「ウサギのナミダ・番外編 「少女と神姫と初恋と」その1」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
ウサギのナミダ・番外編 「少女と神姫と初恋と」その1 - (2010/03/18 (木) 00:07:02) のソース
&bold(){ウサギのナミダ 番外編} &bold(){少女と神姫と初恋と} その1 ◆ 「なあ、八重樫。昼休みに時間もらえる? ちょっと相談に乗ってもらいたいんだけど」 八重樫美緒だって、年頃の女の子である。 男子と話すときは少しドキドキするし、こんな台詞ならなおさらのこと。 それが、憧れている男の子からなら、思考が真っ白になって当然だ。 「え、あ……うん……いい、けど……」 「そっか、よかった。じゃあ、弁当持って屋上集合で」 「え、お弁当……?」 「ちょっと込み入った話になりそうでさ……八重樫にしか相談できないんだけど……だめかな」 「え、あ……うん……いい、けど……」 「よかった! それじゃあとで」 「うん……それじゃ……」 さわやかな笑顔を残し、去りゆく彼の背中を、呆然と見送るしか美緒にはできなかった。 彼はすぐに男子の輪に取り込まれてしまう。 「安藤! お前、八重樫になに話してんの」 「大したことじゃねーよ」 ははは、と笑って答える彼。 そう、大したことじゃないんだ。 男子たちはもう別の話題で盛り上がっている。 美緒は苦笑する。 ただちょっと、声をかけられただけ。期待するなんてどうかしてる。 美緒が鞄から教科書を取り出そうと視線を下げたそのとき。 「美緒っ!! アンディと何話してたんだ!? あたしにっ、親友のあたしに話してみろっ!」 うきうきとした口調と共に、後ろから首に腕を巻わされ、絞められる。 「ちょ……有紀……くるし……」 「ああ? おっと、わりぃわりぃ」 手荒なスキンシップをしてきたのは、親友の園田有紀。 仲良し四人組の一人である。 有紀の長い腕をはがしながら、視線を上げると、目の前に残りの二人も立っていた。 「よかったわね。きっかけが掴めそうじゃない」 「そうだよ、美緒ちゃん! ファイト、押し倒せ!」 蓼科涼子の落ち着いた物言いは、師匠譲りだろうか。 江崎梨々香は、顔に似合わず過激なことを言う。 それにしても、彼はこっそり美緒に話したのに、なんでみんな注目しているのか。 少しぐらい目をそらしているふりをするのが、友達がいと言うものではないだろうか。 「そんなんじゃないわ。ほんとに、大したことじゃないもの……」 そう言って、顔を上げた美緒は、涼子と梨々香の背後を見て、凍りつく。 注意喚起する暇もなく、女子の一群が二人の背後から押し寄せ、はじきとばし、美緒をあっと言う間に取り囲んだ。 「ちょっと、ヤエガシ! 今のどういうこと!?」 「安藤君とどういう関係!?」 「今アンディと話したこと、洗いざらい吐きなさい、ミオ!」 「え、ええええぇぇっ!?」 美緒は自分の席から立ち上がることさえできないまま、女子たちの詰問を受けた。 だが、あの短い会話の内容を何と答えられるというのだろうか。 よく見ると、自分を囲む女生徒には、自分のクラスメイトでない女子も含まれているような気がする。 美緒はとまどいながら、お茶を濁し続けるしかなかった。 教壇でクラス担任の教師が、わざとらしく大きな咳払いをするまで。 美緒に声をかけてきた彼……安藤智哉は、同学年女子の間で一番人気のある男子だった。 ◆ クラスメイトたちにおける、八重樫美緒の評価は「変わり者の文学少女」である。 整った顔立ちに、セミロングの黒髪、銀縁の眼鏡はいかにも文学少女といった風情で、理知的に見える。 実際、彼女は読書家だ。時間があれば本を開いているし、図書館の常連であることはよく知られている。 