人が他者と交わるために作り上げたコミニュケーションツール、言語・言葉。それは高度な知能を持つ生物……人間にのみ許された、一種の特権といえるかもしれない。
そして高度な知性を与えられ、人と交わるために、言語を理解する事を許された存在……それが神姫。
そして高度な知性を与えられ、人と交わるために、言語を理解する事を許された存在……それが神姫。
「ならば、汝ネメシスに命じます。このわたくしのメイドとなり、僕として仕えなさい。そしてメイドの何たるかを学び、汝の主人に対して永遠の忠節を尽くすのです」
だが、理解し得ない言葉――いや、理解したくもない言葉というものがこの世にあるのだという事を、私は今痛感している。
~ネメシスの憂鬱・ファイルⅩⅦ~
「な、何だその命令はっ! それにそもそも、我々神姫は……」
「お黙り」
私は反論しようと声を荒げるが、それよりも早く、よく透き通った、だが威圧感を覚える鈴乃嬢の一言が、ピシャリとその場の空気を支配する。
「貴方は先刻、生殺与奪の権利は私の手中にあると仰いましたわね。……それに、先刻の誓い」
「う……それは、確かに……」
そうなのだが、しかしこんな命令など……
「貴方は敗者なのです。ならば潔く敗戦の失敗の責任を取るというのが、せめてもの誠意なのではなくて?」
「……それは……」
ぐうの音もなく、同じ言葉を繰り返すことしか出来ない。
「うふふ、いい顔ねぇ。疲労と屈辱と敗北感の、絶妙な調合具合が最高よ、貴方」
口の端を歪な三日月のように釣り上げ、禍々しい嗜虐的な笑みを浮かべる鈴乃嬢。獲物を甚振って楽しむ悪魔のようだ。私はその言葉の暴力に、沈黙によって耐えるしか対抗の術を持たない。ぐっと奥歯を噛み締めるが、口の中に精神と肉体双方からくる、敗北感の苦い味が広がっていく。
「あらあら、可愛いお顔が台無しの表情ね。そんなお顔をなさらなくても宜しいですのに、この私が飽きるまでの辛抱ですわ」
だ、誰のせいでこんな事態になったのだと! 指先が掌に食い込み、表皮が軽く破れ、潤滑油が滲み出すほどに拳を握り締める。――耐えろ、耐えるんだ。でなければ私だけでなく、アキラまでが……!
「――――それで、具体的に、何をしろ……と」
フーっと大きな息を吐いてから、せめて鈴乃を睨み付けるように視線を向け、問いただす。
「そうね…………別に?」
「っ!?なっ!?ぅぁ!?」
アレだけの事を言っておいて、そんな適当なっ!
「あらあら、そんなに狼狽してしまって可哀想な子ね。――冗談よ?」
「くぅ…………っ」
鈴乃が何か言う都度、その言葉の痛みに耐えかね、AIがオーバーフローを起こしそうな程の衝撃を受ける。
「まずは貴方には、アガサの補助として就いてもらいましょう。宜しいですわね?」
「り……了解した」
「あらあら、早速なってないわ。そこは『畏まりました、ご主人様ぁ』と、可愛く言って頂かないと困りますわね」
澄ました笑みのまま、最初の難題を突きつけてくる鈴乃嬢。
「…………か」
「お声が小さくて、聞こえませんわね。それでは困りますわ……。そうね、アキ……」
「――畏まりました、ご主人様っ♪」
以前アキラが観ていた、砂を吐くほど甘ったるいアニメのように、精一杯甘い猫なで声を作って、羞恥心を捨て去り、叫ぶ。無理やり作った笑顔がビキビキと引きつり、顔の神経が悲鳴をあげているが、もう諦めるしかない。
「ううん……いまいちねぇ、60点って所かしら。もっと甘えた中にも凛々しさを保ってほしいものですね」
こ……コイツは…………!
