「ACT 0-6」(2009/07/15 (水) 00:11:04) の最新版変更点
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ウサギのナミダ
ACT 0-6
■
「着けてみた感じは、どうだ?」
意外と悪くない。
自分の脚を全く別のモノに交換したにも関わらず、思ったほど違和感は感じない。
「いい……と思います」
むしろ、昨日まで練習で履いていた、ローラーブレードの方が違和感があった。
脚にはめた、その先の車輪は自分の一部ではない感じだった。
でも、新たにマスターが用意してくれた、この脚部パーツは、つま先から車輪まで、文字通り身体の一部であるように思える。
マスターが作ってくれた、オリジナルの脚部パーツを、今日初めて装着した。
わたしの脚は、太ももの接続部を境に、ごつい機械の脚に変貌していた。
足首の部分には、前後に車輪がついている。
後輪の方が大きくて、後ろに張り出していた。
足首の中には超電動モーターが入っており、車輪による高速移動が可能なはずだ。
これが、わたしが与えられた武装。
マスターが時間をかけて、パーツを集め、組み上げた、オリジナルの装備。
わたしはこの十日ほど、ローラーブレードの特訓に明け暮れた。
装備が完成するまでに、「滑走する」動作をメモリにたたき込んだ。
主な動作は、アイススケートを中心にしたメニューだったが、それもフィギュアスケートやスピードスケート、アイスホッケーに至るまで多彩なメニューが用意された。
それだけではない。スキー競技もアルペンからフリースタイル、ジャンプにクロスカントリー、エアリアルまで、動作を真似た。
もちろん、ローラーブレードもエックスゲームを参考に、メニューが用意された。
これらはすべて、今日渡されたこの装備を使いこなすためのものだ。
「でも……脚に車輪をつけた装備もすでにあるのでは?」
「確かにな。あるにはあるが、種類が少ない。俺が望む性能を再現するものは、俺の知る限りない」
「なぜ、ですか?」
「自由度の問題、だろう」
「自由度……?」
「装備、そして戦闘行動の自由度だ」
マスターは、わたしのこうした疑問に、とても丁寧に答えてくれる。
わたしがマスターの意図を理解してバトルできるように、との配慮だそうだ。
マスターは相変わらず無表情だったけれど、たくさんの言葉をかけてもらえることが、わたしは嬉しかった。
「エックスゲームのような機動を実現するには、装備が制限される。重い武器はもちろん、動きを阻害するようなかさばる装備は身につけられない。自然、小火器や格闘武器に限られる。
重装備にすれば、火力は得られるが、独特の機動は得ることができない。
それに、結局は地上戦用装備にならざるを得ない。
武装神姫は装備を付け換えるだけで、簡単に空を飛ぶことができる。そっちの方が、戦闘機動の自由度は高い。
ローラーブレード型にこだわらなくたって、強力な脚部パーツはたくさんある。そっちの方が、装備と機動力を両立させるには適している。
だから、足首に車輪を装備している神姫はすべからく、移動するために装備しているのであって、戦闘機動をするためじゃない」
つまり、わたしの脚部パーツを使うには、重装備では意味がない、他の装備を考えた方が攻撃力と機動力のバランスがいい、ということだ。
「それなら、なんで……」
わたしは、沸き上がった疑問を、素直に口にしてみた。
「なんで、マスターは、ローラーブレード型の装備を作ったんですか?」
理由の一つは、わかる。
それは誰も使わない装備であり、誰もしない戦い方だからだ。
誰もしない戦いをすることが、マスターの夢だからだ。
けれど、マスターから語られた理由は、意外なものだった。
「……美しいからだ」
「……え?」
「滑走する競技というのは、美しさを競う競技でもある。
フィギュアスケートはその代表だ。
スキーでも、モーグルはスピードだけでなく、滑走時の姿勢や、エアの技、着地の出来を採点される。
スキージャンプも、飛行姿勢や着地姿勢を採点されるんだ。
あらゆるエックスゲームは観客を魅了することに主眼が置かれている。
『滑走』という行動をバトルに取り入れることで、より美しく、より魅せる戦いができるんじゃないか、と考えている。
……そんなところだな」
前にマスターは言っていた。
