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「ドキドキハウリン その18」(2007/02/26 (月) 03:55:01) の最新版変更点
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目の前に広がる世界の全てが、灰色に見えていた。
果てしなく伸びていく灰色のアスファルト。
視界の左右を覆う灰色のビル。
歩く人間達の姿は皆一様の灰色で。
見上げた空でさえ、灰色だ。
灰色。
灰色。
灰色。
全て灰色の街。
朝通ったばかりの道のはずなのに。世界がこんなに灰色だなんて、思いもしなかった。
灰色の中。
灰色の喧騒を抜け、灰色の路地を歩き、また灰色の大通りへ。
この街では神姫の一人歩きなど珍しくもないのだろう。灰色の人間達は、私の存在など見えていないかのように無言で歩いているだけだ。
やがて、灰色の交差点へ。
歩みを止める。
目の前のビルにあるのは見たこともない看板。
灰色の信号に提がる灰色のプレートには、聞いたこともない地名が書き込まれている。
迷った。
……迷った?
迷ったって……。
迷うなんて、行くべき処が分かっている者が使う言葉じゃないか。私はそもそも……
目指していた所さえ、ないというのに。
「あ……」
その灰色の中に、一点の黒が生まれた。
目の前のアスファルトに落ちる、黒。
ひとつ。
ふたつ。
みっつよっつ。
鼻の頭に、水の滴り。
淡いノイズが、聴覚センサーを支配する。
ふた言目を呟く間もない。灰色の街はあっという間に黒に覆い尽くされ、視界の全ては重く沈む。
ぼんやりと空を見上げれば、雨粒の落ちてくる空も陰鬱な黒に被われていた。
歩みを急かす信号の碧い瞬きにも動じなかった灰色の人間達も、黒に冒されることだけは厭わしいらしい。より重い色へ染まっていく世界の中、歩みを早め、支配権を失いつつある通りから我先にと逃げ出していく。
赤い光の灯るスクランブル交差点の支配者は、雨の黒を白い光で引き裂いていく自動車の群れ。
ぼんやりと眺めた、その光の向こう。
黒い傘をさす、大きな黒。
「……ココ?」
少しだけ猫背気味の巨躯が、小さく呟いた、名。
私の、名。
「武井……さん?」
黒い雨に打たれながら。
私の口からこぼれ出たのは、その名前だった。
----
**魔女っ子神姫ドキドキハウリン
**その18
----
雨音と黒に被われた店内を照らし出すのは、小さな白熱の灯火だった。
ゆらゆらと揺れる仄めきに、宵闇に沈む柔らかな布の波が、穏やかな丸みを持ったショーケースの並びが、幽かに照らし出され、黒の海から優しく引き上げられていく。
「もうすぐ来ると思うよ」
薄紙のシェードに被われた電気の燭台をカウンターの上にすいと載せ。武井さんが私に差し出してくれたのは、小さなカップだ。
「来ませんよ、きっと」
陰鬱な言葉を口の中で転がしながら。
湯気の立つそれを受け取り、そっと口に。
「私、静香に捨てられたんですから」
ふわりと広がる、チョコレートの甘さ。疲れた体に染み渡る……のは人間の話で、残念ながら私達神姫にそこまでの感覚はない。
武井さんはマグカップを傾けながら、黙ったまま。
答えがないのをいいことに、私は言葉を続けていく。
「武井さん」
名前を呼んでも、相槌はない。
けれど、こちらをじっと見つめる瞳は続きを促しているようで。少なくとも私にはそう、見えた。
「武井さんは、静香の前の神姫のこと……知ってますか?」
風もないのに、灯火に照らされた大きな影がゆらり、揺れる。
「……花姫のことか」
髭の奥から流れ出たのは、疑問形ではない。
確かにそれを知っているという、肯定の意。
そうか。武井さんも、知ってるんだ……。
「後味の悪い事件だったからな。あれから半年して、今のバーチャルバトルが始まったっていう……皮肉な話さ」
私が起動したのは、バーチャルバトルが始まってから。花姫という神姫の話題など、噂にも上らなくなってからのこと。
その間、静香はずっと彼女のことを想っていたのだろうか。
私が殺したという、彼女のことを。
「その犯人って、私なんだそうです」
武井さんはマグカップを傾けたまま。
どうやら中身が無くなったらしい。空になったカップをゆっくりとカウンターに置き、ぽつりと呟く。
「……ハウリンタイプだとは聞いていたけれど」
「私のメモリーは初期化されてて、静香の家で起動する前の事は覚えてないんですけど……。静香がそう言うんだから、間違いないんだと思います」
正直、静香には説明のつかないことが多すぎた。
神姫に対する桁外れの知識と技術。服や装備だけじゃない。戦闘指揮も、訓練方法も、やり方は無軌道でメチャクチャだったけれど、それが無意味だったことは一度として無い。
その全ては、神姫のマスターでなければ感じ得ないこと。十貴の戦いをずっと側で見ていたとか、エルゴのバイトを続けていたとか……その程度で済ませられるようなものではない。
けれど、それが花姫で身に付けた経験と考えれば、彼女の全てに説明がつく。
「……あれ?」
ふと気付き、武井さんを見上げた。
「アキとタツキって、どっちもツガルタイプですよね?」
第三弾のツガルが発売されたのは、私が起動してからだ。私が起動する前の事件を、どうしてツガルタイプしか持っていない武井さんが知っているんだろう。
「僕も最初の神姫をロストしてるから。まあ、戸田君とは似たような立場さ」
「あ……」
……私のバカ。
少し考えれば、分かる事じゃないか。
「アキもタツキも知ってるし、アイツはツガルに壊されたわけでもないけどね」
灯火に照らされた武井さんの表情は、穏やかなまま変わらない。
けど、先程よりも小さく見えるのは……私の気のせいだろうか?