おとなしく、女の子らしい優しさと気遣いの持ち主で、男女問わず、クラスメイトは彼女に好感を抱いている。 成績も常に学年上位。まさに絵に描いたような優等生だ。 また、あまり表立ってはいないが、美緒に憧れている男子も少なくない。 その理由の一つが、彼女の魅力的な胸にあることは、年頃の男子にしてみれば仕方のないところであろう。 ブレザーの上着を着てもなお存在を主張する大きな胸は、楚々とした性格と外見とはあまりにミスマッチで、美緒の意志に関係なく、男子たちを密かに魅了しているのだった。 そんな美緒を「変わり者」呼ばわりさせているのは、彼女の交友関係に原因がある。 いつも美緒と一緒にいる三人。彼女たちは揃いも揃って変わり者だった。 園田有紀は、長身でプロポーションもよく、顔もボーイッシュな美人だ。乱暴な男言葉を使うが、それがよく似合っていて、嫌みを感じさせない。下級生女子には絶大な人気を誇っている。 しかし、彼女は言葉だけでなく、性格も乱暴だった。短気で、男子とでも平気で取っ組み合いをする。しかも強いので、負けるのはたいがい男子の方だ。 また、学業は下の下。数学以外の勉強が壊滅的だ。 スポーツは万能で、特に球技は特待生とも向こうを張るほどの実力を持つ。球技大会のバスケットボールで、バスケ部の部員三人のマークを蹴散らしてダンクを決めたのは、もはや伝説だ。 しかし、なぜか再三のクラブ勧誘を頑なに断っている。 有紀は劣等生のレッテルを貼られ、教師たちからも問題児扱いされていた。 蓼科涼子は、有紀ほど悪目立ちするタイプではない。 むしろ真面目な性格で、責任感もあり、努力を欠かさない。そのため、教師たちからは人気がある。 長い黒髪を後ろで結わえたポニーテールは、彼女のストイックな性格によく似合っている。 だが、ストイックな性格こそが、蓼科涼子の問題点だった。 生真面目すぎるのだ。 特に同年代の男子は不真面目に見えるのか、いつもやぶにらみである。 女子でも「カタ過ぎる」と言って、涼子を敬遠する者が少なくない。 涼子に近しい友人以外で、彼女の笑顔を見た者はほとんどいないという有様である。 もちろんその美少女ぶりに、付き合ってくれと告白した男子は数多い。 しかしそのたびに一言、 「あなたと付き合うことは、金輪際あり得ません」 とばっさり切り捨てられる。 あまりにとりつく島のない物言いに、逆ギレした男子が、直後に涼子に襲いかかったことがある。 だが、逆に投げ飛ばされて地面にたたきつけられた。 実は涼子は合気道の有段者である。小さな頃から定期的に合気道の道場に通っているのだった。 以来、涼子は陰で「武士子」と呼ばれているのだが、それを聞くと本人は激昂するという。 生徒の人気という点では、江崎梨々香が四人の中で一番かもしれない。 梨々香は男女ともに人気がある。 性格は明るく、社交的だし、可愛い印象の美少女だ。 彼女はファッションにとても詳しい。コーディネートは友人たちからいつも相談を受けるし、自分で服や小物も作ってしまうほど。 本人の普段着はピンクハウスや甘ロリ系ばかりなのだが、それがまた異様に似合う。 料理も上手で、家庭科実習の残りなど、男子よりも女子が狙っている。 その明るさ、家庭的な趣味もあいまって、男子の人気もすこぶる高い。 だが、彼女にも問題点はある。梨々香はとにかく勉強ができない。家庭科以外の科目は、間違いなく最下位クラスである。 それだけなら勉強すればいいのだが、本人に勉学に励む気がまるでない。しかも、成績が悪いことを全く気にしていない。だから、成績が上がるはずがないのだった。 教師たちから見れば、梨々香は非常にたちの悪い劣等生だった。 このように、性格も趣味もまるで違う変人が、なぜか仲良しグループを形成している。 そのリーダーが、普通の優等生である美緒なのだ。 三人とも、美緒の言葉は、なぜか素直に聞き入れる。 