「ACT 1-10」(2009/07/26 (日) 22:26:25) の最新版変更点
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ウサギのナミダ
ACT 1-10
□
今の状況に置いて、俺に打つべき手はなかった。
噂の否定と拡大阻止などは、一介の大学生には手に余る代物だ。
何かヒントになることはないかと、一度ネットの掲示板なども覗いてみたが、すぐにやめた。
ゲーセンの連中よりも面白半分な書き込みが大半を占めていて、当事者の俺はとても読む気にはならなかった。
もし俺がネット上で否定的な発言をしても、すぐにログは流れてしまうだろうし、「本人降臨」とか言われて、火に油を注いで面白がらせるだけだろう。
ネットだけではなく、ペーパーメディアの情報も入れるのをやめた。
隔週刊誌の「バトルロンド・ダイジェスト」は毎号楽しみに購読していたが、それすらも手に取るのをやめた。
その雑誌には、様々な武装神姫達が誌面を彩っているが、そんな神姫達が妬ましく思えてしまう。
その近くには、例のゴシップ誌が置いてある。
バトロンダイジェストに掲載されている、きらめくばかりの神姫達と、俺達をどん底の状況にたたき落とした雑誌に掲載されているティア。
お前達の現実はこれだ、と、コンビニの雑誌棚にさえ責められているような気がする。
俺はおとなしく大学に通い、上の空で講義を聴き、家に帰っては課題を適当にこなし、時々ティアの様子を見る、という生活を淡々と続けた。
ティアはひどいスランプに陥っていた。
原因は明らかだったが、俺はあえて何も言わないことにしていた。
と言うよりも、かけてやる言葉の持ち合わせがなかったのだ。
いつ復帰できるかわからない、復帰の可能性すら絶たれている今、ティアに訓練をさせる理由がない。
虎実との約束は確かにあるが、それだっていつのことか決まっているわけではないのだ。
だから、ティアには好きにさせていた。
ティアは訓練をやめようとはしなかった。まるで何かに憑かれたように。
課題の消化は遅々として進まなかったが、それでも叱ったりすることはなかった。
俺のモチベーションの方が、もう折れそうだった。
そんな風に過ごしていた木曜日、携帯電話が鳴った。
海藤からだった。
「ネットで、君たちの状況を知ったよ。きっと落ち込んでいると思って」
古い友人はそうのたまった。
ああそうさ、海藤、君の言うとおりになったよ。
俺達はただいま絶賛嘲られ中の身の上さ。
「それで、きっと、ネットもチェックしてないだろうと思ってさ……。
君たちの身の上の問題とは別件で、相談したいことがあるんだ」
なんだそれは?
海藤はよくわからない、もって回った言い方をしている。
俺は意味を尋ねたが、
「ああ、映像を見てもらった方が早いから……土曜日、うちに来ないか? 気分転換も兼ねて、さ。ティアを連れてきてもいいし」
と言った。
そんな気になる言い方をされては、行かざるを得ないではないか。
どちらにせよ、ゲームセンターに行くことも出来ないし、週末はまったく予定が空いている。
土曜日に訪問する約束をして、電話を切った。
■
マスターが海藤さんと約束している土曜日は、瞬く間にやってきた。
「一緒に行くか?」
判断をわたしに委ねてくれたマスターに、しかしわたしは、断った。
「あの……やっぱり、練習します……」
「そうか……」
その一言だけで、マスターは出かけてしまった。
最近、マスターはわたしに命令することをしない。叱ることも、もちろん笑うこともしない。
もう、何もかもを諦めてしまったかのように、わたしには感じられた。
スランプから未だに脱出できないわたしが原因であることは間違いない。
だからつらかった。
もう、わたしに愛想を尽かしているだろうマスターと一緒にいるのがつらかった。
そして、あろうことか、わたしはマスターに嘘をついた。
一人家に残ったのは、練習の為じゃなくて。
確認したいことがあったから。
電源をつけっぱなしの、マスターのデスクトップPC。
神姫のわたしには大きすぎる、そのキーボードとマウスに歩み寄った。
□
前回、海藤の家に来たのは、ティアのボディを交換してもらうためだった。
あれからすでに四ヶ月ほども経っている。
その間、俺は夢中でティアと向き合っていたのだ。
急に、左の胸ポケットのあたりが軽く感じられた。
いつもそこにあった、いつもちょっと不安そうな表情は、今日はない。
久しぶりの道を一人歩く。
手にしたドーナッツの箱はお約束だ。
「よく来たね。さあ、入って入って」
旧友はいつものように俺を迎え入れてくれた。
変わらない態度が、今の俺の心に染みた。
「……その手、どうしたんだい?」
俺の右手にはまだ包帯が巻かれている。
まあ、普通気になるよな。
俺は曖昧に笑っていった。
「ああ……ちょっとドジってさ。階段で転んだ」
「ふぅん?」
海藤はそれだけ言って、深く追求しなかった。
「いらっしゃいませ」
鈴の鳴るような声で、海藤の肩から挨拶してきたのはアクア。
彼女も変わらない。
だけど、彼女は不意に気遣わしげな表情になり、
「あの……ティアは?」
俺に尋ねてくる。
二人は変わらない。
