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キズナのキセキ

ACT1-15「たった一つの真実」




 菜々子が心の準備をするより早く、頼子が扉をノックした。

「どうぞ」

 素っ気ない、聞き覚えのある声。
 忘れるはずもない、その人。
 菜々子が、今一番合わせる顔がない相手。
 頼子がスライド式のドアを開けた。
 覚悟を決める暇もないままに、菜々子は頼子に肩を抱かれ、病室の中へと入ってしまった。

 広いとも狭いとも言えない、病室だった。
 色はなく、殺風景で、ベッドと作り付けの引き出しと、マルチメディア対応の病院用テレビくらいしかない。
 私物のたぐいがまったく見られないことが、ここの患者が入院前にものを持ち込めるほどの余裕がなかったことを証明している。
 棚の上の花瓶に、花が活けてある。
 菜々子はその花束に見覚えがあった。夕方、美緒が抱えていたものだ。
 彼女たちはここにお見舞いにきたのだ。
 この部屋の患者……すなわち、遠野貴樹のところへ。

 菜々子は遠野の顔を見ることが出来なかった。
 どんな顔をして、彼の前に立てばいいのか分からない。
 菜々子はうつむきながら立ち尽くしている。
 ちらりと見えた遠野の顔は、いつものように読めない無表情で、視線はまっすぐに菜々子に向けられていた。

「ごめんなさいね、遅くなってしまって」
「いえ……お願いしたのは俺の方ですから」

 頼子と遠野は何気なく会話しているが、菜々子の心中は穏やかでない。
 心臓の音が耳元で聞こえる。
 これから、何が始まるというのか、菜々子には想像もつかない。不安ばかりが加速してゆく。
 頼子は、ベッドの右脇にある丸椅子に、菜々子を座らせると、

「それじゃ、あとお願いね」

 そう言って、そそくさと病室を出て行った。

「頼子さん……!?」

 菜々子の呼びかけは、閉まった扉にはじかれた。
 もう逃げられない。
 椅子から立ち上がることも出来ず、菜々子は遠野と向き合うしかない。
 しかし、視線を合わせる勇気はない。ただうつむいたまま、遠野の方を向いているだけだ。
 遠野は何も言わない。
 いつもの、まっすぐな視線が送られているのを感じる。
 遠野の視線にさらされ、菜々子は針のむしろに座らされているような気分だった。
 しかし、菜々子は言うべき言葉がない。見つからない。
 好きだと言いながら、神姫をけしかけて命を奪おうとした男性に、どんな言葉で向き合えばいいというのだろう。
 謝罪もいいわけも労りも、すべて嘘に聞こえてしまいそうで、菜々子は口を開くことが出来なかった。

 沈黙が降りた。
 長く、静謐な時間。
 やがて、沈黙に耐えられなくなり、口を開いたのは菜々子の方だった。

「……あきらめるから……」

 心の中から、やっと絞り出した言葉を、唇から必死に押し出すように、言う。

「……ぜんぶ……あきらめるから……武装神姫も、お姉さまも、チームのみんなも……あなたのことも……。
 どんなことをしても、償うから……。
 償いが終わったら……あなたのもとから……消えるから……。
 二度とあなたの前に現れたりしないから……。
 だから……だからせめて……謝ることだけ、許して……」

 心を引き裂きながら、言葉を必死に紡いで、菜々子は懇願する。
 うずくまるように背を丸め、顔を下に向け、もはや菜々子の視界には床しか見えない。
 一瞬の沈黙。
 そして。

「だめだ」

 菜々子の背が、びくり、と震えた。
 否定の言葉に、正気さえ砕けそうになる。
 遠野が固い口調で続けた。

「あきらめるために俺に謝ると言うなら、許さない。なぜなら……」

 なぜなら。

「俺はまだ、何一つあきらめてなんかいないからだ」

 その言葉の意味を、菜々子はすぐに理解できなかった。
 心に染み込んできた言葉を、ゆっくりと反芻する。
 そして、意味するところをようやく理解し、菜々子はゆっくりと顔を上げた。
 目の前に、遠野がいる。
 身体を起こし、ベッドの上に座っている。上半身は真新しい包帯で覆われており、ケガの重さを物語る。同様に、左手は白い包帯が巻かれ、一回り以上大きくなっていた。
 痛々しい姿。
 しかし、表情はあくまでもいつものように読めない無表情で、ただまっすぐな視線が菜々子を見ていた。
 菜々子はひるむ。

