「ACT 1-28」(2009/09/21 (月) 00:01:06) の最新版変更点
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ウサギのナミダ
ACT 1-28
■
マスターは家に帰るまで、ずっと無言だった。
胸ポケットの中で、やっと落ち着いたわたしは、マスターの顔を見上げる。
マスターはいつも真剣な表情の人なのだけれど、なにかいつも以上に脇目も振らない様子だった。
すでに夕闇が迫っている。
足早に帰宅を急ぐ。
マスターが何をそんなに急いでいるのか、このときのわたしにはまだ分かってはいなかった。
家に着いて、マスターがまずしたことは、わたしをクレイドルに座らせることだった。
わたしは素直にクレイドルに座った。
わたしは少し沈んだ思いで、マスターの指示を待つ。
今日のわたしを、マスターはどんな風に思っただろうか。
雪華さんとの試合の後、なし崩しに騒ぎになってしまって、マスターとお話する時間もなかった。
あの時、わたしは感情の高ぶるままに言葉を口にした。
そんなことは初めての経験で、今のわたしは自分の行動にとても驚いている。
マスターはとても驚いていた。でも、わたしは言葉を止めることができなかった。
分かってもらいたい、それを伝えなければいけないと思うほどに、強い想いだった。
それは後悔していないけれど。
マスターがどう思ったのか、それだけは気がかりだった。
マスターは、カップに飲み物を入れて、机の前へとやってきた。
いつものようにPCの電源を入れると、椅子に腰掛ける。
クレイドルに座るわたしと向かい合う格好になる。
カップを机におく。
そして、軽く吐息をついた。
「さて……どこから話そうか、考えていたんだが……」
マスターはいつものように、真っ直ぐわたしを見た。
だけど、無表情じゃない。
どことなく優しげな、落ち着いた表情で、でも瞳にはなにか決意のようなものを秘めているように見えた。
「ティア……お前に分かるかな……どうしても欲しいものが、どうしても手に入らないときの苦しみってやつが」
え?
マスターは何を話しているんだろう。
わたしは目をぱちくりとさせて、マスターを見る。
マスターはあまり表情を変えないまま、優しい口調で、ゆっくりと話し始めた。
「俺はもうずっと……お前と会うずっと前から、武装神姫のオーナーになりたかった。
バトルロンドを始めたくてな。
神姫に興味を持ったのは、お前も会ったことのある、海藤とアクアを見てからだ。
……そうだな。今回の件の報告も兼ねて、今度会いに行くか。
海藤とは高校の頃から仲が良くて、違う大学に進学しても、よく会ってた。
もっぱら俺があいつの家に行ってたんだけど。
そのたびに、海藤とアクアの仲の良さを見せつけられてな……俺だけじゃなくて、他の友人たちも神姫に興味を持ったというわけさ」
マスターは独り言を言うように話を進めていく。
これは……この話は、マスターの本当の想い……。
「それからずっと……探していたよ、俺の神姫を。
友達が次々と神姫のオーナーになっていく中で、俺は神姫を迎えられずにいた。
あちこちのショップにも行った。
神姫センターにも行って、バトルロンドの観戦もしたし、そこで興味が出た神姫のパッケージも手に取った。
新発売の神姫の情報はくまなくチェックした。
メーカー展示会に気になった神姫を見に行ったりもした。
ネットオークションで安く出回ってるパッケージ品もチェックしたし、ネットショップの掘り出し物も何度もチェックした。
……海藤の家でアクアを見てから、お金を握りしめてホビーショップに行ったことだって、一度や二度じゃない。
それでも……それでも俺は、神姫を買うことに踏み切れなかった」
マスターの寂しそうな表情。
その時の気持ちを、思い出しているのだろうか。
「なぜ、ですか?」
わたしは尋ねた。
もちろんその時に、マスターが神姫をお迎えしていたら、わたしは今こうして、マスターと話をしていることもないのだけれど。
「どうしても……納得が行かなかった。
どの武装神姫のパッケージを手にしても……これが俺の神姫だって、思えなかった。
だから、どんなに神姫マスターになった友達が羨ましくても……俺は神姫を迎えられなかったんだ。
