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「ふぅ…彩タンも、うまく『脳内操作』することができたし、今頃はたぶん可南子ちゃんのところに行ってるのかな?」阿部は密やかにほくそ笑みました。ここは吉野家。例え一人であっても静かにしてなければいけません。それが暗黙の了解なのです。「デラックス・スーパーパフェおまたせいたしましたぁ~」それでも、阿倍は吉野家に不釣り合いなデザートを頼んでいました。どでかい生クリームとチョコの塊をベースにワッフルが挟まり、そして、生クリームの山のテッペンにそびえる一つのサクランボ…阿部さんは一層ニヤニヤしました。阿部さんはサクランボが大好きなのです。「いや~!僕、サクランボって、大好きなんですよォ」阿倍が腰を低くし、サクランボに目線を合わせます。「はぁ…」ウェイトレスは、こういう客は嫌いだ、と心の底で思いながら、適当な返事をしました。阿部さんは腰を下げたまま眼をジットリとウェイトレスに向けました。阿倍さんは何かを思い出したかのように、ぎこちなく『真っ黒な古びた手帳』を取り出しました。そして、この小さな物語の歯車は回り始めます――僕はずっと外に出たことがありませんでした――むしろ、この世界は、これくらい小さいのが当たり前だと――僕は、おばさんに育てられました。パパはいつも研究所にひきこもっています。おばさんは、お父さんと比べて太っているけど、それでも優しくて、しゃべりかたが面白くて――話せば止まらないくらい、僕はおばさんが好きでした。でも、この日記を書いてる今の僕は、もうおばさんには会えないんだけどね――僕は、お父さんと、おばさんと、テレビっていう箱から出てくる阿倍お兄さんと、そのテレビにわんさか出てくる子供たちしか見たことがありません。僕は、まだ7歳でした。お父さんは、毎晩のように研究所にひきこもってます。時々お父さんの顔をちょっと忘れてしまうときがあるくらいでした。「あら~!カワイイ~~!!」おばさんが、僕に服を買ってくれました。とてもうれしいです。僕を褒める人はおばさんしかいませんでした。お父さんはまだ研究所……僕はたまに『野球』っていうものをしたりしました。おばさんとやるのは少し釣り合わない感じがしましたが、おばさんがピッチャー、バッターは僕。……あの球、僕に打たせるつもりで投げたのかな?今はもう何もわからない――
僕の家は広くて…と言っても、僕の家以外の家がどれくらいなのか、全く分からないのだけど、おばさんが言うには、とっても広いらしい。僕の家はまた、『入ったらダメなところ』があって、そこを僕は『ヒキョウ』と呼びました。お父さんの研究所もまた、ヒキョウでした。『ヒキョウ』というのは「阿部さんが未知の世界探検をする番組」で知りました。 阿部さんが言うには、「穴があるところは必ず入れなければならない!男のヒキョウは限り知られない。さぁ、きみのヒキョウも探検されてみて…や ら な い か」ということでした。僕が思うに、ヒキョウというものは探検しなければならないらしい。僕は男の子だから、なおさらだと思いました。そして、今日はお父さんの研究所に突入するって決めたんです。お父さんの研究所は、地下にあって、薄暗くて不気味でした。重々しい扉を僕は静かに開けました。そこには、引きこもりのお父さんが長方形の何かを持って、おでこにつけてブツブツ言ってました。僕はこっそり陰に隠れて、耳を澄ましました。