「ACT 1-2」(2023/02/05 (日) 07:10:32) の最新版変更点
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ウサギのナミダ
ACT 1-2
■
休みの日、マスターは朝早く起き、天気が良ければ近くの公園まで散歩に連れていってくれる。
わたしはこの朝の散歩が大好きだ。
ぴんとはりつめたように澄んだ空気、ひんやりと頬をなでる風、そして蒼く遠い空。
世界はこんなにも広く、きれいなのだと実感できるから。
そして、いつもは厳しい表情のマスターも、このときは少し優しい表情で一緒にいてくれるから。
わたしは、マスターの上着の胸ポケットから顔を出し、朝の世界を眩しく見つめた。
マスターの住まいから歩いて五分ほどで、目的の公園に到着する。
マスターによれば、この界隈では一番広いのだそうだ。
公園内は遊歩道が整備されており、昼間は散歩する人や、走り回る子供たち、のんびりと歩むご老人のみなさんなどがやってくる憩いの場だという。
わたしもジョギングをする人を見たことがある。
でも、日曜日の早朝は、たいてい誰もいない。
今日も人影はなく、わたしたちだけが公園内へと入っていく。
わたしは、マスターを見上げ、
「マスター」
声をかけた。
マスターがわたしを見つめる。
この人の視線はいつも厳しく感じられるけれど、いつもまっすぐだ。
わたしは小首を傾げるようにして、おそるおそるマスターを見た。
するとマスターは口元だけかすかに笑ってくれた。
「よし、行け」
マスターの許可が出た。
わたしは思わず笑顔になり、マスターの胸ポケットから飛び出した。
わたしの身長の何倍もの高さから、空中に躍り出る。
こわがらず、そのまま着地。
膝のクッションを効かせて、着地の衝撃を吸収する。
衝撃を完全に吸収してくれたのは、わたしに両脚に装着されたレッグパーツ。
マスターが作ってくれた、わたしのオリジナル武装だ。
わたしは、身体が沈み込んだ反動を利用して、前方に飛び出す。
レッグパーツのホイールが甲高い唸りを上げる。
わたしは腕を振ってバランスを取る。
一気に加速し、疾走を開始する。
風になる。
ここからはわたしの大好きな時間。
遊歩道を走る、疾る。
思うさま疾駆する。
ものすごい勢いで流れていく公園の木々。
風に溶けていくような感覚。
なんともいえない解放感がわたしを包む。
それは何度感じても、嬉しくて気持ちのいいものだった。
公園を囲む遊歩道の二つ目の角が見えた。
わたしはそこで体を起こし、スピードを落としながら一八○度ターンをする。
簡単なトリックだけど、きれいに決まったのが嬉しい。
わたしはまた前傾姿勢で走り出す。
わたしの大好きな時間の最後には、マスターが待っていた。
左の肘を水平に突き出して立っている。
瞳はわたしに不敵な視線を送っている。
これは課題だ。
神姫のわたしにマスターが出題するパズル。
わたしは、あのマスターの左肘に着地しなくてはならない。
先週は、マスターがベンチに座っていたから、難易度が上がっている。
わたしはスピードを落とさずにマスターへと駆け寄る。
そして走りながら、マスターの肘へと至るルートを見定める。
最後の数メートルを滑走し、タイミングを計ってジャンプ!
