第四幕。上幕。
・・・。
初夏の日差しに照らされた、緑が生い茂る山手。大きくカーブを描きながら山頂へと向かうアスファルトロード。
初夏の日差しに照らされた、緑が生い茂る山手。大きくカーブを描きながら山頂へと向かうアスファルトロード。
低い音を吹かしながら、今となっては珍しくない大型の電気バイクが上っていく。いわゆるアメリカンタイプと呼ばれる物で、それに跨るライダージャケットに身を包んだ男の体躯はジャケットの上からでも筋骨隆々であると解る。
山頂付近の大きな建物前。車もまばらな駐車場の一角にバイクを停め、男はのそりと立ち上がってヘルメットを取った。
機動音が消えると、草木が擦れる音と鳥の声。それだけ。
天は蒼穹。実に、良い天気だ。
「・・・おい、着いたぞ。寝てんのか?」
その声に答えるように、ずぼっ、と。ジャケットの左ポケットから小さな白い手が飛び出た。
その手に次いでひょこっと顔を出したのは、美しい碧の黒髪をした神姫。犬型ハウリン。
「寝ていないぞ」
「そうか」
「・・・東京から随分とかかったな。朝方に出てもう昼前だ・・・」
眩しげに細めた目のまま、太陽の高さに呆れるように呟いて。
「? おおっ?」
緑に囲まれた公園のような風景に大きな目を輝かせ、きょろきょろと嬉しげに周囲を見回し、息を吸う。
「何とも良い所だな、主!」
「・・・最初に買うモン買いに行くぞ」
山頂付近の大きな建物前。車もまばらな駐車場の一角にバイクを停め、男はのそりと立ち上がってヘルメットを取った。
機動音が消えると、草木が擦れる音と鳥の声。それだけ。
天は蒼穹。実に、良い天気だ。
「・・・おい、着いたぞ。寝てんのか?」
その声に答えるように、ずぼっ、と。ジャケットの左ポケットから小さな白い手が飛び出た。
その手に次いでひょこっと顔を出したのは、美しい碧の黒髪をした神姫。犬型ハウリン。
「寝ていないぞ」
「そうか」
「・・・東京から随分とかかったな。朝方に出てもう昼前だ・・・」
眩しげに細めた目のまま、太陽の高さに呆れるように呟いて。
「? おおっ?」
緑に囲まれた公園のような風景に大きな目を輝かせ、きょろきょろと嬉しげに周囲を見回し、息を吸う。
「何とも良い所だな、主!」
「・・・最初に買うモン買いに行くぞ」
ぶっきらぼうに答えながら、それでも神姫が落ちないようにゆっくりと動き出す大きな身体。ポケットから顔だけ出したまま、ハウリンは鳥の声を楽しげに聞いていた。
彼の名前は宮井 孝。タカシ、ではなく『コウ』と読む。
そして。ハウリンの名を・・・。
彼の名前は宮井 孝。タカシ、ではなく『コウ』と読む。
そして。ハウリンの名を・・・。
メモリアルパーク。横文字にすれば聞こえは良いが。つまりは『記憶の場所』・・・共同墓地。
コウは建物の中の売店で献花と線香の束を買い、外に戻ると日が照る階段を上り始める。
「上なのか?」
「一番上の区画だ。おい、これ持ってろ」
引き抜いた線香を一本差し出され、彼女は両手でそれを受け取った。そっと顔を近づければ、特有の香りが鼻をくすぐる。くしゃみをした時に呆れたような顔を浮かべられながらも。やがて山頂にほど近い『広場』に到着。
そこには規則正しく、たくさんの墓石が並んでいた。
コウは備え付けの桶に昔ながらの古い水道で水を汲み、柄杓を突っ込む。それをぶら下げ、迷う事もなくその中を歩き、やがて。一つの前で止まった。
「・・・バアちゃん。久方だな。面白いヤツを連れてきたぜ」
ほら、と急かされて。ハウリンがポケットからぴょんと飛び出し、線香を抱えたまま墓石の前に立った。その大きな目でコウを見上げる。
「主・・・」
「ん」
胸ポケットからジッポライターを取り出し、突き出した線香の先端に火を付ける。チリチリと音がして先に赤い光が灯り、白煙が一本立ち上がった。彼女は墓石の線香立てにそれを刺し、白い両手を静かに合わせ、しかし嬉しげに言った。
