正義の味方Ⅳ -Believe your justice- ◆F.EmGSxYug
グレートクラッシャーが消えていく。
同時に、あたい自身の緊張の糸も盛大に切れた。
……とたんに、立つことさえ、おぼつかなく、なって。
「あ……」
「――チルノさんは、強いね」
倒れこみかけた体を、ぎゅっと文に抱きしめられた。
……暴れる気は起きなかった。というか、実際、休みたい。
危険だとは思わなかった。だって、あたいは文を、信じてる。
「けれど、それは多分、きっと脆いわ」
「え?」
だから、その言葉は、唐突だった。
突然の否定する言葉に、思わず息を漏らした。
「例えば人は、いつまでも同じままではいられない。
知恵を持ったのに短い人の生は、すぐ変わってしまう。
それは色んなことを知ってしまうから。それを観測する自分も変わってしまうから。
多くの感情を、新しい感情で塗りつぶして生きていく。
──十年後の自分が、今のままの自分であるかどうかは、人には分からない」
抱きしめられたまま、言葉を聴く。
何を、と口を挟めない。
分かっている。
文がどういう意図で言っているのか、心の奥底で分かっている。
「……もう分かったでしょう?
多数の情報と変化に晒される今のあなたはそれはきっと、生の短い、人の在り方」
――季節だって、いつかは死ぬ。
いつか閻魔に言われた言葉を、思い出す。
文があたいを否定してきた理由を、理解する。
そんな生き方を続ければ、お前は死ぬと。
……剣を握っていると自分が死にそうになった理由が分かった気がする。
違う世界の自分という存在……それに耐え切れなくて、魂が悲鳴を上げていた。
文があたいと戦って、今の在り方を否定してきた理由も、それを見越したから。
「けれど、人と違ってあなたは忘れることを許されない。
人は忘れることで生きることが出来る。けど、今のあなたは違う。
他の考えを無理やり押し込まれても、今の自分を保ち続けないといけない。
きっとその戦い方を続ける限り、あなたへの負担は大きい。
たぶん、長くは生きられない」
「でも、でも、あたいは――」
「止めないよ」
「え?」
「うん。私は負け犬だから。
だから、あなたを支えることにするわ」
声は春風のように。
やさしくあたいの中に、響いてきた。
「今のあなたは、ふとした拍子でまったく別のものになってしまう。
自分を保つために必要なのは、何を見て知っても、揺らがないきみ。
どんな苦しみも悲しみも痛みでも変わらないくらいの。
それなら腕が千切れようが、足を斬り落とそうが、大丈夫。
それに必要なのは本物のきみを知り、それを確信し続けること。
どこまでも一つのことを信じ続け、貫き通す馬鹿になること。
それがきみに必要な「最強」──それがなくなったんじゃないかと思ったのよ。
戦って否定したけど、杞憂だった。もう私に打ち勝てたきみなら、出来るわ」
「…………あ」
文の表情は見えないけど、きっと穏やかな顔をしてるって分かる。言葉の、意味も。
だけど――いや、だからか、慌ててあたいは、文を押し返して、離れた。
「な、なんか、恥ずかしいよ……」
「……真面目に言ってみたんですがー」
顔を背ける。
……別に、文が悪いわけじゃない。
あたいはこうやって、褒められたことがなかった。
いつもいつも馬鹿にされるだけで、誰もまともに取り合ってなんかくれなかった。
だから……こういうとき、どんな顔をすればいいのか、分からない。
必死にどうすればいいのか考えるあたいに、差し伸べられる、手。
「こ、今度は、なによ」
「あくしゅ。
対等の相手として、協力するわ。
二人で……このふざけた殺し合いを、ぶち壊そうかな、という証」
「……えへへ!」
笑顔の文に、あたいも、迷いながら手を差し伸べる。
負担は大きかった。疲労もかなり溜まっている。
けれど、文の手を取った瞬間、そんなことが気にならないくらい心は軽くなった。
最強のあたいたち二人なら――絶対、どんな困難にだって打ち勝てるんだから。
そう思った瞬間の、銃声。
「……え?」
分からない。
夜の闇の中を、文が倒れていく。
分からない。
体に穴が開いて、血が流れている。
分からない。
その瞳は、一瞬にして濁って――
■
B-2北西端。オフィスビルから離れた地点、A-1・A-2・B-2の境界ギリギリ。
そこに、大きな車の影があった。一般的に、ロードローラーと呼ばれるものだ。
「こいつがいなかったらどうする気だったんだよ」
「いたから任せたんだが」
「そりゃそうだろうけどな……」
そのすぐ側で話し合っている影があった。
タケモトと……オフィスビルからの撤退に成功した、ときちくの姿だ。
ときちくが命じたのは、ネイティオによるテレポート。
