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中国天山山脈ボゴダ峰への登山とカシュガルへの旅

  日程:2006年7月15日(土)~7月26日(水)

 退職してからは、朝のジョギングと図書館や古本屋に行くことが多くなった。
たぶん生活の知恵からだろう。そして部屋の書棚の中から、昔買った本を読み直している。再度感動する本が多々ある。年の違いなのか、心のゆとりからか。とにかく時間はあるが、無駄なことに使う金がない。
13年前に、中国のあちこちを旅して回ったことがある。そのなかで奥地の天山山脈の麓で見た、ボゴダ峰が気になっていた。今の日本の山は、何処に行っても整備されている。道標、ペイントマーク、木道などで自分の知識、勘などあまり必要性が少なくなり、地図も持たない登山者が増えた。最近あえて人の訪れないルートを探して登っているが、40年以上前の登山の再現は、日本では難しいだろう。そんな状況を、中国に求めていたのかもしれない。そして学生時代の仲間の計画に便乗した。

7/15(土)

妻の誕生日、早朝の成田へ向かった。すっかりモダンに変わったがどことなく野暮ったい北京空港から、約5時間も経て中国の西の端に位置する新彊ウイグル自治区のウルムチ空港に飛んだ。以前来た時よりビルが林立し、中国政府の方針なのか漢民族が多くなった。裏路地やバザールに行くとウイグル族の人々に出会え、そこは昔の面影があった。街は女性のスタイルも変わり近代都市になっているが、スモッグで空気が濁っている。ああ問題の地球温暖化現象をつくっているな。質の悪い石炭、コークスが燃料だ。

7/16(日)

 いよいよ登山開始。まず200万年前の大氷河期に出来た高山湖、「天地」のキャンプ地までモーターボートで渡った。天地へは13年前に来たときずいぶん時間がかかったが、高速道路が出来2時間で着いた。豊かになった中国各地から観光客が多数来ていて、物売りやお喋りでにぎやかだ。
我々一行は日本の植物学者と言うことで入山許可を取っており、モーターボートで湖を渡った。やはり役人天国の国、裏金が回ったのだろう。
向こう岸に着き、崖をよじ登り15分ほど歩くと今日の宿泊地に着く。カザフ族の遊牧民が寝泊まりするパオで泊まりだ。
もうそこは深い森におおわれ、まさに天上の湖だ。電気も水道も何もない。馬や羊の糞だらけだ。
10頭身もありそうな背の高い美しい少女と仲良くなり、その家族のパオに招かれる。何枚も写真を撮らせてもらった。電気も風呂もない質素な食事から、どうしてこんな美しい人が出来るのだろう。その地域に放牧されている馬のように、自然で美しかった。その美しさは高山植物の色、野鳥の鳴き声や姿、かたちと同じなのかもしれない。自然にとけこんでいる。

7/17(月)

 我々一行は10頭の馬に食料、水、燃料、テント等を積み込んで歩き出した。自分たちの荷物は10キロ前後の防寒具、食料、飲み物、カメラなどで、あまり歩かれていないデコボコ道を登って行く。氷河から流れている渓流に沿って、渡ったり離れたりして進む。途中2時間おきにパオがあり、放牧民が住んでいた。山羊のヨーグルトやシシカバブーの焼き肉を、わずかなお金(2元=32円)で食べさせてもらった。乾燥したヨーグルトも味わった。山の中では、重要なエネルギー源なのだろう。9月なかばには、皆山を降りる。以前来たときは、丁度その頃で無数の羊や牛、馬の数が駆け下りる情景は荘厳だった。人の住む極限とその美しさに心残りだが先に進む。とにかくわずかな踏み後とケルンが頼りの登山だ。少々心痛むが、咲き競っている花々を踏みながら8時間ぐらいの行程でテント地に着いた。そこは約3200Mの緩やかな草原で、川幅10m位の雪解け水が流れていた。小さな花々が咲く美しく天国みたいなダートンゴウ谷だ。すべてがgoodだ。満天の星の下で熟睡。

7/17(火)