「初めてお目にかかる・・・御祖母殿。アタシの名は『牡丹』」
そのハウリン、ボタンはすうっと息を吸う。ただの自己紹介なのに。何か、特別な事をしているような感覚が胸を走る。
「・・・有り難くも。御祖母殿と同じ名を頂いた神姫だ」
コウは線香の束にも火を灯し、もう一つの線香立てに束ごと置く。水を入れた献花筒に花を挿すと、その無骨な手を合わせ目を閉じた。ボタンもそれに習い、目を瞑る。
コウは建物の中の売店で献花と線香の束を買い、外に戻ると日が照る階段を上り始める。
「上なのか?」
「一番上の区画だ。おい、これ持ってろ」
引き抜いた線香を一本差し出され、彼女は両手でそれを受け取った。そっと顔を近づければ、特有の香りが鼻をくすぐる。くしゃみをした時に呆れたような顔を浮かべられながらも。やがて山頂にほど近い『広場』に到着。
そこには規則正しく、たくさんの墓石が並んでいた。
コウは備え付けの桶に昔ながらの古い水道で水を汲み、柄杓を突っ込む。それをぶら下げ、迷う事もなくその中を歩き、やがて。一つの前で止まった。
「・・・バアちゃん。久方だな。面白いヤツを連れてきたぜ」
ほら、と急かされて。ハウリンがポケットからぴょんと飛び出し、線香を抱えたまま墓石の前に立った。その大きな目でコウを見上げる。
「主・・・」
「ん」
胸ポケットからジッポライターを取り出し、突き出した線香の先端に火を付ける。チリチリと音がして先に赤い光が灯り、白煙が一本立ち上がった。彼女は墓石の線香立てにそれを刺し、白い両手を静かに合わせ、しかし嬉しげに言った。
「初めてお目にかかる・・・御祖母殿。アタシの名は『牡丹』」
そのハウリン、ボタンはすうっと息を吸う。ただの自己紹介なのに。何か、特別な事をしているような感覚が胸を走る。
「・・・有り難くも。御祖母殿と同じ名を頂いた神姫だ」
コウは線香の束にも火を灯し、もう一つの線香立てに束ごと置く。水を入れた献花筒に花を挿すと、その無骨な手を合わせ目を閉じた。ボタンもそれに習い、目を瞑る。
鳥の声だけが。耳に届いていた。
一通りの墓参りを終え、彼らは休憩所に立ち寄った。
「そうだな・・・死ぬまで元気元気なバアちゃんだった。俺はバアちゃんっ子ってワケじゃなかったんだが」
ほかに誰もいない喫煙コーナー。煙草に火を付けるとコウは口元に苦笑に近い笑みを浮かべて言った。
「む、三年前か。お顔を拝そうにも、アタシなんてパーツも作られておらん」
「当たり前だろうが」
2033年では、武装神姫プロジェクトさえ立ち上がっているかどうか解らない。
「そうだな・・・死ぬまで元気元気なバアちゃんだった。俺はバアちゃんっ子ってワケじゃなかったんだが」
ほかに誰もいない喫煙コーナー。煙草に火を付けるとコウは口元に苦笑に近い笑みを浮かべて言った。
「む、三年前か。お顔を拝そうにも、アタシなんてパーツも作られておらん」
「当たり前だろうが」
2033年では、武装神姫プロジェクトさえ立ち上がっているかどうか解らない。
「・・・」
ゆっくりと白煙を吹かすコウ。何となく黙り込む二人。空調排気システムの音だけがブーンと響く室内。遠く鳥が一声だけ鳴いた。
「主・・・」
何かを話そうとしている事を感じ取ったのか、その先をボタンは急かした。
コウは目を細め、しばし沈黙を保っていたが、やがて気だるそうに口を開いた。
ゆっくりと白煙を吹かすコウ。何となく黙り込む二人。空調排気システムの音だけがブーンと響く室内。遠く鳥が一声だけ鳴いた。
「主・・・」
何かを話そうとしている事を感じ取ったのか、その先をボタンは急かした。
コウは目を細め、しばし沈黙を保っていたが、やがて気だるそうに口を開いた。
「そう・・・俺が生まれる前。こっちに住んでたんだと。バアちゃんと、ジイちゃん。あと、オカンの三人か」
