「ACT 1-30」(2009/10/04 (日) 17:39:12) の最新版変更点
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ウサギのナミダ
ACT 1-30
□
ティアと共に、歩き慣れたこの道を歩くのは、実は初めてだと気がついた。
はじめの時はティアの電源は切っていた。
その後の時には、ティアは一人アパートに残って自主練していた。
「まあ、それでお前が家出したのは、苦い思い出だが……」
「言わないでくださいっ」
ティアは俺の胸ポケットに顔を埋めて恐縮する。
俺は苦笑しながら、ゆっくりと歩いていく。
手には、いつものようにドーナッツの箱。
今日は海藤の家に向かっている。
ゲームセンターに出入りできなくなった俺は、いい機会だととらえることにして、お世話になったところに挨拶まわりに行くことにした。
海藤の家に来るのは、前回からそれほど経っていなかったが、随分前のような気がする。
その短い間に、あまりにも多くのことがあり過ぎたのだ。
だが、そのおかげで、こうしてティアと共に海藤を訪問できる。
嬉しいことだった。
「やあ、よく来たね。入って入って」
海藤はいつものように、俺たちを歓迎してくれた。
「いらっしゃいませ」
そう言うアクアの涼やかな声も変わらない。
俺が二人の様子に思わず笑みを浮かべると、二人とも満面の笑顔を返してくれた。
海藤はコーヒーを淹れながら、旬の話題を口にする。
「バトロンダイジェストは見たよ。随分白熱した戦いだったみたいじゃないか」
相変わらず、海藤はバトルロンドの情報収集に余念がない。
テーブルの上に、くだんの最新号が置いてある。
表紙を見るたび、面映ゆい気持ちになる。
「その表紙は勘弁してほしかったんだがな……」
「いいじゃないか。その表紙、結構インパクトあったみたいだよ。
ネットでも評判を調べたけど、かなりの反響だ。
記事の内容については……特に神姫との絆についての言及は、おおむね好評みたいだね。
思うところがあるオーナーはたくさんいるみたいで、神姫との絆について、あっちこっちで議論になってる」
「へえ……」
それは知らなかった。
俺は意図的に、雪華とのバトルについての情報を集めるのを避けていたから。
神姫と人間との関係について、改めて考える契機になるならば、それはそれでいいと思う。
「それで、だ。海藤……」
「ん?」
ドーナッツを頬張る海藤に、今日の本題を切りだした。
■
「久しぶりですね、ティア」
「はい……アクアさん」
アクアさんとこうして話をするのは、実は初めてだということに、今気がついた。
でも、そんな感じが全然しない。
それは、よくマスターからアクアさんのことを聞いているからだろうか。
それとも、アクアさんが醸し出す雰囲気から来るものなのか。
アクアさんはイーアネイラ・タイプの典型だった。
落ち着いた物腰、優しげな表情、大人びた美貌に、鈴の音のように美しい声。
でも、アクアさんはそれらがさらに洗練されているように思える。
「ずっと……アクアさんとお会いしたいと……お話したいと思っていました」
「あら、そうなのですか? どうして?」
「アクアさんが……マスターが初めて憧れた神姫だから……」
わたしは少しうつむいて、言った。
マスターは、海藤さんとアクアさんを見て、神姫マスターになりたいと思ったという。
海藤さんとの仲がいいだけではなく、アクアさん自身にも魅力があるということだと思う。
わたしは思っていた。
マスターの心を動かせるほどの、アクアさんの魅力ってなんだろう?