ネイティオたちポケモンのテレポートは、最後に行った施設へと飛ぶ。
それは「入り口」へワープするのが功を奏した。
そのため裏口から入り口へとワープすることとなり、
同じオフィスビルのそばでも大幅に移動することとなったのである。
鍵を付けっぱなしだったロードローラーを奪取するというおまけつきだ。
ときちくが受けた銃弾も、幸いなのか不幸なのか貫通し残留していない。
そして確実に幸いなのは、重要な血管・筋肉を貫通していないこと。
あとは傷口が雑菌に感染しないかどうか。こればかりはなんとも言えない。
「とりあえず水で洗ったぞ」
「傷口を塞げるような清潔な紙は……ないよな。ったく、お前は」
手当てを済ませたときちくの愚痴が、突如遮られる。
ロードローラーが起動したエンジン音によって。見上げる二人。
そこには、いつの間にかロードローラーに騎乗したグラハムの姿があった。
「悪いな。フラッグを迎えに行かせて貰うぞ!」
「って、おい!」
「馬鹿な、テープは……」
いつの間にか腕がフリーになっているグラハムにタケモトは驚きかけ……
理由に思い当たって、諦めたように首を振った。
よくよく考えればタケモトはグラハムを引っ張る時、テープを掴んでいた。
他にちょうどよく掴める場所がなかったからだが、確実にそれが原因だろう。
ときちくがネイティオを再度呼び出して止めさせようとしたが、痛みで動きが鈍り、
立ち直った時にはもう、異様にアグレッシブな運転技術でグラハムはその場を離れていた。
■
「やったわ、レン! 仇を討ったわ!」
呆然とするチルノを余所に、リンの声が響く。
その手にあるのは、拳銃。ときちくが落としていったもの。
凍ってしまったように動かないチルノをよそに、リンは全身で喜びを表現していた。
泥沼のように暗い闇の中で、チルノはぽつりと呟いた。
「……なんで、殺したの」
「え? わざと動きを止めて騙し討ちにするって作戦だってドナルドが……
あ、れ、ドナ……ルド……?」
喜びから一転、リンは捨てられた子犬のように周囲を見渡していた。
彼女の周囲には、誰もいない。彼女の周りには、暗闇しかない。
その中を、幽鬼のようにチルノが歩きはじめた。リンへ向けて。
「なんで、殺したって、聞いてる」
「え……え……だ、だって、レンの仇、だもの、復讐に決まって……」
慌ててリンは、違う語句を紡ぎだろうとし……失敗した。
チルノは何もしてない。ただ、歩いているだけだ。
それだけなのに、リンは、肺を凍らされたような錯覚を覚えた。
「……自分のやったことを、そういう理由で正当化するのなら。
あたいがあんたを殺しても文句は言わないのね。
そういう覚悟は、あるのよね……?」
「な、なに……を……」
もう少しで、剣が届く距離だ。
慌てて、リンは拳銃を構えようとし。
「ひ……がふっ!?」
一瞬で踏み込んできたチルノに、殴り飛ばされていた。
苦悶の声を上げながら吹っ飛ぶ。折れた歯が落ちる。
それに、チルノは馬乗りになり。
「た、たすけ……」
「殺さないわよ!」
更に殴る。子供の喧嘩のように殴り続ける。
ごめんなさい、ごめんなさいと泣きながらうわ言のように言い続けているリンに、
痛みを与え、凄惨でみっともなく……致命傷には程遠い一撃を続ける。
その中でチルノは叫び続ける。殺さない、殺さないと。
リンに対しての言葉ではない。
それは自分自身への言葉であり、文に対する誓いの言葉。
「あたいの前で、誰かが勝手に死ぬことなんて――絶対に嫌だっ!!!」
たとえ、大切な相手の仇でも、殺さない。
それは、決して折れぬ誓いの表現であり。
――だからこそ僕は、彼女は何よりもつまらないと、見切りを付けた。
問題はない。先ほどの戦いを観察する中で、彼女の異常の正体に気付いたのだから。
故に。もう、用はない。
■
チルノの拳は、自分の拳の皮が裂けるほど動いてから、止まった。
リンは無事だ。顔は殴られ続けて凄惨な様子だが、何の障害もない。
気絶……というよりはむしろ、泣き疲れて眠り込んでいる、の方が近いだろう。
「はぁ……はぁ……はぁ……う、くっ……」
リンと違って、彼女は涙は流さない。
はじめて本気で自分を褒めてくれた相手を失った、悲しみはある。
きっとチルノは、この時のことを永遠に忘れない。
それでも、流さない。
それでも、殺さない。
殺してしまえば、文から受け取った言葉が無駄になってしまう。
だから、殺さない。例え、文の仇でも。
チルノは、そういう生き方を選んだ。選んでしまった。
ふらふらと、夢遊病患者のように、チルノは立ち上がり……
いきなり顔を上げて、叫び声を上げた。何かを、感じ取って。
「誰よ……そこで、笑ってるのは!