「で、でも……わたしには……そうするしか……」
「俺が聞きたいのは、そんなことじゃない。君は、本当は、どうしたいんだ」
「……でも……」
「どうしたいんだ!?」

 菜々子は、本心を言うことは、今の自分にとって罪だと思っている。
 何を言っても信じてもらえない。嘘にしか聞こえない。自分はそれだけのことをしてしまった。
 しかし、まっすぐな視線が、逃げることを許さない。
 あきらめることが逃げだ、とさえ言っているように思える。
 菜々子は答えなくてはならなかった。答える責任があった。
 だが、口にしてしまったら……

「……あきらめ……たく、ない……」

 感情に、押し流されてしまいそうで。

「あきらめたくない……! あきらめたくないよ!!
 だって、お姉さまは、わたしがとっても苦しいときに、手を差し伸べてくれたんだもの!
 そんなお姉さまを一人で追いかけるのは……つらかった、寂しかった!
 寂しさを癒してくれる……心を許せる仲間が……帰る場所が……ずっとずっと、欲しかった! やっと、そんな仲間が出来たと思ってた……。お姉さまのこと、忘れてもいいと思えるくらい大切だった!
 でも、みんなと一緒にお姉さまもいてくれたら、どんなに……どんなに素敵だろうって……思ったの、そう思っただけなの!
 お姉さまも、仲間のみんなも……どっちも大切で、どっちもそばにいて欲しい!
 どっちか片方なんて選べない! 選べないよ!!」

 菜々子は叫びだしていた。
 堰を切った感情が溢れ出すのを止められない。
 本当に本当に、心の奥底でずっと抑えていた気持ちを、吐き出すように、ぶつけるように、口にする。

「わたし、欲張りすぎてる? みんな大事で、みんな大好きで、みんなにそばにいてほしい。それが身の程知らずな望みなの?
 あおいお姉さまも、チームのみんなも、『ポーラスター』のみんなも、遠征で知り合った仲間も、遠野くんも……わたしに仲間をくれた武装神姫も!
 みんなみんな……あきらめたくないっ!!」

 菜々子はいつもそうだった。自分ではどうしようもないところで、ささやかな望みを失ってしまう。
 どんなに強く想っても、あと少しのところで、自分の望みは菜々子の手から滑り落ちてしまう。
 それが悔しくて、情けなくて、悲しくて、苦しくて……。
 だから強くなりたかった。望んだものを手に入れて離さないほどに、強く。
 でも、現実のわたしは弱くて。
 本当は、今も、強くなりたいと願っている。

 菜々子の大きな瞳に、涙がたまっている。
 菜々子の視界がぼやける中、遠野がかすかに動いた。
 大きな手が、菜々子の手をぐい、と握った。

「だったら、あきらめるな!!」

 遠野の激しい叱咤。
 菜々子は目を丸くして驚いた。
 こんなに感情を剥き出しにする遠野を見たのは、ティアとの一件以来かも知れない。
 あきらめたくはない。
 でも、現実がそれを許さないことを、彼は知らないのだ。
 菜々子はまた俯いて、小さな声で告げる。

「無理だよ……。
 わたし、全部なくしちゃったもの……ミスティも……チームのみんなも……。
 『七星』のみんなにだって、もう信じてもらえない……。
 あなただって、傷つけたっていうのに……」

 遠野は眉間にしわを寄せ、表情をさらに険しくした。

「……なるほど、夕方の態度はそういうことか……まったく、何も分かっちゃいないな、あの連中は」
「……なにが?」
「本当に大事なことが、さ」
「ほんとうに、だいじなこと……?」