「わたしは……嫉妬しているのかも知れません。
こうしてマスターと心通わせることができても、どんな神姫になればいいのか、わからなくて。
アクアさんなら、マスターが憧れた神姫ですから、きっとそのままでもマスターは満足なのではないかと……」
アクアさんは、優しい微笑みを浮かべながら、わたしを見ている。
「そんなことはありませんよ」
「そう、でしょうか……」
「あなたがボディを変えられて目覚めたとき、わたしもそばにいました。覚えていますか?」
「は、はい……」
わたしは少し恥ずかしくなる。
あのときも、わたしは泣きじゃくって、アクアさんに優しくしてもらった。
わたしは優しくしてくれた人たちに、お礼を言うこともできずにいて、やっぱりダメな神姫だと思ってしまう。
「あのとき……遠野さんはとても嬉しそうでした。わたしが今まで見た遠野さんで一番」
「……」
「今日も、とても嬉しそうな顔をしています。
あんな表情をさせるのは、ティア、あなたです。
遠野さんが神姫マスターになるきっかけだったわたしではなく、あなたなんですよ」
アクアさんはにっこりと笑う。
アクアさんは優しい。
今日もわたしを優しく励ましてくれる。
不意に、アクアさんは目を閉じて、こう言った。
「わたしも、ティアがうらやましいです」
「え……?」
なぜ?
海藤さんと幸せに暮らしているアクアさんが……わたしのマスターがうらやむほどの神姫が、なぜわたしをうらやむというのだろう。
「あなたが武装神姫として戦い続けているから。
マスターが本当はバトルロンドを続けたいと思っているのを知りながら……わたしは何もできないでいます。
あなたは戦える。遠野さんが望むように。
それがうらやましいんです」
驚いた。
アクアさんみたいに優しい神姫が、戦うことを望んでいるなんて。
「でも、アクアさんの想いも、海藤さんの望みもかなうかも知れません」
「え?」
「わたしのマスターが、かなえてくれるかも」
少し驚いた顔のアクアさんに、わたしはそっと微笑んだ。
□
「『アーンヴァル・クイーン』と戦ってみないか」
それが今日の俺の本題だった。
バトルロンドを捨てた海藤だが、バトルをしたくないわけではないはずだ。
それに、クイーンならば、どんな条件を海藤がつけても、バトルしてくれるだろう。
俺は海藤に、クイーンがなぜ俺たちを指名したのか、その理由を語った。
「クイーンは、特徴のある神姫と戦い、戦い方を吸収しようとしている。
だから、バトルの場所も設定も、こちらの要求が通るはずだ」
「……」
「バトルのことを公にすることには、彼らはこだわっていないみたいだし……条件付きで、クイーンとバトルしてみてはどうだ?」
俺は別に『アーンヴァル・クイーン』の肩を持っているわけではない。
海藤自身、彼らに思うところがあるようだったし、機会があれば協力してもいい、みたいなことを言っていた。
雪華のスタンスは、バトルを拒む海藤に、ぎりぎりの妥協点を見つけることができるかも知れない。
それに、海藤だって、バトルロンドに未練があるはずだ。
クイーンとバトルして、その思いが再燃すればいいと思う。
それでアクアの心配の種も、一つなくなるはずだ。
だから、思い切って切りだしてみたのだ。
海藤は、一つ溜息をついた。
「まあ、確かに、クイーンに協力したいとは言ったけどさ……」
俺は黙ってうなずいた。
「だけど、まともなバトルロンドじゃ勝負にならないだろうし……彼らが望んでいるのも、そこじゃないんだろうしね……」
「……海藤」
「なんだい?」
「そんなに、バトルロンドに戻るのが嫌か?」
「……僕は一度、裏切られたからね」
苦笑いする海藤。
だが俺は言葉を続けた。
「だけど、バトルロンドは素晴らしいと思ってるだろう?」
「……うん、そうだね」
「この間、お前の家に来たときに言われた言葉……今でも覚えてるよ。
『バトルだけが神姫の活躍の場じゃない』ってな。
