何かを考えるとき、基本にしていることってありますか?

例えば、「なんでもポジティブに!」

なるほど、最高です。

私は「原点回帰」

これが何かを考える時の基本原則にしているものです。

誰の考えを認めるわけでもなく、かと言って批判するわけでもなく、
それでかつ傍観するわけでもなく、そういう考えも一案と割り切って、
自己熟成を通して発展させていく。


結局どういうことかというと、

ある一つの物をいろんな角度から見ようとすること、と解釈したらいいでしょうか。

例えば今のあなたには、この日記はどういう風に映っていますか?
そんな難しい質問をされれば、なかなか答えるのは難しいですよね。

心(考え方)を変えて、それでもって自分の眼で見るというのは大変な作業です。
自分が信じていることとは違う考えを持って、ものを見るということですからね。

最近、教育学という学問に触れる度に、大人には到底理解しがたい子供の感受性に
気づかされることが多々あります。それは半人前の私だからこそ感じることなの
かも知れません。もしくは、社会性、市民性そのものをとても重視する社会科
教員への道を歩んでいるからなのかも知れません。

いろいろなことを考えて、いや考えすぎて、
私は自分の中の大きな矛盾に対して、どうすべきなのかわからずにいます。

そこで原点回帰の発想が必要なのです。
分かりやすく言えば「初心にかえる」というのが、一番近い言葉ですね。
賛成、反対どちらの意見にも賛同できることって、結構あると思うのですよ。
それは、どちらの意見にも失いたくない良いところがあるからですよね。
では逆に、賛成、反対どちらの意見にも賛同できないことも、あると思います。
この場合は、どちらも嫌だと思うところがあるからですよね。

とっても都合の良い考え方かもしれませんけれど、
失いたくない良いところを集めて、嫌だと思うところを削ることって、
不可能なことでしょうか?

そんなことは不可能だ…と、よく聞くことではあると思います。
事実、ナポレオンにも不可能なことはありました。
それでも、子どもに不可能ということを教えたくはないじゃないですか。
だから、私自身は教師を目指す人間として、例え不可能だと思われても、
不可能だということを見せたくはないので、限界以上のことまで挑戦
し続けていきたいです。

…もちろん、時と場合によっては、不可能であることを伝えた方が
良いこともきっとありますよ。


原点回帰というのは、初心つまりその最初のステップを振り返ることですね。
それは改められた初心ではなく、評価されずとも、誤っていようとも、
汚い心であったとしても、その時そこにあったものが、初心です。

ものは全て先を見て、進化し続けるべきだと仰る方もいらっしゃるでしょうが、
初心に帰るという過程を通すのは輪廻でいう次の世代というわけです。

肉体は滅びようとも魂は生き続ける。あまり丁寧な表現ではないかもしれませんが、
あの映画に登場する不死鳥も、一度滅びることで一から生き還ります。
一からとは言っても、今まで生きてきたことがリセットされるわけではありませんね。
気持ちや行動は1に帰っても、時間が戻ることはありません。

どうでしょう、相変わらず難しい説明になってしまいましたが、つながりましたか?
具体的な意見や考えは、その場その状況で柔軟に転換できたとしても、
信条だけは揺るぎないものを持っておくといいなって思います。
結局は、私も頑固なんです(笑)

考え方は人それぞれ、私の考えが良いとも悪いとも、
あなた自身が判断してくださる結果でよいのです。
要するに、あなたがどういう考えを持っていようとも、
たとえば私に批判的な考えを持っていようとも、
それがあなたの良さであって、あなたが生きている価値だと思うのです。

あぁ、伝えたいことがぐちゃぐちゃになってしまった。。。
学生のみなさん、文章はちゃんと書けた方が、苦労しませんよ。
最終更新:2009年04月06日 20:20