「ACT 1-32」(2009/10/18 (日) 00:40:37) の最新版変更点
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ウサギのナミダ
ACT 1-32
□
塔の上から降りてきた神姫。
俺はその神姫を見て、唖然として、言葉が出なかった。
周りにいるギャラリーも、一様に驚いたような、呆れたような顔をしている。
「……しゅめっ、たー……?」
言うな、大城。
俺は認めたくなかった。
世にも気色の悪いこの神姫が、あの愛らしいアイドルタイプの神姫、シュメッターリング・タイプがベースだなどと。
それを認めてしまったら、世にいる数多くのシュメッターリングのファンに申し訳が立たないような気がする。
シュメッターリング・タイプは、人気のある蝶型の武装神姫だ。
人気の秘密は、バトルでの性能よりもむしろ、その可愛らしさにある。
開発メーカーが「リトルリリィ」という販促用アイドルグループを結成し、人気を博しているほどだ。
シュメッターリングは神姫に興味のなかった多くのユーザー、特に女性を中心に受け入れられ、一躍ヒット商品になった。
その愛らしさ満点の神姫が……どうやったらホラー映画真っ青の、こんなに気味の悪い物体になるというのか。
濃いピンク色の髪に、グレーの肌。頭から二本の昆虫のような触角が生えている。
顔はシュメッターリングのマスプロモデル同様に大きいが、その大きさが際だっているように思えた。
逆半月状の目が二つあり、瞳に黒目はなく、平坦になっている。
口もまた逆半月状に大きな顔いっぱいに裂けている。口からは、ギザギザの歯が覗いていた。
アーマー装備はシルエットこそシュメッターリングのものだが、機械的なモールドは消され、代わりに生物の内蔵のような意匠がのたくっている。基本色は緑で、縁取りが茶色。
さらに、短いスカートの裾から、八本の触手がにょろにょろと伸びている。先端に握り手があり、それぞれにハンドガンを持っていた。
そして、背面には、巨大な蝶の羽が生えている。
片方の羽が、神姫の倍くらいの高さがある。
その圧倒的な面積の羽は、夜の繁華街のネオンのように、いかがわしく明滅していた。
武装は、触手の持つハンドガンの他に、手に持ったストラーフ装備の「ジレーザ・ロケットハンマー」。
……どういうセンスを持ってすれば、このような気色の悪い神姫ができあがるというのか。
もう、蝶というより、蛾というより、擬人化されたバイ菌に見える。
それで名前がクロコダイル?
意味が分からない。
そのクロコダイルは、ゆっくりと降下してきた。
地上近くまで降りてくる。
奴の主武器はハンドガンだから、それほど高度を保つわけにはいかないのだろう。
大きな羽ゆえか、異常に圧迫感を感じる。しかし、あの羽では、空中型のような高速機動はできないはずだ。
心配していた武器の射程も問題ないし、機動力でも互角以上に渡り合える。
勝ちが見えた、と俺は思った。
しかし。
ティアの様子がおかしい。
立ち尽くし、目を見開き、そして、歯をかちかちと鳴らしている。
「ティア……?」
俺の呼びかけにも、ろくな返事が返ってこない。
なんだ。あの気色悪い神姫がなんだというんだ。
俺がそう思ったその時。
『アケミ~~~……』
低いハスキーな声が、クロコダイルの口から漏れ出た。
びくり、と大きく身体を震わせるティア。
『久しぶりじゃあないか……随分と調子に乗っているようだねぇ……。
わたしのマスターを困らせる悪い子には……たっぷりとお仕置きしてやろうねぇ……』
『あ……あ、あ……』
ティアが後ずさる。
これ以上ない恐怖の表情で、クロコダイルを見つめている。
「さあ、クロコダイル! たっぷり、こってりと、アケミちゃんをかわいがってやれ!」
『アイアイサー』
クロコダイルが、八本の触手を広げた。
そして、一斉に構えると、ティアに向かって発砲した。
『きゃあああぁぁ! いやあああああああぁぁぁ!!』
ティアは泣き叫び、一目散に逃げ出した。
■
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い。
わたしの心は恐怖で溢れかえった。
相手の神姫……クロコダイルを見た瞬間から。
試合前の決意なんて、一瞬で押し流された。
どうしようもなかった。
あの異形を見ると、どうしても思い出してしまう。
わたしが彼女から、どんな仕打ちを受けたのか。
井山というお客さんは、わたしの馴染みの常連さんであり、わたしにとっては一番嫌なお客さんだった。
わたしをあらゆる手段で、とことん苦しめ、悶えさせる。
いやらしいことも、たくさんさせられた。