この四ヶ月の間に、俺の方にいろいろありすぎたのだ。
「ティアは……一人で自主練」
自分の言葉に、急に寂しくなる。
やっぱり、無理にでも連れてくればよかった。
アクアは少し眉根を寄せて、気遣わしげに俺を見つめている。
俺は安心させるように笑おうとしたが、うまくいかなかった。
海藤は何も言わなかった。
海藤の家の広いリビング。
壁を水槽に占領された反対側の壁に、大型の薄型テレビがかかっている。
海藤はリモコンを手に取り、電源を入れ、目的の映像ファイルを指定した。
「早速だけど、これを見て」
俺達がソファに腰を落ち着けるのももどかしく、海藤は映像をスタートさせた。
何気ない行動であるが、普段の海藤からすると、そうとうせっかちだ。
コーヒーを淹れないどころか、ドーナッツの箱を開こうともしないなんて。
それよりも、今は映像だ。
そんなに急いで見せたい映像とは何なのだろうか。
大型のディスプレイに映像が映し出された。
深い、青。
果てしない蒼穹。
細く、白い雲がたなびいている。
突如、高速で現れた二つの影が、その糸のような雲を切り裂き、翔けていく。
アーンヴァル。
白と黒、二機の武装神姫が、自らもジェット雲を細く引きながら、舞っていた。
■
わたしは、マスター愛用のキーボードとマウスを操作しながら、ネットを徘徊した。
本来、神姫がPCを操作するには、身体を載せてアクセスするアクセスポッドを使用する。
クレイドルには、アクセスポッドの機能が付加されているものもあるけれど、わたしのクレイドルはごく普通の、最小限の機能しか付いていない。
仕方がないので、こうして巨大な入力デバイスと格闘しているわけなのだ。
なぜネットを調べようと思い至ったのかと言えば、わたしが、いまわたしとマスターを取り巻く状況を何も知らないからだった。
マスターは何も言ってくれない。
だけど、マスターがつらい顔を見せたり、怪我をしたりするのは、外で何かが起こっているに違いない。
……きっと、わたしの過去のことで。
それを知って、わたしに何が出来るわけではないけれど。
それでもわたしは知りたかった。知らなければならなかった。
懸命にキーボードと格闘し、ようやく武装神姫の話題が豊富な大型掲示板にたどりつく。
武装神姫だけでも、数多くの話題をあつかっているみたいだ。
スレッドと呼ばれる個々の話題の掲示板が、その名称だけでディスプレイの画面が埋め尽くされていた。
わたしはちょっと途方に暮れた。
この無数とも思われる掲示板の中から、自分の知りたい話題のものを探せるだろうか。
だけど、わたしの心配は杞憂だった。
そのスレッドは、リストの一番初めの方にあったのだ。
『袋とじ風俗神姫のスレ 137ページ目』
……明らかに、あの雑誌の、わたしの写真のことを指しているタイトルだ。
胸が苦しくなる。不安になる。
ここにはきっと、わたしたちのことを知らない人達が、あの記事をどう思っているか、が書きつづられているはずだ。
わたしは意を決し、マウスカーソルをずるずるとスレッドタイトルに移動すると、マウスをクリックした。
□
ステージは超高高度の空中。
繰り広げられているのは超音速のドッグファイトだ。
二機のアーンヴァルは、いずれもカスタマイズされている。
黒の方はトランシェ2のリペイントバージョンがベース。
近・中距離戦を得意とするトランシェ2を基本装備としながらも、デフォルト装備とは異なるロングレーザーライフルも装備し、いかにもアーンヴァルらしいカスタム。
一方、白い方は、こちらもトランシェ2ベースに見えるが、様々なパーツを使用したカスタム機のようだ。ノーマルのアーンヴァルとは異なる、長い銀髪が印象的。
錫杖のような武器を持つきりで、装備は相手に比べて軽量に見える。
この白いアーンヴァルはどこかで見覚えがあった。
「セカンドリーグ全国大会、東東京地区の決勝戦だ」
海藤の言葉に、俺は思わず喉を鳴らした。
参加する神姫の多い東京は常に激戦だ。
東東京地区は、都心から東よりの都内を中心としたエリアで、決勝大会は秋葉原で行われる。
武装神姫のメッカ・秋葉原からの代表ということで、東東京代表は常に優勝候補と目される。
そういえば……俺がどうしようもなくなっていた、先週の日曜日、その秋葉原の決勝大会が行われていたはずだ。
この映像は、その決勝戦、東東京代表が決まる試合なのか。
どうりで、どちらのアーンヴァルも、戦い慣れているはずだ。
動きに迷いがない。
超高高度の空中戦、と言えば聞こえはいいが、戦いにくいフィールドでもある。
障害物はせいぜい雲くらいで、お互い丸見えの状態だ。
また、高度が高い故に、空中機動の装備へのダメージは即致命傷となる。
飛べなくなったら、そのまま落下して負け、というわけだ。
ティアの主戦場、廃墟ステージなら、飛べなくなっても地上戦に持ち込む手もある。
だが、超高高度空中戦では、それはできない。
しかも、そこをフィールドとする神姫の性質からいって、超高速のドッグファイトになるのは間違いない。
そんな状況で、手練手管を駆使し、勝利を目指すというのだ。
画面で舞う二機のアーンヴァルの動きは、無駄なものがそぎ落とされ、シンプルで精緻な機動になっている。