一人だけ偉そうに、何もかも支配してるって声で、ほくそ笑んでるのはぁ!」
「ドナルドだよ☆」
闇が、破れる。カーテンが開いたように。
オフィスビルから遅れて出てきたドナルドが、笑いながら答える。
スポットライトを浴びた役者のごとき存在感で、ランサーアサルトを構えながら。
チルノは反射的にバスタードチルノソードを握り締めると、斬りかかった。
ドナルドはランサーアサルトを撃たず……チェーンソー部分でそれを受ける。
「リンに銃を渡したのは、あんたなの!?」
「うん☆」
「あたいと文の戦いをずっと見ていて、わざと機を窺って、
わざと自分じゃなくてリンに撃たせたの!!?」
「もちろんさぁ☆」
「ふざけるなぁあああああああああ!」
「ふざけないと、この世の中面白くないと思うけどねぇ☆」
「うあああああああああああああっ!!!」
道化師の笑いは、チルノを激昂させた。
彼女が剣を握り締める度に溢れ出す霊力の嵐。
それを見て、更に道化師の笑みが歪む。
「そうだ、もっとさ……
もっと開いて、繋がって貰わないと、困るんだ」
「なにを訳わかんないことをっ――」
「そうじゃないと、あのカラス天狗は無駄死にだよ?
君の死という形でねぇ!!!」
「――あいつを……文をっ! バカにするなあああああああああ!!!」
肥大化する力。ドナルドの間近で開く、並行世界への扉――
常人ならば目視できないが、ドナルドだからこそ感知できるもの。
そこに、ドナルドは自らの魔力を流し込み、繋げた。
■
「ん……」
右上と呼ばれる男は、ふと足を止めた。
F-5の調査を終え、デパートの探索の最中。
地味で嫌な作業だが、別に飽きたわけではない。
ふざけた無駄ばかりの男だが、自分の興味がある限り職務には忠実だ。
いくらこんな作業でも、サボる気はない。
それはつまり、右上ですら足を止めざるを得ない何かが起きたのだ。
何かを探るかのように、遠くを見ていた右上だったが……
しばらく後、部下の声で慌てて意識を戻した。
「隊長。報告は以上ですが……」
「……あ、いやすまん、聞き逃した」
「こちら側の調査は終わりました、異常ありません。
もう少しデパートの探索を続けますか、それとも他の施設を?」
「ん……あぁ、そうだな、デパートの探索は切り上げよう。
次は……いや、悪ぃがお前らだけで映画館に向かえ。
俺は運営長に報告しねぇといけねえことが出来た」
「了解しました」
右上の指示に従い、部隊が移動し始める。
それを確認した後、右上は厳しい眼で西を見やった。
「……また、繋がりやがったってのか?」
■
「いったい……何」
気付けば、チルノは弾き飛ばされていた。
分かったのは、一瞬、世界が歪んだような感覚……
――そして、その向こうに、ドナルドは立っている。
「ラン・ラン・ルー! そうさ、これが力さ!
