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史無国 七

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史無国 七


エルムッドは耳を疑った。
隣を見ると、セリックも口をあんぐりと開けている。

「……まさか、な」
「冗談じゃねぇぞ。アドルフ兄貴とシェル兄が相手、だと……?」
「……僕も、冗談と思いたかったんだけどね。いくら確認しても、答えは同じだったよ」

若くしてデインガルド太守となり、その手腕を如何なく発揮している公爵子息シェイリル。
素手で山に入り、三頭の熊を狩ったと言われる希代の武人アドレアノフ。
この二人率いる部隊と、模擬戦をやる事になったのである。
その知らせを持ってきたのは、軍師のそれを叩きこまれた、テレシスだった。

「俺たち300対500、か。これは、勝ち目が薄いねぇ……」
「……だな。ちょっとやそっとのことでは如何ともしがたい。特に、相手が相手だ」

三人は、唸ったり、頭を掻いたり、机を指で叩いたりして、悩んでいた。
それもそのはずである。
昔から三人の幼馴染で、かつ兄貴分であったシェルとアドルフ。
この二人に、三人は一度たりとも勝ったことがなかったのだ。
それも、遊び半分の勝負事も含めて、である。

「……テレシス、何かいい案はあるか?」
「一つ勝ち目が有るとすれば……地の利はこっちにある、と言う事かな。布陣する場所はこっちで決められるからね」
「罠とか、そういうのは仕掛けちゃいけねぇのか?」
「それはダメみたい。正々堂々の、兵のぶつかり合いが模擬戦の本質だからね」

テレシスが言う。
エルムッドは、ぽつりと呟いた。

「……いっそ、本当にぶつかるか」
「は?」

セリックの、間の抜けた声が上がり、消えた。



翌日。
トリエスト南の平地で、シェル率いるデインガルド軍500と、エルムッド率いる新設部隊300が相対した。
トリエスト公クォリアスをはじめとする、トリエスト軍の重鎮らが観戦に訪れていた。

「で、エルムッドよ」
「……なんだ?」
「昨日言ってた言葉の意味、教えてくれよ」
「……そのままだ」
「は?」

昨日と同じ、セリックの抜けた声が上がる。
テレシスも、少々呆然とした顔で見ていた。

「エルムッド、まさかとは思うけどね」
「……なんだ?」
「本当に、『ぶつかる』つもりかい?」
「……そう言っただろう?」
「……こいつ、阿呆だ」

思わずセリックが、呟いた。

「……まあ、どちらにせよ、負ける算段が大きい。だったら、正々堂々と、ぶつかろう」
「エルムッドらしいね……」

テレシスは、ため息をついた。
そして、手元にあった紙をすべて破り捨てた。

「おい、テレシス。それ、今日の作戦……」
「隊長がああ言ってる。だったら、これは無用の長物さ」

テレシスが、軽く微笑んだ。
銅鑼の音が、上がった。
遅れて、鬨の声が上がる。

「……さあ、始めようか」
「イース!」
「はい、軍師殿」
「貴方は、歩兵40を率い、前軍へ布陣してください。ダナン」
「ほい」
「貴方は歩兵30で左軍、ネアも歩兵30で右軍に布陣。宜しいですね?」
「了解さぁ!」

テレシスが、てきぱきと指示を出し、三兄弟は所定の位置に向かった。

「セリックは、歩兵100を率いて中軍に。僕は歩兵50で後軍に位置します。エルムッドは……」
「……騎兵50で遊撃、だろ?」
「分かってるね、エルムッド。では皆さん、今回の作戦は、無し! ただひたすら、前へ進んでください。以上!」

二度目の、銅鑼が鳴った。
戦いが、はじまった。


「鋒矢の陣、かな」
「なんだ、その『ほうし』ってのは」
「ああ、アドルフは、本読まないもんな」
「失礼な。洒落本ぐらいなら読むぜ?」
「いや、そんなんじゃなくてな……」
「とにかく、その『ほうし』ってのはなんだ?」

シェルは、やれやれと言った顔で懐から竹簡を一本、取り出した。
表には、『六韜』という、記号のような文字が書かれている。

「なんだそりゃ?」
「シルクロードのはるか東に、『唐』なる、リムノールに匹敵する巨大な国が有るらしい。
その国の、古代の兵法家が書いた、兵法書だ」
「ふうん、で、シェル、お前その国の言葉が読めるのか?」
「ある程度はね。アドルフも、サレム・ノティスの士官学校で習っただろ。『漢字』だったかな」
「……覚えが、ねぇな」
「……全く、お前ってやつは……」

と、話しているとき、二度目の銅鑼が鳴った。
シェルは言った。

「アドルフ。歩兵は任せたよ」
「400も、動かせるか?」
「この前の叛徒討伐じゃ、3000も動かしてたじゃないか……」
「そうか? なら、出来るな」

そう言うなり、アドルフは400を率いて出て行った。
手元には、歩兵100が残った。
シェルの役目は、後方からの支援と指示である。
なので、ここから動くことはなかった。

前を見ると、歩兵が250であろうか、突出している。

「陽動か、囮かな」

シェルは特に、何もしなかった。
陽動程度なら、アドルフに任せておいても大丈夫、という考えである。

「あれでも、とんでもない勇士だからな……」

今でも、熊を三頭かついで営舎に入ってきたことを思い出す。
それで息切れ一つしていなかったのだ。
化け物と言うしかあるまい。

「……ん?」

急に、圧力を感じた。
前方、歩兵250、進んでくる。
陽動である。
陽動であるはずである。
ぶつかった。

「……馬鹿、な」

アドルフが、押されている。
戦闘準備などしていなかったのだ、当然である。

「伝令! 少し下がれ、下がりながら、陣を整えよ!」

伝令が駆け去る。
シェルは、唇をかんだ。

「くそっ……味な真似、するじゃないか……」

シェルは、進もうとする足を抑え、ただひたすら大地を踏み続けるしか無かった。


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