「まぁ宜しくてよ。出来の悪い子ほど、調教のしがい……もとい、可愛いとよく仰いますものね」
極めて不穏な単語が聞こえたのだが、聞かなかった事にしたい。いや、そうしなければならない。毎回このように反応していては、それこそ彼女の思う壺だろう。それに何より、このままでは私の神経が持ちそうにない……
「――あらいけない、もうこんな時間ですのね。とんだ時間潰しをしましたわね。
わたくしは所用があるのでいったん失礼しますわ、緋夜子は同行なさい」
「えぇ~、私も同行しないといけませんの?お姉様と一緒が……」
「……アガサ?」
「え、ちょっとお姉さ……まっ!?」
緋夜子がほんの少し不満な態度を示した直後、一瞬のうちにアガサが彼女の後ろに回り込んでいた。次の瞬間、不本意ながらも見事な放物線を描く緋夜子の姿が。そして吸い込まれるかのように鳥篭の中に放り込まれ、比喩ではなく本当に鳥篭の中の小鳥になってしまった。
「あとは任せましたわよ、アガサ」
「……畏まりました、お嬢様」
慇懃に一礼を施すアガサに、本物の小鳥のようにピーピーと鳴く緋夜子の入った鳥篭をひょいと持ち上げて部屋を出て行く鈴乃嬢。悪意と嘲笑に満ちたサイクロンが通り過ぎた後には、一転して怖いくらいの静寂さが広がる。
「――――さて。ネメシスさん、此方へ」
「あ……嗚呼」
アガサはくるりと流れるような動作で此方へ振り向き、鋭利そうな表情の端に柔らかな微笑を湛えた彼女が、私の手を取ったかと思うと、次の瞬間にはそうするのが当たり前だと言わんばかりの自然な動作で私を抱き上げ、私は理解する暇も与えられないうちに、所謂お姫様抱っこと呼ばれる体勢で抱き抱えられる事になっていた。
「なっ、何をするメイドっ!?」
「いきます」
そして彼女は踵から羽ばたく様に光の翼を翻すと、そのまま高くジャンプして、まるでおとぎ話にある颯爽とした王子様のように、私を何処かへと連れ去ってしまっていたのであった。
「お黙り」
私は反論しようと声を荒げるが、それよりも早く、よく透き通った、だが威圧感を覚える鈴乃嬢の一言が、ピシャリとその場の空気を支配する。
「貴方は先刻、生殺与奪の権利は私の手中にあると仰いましたわね。……それに、先刻の誓い」
「う……それは、確かに……」
そうなのだが、しかしこんな命令など……
「貴方は敗者なのです。ならば潔く敗戦の失敗の責任を取るというのが、せめてもの誠意なのではなくて?」
「……それは……」
ぐうの音もなく、同じ言葉を繰り返すことしか出来ない。
「うふふ、いい顔ねぇ。疲労と屈辱と敗北感の、絶妙な調合具合が最高よ、貴方」
口の端を歪な三日月のように釣り上げ、禍々しい嗜虐的な笑みを浮かべる鈴乃嬢。獲物を甚振って楽しむ悪魔のようだ。私はその言葉の暴力に、沈黙によって耐えるしか対抗の術を持たない。ぐっと奥歯を噛み締めるが、口の中に精神と肉体双方からくる、敗北感の苦い味が広がっていく。
「あらあら、可愛いお顔が台無しの表情ね。そんなお顔をなさらなくても宜しいですのに、この私が飽きるまでの辛抱ですわ」
だ、誰のせいでこんな事態になったのだと! 指先が掌に食い込み、表皮が軽く破れ、潤滑油が滲み出すほどに拳を握り締める。――耐えろ、耐えるんだ。でなければ私だけでなく、アキラまでが……!
「――――それで、具体的に、何をしろ……と」
フーっと大きな息を吐いてから、せめて鈴乃を睨み付けるように視線を向け、問いただす。
「そうね…………別に?」
「っ!?なっ!?ぅぁ!?」
アレだけの事を言っておいて、そんな適当なっ!
「あらあら、そんなに狼狽してしまって可哀想な子ね。――冗談よ?」
「くぅ…………っ」
鈴乃が何か言う都度、その言葉の痛みに耐えかね、AIがオーバーフローを起こしそうな程の衝撃を受ける。
「まずは貴方には、アガサの補助として就いてもらいましょう。宜しいですわね?」
「り……了解した」
「あらあら、早速なってないわ。そこは『畏まりました、ご主人様ぁ』と、可愛く言って頂かないと困りますわね」
澄ました笑みのまま、最初の難題を突きつけてくる鈴乃嬢。
「…………か」
「お声が小さくて、聞こえませんわね。それでは困りますわ……。そうね、アキ……」
「――畏まりました、ご主人様っ♪」
以前アキラが観ていた、砂を吐くほど甘ったるいアニメのように、精一杯甘い猫なで声を作って、羞恥心を捨て去り、叫ぶ。無理やり作った笑顔がビキビキと引きつり、顔の神経が悲鳴をあげているが、もう諦めるしかない。
「ううん……いまいちねぇ、60点って所かしら。もっと甘えた中にも凛々しさを保ってほしいものですね」
こ……コイツは…………!
