第二話


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第二話


「ありがとうございましたー」
「ありがとうございました」
 一人は若干間延びした声で。もう一人は丁寧にこちらに向けて礼をし、そしてこの部屋から出て行った。
 扉を閉める時の二人の顔――背の低い溌剌そうな生徒はとても喜んでいたが、反面冷静そうな生徒は渋面であった。
 何にせよ、生徒の要望を叶え、なおかつ喜ばせた事に変わりはないのだ。やけに得意げな顔で、成美高校校長――如月ゆかは、えへん、と全く無い胸を張った。
 この如月ゆか、年齢はまだ二十代前半か後半に差し掛かったところであろうが、その外見は実年齢マイナス十二年くらいと言ったところである。
 要するに、彼女は小学生と間違わんばかりに背が低く、童顔で、体に凹凸がなかった。おそらく何も知らない者が見れば、何故高校の校長室でこんな小学生がふんぞり返っているのだろう、と疑問に思う事必至であろう。
「えへへ~、ゆか、今日も良いことしちゃったよぉ~。一日一善、これ基本! だよね、ユイちゃん?」
「……ハァ」
 ニコニコと無邪気な笑みを向けられた背が高く、理知的な風貌の女性――如月ユイ、ゆかの実の妹である――はこめかみに指を当ててため息を吐いた。
 姉が嬉しそうに報告してくるのは別に構わなかった。彼女が喜んでいるのを見れば自分も嬉しくはなる。
 だが、しかし――学校の予算を大きく狂わすイレギュラー要素を簡単に容認するのは如何なものか。
「あの子達、喜んでたなぁ~。えへ、えへへへへ。ゆか、校長の威厳示せてたよねぇ~。えへへへ」
 先ほどのやり取りを思い出してか、口元を綻ばせる我が姉の姿を見、ユイは思った。
(部活動を一つ増やすというのは、大変なことなのですよ……。それも、男子部員が必要不可欠な野球部なんて)
「あれ~、ユイちゃん表情が硬いぞぉ~? ほれほれ~」
「お姉様、止めて下さい……はぁ」
 背が届かない故ビールケースの上に乗り、わざわざ自分の頬をつついてくる幸せそうな姉の姿を見ると、どこか暗鬱とした気持ちも吹っ飛んでいくような気がした。
(……校長はお姉様ですし……お姉様が認めたのなら、問題はありませんか……)
 ――色々辛いこともあるでしょうが、頑張って下さいね。
 ユイは、先ほどの二人組に心の中でエールを送った。



 一方先ほどの二人組、つまるところ叶と秋人は屋上にいた。
 無論これからのことを話し合うためだ。
 いかにして部員を集めるか、ではない。
 秋人が野球部に入部するか否か、である。
「……言っておくがな、俺は野球部には入らないぞ」
「何でだよ! 一緒にあの深紅の旗を取ろうって固く誓ったじゃないか!」
「誰が誓ったんだ、誰が」
 叶と話していると頭が痛くなる。秋人は嘆息し、叶を見据えた。
「良いか。俺が成美に入った理由は」
「女子が沢山だからだろ?」
「違う。ここが地元でも有数の進学校だからだ。俺は大学進学を志してるんだ。野球にかまけている暇なんざ無い」
 秋人の言葉に嘘偽りはなかった。彼にこれと言った夢はなかったが、どうしても大学進学しまともな職に就く必要があったのだ。
 だが叶は彼の言葉が嘘だと思った。これは自分のことを騙し、野球部に入らないための方便だ、と。
「へっ! 高校三年間、人生で最も青い春を過ごせる三年間ずっと勉強ってか! つまらないなあ、おい」
「何とでも言え。俺は野球部には入らない」
 入学式に出会って早々喧嘩腰のムードである。
 長い間黙っていた二人だったが、秋人が急に腰を上げた。
「お、おい、どこ行くんだよ!」
 叶が狼狽えたように聞くが、返ってきた答えは冷たいものだった。
「帰る。早速予習しなければな」
 叶には脇目も触れず、秋人は屋上を後にした。
「何なんだよ……折角仲良くなれると思ったのに!」
 怒りに任せてテーブルを叩く叶。その声に答えを返す者はいなかった。
 時期は四月、春も始まったばかり。日が暮れ始めた頃に吹く風は、叶の心のように少し冷たかった。