短くなったタバコを灰皿に擦り付けながら、左手で指折り数えてコウは言う。
「んで。オカンが二歳の頃・・・アレがあった」
ボタンはアレという単語にしばし、頭に疑問符を浮かべていたが。
「母上殿が二歳・・・となれば。千九百と九十・・・」
「・・・」
「・・・!?」
計算し終わり。目を見開いて声を失った彼女に一度視線をやり、彼は二本目に火を付けた。
「まぁ、そうだな。とにかく酷ぇ有様だったらしい。ジイちゃんは早くから仕事に行っていなかった中。家が見事にブチ壊れたって事だ」
「・・・」
短くなったタバコを灰皿に擦り付けながら、左手で指折り数えてコウは言う。
「んで。オカンが二歳の頃・・・アレがあった」
ボタンはアレという単語にしばし、頭に疑問符を浮かべていたが。
「母上殿が二歳・・・となれば。千九百と九十・・・」
「・・・」
「・・・!?」
計算し終わり。目を見開いて声を失った彼女に一度視線をやり、彼は二本目に火を付けた。
「まぁ、そうだな。とにかく酷ぇ有様だったらしい。ジイちゃんは早くから仕事に行っていなかった中。家が見事にブチ壊れたって事だ」
「・・・」
声をかける事は出来ない。
それでも彼が何の意味も無く、こんな話をする訳が無い。軽薄に見えるが、その実。言葉の重みを誰より知っているのが自分のマスターだ。それを知っているボタンはただ、次の言葉を待つ。
それでも彼が何の意味も無く、こんな話をする訳が無い。軽薄に見えるが、その実。言葉の重みを誰より知っているのが自分のマスターだ。それを知っているボタンはただ、次の言葉を待つ。
「バアちゃんは死ぬまではっきり覚えていたなぁ」
コウは一つ息を吐いた。
「服も寝巻きのまんま・・・目の前に倒れてきた梁にゃ、飛び出た錆びた金属片。その向こうでガキの泣き声」
「迷いも無く。か?」
どういう行動を取ったかを聞くのは、野暮であろう。
「いやぁ。そんなんじゃなかったと言っていた。それはもう無我夢中だろうよ」
彼はボタンの言葉に肩をすくめた。
「ただ、気付いた時にはもう。指は半分無かったとさ」
「それは」
彼女はふっと目を伏せた。
「痛かっただろうな・・・」
「バアちゃんは。痛みは覚えてなかった」
何と? 驚き、顔を上げる。コウは淡々と続けた。
「ガキが無事で、テメェの腕の中でわんわん泣いてるんだ。嬉しさのがデカかったんだろうなぁ」
遠い目でいう主を見上げる。
「そうか・・・そうだな」
「結局右手の指は二本しか残らなかった。・・・左手に至っちゃぁ全部無くしちまった」
彼はタバコを咥え、両手をぱっと開く。無骨で、力強い大きな手。
「後悔は、無かったのか。その後」
その言葉に、バカな事を聞く奴だと呆れたように呟くと。
「そんなのする訳ねぇだろう。ガキが無事で、その後も元気で・・・」
「うむ」
すっとコウは自分を指差してみせた。
「それに、お陰で、こんな男前の孫の顔を見れたんだ」
「・・・。寝言は寝てから言った方が良いぞ? バカ主」
呆れ返り、眉を顰めて言うボタンに、彼はじろっと視線を向ける。
「捨てて帰るぞ? バカ犬」
その言葉なぞ何度言われたか解らない。完全に無視。
コウは一つ息を吐いた。
「服も寝巻きのまんま・・・目の前に倒れてきた梁にゃ、飛び出た錆びた金属片。その向こうでガキの泣き声」
「迷いも無く。か?」
どういう行動を取ったかを聞くのは、野暮であろう。
「いやぁ。そんなんじゃなかったと言っていた。それはもう無我夢中だろうよ」
彼はボタンの言葉に肩をすくめた。
「ただ、気付いた時にはもう。指は半分無かったとさ」
「それは」
彼女はふっと目を伏せた。
「痛かっただろうな・・・」
「バアちゃんは。痛みは覚えてなかった」
何と? 驚き、顔を上げる。コウは淡々と続けた。
「ガキが無事で、テメェの腕の中でわんわん泣いてるんだ。嬉しさのがデカかったんだろうなぁ」