そして最後には、わたしの腕や脚を折る。
他のどのお客さんだって、そこまではしなかった。
クロコダイルという神姫は、その井山という人の神姫で、彼の分身のようなものだった。
マスターの命令を忠実に守る。
それは神姫としては当たり前なのだけど、自ら喜んでわたしを虐めた。
わたしが泣き叫ぶほど、二人の行為はエスカレートしていった。
クロコダイルに対する恐怖は、わたしの心の奥に、嫌というほど刻まれている。
どんなことをされたのか、身体が勝手に思い出す。
それほどに苛烈な責め苦だった。
わたしは泣き叫んで、闇雲に駆け出した。
とにかく逃げなくちゃ。
捕まったら、また、ひどいことをされる。
でも、このステージはいつもの廃墟ステージとは違って、身を隠すところが一切ない。
どうやっても、巨大な羽を広げているクロコダイルが目に入る。
……どこにも逃げられない。
「いや、いや、いやあああああぁぁっ!!」
それを悟った瞬間、わたしは恐慌に陥った。
□
「ティア! おいっ! 落ち着け!」
『いや、いやああああぁぁ!』
俺の言葉も耳に届いていない。
ティアはとにかく闇雲に走っているだけだ。
ティアが何でこんなにも、クロコダイルを恐れているか、わからない……想像はつくが。
だが、今のままでは、奴が手を下すまでもない。
こんな気のない動きでは、いつ転倒するか分かったものではない。
それに、たとえ今かわせていても、クロコダイルの射線が、いつかティアを捕らえるだろう。
これでは自滅を待つだけだ。
ティアが恐れる気持ちも分からないではない。
かわいそうにも思う。
ティアをさらに追いつめるかも知れないと思いながらも、それでも俺はティアを怒鳴りつけた。
「ティアッ!!!」
自分でも驚くほど大きな声で。
画面の中のティアが、一瞬、動きを止めた。
■
恐慌に支配されていた心に切り込んできたのは、マスターの呼ぶ声。
わたしは、びくっ、と大きく身体を震わせる。
マスターの声が、今までで一番、大きくて怖い声だったから。
本気で怒っていると思ったから。
『何を怖がっている! そんな走りで、自滅して負けるつもりか!』
「マ、マスター……」
サイドボードから、私の手元にサブマシンガンが送り込まれてきた。
『走れ、そして撃て! いつも通りにやれば、負けるはずがない!』
「で、でも……怖いんです、あの神姫が! 何されるのかと思うと……怖くて……仕方がないんです!」
わたしは足を止めずに、マスターに言った。
弱音を吐いた。
だって、どうしようもなくて。
でもマスターは、聞いたこともないような恐ろしい声で、わたしを叱咤した。
『今のお前はなんだ!?
二三番の神姫か、それとも奴の呼ぶアケミか!
違うだろ。あの頃の為す術のなかったお前じゃないだろ!
今のお前は、ランドスピナーを操り、名のある神姫たちとも渡り合えるんだ。
奴と戦える術があるんだ。
だから、戦う前から諦めるな!!』
マスターの声色はとても怖かったけれど。
その言葉に、わたしはようやく思い出す。
そう、わたしは恐怖に自分を見失っていた。
自分から勝負を捨てようとしてた。
でもそれは、わたしを『ティア』と呼んでくれる人たちへの裏切りに他ならない。
わたしはまた、同じ過ちを繰り返すところだった。
手を握りしめる。
握り慣れたグリップの感触。
そう、あの頃のわたしには、為す術なんてなかった。
今のわたしには、対抗する術がある。
相手の神姫を見る。
また恐怖が溢れてくるけれど。
もう心が塗りつぶされることはない。
サブマシンガンの感触が、わたしに教えてくれる。
わたしは戦える、と。
□
やれやれ。
ティアは何とか持ち直した。
まだ泣きそうな顔をしているが、動きに危なっかしいところはなくなった。
ティアとクロコダイルは散発的な射撃の応酬を続けている。
どちらも、勝負の決め手にはなっていない。
クロコダイルは、地面から少し上に陣取って、浮遊している。
ティアの射線をはずすために、少し位置をずらす程度だ。
あの巨大な羽に、銃弾が当たってはいるが、ダメージを受けた様子はない。
立体映像か何かだろうか。
だとしたら、飾り以外に何の用途もない羽ということになるが……。
いろいろと疑問に思うことはあるが、俺はそろそろ仕掛ける算段を始めていた。
ふと、向かい合う位置に座る井山を見る。
奴は、いつもの、嫌らしい笑みを浮かべた。
「まあ、あのまま自滅してくれた方が、君たちは苦しまずにすんだんじゃないかなぁ」
何を言っている。
はったりか、皮肉か、それとも策か。
いぶかしげに思いながらも、俺は奴を睨む。
「うふふ……そろそろ効いてくる頃じゃない?」
効いてくる?
