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デュークさんとエルシフルさんがダラダラと不毛な会話をするだけの話です。
自己完結型なデュークと、頭の悪いエルシフルはこのサイトのデフォです。ご注意下さい。





 風に乗って、一片の小さな花弁が視界を横切っていった。薄紅色のひとひらは一度空へとその身を浮かせ、それから静かに落ちた。一連の流れをそれとなくデュークは目で追った。ハルルに聳える大樹が溢したものだろうか、と思い、けれどすぐに今自分が居る街道と町との距離にそれはない、と首を振る。
 緑生い茂る街道は、丁度小高い丘を掠めるようにして帝都から砦経て、砦から花の町へ、そして花の町から港町へと延びている。その、花の町と港町との間辺りに在る丘にデュークは居た。港町へと向かうのならこのまま道なりに歩を進めれば良い。だが、デュークは均された砂利道半ばで立ち止まる。
 目的地は港町ではなく、ここだ。目的も、任務でなく私用で、目当ては船でなく花だった。
 成り行きで賭けポーカーに興じて負けがこみ、素っ裸にされる前にその場に居る全員を黙らせようと剣の柄に手を掛けたところを通り掛かった同僚に代金を立て替えてもらうかたちで救われた。そして代わりにと、同僚の頼みごとを聞いてやることになった。それがこの丘に咲くという花だ。
 辺りを見渡すが、補整された道なりにそれらしい花はない。話ではユリ目ヒガンバナ科の赤い花だという。
 どうしたものか、と視線を巡らせると先ほど着地したばかりの花弁の上に陰が落ちるのが目についた。鳥だろうか、と目を見張るがそれにしては一つ所に留まる時間が長い。デュークは空を仰いだ。高く、青い空が緑色に縁取られている。日除けにと目の上に手の平をかざせば、その隙間をゆらりゆらりと円形の、平たい何かが舞うのが見えた。帽子だ。麦藁を編んだ帽子は、穴が空いている。つばの縁など所々ほつれては在らぬ方向へ素材が飛び出し突き出ていた。
 悲しいことに、このボロ屑のような帽子の持ち主に心当たりがある。どうしたものか、と逡巡しながらデュークは脇の獣道へと視線を巡らせた。
 今は陽も高く、燦々と晴れ渡っている。コンディションとしては最悪だろうが、如何せん人並みの五感すら併せ持たないこの丘に棲む生き物はそれらを補って余りある知覚を持っている。あくまで生物として「人」の域を出ないデュークには計り知れない。姿こそ見えないが、既に捕捉されている可能性がある。その仮定は、ここで素通りすれば次に会ったときに面倒この上なく騒ぎ立てられるという未来を提示していた。
 デュークは獣道から、再び足下のボロ屑へと視線を落とし、そして腰を屈めた。



ふたり ALONE
20090807



知らなければならない

戦いが共通のものであり また争いが正義であることを
そして万物は争いと必然にしたがって生起することを

クセノファネス 「断片」

 