「まぁ宜しくてよ。出来の悪い子ほど、調教のしがい……もとい、可愛いとよく仰いますものね」
極めて不穏な単語が聞こえたのだが、聞かなかった事にしたい。いや、そうしなければならない。毎回このように反応していては、それこそ彼女の思う壺だろう。それに何より、このままでは私の神経が持ちそうにない……
「――あらいけない、もうこんな時間ですのね。とんだ時間潰しをしましたわね。
わたくしは所用があるのでいったん失礼しますわ、緋夜子は同行なさい」
「えぇ~、私も同行しないといけませんの?お姉様と一緒が……」
「……アガサ?」
「え、ちょっとお姉さ……まっ!?」
緋夜子がほんの少し不満な態度を示した直後、一瞬のうちにアガサが彼女の後ろに回り込んでいた。次の瞬間、不本意ながらも見事な放物線を描く緋夜子の姿が。そして吸い込まれるかのように鳥篭の中に放り込まれ、比喩ではなく本当に鳥篭の中の小鳥になってしまった。
「あとは任せましたわよ、アガサ」
「……畏まりました、お嬢様」
慇懃に一礼を施すアガサに、本物の小鳥のようにピーピーと鳴く緋夜子の入った鳥篭をひょいと持ち上げて部屋を出て行く鈴乃嬢。悪意と嘲笑に満ちたサイクロンが通り過ぎた後には、一転して怖いくらいの静寂さが広がる。
「――――さて。ネメシスさん、此方へ」
「あ……嗚呼」
アガサはくるりと流れるような動作で此方へ振り向き、鋭利そうな表情の端に柔らかな微笑を湛えた彼女が、私の手を取ったかと思うと、次の瞬間にはそうするのが当たり前だと言わんばかりの自然な動作で私を抱き上げ、私は理解する暇も与えられないうちに、所謂お姫様抱っこと呼ばれる体勢で抱き抱えられる事になっていた。
「なっ、何をするメイドっ!?」
「いきます」
そして彼女は踵から羽ばたく様に光の翼を翻すと、そのまま高くジャンプして、まるでおとぎ話にある颯爽とした王子様のように、私を何処かへと連れ去ってしまっていたのであった。
『PM4:00 黒姫邸・別室』
「……なぁ」
「なんですか?」
「この格好は……流石にどうかと思うのだが」
そして現在、私は別室の、背丈ほどある(神姫にとっては)大鏡の前で、ダラダラと冷たい汗をかいていた。
「そうですか? 可愛いネメシスさんには大変良くお似合いだと思われますが」
臆面もなく真顔で言い放つアガサ。その表情には邪気や悪鬼という物が少なくとも表面上は不足しており、私を辱めるための発言なのか、それとも本気の発言なのかは、容易に判断しかねた。
今私が身につけているのは、白と黒を基調とした近世西洋における女性の使用人が着用する作業服……その、所謂メイド服という物、――の筈、なのだが……
「いや、だって……これは…………」
自らの視線の先、鏡に映し出されているのは作業用とは程遠い、女性としての性を前面に押し出すように胸元が大きく露出し、スカートは膝上と言うよりも股下何cmと言った方が良いであろう、フレアなデザインの超ミニスカートと、太股まであるリボンのワンポイントがついたニーソックス。更には全身にはドキドキハウリンも真っ青かと思えるほどのフリル装飾があしらわれており、それは甘すぎて砂を吐きそうなほどの少女趣味と、露出趣味的の合わさった、最早メイド服とは呼べない別の『何か』だった。
可愛らしさを最大限に増幅させる衣装ということでは、昼間着させられたボンテージ衣装とは正反対とも言える衣装なのだが、恥ずかしさという一点に置いては同等以上の気恥ずかしさを覚えざるを得ない格好だった。
「せ……せめて其方と同じデザインの服にしてくれっ!」
アガサが身に着けているのは私が着ているメイド服とはほぼ対極とも言える、足首近くまである長い黒の清楚なスカートと、清潔さを感じさせる真っ白なエプロンで構成された、作業着としてのメイド服だった。
「これは大変地味ですので、ネメシスさんには似合わないかと。それに、とても可愛くいらっしゃいますよ。もっと自身を持って大丈夫かと」