遠い目でいう主を見上げる。
「そうか・・・そうだな」
「結局右手の指は二本しか残らなかった。・・・左手に至っちゃぁ全部無くしちまった」
彼はタバコを咥え、両手をぱっと開く。無骨で、力強い大きな手。
「後悔は、無かったのか。その後」
その言葉に、バカな事を聞く奴だと呆れたように呟くと。
「そんなのする訳ねぇだろう。ガキが無事で、その後も元気で・・・」
「うむ」
すっとコウは自分を指差してみせた。
「それに、お陰で、こんな男前の孫の顔を見れたんだ」
「・・・。寝言は寝てから言った方が良いぞ? バカ主」
呆れ返り、眉を顰めて言うボタンに、彼はじろっと視線を向ける。
「捨てて帰るぞ? バカ犬」
その言葉なぞ何度言われたか解らない。完全に無視。
「そうか・・・それで」
彼女は自分の掌を開き、視線を落とした。
ノーマルのハウリンならば黒いスーツである其処。しかし彼女の物は、表面が少しザラついていて、古臭く・・・白い。
「あぁ・・・今年のバアちゃんの命日。久々に家に帰った時、家族と出かけたら」
「うむ」
「そこで不良品だって理由で投売りされてたイヌを拾った。しかも手が無いときた。・・・こいつぁ何かの啓示か何かってな」
「それが。アタシか」
「・・・とんだバカ犬だったがな」
ボタンの声にコウは頷き、それっきり黙った。
彼女は自分の掌を開き、視線を落とした。
ノーマルのハウリンならば黒いスーツである其処。しかし彼女の物は、表面が少しザラついていて、古臭く・・・白い。
「あぁ・・・今年のバアちゃんの命日。久々に家に帰った時、家族と出かけたら」
「うむ」
「そこで不良品だって理由で投売りされてたイヌを拾った。しかも手が無いときた。・・・こいつぁ何かの啓示か何かってな」
「それが。アタシか」
「・・・とんだバカ犬だったがな」
ボタンの声にコウは頷き、それっきり黙った。
起動していきなり手が無い事に全くもって唖然愕然とし、しかも他の物が合わずに随分と難儀した。しかしコウのおかげもあって・・・いや、この無骨なマスターに何度助けられたか解った物ではない。
武装の腕で不便ながらも何とか代用していた二人の日々・・・そして。
武装の腕で不便ながらも何とか代用していた二人の日々・・・そして。
「・・・嬉しいな」
ぽつっとボタンは漏らし、顔を上げた。
「何と誇らしい。それほどの名前を冠する事が出来るとは」
白い諸手を上げ、すっくりと立ち上がる。驚いたような顔をしていたコウは、呆れたように目を閉じてタバコを吹かした。
ぽつっとボタンは漏らし、顔を上げた。
「何と誇らしい。それほどの名前を冠する事が出来るとは」
白い諸手を上げ、すっくりと立ち上がる。驚いたような顔をしていたコウは、呆れたように目を閉じてタバコを吹かした。
ふっと。ボタンはコウに振り向いた。
「なぁ主。聞きたいのだが」
「・・・あ?」
彼はタバコを消すと眉を顰めて嫌そうに言った。大体この犬はややこしい事を聞いてくるのを知っている。こういう時は。
「人は死んだら何処に行くのだ。御祖母殿は、何処にいるのだ」
大きな目を真っ直ぐに向けて彼女は訊ねた。
「そして。神姫は」
「・・・」
彼は目を細め、やはりかとでも言いたげに。面倒臭そうに頭を掻いている。ボタンはまともに聞いてくれと言いたげに、声を荒げた。
「天国、という所なのか!?」
「・・・バカか? お前。そんなものが」
全く、うるさい犬だ。と付け加え、コウは大きく伸びをした。
「ぬっ!? バカな主にバカと言われる謂れは無いぞ!」
全くこちらの気を無視する事にムカっ腹が立ち、そのバカデカイ体のバカ主を指差して大声で喚く。
「なぁ主。聞きたいのだが」
「・・・あ?」
彼はタバコを消すと眉を顰めて嫌そうに言った。大体この犬はややこしい事を聞いてくるのを知っている。こういう時は。
「人は死んだら何処に行くのだ。御祖母殿は、何処にいるのだ」