どうしても、自分が心から納得の行く神姫がほしかったんだ」
マスターはわたしを見つめながら、かすかに苦笑した。
「その頃の俺の気持ち……分かるかな……。
武装神姫のオーナーになりたくてなりたくて……狂おしいほどに神姫が欲しくてさ。
そのくせ、どこを探しても、自分の神姫が見あたらないんだ。
すでに発売されているものなら、探しようもある。プレミアついていたって、お金を出しさえすれば手に入る。
でも……この世にいるかどうかもわからない『自分が納得の行く神姫』を探すなんて……雲を掴むような話だ。
探して探して……必死で探しても見つからなくて……あの何とも言えない、焦りというか渇きというか……そんな、胸をかきむしりたくなるような焦燥感が、いつも心にあってさ……。
神姫の情報を集めたり、見たりするのは楽しいのに、それが欲求を逆撫でして苦しくなるような……そんな感覚に苛まれる。
友達はみんな神姫マスターになって、楽しそうに、幸せそうにしていてさ。
それで俺はまた焦りと羨ましさにかられて……その繰り返しさ」
マスターは自嘲するように笑う。
……知らなかった。
マスターが武装神姫にそんなに強い想いを抱いてたなんて。
わたしは呟くように話すマスターの顔から、目が離せなくなっている。
「……あの夜……お前と出会ったあの夜、俺は飲み会の帰りだった。
気心知れた仲間たちとの飲み会だったんだけど……俺はちょっと機嫌が悪くなった。
神姫マスターになった連中は、口をそろえて言いやがる。
『そんなにこだわって選んでないで、とりあえずお迎えしてみればいいじゃないか』ってな。
連れてきた神姫と笑いながら……そう言うんだ。
腹立たしかったよ。
とりあえず、ってなんだよ。大切なパートナーを選ぶのに、こだわるのが当たり前だろう。
でも結局、俺は神姫マスターでない時点で、仲間たちの言葉に反論もできなかった。ただ、苦笑するしかなかったんだ」
そう言うマスターの表情は、少し悔しそうだった。
その時の感情を思い出しているのだろうか。
そして、マスターは言った。
「その後で……お前に出会ったんだ……」
ものすごく、安心したような、優しい顔をして。
見たことない、そんなマスターの顔。
わたしはかえって緊張してしまう。
「ゴミ捨て場で、あいつが……井山が何か悪態ついて捨てたのを、たまたま見かけたんだ。
ゴミのポリ袋の上でうめいていたのがお前だった。
見た瞬間に『ああ、これが俺の神姫だ』って思った。
当たり前みたいに……いや、衝撃的だったかな。どうだろう。
ただ、これが運命なんだって思ったんだ。
……いや、違う。格好つけすぎだな。
たぶん、お前に、一目惚れしてしまったんだ」
照れくさそうに笑うマスター。
今日のマスターはいつもと違う。
まるで菜々子さんと話すときのように、くるくると表情が変わる。
「それでお前を連れて帰ってきた。
クレイドル買ってきて、充電して、メンテナンス用のソフトをPCにセットアップして……舞い上がっていたと思う。
俺の神姫がやっと手元に来た、ってな。
お前の記憶を見て……俺も一瞬ひるんだ。それでも、お前を自分の神姫にしたい気持ちは変わらなかった。
これが運命でなくて何だ、って思ったよ。
……そしたらさ、目覚めたお前が言うんだよ。
『わたしを壊してください』
って」
……あ。
思い出した。
あの時わたしは、自分のマスターになりたいというこの人に、そう願ったのだ。
あの時、マスターはわたしにものすごく怒ったけれど。
わたしはなんで怒られるのか、よくわからなかったけれど。
いまなら分かる気がする。
「そりゃないだろ。
俺はやっと、やっとの思いで自分の神姫を見つけだしたって言うのに、第一声が壊してください、じゃあさ……。
そりゃあ怒りもするさ、俺でも。
どうしても諦められなかった俺は、お前を言葉で丸め込んだ。
お前が武装神姫になりたいかどうかなんておかまいなしで……俺が望む戦闘スタイルを押しつけた。
さんざん練習させて、つらい思いもさせた。
お前が俺のところから逃げられないのが分かっていて、そんなことさせていた」
マスターの言葉に、何か違和感を感じる。
わたしは……武装神姫になりたくなかった? マスターが望む戦闘スタイルが嫌いだった? 練習は、つらかった? マスターのところから逃げ出したかった?
