第1幕 「未熟な利己主義者」
十一月の末――
藤原雪那(ふじわら・せつな)とティキがシンナバーとそのマスターに敗北し、更にいわれのない悪口雑言を叩かれていたその時、結城セツナ(ゆうき・――)もその場に身をおいていた。
とは言っても、セツナがいたのは店の外で、だから雪那はセツナがそこにいることにまるで気付かなかった。
雪那とシンナバーのマスター――彼の名は木井津沙紘(きいつ・さひろ)という――の、一方的な言い争いの一部始終を、寒空の下自販機で購入したホットココアで暖を取りながらセツナは一切見逃さずに覗き見ていた。彼女の神姫、海神(わだつみ)は肩の上で上手に座っている。
やがて言いたい事を言い終わったのか、沙紘が雪那に背を向けその場から立ち去る。
余程悔しい思いをしたのか、そこに残された雪那は両の手を硬く握り締め、全身を戦慄かせていた。
だから、という訳でもないのだろうが、雪那は沙紘が店を出てその後何をしていたかなんてことに、まるで思いが及ばない。
それを予測していた訳でもないのだろうが、雪那のその心情はセツナに都合良く働いた。
「あんなので、良かったか?」
頭に巻かれたバンダナと、サングラスをはずして沙紘はセツナに話しかける。
「……無理を聞いてくれてアリガトウ。沙紘、これであなたとは貸し借りなし。ね」
それだけを言うともう用はない、とばかりに、セツナは飲みかけのココアをゴミ箱に放り込み、きびすを返す。
「待てよ、セツナ」
沙紘は声を荒げ、セツナと呼んだ少女の肩を掴み無理やり振り向かせる。
「なに? 話は終わったわ」
にべも無く、突き放すような言葉を投げつけるセツナ。
瞬間
セツナの口は沙紘の口で塞がれた。
セツナは抵抗を試みる。が、男女の体格差がここで物を言った。
が、沙紘は弾かれるように顔を離し、ついで腕の力を緩める。
セツナはその隙を逃さず、沙紘と距離を取った。
「……相変わらず気が強いオンナだ」
そう言った沙紘の唇からは血が一筋。沙紘はその血を腕で拭う。
そしてセツナの口元には、沙紘の血が付着していた。
「……感謝しなさい。後少しでもあなたが私から離れるのが遅かったなら、海神(わだつみ)があなたにもっと酷い怪我を負わせていたわ」
見ると海神が忍者刀・風花を鞘から抜き放っていた。お互いすでに体が離れてよくはわからないが、間違いなく沙紘の首に当てられていただろう、その位置に。
そしてシンナバーは、海神のその行動に反応できていない。
「ハン、神姫にそんなマネできるものか」
「さあ、どうかしら?」
「……………………」
本来人工知能基本三原則が施されている神姫に、人を傷つける事など出来はしない。が、セツナのその酷く冷めた目と、海神のその決意のこもった目に、まるでそれが可能であるかの様に錯覚させられる。
それに…… と沙紘は思考する。確かにあの海神は、何処か他の神姫と違う何かを感じさせる。
「オッケー、俺が悪かった」
とぼけた口調で言うと、おどけた様に両手を挙げた。そしてニヤリと笑うと、
「でもこれでまた、借りが出来たな」
と皮肉気に言った。
「その貸しは返さなくて結構よ。どちらかと言えば、そうね、二度と顔を見せて欲しくないわ」
「おいおい、それが呼び出したヤツの言うセリフか?」
それには答えず、セツナは再びきびすを返した。
それを見て、今度は呼び止めることもせず一度嘆息し、その背中に言葉を投げた。
「お前がどんなつもりであの小僧に肩入れしてるのか知らんが、アイツは本当に強くなるぞ。お前はただ、近い将来の強敵を育ててるだけじゃないのか?」
しかしセツナは、沙紘のその言葉に答える事も、ましてや振り返ることも無くただ歩き、立ち去った。
藤原雪那(ふじわら・せつな)とティキがシンナバーとそのマスターに敗北し、更にいわれのない悪口雑言を叩かれていたその時、結城セツナ(ゆうき・――)もその場に身をおいていた。
とは言っても、セツナがいたのは店の外で、だから雪那はセツナがそこにいることにまるで気付かなかった。
雪那とシンナバーのマスター――彼の名は木井津沙紘(きいつ・さひろ)という――の、一方的な言い争いの一部始終を、寒空の下自販機で購入したホットココアで暖を取りながらセツナは一切見逃さずに覗き見ていた。彼女の神姫、海神(わだつみ)は肩の上で上手に座っている。
やがて言いたい事を言い終わったのか、沙紘が雪那に背を向けその場から立ち去る。
余程悔しい思いをしたのか、そこに残された雪那は両の手を硬く握り締め、全身を戦慄かせていた。