「僕には戸田君の真意は分からない。けど、単に君の体が憎いだけなら、君を起動させる前に壊してたと思うな」
……。
それは武井さん自身の想いでもあるんだろう。さすがにその胸の内を聞けるほど、私は図太くはなかったけれど。
「その辺は、ちゃんと聞いてみた?」
「いえ……」
きっと、もう聞く機会はないと……。
思ったその時、穏やかな黒い世界は唐突な喧騒にかき消された。
激しく開け放たれた扉。
けたたましく鳴るドアベル。
全力疾走した後の、整っていない息遣い。
「ほら来た」
ゆらゆらと揺れるランプシェードを片手で押さえつつ、武井さんだけは穏やかな笑みを崩さないまま。
「武井さん……ありがとうございました」
雨の中を全力で走ってきたんだろう。綺麗な長い髪も、細身の外出着も、雨の黒に冒されるがまま。
そんな中、黒い瞳だけが、こちらを強く見据えている。
「いいえ、どういたしまして」
武井さんは静香の頭に大きなタオルを載せると、扉を閉めてカーテンを引いた。
「上にいるから、話が終わったら声かけて。CLOSEDは掛けてるから、誰も入ってこないとは思うけど……鍵だけ、よろしく」
私達にそれ以上の何かを言う様子もなく。カウンターのマグカップを取り上げ、そのまま工房への階段を上がっていく。
気が付けば、私の傍らにあるのは湯気の立ち上る新しいマグカップ。さっきは武井さんと私の分しかなかったはずなのに……。
見れば、足元の電気ストーブも赤い光を浮かべてる。
「はい」
静香の声を背中に受けて、武井さんは軽く手を上げるだけ。
彼の左右にいるのは、アキとタツキ……って、マグカップとストーブの犯人は彼女達か。いつの間に出て来たんだろう。
でも。
ありがとね、二人とも。
----
閉じられた世界を穏やかに照らす白熱の灯火は、明かりを落とされていた。電気ストーブの赤い光に照らされながら、静香はゆっくりと濡れた服を脱いでいく。
私は口を開けない。
誰もいない真直堂を支配するのは、静香の衣擦れの音と、外から流れ込む雨のノイズだけ。
静香は黙ったまま、服を脱いでいる。
黒に冒された服をハンガーに吊るし、下着姿のまま濡れ髪をタオルでまとめたところで、ようやくひと息。
沈む宵闇の中、スツールに腰掛け。湯気の立つマグカップを手に、赤い光に照らされた横顔は……沈黙をまとい、ヒーターの赤を見つめるだけだ。
「……静香」
返事はない。
だからもう一度、その名を呼んだ。
「静香」
やはり、返事はない。
「何?」
ようやく返ってきた、うるさがるような答えに……胸がちくりと痛む。
静香はこちらを見ようともしない。
構わず、私は一方的に言葉を続けた。
「教えてください、静香」
「何を?」
胸が痛んでも。
敵意を突き付けられても。
ここで黙っていては、前に進めない。
「昔の私と、花姫の間にあったこと……ぜんぶ」
静香はヒーターの赤を見つめているだけ。
「何で?」
私は、前へと進み出る。
「私が、静香の神姫であるために、です」
カウンターを飛び、ヒーターの上へと。
見下ろす瞳を正面から受け止め、真っ直ぐ静香を見つめ返す。
沈黙。
静香も沈黙。
壁越しの雨音が、沈黙をさらに強くする。
やがて。
冷たい瞳が少しだけ緩み。
「……頑固者」
はぁ、と静香はため息。
「とりあえず、飛び出たあなたを叱ろうかどうしようか考えてたんだけど……そこからかしらね」
「勝手に飛び出したことは謝ります。だから、教えてください」
私の知らない、静香の全てを。
「長くなるわよ。いい?」
バカにしないで下さい。
そんな事で音を上げる私じゃないです。
「なら、そこに立つのはやめなさい。足が溶けても知らないわよ?」
そして、静香は話してくれた。
花姫のこと。
彼女との生活のこと。
十貴とジルと、バトルのこと。エルゴのこと。
私のこと。
花姫の、最後のことを。
----
ストーブの赤い光から視線を逸らさず、静香は訥々と言葉を紡いでいる。
「……だから、あたしは決めたの」
届けられたハウリンの素体に、CSCを組み込みながら巡らせた想いを。
私が目覚める、ほんの数分前の出来事を。
「花姫と過ごした時間と同じだけの時間をあなたと過ごして……それでもあなたを許せなかったら、あなたを壊して、本当に神姫をやめようって」
その誓いを受けて、私は目覚めた。
静香と、二年の月日を過ごすために。
「……はい」
私が目覚めて、三度目の春は目の前だ。
「なら静香」
「なに?」
静香は私と視線を合わせない。
いつもなら、絶対に視線を逸らさない彼女が。
だから、今日の静香は真実を語ってくれている。大嫌いなハウリンと顔を合わせるための、嘘の仮面を被らずにいてくれるから。
「私を、壊してください」
けど、もう終わりにしよう。
「……いいのね?」
壊れたくなんかない。
だけど、私がいる事で静香が嘘をつき続けるなんて、もっと嫌だ。
「はい。私に人間の心は分かりませんが……静香を失って、同じ立場になったら、きっとそうすると思いますから」
大事な花姫を壊したハウリンを傍らに置いて過ごすなんて、拷問としか言いようがない。私を壊して全てを終わらせた方が、きっと静香も幸せになれるはず。
幸いここは神姫の店だ。武井さんには悪いけど、工具の類も揃ってる。カウンターの戸棚を開けば予想通り、そこには工具が一通り揃っていた。
「そう」
静香はそれだけ言って立ち上がる。棚から取りだしたのは、木製の大きなハンマーだ。
「ならココ……」
静香は私の前で、ゆっくりとそれを振り上げて。
「ごめんなさい、静香。この二年間、苦しませて」
私は幸せだったけど、そのぶん静香は不幸せだったはずだ。私と花姫、二つの想いに挟まれて……なんて事を言ったら、思い上がりと笑われてしまうだろうか。
でも、いいよね。最後くらい。
「ありがとう」
私は笑顔で。
「さようなら」
静香の表情は、闇の中に見えないまま……。
その槌は、振り下ろされた。
私の、すぐ傍らに。
「……ぇ?」
呆然と見上げれば、私の顔に雨の雫が落ちてきた。
部屋の中なのに……雨?
「バカっ!」
「え、……え?」
次に来たのはいきなりの怒声。
「……なんで、壊さないでって言わないのよ!」
状況を理解できていない私に、静香の罵声が次々と投げ付けられる。
「壊さないでとか、助けて下さいとか、避けるとか……どうして、逃げもせずに笑って受け入れられるのよ!」
「だって、今の私は、静香のものですから」
そこに至って、雫の正体にようやく気が付いた。
でも、どうして……静香が泣いてるんですか?
