「ACT 1-15」(2009/08/13 (木) 14:20:23) の最新版変更点
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ウサギのナミダ
ACT 1-15
◆
八重樫美緒と三人の仲間にとって、『エトランゼ』は憧れの神姫プレイヤーだった。
明るく気さくな美人で、バトルロンドも強い。
神姫も戦闘スタイルが特徴的で、華がある。
エトランゼのように、美しく強い神姫プレイヤーになりたい、というのが、四人の仲間の共通した夢だ。
エトランゼのマスターは、『ハイスピードバニー』のマスターといつも一緒にいる。
それがまたいい。
ハイスピードバニーのマスターは、クールで知的な感じの男性だった。
いつもバトルの後には自分の神姫と議論しているような、ストイックな性格。
しかも、さりげなく対戦台を譲ってくれる気配りの良さ。
彼こそは武装紳士と呼ぶにふさわしい。
その紳士が、エトランゼの隣に寄り添うように立つ。
そして二人が微笑みながら話をしている姿など、四人の少女にしてみれば、もう目眩がするほど美しい光景だった。
いつかあんな紳士が、わたしにも現れてくれないかしら……などという妄想は、常日頃四人の間で繰り広げられていた。
それが裏切られたのは先週のことだ。
ハイスピードバニー・ティアの正体は風俗の神姫だったのだ。
雑誌に掲載された、ティアの姿は、年頃の娘には刺激が強すぎた。
あの紳士が自分の神姫に売春させていたとは思えないけれど。
それでも、売春していた神姫を自分の神姫にするなんて「ないな」と美緒は思った。
その日、店にハイスピードバニーのマスターが来たときには、すでに彼を軽蔑していた。
常連さん達から罵声を浴びせられるのも、むしろ当然、そう思って疑わなかった。
だから、翌日、とうとう大声で叫びだした彼を見て、驚きはしたけれど、むしろいい歳した男がみっともない、くらいに思っていた。
彼が去って、美緒の神姫、ウェクストラ・タイプのパティが呟いた。
「あの方は……それほどまでに、ご自分の神姫が大切なのですね」
その言葉に、美緒ははっとする。
ハイスピードバニーのマスターは、自分の弁解の言葉を口にしなかった。
神姫に罪はない、と。そう言っていたのだ。
そのことに気がついてから周囲を見ると、逆におかしなことに気がつく。
その雑誌……ティアという神姫がひどい目に遭わされている画像が掲載されている、そのページを見ながら、笑っている男達。
声高にかのマスターをバカにして、笑い転げ、いやらしい笑みを浮かべながら、雑誌の神姫の痴態を話のネタにしている。
……女の子がひどいことされてる写真が、そんなにおかしい?
年頃の少女から見れば、むしろ彼らこそ汚らわしく見える。
それに気がついたら、自分の神姫をそんな風に嘲笑されて怒る、ハイスピードバニーのマスターの方が正しいんじゃないかと思えてきた。
仲間達に話したら、議論になった。紛糾した。
でも、ハイスピードバニーのマスターはともかく、ゲーセンの男達の態度は許せないというところで落ち着いた。
そして、昨日。
また雑誌にティアの画像が載った。直視できなかった。それほどにひどい内容だった。
それでも、男性マスター達は、そのページを見て、げらげらと笑っている。
その中心にいるのが、同級生の『玉虫色のエスパディア』のマスターというのが始末が悪い。
どうかしている。
自分の神姫がこんなふうに雑誌に載せられたら、笑っていられるのだろうか。
そう思うと、ティアのマスターが怒りだしたのは、至極当然という気がしてくる。
だが、美緒にも、仲間達にも、彼らに対して為す術はなかった。ただ、眉をひそめ、嫌な気持ちで彼らの笑い声を聞いているしかなかった。
しかし。
その連中に反旗を翻す人物が現れた。
エトランゼのマスター。
憧れの神姫プレイヤーは、三強をなぎ倒し、すべての神姫プレイヤーに「宣戦布告」した。
ハイスピードバニー・ティアにつく、と。
痛快だった。