「なぜ…なぜあんなものを残して行ったんだ…俺はあんなジャンク必要無いぞ…」枯れた涙腺からお父さんの涙がかすれて流れる。薄闇の中、頬がわずかに紅潮していました。『じゃんく』…?聞きなれない言葉が僕の耳を触れました。「麻生…小沢…なんで離れていったんだ…俺の考えは正しかったはずなのに…」何かをおでこからお父さんは離しました。それは、『写真立て』でした。お父さんはしばらく黙りこみ、そして、暗闇に消えていきました。僕はソロソロと気づかれないように歩いてその写真立てを手にとりました。そこには3人の若い男たちと、チンパンジーが檻の中に閉じ込められているのが写っていました。3人は、ベージュの探検隊のような服を着こみ、背景は間違いなくジャングルでした。男たちはニコニコ笑い、チンパンジーは茫然と下を向いていました。 一人はお父さんだとすぐに気付きました。『ライオン頭』は、昔からでした…髪はまだ黒くツヤかかっていました。黒い獅子がにこやかに笑っていました。「ということは、残りの二人が、小沢と麻生という人…」僕は『この家』という世界からまだ出たことがありませんでした。人の顔なんて珍しい物と一緒――…その顔をジックリと見つめて、元のように写真立てを置きなおしました。
お父さんは拳に力をこめて、僕の頬を殴りました。突如として、その衝撃に、埃の溜まったフローリングに倒れこむ僕がいました。顎が折れ曲がりそうで、僕の視界がゆるみ、ぼやけて映るフローリングが曲がったり波打ったりしました。頬がジンジン痛む…骨が軋み、空気すらも触れることを許しませんでした。自分の顎を動かそうと思えば、それは錆びた車輪のように痛々しい音を立てる――お父さんは、憤り、わずかな汗をたらし、顔は紅潮し、殴った拳は、なおも強く握られており、その手の骨と骨とを渡る血管が、怒りで赤く染まった皮膚と裏腹に青青く深く浮き出ていました。「入ったんだろ!?え!?」お父さんはしきりにそのことばかりを聞きました。そして、再び僕の胸倉をつかみ拳を上げる――隙間から、オロオロとしているおばさんの姿が見えました。――どうして?――どうして助けてくれないの…?その思いを僕は自分の瞳に託した瞬間、僕の目の前は高速に回転し、今度はより強く床にたたきつけられました。目の前が、数秒真っ白になり、そして、虚ろ。フローリングには数滴の僕の血が吐き出されていました。熱い…顔だけが熱い…なんで…なんで殴られるの…なんでおばさんは助けてくれないの…?僕は頭がそれだけしか回ってきませんでした。「お前は…さっき嘘をついた…」お父さんは口を開きました。嘘――?痛みと混沌の思考の中でしきりに自分の過去を探す自分がいました。「お前は、私の研究所に行っただろう!それも私の許可なしに!」僕には理解できませんでした。確かに、僕はちゃんと写真立てを元に置いておいたはずなのに…出る時も入るときも音を立てなかったのに…嘘…?僕は何もお父さんに話していない!「そうやって、真実を黙っていることが、『嘘』というんだ!!ちぃッ…あの糞猿もお前も、俺のことを馬鹿にしやがって…!」猿…?もしかして、あの写真の…馬鹿だな…お父さん、猿に馬鹿にされるなんて――本当に、『愚か』だ…痛む口がニヤケを阻みました。「…そうか、お前は、そう『思う』のか…だったら…」お父さんの拳の跡が肉体に痛みとして跡となる…気が遠のく。そして――僕の目の前が真っ暗になった。僕は暗黒の自分に飲み込まれた――『あの男は心が読めるんだよォ!』高飛車な声が頭で響く。…僕は…君なの?
