させ、霧を文字通り霧散させる。

 霧が晴れると、術符を構えたあんなの姿が見えた。

 他の術を使うより少しだけ長い呪文。その呪文の端が、ユーネの耳に入る。聞き覚えのある呪文だった。

「溶熱波!?」

 ユーネが持つ最高の呪文のうちのひとつ、溶熱波。とてつもない高熱で鉄すらも瞬く間に溶解・蒸発させる遺失魔法である。

それを、術符に閉じ込めたというのだ。

「そんな芸当ができるなんて……闇の民!?」

 あんなの術符がちりちりと焦げていく。術符に炎が灯る。小さな炎はだんだんと大きくなり、輝きを増していく。

 炎は爆発的に大きくなり、そして――

 3人を、呑み込む。

 

「……ねえ、氷魔人くん」

「……だれが氷魔人だ、魔法使い」

「……なんであたしたち、助かってるわけ?」

「……俺はまた、ユーネが便利で都合のいい魔法を使ったとばかり」

「……あたしじゃないわよ」

「……じゃあ、俺の秘められた力でも解放されたのかな」

 どちらでもなかった。

白い炎は消え去った。

チャンスにもユーネにも、溶熱波の魔力は全く及んでいないようだった。そして、JTにも。

 二人の前に背中を見せて立っていたのはJT。その姿はまるで白い炎に立ち向かっていったかのようだった。

 JTの手には、一枚の術符。JTがあんなから一枚だけもらった、護りの術符であった。

 その術符は役割を終え、白い灰となってさらさらと崩れ落ちた。

「JT……」

 氷漬けのまま動けないチャンスには、JTの表情をうかがうことはできなかった。ただ、肩を小さく震わせる姿がチャンスの目に入った。

「あんのやろう……」

 チャンスの心の『ぶちのめすリスト』に、一人分名前が書き加えられた。

「JT……」

 ユーネは何も言わず、後ろからJTの小さな頭を抱いてやる。

 それをきっかけに、JTは堰を切ったように声を上げて泣き出した。

 ずっとずっと。

「この氷を早く何とかしてくれ」なんて、チャンスにはとても言えそうになかった。

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最終更新:2006年10月12日 15:13