第十雄洋丸事件
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第十雄洋丸事件(だいじゅうゆうようまるじけん)とは、1974年(昭和49年)に起こったLPGタンカー衝突炎上事故のことである。
[編集]概要
1974年11月9日、東京湾の中ノ瀬航路において日本船籍のLPG・石油タンカー「第十雄洋丸」と、リベリア船籍の貨物船「パシフィック・アレス」が衝突事故を起こす。
第十雄洋丸の積み荷のナフサは衝突による火花で引火、炎上し、辺り一面が火の海と化した。パシフィック・アレスは現場から10km沖に牽引され、翌11月10日に鎮火したものの、一方の第十雄洋丸は炎上を続ける。「第十雄洋丸」は当時日本最大のLPG・石油混載タンカーで、プロパン、ブタン、ナフサを合計57,000トン積んでいた。積み荷のプロパンやナフサの爆発による二次災害の発生が懸念されることとなったが、第十雄洋丸は消火が困難であった。
海上保安庁は第十雄洋丸の処分を防衛庁(当時)に依頼し、宇野宗佑防衛庁長官は自衛艦隊へその処分を命じた。 第十雄洋丸の処分のため、はるなを旗艦とするたかつき、もちづき、ゆきかぜから成る護衛艦部隊、潜水艦なるしおおよびP-2J対潜哨戒機が出動した。
護衛艦部隊は11月26日に現場に到着、翌27日の13:45に5インチ砲による一斉射撃を開始し、数回にわたる砲撃を行なって積荷のプロパンやナフサを炎上させた。比重0.6のナフサは3万トンの「浮き」を船内に抱えているようなものであり、これらを燃やし尽くさないことには沈没には至らない。積荷が燃えることによって喫水が上がっていくことから、マスコミは「自衛隊の攻撃に効果なし」等と揶揄したが、それは事実に即したものではない。11月28日には航空攻撃および潜水艦からの魚雷攻撃、護衛艦部隊からの艦砲射撃が行われ、18時47分、20日間炎上し続けた第十雄洋丸は犬吠埼燈台の東南東約520kmの海域に沈没した。
衝突事故によって二船の乗組員67名(第十雄洋丸38名・パシフィックアレス号29名)中、死亡者33名(第十雄洋丸5名・パシフィックアレス号28名)となった。