僕が追い求めていた――☆」
ドナルドの元へ、何かが集まっていく。
月の光があっても見えない、しかし夜闇があっても感じ取れる異形。
それは、まるで悪意を集約したような……魔力の塊。
――元々ドナルドはチルノの異常に気付いていた。その起こる要因にも。
もっとも、剣を握ると精神に異常が起こる、くらいしか分かっていなかったが。
そのため文とチルノが戦っていた時にずっと、
ドナルドはドナルドマジックの副産物で探っていた、その正体を。
リンを先に差し向けたのも、探るためだ。
割り込む上でもっとも上等な状況と……
チルノが剣を握った時、何が起こるのかということを。
そして気付いたのだ。彼女の力の源に。
「すごいねぇ……これが向こう側の世界の力☆
みんなに分けてあげたいくらいさぁ!」
後ずさるチルノに対し、ドナルドは高笑いを続ける。
チルノですら……いや、今のチルノだからこそ、分かる。今のドナルドの危険性が。
――ドナルドはそれを自分も利用できる、と判断した。
だからこそ、敢えて挑発し、全力を出させ、間近で他の世界との繋がりを持たせ。
ドナルドマジックを通じてアクセスし……そして得た。
並行世界と繋がる力を。
それがどれほどの効力を及ぼすか。
それは、チルノを見れば、明らかだ。
「君を参考に得た君の力――さっそく君で試してみようか☆」
「っ……やれるモンならやってみなさいよッ!!!
グレート、クラッシャー!」
依然、銃弾を撃たずドナルドは飛び込んでくる。まるで自分の力を試すように。
ふらつく体に鞭打って、チルノは再度氷槌を編み上げた。
剣技を操れる筋力で持って、その偉大なる破壊者を振りかざす。
それを迎え撃ち、火花を上げるはチェーンソー。それも、片腕での操作。
普通に考えれば結果は明らか――しかし。
「どうしたんだい☆ さっきの戦いでの君の戦闘力は明らかに僕より上だったよ?」
「こん、のおっ……!」
圧されている。
グレートクラッシャーが、圧されている。
理由は言ってしまえば単純、ドナルドマジックでチェーンソーと身体能力を強化しているだけ。
……だが、今のドナルドは、魔力のストックがほぼ無限に等しい。
つまりその出力が許す全開で、常時ドナルドマジックを使えるということ――!
「まあそれだけ君が弱っていて……僕がそれだけ強くなったってことだけどねぇ!
それを確認出来たし、死んで貰おうか☆」
「あ、ああああああああああああああああっ!!」
吼える。
氷とチェーンソーが擦れあう音が、凄まじい音を奏であげる。
全ての力を、チルノはグレートクラッシャーへ継ぎ込み……吹き飛んだ。
チェーンソーによって氷槌は両断され、チルノ自身もまた斬り付けられた。
血の痕を残しながらチルノは数mの距離を転がり、無様に倒れる。
出血と痛みで気が遠くなりながらも、チルノの脳裏に浮かんだのは――
憎悪でも怒りでも悔恨でもなく、疑問だった。
(……おかしい。
あたいは握るだけでこんな死にそうなのに、あいつはまるで辛い様子が……)
ドナルドもまた、チルノと同じく並行世界の自分をコピーしているなら。
ドナルドもチルノと同じ症状を訴えているはずだ。
なのに、それがない。それは、つまり……
(……何か、違いがあるってこと?)
