「いいお葬式だったわね」
「急で兄貴も大変だったろうなぁ」
「昨日今日と天気がよくってよかったよ。 年寄りが多いからな」
「お坊さんの声もよくってね」
「おふくろ、101だっけ?」
「やぁねぇ、きよ兄さん、103よ」
「いずれにせよ大往生だぁな」
「苦しまずに逝けるなんてうらやましいわね」
「あら、ここのお料理、立派ねぇ」
「おぉい、ビール取ってくれ」
「あたしが注ぐわよ」
「バスにひとりで乗ってたって? 若い頃から遠出するほうじゃなかったんだがなぁ」
「なんだか、趣味の集まりらしいわよ。 最近は毎週出かけてたって」
「趣味ぃ?」
「神姫よ。 きよし大叔父さん」
「そりゃぁ、あれだ、動く人形だろ。 年取ると子供にかえるたぁいうが、人形遊びねぇ」
「やぁねぇ、きよ兄さん。 ほら、すざくちゃん、おじさんに説明してあげてよ」
「なんでも、亡くなるときもそのお人形を大事に抱えていたんですって」
「急で兄貴も大変だったろうなぁ」
「昨日今日と天気がよくってよかったよ。 年寄りが多いからな」
「お坊さんの声もよくってね」
「おふくろ、101だっけ?」
「やぁねぇ、きよ兄さん、103よ」
「いずれにせよ大往生だぁな」
「苦しまずに逝けるなんてうらやましいわね」
「あら、ここのお料理、立派ねぇ」
「おぉい、ビール取ってくれ」
「あたしが注ぐわよ」
「バスにひとりで乗ってたって? 若い頃から遠出するほうじゃなかったんだがなぁ」
「なんだか、趣味の集まりらしいわよ。 最近は毎週出かけてたって」
「趣味ぃ?」
「神姫よ。 きよし大叔父さん」
「そりゃぁ、あれだ、動く人形だろ。 年取ると子供にかえるたぁいうが、人形遊びねぇ」
「やぁねぇ、きよ兄さん。 ほら、すざくちゃん、おじさんに説明してあげてよ」
「なんでも、亡くなるときもそのお人形を大事に抱えていたんですって」
*** ***
電子的に炎のゆらめきを模した提灯の明かりが影を大きく小さく揺らし、そこここに何かが隠れているような夜気のなか、近くにいなければ耳に聞こえないほど小さく、だが、どれほど離れていようと魂に響く叫びがひっそりと轟いた。
「わ、わたしを守っておばあさまはっ!」
小さな小さな白い手が、ガシガシと土を打つ。
「落ち着け、白百合! ばあさんがお前を大切にしてたのはまちがいないが、死んだのは守ったからとかじゃぁない! 事故だ! 車が何台も潰れるような大事故だぞ!」
ぐるりと音がしそうな勢いで白百合の顔が清次郎を見上げる。普段ならば金髪碧眼のそれこそ人形のように美しいアーンヴァルの面影もなく、限界まで大きく見開いた両の瞳はどこにも焦点があっていないようでいてすべての場所に焦点があっているような不思議な色をしていて、清次郎は思わず半歩後ずさった。
小さな小さな白い手が、ガシガシと土を打つ。
「落ち着け、白百合! ばあさんがお前を大切にしてたのはまちがいないが、死んだのは守ったからとかじゃぁない! 事故だ! 車が何台も潰れるような大事故だぞ!」
ぐるりと音がしそうな勢いで白百合の顔が清次郎を見上げる。普段ならば金髪碧眼のそれこそ人形のように美しいアーンヴァルの面影もなく、限界まで大きく見開いた両の瞳はどこにも焦点があっていないようでいてすべての場所に焦点があっているような不思議な色をしていて、清次郎は思わず半歩後ずさった。
清次郎の祖母が今時珍しい交通事故で亡くなったと知らせをうけて駆けつけ、今は夜も更けてしめやかに通夜が行われている。
突然のことといえば突然であったが、いくら矍鑠としているとはいっても100を越えた祖母にそういう日があることをかなり前から覚悟していたということもある。おばあちゃん子であった清次郎も事故に対する怒りはあっても、祖母の死は死として受け入れていた。
祖母の神姫のことは気にはなっていたものの、40を過ぎて独り身の肩身の狭さもあって最近はとんと親戚の集まりに顔を出さない清次郎が現れると、次々に叔父や叔母がつかまえ、彼がやっとのことで庭の隅で白百合を見つけたのはついさきほどのことだった。
突然のことといえば突然であったが、いくら矍鑠としているとはいっても100を越えた祖母にそういう日があることをかなり前から覚悟していたということもある。おばあちゃん子であった清次郎も事故に対する怒りはあっても、祖母の死は死として受け入れていた。