有紀の乱闘に仲裁に入れば、「仕方ねぇなぁ」と言って、あっさり拳を引っ込める。 「武士子」呼ばれて激昂する涼子を、一瞬にしてなだめられるのは美緒だけだ。 追試になっても勉強しようとしない梨々香に、「いい加減にしないと怒るわよ?」の一言で、一心不乱に机に向かわせる。 なぜ変わり者の三人が、ここまで美緒を立てるのか。 三人はそれぞれ抜きんでた特技があるのに、クラブ活動を頑なに拒むのはなぜか。 そして、全く方向性の違う四人の共通点とは何なのか。 その理由こそが武装神姫だった。 彼女たちはいずれも神姫のオーナーであり、ゲームセンターに入り浸るバトルロンド・プレイヤーだ。 クラスメイトたちは思う。 なぜ武装神姫なのか、と。 それこそが、美緒を変わり者に仕立て上げている最大の理由なのだった。 ◆ 午前中の授業は、まったく上の空だった。 安藤智哉は、美緒にとって憧れの男子生徒だ。 彼の印象を一言で言えば、さわやか系、だろうか。 とにかく、表情にも言葉にも屈託がない。 怒った顔も、悩んだ顔も、裏を感じさせない。 いつも仲間たちの輪の中で、笑っているような人だ。 その笑顔が可愛くて、魅力的だと、多くの女子が思っている。 成績は中の中といったところだが、スポーツが得意だ。 特に得意なのはサッカーで、いつも昼休みにクラスメイトとボールを蹴っている姿を見かける。 球技大会でもフォワードで大活躍し、クラスの優勝に貢献した。 その姿を見てファンになった他クラスの女子や、下級生も多いらしい。 だが、安藤もまたなぜか、特定の部活動はしていない。 ある意味、女子の理想の彼氏像を体現しているような安藤智哉は、モテて当然だった。 しかし、いままで、安藤が特定の女子と付き合ったことは確認されていない。 同じ中学出身者はもちろん、同じ学年の女子で、安藤と付き合いたいと思う者は数知れない。 多くの女子が、安藤の彼女の座を、虎視眈々と狙っている。 美緒は、彼女の座を狙うだなんて、大それたことは考えていない。 時々妄想の中で、かの『エトランゼ』菜々子とティアのマスター・遠野がゲーセンで談笑している姿に、自分と安藤を重ね合わせてみたりするのが関の山だ。 そもそも、美緒と安藤の共通点なんて、同じクラスであること以外、何もないのだ。 話をしたことくらいはあるが、それは単なる連絡事項とか挨拶とか、その程度のことだった。 安藤が自分をどう思っているかなんて、考えたこともない。考えるまでもない。 それが、今朝のように名指しで、しかも個人的に相談だなんて、全く想定外だった。 美緒は視線を窓際の前の方に走らせる。 そこには頬杖をついて黒板を見る安藤の後ろ姿。 その背中を見つめるだけで、胸のドキドキが止まらなくなる。 いったい何の相談なんだろう。 美緒には想像もつかない。 期待半分、不安半分な気持ちを持て余したまま、午前中は過ぎていく。 ◆ 一方、安藤智哉を本命と狙う女子連には、激震が走っていた。 高校入学からこれまでの数ヶ月間、安藤が特定の女子を誘って昼食だなんて、前例がない。 いや、同じ中学出身者に言わせれば、中学時代だって一度もなかった。 それが今朝、覆された。 しかも、相手は、物静かであまり目立たない文学少女の八重樫美緒である。 まったくノーマークの人物だった。 確かに美緒は、男子の人気はそこそこある。 だが、安藤が美緒に特別な関心を寄せたことは、今までなかった。 美緒は安藤を憎からず思っているようだが、表立った行動に出たことなどない。 しかも、美緒は変人グループのリーダーである。 彼女たちにしてみれば、ライバル候補としてまずあり得ない、と思っていた人物だ。 彼女たちは、急浮上した新たな恋のライバルに、何を話したのか尋問したが、本人の答えは要領を得ない。 いったい、安藤は美緒に何の相談をするのか。 恋のライバルたちは、いったん休戦に合意。非常事態宣言を発令した。 