野田憲太郎ピアノリサイタル "The Next American Piano"


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野田憲太郎ピアノリサイタル "The Next American Piano" 野々村 禎彦
http://www.web-cri.com/review/0608_noda-next-usa_v01.htm

 1976年生まれの作曲家=ピアニスト野田憲太郎は、日本では演奏頻度の低い現代ピアノソロ作品をまとめた自主公演をたびたび行ってきた。本サイトでは、2004年に神戸で行われたドイツの大曲3作品を並べた公演をレビューしたが、彼はその後も関西圏等で演奏会を重ね、2006年1月に東京圏デビューした。この時の曲目はソラブジや伊福部昭等の近代日本作品が中心で、企画者の趣味にも配慮していたようだが、今回の東京公演は彼らしい選曲が行われた。本稿で取り上げるのは、全曲日本初演となる(世界初演も含む)米国の作品を集めたプログラム。この公演に先立つ8月9日には、フィニスィー《英国田舎調子》全曲版日本初演がメインの、いわゆる「超絶技巧」プログラムを渋谷・公演通りクラシックスで披露したが、本稿で扱う公演の方が彼らしさがよく出ていた。まずはセットリストから:

F1) Justin Henry Rubin: Monumentum pro Giacinto Scelsi ad annum C (2005)
F2) Kyle Gann: Private Dances (2000-04)
F3) Larry Polansky: tooaytoods #1-11 (2001-04/05)
F4) Dary John Mizelle: Piano Sonata No.4 (2001)

S1) Dary John Mizelle: Transforms 1-34 (1976-94)

E1) 木山光:美貌は妬み深く車軸の上に編んだ天蓋から自らを振り切ろうとしている (1999)

 この日のハイライトは、1時間を超える大曲《Transforms 1-34》。完成後10年余りを経た今回の演奏が、全曲版世界初演となる。1940年生まれのミゼルはテニー以降の米国実験音楽を代表する作曲家のひとりであり、ケージも高く評価していたというが、自主制作盤以外の、ネット通販等で入手しやすい作品集は今のところ1枚のみ(furious artisans, FACD6801)であり、一般的知名度はまだ低い。本作は、通常のピアノの全鍵盤に相当する88音セリーに基づいて作曲された小品集。演奏困難な音程跳躍が頻出する超絶技巧タイプの音組織と、『フィネガンズ・ウェイク』のテキストに基づいた調性的な旋律を組み合わせた音世界は、厳格さと放埒さが共存した、アイヴズ以来の米国実験音楽の伝統を確かに受け継いでいる。内省的な深淵と隣り合わせだと、超絶技巧タイプの譜面でも「体育会系」の爆演に走るわけにはいかず、速度よりも音色とバランスに配慮した聴き応えのある音楽が紡がれてゆく。

 譜面の散逸を防ぐため、1ページごとのコピーをクリアファイルに収めるのが、大曲を弾く場合の野田の流儀のようだが、2冊目のファイルに入ると音風景は大きく変わった。単純なスケールや同音連打が目立ち、テンポも落ちる。睡魔に襲われる聴衆もちらほら。やがて、自筆プログラムノートでも特筆されていた「作曲されたプリパレーション」の場面に入る。低音域はプラスティック板やコインを置くだけ、釘を弦に挟むのは中高音域のみと、楽器に影響が出にくい指定になっている。まず目的の鍵盤を弾き、プリペアしてから音の変化を確認する手順の繰り返しなので、結果が不満な時は音楽の流れを妨げずにやり直せるようになっている(この日は全指定鍵盤1回で成功)。プリパレーション完了後、試し弾き(ケージ作品のようにプリペアされた鍵盤のみを弾くのではなく、全音域をサーチして音色の凸凹を聴かせる)してからファイルのページを戻し、再び冒頭から弾き始めた。あの単純な音型から、かくも豊かな音響が生まれてくるとは!

 その後、プリパレーションを外すプロセスも同様に記譜されており、外し終わると冒頭の雰囲気に戻って華やかなコーダも準備されているが、プリパレーションの前後で同じ譜面を二度弾き、両者がいかに違うかを聴かせるのがこの作品の核心である。むしろ、「プリペアしない」ピアノの貧しい音色を補うために超絶技巧や内省的表現が繰り出されたと捉えるべきだろう。演奏中のプリパレーション自体は即興音楽でもしばしば行われているが、その効果を具体的な音楽を通じて検証するためには、確定譜面が不可欠である。即興音楽の語法の拡大につれて、「作曲しなければ実現できないこと」は減りつつあるだけに、確定的な作曲が本質的に必要な事例を提示することは意義深い。ピアノのプリパレーションには今日でも神経質な会場が多いが、プリパレーションの効果はギターやコントラバスでも十分に発揮される。本質的で応用範囲も広い、新しい発想を含む作品の初演は大きな業績である。

