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「ドキドキハウリン 外伝10」(2007/02/21 (水) 00:35:12) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
リノリウムに覆われた細く長い廊下。そこに灯る明かりは、たった二本の蛍光灯だけだった。
「あの犬野郎は?」
「隣の棟で検査してるって聞いたけど……」
設えられた簡素な長椅子に座っているのは、ボクとジルの二人だけ。無機質な緑と白の光景は、病院の待合室を連想させるに十分なもの。
「遅いね……静姉」
「……ああ」
ジルも長話をする気にはなれないのか。それだけ呟いて、後は黙ったまま。
壁の時計は二十時を過ぎていた。
大会を終わらせたボク達が、ここ……EDEN-PLASTICSの中央研究所に着いたのは十六時を少し過ぎた頃。その時には花姫はとっくに研究室の中に運び込まれていたから、かれこれ五時間近くが経っている計算になる。
その間、花姫はおろか、静姉が出てくる気配もない。受付のお姉さんに案内されてきたんだから、間違ってるはずはないと思うんだけど……。
一度声を掛けてみようか。
ぼんやりと考えていたボクに、すっと影が投げかけられた。
「十貴」
消え入りそうな声と共に、こちらを見下ろしていたのは……。
「静姉! 花姫は?」
静姉だった。
「CSCと素体のマザーチップが全壊。コアユニットのバックアップ経由で、復元作業も試してくれたんだけど……」
そこまで言って、静姉は静かに首を横に振る。
「そんな……」
コアユニットは神姫の頭脳。
CSCは神姫の心。
素体は頭脳と心を繋ぐ、パソコンで言うマザーボードの役割を果たす。
神姫そのものとも言える二つを失ったとしたら……。
「くそぅっ! あの犬野郎……ッ!」
いきり立つジルを片手で制して、ボクは静姉に重ねて問いかける。
「じゃあコアユニットは? コアユニットは無事だったんでしょ?」
けど、その問いにも静姉は首を横に振るだけ。
「ログを見たらね……姫、降参の信号を出さなかったんだって」
「……え?」
ボクは耳を疑った。
「それは、出せなかった、って事?」
システムエラー?
戦闘中の機能破損?
でもそれならそれで、戦闘続行不可能の判定が出る。少なくとも、花姫が壊れるまで戦った原因にはならないはず。
「ううん。出さなかったんだって」
バカな。
そう呟いたのは、ジルだった。
「そんな事、あるはずがないだろ……!」
うん。
ジルの言うとおり。
戦闘の勝ち負けの判定を行うのは、神姫の深層意識、無意識に当たる部分だ。ボク達が心臓を動かしたり、汗をかいたりするのと同じ感覚で、神姫の無意識は戦闘の判断を行い、自らに命の危険が及ぶ前にTKO(テクニカルノックアウト)宣言を出す。
例えばジルがマオチャオのドリルを胸に受けたとしても……ジルの無意識が、直撃を受けると分かった瞬間に勝手に敗北宣言を出してしまう。敗北宣言を受けたマオチャオは自らの意志に関わらずドリルの回転と踏み込みを緩めるし、負けたジルはどれだけ戦意が残っていても全力で回避行動に移行する。
だから、たとえ手足の一本が飛ぶことはあったとしても、神姫そのものが失われることは決してない……はずなんだ。
その無意識下のコントロールを花姫が自らの意志で行ったなんて、信じられるわけがない。
「原因が分からないから、コアユニットごと回収して調査するんだって……」
ボクもジルも、それ以上静姉に声を掛けることが出来なかった。
それは花姫が、ボク達の所に永遠に帰ってこない事を示していたから……。
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**魔女っ子神姫 マジカル☆アーンヴァル
**~ドキドキハウリン外伝~
**その10
----
俺の蹴りが、奴の体を吹き飛ばした。
「また二秒、世界を縮めた……ッ!」
スピーディな完全勝利。
そう、俺の真価は速さにある。一人称は『わたし』より『俺』。二人称なら『あなた』より『奴』。ほら、一文字ぶん言い終わるのが速い。一文字の違いがどうしたって?
分かるだろう? そのたった一文字ぶんの時間の差が、こうして奴と俺の明暗をクッキリシッカリハッキリと分けているじゃないか。
「ま、まだ……っ!」
おいおい。いい加減にしてくれよ。
俺は再び走り出し、蹴りを叩き込む。
蹴りも最高だ。なにせ移動しながら同時に攻撃ができる。そのうえ、両手が空くから移動と攻撃をしながら別のことが出来るじゃないか。
速さこそが最強。
速さこそが究極。
速さこそが無敵。
「まだっ! まだ負けないんだからっ!」
まだかよ……!
諦めることも速さの一つだぜ? 少なくとも、反省の時間を早く持ってくることで次の戦いで俺に勝つ可能性が上がる。ま、俺はもっと先を行くけどな。
そして奴はバカでかいブースターで飛翔した。
なんとまあ。
美しくない。
俺の足は、あんな大きな装備を必要としない。最速で決着を付けるから、邪魔なプロペラントタンクはいらないからだ。燃料が少なければ機体を軽くできる。機体を軽くできれば、さらに速さを極められる。
最強にスマート。
究極に高機動。
故に、無敵!
無敵の俺が、さらに奴を叩き落とす。ブースターを破壊すれば、もう飛ぶことは……。
「まだまだぁっ!」
……勘弁してくれ。
奴と俺の差は歴然。
強さも余裕も、何もかもが足りない。
もちろん、一番足りないのは速さだけどな。
それでも奴は立っている。
「……行くぞ」
まあいい。オーケー。
なら、今度こそ終わらせてやる。
ライトセイバーを構えた奴に、俺はダッシュ。
狙うはTKOだ。致命傷を与える攻撃を認めさせれば、戦いを最高にスマートに終わらせることが出来る。
「やあああああっ!」
遅い遅い遅い遅い。
俺の蹴りが、胸元に定まる。
遅い遅い遅い。
スラスターの燃料は残り一発分。それを使ってTKO判定が出た瞬間に回避すれば、完璧な決着が着く。
遅い遅い。
……いや、遅すぎないか?
