第一話 衝撃
彼女らの姿をはじめて目にしたのは一体いつの事だったか。記憶はおぼろげで、ピントのずれた写真のように全く見えてこない。というのも、それだけ彼女らが生活の中に溶け込んでいるからだろう。
テレビのCMで、店頭のショーウィンドーで、アミューズメントセンターで、彼女らはいつでも愛想を振りまいている。それゆえに今では誰もがその存在を知っているわけで、それは生まれて初めて犬を見たのはいつか、と聞かれても答えられないのと同じ。毎日のように見ていたからこそ、記憶はあやふやになってしまうのも仕方がない。
そうして、誰かの所有物である彼女らを眺めていたのだけれど、別段欲しがることはなかった。もちろんそこには価格や複雑な専門用語など敷居を高くする原因があったのも大きな理由なのだが、端的に言ってしまえば興味が湧かなかったのだ。遊び道具なら他にも多くあったし、周りにも特に興味を持っている友達もいなかったからだ。
そんなわけで、中学校に上がったあの日まで彼女らに触れずに生きてきたので、その出会いはとても印象深いものとなった。
ユウリ……今クレイドルでスリープ状態にある彼女を見るといつだって思い出せる。一つのものにここまで集中できている要因である、あの日の出会いを――。
*
「へぇー、沙彩ちゃんも家こっちなんだ。もしかしたら今まですれ違ったことあったかもしれないね」
「うん、あったかもね。大通り挟んでほぼ真向いだし」
「あの大通りで小学校別れてたんだよね。私、あそこ通れたらそっちの学校の方が近かったもん」
四月。よく晴れた日の正午近く。女子中学生が二人、穏やかな春の陽を浴びながら歩いていた。中学生、とはいってもその制服は真新しく、服に着せられている感じが見て取れる。
それもそのはず、今日は入学式。二人はたった数時間前に中学生になったばかりなのだ。
式の後、教室で出席番号順に席に着いた時、隣同士になったのがきっかけで途中まで一緒に下校しよう、と言う話になったのだがまさかご近所さんだったとは思いも寄らなかった。
「これからは一緒に学校行ったりできるねー…あ、もしかしていつも一緒とか嫌かな?」
「ううん、そんなことないよ。私も楽しみ」
柔らかく微笑んでそう言ったのは、河岸塚沙彩。サラサラときめ細かい黒髪を肩口で切りそろえた、色白の小柄な少女だ。見た目からして大人しそうで、声量も大きくない彼女は草食系の小動物を思い起こさせる。そして、もう一人は仲井美紀。少し長めの髪を後ろで一つに束ね、沙彩とは対称的に小麦色の日焼け肌が健康的で、快活な少女。釣り目気味の目元や栗色の髪から狐のような印象を受ける少女だ。
気のあった二人はその後も談笑しつつ帰り道をゆっくりと進んでいた。
学校からほぼ一直線に続いている住宅街を通る道から、二人の家が向かい合っている大通りへ曲がる。今歩いている側の歩道には美紀の家があり、反対側に沙彩の家が建っている。
美紀の家の側は学校から続いている住宅地が広がっていて家屋がパズルゲームのように少しでも隙間を埋めようと所狭しと並んでいる。一方沙彩の家の側は民家は少なく、その先には駅へと続く商店街が伸びている。土地柄か、人も車もさほど多いわけではなく、平日の昼間ということもあって閑散とした雰囲気が漂っていた。
数歩先の横断歩道で別れることになるだろうと、沙彩が右側前方に視線を移したときだった。車が行き交う大通りの真ん中に何か動くものが見えた。とても小さく、虫かと思ったそれは、よくよく見てみるとなんと、人の形をして二足で立っているではないか。
「あ、あれ何だろう?」
沙彩が指差した先に美紀が振り向くと、目を見開いて驚いた声を上げた。
「神姫……!神姫だよ、あれ!」
「シンキ?」
「武装神姫の神姫だって!大変だ、あのままじゃひかれちゃうかも!」
うろたえる美紀から道路の方へ目を戻すと、虫に見えた人形……武装神姫はまだ中央線のあたりをうろうろとしている。明らかに危なっかしく、確かにこのままだと時速60キロで走っている車に潰されてしまうかもしれない。人形とはいえ、そんな光景を見るのは決して気分のいいものではない。
見渡せば、今の時間そんなに交通量は多くない。車の流れの隙間を狙えば助けることも出来るだろう。ごくり、と喉を鳴らした沙彩はためらうのも一瞬、キリッと前を見据えた。
「私、助けてくる!」
「え、ちょっと沙彩ちゃん?」
自分の運動能力がさほど高くないことを承知している沙彩ではあったが、だからといって危機に直面しているあの人形を無視することはできなかった。
すばやく左右を確認して道路に一歩踏み出す。足をつけた瞬間、自然と体は前へと進んでいった。まだ新品の制服のプリーツが乱れるのもお構い無しに駆けていく。その大通りは片側二車線であり、中央線まではそんなに距離もない。数階跳ねれば届く距離だ。