「……だから、神姫はバカだって言うのよぉ……ココぉ……大っ嫌い……」
ハンマーを持つ手は震えている。
「ホントは全部分かってたのよ……姫が死んだのは、一生懸命過ぎた姫の起こした事故だったって……あなたは全然悪くないんだって……」
降りそそぐ雨粒は数を増し、私をしとどに濡らしていく。
「あなたが私の前から消えてくれて、正直ほっとしたのよ……ああ、これで壊さずに済んだって。それが、何で武井さんとこに転がり込んでるのよ!」
赤い光に照らされた静香は、怒って。
「あなたと過ごした二年間……すごく楽しかったの。一日が終わるたびに、あなたを好きになっていって……可愛くてたまらなくって……」
そして、泣いていた。
「姫を壊した大嫌いなハウリンなのに、大好きになってて……花姫に取っておいた大好きが、あなたへの好きに変わりそうになってて……! ずっと、ずっと怖かったんだから! 嫌で嫌でたまらなかったんだから!」
「だから、私を壊せばぜんぶ終わるじゃないですか。そのハンマーはオモチャじゃないんですよ?」
それを叩き付ければ、いくら強化プラスチックで出来ているとは言え、私の体なんか粉々に出来るはず。
そうすれば、静香だって……。
「壊したいくらい嫌いなままだったら苦労しないわよ! 大好きだから苦しいんじゃない! あんたバカ!?」
……バカって。あなた。
「私が好きなのは静香だけだから、そんなの分かりませんよ!」
「二年過ぎてあなたが大好きなままだったから、この件はチャラにしようと思ったのに……やっぱりあんな店に行くんじゃなかった! ウザいガキはいるし、花姫はデブのものになってるし、ココには全部バレちゃうし……最低だわ!」
はぁ?
意味が分かりませんよ、静香。
あそこじゃ、あんなに楽しそうだったじゃないですか。
「じゃ、なんで行ったんですか……」
呆れを多分に含んだ私の問いに、泣き顔の静香はぷいとそっぽを向いて、ぽそりと呟いた。
「……あなたへの嫌がらせだったのよ」
……はぁ?
「あなたは花姫の仇なのよ? 嫌がらせくらい、してもバチは当たらないでしょ?」
ちょっと。
「待って下さい。じゃ、ドキドキハウリンとか、可愛い格好とか、いきなり装備渡すのとか、エッチなおしおきとか……」
「ええ。全部嫌がらせに決まってるでしょ。困って必死になってるあなたを見て、とってもせいせいしてたんだから!」
さ……っ!
「最低ですよ! 本気で最低です! そんな気は薄々してましたが、本気で見損ないました! 静香のバカ! 変態! どS!」
「ふふん、何とでも言いなさい」
あーもう! なんか勝ち誇られてるっ!
なにこのダメマスター!
「何だかんだ言っていぢめられて喜んでた変態神姫に、何言われても悔しくなんかないもんねーっ!」
「へ……っ! 変態!?」
あなた、言って良いことと悪いことが!
「だってそうでしょ? 最近は十貴にエッチなことしてもらうのも、楽しみにしてるんじゃないの?」
「そ……っ! それとこれとは別問題じゃないですかっ! それに、わざわざ自分の嫌いな神姫のマスターになって、ネチネチ嫌がらせしてる静香だって十分変態です! 根暗!」
「ね……っ! 根暗ってのは非道いんじゃないっ!?」
ぜんぜんヒドくなんかありませんよ。むしろそのくらい言って当然です。
「だって、十貴を女装させていじめたり、猥談で反応楽しんだり、逆陵辱してみたり、いちいち行動が陰湿なんですよ! 静香は! そのうえすぐ裸になるし!」
今だって恥ずかしげもなく下着姿だし!
普通、バスタオルくらい体に巻きますよ。年頃の女の子なら!
何でまるだしなんですか!
「い、言わせておけばこの子は!」
がたんと立ち上がり、こちらをにらみ付ける静香。
ふふん。さっきは戦闘中でリソース割く暇がありませんでしたけど、今なら余裕でライブラリの検索出来ますもん。
「静香の陰険! むっつりスケベ!」
「ムッツリはアンタでしょ!」
「はぁっ!?」
私が、いつムッツリだったんですか!?
「カワイイ服だって、結局楽しそうに着てるし。私がいない間、机の上で一人でしてるのも知ってるのよ?」
……へ?
「え? えええええええええええっ! なんで!?」
いや、だって、あれは……クレードルにもログ送ってないハズだし、どうして!
「隠しカメラの一つや二つ仕掛けてなくて、一人前の神姫オーナーとは言えないわよ」
まさか……。
まさか……!
「じゃ……じゃあ、あの時や……あれ着てるときとかも……?」
「ああ。鏡の前でメイド服着てニヤニヤしてたあれ? それとも……」
「きゃーっ! きゃーーーっ!」
ちょっ! それ以上はやめて下さい、静香っ!
