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日記
10/21
土曜日に、快楽亭ブラックの寄席に行った。
寄席がはずめてだったので、
恥ずかすかった。
有名人てのは、間近で見ると
絵のようだと思った。
話かけるという普通の行為がアンリアル。
目の前のカップルぽい人たちは
カップルじゃなかった。
日曜日は、ゴロゴロしてた。

そうそう、有名人に対して、言われのない劣等感があり、
それは本当に、自らの従順さに対する違和感のような感じだ。
裏方で地味で自分は本当にどうしようも無いのかと思う。
そこにおいて、自分はともかく、作っているものは一応は金を稼いでいるという自負が余計だ。
自らのその場での価値を落としたくないが為に、
自分にある全ての虚勢を総動員させたくもなるが、
それは全くつまらない人間の証拠である。
何か違う集団の中に出かけると自分を再確認する。
つまらない人間というのは最大に恐ろしい自我である。
ワンフォザマネーと言いつつ、ラップという有り得ないくらい
稼げ無さそうな武器を持ったほうが面白いだろう。

帰りの電車で、老人一派に席を譲る。
伝統にあやかりたくて、とにかく老人とくれば譲りたかった。
小学生の頃とかイイ子だったから褒められてて、味をしめてたのに、
明らかに偽善だったからそれを認めてからちょっとグレて・・・
だけどそれを乗り越えて・・・譲った。
その後、その老人の中の1人が、彼氏に話しかけた。
「我々に席を譲ったという事は、我々は老人に見えるのかい?」
譲り界において、めちゃタブーな問いに冷や汗。
彼氏は少し考えた後、
「僕らより年上に見えたからです。」
と答えた。

よくよく話を聞くと、小学校の同窓会であったとの事。
若い気分に戻ったところを席を当然のように譲られたので、
「あの頃からこんなに歳を経っただなんてオカシイね~笑えるね」
という、「我々に対しての問いかけ」ではなく、
元同級生に対する少し洒落を利かせたつもりのポーズだったらしい。
我々より、もう少し他人との溝の浅い世代だ。(70歳代だ)
天使の街だっけ?
大震災とか、災害とかあった時人々が一体感を持って
心の交流が完全に為されるという、
島国日本に「のみ」見られる、持てる限りの情がフル活動する状態時の地域の名称。
昔をイメージすると、家父長制度下の日本において
家族よか情深いタイプの他人にいろいろお節介焼いて貰ったりと
他人が一律他人という訳じゃ無さそうな雰囲気だ。

情さえあれば、冗談も面白く聞こえ、
とにかくいろいろいいんだ。

と思った。

冷たいロボットのよな時期が自分にはあって
論理、合理化、虚勢というのが一番いろいろ自分の希望を困難な道も通せると思っていた。
モチロン、論理と虚勢が同居しているという事は、
その論理自体、破綻している。
それは自分の価値を上げているようで下げていた、
不思議な時期だった。

様々な人と出会い、自分を説明できるようになった事は
最高にゆるやかな筋道。
回帰的である。
再回帰というのは、ボーリングした土地みたいなものです。
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