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*第九話 拉致
レヴ・アタッチメント、ビックバイパーを纏った飛行形態のルシフェルは、アフターバーナー全開で専用緊急出撃ダクトを飛び抜け、屋敷の前庭中心にある噴水から躍り出た。
陽動、兼、殲滅役を仰せつかったルシフェルの出撃はトンネルドンにより腹に響くような轟音を起こしたから、その存在は屋敷に対して破壊活動を働いていた一つ目ども、メタトロン・プロジェクトの試験量産素体である、ラプターと呼ばれるそれらの一躍知るところとなった。無数の赤く灯るアイボールが、ぎょろぎょろと彼女を注視する。
ファースト・トップランカー神姫である彼女でさえ、通常装備では一つ目どもと戦うどころか有効な一撃を与えることさえできなかったか知れない。
今はこの俊敏な鎧がある。レヴ、つまり活性化、回転増加、の意を持つこのアタッチメントセットの名は伊達ではない。特に既存技術の粋を集めて造られた自らのビックバイパーは、OFアタッチメントに匹敵する性能をたたき出す。
隼のように飛び回る異形の戦闘機の出現に、一つ目どものコンピュータが混乱しているのがルシフェルには分かる。なにしろ奴らにとっては普通の武装神姫がありえない高速で飛び回っているのだ。戦闘能力には感情回路が不可欠であることはルシフェルも知っている。ラプターにも簡易的であるにしろ感情回路は搭載されているはずで、この混乱によってそれが明らかになった。
勝てる。ルシフェルはあらためて確信した。強固な確信である。
ギュビィー!
二股に分かれた彼女の機首、つまり内股に当たる部分から、高電圧音とともに二条の青白い収束レーザービームが照射された。秒速三十万キロの光条は回避を許さない。
照射しながらルシフェルは急激なロールを行い、機首の向く先にある五体のラプターを撫で見る。つまりレーザーの射線がラプターを横切ったのであって、その五体の一つ目どもは瞬時に真っ二つに溶断された。切り口を赤熱させながら墜落。
仲間を撃破された光景を分析したのか周囲の一つ目どもがルシフェルの機首を避ける機動を見せた。
そのような動きは予測済みである。
パシュシュシュッ
主翼の放出口より小型の誘導弾頭を射出。機体よりもはるかに高速で推進するミサイル群は正確にいくつかのラプターに飛来。撃破する。
弱い。ルシフェルは無感動に感想を抱いた。
こんなのがメタトロン――神の代理人――とは笑わせる。自分はおろか、ましてやミカエルごときよりも上位の天使の名を持つとはおこがましいにもほどがある。自分が名乗るべきとは思わないが、少なくともこいつらが名乗ってよいはずはない。
周囲を見やる。OFイクイップメント・アージェイドを着たアーンヴァル「ミカエル」、ビックバイパーよりも下位の量産試験型レヴ・アタッチメント・ファントマ2を二セットも搭載したサイフォス「ジャンヌ」でさえ、苦戦している様子は見られない。
まったく直感的に、こいつら、ラプターどもはメタトロンなんかじゃない、とルシフェルは感じた。一つ目どもはメタトロンの中核などではないのだ。おそらくOFイクイップメントをどのように武装神姫になじませるかという実験の上で作られた、ただのボディにすぎない。
何がメタトロンかとすればここにおいてはアージェイドなのだろうが、それを着たミカエルが自分に勝てたためしは、数え切れないバーチャルバトルと幾度のリアルバトルを経たテストにおいて、数パーセントしかない。その数パーセントはランダムな要素で、ランダムな中でも挽回できる状況がほとんどであった。
実戦経験の長短を差し引いた純粋な性能アドバンテージから見ても、このビックバイパーにアージェイド・イクイップメントは対抗しきれていないのだ。あくまであれはOFアタッチメントの開発段階で派生した余剰物らしく、試供品として送られてきたのもうなづける。
では本当のメタトロンは何か。
とすれば、あのクエンティンとかいうどこの馬の骨とも知れぬセカンド風情と融合している、ジェフティでしかない。