「あれは情けなかったわねぇ。あれだけイヤイヤ言ってたくせに、鏡の前ででれ~っとしてるんだもんねー」
う……。
そりゃ、確かにデレっとしてたかも……しれませんけどぉ。
「あぅ……だって、せっかく静香が作ってくれたんですもん……袖を通すくらい、いいじゃないですか……」
ちょっとくらい、可愛いなーって思っても、いいじゃないですか。自分が愛想無くて堅物なのくらい知ってますけど、服が悪いわけじゃないですし……。
「静香の作ってくれた服が嫌いなわけないですよ。でも、人前で着るのは恥ずかしいから……」
「…………」
ふと、静香の視線に気が付いた。
「静香」
さっきまでみたいに視線を逸らすでもなく。
今までのように、こちらを見透かすようでもなくて。
「なぁに? まだ何か言い足りないことでもあるの?」
正面から見据える、どこか拗ねたような少女の瞳。
ああ、そうか。
これが、戸田静香という人間の……。
「当たり前です」
私も静香の瞳を正面から見つめ返し、高らかに声を放つ。
「取り返しましょう。花姫を!」
「……何ですって?」
さすがの静香もそれは予想外だったらしい。
ふふん。ちょっとだけ勝った気分。
「方法はあるはずです。ほら、岡島さんとこのビアンカとか」
ビアンカも、元は鶴畑大紀の神姫だったという。神姫を使い捨てるというやり方が許せるわけじゃないけど、今度ばかりはそれが私達の狙い目になる。
「……花姫が帰ってきたら、ココは捨てちゃうかもしれないわよ?」
静香の言葉に、いつもの調子が戻ってきた。
うん。その微妙な意地の悪さこそが静香です。
「ふん。そうなったら、十貴とジルに面倒見てもらうからいいですもん」
でも、これからはもうやられっぱなしじゃないですから。
「十貴に毎日可愛がってもらえるから?」
「ジルにも遊んでもらえますしね」
「あら、エッチなことをされてもいいわけ?」
「十貴やジルならいいです。それに静香の家にいたって、あんまり変わらないじゃないですか」
やり返す私に軽くため息をつき、静香が浮かべたのは……。
「十貴やジルだけにそんないい思いさせるわけ無いでしょ? ココも花姫も、私のものなんだから」
穏やかな、笑顔。
「静香……」
うん。いつもの静香だ。
この笑顔のためなら、私はいくらでも戦える。たとえCSCが砕け、AIが焼き切れたとしても。
ま、これからは言い返しますけどね。
「そうね。姫を取り返す方法……あれを使えば……」
「例の新兵器ですか? またぶっつけ本番じゃないでしょうね?」
あ。そういえばこの件も聞いてなかったな。
今までの事は嫌がらせの一環ってことで諦めるけど、これからはちゃんと言いたいことは言うんだから。
帰ったらしっかり問い詰めないと。
「姫を取り返すのに、そんなバカなことしてられるもんですか。帰ったらちゃんと説明してあげるわよ」
……あら、随分と素直に。
「その代わり、使いこなせなかったらお仕置きにエッチなことするからね」
って、ちょっと待って下さい。
「上手くいったら?」
「ご褒美に、エッチなことしてあげる」
……もぅ。
「同じじゃないですか」
この人はー! 一体どこまで本気でどこまでが冗談なのやら。
いやまあ、エッチ関連は全弾本気なんだろうけど。
「……可愛いんだから、仕方ないじゃない」
でも、そっぽを向いて呟くその姿があまりに愛おしくて。
「……はぁ。もう好きにしてください」
私はため息一つで、許してしまう。
正直、ちょっと期待してるのも否定はしない。
「で、静香。もう隠し事はありませんか?」
花姫のことも、私との因縁も、新兵器も、みんなみんなカタが付いた。これ以上の隠し事なんて、思い浮かばないけど。
「ああ。もうひとつあったっけ……」
「まだあるんですか!?」
この人はもう、いけしゃあしゃあと……!
----
蛍光灯の輝く玄関で、武井さんは穏やかに笑っている。
「終わったみたいだね、二人とも」
「はい。ご迷惑おかけしました」
私を肩に乗せ、ぺこりと頭を下げる静香。もちろん下着姿なんかじゃない。ちゃんと乾いた服をしっかり着込んでいる。
「武井さん。……さっきは、ごめんなさい」
静香の最後の隠し事は、私の前のマスターが武井さんだった、ってこと。
「こっちも黙ってて、悪かったね」
「……いえ。それよりも」
まさか、もう一人の当事者に延々愚痴ってたなんて……知らなかったとは言え、空気読んでないことこの上ない。
私のバカ。
「気にしなくていいよ。俺にはこいつらがいてくれるし……今のココの姿は、クウガの望んだことだから」
武井さんの両肩には、アキとタツキがそれぞれ腰掛けていた。何でも、彼女達も私の出自や経緯を全部知ってたんだそうだ。
結局知らなかったのは私一人、って事らしい。
「クウガ……って言ったんですね、昔の私」
ファーストのジルに最後まで負けることなく。速さに愛され、最初期のバトルリーグを駆け抜けていった最速の神姫。
その想いを受け継いでるんだ、私の体は。
だから、もっと速くなれる。
もっと強くなれる。
まずは彼女に追い付き、それから追い越そう。
静香がいれば、きっと出来るはずだから。
「武井さんとこに帰る? 私より大事にしてくれるかもよ?」
「いえ。今の私は、静香のココですから」
ちょっぴり心惹かれる申し出だったけど、私はそれを丁重にお断り。
「ああ。それでいい」
武井さんの笑顔も、さっきよりも晴れやかに見える。
「ありがとうございます」
「ま、たまには戸田君と一緒に遊びに来てくれ。その時は、こいつらと歓迎するよ」
アキは少し照れたように。タツキは優しく穏やかに。どちらも武井さんに身を寄せるようにして、笑顔だ。少し歴史が変わっていれば、『妹』と呼んでいたかもしれない、彼女達。
でも、今の彼女達は友達であって、妹じゃない。
「頑張ってね、応援してる」
「また遊びに来てねぇ」
「はい! 必ず!」
次は、花姫……姉さんも連れてきますね!
----
「……うん。じゃ、姉さんと千喜にもよろしく。静姉にはボクから伝えとくよ」
その言葉と共に、ボクは携帯のフリップをぱたんと閉じた。
「静姉!」
真直堂の入口にいるのは店長さんと、静姉達だ。静姉の肩にココが乗ってるって事は、万事丸く収まったらしい。
やれやれ。
「ゴメンね、父さん」
結局、ボク達は静姉の決着が着くまで現状待機。父さんもランドクルーザーにもたれ掛かってタバコを吸って……って、こんな路上で吸ってちゃ、見つかったら厳重注意じゃ済まないよ?
「ま、いいんじゃね? たまには」
それはどっちの意味なんだか。良い方の意味で取って良いんだよね? ね? 携帯灰皿も持ってるよね?