その他の曲目も簡単に振り返っておきたい。1971年生まれのラビンは、ピアニストとしてはクセナキス作品や「超絶技巧」系レパートリーで鳴らしたが、近年は演奏活動の中心をオルガンに移し、作曲家としては旋法的な素材を用いた内省的な作品が多いようだ。本作もこの傾向に属し、8月9日の演奏会とは別な顔を見せる幕開けとなった。譜面は公式サイトからダウンロードできる。1955年生まれのガンは、音楽学者・音楽評論家として知られ、作曲家としてはヤマハのデジタル制御自動演奏システムDisklavierを用いて鍵盤楽器の限界を探求している(方向性としては、「ピアニスティックなナンカロウ」を目指しているようだ)。本作は、平易な曲想にポリリズムが交じる効果が聴きもの。演奏では、前のめりに加速しつつ両手の2:3や3:4のリズムを瞬時に切り替える表現が見事だった。公式サイトから譜面とmp3音源をダウンロードできる。1954年生まれのポランスキーはいまやダートマス・カレッジ音楽学科の重鎮。本作は、「超絶技巧」作品の視覚的クライマックスのみを切り取ったような、1曲2秒の小品が並ぶ(明らかに2秒では演奏不可能な曲も散見される)。音楽的バランスを気にせずに叩きまくり、強奏の反動で思わず立ち上がって後ずさる。それが嫌味なカリカチュアにはならないのは、野田はセルフパロディという意識で弾いているからだろう。譜面と部分的なmp3音源を公式サイトからダウンロードできる。

 ミゼルのピアノソナタ第4番は、《Transforms 1-34》の鍵盤上のイヴェントをコンパクトにまとめたような作品。直截な調性的旋律から技巧的な無調パッセージに至る、多様な書法を緊密に一体化させた充実した音楽はやはりアイヴズを想起させるが、調性的な部分は内面的表現、無調的な部分は躁的高揚という役割分担はアイヴズとは対照的だ。いわゆる東海岸アカデミズムとも、ダウンタウンのミニマルミュージックとも、Bang on a Canの俗流ポストモダニズムとも距離を保って孤独な探求を続けてきた者らしい選択である。また、この日最初に弾かれた3作品も作曲年代は同時期だが、素材・技巧・コンセプトにおける「わかりやすさ」を志向しているのに対し、このミゼル作品にはその種の妥協は全く感じられない。wikipedia日本語版のミゼルの項(英語版よりもはるかに詳細)も執筆している野田は、この曲でも作品の背景まで汲み取った入魂の演奏を聴かせた。なお、アンコールは譜めくりを担当した木山の初期作品。野田は本年1月と8月9日の東京公演でも別な木山作品を取り上げており、彼を高く評価しているようだ。

 終演後の野田は、彼にしては負担の少ない(本サイトで取り上げた2004年の公演では最終3曲目の途中で集中力が途切れ、本年8月9日の公演では最後の《英国田舎調子》の途中で右手のコントロールが効かなくなったという)プログラムにしてはミスタッチが多いと不満げだった。だが、演奏会はコンクールではない。個々の作品をパーツに分解し、難易度と達成度の和を取って評価を決めるわけではない。ひとつのテクスチュアとしてしか認識されない高速跳躍パッセージのヒット率を上げることよりも、音色をコントロールしてポリフォニックな構造を浮き立たせる方が優先度は高いはずだ。また、演奏会はスポーツ競技でもない。限界に挑んで力尽きる様子が感動を呼ぶわけではない。むしろ、アンコールまで余裕を持って弾き通せるプログラムを組み、録音をサイトにアップロードできるような(本サイトでも2003年に取り上げた鈴木貴彦も始めたように)完成度の高いテイクを残す方が、後々まで残るものは大きいはずだ。この日の公演は、その方向に向けての着実な一歩になった。

 2004年の公演のレビューでは、演奏内容の充実にもかかわらず寂しい動員に、告知の徹底を勧めたが、その点は今回も変わらなかった。むしろこの日の公演は、公式に会場がアナウンスされることすらなく、聴衆の大半は関係者ということになってしまった。野田によると、当初のプランでは《英国田舎調子》と《Transforms 1-34》で一晩を占めるはずだったが諸般の事情で不可能になり、急遽小品を集めて2回分のプログラムを組んだのだという。事情を詮索するつもりはないが、ミゼルという東京圏でも殆んど知られていない作曲家がメインの公演にもかかわらず、「このプログラムはいかに凄いか」というプロモーションはおろか、「現代音楽コンサート情報」メイリングリストへの掲載依頼すら行われないのでは話にならない。実験音楽タイプの作品の演奏会は、現代音楽業界の外側まで情報が届いて初めて意味を持つ。現在の彼に必要なのは、彼の提案するプログラムの意図と価値を汲み取った上で現実的な助言を行い、会場の確保と宣伝をきちんと行えるプロデューサーである。

(2006年8月12日 池袋・東京音楽大学)

(c) 2006 Yoshihiko NONOMURA
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