その時は俺も、バトルロンドをあきらめようと思った。お前の言うことももっともだと思っていたさ。だけどな……」
海藤は不思議そうな顔をして、俺を見つめている。
俺は続ける。
「あるホビーショップで、武装神姫のバトルを観て……ああ、やっぱり、バトルロンドはいい、と思った。
自分の神姫とともにバトルする時間は、何物にも代え難いと思う。
俺はバトルを諦めたくなかった……だから、今こうして、ティアとバトルができる。
お前も……そろそろ諦めるのをやめて、いいんじゃないのか」
沈黙が流れた。
長い間黙っていたような気がするが、大して時間は経っていないようにも思える。
やがて、海藤はまた溜息をつく。
「まいるよね……そんなに熱く語るのは、君のキャラじゃないんじゃないの?」
「……最近宗旨替えしたのさ」
「まあ……あのゲーセンじゃなければ……ギャラリーがいなければ、やってもいいのかな……」
「海藤……」
やった。
海藤がとうとうバトルに戻ってくる。
冷静を装いながらも、俺の心の中は沸き立っていた。
「それじゃあ、クイーンに伝えてよ。
バトルは受ける。そのかわり、これから僕が言う条件を飲んで欲しい。それでいいならバトルを受ける……あ、その条件でも、雪華が望むものは観られる、と伝えておいて」
「わかった」
そして、海藤から提示されたバトルの条件を聞くにつれ……その奇妙な内容に、俺の方が首を傾げた。
□
「……それで、クイーンとアクアのバトルはどうなったの?」
隣を歩く久住さんは、興味津々といった様子だ。
ホビーショップ・エルゴに向かう途中の商店街を、俺たちは歩いている。
俺は少し渋い顔をしながら答えた。
「うーん……圧勝といえば圧勝だったんだけどさ……」
「へえ、さすがクイーン」
「いや、アクアが」
「え?」
久住さんは、目をぱちくりとさせて、驚いている。
それはそうだろうな。
俺は胸ポケットのティアに尋ねる。
「なあ、あの時のアクアと雪華の対戦、三二対○でアクアが取ったんだったか?」
「あ、最後の一本は相打ちだったので、三二対一でアクアさんです」
「……なにそれ?」
ミスティもきょとんとしている。
まあ、それもそうだろう。
普通のバトルロンドでなかったことは確かである。
どんな対戦だったのかというと、それはそれは地味な戦いで、雪華は手も足も出ずにあしらわれたということなのだ。
信じられないかもしれないが、本当なのだから仕方がない。
この戦いについては、いずれ語ることがあるかも知れない。
俺がエルゴに行くのは、店長に改めてお礼に行くのと、約束通り客として買い物に行くのが目的だった。
日暮店長は相変わらず熱い人で、俺が改めて礼を言うと、照れながらも喜んでくれた。
そして、先日の神姫風俗一斉取り締まりについて、少しだけ教えてくれた。
店長が、俺の渡した証拠を持って、警察にあたりをつけたとき、すでに警察内部でも、神姫虐待の疑いで神姫風俗を取り締まろうという動きがあった。
その発端となったのは、例のゴシップ誌に載ったティアの記事だったという。
あの記事は予想外の反響があったらしい。
そのため、警察も見過ごすことができなくなっていたのだ。
ただ、神姫風俗の取り締まりを、どの規模で行うかは決まっていなかった。
今回の一斉捜査にまで規模を広げるように尽力してくれたのは、かの地走刑事だったそうだ。
なるほど、警察の動きが妙に早かったのは、下地があったからなのか。
しかし、日暮店長が何をしてくれたのかは、何度訊いてもはぐらかされて、分からずじまいだった。
もう一つの用事である買い物は、もちろんティアのレッグパーツの改良用部品である。
エルゴには十分な部品が揃っているし、日暮店長も装備の改造や工作にやたら詳しい。
俺は自分で書いた図面を持ち込み、日暮店長と相談しながら部品を揃えていく。
在庫がないパーツは、カタログを見ながら店長のおすすめを聞き、それを注文した。
届いたときには、またエルゴに足を運ばなくてはならない。