何が?
井山の言っていることは意味不明だった。
画面上のティアは、クロコダイルの攻撃をかわし続けている。
有効打はないが、射撃の精度も悪くはない。
やはりはったりか……。
俺がそう思ったその時。
「……あれ?」
「どうしたの、パティ?」
俺の背後で声がした。
確か、あの四人組の一人、八重樫さんという眼鏡の少女と、ウェルクストラのパティだ。
「な、なんだか……身体が……重く……」
「え、どこか悪いの?」
「いえ……特に異常は……」
いや、異常だった。
パティの調子が悪いだけではなかった。
ミスティも頭を押さえている。
虎実も実況ディスプレイを見上げる身体が辛そうだ。
そして、俺の視界にいるすべての神姫が、同じ症状に見舞われているようだった。
ばかな。何が起こっている?
俺はティアをみた。
ティアは相変わらず、クロコダイルの射撃のことごとくをかわしている。
しかし、その技は、目に見えて精彩を欠いていた。
いつものティアなら、もっと余裕を持ってかわしているはずだ。
俺はすぐさまモバイルPCを操作し、ティアの機動を分析する。
ティアはパフォーマンスを落とすまいと、懸命に動いているようだが、すべてのスピードが右肩下がりだ。
しかし、装備にまったく異常は見られない。
だとすると、ティア自信に問題があることになるが……。
俺はティアをモニターしているソフトを呼び出し、異常をチェックする。
身体自体に異常はない。
だが、異常に大きな数字を示しているパラメータに気がつく。
ティアの電子頭脳のリソースの数値だ。
処理するデータ量が激増しており、あきらかにリソース不足に陥っている。
俺は、ティアの電子頭脳の処理状況の詳細を開いた。
絶句する。
「なんだ、これは……」
俺が現在作動中のティアのデータを探ると、そこにリストアップされたのは、正体不明のプログラム群だった。
それらはティアのメモリ上に展開され、似たような名称のファイルを生成し、勝手に増殖している。
一種のウィルスソフトだ。
これがティアのリソースを圧迫し、行動するためのプログラムの処理を遅延させていたのだ。
しかし、なぜだ。
神姫のウィルス対策なんて、初歩の初歩だ。
俺だって当然やっている。
いつ、ティアのメモリにウィルスソフトが混入した?
今、だ。
このバトル中だ。それ以外には考えられない。
仕掛けたのは井山。
ティアだけでなく、他の神姫も同じ方法でウィルスを入れられたのだろう。
だが、どうやって?
どうすればそんなことが可能なんだ?
ティアとギャラリーの神姫が、バトル中に同じ状況にあったもの……。
筐体の中と外で、同じ状況をもたらしているもの……。
俺は観戦用の大型ディスプレイを見上げた。
クロコダイルが羽をいっぱいに広げて、地上のティアを攻撃している。
……まさか!
俺は顔を上げると、大きな声で叫んだ。
「ギャラリーしてる神姫! 全員、奴を見るな! その上で、現状のメモリをリセットだ!」
いきなり叫び出した俺に、ギャラリーは驚きの視線を向ける。
しかし、そんなことはかまっていられない。
緊急事態なのだ。
「セキュリティソフトがあるなら、それを起動。オンメモリに、正体不明のファイルがたくさんあるから、それを削除だ! 早く! どんどん増え続けるぞ!」
久住さんと大城が真っ先に動き出す気配。
俺はだめ押しの言葉を放つ。
「ウィルスだ! クロコダイルの羽から、視覚入力で感染してる!」
ギャラリーは一瞬にして大騒ぎになった。
セキュリティソフトを起動して、対象のファイルをリアルタイムで削除するのが一番早い。ミスティも虎実もそうしているようだ。
神姫の記録領域にセキュリティソフトを入れていない神姫は、記録領域に現状のメモリをセーブせずにリセットすればいい。
このウィルスはリソースを無闇に使用するのが目的だから、オンメモリをリセットすれば事足りる。
ただ、今日これまでの記憶が飛んでしまうかも知れないが。
いずれにせよ、ギャラリーは慌ただしく、対策に追われている。
「な、なんだよこれ……いつのまに……」
虎実の呟き。
削除対象のウィルスに驚いている。
いつのまにかウィルスが自分のメモリに侵入してきていたのだ。戸惑う気持ちも分かる。
「視覚入力……とか言ったか?」
大城の問いに、俺は頷く。
「あの羽の模様だ。
俺たちには意味のない模様が明滅しているだけだが、神姫が見ると、メモリ上でプログラムに変換される」
「……そんなこと、できんのかよ?」
「仕組み自体は簡単だ。ずっと昔からある」
「なんだそりゃ?」
「バーコードだ」
幾何学模様の配列によって、二次元の印刷に情報を記録する。
前世紀からポピュラーに使われている技術だ。
神姫の目……カメラを通して読みとり、神姫の電子頭脳……コンピュータが処理をして意味のある情報に復元する。
井山は、クロコダイルの羽の模様に、ウィルスを仕込んでいたのだ。
それを読みとった神姫の電子頭脳が、オンメモリでウィルスを展開した。
大城は、まだよく分かっていないのか、首を傾げている。
井山が少し驚いた顔で俺を見ている。
「へぇ……視覚入力に気がつくなんて、なかなか鋭いじゃない?