俺の予測じゃ、どうみても回避できる間合じゃない。カウンター狙いなのは分かるが、TKO判定を出すのが遅すぎじゃないか?
遅い。
くそ。チキンレースかよ!
おそ。
ああいいさ。こうなりゃやってやる。最速の俺が、最強にスマートなタイミングでTKOをキメてやればいいだけの話。
お。
いいだけの……。
。
なっ!
俺の蹴りが、奴の胸元に吸い込まれていく。
めき、という装甲がひしゃげる触感と……。
ぱき、と鳴るのは素体の基盤が割れた音か、CSCが砕けた音か……その両方か。
「な……っ!」
そして。
俺の足に胸元を貫かせたまま、奴はにぃっと笑う。
「遅い」
なっ!
「なんで、かわせなかったの?」
かわす自信はあったさ!
けど、奴がいつまで経ってもTKOを……。
「言い訳じゃない。あなたが速ければ、いくらでも避けられたでしょう?」
な!
俺が……速くないだと!?
「神姫殺し」
っ!
「遅かったばっかりに、神姫を殺しちゃった」
遅い?
この、俺が!?
「こんなに遅くちゃ、もうお終いね」
俺が遅い?
俺がスロウリィ……?
俺が……っ!
----
「きゃああああああああああああああああああっ!」
その悲鳴で目を覚ますのは、これで一週間連続だった。
ベッドサイドのクレイドルを見遣れば、そこにいるのは荒い息を吐くハウリンの姿。
「……大丈夫か、クウガ」
あの試合以来、ずっとこうだ。大会直後に研究所で調査してもらった結果は『異常なし』だったけど、こんな姿を見て異常なしと思えるほど俺は人間が出来てない。
相手のアーンヴァルは、そのままロストしてしまったと聞いた。気が動転した俺は連絡先を聞く事も忘れて、そのままになっているんだが……これも、何とかしなくちゃならん事の一つ。
ただ、アーンヴァルの末路は、まだクウガに話してない。多分、気付いちゃいるんだろうけど、な。
……意気地無しだと、笑ってくれてもいいさ。
「何でもない。ああ、大丈夫さ俺は」
こんな状態のコイツに話せる度胸を、俺は持ち合わせちゃいない。
自らに大丈夫と言い聞かせ続けるクウガにため息を一つ吐き、バックアップ用に起動させっぱなしだったパソコンを確認。
またか。
「バックアップ、取れて無いじゃないか。充電もほとんど出来てないし……大丈夫じゃないだろ」
あれ以来、クウガのシステムは休眠することなく稼働しっぱなしになっている。研究所の連中は「ショック症状が治まれば、じき直る」とか言ってたけど、正直信用できそうにない。
「大丈夫……さ。バックアップも充電も最速で済ませるから、先にメシ食って来な。タケヨシ」
そのままクレイドルに横になり、目を閉じる。
ディスプレイに映るクウガの稼働状況は、百パーセントを維持したまま。
「……タカヨシだっつの」
もうひとつため息を吐き、俺はベッドから立ち上がった。
----
家を出て、玄関の鍵を閉める。
十二月の冷たい風に、吐いた息は真っ白だ。申し訳程度の庭を過ぎて門を抜ければ、そこにいたのは……
「おはよー。十貴君」
「おはよー」
静姉のお姉さんのあかねさんと、彼女の神姫のにゃー子だった。
「どうしたんですか?」
社会人になってからは、家を出て一人暮らしをしてるって聞いてたけど……珍しく、帰ってきていたらしい。
「もしかして、静姉絡み?」
「いきなりラブラブだねぇ。心配?」
なんか一発目から不適当な言葉が入ってた気もするけど、まあ心配には違いない。
「……そりゃ心配ですよ」
夏休み明けのあの大会から、もう三月。
静姉の学校での様子は、今までと変わらなかった。
ごく普通に友達と話して。
ごく普通に授業を受けて。
ごく普通に志望校を決めて。
「……そっか」
でも、今までみたいにボクの部屋には来なくなった……例の着せ替えもなくなった……し、ジルも部屋に呼ばなくなった。夜も早く寝るようになったみたいで、十時頃には明かりが消えていることもしばしばだ。
夜更かしの理由は花姫の服を作るか、一緒に遊んでるかだったんだから、当たり前なんだけど。
そして……。
笑わなく、なった。
ボクがどれだけ声を掛けても、最低限のやり取りをするだけで、今までみたいに返してくれなくなっていた。
「そんなわけで、頼りになるおねーさんがリハビリを通達してきたから安心なさい」
「……リハビリ?」
そうか。やっぱりあかねさんは、その為に帰ってきたのか。
「日暮のおじさんの店、息子さんに譲ったの知ってるでしょ?」
「ああ。なんか改装してましたね」
看板も付け替えて、店名から一新するらしい。「俺がキッチリ仕込んだ一級品だから、品揃えだけは心配ない」って店長さんは笑ってたけど……正直、店長さんの引退は寂しかったりする。
「そこでバイトさせてもらえるよう、言ってきた」
ちょっと!
「静姉、まだ中学生ですよ!?」
いくら今年で卒業って言っても、ボク達はまだれっきとした中学三年生だ。
そりゃ、ボクと違って静姉のあの雰囲気なら、高校生って言っても普通に通るだろうけど……。
「お金はいらないって言ってあるから、ボランティアで通せるし。大丈夫よ」
とんでもない事をサラリとやってのける辺り、やっぱりこの人は静姉のお姉さんだ。
「ね、ますたぁ。バスの時間、遅れちゃうよ!」
「っと。それじゃね、十貴君! 静香のこと、よろしく頼むわねー!」
それだけ言い残して、あかねさんはにゃー子を肩に乗せて行ってしまった。
「は、はぁ……」
静姉、ちゃんとバイトに行くのかなぁ……?
