七話 『すべて俺の責任』
正直なところ、竹さんをどうしたものか、俺にはサッパリ分からなかった。
自意識過剰を疑う余地もないくらい、竹さんが友情以上の感情を持って俺に接しているのは明らかだ。ならば姫乃という彼女がいる俺として取るべき行動は決まっているはずだが、竹さんから動いてくれないことには、俺から先に断りを入れるわけにはいかない。
これが高校生とかなら下駄箱にラブレターが入っていて、呼び出された場所に行かなければそれで済む話なんだろうが、まさか二十歳を過ぎた大学生にもなってそんな初々しい手段を取ってくれるわけもなく、今日、二人っきりになることで告白されやしないかと戦々恐々としているわけだ。
いや、ここ数日の竹さんの胸の柔らかさ……じゃなくて過剰なくらいの接近を考えると、今日という日がXデーになることはもはや確信すら持って想像できた。
「流されちゃダメですよマスター! 鉄子さんのためにも、ここはズバッと切らなきゃいけないところです!」
胸ポケットから顔を出したエルはやけに鼻息を荒くしている。俺の胸をペシペシと叩いて、心なし楽しそうに見える。
「ちょっとでいいからそのテンションを分けて欲しいぜ。そんなに俺の悩む姿が面白いか」
「そんなにヒネないでくださいよ。私自慢のマスターがモテモテなんですから嬉しくもなっちゃいます」
「モテモテ……ねぇ」
そんな言葉で自分を表現される日が来ようとは夢にも思わなかった。ラブコメ系の漫画を読んでヒロインに囲まれる主人公を不思議がったり羨ましがったりするのは誰しもが通る道だと思うけど、その主人公が朴念仁であることが多い理由が今分かった。姫乃と竹さん(あとエルも一応)だけでこれだけ悩むのなら、5,6人に囲まれでもしたら頭が爆発するわ。
いや、そこまでモテると思うほど自惚れてるわけじゃないけど。
「でもそんなに悩むことはないと思いますけど。親友のままでいよう、って言えば鉄子さんならすんなり引いてくれそうな気がします」
「だろうけどさ、やっぱ言い辛さってもんがあるわけよコレが。同じ弓道部だからってわけじゃないけど、竹さんとはずっと友人でいたいぜ? でもこの前後ろから抱きつかれた時に思い出したんだよ」
「何をですか?」
「小学校の時にバスケクラブに入ってたんだけどさ、先輩に竹さんがいたような気がするんだよ」
「そうなんですか! 昔の知り合いと大学で再会するなんてすごいです、世界って狭いです!」
「さすがにハッキリとは覚えてないから、たぶんだけどな」
「大学入試の日に出会ってからもう2年以上たつんですよね。今になってよく思い出せましたね」
「その先輩がさ、後ろからいきなり抱きついてくる子だったんだよ。クラブのコーチが指導者失格って感じでさ、そいつから先輩を守ったことがあったんだけど、それ以来辺り構わず抱きついてくるようになってさ。記憶が確かなら俺が引っ越すまで続いたなあ」
「なるほど、マスターは可愛い顔をしていた頃から既に女性の胸の感触を覚えていたわけですね」
「違う! 人をおっぱい魔人みたく言うな! いや正直、その頃はさすがに幼かったしドギマギして、すぐ腕を振りほどいて逃げてたぜ。だから感触を楽しむ余裕もなかったってか、そもそも小学校中学年くらいだったし、感触が分かるくらいの胸なんてなかったと思うぞ」
「はてはて、姫乃さんの胸でもご満悦できるマスターの言葉とは思えません」
「うははははっ! 言うようになったなぁエル? 俺はいいけど姫乃の前で言うなよ、マジで粉々にされるぞ」
「でもそんなに今からのデートが嫌なら――」
「デートとか言うな」
「お出かけが嫌なら仮病を使うなりしてキャンセルすればよかったじゃないですか。貞方さんが言うみたいに別の日にみんなで行けば約束破りにはならないわけですし」
それも当然考えた。わざわざ飛んで火に入る夏の虫のような真似をしなくても、逃げてしまうって選択肢もあったんだ。問題の先送りにしかならなくても、考える時間は作れる。
