「どう……なんですか、かすみさん?」
メンテベッドに繋がれたコンピューターを操作する私の耳に、不安そうな慎一君の声が、さっきから断続的に入る。
ネロの状態は、表面上、安定していた。
ただ。
「……まったく、反応がありません。AIの処理がループしているか、あるいはAI自体が反応を拒否しているか……は、わかりませんが」
「そうですか……」
そう答える慎一君の顔は、私を見ていない。ネロを見ている。けど、ここにいるネロじゃなく、動いていた時の彼女を。
「はやて、慎一君を送って行って」
「え、あ、お、おう!」
あんまり、はやてを外へは出したくなかったし、なにより私自身、はやてに傍にいてほしかったのだけれど、今、適任者ははやてしかいない。
ここからの話は、今の慎一君に聞かせられる話じゃない。
二人が部屋から出たのを見届けて。
「……話して、くれますね?」
自分でも、言葉に怒りが乗っているのがわかった。それは、この男に対するものか、気付けなかった自分に対するものか、あるいは、神さまに対するものか。
メンテベッドに繋がれたコンピューターを操作する私の耳に、不安そうな慎一君の声が、さっきから断続的に入る。
ネロの状態は、表面上、安定していた。
ただ。
「……まったく、反応がありません。AIの処理がループしているか、あるいはAI自体が反応を拒否しているか……は、わかりませんが」
「そうですか……」
そう答える慎一君の顔は、私を見ていない。ネロを見ている。けど、ここにいるネロじゃなく、動いていた時の彼女を。
「はやて、慎一君を送って行って」
「え、あ、お、おう!」
あんまり、はやてを外へは出したくなかったし、なにより私自身、はやてに傍にいてほしかったのだけれど、今、適任者ははやてしかいない。
ここからの話は、今の慎一君に聞かせられる話じゃない。
二人が部屋から出たのを見届けて。
「……話して、くれますね?」
自分でも、言葉に怒りが乗っているのがわかった。それは、この男に対するものか、気付けなかった自分に対するものか、あるいは、神さまに対するものか。
帰りたくなかった。ネロのいない家には。
「……んいち、慎一ってば!」
はやての声も、ほとんど耳に入ってない。
僕の足は、ほぼ無意識に、ある場所へ向いていた。
「……んいち、慎一ってば!」
はやての声も、ほとんど耳に入ってない。
僕の足は、ほぼ無意識に、ある場所へ向いていた。
「……君が思ってる通りだよ。彼女は、そこにいる神姫は、もともと僕の神姫さ」
どれほどの沈黙があったか、目の前の男……高明さんは、語り始めた。
「それが、ネロの主人格というわけですね?」
「違法神姫摘発の仕事をしていた時のパートナーで、イヴという名前だった」
口調に、感情は窺えない。
「半年前の事件で、失くしたと聞きましたが?」
「……たしかに失くしたよ。実際彼女は、ネロという神姫として活動していたわけだろう?」
「ではなぜ……、身体だけでもどこかに残っていると知らなかったとでも?」
「知ってたさ。けど、僕のイヴはもういないんだ。いないんだよ……!」
「……忘れたかった?」
高明さんは、微かにうなずいた。
彼女……イヴは、主の命じるまま、多くの神姫を「殺して」きた。自分と同じ、心を持つ神姫を、たくさん。
具体的には、違法な神姫の人格のリセット。その神姫を生まれ変わらせるための。
それは、彼女の心を容赦なく傷つけ、擦り減らした。同様のケースは、ついこの間、修也君のリュミエが経験している。あの野外実験の直後、リュミエのAIには、かなりの負荷がかかっていた。
それを、ずっと、長い間。どこかで、殺しているのは自分ではないと思い込む……「解離」しても、まったく不思議じゃない。
「イヴはそれでも、言わなかったんだよ。そしてあの日……、ついに壊れた」
きっかけは、「人殺し」の言葉。
「……その人が、慎一君のお父さん、と」
「そう」
この事実にも、驚かずにはいられなかったけど。
相手の男の抵抗により、身の危険を感じたその人は、相手を激しく殴打した。その時、すでに確保していた別の男が言った、「人殺し」。
その言葉が、ギリギリの均衡を保っていたイヴの人格を、心を、粉々に砕いた。
人格崩壊。
「……その時知ったよ。僕のやってたことはまったくの偽善だって。悲しい境遇の神姫を生まれ変わらせるために、彼女らを摘発し、その人格を消す……。結果として、一番悲しい境遇にいたのがイヴだと、気付きもしなかった。マスター失格だよ、これじゃ」
……悲しい境遇?