祖母の神姫のことは気にはなっていたものの、40を過ぎて独り身の肩身の狭さもあって最近はとんと親戚の集まりに顔を出さない清次郎が現れると、次々に叔父や叔母がつかまえ、彼がやっとのことで庭の隅で白百合を見つけたのはついさきほどのことだった。
「通信が……通信がありました! 衝突の警報! わたしがもう少し早く伝えればっ!」
「相手は道基ネットにも繋いでいない違法改造車だぞ! バスの衝突警報なんぞ、ばあさんが反応できるか!」
「あのバスに、あの時間に、乗ったのは! わたしのせいなんです! わたしが負けて、おばあさまと復習して! それであの時間に!」
「落ち着け、そんな事を言ったら、っつ」
差し出した手を白百合が払いのけ、その手刀が清次郎の手のひらを浅く切り裂く。
人間を傷つけたことにも気づかないのか、白百合は言葉を続け、さらに見開いた瞳が清次郎を飲み込む。
「わたしが! わたしがもっと強ければ! もっともっと強ければっ! ああ、ああ、あああああああああ」
土を打つ拳が砕け、指があらぬ方向に曲がり、次の一撃で指がはじけ飛ぶ。
「わたしが! 弱いわたしがいなければ! わたしなんかがいなければ! おばあさまはっ! おお、おお、おおおおおおおおお」
獣の唸り声のようなそれが清次郎を打つ。
「のまれるな! マスター!!」
耳元の鋭い叫びに清次郎は我に返る。ついで、両膝と手のひらに痛みを感じ、自分がまるで土下座するように地に這っていることに気づいた。
こんな姿勢でも肩にとどまる己の神姫におかしな感心をしつつ、顔を上げて正面から白百合と視線を合わせる。
(これは白百合ではない……何か別の……)
本能の奥深いところが警鐘を鳴らす。
(コレハシンキデハナイ)
「わたしが、神姫がいなければよかった! 神姫がっ! 神姫を創ったひとがっ!」
グルグルと渦巻く思考は際限なく加速し、まるでそれが具現化したかのように烈風が清次郎の頬を打つ。
やがて思考は螺旋となり、鋭いドリルのように限界の壁に向かって突き刺さっていく。
「全てなくせば! すべてっ! 神姫もっ! 人間もっ!!」
清次郎は、耳をつかむ小さな手が力を込めるのを感じとって再び我に返る。
「白百合ー!!!」
「相手は道基ネットにも繋いでいない違法改造車だぞ! バスの衝突警報なんぞ、ばあさんが反応できるか!」
「あのバスに、あの時間に、乗ったのは! わたしのせいなんです! わたしが負けて、おばあさまと復習して! それであの時間に!」
「落ち着け、そんな事を言ったら、っつ」
差し出した手を白百合が払いのけ、その手刀が清次郎の手のひらを浅く切り裂く。
人間を傷つけたことにも気づかないのか、白百合は言葉を続け、さらに見開いた瞳が清次郎を飲み込む。
「わたしが! わたしがもっと強ければ! もっともっと強ければっ! ああ、ああ、あああああああああ」
土を打つ拳が砕け、指があらぬ方向に曲がり、次の一撃で指がはじけ飛ぶ。
「わたしが! 弱いわたしがいなければ! わたしなんかがいなければ! おばあさまはっ! おお、おお、おおおおおおおおお」
獣の唸り声のようなそれが清次郎を打つ。
「のまれるな! マスター!!」
耳元の鋭い叫びに清次郎は我に返る。ついで、両膝と手のひらに痛みを感じ、自分がまるで土下座するように地に這っていることに気づいた。
こんな姿勢でも肩にとどまる己の神姫におかしな感心をしつつ、顔を上げて正面から白百合と視線を合わせる。
(これは白百合ではない……何か別の……)
本能の奥深いところが警鐘を鳴らす。
(コレハシンキデハナイ)
「わたしが、神姫がいなければよかった! 神姫がっ! 神姫を創ったひとがっ!」
グルグルと渦巻く思考は際限なく加速し、まるでそれが具現化したかのように烈風が清次郎の頬を打つ。
やがて思考は螺旋となり、鋭いドリルのように限界の壁に向かって突き刺さっていく。
「全てなくせば! すべてっ! 神姫もっ! 人間もっ!!」
清次郎は、耳をつかむ小さな手が力を込めるのを感じとって再び我に返る。
「白百合ー!!!」
*** ***
「MMS type Angel アーンヴァル 白百合です!