美しくて、強くて、正しくて、凛々しい。
憧れている人が、自分の思いを現実のものにしてくれた。
美緒の、エトランゼに対する憧憬はさらに強くなった。それは仲間達も同じだった。
その日も、夜遅くまで、みんなで話し合った。
そして決めた。
正しいと思ったことを貫くと。
そうでなければ、憧れのエトランゼと真っ直ぐ向き合うことも出来ないではないか。
そして今日。
その憧れの人からお願いされた。
その願いを聞きとげるなんて、当たり前のことだった。
だって、わたしたちはエトランゼの味方なのだから。
わたしたちに出来ることを懸命にやる。
そう、エトランゼのように。
◆
美緒は雨の中を、足下に視線を向けながら早足で歩いている。
四人でエリアを分担し、注意深く見てまわることにしていた。
なにしろ相手は十五cmの神姫だ。
物陰に隠れているだけでも見落としてしまう。
ティアの姿は覚えている。
バニーガールの格好をした、可愛い神姫だ。
その姿を頭の隅にとどめつつ、捜し回る。
捜しはじめて、すでに一時間くらい経っている。
仲間からの連絡もない。
次第に焦りが増してくる。
だからだろうか、注意を前よりも下に向けすぎていた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
どしん、と誰かにぶつかった。
美緒は勢いでしりもちをついてしまう。
雨はまだ降り続いている。
スカートがびしょぬれになってしまった。
(ああ、最悪……)
それでも、彼女にはやらなくてはならないことがある。
身体を起こそうとしたところで、手が差し伸べられた。
「すみません、大丈夫ですか?」
ぶつかった男の人だった。
傘を差していない。
濡れるのもかまわず傍らに置き、空いている手を美緒に差し出している。
もう片方の手には、ハンカチの包みを握っていた。
肩には、神姫が座っていて、こちらを見ていた。
「あ……はい、すみません……」
美緒は男性の手を取り、立たせてもらう。
その間も、美緒は目が離せなくなっていた。
男性の肩に乗っている神姫から。
アーンヴァルのようだ。だが、通常のアーンヴァルと違い、長い銀髪。顔立ちは可愛いというより、芸術品のように美しい。
背面に先日発売になった羽の武装を装備している。
その姿は、絵画から抜け出してきた天使のようだった。
「怪我はありませんか?」
「あ、大丈夫です……」
男性はとても紳士的だった。
もっときちんとお礼が言いたかったが、
「あの、すみません。急いでいるもので……失礼します」
きびすを返そうとした美緒に、声がかけられた。
あの神姫だった。
「あなたはバトルロンドのプレイヤーですね」
「はいそうです」
すんなり答えたのは、美緒の肩にいるパティだった。
ちょっと、パティ。わたしたち、急いでるでしょう。
ところがパティは非常にかしこまった様子で、マスターの視線など気にもとめない。
「ならば、教えてほしいのですが、ハイスピードバニー・ティアのホームグラウンドのゲームセンターはどこかわかりますか?」
「え、あの……わかります、けど……」
美緒は戸惑いながら答えた。
男性は傘を拾い上げると、美緒に向かってほほえんだ。
「それはよかった。ああ、そうだ。なら、あなたはハイスピードバニーを見たことあります?」
「あります、けど……あの……わたし、そのティアを捜しているところなんです。だから……」
すると、その男性はちょっと驚いた後でにっこりと笑った。
「それなら、なおさらよかった。それについても聞きたいことがあって」
美緒が不審に思っていると、男性はハンカチの包みを美緒の前に出した。
「彼女、誰の神姫か分かりますか?」
ハンカチの包みが開く。
美緒は絶句し、男性の顔を見た。
男性は優しく笑いながら頷いた。
菜々子は壁にもたれ、身体を抱くように腕を組み、ただひたすらに連絡を待っていた。
ゲーセンではランバトが始まっている。
試合に盛り上がり、もはや菜々子達に注意を向けるものなど、誰もいない。