「けどさ、それって卑怯な気がするんだよ。聖者を気取りたいわけじゃないけど、【こういうこと】はやっぱ真向勝負じゃないと駄目かなって」
「マスターは馬鹿正直すぎます。いくら友人の鉄子さんとはいえ、相手はマスターと私と姫乃さんの間に割り込もうとするお邪魔虫なんですからね」
今さりげなく四角関係にしたなエルは。
姫乃といえば、竹さんと二人っきりになってしまうのは姫乃のせいでもある。何故竹さんと二人で行ってこい、だなんて言ったのかを一昨日問い詰めたが 「友達なんだから気にすること、ない、と思うよ。それとも弧域くん……鉄ちゃんのこと、気に、なるの?」 と返され、強引にはぐらかされた感じだった。
もう姫乃は俺に飽きていて、俺が他の誰とくっつこうと気にしないんじゃ……といった心配はもうお互いにしなくなっていた。エルが俺のもとに来た前後くらいは度々疑心暗鬼になったりして、その度にぶつかってきた俺達だったが、長く付き合っていればお互いの良いも悪いも混ざり合って落ち着くものだ。そういった意味では姫乃の今回の言動には説明がつく。
だが、姫乃はあくまで嫉妬深い。お互いの良いも悪いも混ざり合って、それでも色濃く残ってしまうほど、いっそ病的とすら言い表してもいいくらいだ。その姫乃が、竹さんは俺だけじゃなく姫乃の友人でもあるとはいえ、【俺と姫乃以外の女性】を笑顔で送り出すなんてあり得るか?
それがあり得てしまったんだ。だから腑に落ちない。
約束の午前11時。
待ち合わせ場所の駅の改札前に、竹さんはもう来ていた。色柄こそ違え、いつもと変わらないTシャツにジーンズとトートバッグ。ただ、どこか遠くをぼうっと見て立ち尽くす竹さんは、改札を通る人々が動き続ける中で一人、停止した時間の中にいるようだった。
「なんて言いますか……昨日からずっとあそこでマスターを待ってたような雰囲気ですね」
「…………」
「マスターのためを思って言いますから変に誤解しないでくださいね――あの人は 【危うい人】 です。それも姫乃さんとはベクトルが真逆の」
「……それでも、あいつは俺の友達なんだぜ」
意を決して竹さんに近づいた。相手がどんな思惑があれど、一緒に遊ぼうと誘われれば、一緒に楽しく遊ぶのが友達ってもんだろ。
竹さんにいつものノリに乗ってもらうために、ウザいくらい元気よく声をかけた。
「ボーンゴレビアンコォ! ヘイ竹さん、待たせたな!」
俺の声に一瞬ビクッ! と体を縮こまらせた竹さんは、恐る恐るこちらを向いた。落ち窪んだ目は喜怒哀楽のすべてが入り混ざったように淀んでいた。
自意識過剰を疑う余地もないくらい、竹さんが友情以上の感情を持って俺に接しているのは明らかだ。ならば姫乃という彼女がいる俺として取るべき行動は決まっているはずだが、竹さんから動いてくれないことには、俺から先に断りを入れるわけにはいかない。
これが高校生とかなら下駄箱にラブレターが入っていて、呼び出された場所に行かなければそれで済む話なんだろうが、まさか二十歳を過ぎた大学生にもなってそんな初々しい手段を取ってくれるわけもなく、今日、二人っきりになることで告白されやしないかと戦々恐々としているわけだ。
いや、ここ数日の竹さんの胸の柔らかさ……じゃなくて過剰なくらいの接近を考えると、今日という日がXデーになることはもはや確信すら持って想像できた。
「流されちゃダメですよマスター! 鉄子さんのためにも、ここはズバッと切らなきゃいけないところです!」
胸ポケットから顔を出したエルはやけに鼻息を荒くしている。俺の胸をペシペシと叩いて、心なし楽しそうに見える。
「ちょっとでいいからそのテンションを分けて欲しいぜ。そんなに俺の悩む姿が面白いか」
「そんなにヒネないでくださいよ。私自慢のマスターがモテモテなんですから嬉しくもなっちゃいます」
「モテモテ……ねぇ」
