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2話


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 情報という物は様々な所から入ってくる。
 それはテレビだったり、新聞だったり、インターネットだったり、身近に言えば誰かからの会話だったり、ふと見上げた空だったり、もっとくだらない事で言えば、体に出来た傷から伝わる痛みもそうだ。
 結局のところ情報というものは五感を通して、脳に情報として送られてくる。
 私が「それ」を情報として理解するには聴覚だけあれば、全部情報として伝わってくる。と言っても見えない、触れない、匂わない、食べれないので他の感覚を使っても「それ」を情報として変換する事が出来ない。
「それ」はいつの間にか私の傍にいたのだが、いつ現れたのか、既に記憶の片隅に置かれているのか、末梢されてしまっているのか、思いだす事が出来ない。
 脳は意外と便利で忘れるという事が出来る。例えば、自分にとって意味のない物を忘れる。要は出会いの話なんてのは必要なかったものなのかも知れない。
 と、まあ、いつものように何か良く分からない本に影響されつつ考えてみる。危うく厨二病とやらになりそうだったかも知れないが、それはそれで楽しいかも知れない。特に私なんかはする事もないし、何もする事もないのでうってつけかも知れない訳だったが、
「何でそんなにお金を貯めるの?」
 ふむ、正直疑問に思った事が無かった訳で、多分ずっと日課としてやりすぎて、株に中毒になってるのかも知れない。いや、これはこれで、私の生きる糧となってるのかも知れない。とか思うと、色々麻痺してるように思えてくるから怖い。事実そんな気がしないでもないが、
「何でそんなにお金あるのに何にも使わないの?」
 と、まあ、金というのは生きる為には絶対と言っていいほど必要である。しかし、逆に言えば生きるという行動を止めてしまえば不必要な訳でもある。私は生きるのをまだ止めたくはない訳だが、生きるのを停止するのは、自分の意思で決めれるものでも無いのもまた事実。しかし現実的に言えば、生きるのを停止するのは無理でも、生きるという行動を止める事なら出来るだろう。最近流行りの電車に突っ込むとか。まあ生きるのを止めるのであれば、そのような迷惑な行動はしない方が親族の為だと思う。するなら一人でひっそりして頂きたいものだ。まあ私に迷惑は一切かからないだろうけど。
 と、まあ、こんな事を考えるのをやめてほんの続きを読み始める。
「それ」も話しかけてくるのを既に止めているのだが、普段「それ」が話しかけてこない時はどうなっているのか。そもそも言葉しか感知出来ない訳で、そもそも「それ」が存在として成り立っているかすら曖昧だ。もし、ただの幻覚だったとしても、ここまで長く続くものなのだろうか?それとも余りに閉じ籠っている為に、何も改善されず悪化しているのだろうか。
 まあ、外に出る気もないので、存在として成り立っていると仮定した場合を考えてみる。存在として成り立っているのであれば、「それ」は実体の有無によって全く変わってくる。因みに参考としては、声自体も後ろからしか聞いたことがないので、実体の有無関係なしに、正面を見た事がないと仮定できる。しかし足音というのもなく、実体が無いとも仮定するのが先だろうけど、足音を消す事だって容易い事でもある。
 私はとある小説で存在に実体が有るとして、体の色素がなく無色透明で、他人からは探知されにくいという登場人物を見たが、その類なのかも知れないとも思うが、さすがにそれは実体ある為、多少の足音もあり、すぐに後ろを向けば、確認出来るであろう。確認出来るというのは、あくまで感知されにくいと言うのはフィクションの中だけであって、実際そんな色素がない無色透明の人物がいても、あくまで体その物の色がないだけであり、例えば腹に入れた食べ物、排泄物は人間であれば必ずしもあるだろう。それに骨や歯はカルシウムでできている為、嫌でも白く映るだろう。
「何考えてた?」
「何も」
 私のこの思考を脳の何処かに記憶し、思考を停止させた。