そんな事を話していると、店長さんとの話も終わったんだろう。静姉達がぱたぱたと駆けてくる。
「すいません、おじさま」
「いいって。いつもウチのバカが世話になってるんだし」
……まあ、間違ってはいないけどね。
----
「じゃ、出すぞー」
十貴のおじさまの大型車……ボトムズバトリングで使うらしい……が、ゆっくりと走り出す。
一人で見上げたときは灰色だったそこも、静香の肩から眺めれば、ネオンに包まれた賑やかな街。
「また、よろしくお願いします。静香」
静香の頬に体を寄せて、私は耳元でそっと呟く。
「ええ。よろしくね、ココ」
こうして、私の秋葉原での長い長い一日は、終わりを告げた。
いや……これからが、本当の始まりなんだ。
これからこそが。
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目の前に広がる世界の全てが、灰色に見えていた。
果てしなく伸びていく灰色のアスファルト。
視界の左右を覆う灰色のビル。
歩く人間達の姿は皆一様の灰色で。
見上げた空でさえ、灰色だ。
灰色。
灰色。
灰色。
全て灰色の街。
朝通ったばかりの道のはずなのに。世界がこんなに灰色だなんて、思いもしなかった。
灰色の中。
灰色の喧騒を抜け、灰色の路地を歩き、また灰色の大通りへ。
この街では神姫の一人歩きなど珍しくもないのだろう。灰色の人間達は、私の存在など見えていないかのように無言で歩いているだけだ。
やがて、灰色の交差点へ。
歩みを止める。
目の前のビルにあるのは見たこともない看板。
灰色の信号に提がる灰色のプレートには、聞いたこともない地名が書き込まれている。
迷った。
……迷った?
迷ったって……。
迷うなんて、行くべき処が分かっている者が使う言葉じゃないか。私はそもそも……
目指していた所さえ、ないというのに。
「あ……」
その灰色の中に、一点の黒が生まれた。
目の前のアスファルトに落ちる、黒。
ひとつ。
ふたつ。
みっつよっつ。
鼻の頭に、水の滴り。
淡いノイズが、聴覚センサーを支配する。
ふた言目を呟く間もない。灰色の街はあっという間に黒に覆い尽くされ、視界の全ては重く沈む。
ぼんやりと空を見上げれば、雨粒の落ちてくる空も陰鬱な黒に被われていた。
歩みを急かす信号の碧い瞬きにも動じなかった灰色の人間達も、黒に冒されることだけは厭わしいらしい。より重い色へ染まっていく世界の中、歩みを早め、支配権を失いつつある通りから我先にと逃げ出していく。
赤い光の灯るスクランブル交差点の支配者は、雨の黒を白い光で引き裂いていく自動車の群れ。
ぼんやりと眺めた、その光の向こう。
黒い傘をさす、大きな黒。
「……ココ?」
少しだけ猫背気味の巨躯が、小さく呟いた、名。
私の、名。
「武井……さん?」
黒い雨に打たれながら。
私の口からこぼれ出たのは、その名前だった。
----
**魔女っ子神姫ドキドキハウリン
**その18
----
雨音と黒に被われた店内を照らし出すのは、小さな白熱の灯火だった。
ゆらゆらと揺れる仄めきに、宵闇に沈む柔らかな布の波が、穏やかな丸みを持ったショーケースの並びが、幽かに照らし出され、黒の海から優しく引き上げられていく。
「もうすぐ来ると思うよ」
薄紙のシェードに被われた電気の燭台をカウンターの上にすいと載せ。武井さんが私に差し出してくれたのは、小さなカップだ。
「来ませんよ、きっと」
陰鬱な言葉を口の中で転がしながら。
湯気の立つそれを受け取り、そっと口に。
「私、静香に捨てられたんですから」
ふわりと広がる、チョコレートの甘さ。疲れた体に染み渡る……のは人間の話で、残念ながら私達神姫にそこまでの感覚はない。
武井さんはマグカップを傾けながら、黙ったまま。
答えがないのをいいことに、私は言葉を続けていく。
「武井さん」
名前を呼んでも、相槌はない。
けれど、こちらをじっと見つめる瞳は続きを促しているようで。少なくとも私にはそう、見えた。
「武井さんは、静香の前の神姫のこと……知ってますか?」
風もないのに、灯火に照らされた大きな影がゆらり、揺れる。
「……花姫のことか」
髭の奥から流れ出たのは、疑問形ではない。
確かにそれを知っているという、肯定の意。
そうか。武井さんも、知ってるんだ……。
「後味の悪い事件だったからな。あれから半年して、今のバーチャルバトルが始まったっていう……皮肉な話さ」
私が起動したのは、バーチャルバトルが始まってから。花姫という神姫の話題など、噂にも上らなくなってからのこと。
その間、静香はずっと彼女のことを想っていたのだろうか。
私が殺したという、彼女のことを。
「その犯人って、私なんだそうです」
武井さんはマグカップを傾けたまま。
どうやら中身が無くなったらしい。空になったカップをゆっくりとカウンターに置き、ぽつりと呟く。
「……ハウリンタイプだとは聞いていたけれど」
「私のメモリーは初期化されてて、静香の家で起動する前の事は覚えてないんですけど……。静香がそう言うんだから、間違いないんだと思います」
正直、静香には説明のつかないことが多すぎた。
神姫に対する桁外れの知識と技術。服や装備だけじゃない。戦闘指揮も、訓練方法も、やり方は無軌道でメチャクチャだったけれど、それが無意味だったことは一度として無い。
その全ては、神姫のマスターでなければ感じ得ないこと。十貴の戦いをずっと側で見ていたとか、エルゴのバイトを続けていたとか……その程度で済ませられるようなものではない。
けれど、それが花姫で身に付けた経験と考えれば、彼女の全てに説明がつく。
「……あれ?」
ふと気付き、武井さんを見上げた。
「アキとタツキって、どっちもツガルタイプですよね?」
第三弾のツガルが発売されたのは、私が起動してからだ。私が起動する前の事件を、どうしてツガルタイプしか持っていない武井さんが知っているんだろう。
「僕も最初の神姫をロストしてるから。まあ、戸田君とは似たような立場さ」
「あ……」
……私のバカ。
少し考えれば、分かる事じゃないか。
「アキもタツキも知ってるし、アイツはツガルに壊されたわけでもないけどね」
灯火に照らされた武井さんの表情は、穏やかなまま変わらない。
けど、先程よりも小さく見えるのは……私の気のせいだろうか?