しかし、二機の間には、様々な戦術戦略が火花を散らしているようだ。
まさに激戦区の決勝戦にふさわしい。
だが、勝負はそれほど長く続かなかった。
白のアーンヴァルの方が一枚上手のようだ。
黒のアーンヴァルの方が手数が多いが、白の一発の精密射撃が黒の翼を捕らえた。
急速に移動力を失った黒天使に勝ち目はない。
白天使は的確なショットを決め、黒天使の飛行能力を奪い、勝利した。
ウィンメッセージが画面を埋める。
そして、大写しになる白いアーンヴァル。
カスタムなのか、可愛いというより美しいという形容が似合いそうな、神々しさすら感じる顔立ち。
不意に浮かんできた言葉と、その神姫の通り名が一致した。
俺はその武装神姫を知っていた。思い出した。
「クイーン……アーンヴァル・クイーンの雪華か……!」
海藤は無言で頷いた。
■
黒い言葉がディスプレイの画面を埋めていた。
恨み、憎しみ、悲しみ、怒り、それのどれでもなく、ただ「悪意ある」としか形容のしようがない、言葉の羅列。
もう、わたしの名前は知られていた。
マスターからもらった名前が、黒い悪意で汚されているように見えた。
『今週号の袋とじも、ティアちゃんエロス』
『今週のティアは神。エロ神』
『ていうか、ティアは漏れの性奴隷』
『漏れの神姫もティアみたいに性奴隷調教したい』
『ティアに白濁液かけたい』
『自慰用コネクタでマスターにレイプされる画像希望』
改めて思い知る。
わたしは、男の人に奉仕する事ばかりを望まれている神姫なのだと。
胸の奥が痛む。
昔は感じたことのない痛み。
お店にいる頃は、男の人に奉仕することしか知らなかった。
だから、自分が汚れた神姫だと言われても、そうなのだとしか思わなかった。
わたしは、マスターの下で少しだけ変わってしまった。
思い上がっていた。
自分が人並みの、武装神姫だなんて、そうなれるなんて。
あるはずがない。
この痛みは、わたしの思い上がった自信過剰の証だ。
わたしはさらに読み進めていく。
例の雑誌は週刊で、今週号にも、わたしの浅ましい姿が掲載されたらしい。
死ぬほど恥ずかしい。
嫌がりながらも、悦楽に屈し、あられもない痴態をさらした自分の姿。
それを不特定多数の人達が見ているのだと思うと、頭の回路が焼き切れそうな思いだ。
わたしはさらに掲示板の表示をスクロールしていった。
そして……愕然とする。
□
『クイーン』の二つ名で呼ばれる神姫は有名だ。
彗星のように現れた期待の新人、というふれこみで、半年ほど前から雑誌に載っている。
俺が購読している「バトルロンド・ダイジェスト」で密着取材を行っており、バトルの細かい内容まで毎号掲載されている。
その凛とした佇まい、ストイックな性格、そして特徴的な装備と、圧倒的な実力から、誰からともなく『アーンヴァル・クイーン』と呼ばれるようになった。
その神姫の名前は雪華という。
今シーズン、雪華はセカンドリーグの全国大会にエントリーすると公言した。
正直、密着ドキュメントは雑誌の企画だと思っていた読者も多い。
だから、強いといくら書かれていても、あまり信じられてはいなかった。
だが、バトロンダイジェストに掲載された、公式戦での結果は、俺をも戦慄させるのに十分だった。
いまやクイーン・雪華は、全国大会チャンピオン候補の筆頭だ。
「無冠の女王」の名を廃するべく、真の女王への階段をかけ上がっている、というわけだ。
「……それで、クイーンの決勝戦に何があったって言うんだ?」
俺は海藤に向かって首を傾げる。
海藤はテレビの方を指さした。
「まあ見ていてごらんよ。問題はこの後さ」
釈然としない気持ちで、俺はテレビに向き直る。
ちょうど、クイーンとそのマスターに勝利者インタビューが行われるところだった。
『優勝、おめでとうございます!』
インタビュアーの月並みな祝福に、笑顔で応えるマスターと、あまり笑みを浮かべずに『まだ通過点です』とストイックに応える神姫。
いくつかの質問がかわされた後、インタビュアーはこう言った。
『全国大会本戦まで、あと一ヶ月半あります。その間、どのようなトレーニングをされますか?』
また当たり障りなく答えるだろう、と思っていた。
人の良さそうなマスターは言った。
『そうですね……各地のホビーショップやゲームセンターに出向いて、武者修行しようかと思っています。公式戦に出ていない神姫と戦ってみたいので』
『たとえば、T県の『ハイスピードバニー』ティア、K水族館所属の、イーアネイラのアクア……』
「な……!?」
マスターの言葉を引き継いだ雪華の言葉に、俺は思わず腰を浮かせた。
『S県の『不倒要塞』ゼラーナ、『木の葉落とし』の楓(かえで)。
東京T市の『風の守護者』シリウスに、放浪の神姫『エトランゼ』のミスティ……他にも戦ってみたい神姫はいます』
『なるほど、首都圏各地で、チャンピオンの戦いが見られるかも知れませんね!』
インタビューが終わっても、俺は腰を降ろすことが出来なかった。
背を伸ばして立ち上がり、海藤を見る。
「見せたいと言ったのはこれか、海藤……」
海藤は頷いた。
「やはり知らなかったみたいだね。それで……どう思う?」
「どう思うも何も……」
一介のバトルロンドプレイヤーにすぎない俺達を、東東京チャンピオンが直々に指名?
