三戦板2スレ

563 名前: 557 投稿日: 02/07/20 20:33

さきほど1571年のシナリオで足利義昭幕府再興計画を推進してきましたが
やっぱりだめでした。

信長包囲網というなんともいえない同盟の盟主ということもあって
周りは見方でマターリできるとのん気にやってたんですが
南方は茶器爆死マニアの兄さんに睨まれっぱなし。
東では侍大将時代の脂の乗った権六兄さんが精兵240の軍勢で我が二条城まで少しの距離だし。

とりあえず波多野さんと同盟することにしまして使者を送ったんです、ええ。

「異存がないわけではないけどまぁOKよん」ってことで
なんとか西の背後は大丈夫みたいな雰囲気です。

で、盟主としてずっぷり同盟者の恩恵に浸ろうと考えた矢先
侵攻してきました織田の信長さんご一行・・。
南方の茶器ボンバー兄さんと激しい死闘を繰り広げてるじゃないっすか。
ひぇぇぇぇ!!
それに引き換え我が陣営のなんと雅なこと、もう戦国の雰囲気皆無な連中です。
とりあえず一番合戦経験のありそうな和田の旦那を送って
出世稼ぎでもしてこい!ってな具合で派遣しました。三好さん側です。
茶器ボンバー兄さんは、もうなんというか権謀術数を駆使して
本丸に取り付いた軍勢を釘付けです、メロメロで大混乱です。

そこに軍事介入した我らが三好・足利連合。
なんとか美味しいところをキャッチして、しかも
足利陣営一個お城GETしちゃったりなんかして浮かれ気分で凱旋です。

ただ人材不足の我が陣営が領土経営なんか出来るわけなく
一年もしないうちに織田の信長兄貴の猛攻を受けることになりました。

足利義昭、御簾を掻い潜って出陣のときが来ました!

566 名前: 557 投稿日: 02/07/20 20:44

足利義昭兄さんの手勢は100、でも戦闘30の温厚な御仁ですが。
池田の知ちゃんを引き連れて暴れ狂う訳ですが
歴戦の名将を引き連れた織田の先鋒部隊すら突破出来ず壊乱状態です。

そこで山の頂上で見物していた細川様を投入。
応援に駆けつけてくれた信長包囲網の参加者でもある一色サン(兵100)に
命からがら助けられて、高槻城を死守しました。

二条城は難なく敵の手に陥落していたので
事実上都落ち~幕府完全失墜です・・。

嘆きながらも高槻城に帰還し、織田さんに解放された古参武将三名ほどと共に
捲土重来を誓い合ったのです。

高槻城周辺は本願寺のジジさまが堅固に守ってくれていて
なんとも助かる情勢でした。
これになんとか命を繋ぎ、織田兄さんの猛攻を何処吹く風と乗り切りました。

その間、智謀と政治力だけは文句なしの征夷大将軍義昭ちゃんは
洲本のお城まで進撃している毛利さんの家臣団に目をつけます。
あらら忠誠心が低いじゃないですか・・。

この後猛烈な人心誘惑作戦が展開されたことはもう想像がつくと思います。
世間の情勢は本願寺と武田による挟撃により織田が風前の灯火までに落ちていました。

島勝猛・羽柴秀吉・その他戦闘150平均の地方で頑張ったのねちゃん達をGETしたのです。

568 名前: 557 投稿日: 02/07/20 20:49

んでまーなんとかイイ感じに国力も増大し一時の二カ国支配とまではいかないにしても
人口も5000強と、いいんじゃないの的な発展を遂げたのはいいのですが
さて困った!版図の拡大が不可能。
本願寺・三好・武田に囲まれた我が領土からは、どこへも進発出来ない。

講義と披露の連綿とした構成で5年ほど経過してしまいました(笑)
その間、世間は大きくうねりを見せ五つの勢力で我が足利幕府を支えてくれることになってました。
まだまだ幕府は健在です!
だって何気に同盟交渉だけは多かったですもん♪