井山はまだ来ていない。それだけが救いだ。
四人の少女達が出ていって、すでに一時間が経つ。
その間、何度自分も捜しに行こうと思ったかわからない。
ただ待っているだけの時間は、とんでもない苦痛だった。
だが、菜々子には役割がある。
もしティアがここに来たときには、彼女が真っ先に保護しなくてはならないのだ。
注意だけはゲーセンの入り口に向けて、菜々子は待ち続ける。
それからしばらくして、ランバトも最高潮になった頃。
「エトランゼさん!!」
眼鏡の少女が走り込んできた。
さきほど連絡先を交換した、美緒という名の女の子だ。
傘を差していたというのに、濡れねずみになっている。
美緒の後ろから、一人の青年が続いて現れた。
菜々子は壁から背を離し、小走りに近づいた。
「八重樫さん……どうしたの? 見つかった?」
「み、見つかりました!」
美緒はそう言うと、後ろにいた青年を見た。
彼は菜々子の前に来て、ハンカチの包みを手渡す。
ハンカチにくるまれていたものは……
「ティアっ!!」
菜々子の肩からミスティが手元へと飛び降りた。
ぐったりと目を閉じているティアを抱き寄せる。
「ティア!? ティアッ!!」
ティアの身体をミスティは揺さぶるが、反応がない。
疲れきったような表情で、目を閉じたままだ。
「ああ、バッテリー切れのようです。特に外傷もないので、充電すれば大丈夫だと思いますよ」
青年は、微笑みながら言った。
菜々子とミスティは安心して、深いため息を付いた。
菜々子は青年を見る。
年代は同じくらいだろうか。人の良さそうな青年だ。どこかで見たような気がするのは、気のせいだろうか。
そして、彼の肩にいる神姫に視線は吸い寄せられる。
美しい銀髪のアーンヴァル。
「この人が、ティアを助けてくれたんです」
美緒の言葉に、青年は軽く会釈した。
菜々子も会釈して、礼を言う。
「ありがとうございます。この子、変な奴に狙われているんです。助かりました」
「いえいえ。僕たちも、対戦相手を助けられてよかったですよ」
「ちょうどこの新しい翼を試しているときでよかった。そうでなければ、歩道橋から落ちる彼女を助けられなかったかも知れません」
「っ……!」
銀髪のアーンヴァルの言葉に、菜々子とミスティは絶句した。
ティアは何でそんなところにいて、なぜ落ちたというのか。
「ところで、この娘のマスターは? 不在ですか?」
「……いまも必死でティアを捜しています、きっと」
そうだ、遠野に連絡しなくてはならない。ティアが見つかったことを。
「あなたは、この娘の……ハイスピードバニーのマスターと知り合いなのですね」
「え、ええ……」
菜々子が頷くと、アーンヴァルが言った。
「それでは、ハイスピードバニーのマスターに伝えてください。
アーンヴァルの雪華が、対戦を希望している、と」
「……!!?」
その名に聞き覚えがある。
そう、確か……
「雪華……『アーンヴァル・クイーン』の雪華!? セカンドリーグ、秋葉原チャンピオン!?」
「はい」
青年は笑顔のまま頷いた。
見たことがあるはずだ。東東京大会の映像は、菜々子も見た。
そして、その後のインタビューで、ティアやミスティを名指ししたことも知っている。
「あなたは、そちらの子に『エトランゼ』と呼ばれていましたが、もしかして……」
菜々子は頷いた。
「ええ。わたしたちが『エトランゼ』です。この子がミスティ」
「ああ、よかった! エトランゼは放浪の神姫と呼ばれているほどあちこちに出没すると聞いていましたから、どうやって見つけようか悩んでいたんですよ」
少し大げさな身振りで、青年は喜びを表した。
マスターとは対照的に、雪華は落ち着いた態度を崩さない。
「わたしたちは、エトランゼとも対戦を希望しています。受けてくださいますか?」
「え……でも……」
ミスティは気遣わしげにティアを見る。
「一週間後」
菜々子が、クイーンとそのマスターを見据えながら言った。
「今日はティアのことがあるので、一週間後の土曜日、対戦をお受けします。