----
「ありがとうございました。またご利用下さい」
そう言って、あたしは自動ドアから出ていくお客さんに頭を下げた。
EDEN-PLASTICS本社一階の広いショールームには、壁に設えられた見本の素体や、案内役兼動作サンプルの神姫達を見ているお客さんしかいない。とりあえず、午前中のお客さんはこれでラスト……なはず。
動作見本が商品説明もしてくれるって、楽ねぇ。
「ふいぃ……終わったかしらね、にゃー子」
そう呟いたあたしのブースに掛かっているのは、『持ち込み修理受付カウンター』というボードだ。大きな大会のある翌日は、いつも地獄絵図もかくやの混乱っぷりだったけど……つい先月、一つのサービスが始まったおかげで、そうでもなくなった。
バーチャルバトル。
仮想データ化した神姫を仮想空間で戦わせるという、今までのリアルバトルの対極に位置するシステムだ。
これのおかげで神姫の対戦筐体の設置件数もぐっと増えたし、狭いフィールドで実力の半分も出せなかったアーンヴァルものびのび戦えるようになった。
そして何より、神姫の破損件数が激減した。
これがあれば、花姫も死ななかったんだろうな……と考えると、何か微妙な気分になるんだけどさ。
「ね、ますたぁ」
そんなわけで休憩時間までのカウントダウンをしていると、にゃー子がブラウスの袖をくいくいと引っ張ってきた。
「何ー?」
あたしが休憩に行けるようになるまであと五分。
神様。どうか、その間にお客さんが来ませんように。
そんな不謹慎な事を考えながら、にゃー子の声に返事をひとつ。
「静香ちゃん、大丈夫かなぁ?」
「まあ、あの子の問題だしねぇ……」
呟いた後、まるで他人事のような言い方に、ちょっとだけ自己嫌悪。
こんな仕事をしていると、壊れた神姫のオーナーに会うことが日常茶飯事になってしまう。もちろん、静香のようにロストしてしまったオーナーにだって会う。
バトルだけじゃない。神姫から見れば、人間世界は危険で一杯だ。重量物の下敷きになることもあるし、高い所から落ちることだってある。車どころか自転車でさえ、神姫にとってはビルより大きな装甲車両と変わらない。
この仕事は大好きだけど、その悲しみを見ることに慣れざるをえないのは……正直、ちょっとだけ嫌だ。
「だよねー」
もしもにゃー子が同じ目に遭ったら、きっとあたしは立ち直れないだろうから。
「さて。あと三分……。にゃー子。そろそろ右手、ノーマルに戻しとい……」
そう言いかけたところで、入口の自動ドアがすいと開く。
入ってきたお客さんはきょろきょろとショールーム内を見回して……あらら、あたしのブースの看板に視線を注いでる。
来ちゃったよー。とほほ。
「あの、すいません」
さらば、愛しの昼食タイム。また後で会いましょう。
「はい。どういったご用件でしょうか?」
困った様子の男の人に、柔らかい笑顔で応対する。
いきなり怒鳴りつけてくるような(自主規制)なら、笑顔なんか出さないけどね。ほらそこ、お客さんを差別するなとか言うな。スタッフである以前に、あたしは人間だぞ。
「コイツの調子を見て欲しいんですが……」
そう言って彼が取りだしたのは、神姫保存用のケースだった。
自律稼動する神姫をわざわざケースに入れてるって事は、動作停止絡みか……。面倒なんて言っていられないな、これは。
「お客様。大会用の登録カードか、オーナー登録IDはお持ちですか?」
「はい」
大会の登録カードを受け取って、センターの修理履歴を呼び出す。
オーナー名、武井隆芳。
神姫名、ハウリンタイプ・クウガ。
最後の修理履歴は三ヶ月前。『バトル中の相手神姫破壊に伴う、心理的外傷の可能性あり。チェック時は問題なし。要観察』……ってこれ、まさか……。
「……また、不調に?」
もちろん、表には出さない。
ここでのあたしは、ひとりのEDEN-PLASTICSの修理対応スタッフだ。
人間ではあるけど、戸田静香の姉として振る舞う所じゃない。
「……見れば、分かると思います。起動させていいですか?」
「はい、どうぞ」
傍らのにゃー子にそっと目配せ。よしよし、右手はちゃんと業務モードのままね。
わたしの言葉に軽く頷き、武井さんは、沈んだ顔でケースの起動ボタンをオンにした。よく見れば、目の下には薄い隈が浮かんでいる。
起動シグナルを受け、眠ったままのハウリンの大きな瞳がゆっくりと開いて……。
「ああああああああああああああああああああっ!」
ショールームを震わせるのは、耳を貫く叫び声。
「にゃー子!」
「うん!」
あたしが叫んだときには既ににゃー子は飛び出している。天を見上げ、ひたすらに絶叫するクウガの顔を右手で掴み。
バシィッ!