「僕には戸田君の真意は分からない。けど、単に君の体が憎いだけなら、君を起動させる前に壊してたと思うな」
……。
それは武井さん自身の想いでもあるんだろう。さすがにその胸の内を聞けるほど、私は図太くはなかったけれど。
「その辺は、ちゃんと聞いてみた?」
「いえ……」
きっと、もう聞く機会はないと……。
思ったその時、穏やかな黒い世界は唐突な喧騒にかき消された。
激しく開け放たれた扉。
けたたましく鳴るドアベル。
全力疾走した後の、整っていない息遣い。
「ほら来た」
ゆらゆらと揺れるランプシェードを片手で押さえつつ、武井さんだけは穏やかな笑みを崩さないまま。
「武井さん……ありがとうございました」
雨の中を全力で走ってきたんだろう。綺麗な長い髪も、細身の外出着も、雨の黒に冒されるがまま。
そんな中、黒い瞳だけが、こちらを強く見据えている。
「いいえ、どういたしまして」
武井さんは静香の頭に大きなタオルを載せると、扉を閉めてカーテンを引いた。
「上にいるから、話が終わったら声かけて。CLOSEDは掛けてるから、誰も入ってこないとは思うけど……鍵だけ、よろしく」
私達にそれ以上の何かを言う様子もなく。カウンターのマグカップを取り上げ、そのまま工房への階段を上がっていく。
気が付けば、私の傍らにあるのは湯気の立ち上る新しいマグカップ。さっきは武井さんと私の分しかなかったはずなのに……。
見れば、足元の電気ストーブも赤い光を浮かべてる。
「はい」
静香の声を背中に受けて、武井さんは軽く手を上げるだけ。
彼の左右にいるのは、アキとタツキ……って、マグカップとストーブの犯人は彼女達か。いつの間に出て来たんだろう。
でも。
ありがとね、二人とも。
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閉じられた世界を穏やかに照らす白熱の灯火は、明かりを落とされていた。電気ストーブの赤い光に照らされながら、静香はゆっくりと濡れた服を脱いでいく。
私は口を開けない。
誰もいない真直堂を支配するのは、静香の衣擦れの音と、外から流れ込む雨のノイズだけ。
静香は黙ったまま、服を脱いでいる。
黒に冒された服をハンガーに吊るし、下着姿のまま濡れ髪をタオルでまとめたところで、ようやくひと息。
沈む宵闇の中、スツールに腰掛け。湯気の立つマグカップを手に、赤い光に照らされた横顔は……沈黙をまとい、ヒーターの赤を見つめるだけだ。
「……静香」
返事はない。
だからもう一度、その名を呼んだ。
「静香」
やはり、返事はない。
「何?」
ようやく返ってきた、うるさがるような答えに……胸がちくりと痛む。
静香はこちらを見ようともしない。
構わず、私は一方的に言葉を続けた。
「教えてください、静香」
「何を?」
胸が痛んでも。
敵意を突き付けられても。
ここで黙っていては、前に進めない。
「昔の私と、花姫の間にあったこと……ぜんぶ」
静香はヒーターの赤を見つめているだけ。
「何で?」
私は、前へと進み出る。
「私が、静香の神姫であるために、です」
カウンターを飛び、ヒーターの上へと。
見下ろす瞳を正面から受け止め、真っ直ぐ静香を見つめ返す。
沈黙。
静香も沈黙。
壁越しの雨音が、沈黙をさらに強くする。
やがて。
冷たい瞳が少しだけ緩み。
「……頑固者」
はぁ、と静香はため息。
「とりあえず、飛び出たあなたを叱ろうかどうしようか考えてたんだけど……そこからかしらね」
「勝手に飛び出したことは謝ります。だから、教えてください」
私の知らない、静香の全てを。
「長くなるわよ。いい?」
バカにしないで下さい。
そんな事で音を上げる私じゃないです。
「なら、そこに立つのはやめなさい。足が溶けても知らないわよ?」
そして、静香は話してくれた。
花姫のこと。
彼女との生活のこと。
十貴とジルと、バトルのこと。エルゴのこと。
私のこと。
花姫の、最後のことを。
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ストーブの赤い光から視線を逸らさず、静香は訥々と言葉を紡いでいる。
「……だから、あたしは決めたの」
届けられたハウリンの素体に、CSCを組み込みながら巡らせた想いを。
私が目覚める、ほんの数分前の出来事を。
「花姫と過ごした時間と同じだけの時間をあなたと過ごして……それでもあなたを許せなかったら、あなたを壊して、本当に神姫をやめようって」
その誓いを受けて、私は目覚めた。
静香と、二年の月日を過ごすために。
「……はい」
私が目覚めて、三度目の春は目の前だ。
「なら静香」
「なに?」
静香は私と視線を合わせない。
いつもなら、絶対に視線を逸らさない彼女が。
だから、今日の静香は真実を語ってくれている。大嫌いなハウリンと顔を合わせるための、嘘の仮面を被らずにいてくれるから。
「私を、壊してください」
けど、もう終わりにしよう。
「……いいのね?」
壊れたくなんかない。
だけど、私がいる事で静香が嘘をつき続けるなんて、もっと嫌だ。
「はい。私に人間の心は分かりませんが……静香を失って、同じ立場になったら、きっとそうすると思いますから」
大事な花姫を壊したハウリンを傍らに置いて過ごすなんて、拷問としか言いようがない。私を壊して全てを終わらせた方が、きっと静香も幸せになれるはず。
幸いここは神姫の店だ。武井さんには悪いけど、工具の類も揃ってる。カウンターの戸棚を開けば予想通り、そこには工具が一通り揃っていた。
「そう」
静香はそれだけ言って立ち上がる。棚から取りだしたのは、木製の大きなハンマーだ。
「ならココ……」
静香は私の前で、ゆっくりとそれを振り上げて。
「ごめんなさい、静香。この二年間、苦しませて」
私は幸せだったけど、そのぶん静香は不幸せだったはずだ。私と花姫、二つの想いに挟まれて……なんて事を言ったら、思い上がりと笑われてしまうだろうか。
でも、いいよね。最後くらい。
「ありがとう」
私は笑顔で。
「さようなら」
静香の表情は、闇の中に見えないまま……。
その槌は、振り下ろされた。
私の、すぐ傍らに。
「……ぇ?」
呆然と見上げれば、私の顔に雨の雫が落ちてきた。
部屋の中なのに……雨?
「バカっ!」
「え、……え?」
次に来たのはいきなりの怒声。
「……なんで、壊さないでって言わないのよ!」
状況を理解できていない私に、静香の罵声が次々と投げ付けられる。
「壊さないでとか、助けて下さいとか、避けるとか……どうして、逃げもせずに笑って受け入れられるのよ!」
「だって、今の私は、静香のものですから」
そこに至って、雫の正体にようやく気が付いた。
でも、どうして……静香が泣いてるんですか?
