意見AとBが対立するとき、どちらが正しいかをどのようにして判断しているだろうか。
だいたいはこんな↓ところじゃないだろうか。

1)正解と合致しているかどうか・・・正解のある問題の場合にのみ有効。試験問題とかクイズとか。
2)主張の合理性、無矛盾性、合目的性など・・・正解である確率が高いと思われるかどうか。確率の問題。
3)当座の正誤を判定する人(審判・司会)にとって好ましいかどうか。・・・判定する人の好みに近いとか、採用した人には見返りがあるとか。
4)主張する人の権威の高さ・権力の強さ・・・泣く子と地頭には勝てぬ系
5)同意する人の多さ・・・私の嫌いな多数決。
6)痛みを伴わないかどうか・・・常識に近いか。あるいは、既得権を喪失しないか、習慣を変える必要がないかなど。

正解のある問題であれば調べればすむことなので、1)の判断でよいだろう。
ゴミは何曜日に出せばいい?とか。

正解のない問題の場合、どうすればよいか。
まず、正解のない問題を以下の3つに分類する。
ア)正解が「まだ」確定してない問題(今日傘を持っていくべきか、どっちの企画を採用すべきか、参院選前に鳩山を友愛しておくべきかby小沢とか)
イ)正解は確定しているが知りえない問題(恋人の本心、昨日の朝食に含まれていた炭素分子の正確な数、宇宙人の存在)
ウ)どちらが正しいかそもそも決められない問題(趣味や価値観の対立とか)

ビジネスのように目的が共有されている場で生じる問題というのはほとんどがア)なんだが、
それに対する判断としては上記2)3)4)5)6)の色々が採用されていると思う。
合理的な人なら2)を選ぶだろうが、実際に採用される可能性が高いのは3)だ。
4)5)6)で決まることが多ければ、その組織は無能といわれるだろう。

では、議論の目的が共有されていない場での問題は?
この場合、判断基準2)~6)の全てが、人によって正しかったりそうでなかったりする。
例えば、今日傘を持っていくべきか。
2)天気予報を根拠に主張。
3)傘を持つのが面倒であれば持たないかもしれない。
4)一本しかない傘を恋人が使いたいというので自分は持っていかないことにした。
5)窓から道路を見るとみんな傘をもって歩いているのでもって行くことにした。
6)俺は傘を持たない主義だ。
ビジネス以外においては、その人が重視する価値によって問題に対処する目的が変動するため、正しい判断の内容も人それぞれになる。
つまりビジネス以外の問題は全てウ)なのだ。

よって、議論の目的が共有されていない場において、ある意見の正当性を主張することは、それ自体が間違っていることになる。
一方、ビジネスのように議論の目的が共有されているなら、2)以外の判断基準で主張するのは愚かだ。

ゆえに、3)~6)の判断に基く主張はいついかなる場においても「正しくない」ことになる。



何が言いたいかと言うと、
飲んでる席で「破産してどうよ」と聞かれ「破産手続きって簡単でびっくりしたw」と返したら「破産して周りに迷惑かけてるんだからそんなことを言ってはいけない」とか言うなってこと。
こういう物言いの何にムカつくのかずっと考えていたのだが、これですっきりした。
「お前さんに関係ねーだろ」ってことだな。
最終更新:2010年04月15日 00:36