今回の事案に対し、周辺情報の調査が開始され、様々な情報が飛び交う。 授業中の情報伝達方法は、いにしえより、ノートの切れ端と相場が決まっている。 数え切れないほどのノートの切れ端が、教壇に立つ教師には気づかれぬよう、極秘裏に受け渡される。話題の本人たちのみを迂回し、教室内を音もなく行き交った。 短い休み時間中は、教室の端、階段の踊り場、女子トイレなど、そこかしこで緊急ミーティングが開かれ、情報の検討と精査が行われた。 そして、情報の真偽は、携帯端末からのメール配信によって、すぐに情報共有される。 事態は高度情報戦の様相を呈してきた。 しかし、昼休みを目前にしても、最重要事項……安藤の相談内容については、まったく判明しなかった。 ◆ 「おーい、八重樫! こっち!」 昼休み。 美緒が屋上に上がると、ベンチの一つに陣取った安藤智哉が手を振った。 彼の指示通り、五分ほど教室で待ってから、屋上にやってきた。 その間に、安藤は学食でパンを調達し、上がってきたらしい。ビニールの手提げ袋を手にしている。 美緒は、安藤から一人分ほどの間をあけて、ベンチに腰掛けた。 「はい。八重樫はこれが好きだったよな」 俺のおごり、と言って安藤が差し出したのは、ミルクイチゴのパックだ。 美緒は驚きながらパックを受け取る。 「ど、どうして知ってるの……?」 「え? だっていつも、そればっかり飲んでるじゃん」 安藤はコーヒー牛乳のパックにストローを刺した。 美緒は混乱する。 確かに、美緒はいつもミルクイチゴを決め打ちで買っているが……でも、そんなことを、まさか彼が気にとめていたなんて、夢にも思わないではないか。 (……これって、どういう夢なの……!?) 彼からのささやかなプレゼント。 二人きりのお昼ご飯。 今の状況に、ひどく現実感がない。 でも、一口飲んだミルクイチゴは、いつも通りの甘い味がした。 ◆ 「かたい……かたいよ美緒ちゃん! もっとこう、やわらかく、かわいく、媚びて笑えば、もう男なんかイチコロなのにっ!」 小声でエキサイトしている梨々香を押さえ込みながら、涼子は二人の様子に目を細める。 「美緒の飲み物まで用意してるとは……いつもながら、さすがの気遣いね」 「あれ、涼子はアンディとそんなに仲良かったっけ」 「同小、同中だからね」 涼子と安藤は、特に仲がいいわけではない。 小学校から同じ学校だし、同じクラスにもなったこともあるから、お互い顔は見知っている。 また、二人とも噂に上りやすい性質なので、情報がよく耳に入ってくるだけだ。 安藤の気遣いの良さ、マメさは昔からの筋金入りである。 「まあ、安藤はあのくらいして当たり前よ。昔からそうなんだから」 「……そう思ってない連中も多いみたいだけどな」 涼子の言葉を聞きつつ、有紀は背後を振り返る。 そこにはクラスの女子が大勢隠れつつ、二人の様子を覗いる姿がある。 クラスメイトの半分以上がいるんじゃないだろうか。 階段ホールのある建物の裏側は、通学ラッシュのバスの中もかくや、という状況である。 そんな女子たちは皆、今の二人の様子を見て、絶望的なショックに顔を真っ青にしていたり、ハンカチの端を噛んで細い奇声を上げたりしている。 二人を監視しているメンバーは、階段ホールにいるだけではない。 美緒と安藤が座るベンチから少し離れたところで、他クラスの女子グループが談笑するふりをしながら、監視活動を行っている。 そうした女子グループがぐるりと二人のベンチを取り囲む形に、いつのまにかなっていた。 だが、さすがに安藤自身が美緒を呼び出しただけに、妨害するわけにも、すぐ近くに行くわけにもいかず、ある程度の距離を保った包囲網を形成することとなった。 ゆえに、二人の会話はあまりよく聞こえない。 「……座るベンチが分かっていれば、盗聴器を仕掛けたものを……」 近くにいた女子の一人が呟く。 