映像を見せられても、にわかには信じがたい。
しかも理由がわからない。
公式戦に出ていない神姫とはいえ、公式戦上位の神姫達に実力で勝っているとは思えない。
チャンピオンは何が目的だ?
「まったく信憑性がないというか……意味がわからない」
「……やっぱり、君にも心当たりはないか……」
「海藤もないのか? いまバトルロンドやってないアクアも呼ばれていたのに」
「まったくないよ。もしかしたら、昔のころの噂を聞きつけたのかも知れないけど、それだったら、そのころの二つ名を呼ばれると思うし」
確かに、雪華はご丁寧に、神姫の二つ名も一緒に言っていた。
しかも、アクアには「K水族館所属」と言っていたから、現在のアクアと手合わせしたい、ということなのかも知れない。
「だけどなぁ……」
俺はソファにどっかりと座り直した。
「俺達はいま、ゲーセンにも出入り禁止の身だ。それに……チャンピオンが今の状況を知っても戦いたいとは思わないだろうな……」
海藤もため息をついて言った。
「僕は、たとえ対戦を挑まれても、断るつもりだよ。もう、長らくバトルロンドはやっていないし、もうやる気もないしね……」
お茶を淹れよう、と言って、海藤は立ち上がった。
俺は考える。
東東京代表にして、優勝候補最有力の神姫とバトル出来る、というのはとても魅力的に思う。
だが、今の映像をみただけでも、勝負になりそうにないことはわかる。
クイーンの戦闘力は圧倒的だ。あらゆる局面において、実力を発揮できる。
ティアのように、都市のステージだけでしか戦えない神姫とは違うのだ。
そもそも、今俺達が置かれている状況からして、対戦などかなうまい。
クイーンはそのことを知らないのだろう。
……そこで俺はふと疑問に思うことがあった。
海藤がコーヒーを持って戻ってきた。
俺は、ドーナッツの箱を開けながら、その疑問を海藤にぶつけてみる。
「なあ、海藤」
「なんだい?」
「なんで海藤は……バトルロンドをやめたんだ?」
コーヒーを配る海藤の手が、一瞬止まった。
■
「なんで……どうして!?」
思わず声に出た。
見上げた視線の先、ディスプレイに表示された掲示板の書き込み。
そこに書かれていたのは……
『使用済みの「中古」神姫のオーナーになるなんてマジあり得ない』
『遠慮なく神姫にぶっかけられるからじゃね?』
『いやいや自慰コネクタで直結中出しだろ』
『ティアのオーナーはHENTAI』
『ティアと毎晩エロエロできるマスターうらやましい』
『マスターは神姫陵辱犯でタイーホ』
……マスターのこと何にも知らない人達が。
勝手にマスターのことをけなして、嘲笑ってる。
やめて。
やめてやめて。
マスターは何も悪くない。
わたしは、マスターに嫌なことなんて何もされてない。
あんなにまっすぐ、わたしを見てくれる人、他に知らない。
わたしに、武装神姫としての喜び、ランドスピナーで走ることの自由さ、世界の色、そして風の心地よさを教えてくれた。
マスターはいつだって、正しくて、まっすぐなのに。
後ろめたいことなんて、何もしてないのに。
なぜ、傷つけるの。
どうして言葉で貶めるの。
胸が、さっきとは比べものにならないほど、痛くなる。
まるで心を鷲掴みにされて、握りつぶされるかのよう。
いままで、さんざん痛い思いをしてきたけれど。
どんな痛みより辛くて。
こんな痛みには耐えられない。
涙が止まらなかった。
わたしが責められるのはいい。汚いって言われるのは仕方がない。ほんとうのことだから。
だけど、マスターが責められるのは違う。間違ってる。
みんな、間違ったことを口にして、平気で盛り上がってる。
悔しい。
わたしは、こんなに間違っていることに、反論の一つもできない。
無力すぎて。
泣いてしまう。
涙腺が壊れてしまったかのように、雫は次から次へと溢れてきて、わたしの顎から玉となって落ちてはじけた。
そして、わたしは泣きながら、考える。
マスターを、こんな目に遭わせているのは、だれ?
あんなにまっすぐな人をねじ曲げている、憎い相手はだれ?