それ以外のメタトロンは偽物だ。
だと言ってルシフェルは、クエンティンをメタトロンとは認めたくはなかった。メタトロンはあくまでジェフティ、エイダ自身であり、クエンティンはエイダの性能を完全に引き出す触媒にすぎない。触媒は武装神姫であればなんだっていいのだ。
自分であっても問題はないのである。
危険な考えだ。おそらくマスターは、鶴畑興紀はそんなことは許さないだろう。無断でクエンティンから引っぺがそうとすれば、いまの自分は廃棄される。戦闘実績や有効な装備など、あらゆるアイデンティティをもぎ取られて。その後何十体目、もしかしたら何百体目かもしれないルシフェルが、自分に取って代わるのだ。
ルシフェルのプライドが刺激されていた。そのプライドも、アイデンティティも、過去数え切れないルシフェルから引っぺがしてきた借り物にすぎなかった。装備の一つたりとも、記憶の一片でさえ他に譲渡するのは我慢がならなかったが、それらに絶対的な自己は収められなかった。
重い。過去のルシフェルの遺物を全身にくっつけられている重みだ。この重みがもどかしかった。
きっとクエンティンからエイダを引き剥がして自分に融合させたところで、ただ重みが増すに違いない。二人ぶんの重みは背負いきれない。背負うのは自分自身のだけで十分だ。
私はルシフェルであり、その名を誇りに思うのだ。いつか廃棄されるその日まで。
廃棄されること自体に恐れはない。棄てられるならば、この自分の重みをそっくり次のルシフェルにくれてやる。
むしろ気がらくだ。だからと言って今すぐに廃棄されたいという意味では決してない。いま自分は生きている。生きているならば必死になって生きるのが生きている者の義務というものだ。
生きている、か。
こんなことをマスター、鶴畑興紀に言えば、やはりその瞬間廃棄されてしまうのだろうなと、ルシフェルは思った。彼は武装神姫を生き物とはみなしていない。生き物ではない物が、「自分は生きている」などと言い出したら、バグっている、壊れているということだ。
壊れている道具など要らん。いくつか前のルシフェルがこう言い渡されて捨てられた。うっかり口を滑らしたからだ。余計なことは言わずに従うほうが面倒にならないことを今のルシフェルは知っている。捨てられる理由としてどうにもならないことだってあるが、そうした原因以外、予防できる原因はしっかり予防しておくのが一番だ。
ルシフェルはうっかりで死にたくなどないし、野良神姫にもなりたくなかった。野良神姫は駆除される。拾われることもあるが、よっぽどの強運の持ち主でなければまず無い。そんなことになるくらいだったら今の環境下が一番だ。
彼女は面倒が嫌いだった。だから自分は生きているなどと主張せず、ただ黙々と従うのである。「イエス、マスター」と連呼して。
「モードチェンジ――」
『mode change』
ルシフェルがつぶやくと同時に、ビックバイパーに内蔵された支援AIが復唱する。音声入力というわけではないが、定められたプロセスを確実に実行するためルシフェルはいちいち声に出して言うことを心がけている。
ボディ各所のロックが次々に解かれ、手足が自由になる。バックユニットが頭上を介して背中に回り、フロントアーマーがヘルメットをカバーする位置から離れて胸のところへ収まる。
くるりとスプリットSの要領で反転すると、ルシフェルはもう人型形態になっていた。
一つ目ども、ラプターが群がってくる。
「遅いわ」
垂直尾翼を兼ねていた彼女の両腕の先に金色の粒子が集まる。
最後のラプターの首をちぎり取る。
「状況終了」
興紀に報告する。
浮遊しながら、ルシフェルは屋敷を見つめる。各所が崩れ落ち、煙を上げているところもあった。建て直さねばならないだろう。老朽化していたからちょうど良いとマスターは言うだろうか。
興紀からの返答がない。いつもならすぐに「よくやった」なり「戻れ」なり言ってくるはずなのに。
眼下の二体もおろおろしている。
「マスター……?」
通信装置の感度を上げようとしたその時。
ギュバッ!