乾いた音が一発響く。
それと同時に金切り声はぴたりと止まり。頭部をにゃー子に掴まれたまま、ハウリンの両手は力なく崩れ落ちた。
「クウガっ!」
再びケースに横たわるハウリンに、武井さんの悲鳴が響く。ま、心臓にいい光景じゃないけど。
「コアユニットに遮断信号を撃ち込んだだけです。彼女に苦痛やダメージはありません。じきに再起動がかかりますから、心配しないでください」
にゃー子の黒い右手は、神姫のコアユニットに強制停止コードを撃ち込む指向性発振器だ。あたし達がパラライザー……人間用の神姫停止コード発振器だ……を振り回すより、はるかに速く正確に、暴れる神姫を止める事が出来る。
もちろん公式の神姫バトルで、この『黒い右手』を使うことは許されない。まるっきり反則の装備だから、制御ソフトが入っている時点で厳重処罰を喰らってしまうと聞いた。
あたしとにゃー子はそもそも公式戦への参加資格がないから、処罰ってのがどうなるかは知らないんだけどね。
「……そう、ですか」
あたしの話に落ち着いたのか、武井さんも静かに話を聞いてくれている。
「やっぱり、あの事件から……ですか?」
「はい。武装も付けられなくなって、もう、充電もまともに……」
眠ったままのクウガをチェック用のクレードルに接続。再起動が終わり、スリープモードに入っているはずなのに、素体とクレードルの間でデータ転送や充電が始まる様子がない。
システムの利用率は百パーセントを維持したまま。
なるほど、ね。
「夢を見てるみたいですね」
武井さんも軽く頷いてくれた。
神姫は夢を見る。
正確には、一日のデータを一度検証して、不要なデータと必要なデータの選別を行っている。その断片的な光景が、夢という形で神姫の意識に認識されるのだという。
「そこまでは何となく想像がつくんですが……」
多分、クウガは花姫を殺してしまった所で処理がループしてしまい、以降のデータが処理できなくなっているんだろう。
そしてその負荷は電子頭脳の限界を超えて、暴走という形で表に出て来ているに違いない。
人間の基準で言えば、彼女は悪夢を見ているのだろう。
「何とか、なりませんか?」
さて困った。
「神姫……いや、超AIの研究はまだ始まったばかりです。この手の症状も、対処のしようがないんですよ……」
そもそも研究対象である超AI自体、この十年で生まれたもの。神姫ほど感情豊かな人工知能が一般に出回ったのに至ってはわずか数年。
まだ研究者達も症例を集めている段階で、対処法はおろか前例さえない場合がほとんどだ。経験則さえない段階で、具体的な治療法があるはずもない。
たぶんクウガの症例も、サンプルのひとつとして研究セクションに提供することになるだろう。
「どれだけ時間がかかっても構いません! 何とか……」
あたしもにゃー子のマスターだ。
武井さんの気持ちは、痛いほど分かる。
「これは私見ですが……彼女のAIが保たなくなる方が、早いかと」
でも、それが現実。
クウガの電子頭脳は、この三ヶ月で既に限界に達している。あと一年……いや、半年を待たずして、彼女の心は自ら崩れ去るだろう。
たった一つの方法を除いて、あたし達に彼女を助ける術はない。
「何とか出来ないんですか! ここはメーカーでしょう! 上の人とか……っ!」
「出来るものならやってます!」
……と。
「……ごめんなさい」
ダメだ。感情が高ぶりすぎた。
ここでお客さんに怒鳴っちゃ、サポートスタッフ失格だ。
「いえ……俺も、すいません」
武井さんも少し落ち着いてくれたらしい。
でも、神姫のことをここまで考えてくれる人に、あの提案だけはしたくなかった。
「一つ、方法があるだろう? お嬢さん」
その時だ。
「……クウガ!」
クレードルから、そのハウリンが起き上がったのは。
「時間がないからスマートに言うぞ。あと記録取れ、タカヨシ」
落ち着いた声は、彼女の精神年齢が高めに設定されている事を示している。
ああ。彼女は、全部分かってるんだ……。
「こら、俺はタカヨシだっつ……」
「合ってるだろう?」
「……ああ」
あたしにはそのやり取りの意味が分からなかったけど、それが二人の大切なコミュニケーションなんだろう。
「ますたぁ」
「黙って見とき。にゃー子」
たぶん、これが武井さんとクウガの最後の会話になる。あたしたち部外者が口を出すことは、許されない。
いや、出しちゃいけない。
武井さんが携帯を取り出し、彼女の『遺言』をムービーに納めるのを、あたしとにゃー子は静かに見守るだけだった。
----
がらがらと、玄関の開く音がした。
扉が閉まり、築二十三年の廊下がギシギシ軋んで、誰かがこっちに向かってくるのを教えてくれる。
ふすまが開いて、彼女がこちらを覗き込んできた。
「あれ? 姉さん」
バイト……じゃない、お手伝いの帰りなんだろう。着ているのは中学指定のコートじゃなくて、あたしがクリスマスプレゼントに贈ったダッフルコートだった。
「や。元気?」
「……何よ」
せっかくにゃー子と一緒にお出迎えしてあげたのに、愛想悪いわねこの子は。
「日暮さんから聞いたわよー。ちゃんとやってるそうじゃない」
帰りにエルゴに寄ってみたけど、日暮さんの評価はおおむね好評だった。とりあえず、足は引っ張っていないようで何よりだ。
「……引き受けたからには、ね」
静香は相変わらずぷいと顔を背けたまま。
そんなにあたしとにゃー子が嫌か。
やれやれとコタツを出て、あたしは傍らに置いてあった箱を取り上げる。
「それじゃ、そんなあなたにプレゼントをあげましょう」
「どうしたの? 姉さんが珍しい」
珍しいって、ちゃんとクリスマスにはプレゼントあげたし、お正月だってお年玉あげたじゃない。
そもそも、花姫の維持費は誰が……っと、これは流石に地雷だ。やめとこう。
「ま、それはいいから。卒業祝い兼入学祝いだと思って、さ。開けてみて?」
静香はぶつぶつ言いながらも、コタツの上に箱を置いてくれた。メッセージカードらしい大きめの封筒を外して、包みを開ければ……。
「……きゃああっ!」
あー。
そう来たか。
「そんな、カエルが入ってたわけじゃあるまいし」
あたしは苦笑しながら、吹っ飛んだ箱をコタツの上に戻してやる。
一応これでも、精密機械なんだけどなぁ。
「かっ……カエルのほうがまだマシよ……っ!」
本人が聞いたら泣きそうなことを言いながら、静香は珍しくマジギレだ。まあこの子、カエル全然嫌いじゃないしねぇ。
「っていうかこれ……」
「そ。あなたへのプレゼント」
静香の顔には「どうみても嫌がらせです」と書いてあるように見えたけど、颯爽と無視しておいた。
「ハウリンじゃないっ!」
そうだけど、何か?