わたしは、マスターの肘の先にあった公園の植木に飛びつくと、木の幹にホイールを走らせて、巻き付くように登り出す。
一気にマスターの肘の上まで登ると、そこでまたジャンプ。
着地点を見定めながら、一回転一回捻り。
回転を終えた瞬間、わたしはすとん、とマスターの肘の上にお尻から着地して座った。
「よし、上出来だ」
わたしのトリックプレイに、マスターは素っ気ない口調で、そう言った。
わたしは、さっきよりも和らいだマスターの表情を見つけて、やっぱり嬉しくなった。
にこりと笑顔をマスターに贈り、わたしは再びマスターの胸ポケットに滑り込んだ。
わたしの大好きな時間はこれでおわり。
でも、マスターの住まいに帰るまでの間、嬉しさでいっぱいになったわたしの胸はずっと高鳴っていた。
□
散歩が終わり、朝食を食べて一休みしたら、俺は最寄りの駅前にあるゲーセンにティアを連れて向かった。
ティアをバトルにデビューさせて二ヶ月が経つ。
週末はずっとこんな感じで、散歩のあとでゲームセンターに足を運んでいる。
武装神姫のバトルは、公式の神姫センターや神姫を扱っているホビーショップなどでも楽しむことができるが、俺はもっぱら近場のゲーセンだった。
足を運びやすいのが一番の理由である。
もう一つはティアの武装だ。
ティアのレッグパーツは、俺が部品を集めたり作ったりして組み上げたオリジナルだ。
公式武装がメインの神姫センターは出入りしにくい。
雑多な神姫達が集まるゲームセンターの方が都合がいいのだ。
まだ昼前の時間帯で、ゲームセンターの武装神姫用筐体の周りもあまり賑わっていない。
その方が都合がいい。
むしろそれを狙って、少し早い時間帯に来ているのだ。
俺は対戦用の筐体に座ると、ティアをポッドに収め、サイドボードに武装を並べる。
ここでのバトルは、基本的にコンピューターを介したバーチャルバトルである。
俺はステージを「廃墟」に固定し、一人用のミッションモードを開始する。
コンピューターの出す課題を次々にクリアしていくこのモードは、一人でもバトルができるが、訓練に過ぎない。
俺はティアに細かく指示を出しながら、黙々とミッションを消化した。
つまりはこうして対戦者を待っているのだ。
対戦者待ちをするのには理由がある。
ティアの戦闘スタイルの特性上、市街戦しか有効に戦えないのだ。
つまり、ステージを固定するために、乱入者を待っている。
……そう思っている間に、早速乱入者がやってきた。
三戦ほどやって、負けたところで席を立つ。
今日はいずれも地上戦メインの神姫とのバトルだった。
よく手合わせをする、顔見知りの常連さん達だ。
負けを喫したのは、バッフェバニー・タイプ。
あの神姫はティアよりも火力がある上に、機動性能もいい。ミリタリーファンに好まれる神姫だけに、市街戦での戦術は見事だった。
俺は神姫バトルを映し出す大型モニターを眺めながら、缶コーヒーを開けた。
「ティア。今のバトル、何が問題だった?」
俺は胸ポケットから顔を出すティアに尋ねる。
負けた後は、必ずこうしてバトルの検討をする。
俺たちは決して強いわけではない。
オリジナルのバトルスタイルを確立するため、細かく検討する必要があるのだ。
「えと……相手がビルにうまく隠れて、なかなか攻撃できませんでした」
「そうだな。市街戦の腕前も相手の方が上手だった。位置取りがうまかった」
「あ、あと、相手の攻撃にさらされることが多かったと思います」
「……こっちの行動パターンが研究されているかな」
「かもしれません……前に戦ったときとは違うタイミングや方向から攻撃を受けたような……」
バッフェバニーは銃火器による攻撃がメインだから、ティアは狙いをはずすような機動を心がけて戦うことになる。
ビルの壁や屋根も縦横無尽に駆け回るティアを、幾度と無く捕捉できるというのは、やはり行動パターンが読まれているのか……。
「いよう、遠野! 調子はどうだ!?」
人の思考を大声でぶちこわして現れたのは、革ジャンを着た派手な男だった。
「……大城、もう少し声を抑えてくれ。それでも聞こえるから」
「おお、うるさかったか? そりゃすまん、わっはっは」