そして。
思い至る。
わたしだ。
まるで、泥に汚れた手で、白いハンカチを掴んでしまったように。
マスターを汚しているのは、このわたしだ。
マスターを敬愛していた。尊敬していた。
マスターと共にいるのが嬉しかった。認められることが喜びだった。
そのすべてが、マスターを汚し、貶めていた。
そして神姫を取り巻くすべてを、マスターの敵にした……。
ああ、だから。
最近のマスターは、あんな冷たい目でわたしを見るんだ。
だから、何も言わず、すべてを諦めてしまっているんだ。
そして。
痛みに耐えられなくなって。
わたしの心はつぶれてしまった。
[[次へ>>]]
[[トップページに戻る>http://www19.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/2101.html]]
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ウサギのナミダ
ACT 1-10
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今の状況に置いて、俺に打つべき手はなかった。
噂の否定と拡大阻止などは、一介の大学生には手に余る代物だ。
何かヒントになることはないかと、一度ネットの掲示板なども覗いてみたが、すぐにやめた。
ゲーセンの連中よりも面白半分な書き込みが大半を占めていて、当事者の俺はとても読む気にはならなかった。
もし俺がネット上で否定的な発言をしても、すぐにログは流れてしまうだろうし、「本人降臨」とか言われて、火に油を注いで面白がらせるだけだろう。
ネットだけではなく、ペーパーメディアの情報も入れるのをやめた。
隔週刊誌の「バトルロンド・ダイジェスト」は毎号楽しみに購読していたが、それすらも手に取るのをやめた。
その雑誌には、様々な武装神姫達が誌面を彩っているが、そんな神姫達が妬ましく思えてしまう。
その近くには、例のゴシップ誌が置いてある。
バトロンダイジェストに掲載されている、きらめくばかりの神姫達と、俺達をどん底の状況にたたき落とした雑誌に掲載されているティア。
お前達の現実はこれだ、と、コンビニの雑誌棚にさえ責められているような気がする。
俺はおとなしく大学に通い、上の空で講義を聴き、家に帰っては課題を適当にこなし、時々ティアの様子を見る、という生活を淡々と続けた。
ティアはひどいスランプに陥っていた。
原因は明らかだったが、俺はあえて何も言わないことにしていた。
と言うよりも、かけてやる言葉の持ち合わせがなかったのだ。
いつ復帰できるかわからない、復帰の可能性すら絶たれている今、ティアに訓練をさせる理由がない。
虎実との約束は確かにあるが、それだっていつのことか決まっているわけではないのだ。
だから、ティアには好きにさせていた。
ティアは訓練をやめようとはしなかった。まるで何かに憑かれたように。
課題の消化は遅々として進まなかったが、それでも叱ったりすることはなかった。
俺のモチベーションの方が、もう折れそうだった。
そんな風に過ごしていた木曜日、携帯電話が鳴った。
海藤からだった。
「ネットで、君たちの状況を知ったよ。きっと落ち込んでいると思って」
古い友人はそうのたまった。
ああそうさ、海藤、君の言うとおりになったよ。
俺達はただいま絶賛嘲られ中の身の上さ。
「それで、きっと、ネットもチェックしてないだろうと思ってさ……。
君たちの身の上の問題とは別件で、相談したいことがあるんだ」
なんだそれは?
海藤はよくわからない、もって回った言い方をしている。
俺は意味を尋ねたが、
「ああ、映像を見てもらった方が早いから……土曜日、うちに来ないか? 気分転換も兼ねて、さ。ティアを連れてきてもいいし」
と言った。
そんな気になる言い方をされては、行かざるを得ないではないか。
どちらにせよ、ゲームセンターに行くことも出来ないし、週末はまったく予定が空いている。
土曜日に訪問する約束をして、電話を切った。
■
マスターが海藤さんと約束している土曜日は、瞬く間にやってきた。
「一緒に行くか?」
判断をわたしに委ねてくれたマスターに、しかしわたしは、断った。
「あの……やっぱり、練習します……」
「そうか……」
その一言だけで、マスターは出かけてしまった。
最近、マスターはわたしに命令することをしない。叱ることも、もちろん笑うこともしない。
もう、何もかもを諦めてしまったかのように、わたしには感じられた。
スランプから未だに脱出できないわたしが原因であることは間違いない。
だからつらかった。
もう、わたしに愛想を尽かしているだろうマスターと一緒にいるのがつらかった。
そして、あろうことか、わたしはマスターに嘘をついた。
一人家に残ったのは、練習の為じゃなくて。
確認したいことがあったから。
電源をつけっぱなしの、マスターのデスクトップPC。
神姫のわたしには大きすぎる、そのキーボードとマウスに歩み寄った。
□
前回、海藤の家に来たのは、ティアのボディを交換してもらうためだった。
あれからすでに四ヶ月ほども経っている。
その間、俺は夢中でティアと向き合っていたのだ。
急に、左の胸ポケットのあたりが軽く感じられた。
いつもそこにあった、いつもちょっと不安そうな表情は、今日はない。
久しぶりの道を一人歩く。
手にしたドーナッツの箱はお約束だ。
「よく来たね。さあ、入って入って」
旧友はいつものように俺を迎え入れてくれた。