そんな言葉で自分を表現される日が来ようとは夢にも思わなかった。ラブコメ系の漫画を読んでヒロインに囲まれる主人公を不思議がったり羨ましがったりするのは誰しもが通る道だと思うけど、その主人公が朴念仁であることが多い理由が今分かった。姫乃と竹さん(あとエルも一応)だけでこれだけ悩むのなら、5,6人に囲まれでもしたら頭が爆発するわ。
いや、そこまでモテると思うほど自惚れてるわけじゃないけど。
「でもそんなに悩むことはないと思いますけど。親友のままでいよう、って言えば鉄子さんならすんなり引いてくれそうな気がします」
「だろうけどさ、やっぱ言い辛さってもんがあるわけよコレが。同じ弓道部だからってわけじゃないけど、竹さんとはずっと友人でいたいぜ? でもこの前後ろから抱きつかれた時に思い出したんだよ」
「何をですか?」
「小学校の時にバスケクラブに入ってたんだけどさ、先輩に竹さんがいたような気がするんだよ」
「そうなんですか! 昔の知り合いと大学で再会するなんてすごいです、世界って狭いです!」
「さすがにハッキリとは覚えてないから、たぶんだけどな」
「大学入試の日に出会ってからもう2年以上たつんですよね。今になってよく思い出せましたね」
「その先輩がさ、後ろからいきなり抱きついてくる子だったんだよ。クラブのコーチが指導者失格って感じでさ、そいつから先輩を守ったことがあったんだけど、それ以来辺り構わず抱きついてくるようになってさ。記憶が確かなら俺が引っ越すまで続いたなあ」
「なるほど、マスターは可愛い顔をしていた頃から既に女性の胸の感触を覚えていたわけですね」
「違う! 人をおっぱい魔人みたく言うな! いや正直、その頃はさすがに幼かったしドギマギして、すぐ腕を振りほどいて逃げてたぜ。だから感触を楽しむ余裕もなかったってか、そもそも小学校中学年くらいだったし、感触が分かるくらいの胸なんてなかったと思うぞ」
「はてはて、姫乃さんの胸でもご満悦できるマスターの言葉とは思えません」
「うははははっ! 言うようになったなぁエル? 俺はいいけど姫乃の前で言うなよ、マジで粉々にされるぞ」
「でもそんなに今からのデートが嫌なら――」
「デートとか言うな」
「お出かけが嫌なら仮病を使うなりしてキャンセルすればよかったじゃないですか。貞方さんが言うみたいに別の日にみんなで行けば約束破りにはならないわけですし」
それも当然考えた。わざわざ飛んで火に入る夏の虫のような真似をしなくても、逃げてしまうって選択肢もあったんだ。問題の先送りにしかならなくても、考える時間は作れる。
「けどさ、それって卑怯な気がするんだよ。聖者を気取りたいわけじゃないけど、【こういうこと】はやっぱ真向勝負じゃないと駄目かなって」
「マスターは馬鹿正直すぎます。いくら友人の鉄子さんとはいえ、相手はマスターと私と姫乃さんの間に割り込もうとするお邪魔虫なんですからね」
今さりげなく四角関係にしたなエルは。
姫乃といえば、竹さんと二人っきりになってしまうのは姫乃のせいでもある。何故竹さんと二人で行ってこい、だなんて言ったのかを一昨日問い詰めたが 「友達なんだから気にすること、ない、と思うよ。それとも弧域くん……鉄ちゃんのこと、気に、なるの?」 と返され、強引にはぐらかされた感じだった。
もう姫乃は俺に飽きていて、俺が他の誰とくっつこうと気にしないんじゃ……といった心配はもうお互いにしなくなっていた。エルが俺のもとに来た前後くらいは度々疑心暗鬼になったりして、その度にぶつかってきた俺達だったが、長く付き合っていればお互いの良いも悪いも混ざり合って落ち着くものだ。そういった意味では姫乃の今回の言動には説明がつく。
だが、姫乃はあくまで嫉妬深い。お互いの良いも悪いも混ざり合って、それでも色濃く残ってしまうほど、いっそ病的とすら言い表してもいいくらいだ。その姫乃が、竹さんは俺だけじゃなく姫乃の友人でもあるとはいえ、【俺と姫乃以外の女性】を笑顔で送り出すなんてあり得るか?