いままで戦った相手でも、バトル中に気がついたのはほとんどいないよ」
こいつに感心されても嬉しくない。
「ウィルスとは、随分回りくどい手だな……これが貴様のバトルロンドか」
「ボクはハッカーだからねぇ。ソフトとネットワークが武器なんだよ」
「こんなもの、反則もいいところじゃないか」
「はぁ? ジャッジAIは何も言ってないよ。ジャッジが反則の判定をしないなら、ウィルスだろうが何だろうが有効さ!
それに、こんな草バトルでどんな手を使おうが、批判される筋合いはないよねぇ?」
痛いところをついてくる。
草バトルはどんな装備を使っても文句が言えない。かつてそう言ったのは俺自身だ。
「それよりも……うふふふ、アケミちゃんの苦しむ顔は、やっぱり最高だよねぇ!」
井山の言葉に、俺は唇を噛む。
ティアはもうフラフラだった。
あの鋭い機動は見る影もない。
ゆっくりと歩くような速度で、ようやく攻撃をかわしている。
転倒し、地べたを這いつくばって、今にも泣き出しそうな顔をして、それでも懸命にかわし続ける。
そんな姿のティアに、俺は手を打てずにいた。
クロコダイルと直接向かい合っていたせいか、ギャラリーの神姫たちよりもウィルスの影響が大きい。
もはや行動プログラムを展開するのが精一杯で、セキュリティソフトを立ち上げるメモリの余裕はない。
バトル中にメモリの消去など、もってのほかだ。
メモリ消去から再起動までの間、無防備になるし、たとえ復帰できたとしても、最近の記録をなくすので、直後の状況を把握できない。
俺は今、モバイルPCを使って必死でファイルを削除しているが、削除したそばからウィルスが増殖し、手のつけようもなかった。
「くっくっく……それじゃあ、仕上げと行こうかな。この攻撃受けてごらんよ!」
井山の言葉と同時、クロコダイルは頭から伸びる二本の触覚をもたげた。
そして、その先端から、大昔のアニメで見たような、黄色いギザギザのビームが放たれた。
速い!
必死にかわそうとしたティアだったが、一瞬遅かった。
『きゃああああああぁぁぁ!!……あぁ……あ……っ』
「ティア!!」
雷に撃たれたように身をこわばらせたティアの名を、俺は思わず叫んでいた。
ティアはそのまま棒立ちとなる。
……なんだか様子がおかしい。
モバイルPCに表示されるティアのモニター画面には、リソース不足以外の異常は何も出ていない。
それどころか、筐体のディスプレイに表示されるヒットポイントのゲージは削れてもいなかった。
しかし、今のティアは、顔から表情が消えていた。
目はうつろで、光がない。
先ほどまで地面に身体を這いつくばらせていたのに、いまは脱力したまま立っているような状態だ。
「ティア……?」
返事がない。
まるで意志を失ってしまったかのように、画面のティアは立ち尽くしている。
「ティア、どうした? 返事をしろ。 おい……ティア、ティア!!」
いったい何があったと言うんだ。
あの攻撃はなんだと言うんだ。
俺は、井山を睨みつける。
「貴様……ティアに何をした!」
俺の視線の先で、井山はぐにゃりと顔を歪めて笑った。
「ひゃはははは! やっと怒ったね!
まったく、冷静な顔なんかしてないで、もっと慌てふためいてもらわないとね!
今度はキミに楽しませてもらうんだからさ! ひゃはははは!」
「貴様……」
今度は俺の醜態を楽しむだと?