時間もかかるし、電車賃もばかにならないが、店長へのせめてものお礼ではあるし、俺自身がこの店に来るのが楽しみで仕方がない。
久住さんも一緒に来てくれるのだから、そのぐらいの負担は大目に見ようという気になろうというものだ。
□
その久住さんには、彼女がホームグランドとしているゲームセンター『ポーラスター』に案内してもらった。
あの事件以来、俺とティアはバトルができる状況じゃなかった。
対戦のカンを取り戻すのと同時に、新しいレッグパーツ、新しい戦術も試さなくてはならない。
そのためには、日々の対戦環境がどうしても必要だった。
自宅でのシミュレーションでは、どうしても限界がある。
『ポーラスター』は、俺たちのいきつけのゲーセンよりも大きく、バトルロンドのコーナーも倍くらいの広さがあった。
それでもすべての対戦台が埋まっているほど盛り上がっているし、神姫プレイヤーも多い。
久住さんがバトロンのコーナーに入って軽く挨拶しただけで、歓声に迎えられた。
大人気だった。
あとでこの店の常連さんに聞けば、彼女はずっとこの店の常連だという。
『エトランゼ』として、他の店を飛び回っていることが多いので、この店に戻ってくると、常連プレイヤーたちの歓迎を受けるらしい。
久住さんの紹介で、俺はこの店でバトルする機会を得た。
ティアの新しいレッグパーツを試し、調整し、また戦う。
新しい技や戦術も実戦の中で試すことができた。
時にはミスティに協力してもらい、練習したりもした。
ありがたい。
おかげで、ティアは新しいレッグパーツをあっという間に使いこなせるようになり、新戦術を使いながら、バトルロンドを楽しむことができた。
『ポーラスター』は、客の雰囲気がいい店だった。
俺がティアのマスターだとばれたときには、ちょっとした騒ぎになったが、誰もが紳士的な態度でほっとした。
神姫マスター同士も和気藹々としていて、まずバトルを楽しもうという気持ちが感じられる。
初級者でも、上級者にバトルについていろいろ尋ねることをためらわないし、聞かれた方も丁寧に答えている。
このゲーセンの実力者は、久住さんを含めて五人いるそうだが、五人ともこのようなスタンスを貫いているという。
故に、中堅の神姫プレイヤーも初級者も、ついてくる。
そんな環境だと、上級者のレベルが頭打ちになりがちだが、エトランゼに影響されて、他のゲーセンに遠征する常連さんも多いという。
その結果、総じて対戦のレベルが高くなっている。
理想的な環境だと思う。
俺が通うゲーセンもこうだといいのだが。
□
そんな風に過ごして、一ヶ月が経った頃。
土曜日の夕方の『ポーラスター』。
久住さんと一緒にバトルロンドのギャラリーをしていた俺に、電話がかかってきた。
通話ボタンを押すと、
『わーーーーーっはっはっは!! みたか遠野、ざまあみろ!!』
大声の主は、大城だった。
隣の久住さんにも丸聞こえで、思わず吹き出している。
「……いったいなんなんだ、大城」
『ついにやったぞ! ランバトで、三強を倒して、ランキング一位だ!』
「おお……それはおめでとう」
そうか。
ついに大城と虎実は、あのゲーセンで一位になったのか。
それは、俺が待っていた連絡だった。
『どうだっ! 俺たちだってやればできるんだぜ、わっはっは!』
『つか、話が進まねぇだろ! かわれ、バカアニキ!!』
電話の向こうで、大城の神姫が叫んでいる。
しばらくして、虎実の静かな声が聞こえてきた。
『……トオノか?』
「そうだ」
『アタシ、ランバトでトップになった』
「聞いたよ」
『……約束、覚えてんだろーな』
「忘れるはずがない。俺たちをバトルロンドに引き留めてくれたのは、お前との約束だよ、虎実」
『ばっ……んなの、どーでもっ……そ、それよりも、ティアと! ティアと戦わせてくれるんだろ!?』
虎実の声がうわずっている。
照れているのが手に取るように分かる。