異音。
傍らに最大限の脅威。
反射的に離れようとブーストしようとする。
が、ぐぐっ、と伸びてきた二本指の腕が彼女の頭部を瞬く間に捕らえると、ルシフェルの頭はこの世のものとは思えない激痛に襲われた。
「ぐ、ああううっ!?」
頭を握りつぶされてしまいそうなほどだった。だが武装神姫は本来握りつぶされる段階で頭痛など感じないはずだ。この二本指からワームのようにただ容量を増やすだけの無駄なデータが自分の陽電子頭脳に流入し、処理を圧迫しているのだ。
二本指の主。ジェフティ――エイダに似た、狼のようなヘッドギアをかぶった神姫が目の前にいた。
こいつが、アヌビス――デルフィか。
ルシフェルはこの上ない畏怖を覚えた。あのジェフティとは比べ物にならない威圧感。
こうして対峙するだけでその性能差が絶望的であることは、百戦錬磨のルシフェルには皮肉にも手に取るように分かってしまった。
頭を拘束されただけで、勝てないと分かる相手。
ただのイクイップメントが、どうしてここまで強いのか。
アヌビスをまとっている神姫は、顔こそ見えなかったが、その雰囲気は既存の武装神姫のどれでもなかった。
ルシフェルはすぐに知った。こいつはイクイップメントなんかじゃない。
この神姫そのものがアヌビスなのだ。
相手は冥界の神の名を持っていた。神には勝てない。
「おまえが、メ、タ、ト、ロ、ン……か」
ルシフェルは今確実に、目の前の神姫がメタトロンを名乗るに相応しいことを認めた。メタトロンという名は時には、神と同義になる。
流入する負荷が限界を超え、ルシフェルの意識は強制的にシャットダウンされた。
◆ ◆ ◆
完全武装の兵士達に、理音たちは包囲されていた。
屋敷へ通ずるエレベータが開き、中から悠然と歩いてくる男が一人。
「ノウマンだな」
何の感動もないように、興紀は言った。
理音はその男をよく見た。
服装はどこにでもあるようなフォーマルスーツを着ていた。が、その男の大きな特長はその目にあった。
虫を見ているような目だと、理音は思った。
口をニィ、と引きつらせて、ノウマンは笑った。
「その神姫を渡してもらおう」
クエンティンを指差して、言った。
流暢な日本語だった。
こんなにも冷たさを感じる声は聞いたことがなかった。
クエンティンは激昂して飛び掛りそうだったが、理音が制した。クエンティンはその場に浮遊したまま動かなかった。
「私のクエンティンをどうするつもり?」
銃を突きつけられたまま、理音は訊いた。
「彼女、クエンティンはすばらしい個体だ」
ノウマンは言った。
「我々は武装神姫に人権を与えるために活動している」
意外な答えであった。理音はもちろんのこと、鶴畑興紀も驚きの色を隠せなかった。
「貴様らは、メタトロンプロジェクトを他社に売るために活動しているのではなかったのか」
興紀の問いに、ノウマンはにやりと笑みを浮かべることしかしなかった。
理音はノウマンに対して、意外な人間を目の当たりにしているような実感だった。
この男の言うことが本当ならば、この男は、武装神姫をれっきとした知性体として認識していた。自分と同じく。
ノウマンはクエンティンを「彼女」と呼んだ。
「こんな過激なやり方で、神姫に人権が認められるとでも思っているの?」
「過激でなければならないのだ」
ノウマンはクエンティンの方に近づきながら言った。
「このまま悠長に法律改正を待っていたら、いつまで経っても神姫には人権は認められない。神姫は商品として作られたのだ。この根本を是正しなければ、神姫の未来は無い」
理音は黙って聞いていた。
「これ以上妨害活動をされても困る。君たちにも来てもらおう」
「お姉さまたちは関係ない!」
クエンティンが叫び、飛んだ。目指す先はノウマン。
兵士達の動きがこわばった。
が、クエンティンはノウマンの目の前で止まった。
ノウマンは眉一つ動かさなかった。
「アタシだけが必要なんでしょう。お姉さまたちはこのままでも――」
言い終わる前に、クエンティンは強烈な電撃を受けていた。
「クエンティン!」
理音が兵士の拘束のなかでもがいた。クエンティンは理音の目の前で意識を失い、堅牢そうなアタッシュケースの中に入れられた。
「連行しろ」
理音と鶴畑兄弟は、まるで犯罪者のように手錠をかけられ、連れて行かれた。
エレベータに乗せられる直前、理音はふと気づいて辺りを見回した。