なおのことうるさくしゃべるこの男は、大城大介。
以前バトルしたティグリース・タイプのオーナーだ。
おそらくは今も外に駐車してあるだろう、ごっついバイクを乗り回し、神姫にもエアバイク型のメカに乗せている。
シルバーのアクセサリーをこれでもかと身につけ、派手な柄のシャツに革ジャンという出で立ちは、どこからどう見てもヤンキーである。
バトルの後、難癖付けてきた大城を言い負かしたのだが、なぜか次に会ったときにはやたら気さくに声をかけてきた。
それ以来、俺の姿を見つけては声をかけてくるようになった。
俺たちのどこが気に入ったのだろうか。
それは目下、俺にとって最大の謎であった。
「……そっちは、来たばかりか?」
「おう。虎実のマシンの整備に手間取ってなぁ」
大城の肩を見ると、そこに彼の神姫・虎実が座って、こちらを睨みつけていた。
「……よお、虎実」
声をかけると、ぷい、とそっぽを向いた。
俺は小さく肩をすくめる。
虎実はいつもこんな調子だった。オーナーの大城の態度とは正反対だ。
「悪いな。こいつもほんとは照れてるだけなんだ」
「ばっ……! 照れてなんかいねぇ! 慣れ合うのがイヤなんだよっ!」
ムキになって否定するが、大城はせせら笑っている。
大城がからかい、虎実はさらにムキになる。
この漫才は、とうとう頭に来た虎実がクローを装備し、大城の顔をひっかくまで続くのだ。
ゲームセンターに通うようになって、俺の生活も変わった。
こうして神姫のオーナーたちと一緒に過ごす時間は、いままでの俺の生活にはなかった。
武装神姫を始めなければ、大城などとは一生会うことも話をすることもなかったかもしれない。
そう思うと、神姫はただバトルをするだけの存在ではなく、オーナーたちの枠を広げ、知らない世界を見せてくれる存在なのだと実感する。
「おっ?」
虎実にひっかかれ、顔中をミミズ腫れにした大城が、ゲーセンの入り口に注目した。
「遠野、あそこ見ろよ」
そこには一人の少女がいた。
大城は女の子に目がないので、妙にめざといのはいつものことだ。
だが、大城が注目するのも無理ないと思わせるほど、その少女は美人だった。
ショートカットにした髪と、ポケットがたくさん付いた彼女には少し大きめなジャケットを前のボタン全開で着込み、細いジーパンという装いのせいか、活発そうな印象だ。
手には、神姫収納用のアタッシュケースを下げている。
彼女はきょろきょろと店内を見回している。
「神姫のオーナーか……?」
俺が呟く。
すると、その声が聞こえたかのように、少女はこちらを見た。
視線が合う。
すると、少女はまっすぐこちらへやってきた。
隣で大城がなにやら喜んでいるような気配がするが、あえて無視した。
「こんにちは」
とても気さくな挨拶が、微笑みとともにすっと入り込んできた。
「こんにちは!」
「誰かお探しですか」
大城の挨拶が終わるのを待たずに、俺は本題を切りだした。
すると、彼女はちょっと驚いた顔になったが、すぐに落ち着いて、こう言った。
「ええ。……ハイスピードバニーのティアっていうオリジナルの神姫をご存じですか?
このゲーセンがホームグランドだって聞いたんですけど」
俺と大城は顔を見合わせた。
「ハイスピードバニー?」
「はい。なんでも地上戦専用の高機動タイプで、バニーガールの姿をしているとか。とても
特徴的な戦い方をすると噂に聞いています」
「……それで名前がティアなら、俺の神姫かもしれないけれど……」
「ほんとですか!?」
このショートカットの美少女は声を上げて、にっこりと笑った。
ほとんど反則な笑顔だ。
「よかったぁ。会えないと大変なんですよ。何度も通わなくちゃいけないし」
「しかし、ハイスピードバニー?」
彼女が口にした呼び名だ。
そんなベタな名乗りを上げたことはないはずだが……。
「この近辺では有名ですよ。みんなハイスピードバニーという二つ名で呼んでますね」
俺は苦い顔をした。
あまり目立たないように戦ってきたつもりだったが、やはり特徴的な戦闘スタイルが目に付くのか。
しかも、二つ名まであるのか。
そんな心配と同じくらい、ひねりのないネーミングに不愉快になる。
「それで、君はわざわざ、ティアと戦いに来たというわけ?」
