「……じゃあ、ネロっていったい何なんですか?」
「わかりません。……わからない事だらけなんです」
メンテベッドとコンピューターとの接続を切って、かすみさんが答えた。
「正直どうしていいか、私にはまったくわかりません」
それきり、かすみさんは黙り込んでしまう。
「わかりません。……わからない事だらけなんです」
メンテベッドとコンピューターとの接続を切って、かすみさんが答えた。
「正直どうしていいか、私にはまったくわかりません」
それきり、かすみさんは黙り込んでしまう。
「解離性同一性障害……」
どれだけ経ったか、かすみさんがぽつりと言った。
「え、っ?」
「わかりやすく言うと、多重人格です」
……多重人格?
「それって、ネロが?」
「ええ……。彼女は、本来彼女のAIとCSCに宿っていた人格……主人格が、何らかの理由で創った、別の人格の可能性があります」
別の、人格だって?
「どうして……」
「断片的ではあったんですが、彼女の記憶データの中に、いくつかおかしなものがあったんです」
「おかしな、もの?」
「なんて言うか……、上手く言えないんですが、記憶とは言えない、かといってバグでもない、データの欠片、みたいなものです。通常の神姫には、見られないものでした」
そのあたりの難しい話は、僕にはよくわからない。だから、続きを促した。
「その欠片は、経験によるネロの人格形成に、一切の影響を与えていません。かといって、外部から入力されたものでもない。そういうデータでない限り、得た経験はすべて、神姫の人格形成に影響を与えるはずなんです」
「……」
「あくまで可能性のひとつですが、そのデータの欠片が、ネロで無い別の人格……主人格の形成に影響を与えた、と考えると」
少しずつ、かすみさんの言葉の意味が、理解できてきた。
つまり、ネロという神姫は……。
「そうすると、ネロにオーナーがいない理由も、説明がつくんです。だって、ネロの本当の所有者は、恐らくネロではなく、主人格の神姫のオーナーなのだから」
彼女は……。
「……ただ、神姫の人格は消すことができる。不可抗力にしろ故意にしろ、何らかの理由で主人格が消えてしまい、ネロだけが残った……と、考えられるんです」
まるで……。
「幻、みたいなものです。偶然生まれてしまった……」
どれだけ経ったか、かすみさんがぽつりと言った。
「え、っ?」
「わかりやすく言うと、多重人格です」
……多重人格?
「それって、ネロが?」
「ええ……。彼女は、本来彼女のAIとCSCに宿っていた人格……主人格が、何らかの理由で創った、別の人格の可能性があります」
別の、人格だって?
「どうして……」
「断片的ではあったんですが、彼女の記憶データの中に、いくつかおかしなものがあったんです」
「おかしな、もの?」
「なんて言うか……、上手く言えないんですが、記憶とは言えない、かといってバグでもない、データの欠片、みたいなものです。通常の神姫には、見られないものでした」
そのあたりの難しい話は、僕にはよくわからない。だから、続きを促した。
「その欠片は、経験によるネロの人格形成に、一切の影響を与えていません。かといって、外部から入力されたものでもない。そういうデータでない限り、得た経験はすべて、神姫の人格形成に影響を与えるはずなんです」
「……」
「あくまで可能性のひとつですが、そのデータの欠片が、ネロで無い別の人格……主人格の形成に影響を与えた、と考えると」
少しずつ、かすみさんの言葉の意味が、理解できてきた。
つまり、ネロという神姫は……。
「そうすると、ネロにオーナーがいない理由も、説明がつくんです。だって、ネロの本当の所有者は、恐らくネロではなく、主人格の神姫のオーナーなのだから」
彼女は……。
「……ただ、神姫の人格は消すことができる。不可抗力にしろ故意にしろ、何らかの理由で主人格が消えてしまい、ネロだけが残った……と、考えられるんです」