どこまで歪んだ奴なんだ。
「へへへ……そんなに知りたけりゃ、教えてあげるよ。ボクが何をしたか……」
井山は、嫌らしい笑顔を浮かべながら、俺を見た。
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ウサギのナミダ
ACT 1-32
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塔の上から降りてきた神姫。
俺はその神姫を見て、唖然として、言葉が出なかった。
周りにいるギャラリーも、一様に驚いたような、呆れたような顔をしている。
「……しゅめっ、たー……?」
言うな、大城。
俺は認めたくなかった。
世にも気色の悪いこの神姫が、あの愛らしいアイドルタイプの神姫、シュメッターリング・タイプがベースだなどと。
それを認めてしまったら、世にいる数多くのシュメッターリングのファンに申し訳が立たないような気がする。
シュメッターリング・タイプは、人気のある蝶型の武装神姫だ。
人気の秘密は、バトルでの性能よりもむしろ、その可愛らしさにある。
開発メーカーが「リトルリリィ」という販促用アイドルグループを結成し、人気を博しているほどだ。
シュメッターリングは神姫に興味のなかった多くのユーザー、特に女性を中心に受け入れられ、一躍ヒット商品になった。
その愛らしさ満点の神姫が……どうやったらホラー映画真っ青の、こんなに気味の悪い物体になるというのか。
濃いピンク色の髪に、グレーの肌。頭から二本の昆虫のような触角が生えている。
顔はシュメッターリングのマスプロモデル同様に大きいが、その大きさが際だっているように思えた。
逆半月状の目が二つあり、瞳に黒目はなく、平坦になっている。
口もまた逆半月状に大きな顔いっぱいに裂けている。口からは、ギザギザの歯が覗いていた。
アーマー装備はシルエットこそシュメッターリングのものだが、機械的なモールドは消され、代わりに生物の内蔵のような意匠がのたくっている。基本色は緑で、縁取りが茶色。
さらに、短いスカートの裾から、八本の触手がにょろにょろと伸びている。先端に握り手があり、それぞれにハンドガンを持っていた。
そして、背面には、巨大な蝶の羽が生えている。
片方の羽が、神姫の倍くらいの高さがある。
その圧倒的な面積の羽は、夜の繁華街のネオンのように、いかがわしく明滅していた。
武装は、触手の持つハンドガンの他に、手に持ったストラーフ装備の「ジレーザ・ロケットハンマー」。
……どういうセンスを持ってすれば、このような気色の悪い神姫ができあがるというのか。
もう、蝶というより、蛾というより、擬人化されたバイ菌に見える。
それで名前がクロコダイル?
意味が分からない。
そのクロコダイルは、ゆっくりと降下してきた。
地上近くまで降りてくる。
奴の主武器はハンドガンだから、それほど高度を保つわけにはいかないのだろう。
大きな羽ゆえか、異常に圧迫感を感じる。しかし、あの羽では、空中型のような高速機動はできないはずだ。
心配していた武器の射程も問題ないし、機動力でも互角以上に渡り合える。
勝ちが見えた、と俺は思った。
しかし。
ティアの様子がおかしい。
立ち尽くし、目を見開き、そして、歯をかちかちと鳴らしている。
「ティア……?」
俺の呼びかけにも、ろくな返事が返ってこない。
なんだ。あの気色悪い神姫がなんだというんだ。
俺がそう思ったその時。
『アケミ~~~……』
低いハスキーな声が、クロコダイルの口から漏れ出た。
びくり、と大きく身体を震わせるティア。
『久しぶりじゃあないか……随分と調子に乗っているようだねぇ……。
わたしのマスターを困らせる悪い子には……たっぷりとお仕置きしてやろうねぇ……』
『あ……あ、あ……』
ティアが後ずさる。
これ以上ない恐怖の表情で、クロコダイルを見つめている。
「さあ、クロコダイル! たっぷり、こってりと、アケミちゃんをかわいがってやれ!」
『アイアイサー』
クロコダイルが、八本の触手を広げた。
そして、一斉に構えると、ティアに向かって発砲した。
『きゃあああぁぁ! いやあああああああぁぁぁ!!』
ティアは泣き叫び、一目散に逃げ出した。
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怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い。
わたしの心は恐怖で溢れかえった。
相手の神姫……クロコダイルを見た瞬間から。
試合前の決意なんて、一瞬で押し流された。
どうしようもなかった。
あの異形を見ると、どうしても思い出してしまう。
わたしが彼女から、どんな仕打ちを受けたのか。
井山というお客さんは、わたしの馴染みの常連さんであり、わたしにとっては一番嫌なお客さんだった。
わたしをあらゆる手段で、とことん苦しめ、悶えさせる。
いやらしいことも、たくさんさせられた。