『自分たちだけの戦い方で、ギャラリーを魅了できれば最高だ』と。
わたしに与えられたこの脚部パーツは、その夢に直結している。
それにしても、マスターが『美しいから』という理由でこの装備を作ったことが、なんとなくおかしかった。
でも、笑うのは失礼なので、マスターに見えないように、顔を伏せてこっそりと微笑んだ。
□
ティアに答えた『美しいから』という理由は、我ながらちょっと気恥ずかしかった。
だが本心だ。
圧倒的な火力で殲滅するよりも、限られた手段を駆使して勝利する方が、心に残る。
それが美しい動作ならばなおさらだ。
「さあ、テストを始めよう」
俺はティアに言った。
この十日間、ティアにはローラーブレードの特訓を施した。
いまでは、エックスゲームのトッププレイヤーも顔負けの腕前だ。
それだけ習熟が早いのには理由がある。
神姫は様々な動作を記録し、それを忠実に再現することができる。
それをさらに応用して、条件を少しづつ変えて、動作をすることも可能だ。
事前にシミュレーションを行っておけば、さらに精度は高くなる。
そうやって、成功の条件を積み重ねていけば、人間には修得が難しい技も、神姫は難なく修得できるのだ。
もちろん、武装神姫素体の運動性能の高さもそれを手伝っている。
ティアは緊張の面持ちだった。
スピードスケートの選手のようにスタート姿勢を取る。
「行きます!」
高い声と共に、一気に走り出した。
場所は俺の部屋の中。
片づけた部屋の最長距離を走ろうとする。
ティアの行く手には障害物はない。
超電動モーターがオンになり、ホイールが回転し始める。
乾いたホイール音が響いた。
「わっ、わわわっ!」
素っ頓狂なティアの声。
両足首が身体よりも先に出ようとしている。
体のバランスが一気に崩れた。
ティアは尻餅をつき、床の上にすっころんだ。
「いったぁ……」
……やっぱりそうなったか。
ティアは涙目になりながら、小さなお尻をさすっている。
ティアはローラーブレードを操るように走り出したのだろうが、車輪が自分で回転するので、勝手が違ったのだ。
自転車とバイクでは、乗り方が違うのと同じだ。
だが、使いこなせれば、より速く、自由に滑走することが出来るはずだ。
■
訓練を始めてから三時間経った。
そのころには、ローラーブレードと同じように、このレッグパーツを操れるようになっていた。
レッグパーツに慣れてみれば、こちらの方ができることの幅が広いことが実感できる。
ローラーブレードと違うのは、わたしの意志で、ホイールの回転を自在に操作できること。
回転数を上げるのも下げるのも、逆回転すらさせるのも自在だ。
武装を直接コントロールできる神姫ならではの能力だった。
これによって、停止している状態からその場ですぐにスピンしたり、直立したまま姿勢を変えずに移動したりもできる。
ホイールにモーターがついているから、スピードもさらに出すことができる。
もしかすると、いままで思いもしなかった動きができるかも知れない。
その週末、土曜日の朝。
いつものように、わたしはマスターに連れられて、近所の、あの広い公園まで、散歩に来た。
いつもと違うのは、わたしがあの新しいレッグパーツを装着していること。
なぜ、レッグパーツを装着して連れ出されたんだろう?
わたしはマスターの言うことに従っただけだけれど、その理由はなんとなく聞きそびれてしまっていた。
今日も外は快晴。
やわらかな風が、わたしの頬をなでて、吹き抜けていく。
気持ちがいい。
わたしは、マスターのシャツの胸ポケットで、マスターが刻む歩みのリズムを感じていた。
マスターは公園に着くと、広場のすみにあるベンチに腰掛けた。
公園の広場は、芝生が敷き詰めてある広い場所。芝生はよく手入れされており、緑がきれいだった。
その周りには遊歩道が整備されている。
コンクリートの遊歩道は、普通の道路よりでこぼこが少なくて、滑らかな感じがする。
マスターは、胸ポケットに手の甲をかざし、わたしに出てくるように促した。
何が始まるというのだろう?
胸ポケットから出たわたしを、マスターは遊歩道に降ろした。
そして、マスターの口から出た言葉は、意外なものだった。
「思い切り、走ってこい」
「……え?」
「お前が好きなように、走りたいだけ、走ってこい」
わたしが、好きなように……?