 (ダートンゴウ谷標高3200m→サンゲチヤ峠標高3690m→ボゴダ峰BC標高3560m)
朝起きたらさすがに寒い。昨夜は寒すぎてビールもあまり飲めず、ぐっすりと寝た。
カザフ族の馬方さんは、岩陰にビニールシートを雨よけにして布にくるまって寝ていた。強いモノだ。
我々7人とガイド、通訳たちは、馬方さんより一足早く出発した。緩く長い岩山を登って行くと、少しずつボゴダ峰が見えてきた。途中日本でも咲いていそうな高山植物が、群生していた。なんと贅沢な時間なのだ。
整備されていないガラガラの岩山は神経を使うが、新しい出会いに興味が沸き楽しい。多少の苦労もあったが、気持ちよく峠に着き夢中でシャッターを切る。
夢に見たボゴダ峰が目の前だ。
峠からしばらく行くと、雪と氷の山々が迫ってくる。高い費用と時間をかけて、来た甲斐があるぞ。
ベースキャンプ地まで一気に降る。京都山岳会登山隊の若き女性隊員が、クレパスに消えた遭難碑が建っていた。キャベツみたいな「雪連」と言う高山植物が咲いていた。高価な薬草になるので、盗掘りで少なくなっている。あたりは、ゴミで汚れ始めている。せっかく素晴らしい天国のような場所なのに残念。外国から登山に来た人々の身勝手さなのだが、今のうちに中国政府なり自然保護団体なりが規正していかなければ富士山状態になる。中国国民はまだ、汚すことに罪の意識が少ないのかもしれない。残念だが、まだ自分さえ良ければと思っているのかも。13億人の人間が生活しているからな~。世界に北京オリンピックで恥をさらすだろう。この場所も今のうち手を打てば、世界に誇れる素晴らしい場所として残るのだが。
ボゴダ峰のそびえる足下は氷河湖で、魚の住めない不気味さが漂っている。その雪面を歩くが、不十分な装備で先には行けそうもない。北京大学山岳部隊がアタックしていた。難所が多く、相当苦戦しているようだ。
ポピーの花咲く場所で、のんびり氷山を眺めながら憩いの時間を楽しんだ。

7/19(水)

 ボゴダ峰(5345m)の朝焼けを眺めてから、イケンギ峠3760mを越え天地に降るもうひとつの谷である将軍溝へ。
ベースキャンプ地から200mの登りだが、岩山で空気が薄く苦しい。何とか峠に着きホッとするが、惜別の思いだ。峠には雪が残っていては肌寒い。イワヒバリかキュルリ、キュルリと寂しくさえずっている。いよいよボゴダ峰とお別れだ。
1時間ほど岩山を降ると、花が咲き鳥の鳴く湿地帯だ。一本立てる。遠くに放牧された馬や牛、羊が見える。こんなところからの雪解け水が、遙か彼方の人間や動物、植物の生命を保っているんだと思うと驚きだ。延々と続く緩やかな草原を行く。時々セキレイのような鳥が目の前を飛んでいく。
途中で昼食になるが、毎食中華料理というより油料理で腹が狂ってしまった。
こんな草原では、トイレも隠れる場所が無いので苦労する。
時々ある牧畜民族が住むパオを覗きながら、思い思いに皆のんびり歩く。
森林に入る手前の粗末な小屋の外に、場違いな若い女性が立ったいた。彼女たちは久しぶりに人を見たのか、じっと我々を見ている。二人は姉妹で、姉は妊娠6ヶ月と言っていた。この地方の屯田兵制度で来ている亭主と結婚して、2週間目だそうです。ホームシックにかかっていた。かわいそうな現実でした。
今日は草原地帯から森へ入った川沿いで、テントを張る。山の生活もこれで最後と思うと、寂しくもあり下界へ降りる喜びもある。

7/20(木)

 小雨降る朝、船着き場まで2時間弱の降り。水量が増えたので、何度か馬に乗せてもらい徒渉する。原住民の朝の食事のためか、樹林帯の間から煙が立ち上がってのどかさが漂っていた。
天地の船着き場まで来たが、水かさが増えて対岸まで渡れない。丸太や石を集め、一人の水没者がいたがどうにか渡りきった。
 カザフ族の馬乗りや道案内と最後の別れをして、切り立った岸壁からモーターボートに乗り観光地化した対岸へ渡った。途中風が冷たく肌を刺していた。
そこは日本の何処でもある観光地と同じく、みやげ売りや記念写真やと観光客の声が響いていた。
迎えの車に乗り乾ききった大地を、ウルムチのホテルへ向かう。

7/21(金)

 ウルムチから国内線で中国・西端の都市カシュガルへ。1時間45分の飛行。気温40度。
観光で市内見物。 職人街(金属屋、刃物屋、楽器屋、鍛冶屋、ガラス屋、木工屋、研ぎ屋などが店頭で技を見せながら商売している)。珍しいもので、乳幼児の通尿管や民族楽器など。エイティガール寺(祭日の礼拝所)、バザール(ウイグル族、キルギス族、カザフ族、タジク族の民族性豊かな商品がならんでいる)ウイグル族の舞踏鑑賞。
日中の気温は40℃にも達し、とても動けたものでない。長い昼寝タイムは仕方ないでしょう。そのかわり夜が長く、涼を求める人々で街は遅くまで賑やかだ。