569 名前: 557 投稿日: 02/07/20 20:54

そんなこんなで太平楽に興じて戦国のご時世ということを忘れかけていたころ
やりました、もういつのまにか滅亡していた元織田家のルーキー信長さんが
近所で独立したんです。
こりゃしめたでー!と少しだけ乱暴な都言葉を駆使しつつ
いつのまにか生え抜きの精鋭部隊となっていた足利軍を進発させました。
戦場につくやいなや、本願寺・武田・上杉と旧信長包囲網賛同者さん各位が勢ぞろいで
なんか同窓会みたいな気分でした。
城をGETするのは、部下の秀吉くんがしっかりとこなしてくれたので安心でした。

んな訳で版図がついに拡大しました。
やったー。
のほほんと喜んだ後、再び合戦できない時代が続くのでありました。



570 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21:02

あれよあれよと時代は進み、なんか嫁さんほしいなぁと思ってる矢先に
来たんです、縁談。

あるもんですね、望みが叶うってこと。
驚きましたよ、正直ね。
ええ。

で、さっそく結婚ですよバッチリ。
式典はやっぱ西洋風がいいかなと思ったのですが本願寺の兄さんがあまりにも素敵な笑顔で
仏前式という聞いたことの無い様式を薦めてきたので
なんか怖くなってOKしましたよ、いつもお世話(武将引き抜き)になってますし。

「新婚初夜は法隆寺近くの民間の宿でした、しっぽりと。」

話がそれましたね、いやマジこんなことくらいしか話題がない時間が過ぎていってるんです。
もっと苛烈なお館様を求めてるのではないかしらと隠居も考えましたよ。
でも一門衆がいないんですもん、無理な話です。
晴れ晴れし討ち死にして世代交代ってのもあるのかもしれませんが、無いんです敵が・・

そんなわけでカミサンに希望を託して「高槻城」大名一人暮らしを開始させたわけです。
はやく姫武将ちゃんできないかなぁ。

そんなこんなで月日は流れ、城下の発展具合もとっくの昔にぶっちぎりMAX発展です。
安穏とした日々が続いている中、日本は本願寺と上杉・北条の三勢力となっていました。
東海道付近で苛烈な熱戦が毎季展開していますが高槻城では毎晩褥に狂う将軍さまがおわしましたとさ。

572 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21:16

そうこうしているうちに、どうやら世間は本願寺の天下獲りで行くようですよ。
友好は100ですし安心はしてましたが、ほとんどの城を手中に収めた昨今
やはり来るんでしょうね、決戦が。

じゃ、この最後の項くらいは雰囲気のある文調でいきましょうか♪

1595年、群雄割拠に今まさに幕が下ろされようとしていた。
石山本願寺を拠点とする中世日本の大教団、一向衆を引き連れて
南北渡る日ノ本に、天下第一の御旗を掲げんとせしめたる。

我が陣容は総勢700の軍勢。
室町の尊氏御世より幾多の御霊を数えること15代、足利中納言義昭は
御所より伏見平野を下ること数十里、高槻台地にそびえる山城に身をやつしていた。

麾下には将星たちが平伏し、足利幕府の再興に燃える若き獅子たちが躍動を隠せないでいた。

帝を奉る山城は室町御所よりこの地への征功を引き受けた名将後藤又兵衛は
天地から攻めよせる巨大な軍勢を感じていた。

「中納言様、本願寺より書状にて睦を解く事の由たったいま届きまして候」
「かようなことは知れておじゃったわ。弓矢にて返答致そうではないか。」
「中納言さま、御大のご出馬とあらば全軍の士気も総じて高まりまする」
「重畳。」

さっそうと軍装を整えた全軍は、本願寺勢を迎え撃つため出撃した。



573 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21:30

いち早く大坂へ向けて進発。
群雄のひしめく時代は終わりを告げ、本願寺勢は大群を一挙に投入する近代的野戦法を習得していた。
足利側は、そのような時代の変遷を物語では知ることもあったが
之から起こる会戦は、いわば足利幕府最後の聖戦であり全軍は散りゆく美しさのみに酔っていた。
義昭の軍勢のほとんどの将兵は兜に香を炊き込め時代とともに滅び行くことに誇りと歓喜を憶えていたように見える。
よって陣容も先鋒は道案内程度でしかなく、本願寺勢のような先鋒兵力集中型とは大きく違っていた。