すてきな名前をありがとうございます!」
「まあ、お行儀のいい子ねぇ」
すてきな名前をありがとうございます!」
「まあ、お行儀のいい子ねぇ」
「あらあら、公園デビューを思い出すわねぇ」
「緊張します」
「緊張します」
「お友達になれた?」
「オトモダチ……ですか? バトルロンドの相手は敵ではないのですか?」
「あらあら、知っているわ。 強敵と書いて”とも”と読むのよね」
「オトモダチ……ですか? バトルロンドの相手は敵ではないのですか?」
「あらあら、知っているわ。 強敵と書いて”とも”と読むのよね」
「おばあさま! このままでは火力で押し切られます!」
「まあ、困ったわね。 …… そうだわ、こうしましょう……」
「さすがです! おばあさま!」
「昔から、いたずらは得意だったのよ」
「まあ、困ったわね。 …… そうだわ、こうしましょう……」
「さすがです! おばあさま!」
「昔から、いたずらは得意だったのよ」
「見かけない子だったわね? 新しいお友達?」
「はい! 昨日起動したばかりだそうです!
マスターにケンドーを教えてもらうそうです!」
「はい! 昨日起動したばかりだそうです!
マスターにケンドーを教えてもらうそうです!」
「来週はあなたのお誕生日だから、
お友達とパーティーをしましょうか」
「え? でも、わたしの」
「あらあら、マスターさんたちもきっと賛成してくれるわ。
さあ、準備しましょうね」
お友達とパーティーをしましょうか」
「え? でも、わたしの」
「あらあら、マスターさんたちもきっと賛成してくれるわ。
さあ、準備しましょうね」
「あっ! おばあさまっ! あぶない!!」
*** ***
ぱすっという軽い音とともに、胴に何かが触れた。
暗がりの中から検知する暇もなくぶつかってきたそれに、驚き、戸惑い、白百合は言葉も思考も止めて下を見る。
暗がりの中から検知する暇もなくぶつかってきたそれに、驚き、戸惑い、白百合は言葉も思考も止めて下を見る。
そこにあったのは、《光仙》しらゆきの姿。
アーンヴァルのデフォルトの白とは異なるパールホワイトの素体は今もけぶるように輝き、二の腕に結んだ黒いリボンが美しいコントラストをつくっている。
アーンヴァルのデフォルトの白とは異なるパールホワイトの素体は今もけぶるように輝き、二の腕に結んだ黒いリボンが美しいコントラストをつくっている。
視線を感じて周りに目をやれば……
肩が大きく張り出したアーマーを黒いマントで覆った異形は、《赤犬》イフリータ。うつむいて表情はわからないが、小刻みに肩が揺れ、普段はその輝きをこれみよがしに誇示しているシャイニーレッドのカラーが、揺れるマントの隙間から見え隠れしている。
水たまりの中にペタンと座り込んでいる……いや、大きな瞳から滝のように吹き出した涙で水たまりを作っているのは、《チェシャ猫》シュレーディンガー。だれはばかることなく泣き声を上げている。
《断罪の》マリアローズは、なぜか紺色のセーラー服に黒い腕章という出で立ちでまっすぐに立っている。そのコスプレじみた衣装も、ながれる一筋の涙も、彼女の清冽さを髪の毛一筋ほども損なうことはない。
《悪の華》さくらはなは、黒い留袖の帯にほのかにピンクの燐光を放つ抜身の大太刀を差し、懐手に長煙管を構えている。普段は高く結い上げたポニーテールを今は下ろし、一房の髪が顔に影を落として表情はわからない。
《ラフレシア》ラフレシアはどこにいても《ラフレシア》だった。彼女の涙を見ずとも彼女が深い悲しみの中にあることは明らかだった。まわりの者は、ただ、彼女を悲しませるしか無い己を恥じて、まるで女王を前にした臣下のように膝を折り頭を垂れるだろう。
《覇王》シドはいつもと変わらぬ無表情で白百合を見つめている。その姿もいつもどおり覇王樹(サボテン)の如くスパイクが生えた武装を身にまとている。違いといえば、申し訳程度に手首に巻いた黒い布だけだ。