「それで、怖くなってしまった。……イヴを置いて、逃げてしまったんだ」
「……本気で、そう思ってますか?」
「ああ。あの時は、ただ怖くて……」
「違います」
遮った。
「本当に、イヴが悲しい境遇だったと?」
「……そうだね。今だから言えるんだろうけど」
どれほどの沈黙があったか、目の前の男……高明さんは、語り始めた。
「それが、ネロの主人格というわけですね?」
「違法神姫摘発の仕事をしていた時のパートナーで、イヴという名前だった」
口調に、感情は窺えない。
「半年前の事件で、失くしたと聞きましたが?」
「……たしかに失くしたよ。実際彼女は、ネロという神姫として活動していたわけだろう?」
「ではなぜ……、身体だけでもどこかに残っていると知らなかったとでも?」
「知ってたさ。けど、僕のイヴはもういないんだ。いないんだよ……!」
「……忘れたかった?」
高明さんは、微かにうなずいた。
彼女……イヴは、主の命じるまま、多くの神姫を「殺して」きた。自分と同じ、心を持つ神姫を、たくさん。
具体的には、違法な神姫の人格のリセット。その神姫を生まれ変わらせるための。
それは、彼女の心を容赦なく傷つけ、擦り減らした。同様のケースは、ついこの間、修也君のリュミエが経験している。あの野外実験の直後、リュミエのAIには、かなりの負荷がかかっていた。
それを、ずっと、長い間。どこかで、殺しているのは自分ではないと思い込む……「解離」しても、まったく不思議じゃない。
「イヴはそれでも、言わなかったんだよ。そしてあの日……、ついに壊れた」
きっかけは、「人殺し」の言葉。
「……その人が、慎一君のお父さん、と」
「そう」
この事実にも、驚かずにはいられなかったけど。
相手の男の抵抗により、身の危険を感じたその人は、相手を激しく殴打した。その時、すでに確保していた別の男が言った、「人殺し」。
その言葉が、ギリギリの均衡を保っていたイヴの人格を、心を、粉々に砕いた。
人格崩壊。
「……その時知ったよ。僕のやってたことはまったくの偽善だって。悲しい境遇の神姫を生まれ変わらせるために、彼女らを摘発し、その人格を消す……。結果として、一番悲しい境遇にいたのがイヴだと、気付きもしなかった。マスター失格だよ、これじゃ」
……悲しい境遇?
「それで、怖くなってしまった。……イヴを置いて、逃げてしまったんだ」
「……本気で、そう思ってますか?」
「ああ。あの時は、ただ怖くて……」
「違います」
遮った。
「本当に、イヴが悲しい境遇だったと?」
「……そうだね。今だから言えるんだろうけど」
呼び鈴が鳴った。ミナツキに部屋で待ってるよう言って、私は玄関へ向かった。
そこにいたのは、
「し、慎一君? それとあなたは……はやて、ちゃん?」
どこか様子がおかしい。なにより、
「慎一君、ネ」
「修也ぁっ!!」
「……ロ、は」
ネロがいない、そのことに気付いて聞こうとすると、それに被せるように、はやてちゃんが大声で修也さんを呼んだ。
いきなり呼ばれて、修也さんとリュミエは飛び出すように、玄関に出てきた。
「どうした、はやて?」
「研究所に行ってくれ。あたし一人じゃ、本気で怒ったかすみをどうにかできねーから!」
その瞬間、修也さんはそれこそ瞬速で、飛び出して行った。
「あ、あの」
「梓っ!」
「は、はい!」
「……こいつ、頼む。あたしじゃ、どうにもできねー、から……」
慎一君のことだろう、それだけ言うと、はやてちゃんは修也さんの後を追って、行ってしまった。
ただ事じゃない。そう直感した。
慎一君が、泣いていたから。
そこにいたのは、
「し、慎一君? それとあなたは……はやて、ちゃん?」
どこか様子がおかしい。なにより、
「慎一君、ネ」
「修也ぁっ!!」
「……ロ、は」
ネロがいない、そのことに気付いて聞こうとすると、それに被せるように、はやてちゃんが大声で修也さんを呼んだ。
いきなり呼ばれて、修也さんとリュミエは飛び出すように、玄関に出てきた。
「どうした、はやて?」
「研究所に行ってくれ。あたし一人じゃ、本気で怒ったかすみをどうにかできねーから!」
その瞬間、修也さんはそれこそ瞬速で、飛び出して行った。
「あ、あの」
「梓っ!」
「は、はい!」
「……こいつ、頼む。あたしじゃ、どうにもできねー、から……」
慎一君のことだろう、それだけ言うと、はやてちゃんは修也さんの後を追って、行ってしまった。
ただ事じゃない。そう直感した。
慎一君が、泣いていたから。
「ふざけるな!!」
普段の言葉遣いも忘れて、私は叫んだ。
「悲しい境遇……? 冗談もたいがいにして! 何故その子が、イヴが、心を擦り減らして、あなたの命令に従っていたか、どうしてわからないの!?」