ちがう。
ちがいます。
わたしの想いとマスターの考えはすれ違っている。
マスターは無理矢理わたしを武装神姫にしたというけれど。
わたしがそう望むのなら、それは、無理矢理ではないんじゃないですか?
「……それでも、俺は嬉しかったんだ。
自分だけの神姫と、俺たちだけの戦闘スタイルで、バトルロンドを戦えるのが。
夢が叶った、と思った。
久住さんや仲間たちにも出会えた。ゲームセンターで過ごす時間は……バトルロンドをプレイしている時は、本当に楽しかった。
そんな時間をくれるお前に、ずっと、感謝していたんだ。
でもな……心の底ではずっと思っていた。
本当は、俺の楽しみのために、ティアを無理矢理戦わせているだけなんじゃないか、って。
お前の自由を奪って、自分だけ楽しんでいるエゴイストなんじゃないかって」
「そ、そんなこと……ありません!」
わたしはついに口を出してしまった。
マスターの話を遮ってしまった。
臆病な心が、顔を覗かせようとするけれど。
でも、わたしは勇気を出して、言う。
声が震えててもかまわない。
言わなくちゃ。
だって、マスターは間違っているから。
「わたしも……わたしも幸せでした。
薄暗いお店しか知らないわたしに、世界を教えてくれたのはマスターです。
わたしが知らなかった気持ちを……楽しい気持ちも、嬉しい気持ちも、風の心地よさとか、友達の優しさとか、技を自分のものにできたときの喜びも……全部全部、マスターがくれたんです」
こんなに幸せでいいのかって、今でも思ってる。
マスターは少し驚いたような顔をしていた。
「……そうなのか?」
「そうですよ」
「それなら……お前がそう思ってくれるなら、俺も救われるよ。
俺はこの間思ったんだ。
……もし、バトルロンドができなくなったとしても、お前が走ることができれば、それでお前が喜んでいるのなら、それでいいって。
何より大事なのは、お前がそばにいてくれることだってな」
ほっとした表情で、そんなことを言った。
やっとわかった、マスターの本当の気持ち。
でも、わたしは以前から疑問に思うことがある。
「あの……」
「なんだ?」
「ほんとうに……ほんとうに、わたしなんかでいいんですか」
「わたしなんか、って言うな」
いつもの言葉。
でも、厳しいところは、表情にも口調にもなくて。
優しく微笑んでいる。
わたしに向かって。
「お前じゃなきゃ、だめなんだ」
……ああ。
さっき言っていたマスターの気持ちが、いま、少しだけわかった気がする。
欲しくて欲しくて、それでもどうしても手に入れられないもの。
わたしにとって、それは、マスターの笑顔だった。
いま、このマスターの笑顔こそ。
わたしがずっと、欲しくて欲しくてやまなかったもの……。
「でも……わ、わたしは……マスターに、とんでもない迷惑をかけてしまって……」
「迷惑なんて、いくらでもかければいい。それでもいいんだ」
「じゃ、じゃあ……手の甲をわたしに差し出すのは……?」
「お前、掴もうとすると怖がるだろ」
「……わたしの前で、表情を変えないのも……?」
「なんだ、気がついていたのか? 俺が表情を変えなければ、お前が不用意に怖がらなくてすむだろ」
やっぱり。
無表情のことは、この間、やっと気がついたのですけど。
マスターは照れくさそうな顔をして、頭を掻いた。
「まあ……俺は元々、仏頂面だからな……」
「で、でも……マスターとわたしは、毎日顔を合わせてました。
それなのに……ずっと無表情でいるなんて……」
「そんなの、お前が俺の神姫でいてくれるなら、大したことじゃない。
いつかお前が俺のことを心から信じてくれたら……そうしたら、掴むことも許してくれると思ったし、笑いあうこともできるって……信じていた」
そんな……。
「わたしは……ずっとマスターに笑って欲しいと思っていました」
「そうなのか?」
「そうですよ」
マスターは苦笑する。
「そうか……俺たちはお互いに、お互いの笑顔を見たいと思いながら、ずっとずっと遠回りしてきたんだな……」
「……そうですね」
「なぁ、ティア……」
マスターは不意に真剣な表情でわたしを見た。
真っ直ぐな視線。
この人は真っ直ぐにわたしを見てくれる。初めて出会ったときから、ずっと。
「俺の神姫で……いてくれるか?