「はい。遠征して、いろいろなタイプの神姫と戦うのが好きなんです」
この少女は、迷い無くはきはきと答える。
年の頃は、俺と同じか少し下くらいだろうか。
武装神姫のプレイヤーにはとても見えない。
テニスか何かをやっていると言われた方がよほど現実味があった。
「バトルしてもらえませんか? 私の神姫と」
「君の神姫は……」
「ここよ、ここ」
小さな声がしたのは、彼女の肩あたり。
いつのまにか、一体の神姫が、少女の右肩に座っていた。
特徴的な巻き髪を揺らしながら、にこにこと笑っている。
「イーダ・タイプか……」
イーダ・タイプは高機動タイプのトライク型だ。
地上戦専門の神姫だし、確かにティアとは噛み合うだろう。
だが、本体がイーダ・タイプだからと言って、武装までそうだとは限らない。
「ミスティよ。よろしくね」
神姫は自らそう名乗った。
それを聞いた大城がいきなり叫びだした。
「イーダのミスティと言えば! もしかして、エトランゼ!?」
「……まあ、そんな呼ばれ方もしてますね」
「エトランゼ?」
俺は大城の方を向いて尋ねた。
すると、大城は大きなため息をついて、俺を見る。
「遠野、おまえは俺よりも神姫に詳しいくせに、なんで他のプレイヤーや噂には疎いんだ……」
失敬な。雑誌に出るようなプレイヤーたちなら俺だってチェックしてる。
大城はまたひとつため息をつきながら、俺に解説してくれた。
「『異邦人(エトランゼ)』のミスティと言えば、この沿線あたりじゃ有名な神姫だぜ。
噂になっているような強い神姫を相手にするために、あちこちのゲーセンやホビーショップの対戦台に現れる凄腕の神姫プレイヤー。
腕前もかなりのものらしい。それなりの腕の神姫をあっさり負かしたりするそうだ。
で、その神姫のマスターは、結構な美少女って噂だけど……」
大城はちらりとミスティのマスターを見た。
「噂通りってとこだなぁ」
彼女は困ったように笑っている。
「それで、あなたの神姫は? 今日は連れてきてないですか?」
「いや……ティア」
俺がそっと促すと、胸ポケットから、ティアがおずおずと顔をのぞかせた。
「わぁ、かわいい!」
少女は身を屈めて、俺の胸ポケットをのぞき込む。
ティアは恥ずかしいのか、半分顔をポケットの縁で隠しながら挨拶した。
「こ……こんにちは……」
「こんにちは」
返事を受けて、ティアはますます顔を隠してしまった。
「ティアは照れ屋さんなのかな?」
「ああ、ちょっと人見知りでね」
「噂通り、うさ耳なんですね。かわいいなぁ」
少女は無邪気に笑う。
なんだか、この笑顔に調子を狂わされっぱなしだ。
「それで、どうですか?」
「え?」
「私のミスティとバトルです」
「ああ……」
無邪気な笑顔とバトルという言葉に違和感を感じて、俺は少し戸惑う。
だが、断る理由がない。名の知れた、しかも地上型とのバトルなら歓迎だ。
「ティア、どうだ? やれるか?」
「マスターが……戦いたいというのなら」
俺は頷くと、少女に向き直った。
「フィールドは、廃墟か市街地。それでもいいかな?」
「望むところです」
そう言って、少女はにっこりと笑い、空いている筐体に歩み寄った。
俺も筐体の反対側へと移動する。
まばらだったギャラリーが、少しずつ俺たちの座る筐体の前に集まりだした。
まだ始まってもいないバトルにギャラリーがつく。
彼女の知名度と、俺たちの注目度は、俺が思っている以上のものであるらしい。
筐体のサイドボードに武装を並べ、バトルの準備をしていると、脇に大城がやってきた。
「なんだ、大城? 彼女の側で見てなくていいのか」
「おまえの次に、俺が対戦申し込むんだよ。おまえの戦略、しっかり見せてもらうからな」
すごみのある笑い。
なるほど、俺から戦略を盗もうという寸法か。
「だったら、一つ教えてくれ」
「おう、なんだ?」
「ミスティは地上型か、それとも違うタイプか。知っているか?」
「噂じゃ、普通のイーダだって話だな。
バトルを見た訳じゃないから、本当のところはわからんが、イーダのくせに、飛行型の神姫もあっさり倒すんだそうだ」
「本当か?」
「まあ、噂だがな」
大城は肩をすくめた。