変わらない態度が、今の俺の心に染みた。
「……その手、どうしたんだい?」
俺の右手にはまだ包帯が巻かれている。
まあ、普通気になるよな。
俺は曖昧に笑っていった。
「ああ……ちょっとドジってさ。階段で転んだ」
「ふぅん?」
海藤はそれだけ言って、深く追求しなかった。
「いらっしゃいませ」
鈴の鳴るような声で、海藤の肩から挨拶してきたのはアクア。
彼女も変わらない。
だけど、彼女は不意に気遣わしげな表情になり、
「あの……ティアは?」
俺に尋ねてくる。
二人は変わらない。
この四ヶ月の間に、俺の方にいろいろありすぎたのだ。
「ティアは……一人で自主練」
自分の言葉に、急に寂しくなる。
やっぱり、無理にでも連れてくればよかった。
アクアは少し眉根を寄せて、気遣わしげに俺を見つめている。
俺は安心させるように笑おうとしたが、うまくいかなかった。
海藤は何も言わなかった。
海藤の家の広いリビング。
壁を水槽に占領された反対側の壁に、大型の薄型テレビがかかっている。
海藤はリモコンを手に取り、電源を入れ、目的の映像ファイルを指定した。
「早速だけど、これを見て」
俺達がソファに腰を落ち着けるのももどかしく、海藤は映像をスタートさせた。
何気ない行動であるが、普段の海藤からすると、そうとうせっかちだ。
コーヒーを淹れないどころか、ドーナッツの箱を開こうともしないなんて。
それよりも、今は映像だ。
そんなに急いで見せたい映像とは何なのだろうか。
大型のディスプレイに映像が映し出された。
深い、青。
果てしない蒼穹。
細く、白い雲がたなびいている。
突如、高速で現れた二つの影が、その糸のような雲を切り裂き、翔けていく。
アーンヴァル。
白と黒、二機の武装神姫が、自らもジェット雲を細く引きながら、舞っていた。
■
わたしは、マスター愛用のキーボードとマウスを操作しながら、ネットを徘徊した。
本来、神姫がPCを操作するには、身体を載せてアクセスするアクセスポッドを使用する。
クレイドルには、アクセスポッドの機能が付加されているものもあるけれど、わたしのクレイドルはごく普通の、最小限の機能しか付いていない。
仕方がないので、こうして巨大な入力デバイスと格闘しているわけなのだ。
なぜネットを調べようと思い至ったのかと言えば、わたしが、いまわたしとマスターを取り巻く状況を何も知らないからだった。
マスターは何も言ってくれない。
だけど、マスターがつらい顔を見せたり、怪我をしたりするのは、外で何かが起こっているに違いない。
……きっと、わたしの過去のことで。
それを知って、わたしに何が出来るわけではないけれど。
それでもわたしは知りたかった。知らなければならなかった。
懸命にキーボードと格闘し、ようやく武装神姫の話題が豊富な大型掲示板にたどりつく。
武装神姫だけでも、数多くの話題をあつかっているみたいだ。
スレッドと呼ばれる個々の話題の掲示板が、その名称だけでディスプレイの画面が埋め尽くされていた。
わたしはちょっと途方に暮れた。
この無数とも思われる掲示板の中から、自分の知りたい話題のものを探せるだろうか。
だけど、わたしの心配は杞憂だった。
そのスレッドは、リストの一番初めの方にあったのだ。
『袋とじ風俗神姫のスレ 137ページ目』
……明らかに、あの雑誌の、わたしの写真のことを指しているタイトルだ。
胸が苦しくなる。不安になる。
ここにはきっと、わたしたちのことを知らない人達が、あの記事をどう思っているか、が書きつづられているはずだ。
わたしは意を決し、マウスカーソルをずるずるとスレッドタイトルに移動すると、マウスをクリックした。
□
ステージは超高高度の空中。
繰り広げられているのは超音速のドッグファイトだ。
二機のアーンヴァルは、いずれもカスタマイズされている。
黒の方はトランシェ2のリペイントバージョンがベース。
近・中距離戦を得意とするトランシェ2を基本装備としながらも、デフォルト装備とは異なるロングレーザーライフルも装備し、いかにもアーンヴァルらしいカスタム。
一方、白い方は、こちらもトランシェ2ベースに見えるが、様々なパーツを使用したカスタム機のようだ。ノーマルのアーンヴァルとは異なる、長い銀髪が印象的。
錫杖のような武器を持つきりで、装備は相手に比べて軽量に見える。
この白いアーンヴァルはどこかで見覚えがあった。
「セカンドリーグ全国大会、東東京地区の決勝戦だ」
海藤の言葉に、俺は思わず喉を鳴らした。
参加する神姫の多い東京は常に激戦だ。
東東京地区は、都心から東よりの都内を中心としたエリアで、決勝大会は秋葉原で行われる。
武装神姫のメッカ・秋葉原からの代表ということで、東東京代表は常に優勝候補と目される。
そういえば……俺がどうしようもなくなっていた、先週の日曜日、その秋葉原の決勝大会が行われていたはずだ。
この映像は、その決勝戦、東東京代表が決まる試合なのか。
どうりで、どちらのアーンヴァルも、戦い慣れているはずだ。
動きに迷いがない。
超高高度の空中戦、と言えば聞こえはいいが、戦いにくいフィールドでもある。
障害物はせいぜい雲くらいで、お互い丸見えの状態だ。
また、高度が高い故に、空中機動の装備へのダメージは即致命傷となる。
飛べなくなったら、そのまま落下して負け、というわけだ。
ティアの主戦場、廃墟ステージなら、飛べなくなっても地上戦に持ち込む手もある。
だが、超高高度空中戦では、それはできない。