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リノリウムに覆われた細く長い廊下。そこに灯る明かりは、たった二本の蛍光灯だけだった。
「あの犬野郎は?」
「隣の棟で検査してるって聞いたけど……」
設えられた簡素な長椅子に座っているのは、ボクとジルの二人だけ。無機質な緑と白の光景は、病院の待合室を連想させるに十分なもの。
「遅いね……静姉」
「……ああ」
ジルも長話をする気にはなれないのか。それだけ呟いて、後は黙ったまま。
壁の時計は二十時を過ぎていた。
大会を終わらせたボク達が、ここ……EDEN-PLASTICSの中央研究所に着いたのは十六時を少し過ぎた頃。その時には花姫はとっくに研究室の中に運び込まれていたから、かれこれ五時間近くが経っている計算になる。
その間、花姫はおろか、静姉が出てくる気配もない。受付のお姉さんに案内されてきたんだから、間違ってるはずはないと思うんだけど……。
一度声を掛けてみようか。
ぼんやりと考えていたボクに、すっと影が投げかけられた。
「十貴」
消え入りそうな声と共に、こちらを見下ろしていたのは……。
「静姉! 花姫は?」
静姉だった。
「CSCと素体のマザーチップが全壊。コアユニットのバックアップ経由で、復元作業も試してくれたんだけど……」
そこまで言って、静姉は静かに首を横に振る。
「そんな……」
コアユニットは神姫の頭脳。
CSCは神姫の心。
素体は頭脳と心を繋ぐ、パソコンで言うマザーボードの役割を果たす。
神姫そのものとも言える二つを失ったとしたら……。
「くそぅっ! あの犬野郎……ッ!」
いきり立つジルを片手で制して、ボクは静姉に重ねて問いかける。
「じゃあコアユニットは? コアユニットは無事だったんでしょ?」
けど、その問いにも静姉は首を横に振るだけ。
「ログを見たらね……姫、降参の信号を出さなかったんだって」
「……え?」
ボクは耳を疑った。
「それは、出せなかった、って事?」
システムエラー?
戦闘中の機能破損?
でもそれならそれで、戦闘続行不可能の判定が出る。少なくとも、花姫が壊れるまで戦った原因にはならないはず。
「ううん。出さなかったんだって」
バカな。
そう呟いたのは、ジルだった。
「そんな事、あるはずがないだろ……!」
うん。
ジルの言うとおり。
戦闘の勝ち負けの判定を行うのは、神姫の深層意識、無意識に当たる部分だ。ボク達が心臓を動かしたり、汗をかいたりするのと同じ感覚で、神姫の無意識は戦闘の判断を行い、自らに命の危険が及ぶ前にTKO(テクニカルノックアウト)宣言を出す。
例えばジルがマオチャオのドリルを胸に受けたとしても……ジルの無意識が、直撃を受けると分かった瞬間に勝手に敗北宣言を出してしまう。敗北宣言を受けたマオチャオは自らの意志に関わらずドリルの回転と踏み込みを緩めるし、負けたジルはどれだけ戦意が残っていても全力で回避行動に移行する。
だから、たとえ手足の一本が飛ぶことはあったとしても、神姫そのものが失われることは決してない……はずなんだ。
その無意識下のコントロールを花姫が自らの意志で行ったなんて、信じられるわけがない。
「原因が分からないから、コアユニットごと回収して調査するんだって……」
ボクもジルも、それ以上静姉に声を掛けることが出来なかった。
それは花姫が、ボク達の所に永遠に帰ってこない事を示していたから……。
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**魔女っ子神姫 マジカル☆アーンヴァル
**~ドキドキハウリン外伝~
**その10
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俺の蹴りが、奴の体を吹き飛ばした。
「また二秒、世界を縮めた……ッ!」
スピーディな完全勝利。
そう、俺の真価は速さにある。一人称は『わたし』より『俺』。二人称なら『あなた』より『奴』。ほら、一文字ぶん言い終わるのが速い。一文字の違いがどうしたって?
分かるだろう? そのたった一文字ぶんの時間の差が、こうして奴と俺の明暗をクッキリシッカリハッキリと分けているじゃないか。
「ま、まだ……っ!」
おいおい。いい加減にしてくれよ。
俺は再び走り出し、蹴りを叩き込む。
蹴りも最高だ。なにせ移動しながら同時に攻撃ができる。そのうえ、両手が空くから移動と攻撃をしながら別のことが出来るじゃないか。
速さこそが最強。
速さこそが究極。
速さこそが無敵。
「まだっ! まだ負けないんだからっ!」
まだかよ……!
諦めることも速さの一つだぜ? 少なくとも、反省の時間を早く持ってくることで次の戦いで俺に勝つ可能性が上がる。ま、俺はもっと先を行くけどな。
そして奴はバカでかいブースターで飛翔した。
なんとまあ。
美しくない。
俺の足は、あんな大きな装備を必要としない。最速で決着を付けるから、邪魔なプロペラントタンクはいらないからだ。燃料が少なければ機体を軽くできる。機体を軽くできれば、さらに速さを極められる。
最強にスマート。
究極に高機動。
故に、無敵!
無敵の俺が、さらに奴を叩き落とす。ブースターを破壊すれば、もう飛ぶことは……。
「まだまだぁっ!」
……勘弁してくれ。
奴と俺の差は歴然。
強さも余裕も、何もかもが足りない。
もちろん、一番足りないのは速さだけどな。
それでも奴は立っている。
「……行くぞ」
まあいい。オーケー。
なら、今度こそ終わらせてやる。
ライトセイバーを構えた奴に、俺はダッシュ。
狙うはTKOだ。致命傷を与える攻撃を認めさせれば、戦いを最高にスマートに終わらせることが出来る。
「やあああああっ!」
遅い遅い遅い遅い。
俺の蹴りが、胸元に定まる。
遅い遅い遅い。
スラスターの燃料は残り一発分。それを使ってTKO判定が出た瞬間に回避すれば、完璧な決着が着く。
遅い遅い。
……いや、遅すぎないか?