「そ、そういう問題じゃ……作業着に派手さや可愛さはいらないだろう。私は地味でいいんだっ!」
半ば叫ぶように言い放つ。すると彼女はすっと私の前に歩み寄り、恥ずかしさのあまり俯いた私の顔を、その細い指先で私の顎を滑らかに上げさせ、その吸い込まれるような翠玉色の瞳でじっと私を見つめてくる。
「ネメシスさん……私たち神姫にも個性と言うものがあります。そう、貴方はもっと可憐に着飾り、その美しさと愛らしさをもっと貴方のご主人様にも見知り、理解してもらうべきですよ。貴方はまだ原石……その美をこれからじっくりと磨いてゆくのです」
そのまま耳元で愛を囁くように言われると、何処か思考の一部に霞がかったような気持ちに陥り、刺々しい反抗の気持ちが一気に丸くなってしまうよう。理性や羞恥心といったものが次々に為りを潜めていくようであった。
「さぁ、これをどうぞ」
更に彼女から手渡されたのは、後部にふわふわとした羽毛製の丸い梵天のついた、木製の細長い人間用耳掻きだった。
「一体これで、私にどうしろと……」
意味がわからない。それとも道具の意味そのままに鈴乃嬢の耳掃除をしろとでも言うのだろうか。
「解りませんか? その梵天で掃き掃除をするのですよ」
アガサは何故そんな事を聞くのだろうと言う表情を浮かべている。その返答に対し、私は更に当惑の度を深めざるを得なかった。
「それが『お約束』というものではないのですか?」
真顔で続ける彼女。彼女もその主人に負けず劣らず、何処か『ズレ』ているようだ……
「私たちの小さな身体では、主人の為に出来ることはたかが知れていると言わざるをえません。だからこそ、主人の求めに最大限に応じ、応える事こそ神姫の勤めなのです」
「……つまりそれが、可愛い服を着て掃除をすると言う事に繋がるのか?」
「はい。お嬢様の求める『萌え』に最大限に奉仕するのが勤めだと。そう信じております」
彼女の真剣は、尚も真剣だった。ただほんのりと頬に朱が混じっているのは、演説の興奮の為か、それとも別の何かの感情の為か。
兎も角、聞いている此方側としては、頭を抱えざるをえない話だった。
「ん……ちょっと待て。それならば、彼女がいない時にこんな格好をして掃除するのは、それこそ無意味じゃないのか」
「全く問題ありません。お嬢様の事でいらっしゃいます、このような『美味しい』状況を見逃すはずはありませんので」
「そ……そうなのか」
その勢いに負けて、思わず納得したような気分に陥ってしまう。私には理解しかねる解答の筈なのだが、その声と表情によって、何処か謎の説得力に溢れていた。
「……最も、別の意味で大きな問題があるかもしれませんが」
最後に溜息を洩らすように零れ落ちた一言は、だが混乱を極める私の頭には入ってきてはいなかった。
「――さぁ、お掃除を始めましょう」
そして次の瞬間には、瀟洒な微笑を浮かべた先ほどまでの表情に戻っており、手を引かれて連れて行かれる私は結局、この場に於いては、何の自由も存在しないのだと、再認識する思いだった。
「なんですか?」
「この格好は……流石にどうかと思うのだが」
そして現在、私は別室の、背丈ほどある(神姫にとっては)大鏡の前で、ダラダラと冷たい汗をかいていた。
「そうですか? 可愛いネメシスさんには大変良くお似合いだと思われますが」
臆面もなく真顔で言い放つアガサ。その表情には邪気や悪鬼という物が少なくとも表面上は不足しており、私を辱めるための発言なのか、それとも本気の発言なのかは、容易に判断しかねた。
今私が身につけているのは、白と黒を基調とした近世西洋における女性の使用人が着用する作業服……その、所謂メイド服という物、――の筈、なのだが……
「いや、だって……これは…………」
自らの視線の先、鏡に映し出されているのは作業用とは程遠い、女性としての性を前面に押し出すように胸元が大きく露出し、スカートは膝上と言うよりも股下何cmと言った方が良いであろう、フレアなデザインの超ミニスカートと、太股まであるリボンのワンポイントがついたニーソックス。更には全身にはドキドキハウリンも真っ青かと思えるほどのフリル装飾があしらわれており、それは甘すぎて砂を吐きそうなほどの少女趣味と、露出趣味的の合わさった、最早メイド服とは呼べない別の『何か』だった。
