2008年、迷ってばかりの1年だったけれど、
迷いは、何かを気付かせてくれます。
何かに気づくために、迷うのだと思います。
迷うといえば、高校生徒会、今はどうなっているでしょうか。
12月は何事もなく平和な時期だから、きっと何事もないのでしょう。
6月か7月だったでしょうか、卒業生が関わるべきではないという話が出たのは。
するべき仕事をするだけではなく、
もっと上の次元の仕事もできるようになった。
それは素晴らしいことです。
でも、なにかがつっかかる。
何か、大事なことを忘れてしまってはいるような、何か。
周りを見続けないと、昔に逆戻り。
それが今のあるべき学校の姿なんだと言われれば、それはそれでいいんだけど。
文句を言うなと言われれば、私が見なければいいだけでしょ?(笑)
でも、理解しようとしない生徒は放っておいて良いとは思いたくない。
と、こんなことを言っていますが、
そんなことは、生徒が考えることではないのです。
私も、卒業したからこそ見えているし、言えることなのです。
先生方は、気づいていらっしゃるのでしょうか。
気づいていらっしゃると思いたいです。
でも、もし気づいていらっしゃるのなら「生徒の主体性…」と逃げないで下さい。
現役時代、そう言われることが、どれだけうんざりしたことか。
生徒の主体性、その意味を本当にお分かりになっていらっしゃる先生ばかりでは
無いように思えます。
生徒のやったことを、自己責任と言って、放棄することですか?
私が現役の頃、その言葉を言われるたびに、
生徒が失敗したときに、責任逃れをするための言葉だと思っていました。
口先だけの主体性なんて、生徒が一番やる気をなくすのでは無いでしょうか。
そんな先生の姿を理想の大人として見て、生徒は大人になっていくのですよ?
無責任な大人をつくるのは、無責任な大人です。
対話を忘れないでくださいと言いたいです。
こんなこと、人前では目をつけられてしまうから、言えないけれど。
最近の子は…と言うのは、親の責任でも、ゆとり教育のせいでもないと思う。
そうやってまた、先生が責任を放棄すればその子はまた、
何も身につけないまま、次のステップへと登っていくのでは?
大学での教職課程の講義では、どれだけ子どもを伸ばすかを考えるけど、
現場に出たら、どれだけ子どもを見るか・・・じゃないかと思う。
その点で、教師って、医者と一緒だと思う。
だから、先生って呼ばれてる。
間違ってる・・・?
そんな人間は教師失格って言われたら、辞めるかも。
でも、クラスの中で、先生に反抗している生徒がいる先生って、
生徒に信頼されてるって自信持って言えるのかな。
その子のこと、放ってしまってはいないのかな。
そんな生徒と先生の関係で、先生は生活態度とか、注意できますか?
学生の頃は、小学校の先生に比べて高校の先生なんて、何でも知ってるから、
すげーって思ってたけど、今はそうは思えない。
いや、高校の先生にも頭が上がらない先生はいっぱいいたよ!
でも、中には生徒を見てますか?って言いたくなるような先生もいたことは事実。
最近、常識がない子どもが多いってことをよく聞くような気がします。
でも、自分の価値観を常識と結びつけるのは、他人との関わりによって成される
のではないでしょうか。IT化や高度情報化によって、直接対話の機会が少なく
なっている今だからこそ、先生というのは生徒にとって数少ない、貴重な直接に
会話できる相手なのではないでしょうか。
強がらないでください。
先生だって育っていくものだということを、生徒は理解しています。
少なくとも、私と、私の周りの友人は理解していました。
確かに、生徒にとっては“その時”の先生は完全な“先生”でないと、
不安になります。でも、言っていることが正しいと生徒に思われるような
先生は、ごくわずかだと思います。
実際、私が生徒の時に、心から素直に話を聞いた先生は少数です。
とても仲良さそうに振舞っていても、心の中では馬鹿にするなと憤っていたり、
聞き流していたことがほとんどです。
それは、高校生だからできることです。
私も、できるなら、こんなことは言いたくありません。
だって、先生方の後輩になりたい人間ですから。
もちろん、これを見て、「だから最近の教師は・・・」と思われた方が、
もしいらっしゃいましたら、あなたも同じですょ?
だって、あなたも先生をよく見てはいないわけですから。
これは学校だけでなく、会社でも家庭でも同じなのではないでしょうか。
こんなことを書いて、何と言われるかはわかりません。
でも、多くの人に何かを「気づいて」いただきたいのです。
最終更新:2009年03月25日 15:58