ティアのマスターにも、あなた達が対戦を希望していることは伝えておきます。可能ならば、連れてきます
どうですか?」
「わかりました」
青年は、瞬時に快諾した。
雪華も依存はないようだ。
青年は、ポケットから一枚の名刺を取り出し、菜々子に渡した。
「僕の連絡先です。メールもらえれば、時間は合わせます」
青い空の図柄に、マスターと神姫の名前、メールアドレスのみが書いてあるシンプルな名刺だった。
マスターの名は、高村優斗とあった。
高村とは、土曜の再会を約し、別れた。
そのあと、すぐに大城と残る三人の少女に連絡を入れた。
四人とも大急ぎで帰ってきた。
「なんだよ……心配かけやがって……」
虎実が大城の上で文句を言う。
彼女も全身ずぶ濡れだ。
ティアを捜して必死だったに違いない。
「遠野に連絡は?」
大城の言葉に首を振る。
「まだ、これから」
菜々子は、携帯電話を操作し、遠野の電話番号を呼び出した。
険しい眼差しで、その番号を見つめる。
「もう、ぐずぐずしていられなくなったわ……切り札を使う」
「切り札?」
首を傾げる大城に、菜々子は少し困ったように笑った。
「うん……正義の味方……かな」
「はぁ?」
大城は間抜けな顔をしていた。
確かに、いきなり『正義の味方』が切り札なんて言ったら、わけが分からないだろう。
だけど、それでいい。正義の味方はその存在を秘するものだから。
菜々子は意を決し、通話ボタンを押した。
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八重樫美緒と三人の仲間にとって、『エトランゼ』は憧れの神姫プレイヤーだった。
明るく気さくな美人で、バトルロンドも強い。
神姫も戦闘スタイルが特徴的で、華がある。
エトランゼのように、美しく強い神姫プレイヤーになりたい、というのが、四人の仲間の共通した夢だ。
エトランゼのマスターは、『ハイスピードバニー』のマスターといつも一緒にいる。
それがまたいい。
ハイスピードバニーのマスターは、クールで知的な感じの男性だった。
いつもバトルの後には自分の神姫と議論しているような、ストイックな性格。
しかも、さりげなく対戦台を譲ってくれる気配りの良さ。
彼こそは武装紳士と呼ぶにふさわしい。
その紳士が、エトランゼの隣に寄り添うように立つ。
そして二人が微笑みながら話をしている姿など、四人の少女にしてみれば、もう目眩がするほど美しい光景だった。
いつかあんな紳士が、わたしにも現れてくれないかしら……などという妄想は、常日頃四人の間で繰り広げられていた。
それが裏切られたのは先週のことだ。
ハイスピードバニー・ティアの正体は風俗の神姫だったのだ。
雑誌に掲載された、ティアの姿は、年頃の娘には刺激が強すぎた。
あの紳士が自分の神姫に売春させていたとは思えないけれど。
それでも、売春していた神姫を自分の神姫にするなんて「ないな」と美緒は思った。
その日、店にハイスピードバニーのマスターが来たときには、すでに彼を軽蔑していた。
常連さん達から罵声を浴びせられるのも、むしろ当然、そう思って疑わなかった。
だから、翌日、とうとう大声で叫びだした彼を見て、驚きはしたけれど、むしろいい歳した男がみっともない、くらいに思っていた。
彼が去って、美緒の神姫、ウェクストラ・タイプのパティが呟いた。
「あの方は……それほどまでに、ご自分の神姫が大切なのですね」
その言葉に、美緒ははっとする。
ハイスピードバニーのマスターは、自分の弁解の言葉を口にしなかった。
神姫に罪はない、と。そう言っていたのだ。
そのことに気がついてから周囲を見ると、逆におかしなことに気がつく。
その雑誌……ティアという神姫がひどい目に遭わされている画像が掲載されている、そのページを見ながら、笑っている男達。
声高にかのマスターをバカにして、笑い転げ、いやらしい笑みを浮かべながら、雑誌の神姫の痴態を話のネタにしている。
……女の子がひどいことされてる写真が、そんなにおかしい?