それがあり得てしまったんだ。だから腑に落ちない。
約束の午前11時。
待ち合わせ場所の駅の改札前に、竹さんはもう来ていた。色柄こそ違え、いつもと変わらないTシャツにジーンズとトートバッグ。ただ、どこか遠くをぼうっと見て立ち尽くす竹さんは、改札を通る人々が動き続ける中で一人、停止した時間の中にいるようだった。
「なんて言いますか……昨日からずっとあそこでマスターを待ってたような雰囲気ですね」
「…………」
「マスターのためを思って言いますから変に誤解しないでくださいね――あの人は 【危うい人】 です。それも姫乃さんとはベクトルが真逆の」
「……それでも、あいつは俺の友達なんだぜ」
意を決して竹さんに近づいた。相手がどんな思惑があれど、一緒に遊ぼうと誘われれば、一緒に楽しく遊ぶのが友達ってもんだろ。
竹さんにいつものノリに乗ってもらうために、ウザいくらい元気よく声をかけた。
「ボーンゴレビアンコォ! ヘイ竹さん、待たせたな!」
俺の声に一瞬ビクッ! と体を縮こまらせた竹さんは、恐る恐るこちらを向いた。落ち窪んだ目は喜怒哀楽のすべてが入り混ざったように淀んでいた。
俺は神姫センターを、些細な諍いこそあれ、神姫と生活を共にするオーナー達の交流の場だと思っていた。犬に散歩をさせる飼い主達が道端で気軽に挨拶をするように、お互いの神姫を自慢し合い、剣を交えて交流を深めていくものだと信じていた。
俺の隣で【いつものように振る舞おうと無理をしている】竹さんはそんなオーナーの典型的な例だ。いや、少し前、ここに来た時までは、そうだった。神姫センターに入れば必ず数人に挑戦を申し出られ、負かした相手と快活に笑い合い、この神姫センターに出入りする客の半数は竹さんの知り合いだった。
シャツの裾が引かれ、そこを見ると竹さんが裾を掴んでいた。無意識なのだろう、視線は俺ではなく神姫センターのフロアを彷徨している。エルもコタマもこの居心地の悪い雰囲気を察したのだろう、口をつぐんでいる。
帰ろう、と俺が言う前に竹さんは俺のシャツから手を離し、バトルスペースのある2階への階段へ向かっていった。俺も慌てて後を追った。
俺の隣で【いつものように振る舞おうと無理をしている】竹さんはそんなオーナーの典型的な例だ。いや、少し前、ここに来た時までは、そうだった。神姫センターに入れば必ず数人に挑戦を申し出られ、負かした相手と快活に笑い合い、この神姫センターに出入りする客の半数は竹さんの知り合いだった。
シャツの裾が引かれ、そこを見ると竹さんが裾を掴んでいた。無意識なのだろう、視線は俺ではなく神姫センターのフロアを彷徨している。エルもコタマもこの居心地の悪い雰囲気を察したのだろう、口をつぐんでいる。
帰ろう、と俺が言う前に竹さんは俺のシャツから手を離し、バトルスペースのある2階への階段へ向かっていった。俺も慌てて後を追った。
2階ではいつものようにそれぞれの筐体でバトルが行われていて、フロアにいる連中は誰もがどれかしらのバトルを観戦していた。だが、俺と竹さんを見つけるや、バトルに夢中になっていた熱心な表情は冷え込み、筐体に投げていた視線とは真逆のものを俺達……いや、竹さんに寄越していた。
何故かは知らない。ただ、あまりに酷いと思った。まだ神姫センターに足を踏み入れて一分と過ぎていない俺がたった一つ分かったことが、竹さんの顔見知りだったこいつらが全員、敵になっていたことだったからだ。