その噂が本当だとしたら、ミスティは相当な実力の持ち主だ。
地上型の神姫が、飛行型の神姫から勝利を奪うのは難しい。自分より上にいるというだけで有利なのだ。
それをあっさり覆すということは、何か特別な力がある可能性が高い。
それが装備なのか、戦術なのか、策略なのかはわからないが……
用心に越したことはない。
俺はそう判断する。
筐体の向こうを見てみれば、ミスティのマスターと目があった。
不敵な微笑みを浮かべた彼女は右手で着ていたジャケットをグッと乱暴に掴むと、そのまま勢いよく脱ぎ捨てた。
それには見向きもせず、より活発そうなシャツ一枚になった彼女はバトルに向かうにふさわしい表情になった。
なるほど、彼女も確かに神姫プレイヤーなのだ。
それでは始めよう。
俺はティアをアクセスポッドに送り込み、スタートボタンを押した。
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ウサギのナミダ
ACT 1-2
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休みの日、マスターは朝早く起き、天気が良ければ近くの公園まで散歩に連れていってくれる。
わたしはこの朝の散歩が大好きだ。
ぴんとはりつめたように澄んだ空気、ひんやりと頬をなでる風、そして蒼く遠い空。
世界はこんなにも広く、きれいなのだと実感できるから。
そして、いつもは厳しい表情のマスターも、このときは少し優しい表情で一緒にいてくれるから。
わたしは、マスターの上着の胸ポケットから顔を出し、朝の世界を眩しく見つめた。
マスターの住まいから歩いて五分ほどで、目的の公園に到着する。
マスターによれば、この界隈では一番広いのだそうだ。
公園内は遊歩道が整備されており、昼間は散歩する人や、走り回る子供たち、のんびりと歩むご老人のみなさんなどがやってくる憩いの場だという。
わたしもジョギングをする人を見たことがある。
でも、日曜日の早朝は、たいてい誰もいない。
今日も人影はなく、わたしたちだけが公園内へと入っていく。
わたしは、マスターを見上げ、
「マスター」
声をかけた。
マスターがわたしを見つめる。
この人の視線はいつも厳しく感じられるけれど、いつもまっすぐだ。
わたしは小首を傾げるようにして、おそるおそるマスターを見た。
するとマスターは口元だけかすかに笑ってくれた。
「よし、行け」
マスターの許可が出た。
わたしは思わず笑顔になり、マスターの胸ポケットから飛び出した。
わたしの身長の何倍もの高さから、空中に躍り出る。
こわがらず、そのまま着地。
膝のクッションを効かせて、着地の衝撃を吸収する。
衝撃を完全に吸収してくれたのは、わたしに両脚に装着されたレッグパーツ。
マスターが作ってくれた、わたしのオリジナル武装だ。
わたしは、身体が沈み込んだ反動を利用して、前方に飛び出す。
レッグパーツのホイールが甲高い唸りを上げる。
わたしは腕を振ってバランスを取る。
一気に加速し、疾走を開始する。
風になる。
ここからはわたしの大好きな時間。
遊歩道を走る、疾る。
思うさま疾駆する。
ものすごい勢いで流れていく公園の木々。
風に溶けていくような感覚。
なんともいえない解放感がわたしを包む。
それは何度感じても、嬉しくて気持ちのいいものだった。
公園を囲む遊歩道の二つ目の角が見えた。
わたしはそこで体を起こし、スピードを落としながら一八○度ターンをする。
簡単なトリックだけど、きれいに決まったのが嬉しい。
わたしはまた前傾姿勢で走り出す。
わたしの大好きな時間の最後には、マスターが待っていた。
左の肘を水平に突き出して立っている。
瞳はわたしに不敵な視線を送っている。
これは課題だ。
神姫のわたしにマスターが出題するパズル。
わたしは、あのマスターの左肘に着地しなくてはならない。
先週は、マスターがベンチに座っていたから、難易度が上がっている。
わたしはスピードを落とさずにマスターへと駆け寄る。
そして走りながら、マスターの肘へと至るルートを見定める。
最後の数メートルを滑走し、タイミングを計ってジャンプ!