マスターの意図が理解できないでいる。
「あの……わたしが自由に走って、何の意味が……?」
「走ってみれば、わかる」
わたしは改めて、自分が立っている遊歩道のまわりを見渡した。
今、わたしの目の前には、広大な地平が広がっていた。
ここなら、壁に阻まれることもなく、どこまでも走ることができる。
わたしは、もう一度マスターを見上げた。
マスターはわたしに視線を合わせる。
早く行け、と促している。
何か不安だった。
マスターの具体的な指示なしに、自由に滑走するということが、初めての体験だったから。
それでも、わたしは遊歩道の先を見据え、スタートの構えを取る。
「行きます……!」
頭の中でカウント。
三、二、一、スタート。
わたしはまず、全力で走ってみることにした。
ここなら壁に阻まれる心配もなく、どこまでも加速できる。
スピードスケートの選手のように、前かがみになって両腕を振り、左右の脚で大きく蹴り出す。
蹴り出すときに、重心を乗せた方の脚のホイールを加速させる。
今まで感じたことのない、爆発的な加速。
疾走する。
流れてゆく。
遊歩道に沿って並んでいる木々が、形を失って、わたしの後方へと流れてゆく。
風が。
風が左右にわかれ、わたしの横を吹き抜ける。
ああ……わたしは……
いま、風になっているんだ。
ものすごい解放感がわたしを包み込む。
ただ走るという行為が、こんなにも自由なものだったなんて!
わたしは、夢中になって走り出した。
一歩ごと、わたしは身も心も風に溶けてゆくようだった。
気持ちの赴くままにジャンプ。
つむじ風になったように、四回転。
あっさり決まって、着地。
驚くほど簡単だった。
ローラーブレードの時は、相当練習して、やっとできるようになったというのに。
マスターのくれたレッグパーツは、わたしの想像以上のポテンシャルを秘めている。
それを十二分に引き出すことができたら……あらゆる滑走競技の技が可能なはず……それ以上のことだって。
ならば、試してみよう。
いまのわたしに可能な最高のトリックを。
もうすぐ、公園の遊歩道を一周する。
試すのはマスターの目の前。
わたしは、さらに加速する。
□
ティアが公園を一回りしてきた。
あいつはどんな風に感じたろうか。
なによりも、滑走することが楽しいと、気持ちがいいと、感じてくれれば、それでいい。
ティアをここで走らせることは、それが目的だった。
深い意味はない。
だが、俺が始めてスキーをしたときのような嬉しさを感じて欲しかったのだ。
滑走するということは、日常から解き放たれ、自由になる瞬間なのだ、と。
ティアが俺のいる方へと疾走してくる。
スピードを落とす気配がまったくない。
……おいおい、何をするつもりだ?
俺の目前、ティアは身体をひねると、スピードはそのままに、片足で踏み切った。
ジャンプ。
高い。
フィギュアスケートの選手のように、両腕を身体に寄せ、回転する。
だが、その回転は複雑で、身体をロールさせながら宙返りもしている。
踏み切りはフィギュアスケートだったが、空中の回転はフリースタイルスキーのエアリアルだ。
木の葉のように宙を舞う。
人間ではありえない長い対空時間の後、ティアはきれいに着地を決めた。
「あはっ!」
ティアの、短い笑い声が、聞こえた。
あいつ、笑ったのか。
そうか。
知らず、俺の口元からも笑みがこぼれる。
ティアが俺の予想を超える、超絶の技を決めたことも嬉しかった。
でも、それ以上に、ティアが笑えたことが嬉しい。
今まで頑なだった彼女の心が、確かに喜びを感じている証拠だったから。
■
わたしは、公園をさらに半周して折り返し、マスターの元に戻ってきた。
もう、このレッグパーツの動作は掴んでいた。
ランドスピナーを加速させ、わたしはまた風に乗る。
マスターが待つ公園のベンチの手前でジャンプ!
月面宙返りを決めて、ベンチの上に着地した。
膝を着いていたわたしの頭上から、拍手の音が降り注いだ。
マスター。
マスターが、わたしに拍手をしてくれている……。
見上げると、マスターはいままで見たこともないような笑顔で、わたしを迎えてくれていた。
「想像以上だ。素晴らしかった」
その言葉が、どんなに誇らしかっただろう!