1階でも2階でも、俺達は無神経な視線に囲まれていた。コソコソと何かを言っている奴もいた。奴らの側にいる神姫達は皆、睨みつけるコタマとエルから顔を背けている。
神姫センターがこんな状況になった理由はすぐに分かった。高校生くらいだろうか、まだ人生経験に乏しく幼さが抜け切っていないような少年二人組のうちメガネをかけた方が、俺達から3メートルは離れたところから、突然、竹さんを詰問し始めた。
「マナーに違反してませんか、謝罪するべきじゃないですか、前回チャンプに謝罪すべきじゃないですか」
あたかも六法全書を音読しているような、自分の言葉の正当性に微塵も疑いを持っていない言い方だった。こういった手合いはよく知っている。己の正義感を振りかざすことに酔い、だがそれを相手の目前で行う勇気を持っていないことに気付いていない。手の届かないところから一方的に不当性を通告し、自分が確かに正義を執行したことを証明しようとするのだ。
「バトル中に抜け出すのはマナー違反じゃないんですか。チャンプにちゃんと謝ったんですか。謝罪もせずにここに来るのはおかしいんじゃないですか」
正義に燃えているらしいメガネ君は鼻息荒く興奮するも、あくまで俺達との距離を詰めようとはしなかった。そして俺の方には努めて目を向けようとせず、攻撃の対象は今にも泣きそうな顔をした竹さんに絞られていた。
俺が一歩竹さんの前に出ると、メガネ君とその隣の特徴の無い少年は驚くべき瞬発力で周囲の連中を押し退けて逃げた。そしてたっぷり10メートルは離れたところから、竹さんへの攻撃を再開した。
「バトルが強いからってマナー違反が許されるんですか! 負けたほうの気持ちを考えたことはないんですか!」
呆れた正義もあったものだ。小学生の 「先生に言いつけるぞ」 レベルのまま高校生になりでもしたら、あのメガネ君のような人間になるのだろうか。
週刊少年ジャンプでも読んで、正義を振りかざすのなら相応の勇気と知力がなければ危険であることを知って欲しかったが、これが小学生ならいざ知らず、高校生ともなれば手遅れだろうと諦めた俺は、あのメガネ君を蹴り殺すことに決めた。
さらに一歩前へ出ようとすると 「ヘイ弧域よォ」 コタマが俺の肩に飛び乗ってきた。
「知らなかったぜ、オマエにもそんな顔ができるんだな。少し見直したぜ」
真っ先にキレそうなコタマは普段となんら変わることなく、むしろこの状況を喜んでいるようでさえいた。いや、違うな。コタマは、少なくとも俺の前では初めて、本気になったんだ。
「今すぐあのメガネを頭蓋骨ごと粉砕しろって言いたいとこだけどよ、人間様がそれをやると色々面倒臭ぇだろ? だったらここはアタシに任せとけよ。つーかオマエ、鉄子の敵はアタシの獲物だっつーの。横取りは許さねえぜ?」
肩から飛び降りたコタマは真っ直ぐ二人組へと歩き出した。修道服を身につけず見た目は普通のハーモニーグレイスだったが、その存在感は15cm程度の人形のそれとは思えなかった。誰もが小さなドールマスターに道を開けた。誰もがコタマの強さ以上のものを知っていた。
メガネ君達二人はコタマからも逃げようとした。しかし狭くはないとはいえ筐体が数台あるくらいのフロアに、彼らの脆弱な正義が発揮できるに十分な逃げ場所なんてあるはずもなく、筐体をバリケードにしてフロアの端へ逃げようとした。