わたしは、マスターの肘の先にあった公園の植木に飛びつくと、木の幹にホイールを走らせて、巻き付くように登り出す。
一気にマスターの肘の上まで登ると、そこでまたジャンプ。
着地点を見定めながら、一回転一回捻り。
回転を終えた瞬間、わたしはすとん、とマスターの肘の上にお尻から着地して座った。
「よし、上出来だ」
わたしのトリックプレイに、マスターは素っ気ない口調で、そう言った。
わたしは、さっきよりも和らいだマスターの表情を見つけて、やっぱり嬉しくなった。
にこりと笑顔をマスターに贈り、わたしは再びマスターの胸ポケットに滑り込んだ。
わたしの大好きな時間はこれでおわり。
でも、マスターの住まいに帰るまでの間、嬉しさでいっぱいになったわたしの胸はずっと高鳴っていた。
□
散歩が終わり、朝食を食べて一休みしたら、俺は最寄りの駅前にあるゲーセンにティアを連れて向かった。
ティアをバトルにデビューさせて二ヶ月が経つ。
週末はずっとこんな感じで、散歩のあとでゲームセンターに足を運んでいる。
武装神姫のバトルは、公式の神姫センターや神姫を扱っているホビーショップなどでも楽しむことができるが、俺はもっぱら近場のゲーセンだった。
足を運びやすいのが一番の理由である。
もう一つはティアの武装だ。
ティアのレッグパーツは、俺が部品を集めたり作ったりして組み上げたオリジナルだ。
公式武装がメインの神姫センターは出入りしにくい。
雑多な神姫達が集まるゲームセンターの方が都合がいいのだ。
まだ昼前の時間帯で、ゲームセンターの武装神姫用筐体の周りもあまり賑わっていない。
その方が都合がいい。
むしろそれを狙って、少し早い時間帯に来ているのだ。
俺は対戦用の筐体に座ると、ティアをポッドに収め、サイドボードに武装を並べる。
ここでのバトルは、基本的にコンピューターを介したバーチャルバトルである。
俺はステージを「廃墟」に固定し、一人用のミッションモードを開始する。
コンピューターの出す課題を次々にクリアしていくこのモードは、一人でもバトルができるが、訓練に過ぎない。
俺はティアに細かく指示を出しながら、黙々とミッションを消化した。
つまりはこうして対戦者を待っているのだ。
対戦者待ちをするのには理由がある。
ティアの戦闘スタイルの特性上、市街戦しか有効に戦えないのだ。
つまり、ステージを固定するために、乱入者を待っている。
……そう思っている間に、早速乱入者がやってきた。
三戦ほどやって、負けたところで席を立つ。
今日はいずれも地上戦メインの神姫とのバトルだった。
よく手合わせをする、顔見知りの常連さん達だ。
負けを喫したのは、バッフェバニー・タイプ。
あの神姫はティアよりも火力がある上に、機動性能もいい。ミリタリーファンに好まれる神姫だけに、市街戦での戦術は見事だった。
俺は神姫バトルを映し出す大型モニターを眺めながら、缶コーヒーを開けた。
「ティア。今のバトル、何が問題だった?」
俺は胸ポケットから顔を出すティアに尋ねる。
負けた後は、必ずこうしてバトルの検討をする。
俺たちは決して強いわけではない。
オリジナルのバトルスタイルを確立するため、細かく検討する必要があるのだ。
「えと……相手がビルにうまく隠れて、なかなか攻撃できませんでした」
「そうだな。市街戦の腕前も相手の方が上手だった。位置取りがうまかった」
「あ、あと、相手の攻撃にさらされることが多かったと思います」
「……こっちの行動パターンが研究されているかな」
「かもしれません……前に戦ったときとは違うタイミングや方向から攻撃を受けたような……」
バッフェバニーは銃火器による攻撃がメインだから、ティアは狙いをはずすような機動を心がけて戦うことになる。
ビルの壁や屋根も縦横無尽に駆け回るティアを、幾度と無く捕捉できるというのは、やはり行動パターンが読まれているのか……。
「いよう、遠野! 調子はどうだ!?」
人の思考を大声でぶちこわして現れたのは、革ジャンを着た派手な男だった。
「……大城、もう少し声を抑えてくれ。それでも聞こえるから」
「おお、うるさかったか? そりゃすまん、わっはっは」
なおのことうるさくしゃべるこの男は、大城大介。
以前バトルしたティグリース・タイプのオーナーだ。
おそらくは今も外に駐車してあるだろう、ごっついバイクを乗り回し、神姫にもエアバイク型のメカに乗せている。