「……野球、か」
 教室に戻り自分の鞄を取った後、秋人は一人帰路についていた。
 入学初日からわけのわからない奴に絡まれ、野球部を作ってしまったが、秋人は野球部に入部する気は毛頭無い。
 というか部活動に明け暮れる気がなかった。
 つまらない青春だと叶は言う。否定は出来ないし、するつもりもない。野球に多少の未練があることだって否定は出来ない。
 けれども自分は部活動に貴重な時間を割いている暇はない、ただそれだけのことだ。
「……」
 考え事をしていたら、いつの間にか自宅に着いていたらしい。門の脇に掲げられている表札には『桂木』と書かれている。
「ただいま」
「お帰りアキくんっ!」
 玄関を開け、それと同時にいきなり飛びついてくる影。
 さっ、と体を反らすと、その影――クラスメイトであり、幼馴染であり、居候先の娘でもある桂木吉野――は勢いよく玄関の扉に激突した。
「ひ、酷いよアキくん……」
「つい条件反射でな。悪い」
「別に良いけど……それよりアキくん、今日のご飯は豪華だよ! お母さんが私たちの入学祝いに一杯作ってくれたから!」
「そうか、それは楽しみだな」
 嬉しそうに語る幼馴染の頭を撫でつつ、秋人は靴を脱いだ。そしてそのまま玄関脇の階段を上り、二階に宛がわれた自室に鞄を放り投げる。
 ベッドに立派な学習机。ネット環境まで整っている。自分なんかの面倒を見てくれる桂木夫妻は本当にお人好しだと秋人は思った。
 秋人は桂木家に居候している。それは前述した通りだ。
 では何故居候しているのか。
 それは秋人の両親が秋人を置いて夜逃げしたからである。
 彼の両親は揃いも揃ってギャンブル好きであった。
『私たちはあのスロットに夢を賭けてるのよ』
『良いか秋人、大事なのは勝ち負けじゃない。いかにギャンブルのスリルを楽しむかなんだ』
 今でも思い出せる、あのバカな両親の言葉の数々。
 借金は雪だるま式に膨らみ、だがそれでも両親はギャンブルを止めようとしなかった。さらに借金を作り、賭けて、また負ける。
 悪循環は繰り返され、ついに限りなく黒に近いところから金を借りるようにまでなった。
 そして最終的に、両親は秋人だけ置いてどこかへ去った。妹の夏月は、両親に振り回されつつも元気にやっていると信じたい。否、信じるしかなかった。
 城崎一家が夜逃げしたのが秋人が小学五年生の頃。それ以来、お隣さんの桂木夫妻は秋人を養ってくれているのだ。
 ただでさえ吉野に飛鳥と二人も子供がいるのに、嫌がる顔一つせずに、それも自らの子供のように愛情を持って接してくれる桂木夫妻に、秋人は感謝してもしきれない。
 だからこそ、野球にかまけている暇はなかった。
(おじさんとおばさんに、必ず恩返しを――)
 秋人は堅く心に誓うのだった。
「アキくん~ご飯だよ~」
「今行く」
 扉越しに聞こえる吉野の声に応え、秋人は自室を出た。
 誇らしげに、机の上に飾られているキャッチャーミットを一瞥しながら。