俺の予測じゃ、どうみても回避できる間合じゃない。カウンター狙いなのは分かるが、TKO判定を出すのが遅すぎじゃないか?
遅い。
くそ。チキンレースかよ!
おそ。
ああいいさ。こうなりゃやってやる。最速の俺が、最強にスマートなタイミングでTKOをキメてやればいいだけの話。
お。
いいだけの……。
。
なっ!
俺の蹴りが、奴の胸元に吸い込まれていく。
めき、という装甲がひしゃげる触感と……。
ぱき、と鳴るのは素体の基盤が割れた音か、CSCが砕けた音か……その両方か。
「な……っ!」
そして。
俺の足に胸元を貫かせたまま、奴はにぃっと笑う。
「遅い」
なっ!
「なんで、かわせなかったの?」
かわす自信はあったさ!
けど、奴がいつまで経ってもTKOを……。
「言い訳じゃない。あなたが速ければ、いくらでも避けられたでしょう?」
な!
俺が……速くないだと!?
「神姫殺し」
っ!
「遅かったばっかりに、神姫を殺しちゃった」
遅い?
この、俺が!?
「こんなに遅くちゃ、もうお終いね」
俺が遅い?
俺がスロウリィ……?
俺が……っ!
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「きゃああああああああああああああああああっ!」
その悲鳴で目を覚ますのは、これで一週間連続だった。
ベッドサイドのクレイドルを見遣れば、そこにいるのは荒い息を吐くハウリンの姿。
「……大丈夫か、クウガ」
あの試合以来、ずっとこうだ。大会直後に研究所で調査してもらった結果は『異常なし』だったけど、こんな姿を見て異常なしと思えるほど俺は人間が出来てない。
相手のアーンヴァルは、そのままロストしてしまったと聞いた。気が動転した俺は連絡先を聞く事も忘れて、そのままになっているんだが……これも、何とかしなくちゃならん事の一つ。
ただ、アーンヴァルの末路は、まだクウガに話してない。多分、気付いちゃいるんだろうけど、な。
……意気地無しだと、笑ってくれてもいいさ。
「何でもない。ああ、大丈夫さ俺は」
こんな状態のコイツに話せる度胸を、俺は持ち合わせちゃいない。
自らに大丈夫と言い聞かせ続けるクウガにため息を一つ吐き、バックアップ用に起動させっぱなしだったパソコンを確認。
またか。
「バックアップ、取れて無いじゃないか。充電もほとんど出来てないし……大丈夫じゃないだろ」
あれ以来、クウガのシステムは休眠することなく稼働しっぱなしになっている。研究所の連中は「ショック症状が治まれば、じき直る」とか言ってたけど、正直信用できそうにない。
「大丈夫……さ。バックアップも充電も最速で済ませるから、先にメシ食って来な。タケヨシ」
そのままクレイドルに横になり、目を閉じる。
ディスプレイに映るクウガの稼働状況は、百パーセントを維持したまま。
「……タカヨシだっつの」
もうひとつため息を吐き、俺はベッドから立ち上がった。
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家を出て、玄関の鍵を閉める。
十二月の冷たい風に、吐いた息は真っ白だ。申し訳程度の庭を過ぎて門を抜ければ、そこにいたのは……
「おはよー。十貴君」
「おはよー」
静姉のお姉さんのあかねさんと、彼女の神姫のにゃー子だった。
「どうしたんですか?」
社会人になってからは、家を出て一人暮らしをしてるって聞いてたけど……珍しく、帰ってきていたらしい。
「もしかして、静姉絡み?」
「いきなりラブラブだねぇ。心配?」
なんか一発目から不適当な言葉が入ってた気もするけど、まあ心配には違いない。
「……そりゃ心配ですよ」
夏休み明けのあの大会から、もう三月。
静姉の学校での様子は、今までと変わらなかった。
ごく普通に友達と話して。
ごく普通に授業を受けて。
ごく普通に志望校を決めて。
「……そっか」
でも、今までみたいにボクの部屋には来なくなった……例の着せ替えもなくなった……し、ジルも部屋に呼ばなくなった。夜も早く寝るようになったみたいで、十時頃には明かりが消えていることもしばしばだ。
夜更かしの理由は花姫の服を作るか、一緒に遊んでるかだったんだから、当たり前なんだけど。
そして……。
笑わなく、なった。
ボクがどれだけ声を掛けても、最低限のやり取りをするだけで、今までみたいに返してくれなくなっていた。
「そんなわけで、頼りになるおねーさんがリハビリを通達してきたから安心なさい」
「……リハビリ?」
そうか。やっぱりあかねさんは、その為に帰ってきたのか。
「日暮のおじさんの店、息子さんに譲ったの知ってるでしょ?」
「ああ。なんか改装してましたね」
看板も付け替えて、店名から一新するらしい。「俺がキッチリ仕込んだ一級品だから、品揃えだけは心配ない」って店長さんは笑ってたけど……正直、店長さんの引退は寂しかったりする。
「そこでバイトさせてもらえるよう、言ってきた」
ちょっと!
「静姉、まだ中学生ですよ!?」
いくら今年で卒業って言っても、ボク達はまだれっきとした中学三年生だ。
そりゃ、ボクと違って静姉のあの雰囲気なら、高校生って言っても普通に通るだろうけど……。
「お金はいらないって言ってあるから、ボランティアで通せるし。大丈夫よ」
とんでもない事をサラリとやってのける辺り、やっぱりこの人は静姉のお姉さんだ。
「ね、ますたぁ。バスの時間、遅れちゃうよ!」
「っと。それじゃね、十貴君! 静香のこと、よろしく頼むわねー!」
それだけ言い残して、あかねさんはにゃー子を肩に乗せて行ってしまった。
「は、はぁ……」
静姉、ちゃんとバイトに行くのかなぁ……?