大きな目を真っ直ぐに向けて彼女は訊ねた。
「そして。神姫は」
「・・・」
彼は目を細め、やはりかとでも言いたげに。面倒臭そうに頭を掻いている。ボタンはまともに聞いてくれと言いたげに、声を荒げた。
「天国、という所なのか!?」
「・・・バカか? お前。そんなものが」
全く、うるさい犬だ。と付け加え、コウは大きく伸びをした。
「ぬっ!? バカな主にバカと言われる謂れは無いぞ!」
全くこちらの気を無視する事にムカっ腹が立ち、そのバカデカイ体のバカ主を指差して大声で喚く。
「・・・そこに、居るんだろうが。お前のオフクロさん」
コウはボタンの癇癪を全く介さないように、顎で彼女を指した。
目をぱしぱしとさせ、やがてどういう意味かを理解して、彼女は手を下ろした。
「・・・。・・・」
顔の前で、掌を広げる。
「それと、ここ」
コウは自分の厚い胸板を、左の親指でトントンと叩いてみせた。
目をぱしぱしとさせ、やがてどういう意味かを理解して、彼女は手を下ろした。
「・・・。・・・」
顔の前で、掌を広げる。
「それと、ここ」
コウは自分の厚い胸板を、左の親指でトントンと叩いてみせた。
「・・・。なるほど。ただのバカかと思っていたが、時としてまともな事も言うのだな。主」
驚いたような顔のまま、ボタンは明らかにバカを見る目でコウを見上げた。
「バカ犬、そこの窓から投げていいか?」
「なるほど。いるな。確かに」
いつもの言葉をいつものように無視し、彼女は嬉しげに手を握ったり開いたりを繰り返す。
「俺はバアちゃんを思い出せる」
「・・・」
「お前も。そうだろうが」
彼も一緒に見た、あの映像。『母』の声と、その姿は、はっきりと記憶されている。
「・・・うむ!」
大きく頷いたボタンに満足げに笑って見せると。コウはのっそりと立ち上がった。
ボタンを拾い、肩に乗っけると。休憩所の扉を開けた。
「・・・じゃぁ、何処にも行ってねぇよ」
「うむ」
驚いたような顔のまま、ボタンは明らかにバカを見る目でコウを見上げた。
「バカ犬、そこの窓から投げていいか?」
「なるほど。いるな。確かに」
いつもの言葉をいつものように無視し、彼女は嬉しげに手を握ったり開いたりを繰り返す。
「俺はバアちゃんを思い出せる」
「・・・」
「お前も。そうだろうが」
彼も一緒に見た、あの映像。『母』の声と、その姿は、はっきりと記憶されている。
「・・・うむ!」
大きく頷いたボタンに満足げに笑って見せると。コウはのっそりと立ち上がった。
ボタンを拾い、肩に乗っけると。休憩所の扉を開けた。
「・・・じゃぁ、何処にも行ってねぇよ」
「うむ」
日が傾き始めていた。
空気は透き通り、麓から遠く港湾まで続く、夕焼けにその姿を映す大きな街並みが一望できる。
「おおっ、絶景!」
「夜になりゃぁ、夜景が凄いらしいぜ?」
「何と! ・・・しかし、このような穴場なのに、人気がないな」
相変わらず駐車場はほとんど埋まっていない。
「墓場をデートスポットにするヤツの気がしれねぇ」
それもそうかと、ボタンは笑った。
空気は透き通り、麓から遠く港湾まで続く、夕焼けにその姿を映す大きな街並みが一望できる。
「おおっ、絶景!」
「夜になりゃぁ、夜景が凄いらしいぜ?」
「何と! ・・・しかし、このような穴場なのに、人気がないな」
相変わらず駐車場はほとんど埋まっていない。
「墓場をデートスポットにするヤツの気がしれねぇ」
それもそうかと、ボタンは笑った。
と、大きな影が彼らの広い視界に重なった。
「?」
顔を上げるとそこには。
「・・・おおーーーっ!!」
いきなり叫んだ彼女に眉を顰めながらも、コウも天を仰ぐ。
まるで鯨のようなボディ。側面から六枚の翼を生やした大きな飛空挺が空を優雅に飛んでいた。赤い陽の光に半身を照らし出す、その姿は並の飛行機より遥かに大きい。