義昭は全軍で石山平野を占拠。
地の利を生かした神速の進軍には、さすがの後藤又兵衛も信服した。
北方からは島津、西海からは旧長曾我部を中心とした南海連合軍
東海道からは伊達・最上・北条を中心とした煙硝の途絶えて間もない地域からの参戦となっていた。

本願寺本体の参戦は確認できず、恐らく盟友に対し弓引くことを躊躇したのではないかと
後世の歴史家達は推測したがったが、実際には分散した一門衆の兵力を統合しきれなかったのではないかと
考えるのが自然ではないだろうか。

とにかく1000を数える大軍勢が旧来の権威であった征夷大将軍の御旗に
中世という時代の終焉を掲げ踊りかかったのである。





574 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21:45

会戦は軍勢同士の遭遇によって先端を開いた。
あまりにも変哲のない合戦模様にどこか足利の侍としての自尊心が残影していたのではないか。
総力戦となれば、兵数の圧倒は必然で
寡兵をもたらしめるのであれば、奇襲はかならず実施されるはずではあったが
旧幕軍の整然とした行軍は補足した敵兵への苛烈な突撃のみによって展開した。

火力を中心とした新戦術もこの時点では当然の手段であったし
南蛮砲、フランキー砲を併用することも有効策として周知であった。

が、義昭さえもそれを手にせず
駿馬を駆使した大規模な騎馬編成による電撃戦を展開した。

膨大な種子島の銃砲の中へ突入していく騎馬武者たちは
当然の如く屍を野に晒すこととなったが
中には軍神の如く敵陣を二段三段と逼迫せしめ、敵将を刈取る勇者もあった。

義昭も他と変わらず名刀鬼切を手に敵陣まっただなかに居た。
隣陣は後藤小納言又兵衛であった。

「又兵衛、麿はもうあかんようだのう。」
「潮でござりますれば」
「しお?」
「麿は海を見たことがないのじゃ、琵琶の湖のようだと聞くえ」
「左様でございます。ただ潮がございますれば」
「満ちてはやがてひいてゆくのじゃな」
「御意に」
「名門の誉高き足利も潮になりたいものよ。」
又兵衛は目を細め、戦闘が終局していくのを全身で感じていた。



575 名前: 557 投稿日: 02/07/20 21:59

半刻もせぬ内に、義昭の軍は瓦解した。
主将中納言の討ち死であった。

合戦経歴、数度のみ。
激号の行き交う戦場で討ち果てた将軍に全軍は沈むことなく
むしろ「我も続け」といわんばかりの勢いであった。

順次討ち果てていく軍勢の中に又兵衛はその凄まじき戦闘能力により生存していた。
見渡せば旗本を残すのみといった凄惨な状態であることに気づき声を発した。

「皆の衆、この辺が潮でござる。退くものは今が最後となり申した」
又兵衛は一息に続けた。
「中納言様の後光を追いかけ参る侍は我に続け!」
前面に展開していた島津の兵は後に様々な書記に記している。
「あの又兵衛こそ、日ノ本一の弓取りよ」

一条となった又兵衛の部隊(もはや数十人の集団ではあるが)は速度を増し
島津の本陣まで迫る勢いが一時あったものの、集中砲火を中心とした近代戦術の中に消えていった。

足利幕府の完全な消滅と、侍たちの武名を過去の遺産としらしめて
この一方的な会戦は終了した。


高槻城は本願寺に接収され、再び地方拠点を統括するにしかない機能的な要害へと戻った。
捕縛された武将は、引く手数多で本願寺陣営に歓待され、そして武名と共に老いていった。