シルバーのアクセサリーをこれでもかと身につけ、派手な柄のシャツに革ジャンという出で立ちは、どこからどう見てもヤンキーである。
バトルの後、難癖付けてきた大城を言い負かしたのだが、なぜか次に会ったときにはやたら気さくに声をかけてきた。
それ以来、俺の姿を見つけては声をかけてくるようになった。
俺たちのどこが気に入ったのだろうか。
それは目下、俺にとって最大の謎であった。
「……そっちは、来たばかりか?」
「おう。虎実のマシンの整備に手間取ってなぁ」
大城の肩を見ると、そこに彼の神姫・虎実が座って、こちらを睨みつけていた。
「……よお、虎実」
声をかけると、ぷい、とそっぽを向いた。
俺は小さく肩をすくめる。
虎実はいつもこんな調子だった。オーナーの大城の態度とは正反対だ。
「悪いな。こいつもほんとは照れてるだけなんだ」
「ばっ……! 照れてなんかいねぇ! 慣れ合うのがイヤなんだよっ!」
ムキになって否定するが、大城はせせら笑っている。
大城がからかい、虎実はさらにムキになる。
この漫才は、とうとう頭に来た虎実がクローを装備し、大城の顔をひっかくまで続くのだ。
ゲームセンターに通うようになって、俺の生活も変わった。
こうして神姫のオーナーたちと一緒に過ごす時間は、いままでの俺の生活にはなかった。
武装神姫を始めなければ、大城などとは一生会うことも話をすることもなかったかもしれない。
そう思うと、神姫はただバトルをするだけの存在ではなく、オーナーたちの枠を広げ、知らない世界を見せてくれる存在なのだと実感する。
「おっ?」
虎実にひっかかれ、顔中をミミズ腫れにした大城が、ゲーセンの入り口に注目した。
「遠野、あそこ見ろよ」
そこには一人の少女がいた。
大城は女の子に目がないので、妙にめざといのはいつものことだ。
だが、大城が注目するのも無理ないと思わせるほど、その少女は美人だった。
ショートカットにした髪と細いジーパンという装いのせいか、活発そうな印象だ。
手には、神姫収納用のアタッシュケースを下げている。
彼女はきょろきょろと店内を見回している。
「神姫のオーナーか……?」
俺が呟く。
すると、その声が聞こえたかのように、少女はこちらを見た。
視線が合う。
すると、少女はまっすぐこちらへやってきた。
隣で大城がなにやら喜んでいるような気配がするが、あえて無視した。
「こんにちは」
とても気さくな挨拶が、微笑みとともにすっと入り込んできた。
「こんにちは!」
「誰かお探しですか」
大城の挨拶が終わるのを待たずに、俺は本題を切りだした。
すると、彼女はちょっと驚いた顔になったが、すぐに落ち着いて、こう言った。
「ええ。……ハイスピードバニーのティアっていうオリジナルの神姫をご存じですか?
このゲーセンがホームグランドだって聞いたんですけど」
俺と大城は顔を見合わせた。
「ハイスピードバニー?」
「はい。なんでも地上戦専用の高機動タイプで、バニーガールの姿をしているとか。とても
特徴的な戦い方をすると噂に聞いています」
「……それで名前がティアなら、俺の神姫かもしれないけれど……」
「ほんとですか!?」
このショートカットの美少女は声を上げて、にっこりと笑った。
ほとんど反則な笑顔だ。
「よかったぁ。会えないと大変なんですよ。何度も通わなくちゃいけないし」
「しかし、ハイスピードバニー?」
彼女が口にした呼び名だ。
そんなベタな名乗りを上げたことはないはずだが……。
「この近辺では有名ですよ。みんなハイスピードバニーという二つ名で呼んでますね」
俺は苦い顔をした。
あまり目立たないように戦ってきたつもりだったが、やはり特徴的な戦闘スタイルが目に付くのか。
しかも、二つ名まであるのか。
そんな心配と同じくらい、ひねりのないネーミングに不愉快になる。
「それで、君はわざわざ、ティアと戦いに来たというわけ?」
「はい。遠征して、いろいろなタイプの神姫と戦うのが好きなんです」
この少女は、迷い無くはきはきと答える。
年の頃は、俺と同じか少し下くらいだろうか。
武装神姫のプレイヤーにはとても見えない。
テニスか何かをやっていると言われた方がよほど現実味があった。
「バトルしてもらえませんか? 私の神姫と」
「君の神姫は……」
「ここよ、ここ」
小さな声がしたのは、彼女の肩あたり。
いつのまにか、一体の神姫が、少女の右肩に座っていた。
特徴的な巻き髪を揺らしながら、にこにこと笑っている。