盗聴器をいつも持ち歩いてんのか、と突っ込みたくなる有紀である。 有紀は呆れながら、いまなお微笑ましい、ベンチにいる二人に目をやった。 ◆ 美緒は持ってきた弁当の包みを開け、小さな弁当箱のふたをそっと開く。 卵焼きにウインナー、きんぴらごぼう、チェリートマトに蒸しキャベツ。 半分はごはんが占めており、真ん中に梅干しが乗っている。 何の変哲もない、弁当の定番メニューだ。 「……それ、八重樫が作ったの?」 コロッケパンをかじりながら、安藤が尋ねてきた。 「う、うん……そう、だけど……」 美緒は一人っ子で、両親は共働きだ。 働いている母が早起きして弁当を作るのは大変だ。 だから、家族三人分の弁当を作るのは美緒の役目だった。 「すっげー。朝早く起きて、こんなおいしそうな弁当作ってくるなんてさ」 「そ、そんな……大したこと、ないよ……ぜんぜん……」 本当に感心している様子の安藤に、美緒は恥ずかしくなってしまう。 弁当の定番メニューなんて、短い時間で作れてしまうもので、ちっとも凝った料理じゃない。 美緒にしてみれば、見せるのもためらわれるほどの手抜き料理だ。 それを褒められるなんて。 美緒はうつむきながら、横目で安藤を見つめた。 総菜パンを食べる彼。 お弁当は持ってきていないのだろうか。 お昼ご飯が購買のパンだけでは、少し味気ない感じがする。 安藤は、毎日購買のパンを買っていたように思う。 それでは食事が偏ってしまうし、毎日代わり映えしない。 そんな風に思ったら、つい口から言葉が転がり出た。 「……よかったら、少し食べる?」 ……わたし、何言っちゃってるの!? 言った次の瞬間には後悔していた。 ちょっと彼がお昼に誘ってくれたからって、調子に乗りすぎだ。これでは下心があるみたいではないか。 ほら、彼だって呆れてこっちを見ている。 だが、美緒の予想と違って、安藤からかけられた言葉は、 「……いいの?」 むしろちょっと驚いた感じの口調だった。 美緒は安藤の顔をまともに見られないまま、そっと、弁当箱を差し出す。 小さく頷いた。 安藤は嬉しそうな顔をして、卵焼きを一切れ摘むと、口に入れる。 もぐもぐと口を動かす気配。 「……うまー……」 ため息のように呟いた後、安藤は美緒に満面の笑みを見せた。 「すごいおいしいよ! こんなにうまい卵焼き、久しぶりに食べた」 「そ、そう……よかった……」 もう、助けて。 嬉しいはずなのに、楽しいはずなのに。 せっかく自分に向けられた笑顔を、美緒はまともに見ることができない。 めいっぱい緊張した美緒の心は、逃げ出したくなっていた。 ◆ 共同戦線を張った女子連は、大ダメージを被っていた。 手作りの弁当を二人で摘むなど、まさに清き学生の恋人同士の姿である。 その一撃たるやメガトン級で、共同戦線を一瞬にして崩壊させる破壊力だった。 ここで二人の共同作業を阻止すべく、過激派の実行部隊が動き出しそうになったが、状況がそれを許さない。 当の安藤が満面の笑みを持って、美緒の弁当を食べているのだ。 ここで邪魔をしたら、かえって自分たちの心証が悪くなりかねない。 また、今日の本題は弁当ではない。 安藤が美緒を呼び出した理由がまだ明らかになっていないのだ。 女子連は苦渋の選択を強いられる。 階段ホールの陰に隠れたクラスメイトたちは、毒ガスを食らったかのように、苦悶の表情を浮かべつつ、声を出さないように喉を押さえている。 まるで地獄絵図の様相だった。 「……ばかじゃね?」 呆れた有紀の端的な感想である。 美緒の様子を見れば、完全にテンパっているのは明白だ。 「あー、あれは、購買のパンばっかり食べてたら栄養価が低くて心配だ、とか思って、反射的に弁当差し出したのねー、たぶん」 なま暖かい眼差しで二人を見ながら、涼子は棒読みで言った。 さすがに親友だけあって、性格を読み切っている。 