閃いた。
何より大切なことは、ドナルド自身はチルノと同じ力だと勘違いしていることだ。
チルノがドナルドを攻略するとすれば、それが鍵になる。
鍵になるのに……指一本、動かない。それどころか、瞼さえ勝手に閉じられていく。
いくら気を張っても、視界が暗くなっていく。
そんな中見えたのは――歩いてきたドナルドが、チェーンソーを振り上げている姿。
「じゃあ、おしまいにしようか……
感謝してるよ、この力があればタケモト達を従わせるのも簡単さぁ☆」
その表情は、相変わらずの笑顔。残酷で、恐怖を想起させるものに塗れた。
反撃しようとしても、恨み言を言おうとしても、何も出来ない。
何もできないまま、何もかもが消えていく。
その中で、チルノは少し、幻聴を聞いた。
「――疾走、風靡!」
自分もロマンチックなところがあるんだなぁ、とチルノはふと笑った。
最期に見るものが、死んだはずの好きなやつが助けてくれるなんて幻なんだから――
■
同時に、あたい自身の緊張の糸も盛大に切れた。
……とたんに、立つことさえ、おぼつかなく、なって。
「あ……」
「――チルノさんは、強いね」
倒れこみかけた体を、ぎゅっと文に抱きしめられた。
……暴れる気は起きなかった。というか、実際、休みたい。
危険だとは思わなかった。だって、あたいは文を、信じてる。
「けれど、それは多分、きっと脆いわ」
「え?」
だから、その言葉は、唐突だった。
突然の否定する言葉に、思わず息を漏らした。
「例えば人は、いつまでも同じままではいられない。
知恵を持ったのに短い人の生は、すぐ変わってしまう。
それは色んなことを知ってしまうから。それを観測する自分も変わってしまうから。
多くの感情を、新しい感情で塗りつぶして生きていく。
──十年後の自分が、今のままの自分であるかどうかは、人には分からない」
抱きしめられたまま、言葉を聴く。
何を、と口を挟めない。
分かっている。
文がどういう意図で言っているのか、心の奥底で分かっている。
「……もう分かったでしょう?
多数の情報と変化に晒される今のあなたはそれはきっと、生の短い、人の在り方」
――季節だって、いつかは死ぬ。
いつか閻魔に言われた言葉を、思い出す。
文があたいを否定してきた理由を、理解する。
そんな生き方を続ければ、お前は死ぬと。
……剣を握っていると自分が死にそうになった理由が分かった気がする。
違う世界の自分という存在……それに耐え切れなくて、魂が悲鳴を上げていた。
文があたいと戦って、今の在り方を否定してきた理由も、それを見越したから。
「けれど、人と違ってあなたは忘れることを許されない。
人は忘れることで生きることが出来る。けど、今のあなたは違う。
他の考えを無理やり押し込まれても、今の自分を保ち続けないといけない。
きっとその戦い方を続ける限り、あなたへの負担は大きい。
たぶん、長くは生きられない」
「でも、でも、あたいは――」
「止めないよ」
「え?」
「うん。私は負け犬だから。
だから、あなたを支えることにするわ」
声は春風のように。
やさしくあたいの中に、響いてきた。
「今のあなたは、ふとした拍子でまったく別のものになってしまう。
自分を保つために必要なのは、何を見て知っても、揺らがないきみ。
どんな苦しみも悲しみも痛みでも変わらないくらいの。
それなら腕が千切れようが、足を斬り落とそうが、大丈夫。
それに必要なのは本物のきみを知り、それを確信し続けること。
どこまでも一つのことを信じ続け、貫き通す馬鹿になること。
それがきみに必要な「最強」──それがなくなったんじゃないかと思ったのよ。
戦って否定したけど、杞憂だった。もう私に打ち勝てたきみなら、出来るわ」
「…………あ」
文の表情は見えないけど、きっと穏やかな顔をしてるって分かる。言葉の、意味も。
だけど――いや、だからか、慌ててあたいは、文を押し返して、離れた。
「な、なんか、恥ずかしいよ……」
「……真面目に言ってみたんですがー」
顔を背ける。
……別に、文が悪いわけじゃない。
あたいはこうやって、褒められたことがなかった。
いつもいつも馬鹿にされるだけで、誰もまともに取り合ってなんかくれなかった。
だから……こういうとき、どんな顔をすればいいのか、分からない。
必死にどうすればいいのか考えるあたいに、差し伸べられる、手。
「こ、今度は、なによ」
「あくしゅ。
対等の相手として、協力するわ。
二人で……このふざけた殺し合いを、ぶち壊そうかな、という証」
「……えへへ!」
笑顔の文に、あたいも、迷いながら手を差し伸べる。
負担は大きかった。疲労もかなり溜まっている。
けれど、文の手を取った瞬間、そんなことが気にならないくらい心は軽くなった。
最強のあたいたち二人なら――絶対、どんな困難にだって打ち勝てるんだから。
そう思った瞬間の、銃声。
「……え?」
分からない。
夜の闇の中を、文が倒れていく。
分からない。
体に穴が開いて、血が流れている。
分からない。
その瞳は、一瞬にして濁って――
■
B-2北西端。オフィスビルから離れた地点、A-1・A-2・B-2の境界ギリギリ。