まるで……。
「幻、みたいなものです。偶然生まれてしまった……」
「出かけてる……、はい、そうですか。すみません、失礼します」
慎一君の家に電話したら、出かけてるとのことで。
「ごめんなさい、小林さん。出かけてるみたいです」
「いや、近くにいるってだけで、充分だよ。いつでも連絡できるんだし」
そう言って、小林さんは立ち上がった。研究所へ戻るという。
「僕は基本的に研究所にいるから。またいつでも来てくれればいいよ」
「はい」
「君も早く、友達を安心させておいで」
事ここに至っても、私の嘘に付き合ってくれる小林さんに笑わせてもらって、私は家に向かった。
まずは、ミナツキに謝ろう。
慎一君の家に電話したら、出かけてるとのことで。
「ごめんなさい、小林さん。出かけてるみたいです」
「いや、近くにいるってだけで、充分だよ。いつでも連絡できるんだし」
そう言って、小林さんは立ち上がった。研究所へ戻るという。
「僕は基本的に研究所にいるから。またいつでも来てくれればいいよ」
「はい」
「君も早く、友達を安心させておいで」
事ここに至っても、私の嘘に付き合ってくれる小林さんに笑わせてもらって、私は家に向かった。
まずは、ミナツキに謝ろう。
「……どうすればいいんでしょうか、これから」
また長い沈黙の後、僕はこれしか言えなかった。
ネロにははじめから、オーナーがいない。いたとしても、その人の神姫はネロじゃないし、ネロだって、その人を知ってるわけがない。
ネロ自身、普通の神姫じゃない。
幻という形容が、的を射ていた。
「さっき言いました。私にはどうしていいか、わかりません」
かすみさんが、すぐに返す。
「このままを望むなら、すべてを欺いてでも、このままネロと過ごせばいい。彼女に本当のことを告げるなら、それでもよい。告げて、ネロがどうなるかは、もう私にはわかりませんけど……。いずれにせよ、私が口を挟む問題じゃありません」
「でも」
「あなた次第です。あなたがどうしたいのか」
「でもそれは、ネロの、意思は……」
「……ひどい話ですが、彼女にはもう、選択する余地はないんです」
本当に、ひどい話だと思った。
「……ごめんなさい」
かすみさんが謝った。
「いえ……。少し、考えさせてください」
少しして、かすみさんは秋葉とはやてを連れて、部屋から出た。
また長い沈黙の後、僕はこれしか言えなかった。
ネロにははじめから、オーナーがいない。いたとしても、その人の神姫はネロじゃないし、ネロだって、その人を知ってるわけがない。
ネロ自身、普通の神姫じゃない。
幻という形容が、的を射ていた。
「さっき言いました。私にはどうしていいか、わかりません」
かすみさんが、すぐに返す。
「このままを望むなら、すべてを欺いてでも、このままネロと過ごせばいい。彼女に本当のことを告げるなら、それでもよい。告げて、ネロがどうなるかは、もう私にはわかりませんけど……。いずれにせよ、私が口を挟む問題じゃありません」
「でも」
「あなた次第です。あなたがどうしたいのか」
「でもそれは、ネロの、意思は……」
「……ひどい話ですが、彼女にはもう、選択する余地はないんです」
本当に、ひどい話だと思った。
「……ごめんなさい」
かすみさんが謝った。
「いえ……。少し、考えさせてください」
少しして、かすみさんは秋葉とはやてを連れて、部屋から出た。
ネロと出会ってからのことを、僕は思い出していた。
それまで僕は、他人と積極的に話そうとしなかった。したくなかった。怖かったから。
でも、ネロと出会って、少し、変わった。ネロとなら話せた。ネロを通じて、梓や修也さんと知り合うこともできた。何人かの人には、父のことを打ち明けることもできた。
けどそこで、気付いた。
もし……今となってはありえない話だけど……ネロのオーナーが見つかって、ネロがその人のもとへ戻ったとして。
そうなった時、僕はどうなる?