俺は思わず苦笑した。久住さんの肩で、ミスティが吹き出している。
「もちろん。お前がそう言ってくれるのを待っていた」
『なら……約束を守ってくれ』
「わかった」
明日、いつものゲーセンで。
ついにティアと虎実のバトルだ。
俺は携帯電話の通話を切ると、いつものように胸元にいるティアに声をかける。
「ティア……約束を果たそう」
「はい、マスター」
そう言うティアは嬉しそうに微笑んでいた。
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ウサギのナミダ
ACT 1-30
□
ティアと共に、歩き慣れたこの道を歩くのは、実は初めてだと気がついた。
はじめの時はティアの電源は切っていた。
その後の時には、ティアは一人アパートに残って自主練していた。
「まあ、それでお前が家出したのは、苦い思い出だが……」
「言わないでくださいっ」
ティアは俺の胸ポケットに顔を埋めて恐縮する。
俺は苦笑しながら、ゆっくりと歩いていく。
手には、いつものようにドーナッツの箱。
今日は海藤の家に向かっている。
ゲームセンターに出入りできなくなった俺は、いい機会だととらえることにして、お世話になったところに挨拶まわりに行くことにした。
海藤の家に来るのは、前回からそれほど経っていなかったが、随分前のような気がする。
その短い間に、あまりにも多くのことがあり過ぎたのだ。
だが、そのおかげで、こうしてティアと共に海藤を訪問できる。
嬉しいことだった。
「やあ、よく来たね。入って入って」
海藤はいつものように、俺たちを歓迎してくれた。
「いらっしゃいませ」
そう言うアクアの涼やかな声も変わらない。
俺が二人の様子に思わず笑みを浮かべると、二人とも満面の笑顔を返してくれた。
海藤はコーヒーを淹れながら、旬の話題を口にする。
「バトロンダイジェストは見たよ。随分白熱した戦いだったみたいじゃないか」
相変わらず、海藤はバトルロンドの情報収集に余念がない。
テーブルの上に、くだんの最新号が置いてある。
表紙を見るたび、面映ゆい気持ちになる。
「その表紙は勘弁してほしかったんだがな……」
「いいじゃないか。その表紙、結構インパクトあったみたいだよ。
ネットでも評判を調べたけど、かなりの反響だ。
記事の内容については……特に神姫との絆についての言及は、おおむね好評みたいだね。
思うところがあるオーナーはたくさんいるみたいで、神姫との絆について、あっちこっちで議論になってる」
「へえ……」
それは知らなかった。
俺は意図的に、雪華とのバトルについての情報を集めるのを避けていたから。
神姫と人間との関係について、改めて考える契機になるならば、それはそれでいいと思う。
「それで、だ。海藤……」
「ん?」
ドーナッツを頬張る海藤に、今日の本題を切りだした。
■
「久しぶりですね、ティア」
「はい……アクアさん」
アクアさんとこうして話をするのは、実は初めてだということに、今気がついた。
でも、そんな感じが全然しない。
それは、よくマスターからアクアさんのことを聞いているからだろうか。
それとも、アクアさんが醸し出す雰囲気から来るものなのか。
アクアさんはイーアネイラ・タイプの典型だった。
落ち着いた物腰、優しげな表情、大人びた美貌に、鈴の音のように美しい声。
でも、アクアさんはそれらがさらに洗練されているように思える。
「ずっと……アクアさんとお会いしたいと……お話したいと思っていました」
「あら、そうなのですか? どうして?」
「アクアさんが……マスターが初めて憧れた神姫だから……」
わたしは少しうつむいて、言った。
マスターは、海藤さんとアクアさんを見て、神姫マスターになりたいと思ったという。
海藤さんとの仲がいいだけではなく、アクアさん自身にも魅力があるということだと思う。
わたしは思っていた。
マスターの心を動かせるほどの、アクアさんの魅力ってなんだろう?