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「ありがとうございました。またご利用下さい」
そう言って、あたしは自動ドアから出ていくお客さんに頭を下げた。
EDEN-PLASTICS本社一階の広いショールームには、壁に設えられた見本の素体や、案内役兼動作サンプルの神姫達を見ているお客さんしかいない。とりあえず、午前中のお客さんはこれでラスト……なはず。
動作見本が商品説明もしてくれるって、楽ねぇ。
「ふいぃ……終わったかしらね、にゃー子」
そう呟いたあたしのブースに掛かっているのは、『持ち込み修理受付カウンター』というボードだ。大きな大会のある翌日は、いつも地獄絵図もかくやの混乱っぷりだったけど……つい先月、一つのサービスが始まったおかげで、そうでもなくなった。
バーチャルバトル。
仮想データ化した神姫を仮想空間で戦わせるという、今までのリアルバトルの対極に位置するシステムだ。
これのおかげで神姫の対戦筐体の設置件数もぐっと増えたし、狭いフィールドで実力の半分も出せなかったアーンヴァルものびのび戦えるようになった。
そして何より、神姫の破損件数が激減した。
これがあれば、花姫も死ななかったんだろうな……と考えると、何か微妙な気分になるんだけどさ。
「ね、ますたぁ」
そんなわけで休憩時間までのカウントダウンをしていると、にゃー子がブラウスの袖をくいくいと引っ張ってきた。
「何ー?」
あたしが休憩に行けるようになるまであと五分。
神様。どうか、その間にお客さんが来ませんように。
そんな不謹慎な事を考えながら、にゃー子の声に返事をひとつ。
「静香ちゃん、大丈夫かなぁ?」
「まあ、あの子の問題だしねぇ……」
呟いた後、まるで他人事のような言い方に、ちょっとだけ自己嫌悪。
こんな仕事をしていると、壊れた神姫のオーナーに会うことが日常茶飯事になってしまう。もちろん、静香のようにロストしてしまったオーナーにだって会う。
バトルだけじゃない。神姫から見れば、人間世界は危険で一杯だ。重量物の下敷きになることもあるし、高い所から落ちることだってある。車どころか自転車でさえ、神姫にとってはビルより大きな装甲車両と変わらない。
この仕事は大好きだけど、その悲しみを見ることに慣れざるをえないのは……正直、ちょっとだけ嫌だ。
「だよねー」
もしもにゃー子が同じ目に遭ったら、きっとあたしは立ち直れないだろうから。
「さて。あと三分……。にゃー子。そろそろ右手、ノーマルに戻しとい……」
そう言いかけたところで、入口の自動ドアがすいと開く。
入ってきたお客さんはきょろきょろとショールーム内を見回して……あらら、あたしのブースの看板に視線を注いでる。
来ちゃったよー。とほほ。
「あの、すいません」
さらば、愛しの昼食タイム。また後で会いましょう。
「はい。どういったご用件でしょうか?」
困った様子の男の人に、柔らかい笑顔で応対する。
いきなり怒鳴りつけてくるような(自主規制)なら、笑顔なんか出さないけどね。ほらそこ、お客さんを差別するなとか言うな。スタッフである以前に、あたしは人間だぞ。
「コイツの調子を見て欲しいんですが……」
そう言って彼が取りだしたのは、神姫保存用のケースだった。
自律稼動する神姫をわざわざケースに入れてるって事は、動作停止絡みか……。面倒なんて言っていられないな、これは。
「お客様。大会用の登録カードか、オーナー登録IDはお持ちですか?」
「はい」
大会の登録カードを受け取って、センターの修理履歴を呼び出す。
オーナー名、武井隆芳。
神姫名、ハウリンタイプ・クウガ。
最後の修理履歴は三ヶ月前。『バトル中の相手神姫破壊に伴う、心理的外傷の可能性あり。チェック時は問題なし。要観察』……ってこれ、まさか……。
「……また、不調に?」
もちろん、表には出さない。
ここでのあたしは、ひとりのEDEN-PLASTICSの修理対応スタッフだ。
人間ではあるけど、戸田静香の姉として振る舞う所じゃない。
「……見れば、分かると思います。起動させていいですか?」
「はい、どうぞ」
傍らのにゃー子にそっと目配せ。よしよし、右手はちゃんと業務モードのままね。
わたしの言葉に軽く頷き、武井さんは、沈んだ顔でケースの起動ボタンをオンにした。よく見れば、目の下には薄い隈が浮かんでいる。
起動シグナルを受け、眠ったままのハウリンの大きな瞳がゆっくりと開いて……。
「ああああああああああああああああああああっ!」
ショールームを震わせるのは、耳を貫く叫び声。
「にゃー子!」
「うん!」
あたしが叫んだときには既ににゃー子は飛び出している。天を見上げ、ひたすらに絶叫するクウガの顔を右手で掴み。
バシィッ!