俺はバトルロンドを続けたいけど、お前が嫌だというならそれでもいい。
こんなわがままで情けない男でも、マスターと認めてくれるか?」
……どうしてそんなに自信なさげなんですか?
もう答えなんて、決まりきっていることじゃないですか。
それをはっきりと伝える方法を、わたしは思いついた。
「マスター。手のひらを出してください」
「……? こうか?」
マスターは怪我をしていない方の左手を、手のひらを上にして、わたしの前に出した。
わたしはクレイドルから立ち上がり、マスターの手に歩み寄る。
そして、その手の上に腰掛ける。
ちょっと緊張したけれど、何も怖いことなんてなかった。
この人を信じているから。
マスターの親指に顔を寄せて、キスをした。
「これは……わたしの誓いです」
顔を上げて、マスターを見る。驚いてる。
わたしはうつむいてしまう。
マスターの顔、まともに見られない。いまさら、とても恥ずかしくなって。
「わたしはあなたの神姫です。
わたしのマスターは、世界でただ一人、あなただけだと……誓います」
マスターの手はあたかかくて、心地いい感じがした。
もう一度、マスターを見る。
わたしの顔はこれ以上ないほど赤かったかも知れないけれど。
マスターも、とても照れくさそうな顔をしていた。
やがて、見つめ合うわたしたちは、どちらからともなく笑い始めた。
マスターと初めて心から笑いあえた。
ああ。
わたしが一番欲しかったものが、今ここにある。
長い長い一日の果てに。
わたしは、本当の意味で、遠野貴樹の武装神姫になった。
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ウサギのナミダ
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マスターは家に帰るまで、ずっと無言だった。
胸ポケットの中で、やっと落ち着いたわたしは、マスターの顔を見上げる。
マスターはいつも真剣な表情の人なのだけれど、なにかいつも以上に脇目も振らない様子だった。
すでに夕闇が迫っている。
足早に帰宅を急ぐ。
マスターが何をそんなに急いでいるのか、このときのわたしにはまだ分かってはいなかった。
家に着いて、マスターがまずしたことは、わたしをクレイドルに座らせることだった。
わたしは素直にクレイドルに座った。
わたしは少し沈んだ思いで、マスターの指示を待つ。
今日のわたしを、マスターはどんな風に思っただろうか。
雪華さんとの試合の後、なし崩しに騒ぎになってしまって、マスターとお話する時間もなかった。
あの時、わたしは感情の高ぶるままに言葉を口にした。
そんなことは初めての経験で、今のわたしは自分の行動にとても驚いている。
マスターはとても驚いていた。でも、わたしは言葉を止めることができなかった。
分かってもらいたい、それを伝えなければいけないと思うほどに、強い想いだった。
それは後悔していないけれど。
マスターがどう思ったのか、それだけは気がかりだった。
マスターは、カップに飲み物を入れて、机の前へとやってきた。
いつものようにPCの電源を入れると、椅子に腰掛ける。
クレイドルに座るわたしと向かい合う格好になる。
カップを机におく。
そして、軽く吐息をついた。
「さて……どこから話そうか、考えていたんだが……」
マスターはいつものように、真っ直ぐわたしを見た。
だけど、無表情じゃない。
どことなく優しげな、落ち着いた表情で、でも瞳にはなにか決意のようなものを秘めているように見えた。
「ティア……お前に分かるかな……どうしても欲しいものが、どうしても手に入らないときの苦しみってやつが」
え?
