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「積もる埃と留年の危機」(2011/12/08 (木) 23:32:38) の最新版変更点
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「弧域くんのばかぁ……」
弧域の部屋から一人飛び出した姫乃は、自分の部屋に戻るなりベッドに倒れ込んだ。冷たい枕が急速に頭を冷やし、教科書もノートも筆記用具さえ弧域の部屋に置きっぱなしであることを、彼女に思い出させた。取りに帰らなければ自力での勉強すらままならない。しかし、今さらノコノコ戻ることは彼女のちっぽけなプライドが許さなかった。
「鉄ちゃんのあほぉ……」
隣室と部屋の造りは変わらないため、姫乃の部屋も吐く息が白くなるほど寒い。加えて一人ぼっちであることが心にポッカリと穴を空け、容赦無く隙間風を入れ込んでしまう。身も心も凍てつかせんとする冷気に震える姫乃は、着替えもせずに毛布にくるまった。
ほんの数分前のことである。
姫乃と鉄子は、弧域が留守の間に彼の部屋を掃除していた。鉄子は散らかった漫画を整理し、姫乃はフィギュアに積もった埃を筆で丁寧に掃いていた。
彼女達の三角関係を知る者が見れば、なんとも奇妙な場面だと言うだろう。恋人の部屋を掃除する姫乃だけならばともかく、何故弧域に振られたはずの鉄子が一緒になって掃除しているのか。
結論だけを言うと、二人は勉強をしたくなかったのだ。
「なにやってんだよ、おい」
だから、帰ってくるなりの弧域の言葉は、冬の寒さ以上に姫乃と鉄子を震えさせた。1,980円の電気ストーブでは気休め程度の暖しか取れず、室内であっても脱ぐことができないコートの下、姫乃は体を縮こまらせた。鉄子は早くも泣きそうになっている。
弧域はビニール袋を無造作に床に置いた。手袋をはめていてもかじかんでしまうほどの寒空の下、二人への差し入れにと買ってきた温かいコーヒーを、彼だって早く飲みたいに決まっていた。しかし帰宅するなり血が上った頭にはもう、コーヒーを買ってきたことなど記憶として残されず、ただ、【勉強しながら留守番しているはずだった】阿呆二人に裏切られた、という思いだけが残った。
恋人がマジギレしているらしいことを明確に悟った阿呆1号、姫乃はまず筆を置いた。彼女の性格からして開き直るなどもっての外だが、素直に謝ったところで弧域の怒りの矛を納められるとは思えなかった。
「え、えっとね、その、このアルトレーネに埃が積もってて、ちょっと息抜きに掃除でも、しようかな、って、ね?」
「どうして竹さんは床の掃除なんてしてんだよ。なあ」
「ご、ごめん……なさい……」
阿呆2号、鉄子の堤防はあっさりと決壊し、ポロポロと涙を流し始めた。片付けられたフローリングに大粒の涙が滴り落ちる。手で顔を拭おうともせず、まぶたを閉じても溢れてくるに任せるだけだった。
(いっぱいいっぱいだったもんね、鉄ちゃん……でも鉄ちゃんが泣いたら私はどうすればいいのよぉ)
もし鉄子が、女の子は泣けば許されるなどと甘い考えで泣いているのなら、姫乃にとって今よりは状況が楽になるはずだった。弧域の怒りを鎮めるためには二人で言い訳をしなければならない。
しかしついに嗚咽まで漏らし始めた鉄子はしばらくまともな言葉を期待することはできない。つまり姫乃は、一人で今の状況を打破しなければならなかった。いつか見た映画で憧れた、最愛の人が最強の敵になる場面も、現実ではドラマ性なんてあるはずもなくただ怖いだけだと、貴重な体験ができた姫乃だった。
姫乃は弧域から目を逸らすついでに、打開策がその辺りに転がっていないか部屋の中をさりげなく見回した。少しだけ整理された、見慣れた弧域の部屋である。小さな丸テーブルの上に広げられた教科書やノートが今は白々しい。
さっきまで姫乃が筆で埃を払っていた身長15cm程度のフィギュア、戦乙女型アルトレーネは弧域の机の隅で場違いに凛々しくポーズを取っている。ベルトを多く巻いて体の線を出すようにした鉛色のコートは姫乃が作ったものだ。右手に持った剣を肩に担ぎ、前に突き出した左手には何故か爪楊枝を持たされていた。
(人形はいいわよね、ポーズ取ってるだけでいいんだもん)
いっそ今からリアルなフィギュアになって弧域の好きにしていいよ、とでも誘惑してみようか、そう考えた阿呆1号だったが、このタイミングでは火に油を注ぐことにしかならないことは火を見るより明らかだったので、結局、