しかも、そこをフィールドとする神姫の性質からいって、超高速のドッグファイトになるのは間違いない。
そんな状況で、手練手管を駆使し、勝利を目指すというのだ。
画面で舞う二機のアーンヴァルの動きは、無駄なものがそぎ落とされ、シンプルで精緻な機動になっている。
しかし、二機の間には、様々な戦術戦略が火花を散らしているようだ。
まさに激戦区の決勝戦にふさわしい。
だが、勝負はそれほど長く続かなかった。
白のアーンヴァルの方が一枚上手のようだ。
黒のアーンヴァルの方が手数が多いが、白の一発の精密射撃が黒の翼を捕らえた。
急速に移動力を失った黒天使に勝ち目はない。
白天使は的確なショットを決め、黒天使の飛行能力を奪い、勝利した。
ウィンメッセージが画面を埋める。
そして、大写しになる白いアーンヴァル。
カスタムなのか、可愛いというより美しいという形容が似合いそうな、神々しさすら感じる顔立ち。
不意に浮かんできた言葉と、その神姫の通り名が一致した。
俺はその武装神姫を知っていた。思い出した。
「クイーン……アーンヴァル・クイーンの雪華か……!」
海藤は無言で頷いた。
■
黒い言葉がディスプレイの画面を埋めていた。
恨み、憎しみ、悲しみ、怒り、それのどれでもなく、ただ「悪意ある」としか形容のしようがない、言葉の羅列。
もう、わたしの名前は知られていた。
マスターからもらった名前が、黒い悪意で汚されているように見えた。
『今週号の袋とじも、ティアちゃんエロス』
『今週のティアは神。エロ神』
『ていうか、ティアは漏れの性奴隷』
『漏れの神姫もティアみたいに性奴隷調教したい』
『ティアに白濁液かけたい』
『自慰用コネクタでマスターにレイプされる画像希望』
改めて思い知る。
わたしは、男の人に奉仕する事ばかりを望まれている神姫なのだと。
胸の奥が痛む。
昔は感じたことのない痛み。
お店にいる頃は、男の人に奉仕することしか知らなかった。
だから、自分が汚れた神姫だと言われても、そうなのだとしか思わなかった。
わたしは、マスターの下で少しだけ変わってしまった。
思い上がっていた。
自分が人並みの、武装神姫だなんて、そうなれるなんて。
あるはずがない。
この痛みは、わたしの思い上がった自信過剰の証だ。
わたしはさらに読み進めていく。
例の雑誌は週刊で、今週号にも、わたしの浅ましい姿が掲載されたらしい。
死ぬほど恥ずかしい。
嫌がりながらも、悦楽に屈し、あられもない痴態をさらした自分の姿。
それを不特定多数の人達が見ているのだと思うと、頭の回路が焼き切れそうな思いだ。
わたしはさらに掲示板の表示をスクロールしていった。
そして……愕然とする。
□
『クイーン』の二つ名で呼ばれる神姫は有名だ。
彗星のように現れた期待の新人、というふれこみで、半年ほど前から雑誌に載っている。
俺が購読している「バトルロンド・ダイジェスト」で密着取材を行っており、バトルの細かい内容まで毎号掲載されている。
その凛とした佇まい、ストイックな性格、そして特徴的な装備と、圧倒的な実力から、誰からともなく『アーンヴァル・クイーン』と呼ばれるようになった。
その神姫の名前は雪華という。
今シーズン、雪華はセカンドリーグの全国大会にエントリーすると公言した。
正直、密着ドキュメントは雑誌の企画だと思っていた読者も多い。
だから、強いといくら書かれていても、あまり信じられてはいなかった。
だが、バトロンダイジェストに掲載された、公式戦での結果は、俺をも戦慄させるのに十分だった。
いまやクイーン・雪華は、全国大会チャンピオン候補の筆頭だ。
「無冠の女王」の名を廃するべく、真の女王への階段をかけ上がっている、というわけだ。
「……それで、クイーンの決勝戦に何があったって言うんだ?」
俺は海藤に向かって首を傾げる。
海藤はテレビの方を指さした。
「まあ見ていてごらんよ。問題はこの後さ」
釈然としない気持ちで、俺はテレビに向き直る。
ちょうど、クイーンとそのマスターに勝利者インタビューが行われるところだった。
『優勝、おめでとうございます!』
インタビュアーの月並みな祝福に、笑顔で応えるマスターと、あまり笑みを浮かべずに『まだ通過点です』とストイックに応える神姫。
いくつかの質問がかわされた後、インタビュアーはこう言った。
『全国大会本戦まで、あと一ヶ月半あります。その間、どのようなトレーニングをされますか?』
また当たり障りなく答えるだろう、と思っていた。
人の良さそうなマスターは言った。
『そうですね……各地のホビーショップやゲームセンターに出向いて、武者修行しようかと思っています。公式戦に出ていない神姫と戦ってみたいので』
『たとえば、T県の『ハイスピードバニー』ティア、K水族館所属の、イーアネイラのアクア……』
「な……!?」
マスターの言葉を引き継いだ雪華の言葉に、俺は思わず腰を浮かせた。
『S県の『不倒要塞』ゼラーナ、『木の葉落とし』の楓(かえで)。
東京T市の『風の守護者』シリウスに、放浪の神姫『エトランゼ』のミスティ……他にも戦ってみたい神姫はいます』
『なるほど、首都圏各地で、チャンピオンの戦いが見られるかも知れませんね!』
インタビューが終わっても、俺は腰を降ろすことが出来なかった。
背を伸ばして立ち上がり、海藤を見る。
「見せたいと言ったのはこれか、海藤……」
海藤は頷いた。
「やはり知らなかったみたいだね。それで……どう思う?」
「どう思うも何も……」
一介のバトルロンドプレイヤーにすぎない俺達を、東東京チャンピオンが直々に指名?