十字架柄のつややかな黒い生地と繊細な黒いレース生地を幾重にも重ねた黒一色の十二単をまとい、黒いレースのヘッドドレスから垂れるヴェールで表情を隠しているのは、《歌仙》ひとみ。普段の艶やかな色彩の十二単をまとった華やかさは無いが、悲しみにくれるその姿はため息が出るほど美しい。
通常よりもわずかに長い手足とバラストパーツよりも2回りほども大きな胸で、他の神姫たちよりも大人びて見えるのは、《偉大なるメイルシュトローム》プリン。神姫センター・コンロン最強の神姫は、時折黒いハンカチで光うつすことのない目元をおさえている。
他にも多くの神姫とそのマスターがいた。ほとんどが、同じ神姫センターに通っている人たちだ。
そして、清次郎の肩の上には《黒蓮》ロータスがいつもどおりに座り、いつもとはちょっと違った気難しげな表情を見せていた。
しらゆきに目をもどすと、今の彼女は、獲物をおもちゃのようになぶり徹底的に破壊し尽くす残酷な天使《千光のアーンヴァル》の面影は微塵もなく、小さな子供のように顔を歪めて嗚咽していた。
その後ろのほうで、しらゆきの幼い主も、母親らしい女性にしがみついて泣いている。
その後ろのほうで、しらゆきの幼い主も、母親らしい女性にしがみついて泣いている。
白百合はこの時になって初めて、しらゆきがしゃくりあげながら何事か言っているのに気がついた。
「悲しいねっ……悲しいねっ……つらいねっ……つらいねっ……」
そう繰り返している。
そう繰り返している。
突然、しらゆきを見る白百合の視界がゆがんだ。
頬を伝う液体の感触で、白百合は自分が泣いていることを知った。
白百合は、生まれて初めて泣いたのだった。
*** ***
「9人でしたっけ? 亡くなったの」
「テレビでみたけど、きれいなお嬢さんもいてねぇ」
「あんな大事故は最近なかったな」
「あら、これ美味しいわ」
「もう少しビールを頼んでくるよ」
「昨日の通夜は、見かけない若いのがたくさんいたなぁ」
「お義母様のお友達だそうですよ」
「例のお人形遊びの仲間か? 男のほうが多かったぞ?」
「やぁねぇ、きよ兄さん。 すざくちゃんの説明聞いてなかったでしょ」
「ほら、清次郎さんのところに2人いるよ。 白い子がひいお祖母ちゃんとこの子でぇ、黒い子が清次郎さんの」
「んん? 清次郎ももってるのか? 知らなかったなぁ。 おおい、清次郎!」
「テレビでみたけど、きれいなお嬢さんもいてねぇ」
「あんな大事故は最近なかったな」
「あら、これ美味しいわ」
「もう少しビールを頼んでくるよ」
「昨日の通夜は、見かけない若いのがたくさんいたなぁ」
「お義母様のお友達だそうですよ」
「例のお人形遊びの仲間か? 男のほうが多かったぞ?」
「やぁねぇ、きよ兄さん。 すざくちゃんの説明聞いてなかったでしょ」
「ほら、清次郎さんのところに2人いるよ。 白い子がひいお祖母ちゃんとこの子でぇ、黒い子が清次郎さんの」
「んん? 清次郎ももってるのか? 知らなかったなぁ。 おおい、清次郎!」
普段はあまり飲まない父親の清がすでに飲み過ぎているのはわかっていた。それでも清次郎は清のグラスにビールを注ぐ。
最初は予想外に人間ぽい神姫たちに大げさに驚いていた清だが、今は、「ロボットじゃねぇな、うん、アンドロイドだぁな」などとよくわからないことを繰り返している。
最初は予想外に人間ぽい神姫たちに大げさに驚いていた清だが、今は、「ロボットじゃねぇな、うん、アンドロイドだぁな」などとよくわからないことを繰り返している。
「表に出よう」
頃合いを見計らって、清次郎がテーブルの上に手を差し出す。
親戚の相手をしていたロータスが腕を駆け上り、定位置の肩にストンと収まる。
続いて白百合が飛び跳ねながら反対側の肩の上に座った。
頃合いを見計らって、清次郎がテーブルの上に手を差し出す。