「ごめんなさい」
頭を下げて、素直に謝った。恋人相手に頭を下げることにいささかの抵抗を感じながら。
鉄子もズズッと鼻をすすりながら姫乃にならって頭を下げ、結果的にそれは姫乃の予想を外れて効果を上げることとなった。どんな理由があっても、女性を泣かせた挙句に頭を下げさせて平気な表情をしていられるほど、弧域の神経は太くないのだ。
「二人をいじめたいわけじゃなくて、ただちゃんと勉強してほしいだけなんだよ。単位欲しいだろ? 無事卒業したいだろ? だからってスパルタ式で勉強しろって言ってるわけじゃないから、適度にリラックスしようぜ。 ……落ち着いたか、竹さん」
「ずびびっ……いや、冬になると、どーも涙もろくなって」
年中変わらないだろ、とは顔を見合わせるだけで口に出さない弧域と姫乃だった。そもそも今日の勉強会のキッカケも、鉄子が突然泣き出したことだった。
― お父さんに殺される ―
同学科の生徒が6つの班に別れて行なっていた実験中、弧域が起動中の機器を見るでもなく眺めていて、姫乃が眉根を寄せて教科書を睨んでいた時だった。実験室の隅に集まっていた班がザワザワと慌てはじめた。
― 留年したら殺される ―
真っ先に駆け寄り、うろたえて群がるだけの男どもに道を開けさせて、教室から鉄子を連れ出したのは姫乃だった。その様子を呆然と見ていただけだった室内の野郎達の視線は、鉄子を囲んでいた班員へと向けられた。
「い、いや、俺達別に……なぁ?」
「うん、みんなで教えてただけだし」
「え? え? 悪いのオレ? マジ勘弁」
彼らは実験をひと通り終えて、採取したデータの扱いとレポートに書くべきことを鉄子に教えていただけだった。実験後にレクチャーを受ける鉄子の姿は誰もが見慣れていたため、彼らの証言は抵抗無く信じられた。
彼らからしてみれば、時間が許す限り鉄子をフォローしつつ実験を進め、作業をひと通り終えた後も付き合っているというのに、【女性を取り囲んで泣かした悪漢】にされてはたまったものではない。狼狽する彼らを哀れに思った弧域は、いいかげんなフォローを入れるのだった。
「ほら、最近寒いからさ、ちょっと竹さんは情緒不安定になってんだ。許してやってくれ」
教えられたまま手を動かしてデータを採取した実験。その実験の目的すらよく分かっていないまま、レポートを書くことを繰り返していた鉄子。その負い目の積み重ねに加えて試験が近づいてきたこともあり、ついに崩壊してしまったのだ。
正直なところ呆れたい気持ちもあった弧域だったが、人には向き不向きもあると自身に言い聞かせ、同じ弓道部に所属するものとして、親友として、手を差し伸べた。鉄子が父親に本当に殺されるかはともかく、鉄子を留年させたくない気持ちは本物だった。留年率が全国でも五本の指に入るこの大学は、そのシビアさを遺憾なく発揮し学生達を次々と置き去りにしてしまう。ある者はモラトリアムを満喫すると妄言を吐くことで開き直り、ある者は転がる石のようにバイトに比重を傾けて席を空けるようになってしまう。弧域は、親友のそんな堕落した姿を見たくなかったのだ。
そして今日、第一回目の勉強会。弧域と姫乃が二人で食事するテーブルには三人分の勉強道具が狭苦しく置かれている。
「気持ちは分かるぜ? 俺だって勉強が嫌になったら掃除に逃げたくなるし。つっても神姫に埃が積もるとかどうだっていいだろ。今はこの問題を一問でも多く解けっての」
「あら、どうだっていいことないわよ。弧域くん付喪神って知らない? いつかあの子が動き出した時、丁寧に扱わなかった恨み~、って爪楊枝で刺されるかもよ」
「せめて理系らしく、人口知能で動く、とか言えないもんかね」
「人口知能? それくらい知ってるわよ。えっと、どこだっけ」
パラパラと教科書を捲り、
「あった。ほら、これのことでしょ?」
得意気に姫乃が開いたページには『ニューラルネットワーク』と書かれていた。鉄子もそれを知っていると主張したいのか、しきりにう頷いている。
(微妙に間違いじゃないけど……)
以前、この二人がニューラルネットワークのことを「なんかすごい樹形図」と言い表して小テストで目も当てられない点数を獲得したことを思うと、ため息しか出ない弧域だった。
「念のため聞いとくけど、まさか人工知能が簡単に出来るとは思ってないよな」