「イーダ・タイプか……」
イーダ・タイプは高機動タイプのトライク型だ。
地上戦専門の神姫だし、確かにティアとは噛み合うだろう。
だが、本体がイーダ・タイプだからと言って、武装までそうだとは限らない。
「ミスティよ。よろしくね」
神姫は自らそう名乗った。
それを聞いた大城がいきなり叫びだした。
「イーダのミスティと言えば! もしかして、エトランゼ!?」
「……まあ、そんな呼ばれ方もしてますね」
「エトランゼ?」
俺は大城の方を向いて尋ねた。
すると、大城は大きなため息をついて、俺を見る。
「遠野、おまえは俺よりも神姫に詳しいくせに、なんで他のプレイヤーや噂には疎いんだ……」
失敬な。雑誌に出るようなプレイヤーたちなら俺だってチェックしてる。
大城はまたひとつため息をつきながら、俺に解説してくれた。
「『異邦人(エトランゼ)』のミスティと言えば、この沿線あたりじゃ有名な神姫だぜ。
噂になっているような強い神姫を相手にするために、あちこちのゲーセンやホビーショップの対戦台に現れる凄腕の神姫プレイヤー。
腕前もかなりのものらしい。それなりの腕の神姫をあっさり負かしたりするそうだ。
で、その神姫のマスターは、結構な美少女って噂だけど……」
大城はちらりとミスティのマスターを見た。
「噂通りってとこだなぁ」
彼女は困ったように笑っている。
「それで、あなたの神姫は? 今日は連れてきてないですか?」
「いや……ティア」
俺がそっと促すと、胸ポケットから、ティアがおずおずと顔をのぞかせた。
「わぁ、かわいい!」
少女は身を屈めて、俺の胸ポケットをのぞき込む。
ティアは恥ずかしいのか、半分顔をポケットの縁で隠しながら挨拶した。
「こ……こんにちは……」
「こんにちは」
返事を受けて、ティアはますます顔を隠してしまった。
「ティアは照れ屋さんなのかな?」
「ああ、ちょっと人見知りでね」
「噂通り、うさ耳なんですね。かわいいなぁ」
少女は無邪気に笑う。
なんだか、この笑顔に調子を狂わされっぱなしだ。
「それで、どうですか?」
「え?」
「私のミスティとバトルです」
「ああ……」
無邪気な笑顔とバトルという言葉に違和感を感じて、俺は少し戸惑う。
だが、断る理由がない。名の知れた、しかも地上型とのバトルなら歓迎だ。
「ティア、どうだ? やれるか?」
「マスターが……戦いたいというのなら」
俺は頷くと、少女に向き直った。
「フィールドは、廃墟か市街地。それでもいいかな?」
「望むところです」
そう言って、少女はにっこりと笑い、空いている筐体に歩み寄った。
俺も筐体の反対側へと移動する。
まばらだったギャラリーが、少しずつ俺たちの座る筐体の前に集まりだした。
まだ始まってもいないバトルにギャラリーがつく。
彼女の知名度と、俺たちの注目度は、俺が思っている以上のものであるらしい。
筐体のサイドボードに武装を並べ、バトルの準備をしていると、脇に大城がやってきた。
「なんだ、大城? 彼女の側で見てなくていいのか」
「おまえの次に、俺が対戦申し込むんだよ。おまえの戦略、しっかり見せてもらうからな」
すごみのある笑い。
なるほど、俺から戦略を盗もうという寸法か。
「だったら、一つ教えてくれ」
「おう、なんだ?」
「ミスティは地上型か、それとも違うタイプか。知っているか?」
「噂じゃ、普通のイーダだって話だな。
バトルを見た訳じゃないから、本当のところはわからんが、イーダのくせに、飛行型の神姫もあっさり倒すんだそうだ」
「本当か?」
「まあ、噂だがな」
大城は肩をすくめた。
その噂が本当だとしたら、ミスティは相当な実力の持ち主だ。
地上型の神姫が、飛行型の神姫から勝利を奪うのは難しい。自分より上にいるというだけで有利なのだ。
それをあっさり覆すということは、何か特別な力がある可能性が高い。
それが装備なのか、戦術なのか、策略なのかはわからないが……
用心に越したことはない。
俺はそう判断する。
筐体の向こうを見てみれば、ミスティのマスターと目があった。
不敵な微笑み。
バトルに向かうにふさわしい表情になった。
なるほど、彼女も確かに神姫プレイヤーなのだ。
それでは始めよう。
俺はティアをアクセスポッドに送り込み、スタートボタンを押した。
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