だから、という訳でもないのだろうが、雪那は沙紘が店を出てその後何をしていたかなんてことに、まるで思いが及ばない。
それを予測していた訳でもないのだろうが、雪那のその心情はセツナに都合良く働いた。
「あんなので、良かったか?」
頭に巻かれたバンダナと、サングラスをはずして沙紘はセツナに話しかける。
「……無理を聞いてくれてアリガトウ。沙紘、これであなたとは貸し借りなし。ね」
それだけを言うともう用はない、とばかりに、セツナは飲みかけのココアをゴミ箱に放り込み、きびすを返す。
「待てよ、セツナ」
沙紘は声を荒げ、セツナと呼んだ少女の肩を掴み無理やり振り向かせる。
「なに? 話は終わったわ」
にべも無く、突き放すような言葉を投げつけるセツナ。
瞬間
セツナの口は沙紘の口で塞がれた。
セツナは抵抗を試みる。が、男女の体格差がここで物を言った。
が、沙紘は弾かれるように顔を離し、ついで腕の力を緩める。
セツナはその隙を逃さず、沙紘と距離を取った。
「……相変わらず気が強いオンナだ」
そう言った沙紘の唇からは血が一筋。沙紘はその血を腕で拭う。
そしてセツナの口元には、沙紘の血が付着していた。
「……感謝しなさい。後少しでもあなたが私から離れるのが遅かったなら、海神(わだつみ)があなたにもっと酷い怪我を負わせていたわ」
見ると海神が忍者刀・風花を鞘から抜き放っていた。お互いすでに体が離れてよくはわからないが、間違いなく沙紘の首に当てられていただろう、その位置に。
そしてシンナバーは、海神のその行動に反応できていない。
「ハン、神姫にそんなマネできるものか」
「さあ、どうかしら?」
「……………………」
本来人工知能基本三原則が施されている神姫に、人を傷つける事など出来はしない。が、セツナのその酷く冷めた目と、海神のその決意のこもった目に、まるでそれが可能であるかの様に錯覚させられる。
それに…… と沙紘は思考する。確かにあの海神は、何処か他の神姫と違う何かを感じさせる。
「オッケー、俺が悪かった」
とぼけた口調で言うと、おどけた様に両手を挙げた。そしてニヤリと笑うと、
「でもこれでまた、借りが出来たな」
と皮肉気に言った。
「その貸しは返さなくて結構よ。どちらかと言えば、そうね、二度と顔を見せて欲しくないわ」
「おいおい、それが呼び出したヤツの言うセリフか?」
それには答えず、セツナは再びきびすを返した。
それを見て、今度は呼び止めることもせず一度嘆息し、その背中に言葉を投げた。
「お前がどんなつもりであの小僧に肩入れしてるのか知らんが、アイツは本当に強くなるぞ。お前はただ、近い将来の強敵を育ててるだけじゃないのか?」
しかしセツナは、沙紘のその言葉に答える事も、ましてや振り返ることも無くただ歩き、立ち去った。
その時、結城セツナはとても腹を立てていた。それはもう、『怒り心頭に発する』くらいの勢いで。
過去、わずか一時の間付き合った事のある男ではあったが、今では未練どころか欠片ほども想っていないヤツに唇を奪われた事が心底腹立たしかった。
それが普段の冷静さを失わせたから、と言うのは原因ではないし、ましてや言い訳にもなりはしない。
多分、いつもと同じ精神状態だとしても避けることは出来なかったし、だからと言って切り抜ける事も出来なかっただろう。
過去、わずか一時の間付き合った事のある男ではあったが、今では未練どころか欠片ほども想っていないヤツに唇を奪われた事が心底腹立たしかった。
それが普段の冷静さを失わせたから、と言うのは原因ではないし、ましてや言い訳にもなりはしない。
多分、いつもと同じ精神状態だとしても避けることは出来なかったし、だからと言って切り抜ける事も出来なかっただろう。
それは本当にどうしようもなく
ただの偶然でしかなくて
それでも当事者から見れば
絶対でしかない
ただの偶然でしかなくて
それでも当事者から見れば
絶対でしかない
きっとその事件はセツナにとって、沙紘と別れた理由と同じくらい話す必要もない事柄でしかなく。
ただこの日、海神という名のMMS TYPE NINJA フブキは完全に失われた。
ただこの日、海神という名のMMS TYPE NINJA フブキは完全に失われた。
電車とバスを乗り継ぎ、後は歩いて自宅に戻るだけ。
常日頃から武装神姫をただ『道具』『玩具』と位置づけ、不用意な感情移入を避けてきた。
それは神姫たちに『感情』が存在し、だからこそ深く関わるのが恐かったからだ。
そして私はそのように日々を送ってきた。
……だったら、この喪失感は一体何?
