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3話

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 例えばリストカット。
 これは言うまでもなく自虐行為である。
 でもそもそも自虐行為を何故するのか?
 最近ではネタにしか捉えていない様な、ただの構ってちゃんの様な存在が見てほしさにする行為として成り立っている。
 じゃあ自虐とはそもそも何なのか?何故行うのか?

 まず分かりやすく、極端だがお金を例に挙げてみよう。
 例えばパターンAの場合、宝くじの1等でも当たったとしよう。まず殆んどの人が「夢がも知れない」と、疑いを掛けてしまう。
 逆にパターンBの場合、借金で破産してしまったとしよう。まず、殆んどの人が「夢だったら良い」と、疑いを掛けてしまう。
 ここで言うならば、それが現実であるかを初めにどう受け入れられるかという事だ。パターンAとパターンBの違いはその出来事を現実としてどう受け止めるかで、パターンAの場合、大金がいきなり手に入ると言うのは、「夢かも知れない」という、現実を実感しないかの様な否定している表れである。逆にパターンBの場合、借金による破産というのは「夢だったら良い」という、明らかに現実である事を肯定しているという表れである。
 さらに大まかに言ってしまえば、感情によって、現実というものを実感している。
 例えば喜びや嬉しいことなどは、現実を実感しきれずに、逆に否定に在り付く。例えばプレゼントや、告白の成功などだ。
 逆に苦しみや痛み悲しみなどは、現実を実感し過ぎ、それは肯定せざる負えない。例えば不慮の事故、親族の死。
 じゃあ、リストカットはどちらになるかといえば、明らかに後者である。じゃあ何故リストカットなど自虐が存在するのか。それは現実を実感する為だ。人間は時々生きているという実感を無くす。何の為生まれ、何の為に死んでいくのか、そんな誰にも分からないような疑問を抱き、自分の生というものを疑問に思う。そして、現実の重みを忘れてしまう。しかし自虐というものは、痛みによる現実をあらわにする。だからこそ、生きようとする。世の中には生きる糧となりうるものがない人々がいる。そして自虐というものは人によっては悪い物ではなく、むしろそれが生きる糧となっていく。分からない人には分からないだろうが、自分を傷つけ、それを生きる糧として、この世の中を生きているのだ。
 そんな一部の人にしか肯定されないような事が世の中にはある。

 長い前振りだったが、ここからが本題だ。
「それ」は何の為に存在し、何を糧として存在しているのか。
「居る?」
「居るよ」
「何で居るの?」
「何でか居るよ」
「何故消えないの?」
「何故か消えないよ」
「私の背中に居たい?」
「私の背中に居たいよ」
 まるで、自問自答しているかの様な会話とも呼べないような、それでも会話と称するしかないもので、
「まあいっか」
「それ」は何の為にあるのか分からなくとも、ずっと背中にいるのだろう。
 誰も知らない奇妙な世界がここには広がっていた。