コタマの背後に回りこむように走った彼らは、今度は俺の方に近づいていることに気付いたらしい。俺とコタマの手が数メートル伸びるとでも思っているのか、十分離れているにもかかわらず勝手に身動きが取れなくなっていた。周りの連中は静観している。
「オイオイそりゃもしかして逃げてんのか? アタシはてっきりカバディでもやってんのかと思ったぜ。集合しろクソ共が、こんなに離れてちゃオマエのご高説が聞こえやしないぜ」
俺は動かなかったがコタマはゆっくりと距離を縮め、メガネ君達の逃げ場を少しずつ削っていった。
メガネ君はもう何も言わず、ただひたすら恐怖しているだけだった。今までは幸運にもこんな危ない場面に遭遇せずに済んでいたのだろう。だが今日が運の尽きだったってわけだ、可哀想に。
もう片方の特徴の無い少年は、メガネ君よりも少しだけ強い勇気を持っていたのか、突然コタマの方へツカツカと歩き出した。
「おっ?」
これはコタマにとっても意外だったのか、楽しそうに口角を釣り上げて足を止めた。
ぎこちない歩き方でコタマの目前に立った少年は片足を上げ、勢い良く下ろした。
何故かは知らない。ただ、あまりに酷いと思った。まだ神姫センターに足を踏み入れて一分と過ぎていない俺がたった一つ分かったことが、竹さんの顔見知りだったこいつらが全員、敵になっていたことだったからだ。
1階でも2階でも、俺達は無神経な視線に囲まれていた。コソコソと何かを言っている奴もいた。奴らの側にいる神姫達は皆、睨みつけるコタマとエルから顔を背けている。
神姫センターがこんな状況になった理由はすぐに分かった。高校生くらいだろうか、まだ人生経験に乏しく幼さが抜け切っていないような少年二人組のうちメガネをかけた方が、俺達から3メートルは離れたところから、突然、竹さんを詰問し始めた。
「マナーに違反してませんか、謝罪するべきじゃないですか、前回チャンプに謝罪すべきじゃないですか」
あたかも六法全書を音読しているような、自分の言葉の正当性に微塵も疑いを持っていない言い方だった。こういった手合いはよく知っている。己の正義感を振りかざすことに酔い、だがそれを相手の目前で行う勇気を持っていないことに気付いていない。手の届かないところから一方的に不当性を通告し、自分が確かに正義を執行したことを証明しようとするのだ。
「バトル中に抜け出すのはマナー違反じゃないんですか。チャンプにちゃんと謝ったんですか。謝罪もせずにここに来るのはおかしいんじゃないですか」
正義に燃えているらしいメガネ君は鼻息荒く興奮するも、あくまで俺達との距離を詰めようとはしなかった。そして俺の方には努めて目を向けようとせず、攻撃の対象は今にも泣きそうな顔をした竹さんに絞られていた。
俺が一歩竹さんの前に出ると、メガネ君とその隣の特徴の無い少年は驚くべき瞬発力で周囲の連中を押し退けて逃げた。そしてたっぷり10メートルは離れたところから、竹さんへの攻撃を再開した。
「バトルが強いからってマナー違反が許されるんですか! 負けたほうの気持ちを考えたことはないんですか!」
呆れた正義もあったものだ。小学生の 「先生に言いつけるぞ」 レベルのまま高校生になりでもしたら、あのメガネ君のような人間になるのだろうか。
週刊少年ジャンプでも読んで、正義を振りかざすのなら相応の勇気と知力がなければ危険であることを知って欲しかったが、これが小学生ならいざ知らず、高校生ともなれば手遅れだろうと諦めた俺は、あのメガネ君を蹴り殺すことに決めた。
さらに一歩前へ出ようとすると 「ヘイ弧域よォ」 コタマが俺の肩に飛び乗ってきた。