「おいで!」
手を広げ、呼びかけてみると人形は足を止めてこちらを振り返った。すると、人形は即座に逆を向き、向こう側の歩道へと走り出した。「え?」と、沙彩は戸惑い、足が止まってしまった。なぜ?と考えた頭がブレーキをかけてしまったのだった。
「危ない、沙彩ちゃん!」
肩をつかまれたかと思うと、引きずられるように道路の残りを駆け終わっていた。背後で抗議のクラクションが何度か鳴っていた。
心臓がバクバクと高鳴っている。突然走ったからか、自分でも大胆なことをしたと今更になって意識したからか。肩で息をしていると、横に美紀が並んだ。仁王立ちになって腕を組んだ彼女は重いため息をついた。
「もう、いきなり飛び出して、しかも途中で止まっちゃうんだもん。見ててハラハラしちゃった」
「ご、ごめんね……」
「まぁ神姫を助けたいって気持ちはわかるし、私も飛び出しそうだったけど……あれ?あの神姫はどこいったの?」
そうだ。助けようとしたら、走っていってしまったあの神姫。
一体どこに、と見回してみるとあの小さな姿はどこにもなく、熱くなった頭から段々と血が下りていくのを感じた。
「どっか行っちゃったみたい……だね」
「何なの、あれ。困ってるのかと思えば、普通に動いてたし。変な神姫」
美紀がそうつぶやくと、どうにも今の行動がただの徒労であったように思えて、沙彩は肩を落とした。入学式で少し気分が高揚していたのもあるが、積極的に動いた結果がこれでは力を失くしても仕方あるまい。中学校生活のスタートで初っ端からケチが付いてしまったと思ってしまう。
ふと、目を凝らすと足元の黒いアスファルトの上に何かキラッと光るものを見つけた。何だろう、と拾ってみてみるとそれは半円を描いた大き目のカチューシャのような、サンバイザーのような形をした小さな物体だった。
白くて軽いそれはどうやらプラスチック製のようで日にかざして見てみても何なのか判別が付かなかった。
「なんだろ、これ。美紀ちゃん、わかる?」
「何それ?うーんと……あ、これアーンヴァル型のバイザーだ」
白い物体を手渡された美紀はすぐにその物体が何かを言い当てた。
「ホント?すごい、詳しいんだね美紀ちゃん」
「いやー、うちのお兄ちゃんが持ってるんだよ。時々一緒に遊ぶから知ってるんだ。あ、これもしかしてさっきの神姫が落として行ったパーツじゃない?」
「あ、そうかも。だったら届けてあげないと……でもどこ行ったかわからないし、どうしよう」
改めて回りを見回してもあの神姫の影も形もなく、どうしたものかとまた途方に暮れかけた時、美紀が商店街の方へ歩き出し、途中でしゃがみこんだ。
「どうしたの美紀ちゃん?」
「ほら、見てこれ。これもアーンヴァルのパーツだよ」
美紀が手にしていたのは三角形のパーツで、腕に装着するアーマーパーツだという。こんなにパーツを落としていくだなんて慌ててでもいたのか。しかし、これはいい発見だ。どうやら商店街の方へは行ったのは確実。だが、果たして商店街に入ったのかどうかもわからない上に、商店街のどこに行ったかもわからない。
それに犬や猫よりも小さい人形を見つけようなどと、砂場でゴマの一粒を見つけろといってるような、なんとも無謀な話だろう。
「どうする?たぶん預かってもらえないだろうけど交番行く?」
確かに、交番に行った所で玩具の小さなパーツなんて保管してはくれないだろう。それに、そもそもそんな物の保管を頼みに行くのが億劫だ。しかしだからと言ってこのまま持ち帰る事も出来ない。
どうしたものだろうか、頭を悩ませていると美紀がポンッと手を叩いた。
「そうだ、神姫センターに持っていこう」
「神姫センター?」
「うん、そこなら預かってくれると思うし、もしかしたらあの神姫に会えるかもしれないよ」
ナイスアイデア、とばかりに美紀は商店街へと入っていった。行き先はわからないが、沙彩も慌ててその後に続いた。
*
神姫センター、とはその名の通り神姫のための施設だ。規模は場所によって大小様々だが、武装神姫が広く普及した現在、大抵の繁華街やショッピングモール、地域の商店街などには一店は確実に存在している。
神姫本体や武装パーツ、周辺機器の販売のみ扱っているところもあれば、修理を受け付けるサポートセンターや神姫同士を戦わせるバトル用のドームを何台も設置している大型店までピンキリだ。とはいっても大型店なんてものは全国でも数箇所にしかないのだが。
この街にある神姫センターは小型の店舗で、関連商品の販売とバトル用ドームを二台設置してある。元々は模型店だったようで、店の各所には神姫とは関係のないプラモデルが棚に積み上げられていた。