そして最後には、わたしの腕や脚を折る。
他のどのお客さんだって、そこまではしなかった。
クロコダイルという神姫は、その井山という人の神姫で、彼の分身のようなものだった。
マスターの命令を忠実に守る。
それは神姫としては当たり前なのだけど、自ら喜んでわたしを虐めた。
わたしが泣き叫ぶほど、二人の行為はエスカレートしていった。
クロコダイルに対する恐怖は、わたしの心の奥に、嫌というほど刻まれている。
どんなことをされたのか、身体が勝手に思い出す。
それほどに苛烈な責め苦だった。
わたしは泣き叫んで、闇雲に駆け出した。
とにかく逃げなくちゃ。
捕まったら、また、ひどいことをされる。
でも、このステージはいつもの廃墟ステージとは違って、身を隠すところが一切ない。
どうやっても、巨大な羽を広げているクロコダイルが目に入る。
……どこにも逃げられない。
「いや、いや、いやあああああぁぁっ!!」
それを悟った瞬間、わたしは恐慌に陥った。
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「ティア! おいっ! 落ち着け!」
『いや、いやああああぁぁ!』
俺の言葉も耳に届いていない。
ティアはとにかく闇雲に走っているだけだ。
ティアが何でこんなにも、クロコダイルを恐れているか、わからない……想像はつくが。
だが、今のままでは、奴が手を下すまでもない。
こんな気のない動きでは、いつ転倒するか分かったものではない。
それに、たとえ今かわせていても、クロコダイルの射線が、いつかティアを捕らえるだろう。
これでは自滅を待つだけだ。
ティアが恐れる気持ちも分からないではない。
かわいそうにも思う。
ティアをさらに追いつめるかも知れないと思いながらも、それでも俺はティアを怒鳴りつけた。
「ティアッ!!!」
自分でも驚くほど大きな声で。
画面の中のティアが、一瞬、動きを止めた。
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恐慌に支配されていた心に切り込んできたのは、マスターの呼ぶ声。
わたしは、びくっ、と大きく身体を震わせる。
マスターの声が、今までで一番、大きくて怖い声だったから。
本気で怒っていると思ったから。
『何を怖がっている! そんな走りで、自滅して負けるつもりか!』
「マ、マスター……」
サイドボードから、私の手元にサブマシンガンが送り込まれてきた。
『走れ、そして撃て! いつも通りにやれば、負けるはずがない!』
「で、でも……怖いんです、あの神姫が! 何されるのかと思うと……怖くて……仕方がないんです!」
わたしは足を止めずに、マスターに言った。
弱音を吐いた。
だって、どうしようもなくて。
でもマスターは、聞いたこともないような恐ろしい声で、わたしを叱咤した。
『今のお前はなんだ!?
二三番の神姫か、それとも奴の呼ぶアケミか!
違うだろ。あの頃の為す術のなかったお前じゃないだろ!
今のお前は、ランドスピナーを操り、名のある神姫たちとも渡り合えるんだ。
奴と戦える術があるんだ。
だから、戦う前から諦めるな!!』
マスターの声色はとても怖かったけれど。
その言葉に、わたしはようやく思い出す。
そう、わたしは恐怖に自分を見失っていた。
自分から勝負を捨てようとしてた。
でもそれは、わたしを『ティア』と呼んでくれる人たちへの裏切りに他ならない。
わたしはまた、同じ過ちを繰り返すところだった。
手を握りしめる。
握り慣れたグリップの感触。
そう、あの頃のわたしには、為す術なんてなかった。
今のわたしには、対抗する術がある。
相手の神姫を見る。
また恐怖が溢れてくるけれど。
もう心が塗りつぶされることはない。
サブマシンガンの感触が、わたしに教えてくれる。
わたしは戦える、と。
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やれやれ。
ティアは何とか持ち直した。
まだ泣きそうな顔をしているが、動きに危なっかしいところはなくなった。
ティアとクロコダイルは散発的な射撃の応酬を続けている。
どちらも、勝負の決め手にはなっていない。
クロコダイルは、地面から少し上に陣取って、浮遊している。
ティアの射線をはずすために、少し位置をずらす程度だ。
あの巨大な羽に、銃弾が当たってはいるが、ダメージを受けた様子はない。
立体映像か何かだろうか。
だとしたら、飾り以外に何の用途もない羽ということになるが……。
いろいろと疑問に思うことはあるが、俺はそろそろ仕掛ける算段を始めていた。
ふと、向かい合う位置に座る井山を見る。
奴は、いつもの、嫌らしい笑みを浮かべた。
「まあ、あのまま自滅してくれた方が、君たちは苦しまずにすんだんじゃないかなぁ」
何を言っている。
はったりか、皮肉か、それとも策か。
いぶかしげに思いながらも、俺は奴を睨む。
「うふふ……そろそろ効いてくる頃じゃない?」
効いてくる?