セツナは落ち着きを取り戻し、それでいて未だ冷静さを取り戻せていない頭で考えていた。
思考は何時までもグルグルと同じ所をなぞり、その代わり帰路に対してのみ進行している。
関東地方でも温暖な気候もあって、例年より早く降った初雪は積もることなく止み始めてしまった。
家はこの角を曲がってあとは真っ直ぐ。
海神が壊れた事、親になんて言おうか……
そしてまた思考は同じ所を繰り返す。
何かにつまずいた。
それは普段なら無意識に跨いでいるただの段差だったが、セツナはそこでバランスを崩し、それでも派手に転ぶ事はなかったが、その場にしゃがみこんでしまう。
不意に涙が目から弾けた。
それはもう『零れた』と言うレベルを越え、後から後からあふれ出す。
「あ……あれ?」
何で自分が泣いているのか、感情と思考が追いつかずセツナはあわてた。
次いで起こる感情の爆発――
「う……うわぁっ……あ」
何で私はあの娘に優しく出来なかったのか。
感情があって、自分を慕ってくれて、私を大事に想ってくれたあの娘に――
何で私はあの娘に優しくする事が出来なかったのか!
もうあの娘は『道具』じゃなかった。
もうあの娘は『玩具』じゃなかった。
もうあの娘は『相棒』だった。
もうあの娘は『友達』だった。
だけどその海神は――
もうあの娘は何処にもいない。
「うわわわわあああああぁぁぁぁぁぁぁ」
雪が止んだ濡れたアスファルトの上で、セツナは自分が悲しんでいる事にやっと気がついた。
常日頃から武装神姫をただ『道具』『玩具』と位置づけ、不用意な感情移入を避けてきた。
それは神姫たちに『感情』が存在し、だからこそ深く関わるのが恐かったからだ。
そして私はそのように日々を送ってきた。
……だったら、この喪失感は一体何?
セツナは落ち着きを取り戻し、それでいて未だ冷静さを取り戻せていない頭で考えていた。
思考は何時までもグルグルと同じ所をなぞり、その代わり帰路に対してのみ進行している。
関東地方でも温暖な気候もあって、例年より早く降った初雪は積もることなく止み始めてしまった。
家はこの角を曲がってあとは真っ直ぐ。
海神が壊れた事、親になんて言おうか……
そしてまた思考は同じ所を繰り返す。
何かにつまずいた。
それは普段なら無意識に跨いでいるただの段差だったが、セツナはそこでバランスを崩し、それでも派手に転ぶ事はなかったが、その場にしゃがみこんでしまう。
不意に涙が目から弾けた。
それはもう『零れた』と言うレベルを越え、後から後からあふれ出す。
「あ……あれ?」
何で自分が泣いているのか、感情と思考が追いつかずセツナはあわてた。
次いで起こる感情の爆発――
「う……うわぁっ……あ」
何で私はあの娘に優しく出来なかったのか。
感情があって、自分を慕ってくれて、私を大事に想ってくれたあの娘に――
何で私はあの娘に優しくする事が出来なかったのか!