 遠野は頷いた。そして菜々子をじっと見つめる。いつもよりも強い視線で。
 菜々子はその視線に吸い寄せられるように、瞳を動かすことが出来ない。

「『狂乱の聖女』を倒せるのは、君たち『エトランゼ』しかいないってことだ」
「!?」

 菜々子は驚愕のあまり、言葉を失った。
 何をどう考えたらそういう結論になる!?
 悪い冗談だ。
 しかし、次の瞬間には、思い直す。
 遠野貴樹という人物は、冗談など言わない。出来ることしか言わないのだ。

「今君があきらめたら、誰も『狂乱の聖女』を倒せない」
「そんなはず……わたしはもう、二度も負けてるのよ……?」

 しかも、圧倒的な惨敗だった。
 二度も自分の神姫を失いながら、かすり傷一つ負わせられなかった。
 頼子さんと三冬……『街頭覇王』の方がまだいい勝負をしていた。
 しかし遠野は、視線を逸らさずに、確信に満ちた口調で、言う。

「今までは、そうだ。だけど、これからは違う。
 もし君がまだあきらめずに戦うというのなら……『エトランゼ』の本当の戦い方を教えよう」
「ほんとうの、たたかいかた……?」
「過去の君……『アイスドール』とは違う、『エトランゼ』としての君にしか出来ない戦い方だ。そして、その戦いを通して、すべてを取り戻そう」
「取り戻す、って……」
「君の神姫も、桐島あおいも、チームのみんなの信頼も。『狂乱の聖女』に関わって、時を止めてしまった人々の心のすべてを……取り戻す」

 菜々子は胸の鼓動が再び大きく響くのを感じている。
 あまりに鼓動が大きくて、遠野に聞こえてしまうのではないか、と思うほど。
 期待? 不安? いやちがう。
 希望だ。
 これ以上はない、大きな希望が目の前ある。それがかえって恐ろしい。
 差し伸べられた手を、掴んでもいいのか。
 差し伸べられた手は、引っ込められてしまうのではないか、それともすぐに離されてしまうのではないか。
 菜々子は希望の裏にはらむ絶望に恐れを抱く。

「……どうやって?」
「ごめん、それは言えない」
「どうして……?」
「言えない理由があるんだ。
 俺を信じて欲しい。菜々子さんが俺を信じてくれるなら……俺はすべてを賭けて君を守る。最後まで一緒に戦うと約束するよ」
「……あなたを傷つけたわたしを……守ってくれるって……いうの?」

 傷つけたどころか、命を奪おうとした、わたしを。
 かすれた声で言う菜々子の言葉に、遠野は視線を落とす。
 包帯に巻かれた、自分の左手。

「こんな些末なこと、気にしなくていい。そもそも、このケガは俺のせいだろ」
「……どうして……」

 生死の境をさまよい、今ベッドの上にいるのは遠野自身だというのに。
 どうしてそれを些末なこと、なんて言えるの?
 どうして気にしなくていい、なんて言えるの?
 どうして……

「どうして、わたしなんかのために、そんなこと言ってくれるの……?」
「俺が絶望に沈んでいたとき、同じことを言ってくれたのは、君だろう?
 ……それに……」

 遠野は明後日の方向に視線を投げた。

「俺が、君を、あきらめたくない」

 そのとき、遠野がどんな顔をしていたのか、菜々子には見えなかった。
 菜々子の瞳から、もう支えきれなくなった雫が次から次へと溢れ出し、視界を曇らせていたから。
 遠野の右手を両手ですがるように掴んだ。意外にも大きく、いびつな手。皮膚の上にでこぼこがあるのは、彼がかつて自ら壊した痕跡だ。
 遠野は、ティアのために何もしてやれない自分の無力さを呪い、自ら右手を壊してしまったことがある。
 そう、遠野貴樹は、神姫のために、血を流すことさえ厭わない人だ。
 その彼が、自分を守ると言ってくれている。
 もう決して逃れることが出来ないと思っていた絶望の中、菜々子が今手にしている温もりだけは、確かな希望だった。