親友のテンパった姿を見ながらも、空気を読まずにエキサイトしている人物もいる。 「そおよ、美緒ちゃん、ナイス! 手作りのお弁当はポイント高いよ! このまま、毎日作って来てあげるって展開に……」 「それ以上はやめとけ、梨々香。後ろの女子連中に殺されるぞ」 頬を膨らませて不満を露わにする梨々香だったが、さすがに殺気だったいくつもの視線に睨まれては、口を噤まざるを得なかった。 美緒の親友三人は、再びなま暖かい眼差しで、二人を観察する。 ◆ 「……それで、相談って……?」 昼食を食べ終わり、二人の手にジュースのパックだけが残ってすぐ、美緒は切り出した。 安藤は気を遣ってくれたのか、ずっと気さくに話しかけてくれたが、美緒はまともに会話することができなかった。 さぞかし話し下手な女だと思われたことだろう。 美緒は自己嫌悪に陥りながらも、それでも安藤の相談には真摯に対応しようと心に決め、勇気を振り絞って切り出したのだった。 「ああ……これなんだけどさ」 ストローから口を離した安藤は、傍らにあった一冊の本を手に取り、美緒に渡す。 美緒はイチゴミルクを一口飲んで、本を受け取った。 少し分厚い、飾り気のない本。 どこかで見たことのあるデザイン。 タイトルを見る。 美緒はイチゴミルクを吹き出しそうになった。 ◆ 階段ホールの陰では、今度は親友三人が悶絶していた。 声を上げずに爆笑しているのだ。 涼子は声を上げようとする梨々香の口を押さえながら、背中を丸めて身体をぷるぷると震わせている。 有紀にいたっては、声を立てずに爆笑し、地面をのたうち回るという器用なことをしていた。 クラスメイトは三人を奇異な目で見ている。 安藤が美緒に渡した本を見て、爆笑し始めたのだ。 しかし、女子連には、三人が笑いのツボを突かれたポイントがわからない。 見れば美緒も、なにやらむせている。 「ねえちょっと、あの本はなんなの? 何がおかしいって言うのよ」 クラスメイトの一人が、身悶えしながら無言で笑う有紀に言った。 有紀は両手で目に浮かんだ涙を拭い、ひーひー言いながら答えた。 「まあ、そりゃアンディも美緒に相談するわな……あれはマニュアルだよ」 「マニュアル?」 「そう。武装神姫の取扱説明書だ」 その場にいたクラスメイト全員が、毒気を抜かれたような顔をした。 ◆ 美緒はかろうじて、イチゴミルクを吹くという醜態をさらさずにすんだ。 そんなに驚いたのには、二重の意味がある。 一つは、安藤が武装神姫について相談を持ちかけてきたことだった。 まさか彼が武装神姫に興味があろうなどとは、夢にも思っていなかった。 もう一つは、手渡されたマニュアルの武装神姫の機種である。 「アルトレーネ……」 「お。八重樫、知ってるんだ?」 知っているも何も。 アルトレーネは、今、神姫オーナーの間でもっとも話題の新型機だ。 ここのところ、武装神姫の新製品のリリースに、各メーカーともかなり慎重である。 各メーカーとも特色ある人気機種が定番となりつつあって、保守的になっているのだ。 新しい武装神姫を開発するより、人気機種のリペイントバージョンや、装備を変更、追加したリパッケージ品の市場投入を優先したのである。 しかし、目の肥えたユーザーたちは納得がいかない。 フルセット品の購入離れがはじまり、ヘビーユーザーは既存の神姫のカスタマイズに走るようになった。服を着せたりして神姫のいる日常を楽しむ「非武装派」も増えている。 そのため、神姫自体の売れ行きは横ばいなのに、カスタムパーツや神姫サイズ服の市場は急激に広がっていた。 そんな状況下、彗星のごとく現れた新製品、それが戦乙女型MMS『アルトレーネ』である。 人気機種の要素も取り入れながら、独自性を備えた豪華な装備、清廉な印象を与えるデザインに、美しさとかわいらしさを兼ね備えた神姫本体。 武装派には、装備の豪華な仕様と組み替えの可能性に期待が集まった。 