そこに、大きな車の影があった。一般的に、ロードローラーと呼ばれるものだ。
「こいつがいなかったらどうする気だったんだよ」
「いたから任せたんだが」
「そりゃそうだろうけどな……」
そのすぐ側で話し合っている影があった。
タケモトと……オフィスビルからの撤退に成功した、ときちくの姿だ。
ときちくが命じたのは、ネイティオによるテレポート。
ネイティオたちポケモンのテレポートは、最後に行った施設へと飛ぶ。
それは「入り口」へワープするのが功を奏した。
そのため裏口から入り口へとワープすることとなり、
同じオフィスビルのそばでも大幅に移動することとなったのである。
鍵を付けっぱなしだったロードローラーを奪取するというおまけつきだ。
ときちくが受けた銃弾も、幸いなのか不幸なのか貫通し残留していない。
そして確実に幸いなのは、重要な血管・筋肉を貫通していないこと。
あとは傷口が雑菌に感染しないかどうか。こればかりはなんとも言えない。
「とりあえず水で洗ったぞ」
「傷口を塞げるような清潔な紙は……ないよな。ったく、お前は」
手当てを済ませたときちくの愚痴が、突如遮られる。
ロードローラーが起動したエンジン音によって。見上げる二人。
そこには、いつの間にかロードローラーに騎乗したグラハムの姿があった。
「悪いな。フラッグを迎えに行かせて貰うぞ!」
「って、おい!」
「馬鹿な、テープは……」
いつの間にか腕がフリーになっているグラハムにタケモトは驚きかけ……
理由に思い当たって、諦めたように首を振った。
よくよく考えればタケモトはグラハムを引っ張る時、テープを掴んでいた。
他にちょうどよく掴める場所がなかったからだが、確実にそれが原因だろう。
ときちくがネイティオを再度呼び出して止めさせようとしたが、痛みで動きが鈍り、
立ち直った時にはもう、異様にアグレッシブな運転技術でグラハムはその場を離れていた。
■
「やったわ、レン! 仇を討ったわ!」
呆然とするチルノを余所に、リンの声が響く。
その手にあるのは、拳銃。ときちくが落としていったもの。
凍ってしまったように動かないチルノをよそに、リンは全身で喜びを表現していた。
泥沼のように暗い闇の中で、チルノはぽつりと呟いた。
「……なんで、殺したの」
「え? わざと動きを止めて騙し討ちにするって作戦だってドナルドが……
あ、れ、ドナ……ルド……?」
喜びから一転、リンは捨てられた子犬のように周囲を見渡していた。
彼女の周囲には、誰もいない。彼女の周りには、暗闇しかない。
その中を、幽鬼のようにチルノが歩きはじめた。リンへ向けて。
「なんで、殺したって、聞いてる」
「え……え……だ、だって、レンの仇、だもの、復讐に決まって……」
慌ててリンは、違う語句を紡ぎだろうとし……失敗した。
チルノは何もしてない。ただ、歩いているだけだ。
それだけなのに、リンは、肺を凍らされたような錯覚を覚えた。
「……自分のやったことを、そういう理由で正当化するのなら。
あたいがあんたを殺しても文句は言わないのね。
そういう覚悟は、あるのよね……?」
「な、なに……を……」
もう少しで、剣が届く距離だ。
慌てて、リンは拳銃を構えようとし。
「ひ……がふっ!?」
一瞬で踏み込んできたチルノに、殴り飛ばされていた。
苦悶の声を上げながら吹っ飛ぶ。折れた歯が落ちる。
それに、チルノは馬乗りになり。
「た、たすけ……」
「殺さないわよ!」
更に殴る。子供の喧嘩のように殴り続ける。
ごめんなさい、ごめんなさいと泣きながらうわ言のように言い続けているリンに、
痛みを与え、凄惨でみっともなく……致命傷には程遠い一撃を続ける。
その中でチルノは叫び続ける。殺さない、殺さないと。
リンに対しての言葉ではない。
それは自分自身への言葉であり、文に対する誓いの言葉。
「あたいの前で、誰かが勝手に死ぬことなんて――絶対に嫌だっ!!!」
たとえ、大切な相手の仇でも、殺さない。
それは、決して折れぬ誓いの表現であり。
――だからこそ僕は、彼女は何よりもつまらないと、見切りを付けた。
問題はない。先ほどの戦いを観察する中で、彼女の異常の正体に気付いたのだから。
故に。もう、用はない。
■
チルノの拳は、自分の拳の皮が裂けるほど動いてから、止まった。
リンは無事だ。顔は殴られ続けて凄惨な様子だが、何の障害もない。
気絶……というよりはむしろ、泣き疲れて眠り込んでいる、の方が近いだろう。
「はぁ……はぁ……はぁ……う、くっ……」
リンと違って、彼女は涙は流さない。
はじめて本気で自分を褒めてくれた相手を失った、悲しみはある。
きっとチルノは、この時のことを永遠に忘れない。
それでも、流さない。
それでも、殺さない。
殺してしまえば、文から受け取った言葉が無駄になってしまう。
だから、殺さない。例え、文の仇でも。
チルノは、そういう生き方を選んだ。選んでしまった。
ふらふらと、夢遊病患者のように、チルノは立ち上がり……
いきなり顔を上げて、叫び声を上げた。何かを、感じ取って。
「誰よ……そこで、笑ってるのは!