「そういえばさ」
 忙しなく箸を動かしながら、吉野が口を開いた。
 その声が自分に向けられている物だと気付いた秋人は、何事かと彼女に目で尋ねた。
「アキくん、部活はどうするの?」
「入らない」
 短く答え、秋人も目の前に並べられている豪華な料理の数々に舌鼓を打った。
「え、入らないの!?」
「ああ。俺は進学が最大の目標だからな」
「そうなの~? 野球部には入らないの?」
 残念そうな声で吉野が訊く。
 それも無理はないだろう。秋人は中学時代、野球部の主将としてチームを関東大会決勝まで引っ張ったほどの実力の持ち主なのだから。
 ちなみに吉野はマネージャーである。
「第一、野球部は成美にはな――いや、あるのか……」
「あれ、あるんだ」
「作ったバカがいるんだよ。俺も巻き込まれてな」
 そう言うと、吉野は驚いた顔で秋人を見つめた。まさかあるはずはないと思っていたのだろう。
 だが実際問題、野球部は存在していた。今日をもって設立したのだ。
「巻き込まれたって、誰に?」
「一条。一条叶。……俺が教室を出て行った時に」
「ああ、あの子! ふぅん、そうなんだぁ……。アキくんの実力を知ってたのかな」
 嬉しそうに吉野は微笑んだ。それはないだろう、と秋人は思ったが。
 一条叶……地元では聞いたこともなかったし、関東圏でもそんな名前は聞いたことがなかった。
『どうせだったら高校での思い出作りに野球でもやるかぁ』などと言った中途半端な気持ちで野球部を設立したのだろうか。
 だけれども秋人にはそうは思えなかった。少なくともその目は本気だったからだ。叶の瞳は『甲子園に行ってやる!』と言う気概に溢れていた。
(俺も中学まではそれくらい熱かったっけか……?)
 自分にはない熱さを持つ叶が、少しだけ羨ましく思えた。本当に少しだけ。
「ねぇ、秋人君。どうして野球部に入らないの?」
 と、そこで、今まで秋人と吉野の会話を聞いていた桂木三郷――吉野の母である――が口を挟んだ。
「どうして、ですか? 進学が目標だからです」
「野球は、嫌い?」
 にこにこと柔和な笑みをその顔に湛え、ゆっくりと三郷は言葉を紡ぐ。
「嫌い……ではないです。けど、大学進学は野球より大事なんです」
「それは、どうしてなの?」
「それは……」
 秋人は言葉につまった。
 まともな職に就き、早く恩返しがしたい。
 言うのは簡単だが、お節介だと思われればそれまでだし、心配される筋合いはないと怒鳴られても仕方がないからだ。
「……俺は、おじさんやおばさん、吉野に飛鳥にも感謝しています。わざわざ俺を引き取って、育ててくれた。……だから、大学に進学して、まともな職について、早く恩返しがしたいんです」
 だが秋人は言った。自分の思いを。
「そう。私たちは秋人君にそこまで考えさせていたのね……」
 返ってきた言葉は秋人の予想とは違った。……まあ、温厚でお人好しな三郷から怒鳴り声が飛んでくるはずもないのだが。
「ねぇ秋人君。その気持ちは嬉しいけれど、私は勉強に躍起になる秋人君なんて見たくないわ」
「え?」
「良い、秋人君。いいえ、秋人。私たちは、親はね、自分の好きなことに一生懸命取り組む子供の姿を見るのが大好きなのよ」
「……」
 三郷の言葉が、秋人の胸を衝いた。
 この人は、自分のことを自分たちの子供だと言ってくれたのだ。
「高校生活三年間なんて、とても短いわ。……だから、悔いの無いように、自分の好きなことに打ち込みなさい。私もお父さんも、あなたが野球をしている姿が一番好きなんだから」
「……ありがとう、ございます」
「良いのよ。息子と娘の幸せな姿を見られればそれで、ね」
 秋人の心から、迷いは消えていた。
 大学進学を諦めているわけではない。恩返しするという夢が潰えたわけではない。
 けれど。
「俺は、明日から野球部に入ります。…………母さん」
「ええ。頑張るのよ」
 秋人の言葉に、三郷は優しく微笑み返すのだった。




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