ボタンは興奮して捲くし立てた。
「すごい・・・あのような物は都内では見た事がないぞ! 大きいなぁ! 主」
「・・・ありゃあ、最近動き始めたって言うステーション経由の大型船だな。雲が無いから解りにくいが、かなり高い所を飛んでるんじゃねぇか?」
彼が言うには。全長がキロメートルにも達する物らしい。それを聞き、唖然としながらも尚も見上げ続ける。
「なんと。あれで遠いのか・・・」
そこまで言って、ボタンはニッと笑顔を浮かべた。
「・・・だが。大きいじゃないか?」
「あぁ?」
「だからぁ・・・」
「?」
顔を上げるとそこには。
「・・・おおーーーっ!!」
いきなり叫んだ彼女に眉を顰めながらも、コウも天を仰ぐ。
まるで鯨のようなボディ。側面から六枚の翼を生やした大きな飛空挺が空を優雅に飛んでいた。赤い陽の光に半身を照らし出す、その姿は並の飛行機より遥かに大きい。
ボタンは興奮して捲くし立てた。
「すごい・・・あのような物は都内では見た事がないぞ! 大きいなぁ! 主」
「・・・ありゃあ、最近動き始めたって言うステーション経由の大型船だな。雲が無いから解りにくいが、かなり高い所を飛んでるんじゃねぇか?」
彼が言うには。全長がキロメートルにも達する物らしい。それを聞き、唖然としながらも尚も見上げ続ける。
「なんと。あれで遠いのか・・・」
そこまで言って、ボタンはニッと笑顔を浮かべた。
「・・・だが。大きいじゃないか?」
「あぁ?」
「だからぁ・・・」
手を翳す。
赤く染まる空に白い手。その指の間から、隠れきらない飛空挺の翼がはみ出ていた。
赤く染まる空に白い手。その指の間から、隠れきらない飛空挺の翼がはみ出ていた。
「手が届かぬ程に遠いが、大きいのだろう?」
その言葉に、コウは少し驚いた顔をしていたが、やがて興味なさげに視線を戻して歩き出した。
「・・・単なるバカ犬かと思ってたが、時にゃぁマトモな事を言えるんだな」
「むっ!?」
頬を膨らせる。が、何となく嬉しくなって笑顔に戻った。含んだような笑いをしていると怪訝な顔を向けられしまったが気にしない。
その言葉に、コウは少し驚いた顔をしていたが、やがて興味なさげに視線を戻して歩き出した。
「・・・単なるバカ犬かと思ってたが、時にゃぁマトモな事を言えるんだな」
「むっ!?」
頬を膨らせる。が、何となく嬉しくなって笑顔に戻った。含んだような笑いをしていると怪訝な顔を向けられしまったが気にしない。
「・・・そろそろ向かうか。ジイちゃんあんまり待たせても悪いしな。お前にも会いたいってよ?」
「うむ! 楽しみだ」
今日はこちらの御祖父殿、伯母上らが住まう家に泊まり、明日にまた東に向かうとの事は既に聞いていた。
彼がバイクに跨り、駆動部に火を入れる。いつもどおりにポケットに潜り込もうとして。
「・・・」
ふっと。
「主、主! アタシは」
ボタンはコウに声をかけた。こちらに向けられる視線。
「うむ! 楽しみだ」
今日はこちらの御祖父殿、伯母上らが住まう家に泊まり、明日にまた東に向かうとの事は既に聞いていた。
彼がバイクに跨り、駆動部に火を入れる。いつもどおりにポケットに潜り込もうとして。
「・・・」
ふっと。
「主、主! アタシは」
ボタンはコウに声をかけた。こちらに向けられる視線。
「・・・アタシも、『何処にも行かない者』になれるか? その・・・主にとって」
夕焼けの為か、その顔を真っ赤にして。
上目遣いで彼女は聞き訊ねた。
「・・・」
沈黙。ドキドキしながら返答を待つ。
コウはヘルメットを手に持ったまま、しばし視線を宙に走られていたが。
「いや? まだ、わかんねぇなぁ。何せバカだし」
ガクっと力が抜ける。
「なぁ!? そこは主! 言うべき台詞が違うだろう!?」
頬を膨らませるボタンを無視するようにヘルメットを被ると、彼は愛車に跨った。
上目遣いで彼女は聞き訊ねた。