おわり♪

576 名前: 557 投稿日: 02/07/20 22:03

長々とすみませんでした。
一発書きだったので、文脈に奇怪な点もあったと思いますが
何卒許してください。

又兵衛に固執したのは、最近司馬遼太郎の「城塞」を読んだ影響でした。

天翔記は短時間で楽しめる丁度良いSLGなので
これからもみなさんと共に楽しんでいければなと思います。

よかったら変なとこや、ここは良かった(糧になりますので)ってところを
教えていただけましたら光栄です・・。

それでは失礼しました。


615 名前: 557 投稿日: 02/07/23 17:35

足利義輝 室町幕府繁盛記

1560年、初秋。
京の町は賑わっていた。
義輝の重商政策を発してからというもの
山城では通行税を撤廃し堺-美濃の中継都市的な色合いを明確に打ち出し
幾多の荷駄が行き交うようになった。
この年、伏見近辺で農作物の収穫量も上々で
さらに都の勢いを増す結果となっていた。

近隣の大名は、以前にも増して領土的野心を露にしていた。
仇敵今川を桶狭間により撃破した織田家は版図の拡大に努め
今や美濃をも併呑し、現在さらに上洛を虎視眈々と目論んでいた。
越前では本願寺一向宗徒の暗躍がさらに激化し、
その勢力は越前から摂津まで、丁度袈裟を着たように伸びている。
西方では一時の隆盛を失ったものの未だに三好一族が精力的な軍事行動を展開している。



616 名前: 557 投稿日: 02/07/23 17:43

義輝はまず幕府の失墜した権威を取り戻さんと
大長征を計画していた。
近畿一体の守護の復権のため、流人化した旧来の守護大名を徴募していた。
そして新たに軍団を再編し、大兵力一個集中型の新戦術を発案し採用している。
土着的だった侍衆を、義輝の号令のもと指揮系統を一本化し
それを義輝自信が率いるといった豪胆なものであった。

しかし永らく合戦など自力では行っていなかった将軍家では
大将はもちろんのこと、中規模部隊を指揮する侍大将にさえ枯渇する状態であった。

軍容の強化・商業の発展。
この二大政策に大きな推進力を得た足利十四代将軍家は1560年を多忙の中に暮れる。

618 名前: 557 投稿日: 02/07/23 17:55

1561年初頭、織田・三好は動いた。
三好は南紀への版図拡大を企図し本願寺家を討伐に向かい、織田は北陸を目指し進発。
足利は波多野・一色氏と軍事同盟を締結、北国への備えとした。

義輝は人材を得た。
美濃斎藤家の没落により流浪していた稲葉一鉄・竹中半兵衛両氏であった。
足利家の歓待ぶりは余りあるほどであったと伝えられている。
将軍家譜代の細川に比肩するほどの知略をもって知られる竹中半兵衛は
さっそく重商政策において甚大な働きをもたらした。

また義輝が統括する軍団に稲葉一徹の武名が加わったことで
陣容は厚く強固なものにかわりつつある。


1561年、晩冬に織田家羽柴・柴田の両軍は競い合うように北国越前に到達した。
本願寺・朝倉氏は織田家の快進撃に後手後手を取り、大きくその勢力を減退させた。

三好家の畿内統一は難渋していた。
本願寺の新兵器鉄砲を中心とした火力に、名だたる将は撃破され
もはや亡国の一途をたどるかのようであった。




619 名前: 557 投稿日: 02/07/23 18:04

山城の国は周知のように広大な盆地である。
その限られた平野の中で、いま商業政策が大きな花を咲かせようとしている。
潤沢な資金源を得た足利家は、その黄金を背景に大長征を展開する準備が整ったと言ってもいい。

1562年初夏、織田軍は東海道から北国への越前まで
日ノ本に翼を広げた雁の如く横たわっていた。
山城と織田家が隣接したことにより、義輝の構想は他所に
両家の抗争が自然的に開始された。

圧倒的な物量で展開する織田家、充実した家臣団。
もはや足利将軍家は風前の灯火かのように見えた。

立ち込める戦乱の気配を察したのか、室町御所は
公家衆たちはなりを潜め、町では具足・米の価格が急騰した。



620 名前: 557 投稿日: 02/07/23 18:14

その頃、摂津では三好が大敗を喫し本願寺は大きく躍進することになる。
呼応したかのように越後の龍・上杉謙信は武田一門を大騎馬軍団により殲滅、
中原への大きな足がかりを作った。