一人だけ偉そうに、何もかも支配してるって声で、ほくそ笑んでるのはぁ!」
「ドナルドだよ☆」
闇が、破れる。カーテンが開いたように。
オフィスビルから遅れて出てきたドナルドが、笑いながら答える。
スポットライトを浴びた役者のごとき存在感で、ランサーアサルトを構えながら。
チルノは反射的にバスタードチルノソードを握り締めると、斬りかかった。
ドナルドはランサーアサルトを撃たず……チェーンソー部分でそれを受ける。
「リンに銃を渡したのは、あんたなの!?」
「うん☆」
「あたいと文の戦いをずっと見ていて、わざと機を窺って、
わざと自分じゃなくてリンに撃たせたの!!?」
「もちろんさぁ☆」
「ふざけるなぁあああああああああ!」
「ふざけないと、この世の中面白くないと思うけどねぇ☆」
「うあああああああああああああっ!!!」
道化師の笑いは、チルノを激昂させた。
彼女が剣を握り締める度に溢れ出す霊力の嵐。
それを見て、更に道化師の笑みが歪む。
「そうだ、もっとさ……
もっと開いて、繋がって貰わないと、困るんだ」
「なにを訳わかんないことをっ――」
「そうじゃないと、あのカラス天狗は無駄死にだよ?
君の死という形でねぇ!!!」
「――あいつを……文をっ! バカにするなあああああああああ!!!」
肥大化する力。ドナルドの間近で開く、並行世界への扉――
常人ならば目視できないが、ドナルドだからこそ感知できるもの。
そこに、ドナルドは自らの魔力を流し込み、繋げた。
■
「ん……」
右上と呼ばれる男は、ふと足を止めた。
F-5の調査を終え、デパートの探索の最中。
地味で嫌な作業だが、別に飽きたわけではない。
ふざけた無駄ばかりの男だが、自分の興味がある限り職務には忠実だ。
いくらこんな作業でも、サボる気はない。
それはつまり、右上ですら足を止めざるを得ない何かが起きたのだ。
何かを探るかのように、遠くを見ていた右上だったが……
しばらく後、部下の声で慌てて意識を戻した。
「隊長。報告は以上ですが……」
「……あ、いやすまん、聞き逃した」
「こちら側の調査は終わりました、異常ありません。
もう少しデパートの探索を続けますか、それとも他の施設を?」
「ん……あぁ、そうだな、デパートの探索は切り上げよう。
次は……いや、悪ぃがお前らだけで映画館に向かえ。
俺は運営長に報告しねぇといけねえことが出来た」
「了解しました」
右上の指示に従い、部隊が移動し始める。
それを確認した後、右上は厳しい眼で西を見やった。
「……また、繋がりやがったってのか?」
■
「いったい……何」
気付けば、チルノは弾き飛ばされていた。
分かったのは、一瞬、世界が歪んだような感覚……
――そして、その向こうに、ドナルドは立っている。
「ラン・ラン・ルー! そうさ、これが力さ!
