はじめに


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夏五月乙亥崔杼弑其君光
夏五月乙亥、斉の崔杼(さいちょ)、其の君光を弑(しい)す

と読みます。

出典は中国古代の「春秋左氏伝」という歴史書からです。

この文章の発端となるものは、春秋戦国時代、斉の国の襄公二十五年(前548)に起こります。

斉の荘公(名は光)が、当時宰相であった崔杼の妻と密通したため、怒った崔杼が自分の君主である荘公を殺してしまいます。
それを斉の歴史官が記録として「夏五月乙亥崔杼弑其君光」と書き記しました。
この歴史官の役職を太史と言いますが、書かれたものは正式な国の史実として残されることになります。
崔杼はこの文章を書いた太史を殺して記録を削除してしまいますが、後を継いだ太史の弟が同じ事を書き記したため、これもまた殺してしまいます。
しかしその後を継いだ弟も同じ事を書いたため、またもや崔杼に殺されてしまうのですが、そのまた後を継いだ末弟が同じ事を書き記したので、ついに崔杼は殺すのを諦めます。

歴史好きならよく知られるエピソードですが、記録を残すことの重要さや困難さがよく分かります。

記録は古くなればなるほどあやふやで不確かになっていくものです。

まぁ、歴史などと大それた事でもなく、ちょっとした過去を振り返ってみるだけだとしても、記録というものは特にオリジナルである一次資料が非常に重要だと言うことです。








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