「・・・」
沈黙。ドキドキしながら返答を待つ。
コウはヘルメットを手に持ったまま、しばし視線を宙に走られていたが。
「いや? まだ、わかんねぇなぁ。何せバカだし」
ガクっと力が抜ける。
「なぁ!? そこは主! 言うべき台詞が違うだろう!?」
頬を膨らませるボタンを無視するようにヘルメットを被ると、彼は愛車に跨った。
「行くぞ。ボタン」
名前を呼ばれはっと顔を上げ、メットの下で笑っている彼の顔を認める。
「・・・! こら、待て待て主」
機動音に慌ててポケットに滑り込む。少し顔がまだ熱いが、それは気のせいだろう。
「・・・! こら、待て待て主」
機動音に慌ててポケットに滑り込む。少し顔がまだ熱いが、それは気のせいだろう。
・・・。
既に半世紀近くも前になる。その街は、悲劇を体現した。
多くの哀しみが街を覆い、多くの命が街に散った。
何もかもが無くなった街。そこに最初に戻ってきたのは。
灯、であった。
既に半世紀近くも前になる。その街は、悲劇を体現した。
多くの哀しみが街を覆い、多くの命が街に散った。
何もかもが無くなった街。そこに最初に戻ってきたのは。
灯、であった。
『灯そう』
誰かが言った言葉が広がり。灯は、増えていった。
一つ灯が増える度に。一人、『戻ってくる』と信じて。
一つ灯が増える度に。一人、『戻ってくる』と信じて。
ボタンは眼下に広がる広大な街を見下ろし、母から受け継いだ『手』をもう一度合わせた。
(何処にも行かぬ。何処へも去らぬ・・・)
思い出す心に、いつまでも灯を煌々と。
ともしてくれているのであれば。
(御祖母殿、そして須らくの方々。見守られよ・・・願わくば。我ら全てもまた、心持つ者故)
顔を赤い空に向ける。会った事も無い母・・・そして自分と同じ名前の『祖母』に想いを馳せて、遠く小さくなっていく鯨を見つめる。
(何処にも行かぬ。何処へも去らぬ・・・)
思い出す心に、いつまでも灯を煌々と。
ともしてくれているのであれば。
(御祖母殿、そして須らくの方々。見守られよ・・・願わくば。我ら全てもまた、心持つ者故)
顔を赤い空に向ける。会った事も無い母・・・そして自分と同じ名前の『祖母』に想いを馳せて、遠く小さくなっていく鯨を見つめる。
大きな哀しみを乗り越えた街がある。
悲劇を『光』と変え、『死』を柔らかく胸に受け止めて。
光を命として導いた・・・『光の街』がある。
悲劇を『光』と変え、『死』を柔らかく胸に受け止めて。
光を命として導いた・・・『光の街』がある。
バイクが低い音と震動を伴い、加速していく。
顔だけ出したまま。彼女は眼下に広がる、夕焼けに眩く輝く『街』の名前を思い出し、納得したように強く頷いた。
美しい黒髪が風で舞う。陽に光る、遠く見える港の美しさ。それを大きな金色の瞳に宿し。
知らずうちに潮の香りが強くなっていた。
(うむ。アタシらもまた『光』)
思えば、我らは神を冠するではないか。そして。この『光の街』も神の名を冠する。
なれば我らが『光』を掲げ、貴女が言った『想いと共に未来を紡ぐこと』。
果たして不可能なわけがあるまい?
顔だけ出したまま。彼女は眼下に広がる、夕焼けに眩く輝く『街』の名前を思い出し、納得したように強く頷いた。
美しい黒髪が風で舞う。陽に光る、遠く見える港の美しさ。それを大きな金色の瞳に宿し。
知らずうちに潮の香りが強くなっていた。
(うむ。アタシらもまた『光』)
思えば、我らは神を冠するではないか。そして。この『光の街』も神の名を冠する。
なれば我らが『光』を掲げ、貴女が言った『想いと共に未来を紡ぐこと』。
果たして不可能なわけがあるまい?
「・・・そうだろう? 母上」
エンジン音が唸り、風を裂き、更に加速した。
吹くは潮風。渚を揺らし。
しかし、尚も。緩やかに。
しかし、尚も。緩やかに。
・・・街の名を。神戸という。
第四幕。下幕。