7/22(土)

 カシュガル滞在。カシュガルを統治した権力者アパク・ホージャとその家族の墓(香妃墓)、 旧市街見学。
旧市街は壊れかけた土建築で、ウイグル族の住民が住んでいる。通行料を払うと見学が出来、迷路のようなレンガ塀を進むと戸があり中が一軒の住居になっている。収入の違いでスペース、環境が違っていた。裕福な家は、中庭にたくさんの植物や樹木を取り入れ、快適そうに見えた。たぶん昔は外敵や天候を防ぐために出来たのだろう。昔から巧みに生活している人々の知恵が覗かれ、子供たちの笑顔や大人たちの優しさが印象深かった。今回の旅行で、記憶に残る場所だった。

7/23(日)

 カシュガルからカラクリ湖へ。
ホテル10:00―ウパール村―ゲイズ検問所―ボロンコリ湖―カラクリ湖

カラクリ湖(3700m) ムズターグ・アタ7546m コングール連山7719m
我々の乗った車はカシュガル市内からパキスタンへの公路を行くとウパール村に入る。ポプラ並木の生い茂る農村地帯で、ロバに乗っている年老いた農民や、一日をのんびりと過ごしている人たちを車窓から眺める。帰りに村で行われる月曜日バザールを見る。鉛色した川沿いに荒野を進む。途中にガイズ検問所があり、パスポートを提示する。
パキスタンとの国境に近く、監視区域だと言っていた。途中にボロンコリ湖に寄る。こんなところにも片言の日本語でキルギス族の物売りが集まって来た。
50歳代のフランス人夫婦が自転車で峠を越えパキスタンへ向かっていた。無事に越えられたのか。
カラクリ湖(黒色の湖)の周囲はわずかな草が生えているが、砂と岩だけだ。そこにいるラクダのこぶは、垂れ下がっていて元気そうではない。ただ7000mを越える山々が映るカラクリ湖が雄大で美しかった。
夕食後、キリギスの民族舞踊に招待され、最後は村中の人たちと踊ったりして楽しんだ。夜空に無数の星が輝いていて、ムスターグやコングールの山々が美しかった。

7/24(月)

 カラクリ湖―ボロンコリ湖―キャラバンサライ(旧シルクロードの宿跡)―オパール村―ホテル
昨日の荒野を降る。ポプラ並木の平地に行くと道にロバや馬車などに乗っている村人に出会う。この地域の月曜日はバザールがあり、そこは庶民生活のバイタリティーがプンプン臭っている。あちこちから広場に集まり牛、馬、羊などの家畜から生活に必要な金属類、装飾品、日用品、食料品などが溢れていた。その場は我々に対して好奇心とよそ者扱いの視線で、シャッターを切るのがやっとでした。人間の本質を見たようだ。バイタリティーと活力がみなぎっている。
夕食はホテルで持参の和食を食べる。注文は湯麺のみ。皆、そうとう胃が疲れてしまったようだ。私は胆石の手術で胆嚢を取ったばかりだから、つらい日々でした。今思うと日本の山が良かったのかもしれない??

7/25(火)

 15:30 カシュガル空港へ
今日は朝から蒸し暑く、視界が悪い。強い風で、タクラマカン砂漠から砂を運び、飛行機が飛べない状態。予定飛行時間を2時間以上すぎてやっと飛んだときは、やっと帰れると喜んだ。とにかく空港のサービスは共産圏らしく最悪で、40℃もあるなか冷房もかけず、(電力不足かも)説明もない。腹の出た中国人の汗臭さと堅い椅子で我慢、我慢。
ウルムチに午後9時10分に着く。最後の晩餐と言うことで、中国料理では日本の味付けに近い「回族」の店に行く。美味かった、皆いい顔していた。

7/26(水)

ウルムチ飛行場(8:30)―北京空港(11:50) 北京空港(15:50)―成田空港(19:50)
いつもだが、美しい日本は最高だ。まだ梅雨の明けない東京へ無事帰った。
ソバや豆腐、納豆、みそ汁、寿司、みょうが、お新香などきりがなく食べて元気になった。3キロ痩せた体重だけは毎朝のジョギングで保っている。
今回の旅は良き仲間と計画そして現地ガイドに出会い、新たな思い出が出来ました。自分なりの常なる夢とロマンを求めて、生きて行きたい。

メンバー 
鈴木公子(55)川井宏作(61)池田久子(61)仁科茂子(61)小林美津枝(62)
中津川量子(65)渡部卓夫(61)

2006年8月31日盛夏      渡部 卓夫



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