可愛らしさを最大限に増幅させる衣装ということでは、昼間着させられたボンテージ衣装とは正反対とも言える衣装なのだが、恥ずかしさという一点に置いては同等以上の気恥ずかしさを覚えざるを得ない格好だった。
「せ……せめて其方と同じデザインの服にしてくれっ!」
アガサが身に着けているのは私が着ているメイド服とはほぼ対極とも言える、足首近くまである長い黒の清楚なスカートと、清潔さを感じさせる真っ白なエプロンで構成された、作業着としてのメイド服だった。
「これは大変地味ですので、ネメシスさんには似合わないかと。それに、とても可愛くいらっしゃいますよ。もっと自身を持って大丈夫かと」
「そ、そういう問題じゃ……作業着に派手さや可愛さはいらないだろう。私は地味でいいんだっ!」
半ば叫ぶように言い放つ。すると彼女はすっと私の前に歩み寄り、恥ずかしさのあまり俯いた私の顔を、その細い指先で私の顎を滑らかに上げさせ、その吸い込まれるような翠玉色の瞳でじっと私を見つめてくる。
「ネメシスさん……私たち神姫にも個性と言うものがあります。そう、貴方はもっと可憐に着飾り、その美しさと愛らしさをもっと貴方のご主人様にも見知り、理解してもらうべきですよ。貴方はまだ原石……その美をこれからじっくりと磨いてゆくのです」
そのまま耳元で愛を囁くように言われると、何処か思考の一部に霞がかったような気持ちに陥り、刺々しい反抗の気持ちが一気に丸くなってしまうよう。理性や羞恥心といったものが次々に為りを潜めていくようであった。
「さぁ、これをどうぞ」
更に彼女から手渡されたのは、後部にふわふわとした羽毛製の丸い梵天のついた、木製の細長い人間用耳掻きだった。
「一体これで、私にどうしろと……」
意味がわからない。それとも道具の意味そのままに鈴乃嬢の耳掃除をしろとでも言うのだろうか。
「解りませんか? その梵天で掃き掃除をするのですよ」
アガサは何故そんな事を聞くのだろうと言う表情を浮かべている。その返答に対し、私は更に当惑の度を深めざるを得なかった。
「それが『お約束』というものではないのですか?」
真顔で続ける彼女。彼女もその主人に負けず劣らず、何処か『ズレ』ているようだ……
「私たちの小さな身体では、主人の為に出来ることはたかが知れていると言わざるをえません。だからこそ、主人の求めに最大限に応じ、応える事こそ神姫の勤めなのです」
「……つまりそれが、可愛い服を着て掃除をすると言う事に繋がるのか?」
「はい。お嬢様の求める『萌え』に最大限に奉仕するのが勤めだと。そう信じております」
彼女の真剣は、尚も真剣だった。ただほんのりと頬に朱が混じっているのは、演説の興奮の為か、それとも別の何かの感情の為か。
兎も角、聞いている此方側としては、頭を抱えざるをえない話だった。
「ん……ちょっと待て。それならば、彼女がいない時にこんな格好をして掃除するのは、それこそ無意味じゃないのか」
「全く問題ありません。お嬢様の事でいらっしゃいます、このような『美味しい』状況を見逃すはずはありませんので」
「そ……そうなのか」
その勢いに負けて、思わず納得したような気分に陥ってしまう。私には理解しかねる解答の筈なのだが、その声と表情によって、何処か謎の説得力に溢れていた。
「……最も、別の意味で大きな問題があるかもしれませんが」
最後に溜息を洩らすように零れ落ちた一言は、だが混乱を極める私の頭には入ってきてはいなかった。
「――さぁ、お掃除を始めましょう」
そして次の瞬間には、瀟洒な微笑を浮かべた先ほどまでの表情に戻っており、手を引かれて連れて行かれる私は結局、この場に於いては、何の自由も存在しないのだと、再認識する思いだった。