何が?
井山の言っていることは意味不明だった。
画面上のティアは、クロコダイルの攻撃をかわし続けている。
有効打はないが、射撃の精度も悪くはない。
やはりはったりか……。
俺がそう思ったその時。
「……あれ?」
「どうしたの、パティ?」
俺の背後で声がした。
確か、あの四人組の一人、八重樫さんという眼鏡の少女と、ウェルクストラのパティだ。
「な、なんだか……身体が……重く……」
「え、どこか悪いの?」
「いえ……特に異常は……」
いや、異常だった。
パティの調子が悪いだけではなかった。
ミスティも頭を押さえている。
虎実も実況ディスプレイを見上げる身体が辛そうだ。
そして、俺の視界にいるすべての神姫が、同じ症状に見舞われているようだった。
ばかな。何が起こっている?
俺はティアをみた。
ティアは相変わらず、クロコダイルの射撃のことごとくをかわしている。
しかし、その技は、目に見えて精彩を欠いていた。
いつものティアなら、もっと余裕を持ってかわしているはずだ。
俺はすぐさまモバイルPCを操作し、ティアの機動を分析する。
ティアはパフォーマンスを落とすまいと、懸命に動いているようだが、すべてのスピードが右肩下がりだ。
しかし、装備にまったく異常は見られない。
だとすると、ティア自信に問題があることになるが……。
俺はティアをモニターしているソフトを呼び出し、異常をチェックする。
身体自体に異常はない。
だが、異常に大きな数字を示しているパラメータに気がつく。
ティアの電子頭脳のリソースの数値だ。
処理するデータ量が激増しており、あきらかにリソース不足に陥っている。
俺は、ティアの電子頭脳の処理状況の詳細を開いた。
絶句する。
「なんだ、これは……」
俺が現在作動中のティアのデータを探ると、そこにリストアップされたのは、正体不明のプログラム群だった。
それらはティアのメモリ上に展開され、似たような名称のファイルを生成し、勝手に増殖している。
一種のウィルスソフトだ。
これがティアのリソースを圧迫し、行動するためのプログラムの処理を遅延させていたのだ。
しかし、なぜだ。
神姫のウィルス対策なんて、初歩の初歩だ。
俺だって当然やっている。
いつ、ティアのメモリにウィルスソフトが混入した?
今、だ。
このバトル中だ。それ以外には考えられない。
仕掛けたのは井山。
ティアだけでなく、他の神姫も同じ方法でウィルスを入れられたのだろう。
だが、どうやって?
どうすればそんなことが可能なんだ?
ティアとギャラリーの神姫が、バトル中に同じ状況にあったもの……。
筐体の中と外で、同じ状況をもたらしているもの……。
俺は観戦用の大型ディスプレイを見上げた。
クロコダイルが羽をいっぱいに広げて、地上のティアを攻撃している。
……まさか!
俺は顔を上げると、大きな声で叫んだ。
「ギャラリーしてる神姫! 全員、奴を見るな! その上で、現状のメモリをリセットだ!」
いきなり叫び出した俺に、ギャラリーは驚きの視線を向ける。
しかし、そんなことはかまっていられない。
緊急事態なのだ。
「セキュリティソフトがあるなら、それを起動。オンメモリに、正体不明のファイルがたくさんあるから、それを削除だ! 早く! どんどん増え続けるぞ!」
久住さんと大城が真っ先に動き出す気配。
俺はだめ押しの言葉を放つ。
「ウィルスだ! クロコダイルの羽から、視覚入力で感染してる!」
ギャラリーは一瞬にして大騒ぎになった。
セキュリティソフトを起動して、対象のファイルをリアルタイムで削除するのが一番早い。ミスティも虎実もそうしているようだ。
神姫の記録領域にセキュリティソフトを入れていない神姫は、記録領域に現状のメモリをセーブせずにリセットすればいい。
このウィルスはリソースを無闇に使用するのが目的だから、オンメモリをリセットすれば事足りる。
ただ、今日これまでの記憶が飛んでしまうかも知れないが。
いずれにせよ、ギャラリーは慌ただしく、対策に追われている。
「な、なんだよこれ……いつのまに……」
虎実の呟き。
削除対象のウィルスに驚いている。
いつのまにかウィルスが自分のメモリに侵入してきていたのだ。戸惑う気持ちも分かる。
「視覚入力……とか言ったか?」
大城の問いに、俺は頷く。
「あの羽の模様だ。
俺たちには意味のない模様が明滅しているだけだが、神姫が見ると、メモリ上でプログラムに変換される」
「……そんなこと、できんのかよ?」
「仕組み自体は簡単だ。ずっと昔からある」
「なんだそりゃ?」
「バーコードだ」
幾何学模様の配列によって、二次元の印刷に情報を記録する。
前世紀からポピュラーに使われている技術だ。
神姫の目……カメラを通して読みとり、神姫の電子頭脳……コンピュータが処理をして意味のある情報に復元する。
井山は、クロコダイルの羽の模様に、ウィルスを仕込んでいたのだ。
それを読みとった神姫の電子頭脳が、オンメモリでウィルスを展開した。
大城は、まだよく分かっていないのか、首を傾げている。
井山が少し驚いた顔で俺を見ている。
「へぇ……視覚入力に気がつくなんて、なかなか鋭いじゃない?