「へぇ、ここがセンターなんだ」
沙彩は初めて入るセンターに目を奪われ、右へ左へと首を向けていた。以前に外から見たことはあったが、店頭のショーウィンドーしか見ていなかった。中は想像以上に綺麗にまとまっていて、商店というよりゲームセンターのような様相だ。それでいて騒がしくもなく、いい印象を持てた。
「とりあえずお店の人にこれ渡そうか」
そう言って美紀は店の奥、ドームのスペースへ行った。そこにはドームの調整をしているのか、一人の若い男が何やら跪いてパネルを弄っている。Yシャツにスラックス、そして青いエプロンという格好はいかにも店員の姿だった。
向こうも近づいてくるこちらに気が付いたらしく、作業を中断して笑顔で振り返った。メガネをかけた面長のヒョロリと背の高い男だった。
「いらっしゃいませ。バトルですか?ちょっと今こちらの台は点検中でして、あちらの台なら使用できますよ」
「ああ、いえ。そうじゃなくて実はこれを……」
美紀が拾ったパーツを差し出したとき、目の前のドーム内で白い鳥か何かが羽ばたいた。
箱型で周りを強化ガラスで囲ったドームはほぼ立方体で、高さは約3メートルほどもある。各所に遮蔽物が設置されていて、天板のあたりには空を模したホログラムが投影されており、簡素な戦場となっていた。
そのドーム内の空を白い何かが飛び回っている。一瞬鳥に見えたのは、それには大きな翼が装着されていたからだ。しかし滑空し、上昇と下降を繰り返して、中空で静止したあと、背部から巨大な砲を取り出した時にはもうそれが神姫であることは明白だった。
長い金髪をなびかせ、険しい目で砲を構えたその神姫は人形であるにも関わらず、まるで沙彩たちと同年代のようなあどけなさを持ちながら、ホログラムの青と同じく透き通った瞳も凛々しく前を見据えていた。
「綺麗……」
沙彩がそうつぶやくと、面長の店員は恥かしそうに頭をかいて「いやぁ~」と気の抜けた声を出した。
「その子は僕の私物でして、ドームの点検に付き合ってもらってるんですけど。ほめて貰えるとうれしいなぁ」
先ほどまでのにこやかな営業用スマイルはどこへやら、デレデレと緩みきった笑顔の店員を尻目に、沙彩は白い神姫を見つめていた。間接部に目をやれば確かにそれは人形なのだが、その表情は生気を感じさせるほど繊細な物だった。
ドームの点検をしているとのことだったが、果たしてあの神姫は何をやるのだろうか。見つめていると、沙彩は中にいる彼女と目が合った。だが、青い瞳は沙彩ではなく、店員を見たのだった。巨砲を構えた神姫はチラッとこちらを見たあと、再び厳しい目を前に向け、体を前傾姿勢に身構えた。
巨砲に光が収束していくのも一瞬、次の瞬間には白い光が轟音を立てて砲口から一直線に迸った。
その光は暫くの間、棒状に伸びたまま発光し続け、低音を響かせていたが、その後空中に吸い込まれていったかのように消えていった。
まるでアニメか何かの1シーンを見ていたかのような気分で後ろに振り返った沙彩は言葉も出ずに中の神姫を指差した。呆然と口を開きかけたままで、今起こったことを問うこともできなかった。
「はは、最初は驚きますよね。あのレーザー砲は迫力あるからなぁ」
店員の男は戸惑う沙彩をなだめるように言った。隣の美紀も「すごいなぁ、やっぱり」と慣れた風の様子だった。武装神姫とはみんな、あんなに迫力のある武器を使って戦っているのだろうか。何だか、恐ろしいものを目にしてしまった気がして沙彩はますますドームに浮いている神姫に目が釘付けになってしまった。
「でもあれ、神姫の武装の中でもレギュレーションギリギリの部類ですよね。あれがあるからこそ、アーンヴァルっていうか……」
「そうですね。アーンヴァルは初期型の神姫ですし、だからか威力の限界に挑戦してみたようなんですよ。今でもあれ以上の出力を持った武装は出てませんし」
「そ、そうなんですか?」
あれが特別、と聞くと安心できるが、同時にそれだけあのレーザー砲と言う物が他の武装とは一線を画しているということだ。恐れ半分、感心半分といった気持ちでいると、飛んでいた神姫――これがアーンヴァルというらしい――がこちらに近づき、強化ガラスをノックした。
「OK、ミーシャ。出てきてくれ」
《了解、マスター》
はじめて口を利いたアーンヴァルは底面へと下降し、ドームの出口へと向かって行った。
小さい体のその神姫は、つい今あの強烈な光を放つ武器を扱っていたとはとても思えず、沙彩はその背中を見つめ、ただただ高鳴る胸を抑えることしか出来なかった。
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