マスターは何を話しているんだろう。
わたしは目をぱちくりとさせて、マスターを見る。
マスターはあまり表情を変えないまま、優しい口調で、ゆっくりと話し始めた。
「俺はもうずっと……お前と会うずっと前から、武装神姫のオーナーになりたかった。
バトルロンドを始めたくてな。
神姫に興味を持ったのは、お前も会ったことのある、海藤とアクアを見てからだ。
……そうだな。今回の件の報告も兼ねて、今度会いに行くか。
海藤とは高校の頃から仲が良くて、違う大学に進学しても、よく会ってた。
もっぱら俺があいつの家に行ってたんだけど。
そのたびに、海藤とアクアの仲の良さを見せつけられてな……俺だけじゃなくて、他の友人たちも神姫に興味を持ったというわけさ」
マスターは独り言を言うように話を進めていく。
これは……この話は、マスターの本当の想い……。
「それからずっと……探していたよ、俺の神姫を。
友達が次々と神姫のオーナーになっていく中で、俺は神姫を迎えられずにいた。
あちこちのショップにも行った。
神姫センターにも行って、バトルロンドの観戦もしたし、そこで興味が出た神姫のパッケージも手に取った。
新発売の神姫の情報はくまなくチェックした。
メーカー展示会に気になった神姫を見に行ったりもした。
ネットオークションで安く出回ってるパッケージ品もチェックしたし、ネットショップの掘り出し物も何度もチェックした。
……海藤の家でアクアを見てから、お金を握りしめてホビーショップに行ったことだって、一度や二度じゃない。
それでも……それでも俺は、神姫を買うことに踏み切れなかった」
マスターの寂しそうな表情。
その時の気持ちを、思い出しているのだろうか。
「なぜ、ですか?」
わたしは尋ねた。
もちろんその時に、マスターが神姫をお迎えしていたら、わたしは今こうして、マスターと話をしていることもないのだけれど。
「どうしても……納得が行かなかった。
どの武装神姫のパッケージを手にしても……これが俺の神姫だって、思えなかった。
だから、どんなに神姫マスターになった友達が羨ましくても……俺は神姫を迎えられなかったんだ。
どうしても、自分が心から納得の行く神姫がほしかったんだ」
マスターはわたしを見つめながら、かすかに苦笑した。
「その頃の俺の気持ち……分かるかな……。
武装神姫のオーナーになりたくてなりたくて……狂おしいほどに神姫が欲しくてさ。
そのくせ、どこを探しても、自分の神姫が見あたらないんだ。
すでに発売されているものなら、探しようもある。プレミアついていたって、お金を出しさえすれば手に入る。
でも……この世にいるかどうかもわからない『自分が納得の行く神姫』を探すなんて……雲を掴むような話だ。
探して探して……必死で探しても見つからなくて……あの何とも言えない、焦りというか渇きというか……そんな、胸をかきむしりたくなるような焦燥感が、いつも心にあってさ……。
神姫の情報を集めたり、見たりするのは楽しいのに、それが欲求を逆撫でして苦しくなるような……そんな感覚に苛まれる。
友達はみんな神姫マスターになって、楽しそうに、幸せそうにしていてさ。
それで俺はまた焦りと羨ましさにかられて……その繰り返しさ」
マスターは自嘲するように笑う。
……知らなかった。
マスターが武装神姫にそんなに強い想いを抱いてたなんて。
わたしは呟くように話すマスターの顔から、目が離せなくなっている。
「……あの夜……お前と出会ったあの夜、俺は飲み会の帰りだった。
気心知れた仲間たちとの飲み会だったんだけど……俺はちょっと機嫌が悪くなった。
神姫マスターになった連中は、口をそろえて言いやがる。
『そんなにこだわって選んでないで、とりあえずお迎えしてみればいいじゃないか』ってな。
連れてきた神姫と笑いながら……そう言うんだ。
腹立たしかったよ。
とりあえず、ってなんだよ。大切なパートナーを選ぶのに、こだわるのが当たり前だろう。
でも結局、俺は神姫マスターでない時点で、仲間たちの言葉に反論もできなかった。ただ、苦笑するしかなかったんだ」
そう言うマスターの表情は、少し悔しそうだった。