ぼんやりとする暗い暗い頭を振りかざし、僕は眼を覚ましました。僕は…君…?笑う君が、僕の眼に浮かびます。非常に高く笑う僕の声が脳の奥底でこだましていました。気づけば、僕は猫背になって、押し込められていました。何に?それは、小さな檻の中に…それを自分と自覚し、急激に僕はおそれおののきました。そう『思う』――?だったら――あいつは心が読めるんだよォ――気づけば、檻の中で頭をかきむしり、交錯する頭を整理する僕がいました。僕は…『心の中』でお父さんを――蔑んだから――檻に入れられた…?心が読める――?頭の中で一通りの流れができ、さらにそれが、渦と成しました。しばらく、僕は脳みそが空っぽになりました。天井はただの灰色のコンクリートでしたが、そこには高速で流れる雲が青空に亀裂を作るスクリーン・セーバーが、確かにそこにありました。そして、僕は激情する――「あけてよ!!!あけてよ!!!お父さん!!!やめてよ!!!僕が悪かったです!!!あけてよ!!!」その訴えは空しく檻の外のコンクリートに反射し、すぐにかき消されました。赤い瞼の下から、やがて、にじみ出る痛々しい涙。「…ごめんなさい。」自ら締まったその苦しい喉を無理やりこじ開け、言葉を苦々しく発しました。しかし、それもむなしく、すぐに虚につぶされました。――不意に自分が、奥歯を噛みしめていることに気が付きました。「…ごめんなさい…ご…ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!!ごめんなさい!!!」涙を吐きだし、赤面したその、次第に強くなる訴えもまた、絶望に変わり果てました。垂らす雫はもう涙腺から絞り切られ、自らの涙腺の痛点を痛めつけます。ふと、目を下ろすと、檻の隅に、毛が詰まっていることに気が付きました。「毛だ…それも茶色の…人のじゃ…ない?」その毛を恐れるままに、されど勇気を振り絞り、つまみ上げました。しかしながら、『その檻』と推理を組み合わせると、すぐに答えは導きだされました。「…お父さんの捕まえたチンパンジー…そうか、僕は…お父さんをチンパンジーみたいになればいいって…思ったんだっけ…」時間は短くも、恐ろしく悪戯に長く感じました。
数日が経ち、僕はやせ細った姿になっていました。しかしながら、その姿の顔を見ることは不可能でした。檻の中の日々――僕は哀れにも、その場で用をたし、日に1度もらえる『餌』にありつきました。それは僕自身が日ごろ食べていたものとは全くの別の食べるものではないものだった気がします。いつもおばさんが悲しそうに、しかし、何も言わずに僕に『餌』を与えました。 頭を振りかざせばフケが飛び、顔をなぞれば骨格が露骨に浮き上がっているのが分かりました。陽気なもう一人の僕、もこの間一度も会いに来ませんでした。つまらない以上に不愉快で、懇願以上に、虚無心が勝る――そしてあくる日、檻がおばさんの手によってようやく開かれました。僕は既に飢えによって、喜びというものを忘れていたかも知れませんでした。いや、それよりも――「ごめんなさい!ごめんなさいッ!…」おばさんはしきりに謝り始めました。その顔は平謝りとは思えないほど、顔を真っ赤にし、すさまじく高い声を上げながら、泣きすすりながらのものでした。歩くことすらままならなかった小さな檻から僕は、よろけながら出ました。――なんで…なんでもっと早くに…僕はそう未だにそう思っているのなら、反省していないのかも知れません。しかし、おばさんには僕を救う手立てがいくつでもあったはず…「お坊ちゃま…小泉お坊ちゃま!『純一郎お父様』は、こうしないと、私めをクビにすると…。」――そうじゃない、そうじゃない!心の中での怒りが煮えくりかえりました。僕の中では分かっていたのです。だけど――!心の中にしまいこむには限界がありました。「おばさんらしくないよォ!いつものおばさんは、もっと明るくてたくましい人でしょぉ?ほら、顔上げてくださいよォ!僕?大丈夫ですって♪そうだ!今日はとびっきりな、オムライスが食べたいなぁ~!」 僕はいつの間にか、笑っていました。そう、それは、僕じゃない僕が…僕が僕にとって換わっていたのです。しかし、それはすぐに消え去り、僕はさっきまでの怒りにもだえる僕に戻っていました。おばさんはその言葉を聞いて、しばらくあっけにとられたままこう着しましたが、やがてニンマリと笑い、厨房へと向かいました。僕はその意向に有無関係なく、そのあとをついてきました。そして、月日は流れ――僕は虚ろに14歳になる。
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