年頃の少女から見れば、むしろ彼らこそ汚らわしく見える。
それに気がついたら、自分の神姫をそんな風に嘲笑されて怒る、ハイスピードバニーのマスターの方が正しいんじゃないかと思えてきた。
仲間達に話したら、議論になった。紛糾した。
でも、ハイスピードバニーのマスターはともかく、ゲーセンの男達の態度は許せないというところで落ち着いた。
そして、昨日。
また雑誌にティアの画像が載った。直視できなかった。それほどにひどい内容だった。
それでも、男性マスター達は、そのページを見て、げらげらと笑っている。
その中心にいるのが、同級生の『玉虫色のエスパディア』のマスターというのが始末が悪い。
どうかしている。
自分の神姫がこんなふうに雑誌に載せられたら、笑っていられるのだろうか。
そう思うと、ティアのマスターが怒りだしたのは、至極当然という気がしてくる。
だが、美緒にも、仲間達にも、彼らに対して為す術はなかった。ただ、眉をひそめ、嫌な気持ちで彼らの笑い声を聞いているしかなかった。
しかし。
その連中に反旗を翻す人物が現れた。
エトランゼのマスター。
憧れの神姫プレイヤーは、三強をなぎ倒し、すべての神姫プレイヤーに「宣戦布告」した。
ハイスピードバニー・ティアにつく、と。
痛快だった。
美しくて、強くて、正しくて、凛々しい。
憧れている人が、自分の思いを現実のものにしてくれた。
美緒の、エトランゼに対する憧憬はさらに強くなった。それは仲間達も同じだった。
その日も、夜遅くまで、みんなで話し合った。
そして決めた。
正しいと思ったことを貫くと。
そうでなければ、憧れのエトランゼと真っ直ぐ向き合うことも出来ないではないか。
そして今日。
その憧れの人からお願いされた。
その願いを聞きとげるなんて、当たり前のことだった。
だって、わたしたちはエトランゼの味方なのだから。
わたしたちに出来ることを懸命にやる。
そう、エトランゼのように。
◆
美緒は雨の中を、足下に視線を向けながら早足で歩いている。
四人でエリアを分担し、注意深く見てまわることにしていた。
なにしろ相手は十五cmの神姫だ。
物陰に隠れているだけでも見落としてしまう。
ティアの姿は覚えている。
バニーガールの格好をした、可愛い神姫だ。
その姿を頭の隅にとどめつつ、捜し回る。
捜しはじめて、すでに一時間くらい経っている。
仲間からの連絡もない。
次第に焦りが増してくる。
だからだろうか、注意を前よりも下に向けすぎていた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
どしん、と誰かにぶつかった。
美緒は勢いでしりもちをついてしまう。
雨はまだ降り続いている。
スカートがびしょぬれになってしまった。
(ああ、最悪……)
それでも、彼女にはやらなくてはならないことがある。
身体を起こそうとしたところで、手が差し伸べられた。
「すみません、大丈夫ですか?」
ぶつかった男の人だった。
傘を差していない。
濡れるのもかまわず傍らに置き、空いている手を美緒に差し出している。
もう片方の手には、ハンカチの包みを握っていた。
肩には、神姫が座っていて、こちらを見ていた。
「あ……はい、すみません……」
美緒は男性の手を取り、立たせてもらう。
その間も、美緒は目が離せなくなっていた。
男性の肩に乗っている神姫から。
アーンヴァルのようだ。だが、通常のアーンヴァルと違い、長い銀髪。顔立ちは可愛いというより、芸術品のように美しい。
背面に先日発売になった羽の武装を装備している。
その姿は、絵画から抜け出してきた天使のようだった。