「わたしは……嫉妬しているのかも知れません。
こうしてマスターと心通わせることができても、どんな神姫になればいいのか、わからなくて。
アクアさんなら、マスターが憧れた神姫ですから、きっとそのままでもマスターは満足なのではないかと……」
アクアさんは、優しい微笑みを浮かべながら、わたしを見ている。
「そんなことはありませんよ」
「そう、でしょうか……」
「あなたがボディを変えられて目覚めたとき、わたしもそばにいました。覚えていますか?」
「は、はい……」
わたしは少し恥ずかしくなる。
あのときも、わたしは泣きじゃくって、アクアさんに優しくしてもらった。
わたしは優しくしてくれた人たちに、お礼を言うこともできずにいて、やっぱりダメな神姫だと思ってしまう。
「あのとき……遠野さんはとても嬉しそうでした。わたしが今まで見た遠野さんで一番」
「……」
「今日も、とても嬉しそうな顔をしています。
あんな表情をさせるのは、ティア、あなたです。
遠野さんが神姫マスターになるきっかけだったわたしではなく、あなたなんですよ」
アクアさんはにっこりと笑う。
アクアさんは優しい。
今日もわたしを優しく励ましてくれる。
不意に、アクアさんは目を閉じて、こう言った。
「わたしも、ティアがうらやましいです」
「え……?」
なぜ?
海藤さんと幸せに暮らしているアクアさんが……わたしのマスターがうらやむほどの神姫が、なぜわたしをうらやむというのだろう。
「あなたが武装神姫として戦い続けているから。
マスターが本当はバトルロンドを続けたいと思っているのを知りながら……わたしは何もできないでいます。
あなたは戦える。遠野さんが望むように。
それがうらやましいんです」
驚いた。
アクアさんみたいに優しい神姫が、戦うことを望んでいるなんて。
「でも、アクアさんの想いも、海藤さんの望みもかなうかも知れません」
「え?」
「わたしのマスターが、かなえてくれるかも」
少し驚いた顔のアクアさんに、わたしはそっと微笑んだ。
□
「『アーンヴァル・クイーン』と戦ってみないか」
それが今日の俺の本題だった。
バトルロンドを捨てた海藤だが、バトルをしたくないわけではないはずだ。
それに、クイーンならば、どんな条件を海藤がつけても、バトルしてくれるだろう。
俺は海藤に、クイーンがなぜ俺たちを指名したのか、その理由を語った。
「クイーンは、特徴のある神姫と戦い、戦い方を吸収しようとしている。
だから、バトルの場所も設定も、こちらの要求が通るはずだ」
「……」
「バトルのことを公にすることには、彼らはこだわっていないみたいだし……条件付きで、クイーンとバトルしてみてはどうだ?」
俺は別に『アーンヴァル・クイーン』の肩を持っているわけではない。
海藤自身、彼らに思うところがあるようだったし、機会があれば協力してもいい、みたいなことを言っていた。
雪華のスタンスは、バトルを拒む海藤に、ぎりぎりの妥協点を見つけることができるかも知れない。
それに、海藤だって、バトルロンドに未練があるはずだ。
クイーンとバトルして、その思いが再燃すればいいと思う。
それでアクアの心配の種も、一つなくなるはずだ。
だから、思い切って切りだしてみたのだ。
海藤は、一つ溜息をついた。
「まあ、確かに、クイーンに協力したいとは言ったけどさ……」
俺は黙ってうなずいた。
「だけど、まともなバトルロンドじゃ勝負にならないだろうし……彼らが望んでいるのも、そこじゃないんだろうしね……」
「……海藤」
「なんだい?」
「そんなに、バトルロンドに戻るのが嫌か?」
「……僕は一度、裏切られたからね」
苦笑いする海藤。
だが俺は言葉を続けた。
「だけど、バトルロンドは素晴らしいと思ってるだろう?」
「……うん、そうだね」
「この間、お前の家に来たときに言われた言葉……今でも覚えてるよ。
『バトルだけが神姫の活躍の場じゃない』ってな。
その時は俺も、バトルロンドをあきらめようと思った。お前の言うことももっともだと思っていたさ。だけどな……」
海藤は不思議そうな顔をして、俺を見つめている。
俺は続ける。