「知らなかったぜ、オマエにもそんな顔ができるんだな。少し見直したぜ」
真っ先にキレそうなコタマは普段となんら変わることなく、むしろこの状況を喜んでいるようでさえいた。いや、違うな。コタマは、少なくとも俺の前では初めて、本気になったんだ。
「今すぐあのメガネを頭蓋骨ごと粉砕しろって言いたいとこだけどよ、人間様がそれをやると色々面倒臭ぇだろ? だったらここはアタシに任せとけよ。つーかオマエ、鉄子の敵はアタシの獲物だっつーの。横取りは許さねえぜ?」
肩から飛び降りたコタマは真っ直ぐ二人組へと歩き出した。修道服を身につけず見た目は普通のハーモニーグレイスだったが、その存在感は15cm程度の人形のそれとは思えなかった。誰もが小さなドールマスターに道を開けた。誰もがコタマの強さ以上のものを知っていた。
メガネ君達二人はコタマからも逃げようとした。しかし狭くはないとはいえ筐体が数台あるくらいのフロアに、彼らの脆弱な正義が発揮できるに十分な逃げ場所なんてあるはずもなく、筐体をバリケードにしてフロアの端へ逃げようとした。
コタマの背後に回りこむように走った彼らは、今度は俺の方に近づいていることに気付いたらしい。俺とコタマの手が数メートル伸びるとでも思っているのか、十分離れているにもかかわらず勝手に身動きが取れなくなっていた。周りの連中は静観している。
「オイオイそりゃもしかして逃げてんのか? アタシはてっきりカバディでもやってんのかと思ったぜ。集合しろクソ共が、こんなに離れてちゃオマエのご高説が聞こえやしないぜ」
俺は動かなかったがコタマはゆっくりと距離を縮め、メガネ君達の逃げ場を少しずつ削っていった。
メガネ君はもう何も言わず、ただひたすら恐怖しているだけだった。今までは幸運にもこんな危ない場面に遭遇せずに済んでいたのだろう。だが今日が運の尽きだったってわけだ、可哀想に。
もう片方の特徴の無い少年は、メガネ君よりも少しだけ強い勇気を持っていたのか、突然コタマの方へツカツカと歩き出した。
「おっ?」
これはコタマにとっても意外だったのか、楽しそうに口角を釣り上げて足を止めた。
ぎこちない歩き方でコタマの目前に立った少年は片足を上げ、勢い良く下ろした。
グシャッ、とコタマを踏み潰した。
少年が再び上げた足の下には、ハーモニーグレイスの色をした物があった。でもそれはヒトの形をしていなかった。
少年がもう一度上げた足を下ろす前に、周りの奴らが少年を取り押さえた。それに構わず、俺は少年の元へ走り、取り押さえる手から引き剥がすように蹴り飛ばした。そうすると俺にも制止の手が伸びた。
足元のコタマの頭は割れていた。中の電子部品が露出している。
竹さんがフラフラと歩み寄ってきて、倒れ込むようにコタマに顔を近づけた。
「コタマ? ねえコタマ? 起きとるんやろ、嘘なんやろ、ねえってば」
誰の目にも、コタマが返事などできるはずがないことは明らかだった。
竹さんの震える声があまりに痛々しくて、耳を塞ぎたかった。
「どうしたんよ、返事してよ。ねえ、ねえ、ねえねえねえねえ」
多くの神姫達がコタマの側に駆け寄ってきたが、誰も手を出せずにいた。どうすることもできないことは、コタマと同じ武装神姫の彼女達が一番良く分かっていた。
「ねえコタマってば。早く起きてよ。ほら……早く……っ」
見ていられなかった。どう声をかけていいか分からず、コタマに話しかけ続ける竹さんの肩に手を置いた。