いつの間にか、執事の姿は消えていた。襲撃されたときには、もういなかった。
ドームは無表情な脳無し神姫たちが、何事もなかったかのように飛び回っている。
◆ ◆ ◆
強制リブートをかけられて、ルシフェルは覚醒した。
冷たい雪が背中の触覚センサーに感ぜられた。
自分を見下ろす一人の人間にルシフェルは気がつく。
執事が立っていた。
「ルシフェル。非常コード009発令のため、マスター権限をわたくしに緊急委譲」
「イエス、マスター」
それで、自分が停止しているあいだ何が起こったのか、大体の見当はついた。
後悔している暇など無い。
ルシフェルはむっくりと起き上がった。
つづく
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*第九話 拉致
レヴ・アタッチメント、ビックバイパーを纏った飛行形態のルシフェルは、アフターバーナー全開で専用緊急出撃ダクトを飛び抜け、屋敷の前庭中心にある噴水から躍り出た。
陽動、兼、殲滅役を仰せつかったルシフェルの出撃はトンネルドンにより腹に響くような轟音を起こしたから、その存在は屋敷に対して破壊活動を働いていた一つ目ども、メタトロン・プロジェクトの試験量産素体である、ラプターと呼ばれるそれらの一躍知るところとなった。無数の赤く灯るアイボールが、ぎょろぎょろと彼女を注視する。
ファースト・トップランカー神姫である彼女でさえ、通常装備では一つ目どもと戦うどころか有効な一撃を与えることさえできなかったか知れない。
今はこの俊敏な鎧がある。レヴ、つまり活性化、回転増加、の意を持つこのアタッチメントセットの名は伊達ではない。特に既存技術の粋を集めて造られた自らのビックバイパーは、OFアタッチメントに匹敵する性能をたたき出す。
隼のように飛び回る異形の戦闘機の出現に、一つ目どものコンピュータが混乱しているのがルシフェルには分かる。なにしろ奴らにとっては普通の武装神姫がありえない高速で飛び回っているのだ。戦闘能力には感情回路が不可欠であることはルシフェルも知っている。ラプターにも簡易的であるにしろ感情回路は搭載されているはずで、この混乱によってそれが明らかになった。
勝てる。ルシフェルはあらためて確信した。強固な確信である。
ギュビィー!
二股に分かれた彼女の機首、つまり内股に当たる部分から、高電圧音とともに二条の青白い収束レーザービームが照射された。秒速三十万キロの光条は回避を許さない。
照射しながらルシフェルは急激なロールを行い、機首の向く先にある五体のラプターを撫で見る。つまりレーザーの射線がラプターを横切ったのであって、その五体の一つ目どもは瞬時に真っ二つに溶断された。切り口を赤熱させながら墜落。
仲間を撃破された光景を分析したのか周囲の一つ目どもがルシフェルの機首を避ける機動を見せた。
そのような動きは予測済みである。
パシュシュシュッ
主翼の放出口より小型の誘導弾頭を射出。機体よりもはるかに高速で推進するミサイル群は正確にいくつかのラプターに飛来。撃破する。
弱い。ルシフェルは無感動に感想を抱いた。
こんなのがメタトロン――神の代理人――とは笑わせる。自分はおろか、ましてやミカエルごときよりも上位の天使の名を持つとはおこがましいにもほどがある。自分が名乗るべきとは思わないが、少なくともこいつらが名乗ってよいはずはない。
周囲を見やる。OFイクイップメント・アージェイドを着たアーンヴァル「ミカエル」、ビックバイパーよりも下位の量産試験型レヴ・アタッチメント・ファントマ2を二セットも搭載したサイフォス「ジャンヌ」でさえ、苦戦している様子は見られない。
まったく直感的に、こいつら、ラプターどもはメタトロンなんかじゃない、とルシフェルは感じた。一つ目どもはメタトロンの中核などではないのだ。おそらくOFイクイップメントをどのように武装神姫になじませるかという実験の上で作られた、ただのボディにすぎない。
何がメタトロンかとすればここにおいてはアージェイドなのだろうが、それを着たミカエルが自分に勝てたためしは、数え切れないバーチャルバトルと幾度のリアルバトルを経たテストにおいて、数パーセントしかない。その数パーセントはランダムな要素で、ランダムな中でも挽回できる状況がほとんどであった。