わたしは嬉しくて、とても嬉しくて、マスターに気持ちを伝えたいと思う。
「あ、あの……すごく、すごく、楽しかったんです! 走ることが、楽しくて、気持ちよくて、自由で、嬉しくて……!」
自分の口から転がり出た言葉が、あまりにもとりとめなくて、いま興奮していることを自覚する。
マスターは、そんなわたしの拙い言葉を聞いてくれた。
いつものまっすぐな視線でわたしを見ながら。
そして、微笑みを浮かべながら、こうまとめた。
「そのレッグパーツ、気に入ったか?」
「はいっ!」
それはよかった、とマスターはまた笑ってくれた。
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ウサギのナミダ
ACT 0-6
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「着けてみた感じは、どうだ?」
意外と悪くない。
自分の脚を全く別のモノに交換したにも関わらず、思ったほど違和感は感じない。
「いい……と思います」
むしろ、昨日まで練習で履いていた、ローラーブレードの方が違和感があった。
脚にはめた、その先の車輪は自分の一部ではない感じだった。
でも、新たにマスターが用意してくれた、この脚部パーツは、つま先から車輪まで、文字通り身体の一部であるように思える。
マスターが作ってくれた、オリジナルの脚部パーツを、今日初めて装着した。
わたしの脚は、太ももの接続部を境に、ごつい機械の脚に変貌していた。
足首の部分には、前後に車輪がついている。
後輪の方が大きくて、後ろに張り出していた。
足首の中には超電動モーターが入っており、車輪による高速移動が可能なはずだ。
これが、わたしが与えられた武装。
マスターが時間をかけて、パーツを集め、組み上げた、オリジナルの装備。
わたしはこの十日ほど、ローラーブレードの特訓に明け暮れた。
装備が完成するまでに、「滑走する」動作をメモリにたたき込んだ。
主な動作は、アイススケートを中心にしたメニューだったが、それもフィギュアスケートやスピードスケート、アイスホッケーに至るまで多彩なメニューが用意された。
それだけではない。スキー競技もアルペンからフリースタイル、ジャンプにクロスカントリー、エアリアルまで、動作を真似た。
もちろん、ローラーブレードもエックスゲームを参考に、メニューが用意された。
これらはすべて、今日渡されたこの装備を使いこなすためのものだ。
「でも……脚に車輪をつけた装備もすでにあるのでは?」
「確かにな。あるにはあるが、種類が少ない。俺が望む性能を再現するものは、俺の知る限りない」
「なぜ、ですか?」
「自由度の問題、だろう」
「自由度……?」
「装備、そして戦闘行動の自由度だ」
マスターは、わたしのこうした疑問に、とても丁寧に答えてくれる。
わたしがマスターの意図を理解してバトルできるように、との配慮だそうだ。
マスターは相変わらず無表情だったけれど、たくさんの言葉をかけてもらえることが、わたしは嬉しかった。
「エックスゲームのような機動を実現するには、装備が制限される。重い武器はもちろん、動きを阻害するようなかさばる装備は身につけられない。自然、小火器や格闘武器に限られる。
重装備にすれば、火力は得られるが、独特の機動は得ることができない。
それに、結局は地上戦用装備にならざるを得ない。
武装神姫は装備を付け換えるだけで、簡単に空を飛ぶことができる。そっちの方が、戦闘機動の自由度は高い。
ローラーブレード型にこだわらなくたって、強力な脚部パーツはたくさんある。そっちの方が、装備と機動力を両立させるには適している。
だから、足首に車輪を装備している神姫はすべからく、移動するために装備しているのであって、戦闘機動をするためじゃない」
つまり、わたしの脚部パーツを使うには、重装備では意味がない、他の装備を考えた方が攻撃力と機動力のバランスがいい、ということだ。
「それなら、なんで……」
わたしは、沸き上がった疑問を、素直に口にしてみた。
「なんで、マスターは、ローラーブレード型の装備を作ったんですか?」
理由の一つは、わかる。
それは誰も使わない装備であり、誰もしない戦い方だからだ。
誰もしない戦いをすることが、マスターの夢だからだ。
けれど、マスターから語られた理由は、意外なものだった。
「……美しいからだ」
「……え?」
「滑走する競技というのは、美しさを競う競技でもある。
フィギュアスケートはその代表だ。
スキーでも、モーグルはスピードだけでなく、滑走時の姿勢や、エアの技、着地の出来を採点される。