そして将軍家に上杉家からの軍使が到来する。
「足利家との不戦協定を結びたし」
上杉家の家風が軍使にも浸透しているかのような堂々とした申し次であった。
義輝は軍使を慇懃に労い、ここに足利・上杉同盟が確立した。

畿内の勢力はほぼ三等分されたと言っていい。
西に本願寺、中央は足利将軍家、そして北と東に渡り近世勃興した織田家。

義輝と謙信の交流は日々盛んになり、織田家の後背を牽制するには十分であった。
来るべき決戦の日は刻一刻と近づいていた。

623 名前: 557 投稿日: 02/07/23 18:27

山城の国、肥沃な伏見平野は物流と人物往来の要衝となっている。
義輝はこの地を来るべき大会戦の予定戦場として想定していた。
東海道の終着を伸ばし、伏見まで引き入れ街道を整備。
大軍の進退を容易にせんと試みている。
見渡す限りの京の都での防戦は不利であることは過去の歴史が教えている。

織田家は伊勢を越えて山城に進入するだろう、さればこの山の多い盆地を利用し
大軍を隘路に誘い込み疲労の極まったところを強襲し壊滅に追いやるとい構想である。

竹中半兵衛は兵法の天才と名高く、義輝は半兵衛を重んじている。
家臣団の不和が生ずる間もなく、義輝の重商政策の成功により一丸となっていた。

1565年盛夏、武田信玄討死。
上杉家は大きく関東に躍進する。
北条家は防戦一方で、天下の名城小田原城を頼みに焦土戦術を展開している。
風雲急を告げる。

それぞれの家中で、これから起こり得るかつてない規模の戦闘行為の趨勢に
さまざまな憶測が飛び交い、狂喜し恐怖していた。
足利幕府は、その樹立以来の正念場と大きな盛り上がりを見せている。
畿内は灰色の戦雲に包まれやがて来るその時を静かに見守っていた。



624 名前: 557 投稿日: 02/07/23 18:43

1566年、動静は躍動の色を見せた。
上杉家は旧武田領を巡りついに織田家との戦闘状態に突入。
時を置かず義輝は本願寺に密使を派遣する。
西方の憂いを取り除き、織田家を挟撃しようとの半兵衛の献策であった。

「承知」

本願寺にとっても毛利・長宗我部・大友の一大勢力の台頭により
畿内にのみ固執してはいられない状態に陥っていたのである。
南紀鈴木家は強固たる軍団を保持し、その軍団により北方を恫喝し続けている。

義輝は大いに喜び、尊氏以来といっても過言ではない大軍略に興奮した。
稲葉・竹中・義輝の一軍は颯爽と進発した。

上杉謙信は織田家精鋭を意に介さず軍勢の速度は増す一方であった。
一時的に伸びきった勢力は次第に厚みのある軍陣を整え
近隣大名は謙信を軍神と畏敬し戦端を開こうとはしなかった。
北条家は関東の西方面を失い、いまは里見・佐竹氏との攻防に忙殺されている。

まさに時得たりと、有史以来初とも言える壮大な足利・上杉両軍による大挟撃戦が始まろうとしていた。



625 名前: 557 投稿日: 02/07/23 19:09

上杉家は既に越後南端に謙信を中心とする騎馬軍団を展開させている。
足利家との会合点は近江の観音寺城近辺となるだろう、半兵衛は目算している。

義輝は瀬田を越え、大津に軍勢を置く林・佐久間勢と対峙した。
足利総勢は19,500を数え、上杉謙信に習い騎馬を中心とした機動部隊であった。
迎える林・佐久間勢は近隣の諸侯を寄せて24,000である。

戦場での兵数把握は、戦火の前に置いては恐怖も加味し大幅に誤算する。
それに両軍は実数よりも多めの兵数を呼称し合うので
各将たちには、想像以上の大軍決戦のように感じるものだった。

