文学・語学的観点からのアプローチ



 地理学と文学、一見全く違う科目のようにも思えますよね。

 実際、私も共通点なんてあるの?って思えてきます。

 地理学は「空間」を対象として研究することが中心なのに対して、
文学は「伝える」こと自体が研究対象でもあると言えるからです。

 言ってしまえば地理学にとって文学・語学は「研究を伝えるためのツール」。
と言うのは、あまりにも酷い表現。でも、これを適切な表現に言い換えるなら、
「文学・語学が理解できない人間は、研究ができない」と言える。
だって「伝える」ためのツールを持っていないということですから。

 では、文学・語学にとって、地理学とは何でしょうか?

 文学には、その文章が書かれた当時の時代背景、その文章を著した作者の
心理的描写が色濃く写っていることがあります。そして、それを読み解くヒントは、
地理学にもあると言えるのです。

 その文章を読み、その時代背景や作家の心理を動かした現象を想像することは、
その当時の「空間」を再現しようとすることではないでしょうか。ここで頭の中に
広がる「空間」は地理学そのものであり、それを「再現」するという作業が、文学で
あると解釈できるのではないかと思います。

 それは例え過去を現在に写すことだけでなく、これから未来に「伝えよう」と
することも当てはまるでしょう。

 また、語学はそれ自体が地理学の研究テーマとなります。というのも、言語には
英語や日本語のように国によって違いがあり、もっと言えば同じ日本人であっても、
イントネーションが違うこともあれば、同じ言葉であっても指し示す対象が地域に
よって異なることがあります。語学は、その語を修得するということだけでなく、
語学の発生起源や地域によって発生している「差」の分析も行います。

 では、なぜ言語に「差」が生じてしまうのか?

 みんな同じ人間なのだから、最初から同じ言語が使えても良かったのでは?

 このことについては、理科学的な側面から、身体的な問題が挙げられます。

 そしてもう一つ、地理学的な側面から、「空間」の「ちがい」が挙げられます。

 つまり、人間は1つの場所、1つの空間に集合して生きてきたのではなく、
個人個人には「距離」があります。そこで、その「距離」を埋め合わせて、自分が
居る場所とは違う「空間」の情報を得るために生まれたのが「言語」と言えるのでは
ないでしょうか。

 個人個人の間に「距離」があり「空間」が1つではなかったことで、異なる
「言語」が「個性」のように生まれ、多様性を持って発展してきたことが、今に
繋がっている。

 そのおかげで、私たちの日常的な対人コミュニケーションが不自由なく行えて
いるのではないでしょうか。

 文学は「過去と現在をつなぐ情報の玉手箱であると同時に、現在から未来へ
発信するタイムカプセルでもある」であり、語学は「過去と現在、現在と未来、
現在と現在の『空間の差によって発生する距離』を飛び越えることのできる、
唯一の伝達手段」だと思うのです。

 歴史学と地理学を合わせると「過去を知り、今を創り、未来へ贈る」学問である
と言えるでしょう。しかし、歴史学と地理学は何も介することなく繋がることが
できるというわけではありません。その間に存在する「時間」を埋め合わせるには、文学・語学が欠かせないのです。


最終更新:2009年11月02日 13:27