スキージャンプも、飛行姿勢や着地姿勢を採点されるんだ。
あらゆるエックスゲームは観客を魅了することに主眼が置かれている。
『滑走』という行動をバトルに取り入れることで、より美しく、より魅せる戦いができるんじゃないか、と考えている。
……そんなところだな」
前にマスターは言っていた。
『自分たちだけの戦い方で、ギャラリーを魅了できれば最高だ』と。
わたしに与えられたこの脚部パーツは、その夢に直結している。
それにしても、マスターが『美しいから』という理由でこの装備を作ったことが、なんとなくおかしかった。
でも、笑うのは失礼なので、マスターに見えないように、顔を伏せてこっそりと微笑んだ。
□
ティアに答えた『美しいから』という理由は、我ながらちょっと気恥ずかしかった。
だが本心だ。
圧倒的な火力で殲滅するよりも、限られた手段を駆使して勝利する方が、心に残る。
それが美しい動作ならばなおさらだ。
「さあ、テストを始めよう」
俺はティアに言った。
この十日間、ティアにはローラーブレードの特訓を施した。
いまでは、エックスゲームのトッププレイヤーも顔負けの腕前だ。
それだけ習熟が早いのには理由がある。
神姫は様々な動作を記録し、それを忠実に再現することができる。
それをさらに応用して、条件を少しづつ変えて、動作をすることも可能だ。
事前にシミュレーションを行っておけば、さらに精度は高くなる。
そうやって、成功の条件を積み重ねていけば、人間には修得が難しい技も、神姫は難なく修得できるのだ。
もちろん、武装神姫素体の運動性能の高さもそれを手伝っている。
ティアは緊張の面持ちだった。
スピードスケートの選手のようにスタート姿勢を取る。
「行きます!」
高い声と共に、一気に走り出した。
場所は俺の部屋の中。
片づけた部屋の最長距離を走ろうとする。
ティアの行く手には障害物はない。
超電動モーターがオンになり、ホイールが回転し始める。
乾いたホイール音が響いた。
「わっ、わわわっ!」
素っ頓狂なティアの声。
両足首が身体よりも先に出ようとしている。
体のバランスが一気に崩れた。
ティアは尻餅をつき、床の上にすっころんだ。
「いったぁ……」
……やっぱりそうなったか。
ティアは涙目になりながら、小さなお尻をさすっている。
ティアはローラーブレードを操るように走り出したのだろうが、車輪が自分で回転するので、勝手が違ったのだ。
自転車とバイクでは、乗り方が違うのと同じだ。
だが、使いこなせれば、より速く、自由に滑走することが出来るはずだ。
■
訓練を始めてから三時間経った。
そのころには、ローラーブレードと同じように、このレッグパーツを操れるようになっていた。
レッグパーツに慣れてみれば、こちらの方ができることの幅が広いことが実感できる。
ローラーブレードと違うのは、わたしの意志で、ホイールの回転を自在に操作できること。
回転数を上げるのも下げるのも、逆回転すらさせるのも自在だ。
武装を直接コントロールできる神姫ならではの能力だった。
これによって、停止している状態からその場ですぐにスピンしたり、直立したまま姿勢を変えずに移動したりもできる。
ホイールにモーターがついているから、スピードもさらに出すことができる。
もしかすると、いままで思いもしなかった動きができるかも知れない。
その週末、土曜日の朝。
いつものように、わたしはマスターに連れられて、近所の、あの広い公園まで、散歩に来た。
いつもと違うのは、わたしがあの新しいレッグパーツを装着していること。
なぜ、レッグパーツを装着して連れ出されたんだろう?
わたしはマスターの言うことに従っただけだけれど、その理由はなんとなく聞きそびれてしまっていた。
今日も外は快晴。
やわらかな風が、わたしの頬をなでて、吹き抜けていく。
気持ちがいい。
わたしは、マスターのシャツの胸ポケットで、マスターが刻む歩みのリズムを感じていた。
マスターは公園に着くと、広場のすみにあるベンチに腰掛けた。
公園の広場は、芝生が敷き詰めてある広い場所。芝生はよく手入れされており、緑がきれいだった。
その周りには遊歩道が整備されている。
コンクリートの遊歩道は、普通の道路よりでこぼこが少なくて、滑らかな感じがする。
マスターは、胸ポケットに手の甲をかざし、わたしに出てくるように促した。
何が始まるというのだろう?
胸ポケットから出たわたしを、マスターは遊歩道に降ろした。
そして、マスターの口から出た言葉は、意外なものだった。
「思い切り、走ってこい」
「……え?」
「お前が好きなように、走りたいだけ、走ってこい」
わたしが、好きなように……?