映像を見せられても、にわかには信じがたい。
しかも理由がわからない。
公式戦に出ていない神姫とはいえ、公式戦上位の神姫達に実力で勝っているとは思えない。
チャンピオンは何が目的だ?
「まったく信憑性がないというか……意味がわからない」
「……やっぱり、君にも心当たりはないか……」
「海藤もないのか? いまバトルロンドやってないアクアも呼ばれていたのに」
「まったくないよ。もしかしたら、昔のころの噂を聞きつけたのかも知れないけど、それだったら、そのころの二つ名を呼ばれると思うし」
確かに、雪華はご丁寧に、神姫の二つ名も一緒に言っていた。
しかも、アクアには「K水族館所属」と言っていたから、現在のアクアと手合わせしたい、ということなのかも知れない。
「だけどなぁ……」
俺はソファにどっかりと座り直した。
「俺達はいま、ゲーセンにも出入り禁止の身だ。それに……チャンピオンが今の状況を知っても戦いたいとは思わないだろうな……」
海藤もため息をついて言った。
「僕は、たとえ対戦を挑まれても、断るつもりだよ。もう、長らくバトルロンドはやっていないし、もうやる気もないしね……」
お茶を淹れよう、と言って、海藤は立ち上がった。
俺は考える。
東東京代表にして、優勝候補最有力の神姫とバトル出来る、というのはとても魅力的に思う。
だが、今の映像をみただけでも、勝負になりそうにないことはわかる。
クイーンの戦闘力は圧倒的だ。あらゆる局面において、実力を発揮できる。
ティアのように、都市のステージだけでしか戦えない神姫とは違うのだ。
そもそも、今俺達が置かれている状況からして、対戦などかなうまい。
クイーンはそのことを知らないのだろう。
……そこで俺はふと疑問に思うことがあった。
海藤がコーヒーを持って戻ってきた。
俺は、ドーナッツの箱を開けながら、その疑問を海藤にぶつけてみる。
「なあ、海藤」
「なんだい?」
「なんで海藤は……バトルロンドをやめたんだ?」
コーヒーを配る海藤の手が、一瞬止まった。
■
「なんで……どうして!?」
思わず声に出た。
見上げた視線の先、ディスプレイに表示された掲示板の書き込み。
そこに書かれていたのは……
『使用済みの「中古」神姫のオーナーになるなんてマジあり得ない』
『遠慮なく神姫にぶっかけられるからじゃね?』
『いやいや自慰コネクタで直結中出しだろ』
『ティアのオーナーはHENTAI』
『ティアと毎晩エロエロできるマスターうらやましい』
『マスターは神姫陵辱犯でタイーホ』
……マスターのこと何にも知らない人達が。
勝手にマスターのことをけなして、嘲笑ってる。
やめて。
やめてやめて。
マスターは何も悪くない。
わたしは、マスターに嫌なことなんて何もされてない。
あんなにまっすぐ、わたしを見てくれる人、他に知らない。
わたしに、武装神姫としての喜び、ランドスピナーで走ることの自由さ、世界の色、そして風の心地よさを教えてくれた。
マスターはいつだって、正しくて、まっすぐなのに。
後ろめたいことなんて、何もしてないのに。
なぜ、傷つけるの。
どうして言葉で貶めるの。
胸が、さっきとは比べものにならないほど、痛くなる。
まるで心を鷲掴みにされて、握りつぶされるかのよう。
いままで、さんざん痛い思いをしてきたけれど。
どんな痛みより辛くて。
こんな痛みには耐えられない。
涙が止まらなかった。
わたしが責められるのはいい。汚いって言われるのは仕方がない。ほんとうのことだから。
だけど、マスターが責められるのは違う。間違ってる。
みんな、間違ったことを口にして、平気で盛り上がってる。
悔しい。
わたしは、こんなに間違っていることに、反論の一つもできない。
無力すぎて。
泣いてしまう。
涙腺が壊れてしまったかのように、雫は次から次へと溢れてきて、わたしの顎から玉となって落ちてはじけた。
そして、わたしは泣きながら、考える。
マスターを、こんな目に遭わせているのは、だれ?
あんなにまっすぐな人をねじ曲げている、憎い相手はだれ?
そして。
思い至る。
わたしだ。
まるで、泥に汚れた手で、白いハンカチを掴んでしまったように。
マスターを汚しているのは、このわたしだ。
マスターを敬愛していた。尊敬していた。
マスターと共にいるのが嬉しかった。認められることが喜びだった。
そのすべてが、マスターを汚し、貶めていた。
そして神姫を取り巻くすべてを、マスターの敵にした……。
ああ、だから。
最近のマスターは、あんな冷たい目でわたしを見るんだ。
だから、何も言わず、すべてを諦めてしまっているんだ。
そして。
痛みに耐えられなくなって。
わたしの心はつぶれてしまった。
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