 菜々子は大きな声で泣いた。
 ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返し言いながら、すがった手に額をこすりつけながら、泣き続けた。

 わたしはみんなが思っているほど強くない。
 みんなが言うような、素敵な女の子じゃない。
 ただ、背伸びしていただけ。お姉さまの真似をしていただけ。
 本当は、意地っ張りで負けず嫌いで嫉妬深くて、そのくせ些細なことにも戸惑い、迷ってしまう、ちっぽけな人間。
 でも、そんなわたしでも、どうしても譲れないものがある。あきらめられないものがあるから。
 だから、ごめんなさい。
 もう一度だけ、わがままを許して。

 涙が滝のように流れ落ち、菜々子の心に溜まった暗い澱を押し流してゆく。
 そして菜々子の心に残ったものは、彼女にとってたった一つの真実。
 あきらめない意志、だった。



 菜々子さんの号泣を受け止めながら、俺は虚空を睨んだ。
 かがんだ彼女の背中のその向こう、部屋の壁に敵の姿を幻視する。
 その姿は、ウェーブの髪を持つ美しい女性、ではなかった。
 思い浮かぶ敵の影に向かって、俺は心の中で呟く。
 分かっているぞ。
 貴様こそが、本当の敵。
 俺は貴様を許さない。
 菜々子さんを絶望に陥れたこと、ティアを泣かせたこと、ミスティを傷つけたこと、仲間に疑心を与えたこと。貴様が俺たちにしたことのすべてを許さない。
 見せてやる、俺たちの戦い方を。
 『エトランゼ』としての戦いは、まだ始まってさえいないことを、思い知らせてやる。



「……泣いちゃった」

 瞳に涙を残したまま、菜々子は弱々しく微笑んだ。
 遠野は軽く頷いた。
 心なしか、厳しい表情を緩め、菜々子を見つめている。
 遠野はいつも厳しい表情、厳しい口調だ。でも、そこには相手が一番望んでいることを成し遂げようとする強い優しさがある。
 彼のまっすぐな視線は、それを貫こうとする意志の現れだ。
 だから、どんなに突拍子のないことでも、彼の言葉は信じられる。
 だが、それでも、菜々子は問わずにはいられない。

「でも……ほんとうに……取り戻せるの?」
「俺が信じられない?」
「ううん……だけど……わたしはどうやって戦えばいいのか……神姫もいないのに」
「そうか……ならばまず、そこからだな」

 遠野はなぜか、枕に視線を投げて、こう言った。

「二人とも、出てきていいぞ」

 すると、まるで隠れていた妖精が、ひょっこり顔を出すみたいに。
 枕の下から、神姫が二人出てきた。
 一人は遠野の神姫・ティア。そしてもう一人は……

「ミスティ……!」

 菜々子が見間違えるはずもない。大破したはずの自分の神姫がそこにいた。
 ミスティは、口をへの字にして、両手を腰に当て、菜々子を睨んでいる。
 深いため息を一つつくと、彼女らしい気位の高い口調で、言った。

「もう……タカキが言いたいこと全部言ってくれちゃったから、わたしからは一つだけ、言わせてもらうわ」

 ミスティは菜々子をひた、と見据える。

「覚えておいて。
 どんなことがあっても、わたしのマスターは、ナナコだけなんだからね。
 タカキでも、ヨリコでも、他の誰でもなく、あなただけなんだから。
 わかった?」
「うん……」

 菜々子は頷いた。
 頷く以外に、一体何をすればいいだろう。
 何をすれば、愛する神姫に報いることができるだろう。
 菜々子はミスティをそっと抱き上げると、まだ濡れた頬に寄せた。