いったい何に対する怒りなのか、もう私自身正確に理解できてない。ただ、目の前のこの男に対しては、叫ばずにはいられなかった。
「あなたを好いていたからよ! 心の底から、誰よりも、何よりも……!」
「好いて、た……?」
「たぶん彼女は、神姫を殺す苦しみから逃れる方法を知ってた。心を、感情を消して、ただ機械としてあなたの命令に従えば、苦しまないって」
「……」
「けれど、それは彼女の、あなたとの触れ合いをすべて断ち切るってことになる。そうなれば、あなたも悲しむだろうけど、彼女自身、あなたと気持ちを交わせられないのが、いやだったから」
私の考えでしかない。言うべきじゃない。理性ではそう思っても、止まらない。
「……だから! 彼女は心が壊れていっても、感情を持ったまま、
あなたと過ごすと決めたのよ。どうしてそれがわからないの!?」
止められなかった。
「悲しい境遇なのかもしれない、けど、大事なひととの触れ合いを失うことが、彼女にとっては一番の悲しみだったんじゃないの!?」
「……」
「それに気付いてあげられないのは、彼女に対する最大の侮辱よ!」
どうしても。
「あなたは……!」
「ほら、その辺にしとけ」
ぽん、と、頭の上に手が置かれた。
「修也、君……」
「それだけ言えば、あいつも充分理解しただろ」
……それはそうだろう。でも、私のやり場のない怒りは、収まったわけじゃない。
だから。
「……いきなり出てきて、話の腰を折らないで」
「へーへー」
「だいたい、修也君今までの話聞いてないじゃない! それなのに……!」
結局、その対象は修也君に移る。
最終的には、いつもこうなってしまうのだ。吐き出す場所をくれる、修也君に甘えてしまう。
しばらく、私は修也君を罵り続けた。
普段の言葉遣いも忘れて、私は叫んだ。
「悲しい境遇……? 冗談もたいがいにして! 何故その子が、イヴが、心を擦り減らして、あなたの命令に従っていたか、どうしてわからないの!?」
いったい何に対する怒りなのか、もう私自身正確に理解できてない。ただ、目の前のこの男に対しては、叫ばずにはいられなかった。
「あなたを好いていたからよ! 心の底から、誰よりも、何よりも……!」
「好いて、た……?」
「たぶん彼女は、神姫を殺す苦しみから逃れる方法を知ってた。心を、感情を消して、ただ機械としてあなたの命令に従えば、苦しまないって」
「……」
「けれど、それは彼女の、あなたとの触れ合いをすべて断ち切るってことになる。そうなれば、あなたも悲しむだろうけど、彼女自身、あなたと気持ちを交わせられないのが、いやだったから」
私の考えでしかない。言うべきじゃない。理性ではそう思っても、止まらない。
「……だから! 彼女は心が壊れていっても、感情を持ったまま、
あなたと過ごすと決めたのよ。どうしてそれがわからないの!?」
止められなかった。
「悲しい境遇なのかもしれない、けど、大事なひととの触れ合いを失うことが、彼女にとっては一番の悲しみだったんじゃないの!?」
「……」
「それに気付いてあげられないのは、彼女に対する最大の侮辱よ!」
どうしても。
「あなたは……!」
「ほら、その辺にしとけ」
ぽん、と、頭の上に手が置かれた。
「修也、君……」
「それだけ言えば、あいつも充分理解しただろ」
……それはそうだろう。でも、私のやり場のない怒りは、収まったわけじゃない。
だから。
「……いきなり出てきて、話の腰を折らないで」
「へーへー」
「だいたい、修也君今までの話聞いてないじゃない! それなのに……!」
結局、その対象は修也君に移る。
最終的には、いつもこうなってしまうのだ。吐き出す場所をくれる、修也君に甘えてしまう。
しばらく、私は修也君を罵り続けた。
とりあえず、慎一君を中に入れた。
「……何が、あったの?」
極力、ある単語を口に出さないようにして聞く。気休めにしかならないけど、私自身、口にするのが怖かった。
「ネロ、が、ネロ……がっ……!」
けどそれは、彼自身が破った。
「幻、なんて、思ったから……、いなく、なって……!」
そこから先は、言葉が続かない。慎一君は、ただ泣いていた。
「……何が、あったの?」
極力、ある単語を口に出さないようにして聞く。気休めにしかならないけど、私自身、口にするのが怖かった。
「ネロ、が、ネロ……がっ……!」
けどそれは、彼自身が破った。
「幻、なんて、思ったから……、いなく、なって……!」
そこから先は、言葉が続かない。慎一君は、ただ泣いていた。
心の在処。慎一君にとって、それは紛れもなくネロ。
それが失くなる。私が危惧したことは、余りに早く、起こってしまった。
それが失くなる。私が危惧したことは、余りに早く、起こってしまった。
幻の物語へ