僕が追い求めていた――☆」
ドナルドの元へ、何かが集まっていく。
月の光があっても見えない、しかし夜闇があっても感じ取れる異形。
それは、まるで悪意を集約したような……魔力の塊。
――元々ドナルドはチルノの異常に気付いていた。その起こる要因にも。
もっとも、剣を握ると精神に異常が起こる、くらいしか分かっていなかったが。
そのため文とチルノが戦っていた時にずっと、
ドナルドはドナルドマジックの副産物で探っていた、その正体を。
リンを先に差し向けたのも、探るためだ。
割り込む上でもっとも上等な状況と……
チルノが剣を握った時、何が起こるのかということを。
そして気付いたのだ。彼女の力の源に。
「すごいねぇ……これが向こう側の世界の力☆
みんなに分けてあげたいくらいさぁ!」
後ずさるチルノに対し、ドナルドは高笑いを続ける。
チルノですら……いや、今のチルノだからこそ、分かる。今のドナルドの危険性が。
――ドナルドはそれを自分も利用できる、と判断した。
だからこそ、敢えて挑発し、全力を出させ、間近で他の世界との繋がりを持たせ。
ドナルドマジックを通じてアクセスし……そして得た。
並行世界と繋がる力を。
それがどれほどの効力を及ぼすか。
それは、チルノを見れば、明らかだ。
「君を参考に得た君の力――さっそく君で試してみようか☆」
「っ……やれるモンならやってみなさいよッ!!!
グレート、クラッシャー!」
依然、銃弾を撃たずドナルドは飛び込んでくる。まるで自分の力を試すように。
ふらつく体に鞭打って、チルノは再度氷槌を編み上げた。
剣技を操れる筋力で持って、その偉大なる破壊者を振りかざす。
それを迎え撃ち、火花を上げるはチェーンソー。それも、片腕での操作。
普通に考えれば結果は明らか――しかし。
「どうしたんだい☆ さっきの戦いでの君の戦闘力は明らかに僕より上だったよ?」
「こん、のおっ……!」
圧されている。
グレートクラッシャーが、圧されている。
理由は言ってしまえば単純、ドナルドマジックでチェーンソーと身体能力を強化しているだけ。
……だが、今のドナルドは、魔力のストックがほぼ無限に等しい。
つまりその出力が許す全開で、常時ドナルドマジックを使えるということ――!
「まあそれだけ君が弱っていて……僕がそれだけ強くなったってことだけどねぇ!
それを確認出来たし、死んで貰おうか☆」
「あ、ああああああああああああああああっ!!」
吼える。
氷とチェーンソーが擦れあう音が、凄まじい音を奏であげる。
全ての力を、チルノはグレートクラッシャーへ継ぎ込み……吹き飛んだ。
チェーンソーによって氷槌は両断され、チルノ自身もまた斬り付けられた。
血の痕を残しながらチルノは数mの距離を転がり、無様に倒れる。
出血と痛みで気が遠くなりながらも、チルノの脳裏に浮かんだのは――
憎悪でも怒りでも悔恨でもなく、疑問だった。
(……おかしい。
あたいは握るだけでこんな死にそうなのに、あいつはまるで辛い様子が……)
ドナルドもまた、チルノと同じく並行世界の自分をコピーしているなら。
ドナルドもチルノと同じ症状を訴えているはずだ。
なのに、それがない。それは、つまり……
(……何か、違いがあるってこと?)
閃いた。
何より大切なことは、ドナルド自身はチルノと同じ力だと勘違いしていることだ。
チルノがドナルドを攻略するとすれば、それが鍵になる。
鍵になるのに……指一本、動かない。それどころか、瞼さえ勝手に閉じられていく。
いくら気を張っても、視界が暗くなっていく。
そんな中見えたのは――歩いてきたドナルドが、チェーンソーを振り上げている姿。
「じゃあ、おしまいにしようか……
感謝してるよ、この力があればタケモト達を従わせるのも簡単さぁ☆」
その表情は、相変わらずの笑顔。残酷で、恐怖を想起させるものに塗れた。
反撃しようとしても、恨み言を言おうとしても、何も出来ない。
何もできないまま、何もかもが消えていく。
その中で、チルノは少し、幻聴を聞いた。
「――疾走、風靡!」
自分もロマンチックなところがあるんだなぁ、とチルノはふと笑った。
最期に見るものが、死んだはずの好きなやつが助けてくれるなんて幻なんだから――
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