その時の感情を思い出しているのだろうか。
そして、マスターは言った。
「その後で……お前に出会ったんだ……」
ものすごく、安心したような、優しい顔をして。
見たことない、そんなマスターの顔。
わたしはかえって緊張してしまう。
「ゴミ捨て場で、あいつが……井山が何か悪態ついて捨てたのを、たまたま見かけたんだ。
ゴミのポリ袋の上でうめいていたのがお前だった。
見た瞬間に『ああ、これが俺の神姫だ』って思った。
当たり前みたいに……いや、衝撃的だったかな。どうだろう。
ただ、これが運命なんだって思ったんだ。
……いや、違う。格好つけすぎだな。
たぶん、お前に、一目惚れしてしまったんだ」
照れくさそうに笑うマスター。
今日のマスターはいつもと違う。
まるで菜々子さんと話すときのように、くるくると表情が変わる。
「それでお前を連れて帰ってきた。
クレイドル買ってきて、充電して、メンテナンス用のソフトをPCにセットアップして……舞い上がっていたと思う。
俺の神姫がやっと手元に来た、ってな。
お前の記憶を見て……俺も一瞬ひるんだ。それでも、お前を自分の神姫にしたい気持ちは変わらなかった。
これが運命でなくて何だ、って思ったよ。
……そしたらさ、目覚めたお前が言うんだよ。
『わたしをお店に戻してください』
って」
……あ。
思い出した。
あの時わたしは、自分のマスターになりたいというこの人に、そう願ったのだ。
あの時、マスターはわたしにものすごく怒ったけれど。
わたしはなんで怒られるのか、よくわからなかったけれど。
いまなら分かる気がする。
「そりゃないだろ。
俺はやっと、やっとの思いで自分の神姫を見つけだしたって言うのに、地獄のような場所に返してください、じゃあさ……。
そりゃあ怒りもするさ、俺でも。
どうしても諦められなかった俺は、お前を言葉で丸め込んだ。
お前が武装神姫になりたいかどうかなんておかまいなしで……俺が望む戦闘スタイルを押しつけた。
さんざん練習させて、つらい思いもさせた。
お前が俺のところから逃げられないのが分かっていて、そんなことさせていた」
マスターの言葉に、何か違和感を感じる。
わたしは……武装神姫になりたくなかった? マスターが望む戦闘スタイルが嫌いだった? 練習は、つらかった? マスターのところから逃げ出したかった?
ちがう。
ちがいます。
わたしの想いとマスターの考えはすれ違っている。
マスターは無理矢理わたしを武装神姫にしたというけれど。
わたしがそう望むのなら、それは、無理矢理ではないんじゃないですか?
「……それでも、俺は嬉しかったんだ。
自分だけの神姫と、俺たちだけの戦闘スタイルで、バトルロンドを戦えるのが。
夢が叶った、と思った。
久住さんや仲間たちにも出会えた。ゲームセンターで過ごす時間は……バトルロンドをプレイしている時は、本当に楽しかった。
そんな時間をくれるお前に、ずっと、感謝していたんだ。
でもな……心の底ではずっと思っていた。
本当は、俺の楽しみのために、ティアを無理矢理戦わせているだけなんじゃないか、って。
お前の自由を奪って、自分だけ楽しんでいるエゴイストなんじゃないかって」
「そ、そんなこと……ありません!」
わたしはついに口を出してしまった。
マスターの話を遮ってしまった。
臆病な心が、顔を覗かせようとするけれど。
でも、わたしは勇気を出して、言う。
声が震えててもかまわない。
言わなくちゃ。
だって、マスターは間違っているから。
「わたしも……わたしも幸せでした。
薄暗いお店しか知らないわたしに、世界を教えてくれたのはマスターです。
わたしが知らなかった気持ちを……楽しい気持ちも、嬉しい気持ちも、風の心地よさとか、友達の優しさとか、技を自分のものにできたときの喜びも……全部全部、マスターがくれたんです」
こんなに幸せでいいのかって、今でも思ってる。
マスターは少し驚いたような顔をしていた。
「……そうなのか?」
「そうですよ」
「それなら……お前がそう思ってくれるなら、俺も救われるよ。
俺はこの間思ったんだ。
……もし、バトルロンドができなくなったとしても、お前が走ることができれば、それでお前が喜んでいるのなら、それでいいって。