「怪我はありませんか?」
「あ、大丈夫です……」
男性はとても紳士的だった。
もっときちんとお礼が言いたかったが、
「あの、すみません。急いでいるもので……失礼します」
きびすを返そうとした美緒に、声がかけられた。
あの神姫だった。
「あなたはバトルロンドのプレイヤーですね」
「はいそうです」
すんなり答えたのは、美緒の肩にいるパティだった。
ちょっと、パティ。わたしたち、急いでるでしょう。
ところがパティは非常にかしこまった様子で、マスターの視線など気にもとめない。
「ならば、教えてほしいのですが、ハイスピードバニー・ティアのホームグラウンドのゲームセンターはどこかわかりますか?」
「え、あの……わかります、けど……」
美緒は戸惑いながら答えた。
男性は傘を拾い上げると、美緒に向かってほほえんだ。
「それはよかった。ああ、そうだ。なら、あなたはハイスピードバニーを見たことあります?」
「あります、けど……あの……わたし、そのティアを捜しているところなんです。だから……」
すると、その男性はちょっと驚いた後でにっこりと笑った。
「それなら、なおさらよかった。それについても聞きたいことがあって」
美緒が不審に思っていると、男性はハンカチの包みを美緒の前に出した。
「彼女、誰の神姫か分かりますか?」
ハンカチの包みが開く。
美緒は絶句し、男性の顔を見た。
男性は優しく笑いながら頷いた。
菜々子は壁にもたれ、身体を抱くように腕を組み、ただひたすらに連絡を待っていた。
ゲーセンではランバトが始まっている。
試合に盛り上がり、もはや菜々子達に注意を向けるものなど、誰もいない。
井山はまだ来ていない。それだけが救いだ。
四人の少女達が出ていって、すでに一時間が経つ。
その間、何度自分も捜しに行こうと思ったかわからない。
ただ待っているだけの時間は、とんでもない苦痛だった。
だが、菜々子には役割がある。
もしティアがここに来たときには、彼女が真っ先に保護しなくてはならないのだ。
注意だけはゲーセンの入り口に向けて、菜々子は待ち続ける。
それからしばらくして、ランバトも最高潮になった頃。
「エトランゼさん!!」
眼鏡の少女が走り込んできた。
さきほど連絡先を交換した、美緒という名の女の子だ。
傘を差していたというのに、濡れねずみになっている。
美緒の後ろから、一人の青年が続いて現れた。
菜々子は壁から背を離し、小走りに近づいた。
「八重樫さん……どうしたの? 見つかった?」
「み、見つかりました!」
美緒はそう言うと、後ろにいた青年を見た。
彼は菜々子の前に来て、ハンカチの包みを手渡す。
ハンカチにくるまれていたものは……
「ティアっ!!」
菜々子の肩からミスティが手元へと飛び降りた。
ぐったりと目を閉じているティアを抱き寄せる。
「ティア!? ティアッ!!」
ティアの身体をミスティは揺さぶるが、反応がない。
疲れきったような表情で、目を閉じたままだ。
「ああ、バッテリー切れのようです。特に外傷もないので、充電すれば大丈夫だと思いますよ」
青年は、微笑みながら言った。
菜々子とミスティは安心して、深いため息を付いた。
菜々子は青年を見る。
年代は同じくらいだろうか。人の良さそうな青年だ。どこかで見たような気がするのは、気のせいだろうか。
そして、彼の肩にいる神姫に視線は吸い寄せられる。
美しい銀髪のアーンヴァル。
「この人が、ティアを助けてくれたんです」
美緒の言葉に、青年は軽く会釈した。
菜々子も会釈して、礼を言う。
「ありがとうございます。この子、変な奴に狙われているんです。助かりました」