「いやいや背比さん。いくら私らが阿呆やからって、仮にも理系なんやからね。オーバーテクノロジーを信じたりはせんって。ねぇ傘姫」
「そうよ。それに今日、先生に聞いたもの」
言いつつ姫乃は、埃を払われ綺麗になったアルトレーネを手に取った。爪楊枝を持った手を摘んで、弧域に向かって小さな手を「やっほー」と振ってみせた。いつもなら可愛いと思える姫乃の仕草でも、今日ばかりは阿呆の子を見る目になってしまう弧域だった。されるがままのアルトレーネは「関節が緩くなるからやめろ」とでも言い出しそうな凛々しくも険しい表情を崩さない。
「こんなに小さなものって、思い通りに動かすのは難しいんでしょ? うん、なんか今日だけでもちょっと賢くなった気がする」
「賢く……いいけどさ、分かってんだろうな、姫乃」
「何が?」
姫乃にはあくまで緊張感がない。その相手をするのに少し疲れた弧域は、先程買ってきた缶コーヒーのことを思い出した。カフェオレが2本とブラックが1本。疲れ気味の脳が訴えるまま、女性二人のために選んだはずのカフェオレを手に取った。
「竹さんより留年に近いって事実から逃げるなよ。もし学年が別れたら、さすがの俺にも考えがあるぞ」
■キャラ紹介(1) 一ノ傘姫乃
【健気も度を越すと病気になる】
背比弧域と竹櫛鉄子、ニーキ、そしてカツカレーをこよなく愛する本作のヒロイン。
弧域に捨てられる、という被害妄想に背中を押されるまま裸エプロンやその他羞恥プレイに身を投げる健気な女子大生。弧域からは羞恥に慣れないよう絶妙な加減でおねだりされている彼女だが、そのことに気付けないまま、今日も弧域の言いなりになっている。
鉄子とは予備校在籍中に出会い、大学に入ってからも唯一の友人として付き合いを続けている。鉄子の素朴な人柄に惹かれて志望校を切り替えるまでに至ったが、弧域に出会えたことと工業大学を選んでしまったことは天秤の上で拮抗している。
理系の道を進みつつも、元々目指していた小説家の道もまだ捨てられないでいる。しかし先天的な持病である『ペンを握るとポエムが出来上がる病』は高校を卒業するまでに克服することができず、かといってポエム作家と開き直ることもできない葛藤は彼女の重荷の一つだ。活路を模索する中で、すべてを書き記してきたノートは、中学生だった頃にお熱だった黒魔術書と共に、灰となって失われてしまっている。
今のボロアパートに越してきた直後、レポートを書くために用意したパソコンで久しぶりに作成したポエム(下記参照、本人はあくまで短編小説のつもり)が現実となり、背比弧域との運命の出会いを果たした。以来、姫乃の密かな情熱はさらなる燃え上がりを見せ、『ペンを握るとポエムが出来上がる病』は『キーボードを叩くとポエムが出来上がる病』へと昇華した。その威力たるや、うっかり実験レポートにまでポエムを挟んでしまうほどである。
神姫マスターとしての腕は、バトル方面では最低クラス。
神姫の技を数ランク強化する彼女固有の付加効果『セイブ・ザ・プリンセス』は強力だが、それ以外のサポートは一切行えない。
しかもデメリットの付加効果『ウィークバーサク』が発動すると、『セイブ・ザ・プリンセス』で強化された技が使えなくなり通常攻撃のみでの戦闘を余儀なくされる。
それでもなおそこそこの戦績を納めているのは偏にニーキのがんばりによるものである。
神姫用コスチュームを作る能力だけは無駄に高い。
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~ 咲恋 ~
by HIMENO
罅割れた仮面を繰り返し直し続ける
偽りの心がばれないよう祈り続けた
本物の心を探す旅人の靴底は
流れる涙を踏みつけ磨り減っていった
そんな私を連れて行ってくれるでしょ
キミは私の手を引いて
桜吹雪の中心に誘ってくれるんだ
私が嘘つきだからダメなのかな
キミの残酷で優しい手でも
心の壁は拒絶する
私がキミの名前を叫ぶから
キミは桜吹雪の中で私を見つけて
私が手を伸ばすから
キミもその手を伸ばして
ほんの少しでいい
指先が触れ合えば壁は消えるの
壁があった場所に桜が咲いて
離れないようにキミの手を握って
そしてやっと分かったんだ
これが本物の恋なんだって
―◆―◇―◆―◇―◆―◇―◆―◇―◆―◇―◆―
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