乾いた音が一発響く。
それと同時に金切り声はぴたりと止まり。頭部をにゃー子に掴まれたまま、ハウリンの両手は力なく崩れ落ちた。
「クウガっ!」
再びケースに横たわるハウリンに、武井さんの悲鳴が響く。ま、心臓にいい光景じゃないけど。
「コアユニットに遮断信号を撃ち込んだだけです。彼女に苦痛やダメージはありません。じきに再起動がかかりますから、心配しないでください」
にゃー子の黒い右手は、神姫のコアユニットに強制停止コードを撃ち込む指向性発振器だ。あたし達がパラライザー……人間用の神姫停止コード発振器だ……を振り回すより、はるかに速く正確に、暴れる神姫を止める事が出来る。
もちろん公式の神姫バトルで、この『黒い右手』を使うことは許されない。まるっきり反則の装備だから、制御ソフトが入っている時点で厳重処罰を喰らってしまうと聞いた。
あたしとにゃー子はそもそも公式戦への参加資格がないから、処罰ってのがどうなるかは知らないんだけどね。
「……そう、ですか」
あたしの話に落ち着いたのか、武井さんも静かに話を聞いてくれている。
「やっぱり、あの事件から……ですか?」
「はい。武装も付けられなくなって、もう、充電もまともに……」
眠ったままのクウガをチェック用のクレードルに接続。再起動が終わり、スリープモードに入っているはずなのに、素体とクレードルの間でデータ転送や充電が始まる様子がない。
システムの利用率は百パーセントを維持したまま。
なるほど、ね。
「夢を見てるみたいですね」
武井さんも軽く頷いてくれた。
神姫は夢を見る。
正確には、一日のデータを一度検証して、不要なデータと必要なデータの選別を行っている。その断片的な光景が、夢という形で神姫の意識に認識されるのだという。
「そこまでは何となく想像がつくんですが……」
多分、クウガは花姫を殺してしまった所で処理がループしてしまい、以降のデータが処理できなくなっているんだろう。
そしてその負荷は電子頭脳の限界を超えて、暴走という形で表に出て来ているに違いない。
人間の基準で言えば、彼女は悪夢を見ているのだろう。
「何とか、なりませんか?」
さて困った。
「神姫……いや、超AIの研究はまだ始まったばかりです。この手の症状も、対処のしようがないんですよ……」
そもそも研究対象である超AI自体、この十年で生まれたもの。神姫ほど感情豊かな人工知能が一般に出回ったのに至ってはわずか数年。
まだ研究者達も症例を集めている段階で、対処法はおろか前例さえない場合がほとんどだ。経験則さえない段階で、具体的な治療法があるはずもない。
たぶんクウガの症例も、サンプルのひとつとして研究セクションに提供することになるだろう。
「どれだけ時間がかかっても構いません! 何とか……」
あたしもにゃー子のマスターだ。
武井さんの気持ちは、痛いほど分かる。
「これは私見ですが……彼女のAIが保たなくなる方が、早いかと」
でも、それが現実。
クウガの電子頭脳は、この三ヶ月で既に限界に達している。あと一年……いや、半年を待たずして、彼女の心は自ら崩れ去るだろう。
たった一つの方法を除いて、あたし達に彼女を助ける術はない。
「何とか出来ないんですか! ここはメーカーでしょう! 上の人とか……っ!」
「出来るものならやってます!」
……と。
「……ごめんなさい」
ダメだ。感情が高ぶりすぎた。
ここでお客さんに怒鳴っちゃ、サポートスタッフ失格だ。
「いえ……俺も、すいません」
武井さんも少し落ち着いてくれたらしい。
でも、神姫のことをここまで考えてくれる人に、あの提案だけはしたくなかった。
「一つ、方法があるだろう? お嬢さん」
その時だ。
「……クウガ!」
クレードルから、そのハウリンが起き上がったのは。
「時間がないからスマートに言うぞ。あと記録取れ、タカヨシ」
落ち着いた声は、彼女の精神年齢が高めに設定されている事を示している。
ああ。彼女は、全部分かってるんだ……。
「こら、俺はタカヨシだっつ……」
「合ってるだろう?」
「……ああ」
あたしにはそのやり取りの意味が分からなかったけど、それが二人の大切なコミュニケーションなんだろう。
「ますたぁ」
「黙って見とき。にゃー子」
たぶん、これが武井さんとクウガの最後の会話になる。あたしたち部外者が口を出すことは、許されない。
いや、出しちゃいけない。
武井さんが携帯を取り出し、彼女の『遺言』をムービーに納めるのを、あたしとにゃー子は静かに見守るだけだった。
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がらがらと、玄関の開く音がした。
扉が閉まり、築二十三年の廊下がギシギシ軋んで、誰かがこっちに向かってくるのを教えてくれる。
ふすまが開いて、彼女がこちらを覗き込んできた。
「あれ? 姉さん」
バイト……じゃない、お手伝いの帰りなんだろう。着ているのは中学指定のコートじゃなくて、あたしがクリスマスプレゼントに贈ったダッフルコートだった。
「や。元気?」
「……何よ」
せっかくにゃー子と一緒にお出迎えしてあげたのに、愛想悪いわねこの子は。
「日暮さんから聞いたわよー。ちゃんとやってるそうじゃない」
帰りにエルゴに寄ってみたけど、日暮さんの評価はおおむね好評だった。とりあえず、足は引っ張っていないようで何よりだ。
「……引き受けたからには、ね」
静香は相変わらずぷいと顔を背けたまま。
そんなにあたしとにゃー子が嫌か。
やれやれとコタツを出て、あたしは傍らに置いてあった箱を取り上げる。
「それじゃ、そんなあなたにプレゼントをあげましょう」
「どうしたの? 姉さんが珍しい」
珍しいって、ちゃんとクリスマスにはプレゼントあげたし、お正月だってお年玉あげたじゃない。
そもそも、花姫の維持費は誰が……っと、これは流石に地雷だ。やめとこう。
「ま、それはいいから。卒業祝い兼入学祝いだと思って、さ。開けてみて?」
静香はぶつぶつ言いながらも、コタツの上に箱を置いてくれた。メッセージカードらしい大きめの封筒を外して、包みを開ければ……。
「……きゃああっ!」
あー。
そう来たか。
「そんな、カエルが入ってたわけじゃあるまいし」
あたしは苦笑しながら、吹っ飛んだ箱をコタツの上に戻してやる。
一応これでも、精密機械なんだけどなぁ。
「かっ……カエルのほうがまだマシよ……っ!」
本人が聞いたら泣きそうなことを言いながら、静香は珍しくマジギレだ。まあこの子、カエル全然嫌いじゃないしねぇ。
「っていうかこれ……」
「そ。あなたへのプレゼント」
静香の顔には「どうみても嫌がらせです」と書いてあるように見えたけど、颯爽と無視しておいた。
「ハウリンじゃないっ!」
そうだけど、何か?
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