捨てた男と捨てられた女
──狂気、と人は名付けるだろう。ある一人の男は、壊れそうなまでに渇望していた。男は決して、狂っていたわけではない──
生まれは非凡。高ランクの大学の教授として名の知れた父、大手の化粧品メーカーの代表取締役である母。その長男としてこの世に生を受けた男は、何不自由なく、欲しいものをほしいままに手に入れて育った。授業は英才教育、友達も上流階級、使う道具は一級品。そして男自身もまた、それに甘える事無く努力を重ね、本物の秀才となった。高等学校を出る頃には、許嫁もいた。
誰もが、彼はこのままエリート街道を進むものだと信じていた。だが、彼は姿を消した。後に残されていたのは、置き手紙と親と友と将来と名声と許嫁。彼は全てを捨て去り、表社会から消えたのだった。
誰もが、彼はこのままエリート街道を進むものだと信じていた。だが、彼は姿を消した。後に残されていたのは、置き手紙と親と友と将来と名声と許嫁。彼は全てを捨て去り、表社会から消えたのだった。
──前略 私をここまで育ててくれた全てへ。感謝の念を込めてこの言葉を贈ります。さようなら。──
──もしも神がいるのであれば、是非聞きたい。「なぜ私を作った」と──
ハイマニューバ型MMSイーダ。名は無い。必要無い。
降り始めた雨の一滴が、彼女の体を濡らした。しかし、彼女は反応を見せず、鈍い瞳で空を見続ける。今から数分前、彼女は持ち主によって破壊され、ゴミの集積所の頂に放り込まれた。
無くなった四肢は動かしようがなく、残った胴も頭も動かす気はしない。意識だけはしっかりとしているが、それに果たして何の意味があろうか。彼女はひたすら、バッテリーが空になるのを望み続けた。それ以外は何も無かった。
降り始めた雨の一滴が、彼女の体を濡らした。しかし、彼女は反応を見せず、鈍い瞳で空を見続ける。今から数分前、彼女は持ち主によって破壊され、ゴミの集積所の頂に放り込まれた。
無くなった四肢は動かしようがなく、残った胴も頭も動かす気はしない。意識だけはしっかりとしているが、それに果たして何の意味があろうか。彼女はひたすら、バッテリーが空になるのを望み続けた。それ以外は何も無かった。
──神は私を苦しめるために私を生み出したのならば、なんと残酷だろうか。今頃は腹を抱えて笑って見ているのだろうか、私を。それならば、そうならば、そんな神、私がこの手で殺してやる──
ある日のなんでもない、雨模様の空の下。偶然通りかかった捨てた男が捨てられた女を見つけた。女は生きているのか死んでいるのか、四肢のないボロボロの体で、目だけは鈍く真っ直ぐに空を見上げている。
「……おい」
男が女に声を掛けるが、女は反応する素振りすら見せない。壊れているのだろう。雨の降り注ぐ音だけが、二人の周りを忙しなく跳ね回る。
「……」
男は無言で女の頭を掴むと、無理やり自分の方に向けさせた。女の鈍い瞳が微かに収縮し、男の顔に焦点を合わせた。
「死んじゃいないのも、お前に意識があるのも分かってる。聞け」
雨は忙しなく跳ね続け、雨音以外聞き取ることは出来なさそうな中、不思議と男の声はよく通った。耳に心地よい、押さえられたテナーボイス。
「俺はお前に俺の望む未来を見た。お前は、俺に何を望む」
女には男の言うことは理解出来なかった。だが、伝えるべきことは、すぐに閃いた。
「……力、を。破壊の力を……神を殺す、絶対の……」
ノイズの混じる割れたハスキーボイスは、しかし、男の耳に届いた。
──俺の望むものを、お前が与えろ──
──私が望むものを、貴方がくれる──
──私が望むものを、貴方がくれる──
こうして、出会うべきではなかった二人は出会うべくして出会った。与えられた全てを捨てた男、全てであるはずのものに捨てられた女。歪な歯車が、錆付いた音を立てながら力強く回りはじめた。
これは、神を殺すたった二人の悪魔達の物語。その、ほんの僅かな最初の頁。