いままで戦った相手でも、バトル中に気がついたのはほとんどいないよ」
こいつに感心されても嬉しくない。
「ウィルスとは、随分回りくどい手だな……これが貴様のバトルロンドか」
「ボクはハッカーだからねぇ。ソフトとネットワークが武器なんだよ」
「こんなもの、反則もいいところじゃないか」
「はぁ? ジャッジAIは何も言ってないよ。ジャッジが反則の判定をしないなら、ウィルスだろうが何だろうが有効さ!
それに、こんな草バトルでどんな手を使おうが、批判される筋合いはないよねぇ?」
痛いところをついてくる。
草バトルはどんな装備を使っても文句が言えない。かつてそう言ったのは俺自身だ。
「それよりも……うふふふ、アケミちゃんの苦しむ顔は、やっぱり最高だよねぇ!」
井山の言葉に、俺は唇を噛む。
ティアはもうフラフラだった。
あの鋭い機動は見る影もない。
ゆっくりと歩くような速度で、ようやく攻撃をかわしている。
転倒し、地べたを這いつくばって、今にも泣き出しそうな顔をして、それでも懸命にかわし続ける。
そんな姿のティアに、俺は手を打てずにいた。
クロコダイルと直接向かい合っていたせいか、ギャラリーの神姫たちよりもウィルスの影響が大きい。
もはや行動プログラムを展開するのが精一杯で、セキュリティソフトを立ち上げるメモリの余裕はない。
バトル中にメモリの消去など、もってのほかだ。
メモリ消去から再起動までの間、無防備になるし、たとえ復帰できたとしても、最近の記録をなくすので、直後の状況を把握できない。
俺は今、モバイルPCを使って必死でファイルを削除しているが、削除したそばからウィルスが増殖し、手のつけようもなかった。
「くっくっく……それじゃあ、仕上げと行こうかな。この攻撃受けてごらんよ!」
井山の言葉と同時、クロコダイルは頭から伸びる二本の触覚をもたげた。
そして、その先端から、大昔のアニメで見たような、黄色いギザギザのビームが放たれた。
速い!
必死にかわそうとしたティアだったが、一瞬遅かった。
『きゃああああああぁぁぁ!!……あぁ……あ……っ』
「ティア!!」
雷に撃たれたように身をこわばらせたティアの名を、俺は思わず叫んでいた。
ティアはそのまま棒立ちとなる。
……なんだか様子がおかしい。
モバイルPCに表示されるティアのモニター画面には、リソース不足以外の異常は何も出ていない。
それどころか、筐体のディスプレイに表示されるヒットポイントのゲージは削れてもいなかった。
しかし、今のティアは、顔から表情が消えていた。
目はうつろで、光がない。
先ほどまで地面に身体を這いつくばらせていたのに、いまは脱力したまま立っているような状態だ。
「ティア……?」
返事がない。
まるで意志を失ってしまったかのように、画面のティアは立ち尽くしている。
「ティア、どうした? 返事をしろ。 おい……ティア、ティア!!」
いったい何があったと言うんだ。
あの攻撃はなんだと言うんだ。
俺は、井山を睨みつける。
「貴様……ティアに何をした!」
俺の視線の先で、井山はぐにゃりと顔を歪めて笑った。
「ひゃはははは! やっと怒ったね!
まったく、冷静な顔なんかしてないで、もっと慌てふためいてもらわないとね!
今度はキミに楽しませてもらうんだからさ! ひゃはははは!」
「貴様……」
今度は俺の醜態を楽しむだと?
どこまで歪んだ奴なんだ。
「へへへ……そんなに知りたけりゃ、教えてあげるよ。ボクが何をしたか……」
井山は、嫌らしい笑顔を浮かべながら、俺を見た。
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