「いえいえ。僕たちも、対戦相手を助けられてよかったですよ」
「ちょうどこの新しい翼を試しているときでよかった。そうでなければ、歩道橋から落ちる彼女を助けられなかったかも知れません」
「っ……!」
銀髪のアーンヴァルの言葉に、菜々子とミスティは絶句した。
ティアは何でそんなところにいて、なぜ落ちたというのか。
「ところで、この娘のマスターは? 不在ですか?」
「……いまも必死でティアを捜しています、きっと」
そうだ、遠野に連絡しなくてはならない。ティアが見つかったことを。
「あなたは、この娘の……ハイスピードバニーのマスターと知り合いなのですね」
「え、ええ……」
菜々子が頷くと、アーンヴァルが言った。
「それでは、ハイスピードバニーのマスターに伝えてください。
アーンヴァルの雪華が、対戦を希望している、と」
「……!!?」
その名に聞き覚えがある。
そう、確か……
「雪華……『アーンヴァル・クイーン』の雪華!? セカンドリーグ、秋葉原チャンピオン!?」
「はい」
青年は笑顔のまま頷いた。
見たことがあるはずだ。東東京大会の映像は、菜々子も見た。
そして、その後のインタビューで、ティアやミスティを名指ししたことも知っている。
「あなたは、そちらの子に『エトランゼ』と呼ばれていましたが、もしかして……」
菜々子は頷いた。
「ええ。わたしたちが『エトランゼ』です。この子がミスティ」
「ああ、よかった! エトランゼは放浪の神姫と呼ばれているほどあちこちに出没すると聞いていましたから、どうやって見つけようか悩んでいたんですよ」
少し大げさな身振りで、青年は喜びを表した。
マスターとは対照的に、雪華は落ち着いた態度を崩さない。
「わたしたちは、エトランゼとも対戦を希望しています。受けてくださいますか?」
「え……でも……」
ミスティは気遣わしげにティアを見る。
「一週間後」
菜々子が、クイーンとそのマスターを見据えながら言った。
「今日はティアのことがあるので、一週間後の土曜日、対戦をお受けします。
ティアのマスターにも、あなた達が対戦を希望していることは伝えておきます。可能ならば、連れてきます
どうですか?」
「わかりました」
青年は、瞬時に快諾した。
雪華も依存はないようだ。
青年は、ポケットから一枚の名刺を取り出し、菜々子に渡した。
「僕の連絡先です。メールもらえれば、時間は合わせます」
青い空の図柄に、マスターと神姫の名前、メールアドレスのみが書いてあるシンプルな名刺だった。
マスターの名は、高村優斗とあった。
高村とは、土曜の再会を約し、別れた。
そのあと、すぐに大城と残る三人の少女に連絡を入れた。
四人とも大急ぎで帰ってきた。
「なんだよ……心配かけやがって……」
虎実が大城の上で文句を言う。
彼女も全身ずぶ濡れだ。
ティアを捜して必死だったに違いない。
「遠野に連絡は?」
大城の言葉に首を振る。
「まだ、これから」
菜々子は、携帯電話を操作し、遠野の電話番号を呼び出した。
険しい眼差しで、その番号を見つめる。
「もう、ぐずぐずしていられなくなったわ……切り札を使う」
「切り札?」
首を傾げる大城に、菜々子は少し困ったように笑った。
「うん……正義の味方……かな」
「はぁ?」
大城は間抜けな顔をしていた。
確かに、いきなり『正義の味方』が切り札なんて言ったら、わけが分からないだろう。
だけど、それでいい。正義の味方はその存在を秘するものだから。
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