……考えたくなかった。考えようとしなかった。
この時点で、僕とネロの関係は、決定的な矛盾を抱えていたのに。
どの道僕達のつながりは、はじめから幻でしかなかった。
ようやく気付いた。僕とネロは、今のこの関係でしか、いっしょにいられない。
そして僕は、ネロと離れたくない。
結果として、ネロがいつまでも、ないはずの記憶を求めて、苦しんだとしても。
……幻でもいい。もう少しだけ、このままで。
それまで僕は、他人と積極的に話そうとしなかった。したくなかった。怖かったから。
でも、ネロと出会って、少し、変わった。ネロとなら話せた。ネロを通じて、梓や修也さんと知り合うこともできた。何人かの人には、父のことを打ち明けることもできた。
けどそこで、気付いた。
もし……今となってはありえない話だけど……ネロのオーナーが見つかって、ネロがその人のもとへ戻ったとして。
そうなった時、僕はどうなる?
……考えたくなかった。考えようとしなかった。
この時点で、僕とネロの関係は、決定的な矛盾を抱えていたのに。
どの道僕達のつながりは、はじめから幻でしかなかった。
ようやく気付いた。僕とネロは、今のこの関係でしか、いっしょにいられない。
そして僕は、ネロと離れたくない。
結果として、ネロがいつまでも、ないはずの記憶を求めて、苦しんだとしても。
……幻でもいい。もう少しだけ、このままで。
その時僕は、自分の積んだ積み木が、崩れないと思っていた。このまま、ずっと。
……でも、終わりはあっけなく、本当にあっけなく、やってきてしまった。
……でも、終わりはあっけなく、本当にあっけなく、やってきてしまった。
「……慎一?」
数時間ぶりに起動した私が見たのは、沈鬱そうな慎一の顔。
「ブロックは、解除……できて、ないみたいですね……」
自分のことだから、自分でわかる。思い出せていないのだから。
「うん……、ごめん」
「慎一?」
それはいい。いいけど、何だか慎一の様子がおかしい。
「あ、いや……。なんでも、ないよ。ネロ」
……何かが、心の中で引っ掛かる。慎一が、私の目を見て話してくれない?
外は、もう暗くなっていた。
数時間ぶりに起動した私が見たのは、沈鬱そうな慎一の顔。
「ブロックは、解除……できて、ないみたいですね……」
自分のことだから、自分でわかる。思い出せていないのだから。
「うん……、ごめん」
「慎一?」
それはいい。いいけど、何だか慎一の様子がおかしい。
「あ、いや……。なんでも、ないよ。ネロ」
……何かが、心の中で引っ掛かる。慎一が、私の目を見て話してくれない?
外は、もう暗くなっていた。
少しして、私は慎一と、研究所を出た。建物の中だけは、いつものカバンの中ではなく、慎一の肩に座って。
建物の出口、ちょうどそこで、一人の男の人と出くわした。
その人は、私を見て、驚いて、こう言った。確かに、こう言った。
「……イ、ヴ?」
――…… ……イヴ?
それは、誰?
私は、ネロ。
――……ネロ? 本当に?
私がネロなら、イヴって、誰?
イヴは……何?私、ネロで、でも、イヴって、じゃあ私は、イヴで、違う、私は、何?
「――……ネロ!?」
……だめ、私はネロ、だけど、違う、でも、なのに、どうして……?
私、は、わた、し……、は……――――
建物の出口、ちょうどそこで、一人の男の人と出くわした。
その人は、私を見て、驚いて、こう言った。確かに、こう言った。
「……イ、ヴ?」
――…… ……イヴ?
それは、誰?
私は、ネロ。
――……ネロ? 本当に?
私がネロなら、イヴって、誰?
イヴは……何?私、ネロで、でも、イヴって、じゃあ私は、イヴで、違う、私は、何?
「――……ネロ!?」
……だめ、私はネロ、だけど、違う、でも、なのに、どうして……?
私、は、わた、し……、は……――――
これが、神さまの気まぐれなのか、僕にはわからない。
だけど、事実として、……積み木は、崩れた。
だけど、事実として、……積み木は、崩れた。
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