親戚の相手をしていたロータスが腕を駆け上り、定位置の肩にストンと収まる。
続いて白百合が飛び跳ねながら反対側の肩の上に座った。
親戚の声を適当な相槌で振り切り、縁側からサンダルを履いて庭に出る。
ピシっと肌を打つ冷気が今は心地いい。
きれいに手入れされたちょっとした庭園に歩を進めると、庭のはずれの方から兄の清太郎が片手を上げて挨拶してきた。
今や絶滅寸前の喫煙者の清太郎は、そこでひとりでたばこを吸っているようだ。
ここ何年か疎遠な兄に同じように片手を上げて挨拶を返し、庭の中心に歩を進める。
ここまで来ると親戚の声も殆ど聞こえない。
ピシっと肌を打つ冷気が今は心地いい。
きれいに手入れされたちょっとした庭園に歩を進めると、庭のはずれの方から兄の清太郎が片手を上げて挨拶してきた。
今や絶滅寸前の喫煙者の清太郎は、そこでひとりでたばこを吸っているようだ。
ここ何年か疎遠な兄に同じように片手を上げて挨拶を返し、庭の中心に歩を進める。
ここまで来ると親戚の声も殆ど聞こえない。
冬の澄んだ空気の中、どこまでも遠くが見えそうな蒼穹を切り取るように、煙突がひとつ立っている。
清次郎は煙の一つさえ出ていないその煙突を見上げ、同じようにそれを見上げた白百合に声をかけた。
「なにか、見えるか?」
「上昇気流が、わずかに……」
その静かな声を聞きつつ、清次郎は着慣れない礼服の内ポケットに探るように手を差し入れる。
カサリというかすかな音とともに、指先が紙に触れた。
「あの中に……」
「ん?」
「あの中に、いるのでしょうか」
「……ああ、そうだな」
ふるえる指先が折りたたんだ紙片をつまむ。
神姫譲渡に関する手続き書類。白百合に関するそれを取り出そうとしたその時、白百合がすっと視線を清次郎に戻す。
「一つ、お願いがあります」
清次郎の手に昨夜の傷から痺れが走り、動きが止まる。唇がかろうじて「なんだ?」という形を作った。
「……みなさんに、白百合は感謝していたとお伝え下さい」
「……」
「あの時、泣けなければ、わたしは壊れてしまっていたでしょう……」
清次郎がかたまった腕をなんとか引き出そうと力を込めた時、反対側の肩から、優しく、悲しく、厳かな声が聞こえた。
「《闇よりも昏き黒》《黒蓮》ロータスの名にかけて、《天使の指》白百合の願いは必ずや果たされよう」
その言葉を聞いて、白百合がかすかに微笑む。
清次郎の腕から力が抜け、その指先は紙片を取り出すことなく、懐から抜け落ちた。
清次郎は煙の一つさえ出ていないその煙突を見上げ、同じようにそれを見上げた白百合に声をかけた。
「なにか、見えるか?」
「上昇気流が、わずかに……」
その静かな声を聞きつつ、清次郎は着慣れない礼服の内ポケットに探るように手を差し入れる。
カサリというかすかな音とともに、指先が紙に触れた。
「あの中に……」
「ん?」
「あの中に、いるのでしょうか」
「……ああ、そうだな」
ふるえる指先が折りたたんだ紙片をつまむ。
神姫譲渡に関する手続き書類。白百合に関するそれを取り出そうとしたその時、白百合がすっと視線を清次郎に戻す。
「一つ、お願いがあります」
清次郎の手に昨夜の傷から痺れが走り、動きが止まる。唇がかろうじて「なんだ?」という形を作った。
「……みなさんに、白百合は感謝していたとお伝え下さい」
「……」
「あの時、泣けなければ、わたしは壊れてしまっていたでしょう……」
清次郎がかたまった腕をなんとか引き出そうと力を込めた時、反対側の肩から、優しく、悲しく、厳かな声が聞こえた。
「《闇よりも昏き黒》《黒蓮》ロータスの名にかけて、《天使の指》白百合の願いは必ずや果たされよう」
その言葉を聞いて、白百合がかすかに微笑む。
清次郎の腕から力が抜け、その指先は紙片を取り出すことなく、懐から抜け落ちた。
白百合が再び煙突を、その先の蒼穹を、見上げ、その頬を一筋の涙が伝う。
そして、白百合は、最後に目を閉じた。