「……だから、神姫はバカだって言うのよぉ……ココぉ……大っ嫌い……」
ハンマーを持つ手は震えている。
「ホントは全部分かってたのよ……姫が死んだのは、一生懸命過ぎた姫の起こした事故だったって……あなたは全然悪くないんだって……」
降りそそぐ雨粒は数を増し、私をしとどに濡らしていく。
「あなたが私の前から消えてくれて、正直ほっとしたのよ……ああ、これで壊さずに済んだって。それが、何で武井さんとこに転がり込んでるのよ!」
赤い光に照らされた静香は、怒って。
「あなたと過ごした二年間……すごく楽しかったの。一日が終わるたびに、あなたを好きになっていって……可愛くてたまらなくって……」
そして、泣いていた。
「姫を壊した大嫌いなハウリンなのに、大好きになってて……花姫に取っておいた大好きが、あなたへの好きに変わりそうになってて……! ずっと、ずっと怖かったんだから! 嫌で嫌でたまらなかったんだから!」
「だから、私を壊せばぜんぶ終わるじゃないですか。そのハンマーはオモチャじゃないんですよ?」
それを叩き付ければ、いくら強化プラスチックで出来ているとは言え、私の体なんか粉々に出来るはず。
そうすれば、静香だって……。
「壊したいくらい嫌いなままだったら苦労しないわよ! 大好きだから苦しいんじゃない! あんたバカ!?」
……バカって。あなた。
「私が好きなのは静香だけだから、そんなの分かりませんよ!」
「二年過ぎてあなたが大好きなままだったから、この件はチャラにしようと思ったのに……やっぱりあんな店に行くんじゃなかった! ウザいガキはいるし、花姫はデブのものになってるし、ココには全部バレちゃうし……最低だわ!」
はぁ?
意味が分かりませんよ、静香。
あそこじゃ、あんなに楽しそうだったじゃないですか。
「じゃ、なんで行ったんですか……」
呆れを多分に含んだ私の問いに、泣き顔の静香はぷいとそっぽを向いて、ぽそりと呟いた。
「……あなたへの嫌がらせだったのよ」
……はぁ?
「あなたは花姫の仇なのよ? 嫌がらせくらい、してもバチは当たらないでしょ?」
ちょっと。
「待って下さい。じゃ、ドキドキハウリンとか、可愛い格好とか、いきなり装備渡すのとか、エッチなおしおきとか……」
「ええ。全部嫌がらせに決まってるでしょ。困って必死になってるあなたを見て、とってもせいせいしてたんだから!」
さ……っ!
「最低ですよ! 本気で最低です! そんな気は薄々してましたが、本気で見損ないました! 静香のバカ! 変態! どS!」
「ふふん、何とでも言いなさい」
あーもう! なんか勝ち誇られてるっ!
なにこのダメマスター!
「何だかんだ言っていぢめられて喜んでた変態神姫に、何言われても悔しくなんかないもんねーっ!」
「へ……っ! 変態!?」
あなた、言って良いことと悪いことが!
「だってそうでしょ? 最近は十貴にエッチなことしてもらうのも、楽しみにしてるんじゃないの?」
「そ……っ! それとこれとは別問題じゃないですかっ! それに、わざわざ自分の嫌いな神姫のマスターになって、ネチネチ嫌がらせしてる静香だって十分変態です! 根暗!」
「ね……っ! 根暗ってのは非道いんじゃないっ!?」
ぜんぜんヒドくなんかありませんよ。むしろそのくらい言って当然です。
「だって、十貴を女装させていじめたり、猥談で反応楽しんだり、逆陵辱してみたり、いちいち行動が陰湿なんですよ! 静香は! そのうえすぐ裸になるし!」
今だって恥ずかしげもなく下着姿だし!
普通、バスタオルくらい体に巻きますよ。年頃の女の子なら!
何でまるだしなんですか!
「い、言わせておけばこの子は!」
がたんと立ち上がり、こちらをにらみ付ける静香。
ふふん。さっきは戦闘中でリソース割く暇がありませんでしたけど、今なら余裕でライブラリの検索出来ますもん。
「静香の陰険! むっつりスケベ!」
「ムッツリはアンタでしょ!」
「はぁっ!?」
私が、いつムッツリだったんですか!?
「カワイイ服だって、結局楽しそうに着てるし。私がいない間、机の上で一人でしてるのも知ってるのよ?」
……へ?
「え? えええええええええええっ! なんで!?」
いや、だって、あれは……クレードルにもログ送ってないハズだし、どうして!
「隠しカメラの一つや二つ仕掛けてなくて、一人前の神姫オーナーとは言えないわよ」
まさか……。
まさか……!
「じゃ……じゃあ、あの時や……あれ着てるときとかも……?」
「ああ。鏡の前でメイド服着てニヤニヤしてたあれ? それとも……」
「きゃーっ! きゃーーーっ!」
ちょっ! それ以上はやめて下さい、静香っ!
