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 その名を、世界の壁という。

 果てしなく広い荒野の、ある地点からの境目。そこだけが異様な雰囲気を醸し出している。一見、何があるわけではないのだが、その空間には実はこの世界でもっとも異様なものが聳え立っている 

だからユーネは、半魔でありながら、それに神の威容を感じ、ため息混じりに呟いた。

「……神々しいわね」

 だけどチャンスはそんなユーネの言葉を聴くと、不思議そうな顔で、

「そうか?」

 と聞き返した。

「鈍いんじゃないの」

「うるせー。わかるか?JT」

 名前を呼ばれたJTは、チャンスの声を聞いているのか居ないのか、見えない壁を見上げて突っ立っていた。

その壁について、彼女はチャンスほど無感動でなかったようだが、それでもユーネが言ったような威容とか神々しさとかを壁に感じている風ではなかった。どちらかというと、そこになにかおかしなものがあることへの興味と、わくわくするような好奇の対象への興味。そういった類のものだった。

 JTの返答を待たずに、ユーネが続ける。

「説明するのは難しいけど、人の世にはない力――人にあらざる者の叡智とか、そういうものが、ここに満ちているの……」

「そんなたいそうなもんかねえ」

 チャンスは壁の傍によると、見えない壁を右手の平でぺしぺしと2、3度叩いてその正確な位置を把握すると、

「俺には、単なる通せんぼにしか見えねえな」

 今度は拳を握って見えない壁を力半分で殴った。

チャンスにとっては、この壁は“Don’tpass”と書かれた看板と同じ意味しか持たないようだ。

ユーネは口を尖らせて、チャンスの言葉のあらを探る。

「見えねえな……って、見えてるのかしら?見えないでしょ、透明なんだから」

「……つまんねえ揚げ足取りしてんなよな、ば~か」

「つまんないのもバカもお互い様」

「どうやらお前とは一生理解しあうことは無さそうだな」

「そのようね」

 お互い、ぷいと顔を反らす。

いつのまにか、JTの興味は壁から二人に移っていたようで、面白そうにチャンスとユーネの様子を見ていた。

 チャンスは壁に向き直り、

「さて、JT。なんかこう…………こ~いうのを見るとな」

「うん。通るなって言われたらね……」

 JTは言いつつ、愛用の魔法のハンマーを構える。

「ちょ、ちょっと!?」

 不穏な空気を感じて、ユーネが止めに掛かる。しかし、それも間髪遅く、JTはハンマーを見えない壁に思い切り叩きつけた。

 どご!という大きな音がして、空気が震えた。JTは、反発の衝撃でハンマーを手から取り落とした。

「やっぱり硬いよ~!」

「なにやってるのよ!」

「だってさ、通るなって言われたら、通りたくなるじゃん」

「はあっ!?」

 ユーネの問いかけも満足に聞かず、チャンスはJTが取り落としたハンマーを拾い上げた。

「せーの、せいっ!」

 気合と共に、魔法のハンマーを見えない壁に叩きつける。また、空気が振動する。

「ひゃ~!かってー!」

 チャンスはハンマーを足元にどすんと置き、しびれる両手を見つめた。

「何考えてんのよ!壊れるわけないじゃない!」

 ユーネがチャンスに怒声を上げる。

構わず、チャンスは足元のハンマーをJTに手渡す。JTが再びハンマーを構える。

「だから……!」

「壊れないって、試したことあんのか」

「あるわけないわよ!だって、壊れないってわかってるんだし……」

「誰が壊れねーっていったんだよ」

「……だって、大昔からみんな、この壁を越えようとしてきたのに果たせなかったのよ?それを……」

「ばっっっっっっっっっっっっっっっっかじゃねえの!?」

「!?」

 意外な言葉に、ユーネが口をあけて立ち尽くす。どん。JTのハンマーが空気を揺らす。

「誰も越えられなかったからって、なんで俺たちができねえって理屈になるんだよ。端っから無理だと決めてかかって試しもしねえのは、挑戦の放棄だろーが」

チャンスは壁のそばにより、ぽんぽんと壁をたたく。

「この世界のご先祖様の挑戦を受け継ぐやつがいなくちゃいけねーだろ。だからこの挑戦は、俺達の冒険者としての先人への礼儀ってヤツだ。お前から見たら頭悪そーに見えるだろうけどよ」