実戦経験の長短を差し引いた純粋な性能アドバンテージから見ても、このビックバイパーにアージェイド・イクイップメントは対抗しきれていないのだ。あくまであれはOFアタッチメントの開発段階で派生した余剰物らしく、試供品として送られてきたのもうなづける。
では本当のメタトロンは何か。
とすれば、あのクエンティンとかいうどこの馬の骨とも知れぬセカンド風情と融合している、ジェフティでしかない。
それ以外のメタトロンは偽物だ。
だと言ってルシフェルは、クエンティンをメタトロンとは認めたくはなかった。メタトロンはあくまでジェフティ、エイダ自身であり、クエンティンはエイダの性能を完全に引き出す触媒にすぎない。触媒は武装神姫であればなんだっていいのだ。
自分であっても問題はないのである。
危険な考えだ。おそらくマスターは、鶴畑興紀はそんなことは許さないだろう。無断でクエンティンから引っぺがそうとすれば、いまの自分は廃棄される。戦闘実績や有効な装備など、あらゆるアイデンティティをもぎ取られて。その後何十体目、もしかしたら何百体目かもしれないルシフェルが、自分に取って代わるのだ。
ルシフェルのプライドが刺激されていた。そのプライドも、アイデンティティも、過去数え切れないルシフェルから引っぺがしてきた借り物にすぎなかった。装備の一つたりとも、記憶の一片でさえ他に譲渡するのは我慢がならなかったが、それらに絶対的な自己は収められなかった。
重い。過去のルシフェルの遺物を全身にくっつけられている重みだ。この重みがもどかしかった。
きっとクエンティンからエイダを引き剥がして自分に融合させたところで、ただ重みが増すに違いない。二人ぶんの重みは背負いきれない。背負うのは自分自身のだけで十分だ。
私はルシフェルであり、その名を誇りに思うのだ。いつか廃棄されるその日まで。
廃棄されること自体に恐れはない。棄てられるならば、この自分の重みをそっくり次のルシフェルにくれてやる。
むしろ気がらくだ。だからと言って今すぐに廃棄されたいという意味では決してない。いま自分は生きている。生きているならば必死になって生きるのが生きている者の義務というものだ。
生きている、か。
こんなことをマスター、鶴畑興紀に言えば、やはりその瞬間廃棄されてしまうのだろうなと、ルシフェルは思った。彼は武装神姫を生き物とはみなしていない。生き物ではない物が、「自分は生きている」などと言い出したら、バグっている、壊れているということだ。
壊れている道具など要らん。いくつか前のルシフェルがこう言い渡されて捨てられた。うっかり口を滑らしたからだ。余計なことは言わずに従うほうが面倒にならないことを今のルシフェルは知っている。捨てられる理由としてどうにもならないことだってあるが、そうした原因以外、予防できる原因はしっかり予防しておくのが一番だ。
ルシフェルはうっかりで死にたくなどないし、野良神姫にもなりたくなかった。野良神姫は駆除される。拾われることもあるが、よっぽどの強運の持ち主でなければまず無い。そんなことになるくらいだったら今の環境下が一番だ。
彼女は面倒が嫌いだった。だから自分は生きているなどと主張せず、ただ黙々と従うのである。「イエス、マスター」と連呼して。
「モードチェンジ――」
『mode change』
ルシフェルがつぶやくと同時に、ビックバイパーに内蔵された支援AIが復唱する。音声入力というわけではないが、定められたプロセスを確実に実行するためルシフェルはいちいち声に出して言うことを心がけている。
ボディ各所のロックが次々に解かれ、手足が自由になる。バックユニットが頭上を介して背中に回り、フロントアーマーがヘルメットをカバーする位置から離れて胸のところへ収まる。
くるりとスプリットSの要領で反転すると、ルシフェルはもう人型形態になっていた。
一つ目ども、ラプターが群がってくる。
「遅いわ」
垂直尾翼を兼ねていた彼女の両腕の先に金色の粒子が集まる。
最後のラプターの首をちぎり取る。
「状況終了」
興紀に報告する。
浮遊しながら、ルシフェルは屋敷を見つめる。各所が崩れ落ち、煙を上げているところもあった。建て直さねばならないだろう。老朽化していたからちょうど良いとマスターは言うだろうか。
興紀からの返答がない。いつもならすぐに「よくやった」なり「戻れ」なり言ってくるはずなのに。
眼下の二体もおろおろしている。
「マスター……?」
通信装置の感度を上げようとしたその時。
ギュバッ!