マスターの意図が理解できないでいる。
「あの……わたしが自由に走って、何の意味が……?」
「走ってみれば、わかる」
わたしは改めて、自分が立っている遊歩道のまわりを見渡した。
今、わたしの目の前には、広大な地平が広がっていた。
ここなら、壁に阻まれることもなく、どこまでも走ることができる。
わたしは、もう一度マスターを見上げた。
マスターはわたしに視線を合わせる。
早く行け、と促している。
何か不安だった。
マスターの具体的な指示なしに、自由に滑走するということが、初めての体験だったから。
それでも、わたしは遊歩道の先を見据え、スタートの構えを取る。
「行きます……!」
頭の中でカウント。
三、二、一、スタート。
わたしはまず、全力で走ってみることにした。
ここなら壁に阻まれる心配もなく、どこまでも加速できる。
スピードスケートの選手のように、前かがみになって両腕を振り、左右の脚で大きく蹴り出す。
蹴り出すときに、重心を乗せた方の脚のホイールを加速させる。
今まで感じたことのない、爆発的な加速。
疾走する。
流れてゆく。
遊歩道に沿って並んでいる木々が、形を失って、わたしの後方へと流れてゆく。
風が。
風が左右にわかれ、わたしの横を吹き抜ける。
ああ……わたしは……
いま、風になっているんだ。
ものすごい解放感がわたしを包み込む。
ただ走るという行為が、こんなにも自由なものだったなんて!
わたしは、夢中になって走り出した。
一歩ごと、わたしは身も心も風に溶けてゆくようだった。
気持ちの赴くままにジャンプ。
つむじ風になったように、四回転。
あっさり決まって、着地。
驚くほど簡単だった。
ローラーブレードの時は、相当練習して、やっとできるようになったというのに。
マスターのくれたレッグパーツは、わたしの想像以上のポテンシャルを秘めている。
それを十二分に引き出すことができたら……あらゆる滑走競技の技が可能なはず……それ以上のことだって。
ならば、試してみよう。
いまのわたしに可能な最高のトリックを。
もうすぐ、公園の遊歩道を一周する。
試すのはマスターの目の前。
わたしは、さらに加速する。
□
ティアが公園を一回りしてきた。
あいつはどんな風に感じたろうか。
なによりも、滑走することが楽しいと、気持ちがいいと、感じてくれれば、それでいい。
ティアをここで走らせることは、それが目的だった。
深い意味はない。
だが、俺が始めてスキーをしたときのような嬉しさを感じて欲しかったのだ。
滑走するということは、日常から解き放たれ、自由になる瞬間なのだ、と。
ティアが俺のいる方へと疾走してくる。
スピードを落とす気配がまったくない。
……おいおい、何をするつもりだ?
俺の目前、ティアは身体をひねると、スピードはそのままに、片足で踏み切った。
ジャンプ。
高い。
フィギュアスケートの選手のように、両腕を身体に寄せ、回転する。
だが、その回転は複雑で、身体をロールさせながら宙返りもしている。
踏み切りはフィギュアスケートだったが、空中の回転はフリースタイルスキーのエアリアルだ。
木の葉のように宙を舞う。
人間ではありえない長い滞空時間の後、ティアはきれいに着地を決めた。
「あはっ!」
ティアの、短い笑い声が、聞こえた。
あいつ、笑ったのか。
そうか。
知らず、俺の口元からも笑みがこぼれる。
ティアが俺の予想を超える、超絶の技を決めたことも嬉しかった。
でも、それ以上に、ティアが笑えたことが嬉しい。
今まで頑なだった彼女の心が、確かに喜びを感じている証拠だったから。
■
わたしは、公園をさらに半周して折り返し、マスターの元に戻ってきた。
もう、このレッグパーツの動作は掴んでいた。
ランドスピナーを加速させ、わたしはまた風に乗る。
マスターが待つ公園のベンチの手前でジャンプ!
月面宙返りを決めて、ベンチの上に着地した。
膝を着いていたわたしの頭上から、拍手の音が降り注いだ。
マスター。
マスターが、わたしに拍手をしてくれている……。
見上げると、マスターはいままで見たこともないような笑顔で、わたしを迎えてくれていた。
「想像以上だ。素晴らしかった」
その言葉が、どんなに誇らしかっただろう!
わたしは嬉しくて、とても嬉しくて、マスターに気持ちを伝えたいと思う。
「あ、あの……すごく、すごく、楽しかったんです! 走ることが、楽しくて、気持ちよくて、自由で、嬉しくて……!」
自分の口から転がり出た言葉が、あまりにもとりとめなくて、いま興奮していることを自覚する。
マスターは、そんなわたしの拙い言葉を聞いてくれた。
いつものまっすぐな視線でわたしを見ながら。
そして、微笑みを浮かべながら、こうまとめた。
「そのレッグパーツ、気に入ったか?」
「はいっ!」
それはよかった、とマスターはまた笑ってくれた。
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