それをきっかけに、竹さんは崩れた。
「いやああああああああああああああああああああああああっ!!」
慟哭を聞かされるだけでも、俺にとっては地獄だった。竹さんの声が胸を抉るようだった。絶望の深さは想像もつかない。
「コタマっ! コタマァっ! やだ、死んじゃやだあああっ!」
頭を抱えて髪を振り乱す竹さんを抱きしめるように抑えようとしたが、力尽くで振りほどかれた。
エルがいつの間にか床に降りてコタマの側にいた。
「マスター! コタマ姉さんを回収しますから鉄子さんを!」
「竹さん! 落ち着いてくれっ!」
無理だとしても、落ち着いてもらうしかなかった。エルがコタマの崩れた身体を集める間、コタマのほうに伸びる竹さんの手を遮るのは心苦しいなんてものじゃなかった。
「うっ、うぐっ……!」
竹さんが胃の中のものを吐き出し、吐瀉物が肩にかかった。すべてを吐き出す前に唐突に竹さんの体からフッと力が抜け、なんとか落とさずに支えることができた。
口の中に残ったものをすべて吐き出させたところでようやく、神姫センターのスタッフが駆けつけてきた。
野次馬だらけのあたりを見回したが、あの二人はフロアから姿を消していた。
少年がもう一度上げた足を下ろす前に、周りの奴らが少年を取り押さえた。それに構わず、俺は少年の元へ走り、取り押さえる手から引き剥がすように蹴り飛ばした。そうすると俺にも制止の手が伸びた。
足元のコタマの頭は割れていた。中の電子部品が露出している。
竹さんがフラフラと歩み寄ってきて、倒れ込むようにコタマに顔を近づけた。
「コタマ? ねえコタマ? 起きとるんやろ、嘘なんやろ、ねえってば」
誰の目にも、コタマが返事などできるはずがないことは明らかだった。
竹さんの震える声があまりに痛々しくて、耳を塞ぎたかった。
「どうしたんよ、返事してよ。ねえ、ねえ、ねえねえねえねえ」
多くの神姫達がコタマの側に駆け寄ってきたが、誰も手を出せずにいた。どうすることもできないことは、コタマと同じ武装神姫の彼女達が一番良く分かっていた。
「ねえコタマってば。早く起きてよ。ほら……早く……っ」
見ていられなかった。どう声をかけていいか分からず、コタマに話しかけ続ける竹さんの肩に手を置いた。
それをきっかけに、竹さんは崩れた。
「いやああああああああああああああああああああああああっ!!」
慟哭を聞かされるだけでも、俺にとっては地獄だった。竹さんの声が胸を抉るようだった。絶望の深さは想像もつかない。
「コタマっ! コタマァっ! やだ、死んじゃやだあああっ!」
頭を抱えて髪を振り乱す竹さんを抱きしめるように抑えようとしたが、力尽くで振りほどかれた。
エルがいつの間にか床に降りてコタマの側にいた。
「マスター! コタマ姉さんを回収しますから鉄子さんを!」
「竹さん! 落ち着いてくれっ!」
無理だとしても、落ち着いてもらうしかなかった。エルがコタマの崩れた身体を集める間、コタマのほうに伸びる竹さんの手を遮るのは心苦しいなんてものじゃなかった。
「うっ、うぐっ……!」
竹さんが胃の中のものを吐き出し、吐瀉物が肩にかかった。すべてを吐き出す前に唐突に竹さんの体からフッと力が抜け、なんとか落とさずに支えることができた。
口の中に残ったものをすべて吐き出させたところでようやく、神姫センターのスタッフが駆けつけてきた。
野次馬だらけのあたりを見回したが、あの二人はフロアから姿を消していた。