 チャンスはJTから再びハンマーを受け取り、4たび、壁に挑戦した。

 しかし結果は同じ。空気のびりびりとした振動が響いただけ。

「あ――――っ!ちくしょう!」

 そのまま、背中から地面へ落ちて寝っころがる。

 JTがハンマーの柄を取りながら、笑顔でチャンスに話しかける。

「チャンス、まだ4回しか叩いてないよ」

「おう、まだ4回だ」

 ユーネは2人を横で見ていた。

 彼らの姿は、ユーネには不可解に見えた。彼らは、もう少し淡白な兄妹だと思っていた。面白いものに興味を抱きこそすれ、おかしな執着心を抱くことはないと思っていた。

 そんなことを考えていると、JTがこっそり寄ってきて、ユーネに話しかけた。

「ユーネはさ、この世界を、どこか息苦しいと思ったことはない?」

「え……?」

「自由だけど、なにかがまだ足りない、って感じたこととかは?」

「…………」

「あたしは、たまにそんな違和感を感じてる。変な理屈言ってたけど、きっとチャンスも同じだよ」

ユーネはJTの言うことを黙って聞いていた。

「チャンスやあたしが壁を壊したいのは……きっと、この壁がなくなれば、そんな息苦しさが晴れるんじゃないか、いや、少しでもましになるんじゃないかって、そう感じているからだと思う。代わり映えのしない世界がちょっとは変わるかもって、そう感じてる。チャンスはこの壁のこと、通せんぼって言ったけど、あたしは檻だと思うな。行きたいけど、阻まれて行けない、って。まあ、どっちでも同じだけどね」

 JTがハンマーを振り上げ――叩きつける。振動が空気を揺らす。

 ユーネはJTの挑戦を眺めながら、ぼんやりといろんなことを考えていた。

 世界の壁――檻。昔の人々は、今の人々より積極的に壁に向かって行ったのだろう。この息苦しさに耐えかねて、この壁に挑戦し続けたのであろう。

 だけど今、この壁の線上には、誰の姿も見えない。自分達を除いては。

 閉塞感を感じることなく生きているのだろうか。心に押し隠しながら生きているのだろうか。挑戦する心を忘れたのだろうか――今の自分みたいに――。

 きっと、今の世界の人たちは、昔の人々よりずっと大人になったのだろう。だから、この世界がちょっとくらい息苦しくても、ちゃんと生きていける。

 だけど彼女は、この閉塞感を無視できるほど、大人ではなかったようだ。

 チャンスが10度目の――JTとチャンスで5度ずつ――打撃を壁に加えた。しかし、壁は揺らぎもしない。いや、見えないが。

 チャンスがその場に腰を落ち着けていると、後ろのほうから魔力の高まりを感じた。

そっちの方へ目をやると、ユーネがなにやら長い呪文を唱えている。その魔力の高まりは、チャンスがかつて感じたことのないほど大きなものだった。背筋に、悪寒が走った。

「……ま、まさか、俺を亡き者に!?わ~っ!悪りかった!ばかとかいって悪かったってばよ!」

 ユーネが、その手のひらをチャンスのほうへ向ける。チャンスはそれをみて、すかさずその場を離脱する。

 ユーネが呪文の最後の一節を唱えると、彼女の膨大な魔力は解放され、壁の一点に向けて放たれた。光の帯が、束になって壁の一点に無数に注がれる。しかし……

 光の帯が壁を突破することはなかった。

 全ての魔力を使い果たしたユーネはぐらりとよろけ、ぺたりとその場に座り込んだ。

「ほらよ」

 チャンスは、へたり込んだまま立てないユーネに手を貸してやる。しかし彼女はそれを受けず、自力で立ち上がろうとする。が、それもままならない。

「いいからつかまれっての」

 といいながらユーネの二の腕あたりを掴んで起こしてやる。

「痛たっ!掴むなぁっ!」

「はいはい。悪りかったよ」

 そんな二人を笑いながら、JTがさりげなくユーネの脇に肩を滑らせ、体を支えてやった。

「どーやら、今の俺達じゃあこの壁をぶっ壊すことはできないようだ」

「結局それ……」

「だがしか~し!」

 チャンスは剣の鞘で地面になにやら大きな字を書いていった。

「元気ね」

「いいじゃん。元気あるほうが」

ユーネはJTの言葉に肯定も否定もしなかった。

  エンドウギが見えない壁以外に何もない不毛の地へわざわざやってきたのは、まあ、冒険者の空気を感じるためだ。たいそうな目的は何もない。もしくは観光でもいい。

「やっぱ、冒険ゆうたらこれやな」

 目の前に来てみたら、壁の存在はすぐにわかった。

空と地平しか見えないが、圧倒的な威圧感みたいなものがあった。見えないとわかっているのに、思わず下から上まで首を動かして見上げた。目にはやはり、青い空しか映らなかったが。

「ごっついなあ……ん?」

 視線を落とすと、足元になにやら大きく字が書いてあることに気付いた。

「なんやこれ……」

“今度来たときは絶対ぶっ壊す!”

 そこには、棒かなんかで書かれたのであろう、下手な文字が躍っていた。エンドウギは腰を落としてその字をまじまじと見つめた。

「ふ~ん……元気のええやつがおるもんや」

 立ち上がって、改めて見えない壁を見つめる。

「さて……」

 エンドウギは肩に背負った槍を構えた。

「これも礼儀ちゅーやっちゃな」

 金属音が鳴り響く。

 先端が丸くなった槍で、地面の文字へ書き加える。

「礼儀や、礼儀」

“今日のところはこれくらいにしといたるわ”

 世界の壁への挑戦の連鎖は、また繋がっていった。