「あれは情けなかったわねぇ。あれだけイヤイヤ言ってたくせに、鏡の前ででれ~っとしてるんだもんねー」
う……。
そりゃ、確かにデレっとしてたかも……しれませんけどぉ。
「あぅ……だって、せっかく静香が作ってくれたんですもん……袖を通すくらい、いいじゃないですか……」
ちょっとくらい、可愛いなーって思っても、いいじゃないですか。自分が愛想無くて堅物なのくらい知ってますけど、服が悪いわけじゃないですし……。
「静香の作ってくれた服が嫌いなわけないですよ。でも、人前で着るのは恥ずかしいから……」
「…………」
ふと、静香の視線に気が付いた。
「静香」
さっきまでみたいに視線を逸らすでもなく。
今までのように、こちらを見透かすようでもなくて。
「なぁに? まだ何か言い足りないことでもあるの?」
正面から見据える、どこか拗ねたような少女の瞳。
ああ、そうか。
これが、戸田静香という人間の……。
「当たり前です」
私も静香の瞳を正面から見つめ返し、高らかに声を放つ。
「取り返しましょう。花姫を!」
「……何ですって?」
さすがの静香もそれは予想外だったらしい。
ふふん。ちょっとだけ勝った気分。
「方法はあるはずです。ほら、岡島さんとこのビアンカとか」
ビアンカも、元は鶴畑大紀の神姫だったという。神姫を使い捨てるというやり方が許せるわけじゃないけど、今度ばかりはそれが私達の狙い目になる。
「……花姫が帰ってきたら、ココは捨てちゃうかもしれないわよ?」
静香の言葉に、いつもの調子が戻ってきた。
うん。その微妙な意地の悪さこそが静香です。
「ふん。そうなったら、十貴とジルに面倒見てもらうからいいですもん」
でも、これからはもうやられっぱなしじゃないですから。
「十貴に毎日可愛がってもらえるから?」
「ジルにも遊んでもらえますしね」
「あら、エッチなことをされてもいいわけ?」
「十貴やジルならいいです。それに静香の家にいたって、あんまり変わらないじゃないですか」
やり返す私に軽くため息をつき、静香が浮かべたのは……。
「十貴やジルだけにそんないい思いさせるわけ無いでしょ? ココも花姫も、私のものなんだから」
穏やかな、笑顔。
「静香……」
うん。いつもの静香だ。
この笑顔のためなら、私はいくらでも戦える。たとえCSCが砕け、AIが焼き切れたとしても。
ま、これからは言い返しますけどね。
「そうね。姫を取り返す方法……あれを使えば……」
「例の新兵器ですか? またぶっつけ本番じゃないでしょうね?」
あ。そういえばこの件も聞いてなかったな。
今までの事は嫌がらせの一環ってことで諦めるけど、これからはちゃんと言いたいことは言うんだから。
帰ったらしっかり問い詰めないと。
「姫を取り返すのに、そんなバカなことしてられるもんですか。帰ったらちゃんと説明してあげるわよ」
……あら、随分と素直に。
「その代わり、使いこなせなかったらお仕置きにエッチなことするからね」
って、ちょっと待って下さい。
「上手くいったら?」
「ご褒美に、エッチなことしてあげる」
……もぅ。
「同じじゃないですか」
この人はー! 一体どこまで本気でどこまでが冗談なのやら。
いやまあ、エッチ関連は全弾本気なんだろうけど。
「……可愛いんだから、仕方ないじゃない」
でも、そっぽを向いて呟くその姿があまりに愛おしくて。
「……はぁ。もう好きにしてください」
私はため息一つで、許してしまう。
正直、ちょっと期待してるのも否定はしない。
「で、静香。もう隠し事はありませんか?」
花姫のことも、私との因縁も、新兵器も、みんなみんなカタが付いた。これ以上の隠し事なんて、思い浮かばないけど。
「ああ。もうひとつあったっけ……」
「まだあるんですか!?」
この人はもう、いけしゃあしゃあと……!
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蛍光灯の輝く玄関で、武井さんは穏やかに笑っている。
「終わったみたいだね、二人とも」
「はい。ご迷惑おかけしました」
私を肩に乗せ、ぺこりと頭を下げる静香。もちろん下着姿なんかじゃない。ちゃんと乾いた服をしっかり着込んでいる。
「武井さん。……さっきは、ごめんなさい」
静香の最後の隠し事は、私の前のマスターが武井さんだった、ってこと。
「こっちも黙ってて、悪かったね」
「……いえ。それよりも」
まさか、もう一人の当事者に延々愚痴ってたなんて……知らなかったとは言え、空気読んでないことこの上ない。
私のバカ。
「気にしなくていいよ。俺にはこいつらがいてくれるし……今のココの姿は、クウガの望んだことだから」
武井さんの両肩には、アキとタツキがそれぞれ腰掛けていた。何でも、彼女達も私の出自や経緯を全部知ってたんだそうだ。
結局知らなかったのは私一人、って事らしい。
「クウガ……って言ったんですね、昔の私」
ファーストのジルに最後まで負けることなく。速さに愛され、最初期のバトルリーグを駆け抜けていった最速の神姫。
その想いを受け継いでるんだ、私の体は。
だから、もっと速くなれる。
もっと強くなれる。
まずは彼女に追い付き、それから追い越そう。
静香がいれば、きっと出来るはずだから。
「武井さんとこに帰る? 私より大事にしてくれるかもよ?」
「いえ。今の私は、静香のココですから」
ちょっぴり心惹かれる申し出だったけど、私はそれを丁重にお断り。
「ああ。それでいい」
武井さんの笑顔も、さっきよりも晴れやかに見える。
「ありがとうございます」
「ま、たまには戸田君と一緒に遊びに来てくれ。その時は、こいつらと歓迎するよ」
アキは少し照れたように。タツキは優しく穏やかに。どちらも武井さんに身を寄せるようにして、笑顔だ。少し歴史が変わっていれば、『妹』と呼んでいたかもしれない、彼女達。
でも、今の彼女達は友達であって、妹じゃない。
「頑張ってね、応援してる」
「また遊びに来てねぇ」
「はい! 必ず!」
次は、花姫……姉さんも連れてきますね!
----
「……うん。じゃ、姉さんと千喜にもよろしく。静姉にはボクから伝えとくよ」
その言葉と共に、ボクは携帯のフリップをぱたんと閉じた。
「静姉!」
真直堂の入口にいるのは店長さんと、静姉達だ。静姉の肩にココが乗ってるって事は、万事丸く収まったらしい。
やれやれ。
「ゴメンね、父さん」
結局、ボク達は静姉の決着が着くまで現状待機。父さんもランドクルーザーにもたれ掛かってタバコを吸って……って、こんな路上で吸ってちゃ、見つかったら厳重注意じゃ済まないよ?
「ま、いいんじゃね? たまには」
それはどっちの意味なんだか。良い方の意味で取って良いんだよね? ね? 携帯灰皿も持ってるよね?
そんな事を話していると、店長さんとの話も終わったんだろう。静姉達がぱたぱたと駆けてくる。
「すいません、おじさま」
「いいって。いつもウチのバカが世話になってるんだし」
……まあ、間違ってはいないけどね。
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「じゃ、出すぞー」
十貴のおじさまの大型車……ボトムズバトリングで使うらしい……が、ゆっくりと走り出す。
一人で見上げたときは灰色だったそこも、静香の肩から眺めれば、ネオンに包まれた賑やかな街。
「また、よろしくお願いします。静香」
静香の頬に体を寄せて、私は耳元でそっと呟く。
「ええ。よろしくね、ココ」
こうして、私の秋葉原での長い長い一日は、終わりを告げた。
いや……これからが、本当の始まりなんだ。
これからこそが。
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