何より大事なのは、お前がそばにいてくれることだってな」
ほっとした表情で、そんなことを言った。
やっとわかった、マスターの本当の気持ち。
でも、わたしは以前から疑問に思うことがある。
「あの……」
「なんだ?」
「ほんとうに……ほんとうに、わたしなんかでいいんですか」
「わたしなんか、って言うな」
いつもの言葉。
でも、厳しいところは、表情にも口調にもなくて。
優しく微笑んでいる。
わたしに向かって。
「お前じゃなきゃ、だめなんだ」
……ああ。
さっき言っていたマスターの気持ちが、いま、少しだけわかった気がする。
欲しくて欲しくて、それでもどうしても手に入れられないもの。
わたしにとって、それは、マスターの笑顔だった。
いま、このマスターの笑顔こそ。
わたしがずっと、欲しくて欲しくてやまなかったもの……。
「でも……わ、わたしは……マスターに、とんでもない迷惑をかけてしまって……」
「迷惑なんて、いくらでもかければいい。それでもいいんだ」
「じゃ、じゃあ……手の甲をわたしに差し出すのは……?」
「お前、掴もうとすると怖がるだろ」
「……わたしの前で、表情を変えないのも……?」
「なんだ、気がついていたのか? 俺が表情を変えなければ、お前が不用意に怖がらなくてすむだろ」
やっぱり。
無表情のことは、この間、やっと気がついたのですけど。
マスターは照れくさそうな顔をして、頭を掻いた。
「まあ……俺は元々、仏頂面だからな……」
「で、でも……マスターとわたしは、毎日顔を合わせてました。
それなのに……ずっと無表情でいるなんて……」
「そんなの、お前が俺の神姫でいてくれるなら、大したことじゃない。
いつかお前が俺のことを心から信じてくれたら……そうしたら、掴むことも許してくれると思ったし、笑いあうこともできるって……信じていた」
そんな……。
「わたしは……ずっとマスターに笑って欲しいと思っていました」
「そうなのか?」
「そうですよ」
マスターは苦笑する。
「そうか……俺たちはお互いに、お互いの笑顔を見たいと思いながら、ずっとずっと遠回りしてきたんだな……」
「……そうですね」
「なぁ、ティア……」
マスターは不意に真剣な表情でわたしを見た。
真っ直ぐな視線。
この人は真っ直ぐにわたしを見てくれる。初めて出会ったときから、ずっと。
「俺の神姫で……いてくれるか?
俺はバトルロンドを続けたいけど、お前が嫌だというならそれでもいい。
こんなわがままで情けない男でも、マスターと認めてくれるか?」
……どうしてそんなに自信なさげなんですか?
もう答えなんて、決まりきっていることじゃないですか。
それをはっきりと伝える方法を、わたしは思いついた。
「マスター。手のひらを出してください」
「……? こうか?」
マスターは怪我をしていない方の左手を、手のひらを上にして、わたしの前に出した。
わたしはクレイドルから立ち上がり、マスターの手に歩み寄る。
そして、その手の上に腰掛ける。
ちょっと緊張したけれど、何も怖いことなんてなかった。
この人を信じているから。
マスターの親指に顔を寄せて、キスをした。
「これは……わたしの誓いです」
顔を上げて、マスターを見る。驚いてる。
わたしはうつむいてしまう。
マスターの顔、まともに見られない。いまさら、とても恥ずかしくなって。
「わたしはあなたの神姫です。
わたしのマスターは、世界でただ一人、あなただけだと……誓います」
マスターの手はあたかかくて、心地いい感じがした。
もう一度、マスターを見る。
わたしの顔はこれ以上ないほど赤かったかも知れないけれど。
マスターも、とても照れくさそうな顔をしていた。
やがて、見つめ合うわたしたちは、どちらからともなく笑い始めた。
マスターと初めて心から笑いあえた。
ああ。
わたしが一番欲しかったものが、今ここにある。
長い長い一日の果てに。
わたしは、本当の意味で、遠野貴樹の武装神姫になった。
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