「供給過剰・粗製濫造によるコンテンツのの質の低下による市場の突然崩壊」
家庭用ゲーム、携帯電話コンテンツなどではこの教義にのっとってプラットフォーマーがコンテンツの企画審査をおこなう。
(CDで言えばレコード会社、マンガなら出版社に相当する)

しかし私は、以前からアタリショックについては懐疑的な見方をしていた。
そもそも「アタリショック」という現象は本当にあったのか?

■アタリショックとは
かんたんにまとめると、アタリVCSというプラットフォームが
  • オープンプラットフォームであり参入障壁が極めて低い
  • 供給過剰、玉石混交
  • バッタ商品が投げ売られ価格が維持できない
という状況で、ついに
「1982年のクリスマス商戦で大量の売れ残りが発生し、市場が崩壊した」
というお話。

■懐疑のポイント
1.アタリショック後もアタリVCSの販売台数にアタリショックの影響が生じていない
    400万台(1979)
    280万台(1980)
    330万台(1981)
    900万台(1982)←年末に「アタリショック」発生
    630万台(1983)
    280万台(1984)
    (1985年以降は減少)
82年、83年の売上が突出して高かったが、他の年は300万台前後で推移しており、84年はブームが過ぎて本来の数字に戻っただけ、ともとれる。
85年以降の減少については、コモドール64に代表される比較的低価格なパソコンが競合プラットフォームとして成長したことを考慮すべきであり、
アタリVCSの販売台数減少がアタリショックによるものとは断定できない。
むしろ、アタリショック後もアタリVCSへのニーズがあったことに驚かされる。

2.玉石混交・供給過剰の市場であっても即崩壊するとはいえない

  • レコード業界やマンガ業界ではコンテンツが玉石混交で、一部の人気アーティスト、人気作品の売上で大多数の有象無象を養っている。
しかし、その有象無象の中から、新しいトレンドが作り出されてきた。
ヒットは狙ってうてるものではないので、どうしても「遊び幅」が必要だ。
昨今日本のCD販売が不振なのは玉石混交が原因なのではなく、同じような歌ばかりだから。

  • インターネットのサイト、サービス。
玉石混交、粗製濫造の教科書のような状況。
新しいサイトの企画段階で企画審査するプラットフォーマーのような機関はないが、市場は崩壊しない。
その要因は、こんな↓ところだろう。
  • 無料サイトが多く、質が低くてもユーザーが追うリスクがほとんどない。(他をあたればいいだけ)
  • 有料サービスについては利用者の評判をどっかで必ずチェックできるので、これまたユーザーはリスクを回避できる。
  • 技術の進歩、参入障壁の低さが他のプラットフォームと比べ顕著であり、革新的なコンテンツ、サービスが登場しやすい。
技術の進歩は非常に重要。
同じ枠組みでずっと競争すると最適戦略が固定し、その状況自体にユーザーが飽きる。
枠組みは変わらなければいけない。
その意味で、携帯電話のFlashLiteは、もう関係者何やってんだって感じ。自分も関係者だけど。
Flashは、単なるミニゲームのアプリケーションプラットフォームとして短いライフサイクルを終えた。
FlashLite使いが商売できたのは、わずか3年だった。
通信機能だけでも強化してたら、もっといろんな方向に進化できたのに。

3.そもそも企画を作り手以外の誰かが審査するという概念自体が机上の空論
レコード業界では、商品企画レイヤーの人たちが販売不振を受けて保守化し、売れセン(と社内を説得しやすいもの)だけを売り出してさらに販売不振を招いている構図と思われるが、君に会えた奇跡やら世界中でいちばんやらの中2ソングにはもううんざりなんですよって話。
曲もサウンドも似たり寄ったりでさあ。
果たして彼らは、売れたものが売れた理由を考察しているのだろうか。
売れたものをテンプレ化して、似たものを売っているだけではないの?
テンプレでできあがったものはアートではないので、それを作る人はアーティストではないです。

商業コンテンツは、「たくさん売れるもの」がよい。
「たくさん売れるもの」は、オンリーワンだからたくさん売れる。
オンリーワンとは、世間から認められる前にはただの異端である。
よって、たくさん売るためには異端を排除してはならない。

企画の審査って考え方は、これ↑とまっこうから対立するよね。
なんでそれがわからんとですか。
その挙句ミスリードを強制するプラットフォーマーならない方がいい。
みんなインディーズでいいじゃんかみんなお星様になればいいのよ。
まあレコード会社はプラットフォーマーではないんだけれども。

同様の指摘は、
  • TV業界における放送局
  • アニメ業界における広告代理店
  • 家庭用ゲームにおけるプラットフォーマー
  • 携帯電話向けコンテンツにおける携帯キャリア、
  • マンガにおける出版社
についても成立する。
いずれも、売れセンばかり作らせリスクを排除した結果、市場が縮小している。
携帯電話コンテンツにおいて「公式サイト」がダメになっていき、一般サイトとしてスタートしたmixi、モバゲー、GREEが主役になっているのがいい例だ。
携帯キャリアが排除したコミュニケーション機能が、彼らにはあったから支持された。

あるコンテンツ市場・プラットフォームにとっての脅威は、もはやコンテンツの品質ではなく、コンテンツの均質化だと思う。
ユーザーにとって「みんな同じにしか見えない」状況がいちばんヤバい。
そのプラットフォームでは、みんなで同じ重箱の隅(それも同じ隅っこ)を必死でつついているに決まっているから。
重箱の隅に住むどじょうは、ヲタにしか喜ばれない。
あー、だからAKB48はメンバーを区別できないようにしてるのか。やるなあ秋元氏。

コンテンツ市場というものは、玉石混交・はきだめにツルの自由競争を原則としなくてはならない。
そうでなければ、新しいものは生まれてこない。
それをプラットフォーマーが計画的にコントロールしようなどとは、おこがましいにもほどがあるのだ。
最終更新:2010年04月01日 12:39