異音。
傍らに最大限の脅威。
反射的に離れようとブーストしようとする。
が、ぐぐっ、と伸びてきた二本指の腕が彼女の頭部を瞬く間に捕らえると、ルシフェルの頭はこの世のものとは思えない激痛に襲われた。
「ぐ、ああううっ!?」
頭を握りつぶされてしまいそうなほどだった。だが武装神姫は本来握りつぶされる段階で頭痛など感じないはずだ。この二本指からワームのようにただ容量を増やすだけの無駄なデータが自分の陽電子頭脳に流入し、処理を圧迫しているのだ。
二本指の主。ジェフティ――エイダに似た、狼のようなヘッドギアをかぶった神姫が目の前にいた。
こいつが、アヌビス――デルフィか。
ルシフェルはこの上ない畏怖を覚えた。あのジェフティとは比べ物にならない威圧感。
こうして対峙するだけでその性能差が絶望的であることは、百戦錬磨のルシフェルには皮肉にも手に取るように分かってしまった。
頭を拘束されただけで、勝てないと分かる相手。
ただのイクイップメントが、どうしてここまで強いのか。
アヌビスをまとっている神姫は、顔こそ見えなかったが、その雰囲気は既存の武装神姫のどれでもなかった。
ルシフェルはすぐに知った。こいつはイクイップメントなんかじゃない。
この神姫そのものがアヌビスなのだ。
相手は冥界の神の名を持っていた。神には勝てない。
「おまえが、メ、タ、ト、ロ、ン……か」
ルシフェルは今確実に、目の前の神姫がメタトロンを名乗るに相応しいことを認めた。メタトロンという名は時には、神と同義になる。
流入する負荷が限界を超え、ルシフェルの意識は強制的にシャットダウンされた。
◆ ◆ ◆
完全武装の兵士達に、理音たちは包囲されていた。
屋敷へ通ずるエレベータが開き、中から悠然と歩いてくる男が一人。
「ノウマンだな」
何の感動もないように、興紀は言った。
理音はその男をよく見た。
服装はどこにでもあるようなフォーマルスーツを着ていた。が、その男の大きな特長はその目にあった。
虫を見ているような目だと、理音は思った。
口をニィ、と引きつらせて、ノウマンは笑った。
「その神姫を渡してもらおう」
クエンティンを指差して、言った。
流暢な日本語だった。
こんなにも冷たさを感じる声は聞いたことがなかった。
クエンティンは激昂して飛び掛りそうだったが、理音が制した。クエンティンはその場に浮遊したまま動かなかった。
「私のクエンティンをどうするつもり?」
銃を突きつけられたまま、理音は訊いた。
「彼女、クエンティンはすばらしい個体だ」
ノウマンは言った。
「我々は武装神姫に人権を与えるために活動している」
意外な答えであった。理音はもちろんのこと、鶴畑興紀も驚きの色を隠せなかった。
「貴様らは、メタトロンプロジェクトを他社に売るために活動しているのではなかったのか」
興紀の問いに、ノウマンはにやりと笑みを浮かべることしかしなかった。
理音はノウマンに対して、意外な人間を目の当たりにしているような実感だった。
この男の言うことが本当ならば、この男は、武装神姫をれっきとした知性体として認識していた。自分と同じく。
ノウマンはクエンティンを「彼女」と呼んだ。
「こんな過激なやり方で、神姫に人権が認められるとでも思っているの?」
「過激でなければならないのだ」
ノウマンはクエンティンの方に近づきながら言った。
「このまま悠長に法律改正を待っていたら、いつまで経っても神姫には人権は認められない。神姫は商品として作られたのだ。この根本を是正しなければ、神姫の未来は無い」
理音は黙って聞いていた。
「これ以上妨害活動をされても困る。君たちにも来てもらおう」
「お姉さまたちは関係ない!」
クエンティンが叫び、飛んだ。目指す先はノウマン。
兵士達の動きがこわばった。
が、クエンティンはノウマンの目の前で止まった。
ノウマンは眉一つ動かさなかった。
「アタシだけが必要なんでしょう。お姉さまたちはこのままでも――」
言い終わる前に、クエンティンは強烈な電撃を受けていた。
「クエンティン!」
理音が兵士の拘束のなかでもがいた。クエンティンは理音の目の前で意識を失い、堅牢そうなアタッシュケースの中に入れられた。
「連行しろ」
理音と鶴畑兄弟は、まるで犯罪者のように手錠をかけられ、連れて行かれた。
エレベータに乗せられる直前、理音はふと気づいて辺りを見回した。
いつの間にか、執事の姿は消えていた。襲撃されたときには、もういなかった。
ドームは無表情な脳無し神姫たちが、何事もなかったかのように飛び回っている。
◆ ◆ ◆
強制リブートをかけられて、ルシフェルは覚醒した。
冷たい雪が背中の触覚センサーに感ぜられた。
自分を見下ろす一人の人間にルシフェルは気がつく。
執事が立っていた。
「ルシフェル。非常コード009発令のため、マスター権限をわたくしに緊急委譲」
「イエス、マスター」
それで、自分が停止しているあいだ何が起こったのか、大体の見当はついた。
後悔している暇など無い。
ルシフェルはむっくりと起き上がった。
つづく
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