琵琶湖を傍目に眺めての対陣は雅さを否応にも感じさせた。
前哨部隊は本隊より大きく進軍し、自然両軍は衝突し戦端は開かれた。

多数の斥候が両軍変わらず放たれ、次第に合戦規模が現実的な規模に形成されていった。

義輝は初戦において兵数の損害を最小限に食い止めるため
半兵衛を本陣に呼んだ。

「あれの容易は周到か」

端的な応答が繰り返された後、半兵衛は一旦後退した。

林・佐久間勢は幾多の戦乱を駆け抜けてきただけあり
その戦闘指揮に関して目を見張るものがあった。
佐久間などは陣頭に立ち兵を叱咤し、その怒号は敵味方を越えて震撼させた。

足利家先鋒、稲葉一徹も美濃における激戦をかいくぐった名将だけに
織田の精鋭をもろともせず、佐久間同様に兵をたくみに操った。
野戦は先鋒によってその帰趨を分ける。
両軍は体得したその事実を秘め、狂騒し敵へ踊りかかる。

佐久間は後詰の部隊に気を大きくし
猛攻という猛攻に次いで足利家へ執拗な打撃を浴びせてくる。

それに対し稲葉一徹は後方部隊に槍衾をもってしのぎ
敵陣の伸びきった要所を一瞬にして見出し、騎馬部隊を神速で突入させ大いに奮戦した。

しばらく一進一退が続き、五分五分の槍合わせとなった。

先鋒の奮戦に義輝は床几から幾度も立ち上がり
近習に幾度となく洩らしたと言う。

「槍を持て!我が旗を進めよ!征夷大将軍の名を辱めるではないぞ」

650 名前: 557 投稿日: 02/07/24 14:53

戦闘は続いていた。
各軍の先鋒は初戦から混戦している。
均衡した兵力と指揮官の作戦遂行能力に、
膠着状態に陥ったと言っても過言ではなかった。

義輝は焦っていた。
近隣の緒城で沈黙を守る敵勢力に対して
このまま消耗戦を展開すれば苦戦は必至であり
さらに今次会戦が終了した後の守兵数にも影響する。


戦場は深い霧に包まれ、
あたかも各軍勢の将兵の思惑が滲み出したような要諦を成していた。




651 名前: 557 投稿日: 02/07/24 14:54

義輝の不安が晴れるにはそう時間はかからなかった。
後続の鉄砲部隊が来着したのだ。
当時本願寺・島津をはじめ各大名で鉄砲という新兵器が投入され始めていたが
その高価な飛び道具をして戦術を成した部将は未だ存在しなかった。
足利義輝がその名を後世に残らしめる新戦術を展開させるのはまさにこの会戦であった。
潤沢な資金源を活かし、整備された近江-伏見-摂津・堺の商業ルートは
足利家に金銀以上の利益をもたらしていたのである。




652 名前: 557 投稿日: 02/07/24 14:55

義輝は種子島と呼ばれた新兵器を大量に揃え、鉄砲足軽という専属の部隊を展開させた。
敵地における地理的困難が彼らの来着を遅らせる結果となったが
初戦に勢いづいた敵勢力を誘引するには最良の結果となっていた。

五割の戦力となった稲葉一徹を一度後退させ、義輝直属の旗本10,000旗が最前線に突入を開始した。
地形は隘路になっており、義輝はその両側の高地に大兵力を配置した。
後詰であった和田鉄砲隊5,500と、同じく鉄砲編成の竹中4,000が隘路を塞ぐように展開した。
鶴翼に構成された足利軍の士気は、この会戦に家運が賭けられていることを
雑兵までもが体感していたため、一糸乱れず連動している。




653 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 02/07/24 14:55

将軍家の格式は高い。
京において、後世にも語り継がれて行くことになる諸作法を形式化させた足利家は
諸事において美しさを明確に打ち出そうとしている。
それは軍陣においても同様に、戦場への軍装というものは華麗極まりなかった。
古式の礼法にのっとり家中のものすべてが着飾り、中には化粧をする侍もいた。

義輝はこの戦乱の時代において、旧守護大名が追放され・淘汰された要因のひとつが
これにあるのではないかと考えていた。
伝統のみを良しとし、新興のものを排除する。
それは非効率の存続であり、進化する時勢を否認することであった。