「うん、うん……ごめん。ごめんね、ミスティ……」

 もう涙は出尽くしたと思っていたのに。
 菜々子の頬はまた涙で濡れてしまう。
 小さく震える手の中にいたミスティは、一言、

「わかればいいのよ」

 ちょっと居丈高な口調の中には、安堵と優しさが隠れていた。



 菜々子の涙がようやく収まった頃。
 扉からノックの音が響いた。

「そろそろいいかしら? もう夜も遅いから、帰らないと」

 なんともいいタイミングで頼子が病室に入ってきた。
 ずっと外で待っていたのだろうか。もしかして、今の話をすべて聞いていたのだろうか。
 そう考えると、菜々子は少し恥ずかしくなる。
 だが、頼子はそんな素振りはおくびにも出さず、菜々子を優しく促した。
 菜々子は立ち上がる。頼子はそっと寄り添うと、菜々子の肩を優しく抱いて、病室を歩き出す。
 菜々子の歩調はこの部屋に来る前のような頼りないものではなくなっていた。
 一歩一歩、ゆっくりだが確実にしっかりと歩む。
 出口の手前で、菜々子はもう一度、ベッドの方を振り向いた。
 枕元で、ティアが微笑みながら手を振っている。
 遠野は、いつものように真面目くさった顔をして、菜々子たちの様子を見つめていた。

「貴樹くん、ありがとう……」

 思わず口にした、感謝の言葉。
 すると、遠野は優しく微笑みながら、小さく頷いていた。
 菜々子の胸が一瞬どきり、と鳴る。
 こんな時だというのに。
 遠野はあんなに素敵な笑顔を見せる人だっただろうか。
 場違いな考えに首を振っている間に、菜々子の背後で扉が閉じた。



「もう……マスターはかっこつけすぎです」
「……そうか、な……」

 息を荒くつきながら言っても、説得力がありません、マスター。
 菜々子さんが出て行った後、しばらくして、マスターは緊張の糸が切れたのか、ベッドに倒れ込んだ。
 それも当たり前だと思う。
 マスターは手術したばかりのけが人なんだから。
 それなのに、来客のたびになんでもないような振りをして、お見舞いに来た人たちに応対した。
 最後には、菜々子さんの前であんな大見得切って見せたりして……。

「マスターはもう少し、自分の身体を労ってもいいと思いますっ」

 わたしはちょっと拗ねるように言った。
 だって、わたしはマスターが一番心配なんですから。
 なのにマスターは、何でもないことのように、言う。

「すまんな……ちょっと自分を省みる余裕がなかったんだ」
「もう……」

 仕方のない人。
 わたしはマスターの頭が乗っている枕の上に腰掛ける。
 マスターが無事でいてくれて嬉しい。
 まだマスターの身体がどうなってしまうのか、不安は尽きないけれど、でも、マスターが生きていてくれたことだけでも、今のわたしにはたまらなく嬉しいことだった。
 でも、気になったことが一つある。

「マスター」
「なんだ?」
「マスターが、自分の身体を気にしている余裕がないって……それは、菜々子さんを元気づけることですか?」

 マスターは少し考えてから、こう言った。

「それもある。……というか、すべては一つの大きな目的のためだ」
「……それは……」
「『狂乱の聖女』を倒す」

 わたしは目を見開いていた。
 マスターが菜々子さんに言っていたことは、本気だった。
 マスターは出来ないことは言わない。それはわたしが一番よく知っている。
 でも、相手はあの、化け物のような神姫。
 ファーストランカーの三冬さんさえ歯が立たず、ライトニング・アクセルさえ破って見せた、あのマグダレーナだというのに。

「で、でも、そんな奇跡みたいなこと……」
「何を言っている。俺にできることなんて、当たり前のことを積み重ねていくことだけだろ」

 マスターの口調はいつもとかわらない。自分がしていることに特別なことなんてない、と。
 それでもこの人は、マグダレーナを倒すことができると思っている……いいえ、確信している。

「まあ、なんにしても……すべては明日からだ、ティア……」

 そう言った後、いくらもしないうちに、マスターは規則正しい寝息を立て始めた。
 おやすみなさい、マスター。
 わたしも今日はマスターの隣で眠りにつく。

 でも、翌日にマスターは何も出来なかった。
 なぜなら翌日の月曜日にマスターが目覚めることはなく、次にマスターが起きたのは火曜日の昼近くだったから。
 マスターには想定外の出来事だったらしく、珍しいことにとてもあわてていた。










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