「あるホビーショップで、武装神姫のバトルを観て……ああ、やっぱり、バトルロンドはいい、と思った。
自分の神姫とともにバトルする時間は、何物にも代え難いと思う。
俺はバトルを諦めたくなかった……だから、今こうして、ティアとバトルができる。
お前も……そろそろ諦めるのをやめて、いいんじゃないのか」
沈黙が流れた。
長い間黙っていたような気がするが、大して時間は経っていないようにも思える。
やがて、海藤はまた溜息をつく。
「まいるよね……そんなに熱く語るのは、君のキャラじゃないんじゃないの?」
「……最近宗旨替えしたのさ」
「まあ……あのゲーセンじゃなければ……ギャラリーがいなければ、やってもいいのかな……」
「海藤……」
やった。
海藤がとうとうバトルに戻ってくる。
冷静を装いながらも、俺の心の中は沸き立っていた。
「それじゃあ、クイーンに伝えてよ。
バトルは受ける。そのかわり、これから僕が言う条件を飲んで欲しい。それでいいならバトルを受ける……あ、その条件でも、雪華が望むものは観られる、と伝えておいて」
「わかった」
そして、海藤から提示されたバトルの条件を聞くにつれ……その奇妙な内容に、俺の方が首を傾げた。
□
「……それで、クイーンとアクアのバトルはどうなったの?」
隣を歩く久住さんは、興味津々といった様子だ。
ホビーショップ・エルゴに向かう途中の商店街を、俺たちは歩いている。
俺は少し渋い顔をしながら答えた。
「うーん……圧勝といえば圧勝だったんだけどさ……」
「へえ、さすがクイーン」
「いや、アクアが」
「え?」
久住さんは、目をぱちくりとさせて、驚いている。
それはそうだろうな。
俺は胸ポケットのティアに尋ねる。
「なあ、あの時のアクアと雪華の対戦、三二対○でアクアが取ったんだったか?」
「あ、最後の一本は相打ちだったので、三二対一でアクアさんです」
「……なにそれ?」
ミスティもきょとんとしている。
まあ、それもそうだろう。
普通のバトルロンドでなかったことは確かである。
どんな対戦だったのかというと、それはそれは地味な戦いで、雪華は手も足も出ずにあしらわれたということなのだ。
信じられないかもしれないが、本当なのだから仕方がない。
この戦いについては、いずれ語ることがあるかも知れない。
俺がエルゴに行くのは、店長に改めてお礼に行くのと、約束通り客として買い物に行くのが目的だった。
日暮店長は相変わらず熱い人で、俺が改めて礼を言うと、照れながらも喜んでくれた。
そして、先日の神姫風俗一斉取り締まりについて、少しだけ教えてくれた。
店長が、俺の渡した証拠を持って、警察にあたりをつけたとき、すでに警察内部でも、神姫虐待の疑いで神姫風俗を取り締まろうという動きがあった。
その発端となったのは、例のゴシップ誌に載ったティアの記事だったという。
あの記事は予想外の反響があったらしい。
そのため、警察も見過ごすことができなくなっていたのだ。
ただ、神姫風俗の取り締まりを、どの規模で行うかは決まっていなかった。
今回の一斉捜査にまで規模を広げるように尽力してくれたのは、かの地走刑事だったそうだ。
なるほど、警察の動きが妙に早かったのは、下地があったからなのか。
しかし、日暮店長が何をしてくれたのかは、何度訊いてもはぐらかされて、分からずじまいだった。
もう一つの用事である買い物は、もちろんティアのレッグパーツの改良用部品である。
エルゴには十分な部品が揃っているし、日暮店長も装備の改造や工作にやたら詳しい。
俺は自分で書いた図面を持ち込み、日暮店長と相談しながら部品を揃えていく。
在庫がないパーツは、カタログを見ながら店長のおすすめを聞き、それを注文した。
届いたときには、またエルゴに足を運ばなくてはならない。
時間もかかるし、電車賃もばかにならないが、店長へのせめてものお礼ではあるし、俺自身がこの店に来るのが楽しみで仕方がない。
久住さんも一緒に来てくれるのだから、そのぐらいの負担は大目に見ようという気になろうというものだ。
□
その久住さんには、彼女がホームグランドとしているゲームセンター『ポーラスター』に案内してもらった。