非武装派も、神姫自体の良さに前評判が集まった。 かくして、アルトレーネは、新規参入メーカーの新作であるにも関わらず、予約が殺到し、生産が追いついていない状態だ。 その盛り上がりを受け、既存メーカーも新製品を発表し、神姫市場はいまや活況を呈している。 そのアルトレーネは、先週末に発売になったばかりだ。 いま、ゲーセンの武装神姫コーナーはアルトレーネの話題で持ちきりと言っていい。 美緒が知っているのも至極当然のことだった。 「今話題の神姫だもの。もちろん知ってるわ。……でも、よく買えたね。ほとんど予約完売らしいけど」 「もらったんだよ」 「え?」 「誕生日プレゼントなんだ。オレのおじさん、アルトレーネ作った会社にいてさ、製品サンプルをプレゼントにくれたんだ」 「なるほど……」 武装神姫の初心者である安藤が、そう簡単に人気機種を手に入れられるとは思えない。 納得がいった。 「それでさ。日曜にマニュアル読んでみたけどよくわからなくて……なんか小さくてデリケートな部品もあるし」 「ああ、CSCね」 「だから、起動の仕方を詳しい奴に聞いてみようと思って……それで八重樫に声かけたってわけ」 「そう……」 期待していたわけではない。 でも、少しも期待してなかったと言えば嘘になる。 安藤の中の美緒は「武装神姫に詳しい奴」に過ぎないのだ。 すこしがっかりしたが、美緒は気持ちを切り替えた。 そう、期待していた自分が悪いのだ。 せっかく安藤君がわたしを頼ってきてくれたんだ。 だから、少なくとも彼には、自分の誠意を尽くそう。 「わかった……わたしでよければ、力になるわ」 「そっか。やった!」 にっこりと笑った彼の顔を、美緒はまともに見られなかった。 無防備にそういう顔するのは、ずるい。 どんな女の子だって、わたしだって、勘違いしたくなってしまう。 美緒はうつむきながら、手元にあるマニュアルの表紙の文字を繰り返し読み続けた。 だが、そんな美緒の気持ちなど伺い知ることもなく、安藤は話し続ける。 「八重樫、今日なんか用事ある?」 「え……? えっと」 放課後の用事は、きっと今日もいつもの四人でゲーセンだ。 それは日課のようなものなので、特別な用事ではない。 安藤の相談に乗ってから、遅れてゲーセンに行っても、他の三人は気にしないでいてくれるだろう。 「ううん、特にないよ」 「それじゃ、放課後、荷物置いて着替えたら、M駅の改札集合で」 「え?」 図書館あたりで詳しくレクチャーということではないのか? 「え、って……だって、神姫の起動のやり方教えてくれるんだろ?」 「うん……そう、だけど」 「だから、ウチに来て、オレがやるとこ見ててよ。そしたら間違いないし。八重樫の神姫もみたいし」 「……そ、それは……その」 「お礼に、親にケーキ買ってこさせるからさ。何がいい?」 「……チーズケーキ」 なにオーダーしちゃってるの、わたし!? 美緒がそう思ったときにはもう、安藤は笑いながら頷いてしまっていた。 「わかった。飲み物はミルクイチゴは用意できないから、コーヒーか紅茶で勘弁してくれ」 「え、あ、あの……」 「っと、もう昼休み終わるな……それじゃ、放課後。よろしくな!」 安藤は立ち上がり、階段ホールへと歩き出す。 美緒は呆然とその背中を見送るしかできなかった。 まだ手元に、アルトレーネのマニュアルが残っている。 返さなくちゃ。 あ、でも、放課後でいいのか……。 放課後。 それを意識した瞬間、美緒の心は沸騰した。 顔が真っ赤になっていることを自覚する。 顔どころか体中から火が吹き出しそうだ。 あまりに急転直下、超絶怒濤の展開に美緒の思考は吹っ飛んでいた。 (これって、どういう夢なのーーーーーーーっつ!!?) 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