もうあの娘は『道具』じゃなかった。
もうあの娘は『玩具』じゃなかった。
もうあの娘は『相棒』だった。
もうあの娘は『友達』だった。
だけどその海神は――
もうあの娘は何処にもいない。
「うわわわわあああああぁぁぁぁぁぁぁ」
雪が止んだ濡れたアスファルトの上で、セツナは自分が悲しんでいる事にやっと気がついた。
それから約一週間。あの事件の影響でセツナはまったく家の外に出る事を許されなかった。
帰宅するときは一人で帰って来れたのに、その後で家に連絡が来て、安全が確保されるまで外出を控えろと言われた。
さすがに一週間、何もせず自宅待機などしていれば立ち直る事も出来よう。
少なくとも、結城セツナは立ち直りかけていた。
そのセツナの机には、海神の残骸と真新しいMMSが複数置いてある。
それを見つめて、何度目かになる溜息を洩らした。
父親の、そして親類の力で、真新しいMMSを一切外出することなく簡単に入手する事が出来る環境を持つセツナは、それでもその環境の力を行使した事に未だ躊躇い続けていた。
私が、また神姫のオーナーになって良いのだろうかと。
「私は、また過ちを繰り返そうとしているのかしら? それともあの娘に対する償いのつもりなのかしら?」
言葉にすると、そのどちらも正しくないように感じられて。
「でも、私のエゴイズムなのは、間違いない……か」
迷いを振り切るように頭を振る。
新しいパートナーは、侍型にしようと決めた。
そしてCSCは海神のものをそのまま移植しようと決めた。
それをしたからといって、海神が戻ってくるわけではないけど。
せめて、海神が残した何かを新しいその娘に受け継がせたかった。
ただの感傷で、エゴなのもわかっているけど。
そしてふと、何かを思いつく。
「……そう言えば、あの子の神姫は『マオチャオ』だったっけ」
そう言って、少しだけ笑った。
紅緒のボディーに、ハウリンのヘッドパーツを取り付ける。
そして海神のものであった三つのCSCをその胸部にセットした。
程なくして『その娘』が目を開ける。
「――――――――」
その神姫は自身が起動した事をオーナーであろう目の前の少女に告げる。
「あなたの名前は焔(えん)。正式名称・海神ⅡY.E.N.N(わだつみ・せかんど・わい・いー・えぬ・えぬ)。正式名称の方はただの飾りだから。ワケは……そうね、後で聞いてもらいたいな」
帰宅するときは一人で帰って来れたのに、その後で家に連絡が来て、安全が確保されるまで外出を控えろと言われた。
さすがに一週間、何もせず自宅待機などしていれば立ち直る事も出来よう。
少なくとも、結城セツナは立ち直りかけていた。
そのセツナの机には、海神の残骸と真新しいMMSが複数置いてある。
それを見つめて、何度目かになる溜息を洩らした。
父親の、そして親類の力で、真新しいMMSを一切外出することなく簡単に入手する事が出来る環境を持つセツナは、それでもその環境の力を行使した事に未だ躊躇い続けていた。
私が、また神姫のオーナーになって良いのだろうかと。
「私は、また過ちを繰り返そうとしているのかしら? それともあの娘に対する償いのつもりなのかしら?」
言葉にすると、そのどちらも正しくないように感じられて。
「でも、私のエゴイズムなのは、間違いない……か」
迷いを振り切るように頭を振る。
新しいパートナーは、侍型にしようと決めた。
そしてCSCは海神のものをそのまま移植しようと決めた。
それをしたからといって、海神が戻ってくるわけではないけど。
せめて、海神が残した何かを新しいその娘に受け継がせたかった。
ただの感傷で、エゴなのもわかっているけど。
そしてふと、何かを思いつく。
「……そう言えば、あの子の神姫は『マオチャオ』だったっけ」
そう言って、少しだけ笑った。
紅緒のボディーに、ハウリンのヘッドパーツを取り付ける。
そして海神のものであった三つのCSCをその胸部にセットした。
程なくして『その娘』が目を開ける。
「――――――――」
その神姫は自身が起動した事をオーナーであろう目の前の少女に告げる。
「あなたの名前は焔(えん)。正式名称・海神ⅡY.E.N.N(わだつみ・せかんど・わい・いー・えぬ・えぬ)。正式名称の方はただの飾りだから。ワケは……そうね、後で聞いてもらいたいな」
私はきっと何処までも利己的で…… 私が一人背負うべきものを最初の最初の段階で彼女――焔――にも背負わせてしまう。
許される事ではないかもしれないけれど、だけど――
今度はちゃんと、一緒に歩んで行きたいから。
許される事ではないかもしれないけれど、だけど――
今度はちゃんと、一緒に歩んで行きたいから。