あの事件以来、俺とティアはバトルができる状況じゃなかった。
対戦のカンを取り戻すのと同時に、新しいレッグパーツ、新しい戦術も試さなくてはならない。
そのためには、日々の対戦環境がどうしても必要だった。
自宅でのシミュレーションでは、どうしても限界がある。
『ポーラスター』は、俺たちのいきつけのゲーセンよりも大きく、バトルロンドのコーナーも倍くらいの広さがあった。
それでもすべての対戦台が埋まっているほど盛り上がっているし、神姫プレイヤーも多い。
久住さんがバトロンのコーナーに入って軽く挨拶しただけで、歓声に迎えられた。
大人気だった。
あとでこの店の常連さんに聞けば、彼女はずっとこの店の常連だという。
『エトランゼ』として、他の店を飛び回っていることが多いので、この店に戻ってくると、常連プレイヤーたちの歓迎を受けるらしい。
久住さんの紹介で、俺はこの店でバトルする機会を得た。
ティアの新しいレッグパーツを試し、調整し、また戦う。
新しい技や戦術も実戦の中で試すことができた。
時にはミスティに協力してもらい、練習したりもした。
ありがたい。
おかげで、ティアは新しいレッグパーツをあっという間に使いこなせるようになり、新戦術を使いながら、バトルロンドを楽しむことができた。
『ポーラスター』は、客の雰囲気がいい店だった。
俺がティアのマスターだとばれたときには、ちょっとした騒ぎになったが、誰もが紳士的な態度でほっとした。
神姫マスター同士も和気藹々としていて、まずバトルを楽しもうという気持ちが感じられる。
初級者でも、上級者にバトルについていろいろ尋ねることをためらわないし、聞かれた方も丁寧に答えている。
このゲーセンの実力者は、久住さんを含めて五人いるそうだが、五人ともこのようなスタンスを貫いているという。
故に、中堅の神姫プレイヤーも初級者も、ついてくる。
そんな環境だと、上級者のレベルが頭打ちになりがちだが、エトランゼに影響されて、他のゲーセンに遠征する常連さんも多いという。
その結果、総じて対戦のレベルが高くなっている。
理想的な環境だと思う。
俺が通うゲーセンもこうだといいのだが。
□
そんな風に過ごして、一ヶ月が経った頃。
土曜日の夕方の『ポーラスター』。
久住さんと一緒にバトルロンドのギャラリーをしていた俺に、電話がかかってきた。
通話ボタンを押すと、
『わーーーーーっはっはっは!! みたか遠野、ざまあみろ!!』
大声の主は、大城だった。
隣の久住さんにも丸聞こえで、思わず吹き出している。
「……いったいなんなんだ、大城」
『ついにやったぞ! ランバトで、三強を倒して、ランキング一位だ!』
「おお……それはおめでとう」
そうか。
ついに大城と虎実は、あのゲーセンで一位になったのか。
それは、俺が待っていた連絡だった。
『どうだっ! 俺たちだってやればできるんだぜ、わっはっは!』
『つか、話が進まねぇだろ! かわれ、バカアニキ!!』
電話の向こうで、大城の神姫が叫んでいる。
しばらくして、虎実の静かな声が聞こえてきた。
『……トオノか?』
「そうだ」
『アタシ、ランバトでトップになった』
「聞いたよ」
『……約束、覚えてんだろーな』
「忘れるはずがない。俺たちをバトルロンドに引き留めてくれたのは、お前との約束だよ、虎実」
『ばっ……んなの、どーでもっ……そ、それよりも、ティアと! ティアと戦わせてくれるんだろ!?』
虎実の声がうわずっている。
照れているのが手に取るように分かる。
俺は思わず苦笑した。久住さんの肩で、ミスティが吹き出している。
「もちろん。お前がそう言ってくれるのを待っていた」
『なら……約束を守ってくれ』
「わかった」
明日、いつものゲーセンで。
ついにティアと虎実のバトルだ。
俺は携帯電話の通話を切ると、いつものように胸元にいるティアに声をかける。
「ティア……約束を果たそう」
「はい、マスター」
そう言うティアは嬉しそうに微笑んでいた。
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