654 名前: 557 投稿日: 02/07/24 14:56

義輝は択一を迫られていた。
新たに参入してくる近代的な思想「下克上」を持った侍を眺め
物事の進退について合理性の導入について考えるようになっていたのだ。
遥か源平の御世からの名家である島津においては
その風土がそうさせるのか極めて合理的であった。
貴族政治を執行する足利家にとって、滅亡は断じて起こってはならないことで
義輝は決断していたのだった。




655 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 02/07/24 14:56

新戦術の導入、荘園の縮小、寺社衆の統制、貨幣経済の奨励。
薄らかな思いつきであったにしても側近である細川・竹中の天才は
その構想をいとも簡単に行政化したのであった。
その結果としての新兵器鉄砲の大量導入である。

その新生足利家の象徴が形となり、いま大軍を率いて
実際に義輝とともにその勇ましい陣容を展開させていた。
硝煙は燻る匂いをあげ、射撃を開始させた。




656 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 02/07/24 15:05

一斉射撃三連は大音声をあげ、濃霧をも払拭していった。
霧が晴れゆくにつれて、地面に臥した敵兵の姿が露になっていった。
義輝はその凄惨な状況に戦慄した。

味方の陣営の騎馬たちも、雷撃のような響きに震撼したが
戦場に長けた各隊長の指揮のもと混乱を生じることは無かった。
寸刻の後、隘路に伸びきった敵将佐久間の率いる軍勢に向け突撃を繰り返した。
佐久間自身ですら一瞬の出来事に何がおこったのかわからず、部隊は哀れにもおびえきってしまった。
退くにも退けず、両脇から襲い来る騎馬武者を支えることも出来ず混乱は広まった。

「我が部隊、惨めにも壊乱す」
敗走する佐久間が力なく発した言葉は、未だに続く鉄砲の射撃音にかき消された。




657 名前: 557 投稿日: 02/07/24 15:14

佐久間は後詰の部隊へと合流のせんと行軍(敗走)中に捕縛された。
後詰の林部隊は周辺城の部隊と共に進軍する。
前線での佐久間の全滅、未だに信じがたい表情で速度はむしろ増している。

「重畳至極」
義輝の兵への言葉は、この一つ目の勝利に絶対的な信頼を得た。
義輝の本体はさらに新戦場へと行軍を開始した。
本陣が囮とも言える作戦に、義輝の側近は苦渋の顔を未だに拭えないでいるが
義輝当人は、既に戦塵を浴び一個の大将としての風格を纏い始めた。
かつて或る剣豪に剣術を指南させ、剣豪将軍と呼ばわれた姿は
さらに翼を広げ、いまやその才は一介の剣豪を飛躍し総大将として君臨している。
隘路を抜け平野に出た。

眼前には林を主将とする織田家精鋭が到着しつつあった。

659 名前: 557 投稿日: 02/07/24 15:35

両軍の本隊が終結しようとしている。

畿内の併呑を意図する足利家ほぼ全軍と、上洛を本懐とする織田家の衝突は
ここに現実のものとなっている。

両軍の兵数の均衡が破れた今、林は戦闘前の驕りは無くなっていた。
織田家譜代の林は敗北による家中での立場と、そして何より信長による叱責を
もっとも恐怖し、その絶対的な恐怖に牽引され突撃を開始した。

直後、一騎の母衣武者が義輝のもとに駆け込んだ。
「合戦のおり、諸事の礼式御免仕る。拙者我が君主上杉謙信の名代にて参上す。」
母衣武者は一息に続けた。
「有史稀無き会戦にて候。かねてよりの盟約により上杉謙信推参、今より挟撃を試みん。」

義輝は本営の陣幕に囲った御簾を斬鉄刀一刀のもと切り捨て
「大儀である。上杉勢の助力なくして日ノ本に和の一字なし。」
「両家の繁栄をこの一戦に託すべし。」

母衣武者と義輝は数度言葉を交わし、そして母衣武者は颯爽と帰参していった。
「何と頼もしげな弓取りよ、敵は目前ぞ。遅れを取るな、かかれ!」

凄惨な地上の光景と反し、琵琶は深蒼の水面をたゆませ涼やかな風に波立っていた。