 湿度を含んだ空気の中に、雑多な臭いが交ざる。濃い深緑や、踏み付けた草、湿った土の臭い、それから花のような果実のような、甘さも孕んでいる。
 エフミドの丘の街道から逸れたこの獣道は生い茂る緑の深さに反して明るい。同じように大陸の西方に位置するクオイの森とは異なり、群生する木々の背が低い為だろう。海の方から直接吹き込んでくる風も、木の発育に差を生んでいる一因かも知れない。
 膝の辺りまで伸びた草を手にした帽子でないだり払ったりなどしながら、デュークは明るいわりに見通しの悪い丘を登った。草に隠れて見えない足元で時折小枝の折れる感触がする。仕事柄強行軍などといった荒事には慣れており、獣の踏み均してくれた道程などはデュークにとって道無き道とすら言えないものだった。足元が見えないことも、少しも苦にはならなかった。
 そうして帝都などより余程気安く丘を登り、暇を持て余す頃に出てくる魔物をいなしたりなどしながら深緑を掻き分けていると、見えない足下から木の枝とも小石の類ともつかない感触がした。先にこちらが見付かったか、と雑草まみれになった帽子をくるりと回し、視線を落とす。
 頑丈さだけしか褒られたところのない武骨なグリーブの下に、黒い頭が覗いていた。一応、人に見える。男だ。
 うつ伏せて地面に口付けているその様子は、行き倒れに似ていた。鳶色の羽織りの袖口からは、薄汚れた軍手に包まれた手が覗いておりうつ伏せる男の身なりを大層貧相に見せていた。
 デュークは手にした帽子をうつ伏せる男の背に落とす。ここまでしてやったのだからこのまま踵を返しても良いだろうか、と瀝青炭に似た色の黒々とした頭を見下ろしながら思う。だが、逡巡が最後まで巡り終わる前にうつ伏せた男が顔を上げ、落ち窪んだ穴のような目でデュークを見上げてきた。
「おおー、ディーン!」
「デュークだ」
 間違った名前を呼びながら顔だけでなく上体も起こした拍子に、背中に乗っていた草まみれの帽子が転げ落ちる。だが、男は特に気にした風でもなく「あれ、そうだっけ?」などと呟き首を傾げた。
「猿の名前は覚えにくい上に発音もしづらいからなァ……疲れる」
 肩を落とす男のぼやきを聞き流しながらデュークは屈むと手を伸ばし、帽子を拾い上げた。軽くはたくが、麦藁の編み込みに入り込んだ雑草は流石に落ちない。今、落としたときに付いたということにしてしまえばいいか、とデュークは座り込む男に帽子を手渡した。
「何年来の付き合いだ。いい加減覚えろ」
「たかだか十年そこらじゃ無理ですよ親友殿」
 受け取った帽子の無惨な様を男は少し不思議そうに見つめたあと、特に何を指摘することもなく頭の上に乗せた。思えば、この男は気に掛けるもののベクトルがよくよくズレているので、帽子が草まみれだろうと土まみれだろうと血まみれだろうとあまり気にしなかったのかも知れない。
 人の名前を出会ってから十年以上も経つというのに、未だにまともに呼べた例しのないこの男の名前はエルシフルという。そして、デュークよりも余程長く難解な発音の名前を持つこの男は人間ではなかった。始祖の隷長[エンテレケイア]――世界を構成する万物の奔流、エアルの調停者として進化を遂げた生き物だ。その多くが魔物のような巨体を有し、人知を超えた叡智をその身に蓄えているのだという。世界の根幹に干渉する賢者としても、万物の霊長と自らを称する人間など遥かに及ばない超越的存在としても、人は敬意と畏怖の念を込めて彼らを終わりを冠する名で呼んだ。その由来は遥か昔、帝国有史以前のゲライオス文明にまで遡るものだが、今となってはその意味も彼らの役割も人々から忘れ去られて久しい。
 超越的存在であるこの始祖の隷長[エンテレケイア]という生き物は、遺伝的な繋がりはなく様々な種族の遺伝子プールにその因子がある。世界を調停するべく一代限りで異常進化した個体、と称しても良い。だが、始祖の隷長[エンテレケイア]として進化・覚醒には到っても種としての本質的な形質は色濃く残る。始祖の隷長[エンテレケイア]と一括りにされてはいても、個体差が大きいのはこの為だ。人語を解する個体もあれば、知性ばかりが先行してクリティア族のナギーグなどでしか意思の疎通の計れない個体も存在する。人の言葉を操り、中にはこのエルシフルのように人真似までしてのける個体の多くは始祖の隷長[エンテレケイア]の中でも老齢の部類に入るらしい。先のゲライオス文明滅亡のあらましを識る、数少ない個体だ。
「で、今度は行き倒れの真似事かケダモノ」
「いやー……何かリュークの気配みたいなのがしたから、驚かせようと思って窖から這い出たのはいーけど予想外の晴天でさあ。おまけに帽子も飛ばされるわで踏んだり蹴ったりだ!」
 肩を竦めてエルシフルは言った。彼はこうした所作はワリと上手くしてのける。
「自業自得だな」
 人だろうと超越種であろうと、長く生きているからといって聡いというわけではないというのは同じらしい。エルシフルと顔を付き合わせる度にデュークはしみじみと思う。
 人語を繰り人間の男の姿をとるこの化生もまた、始祖の隷長[エンテレケイア]の中でも有力者に分類されてもおかしくはない程度には永くこの世界に留まる個体だったが、如何せん言動の幼さと脈絡のなさとがそれら全ての肩書きを台無しにしていた。派生した種族の特性なのか避光性を有し、陽の燦々と照りつける日中などは著しく身体機能が弱体化するというのにこの有様だ。因みにデュークは彼の始祖の隷長[エンテレケイア]としての形態を目にしたことがなかったので、どんな種族に由来しているのかは知らない。知りたいとも思わない。
「ま、いいや。それよりお前の方こそ、こんなとこで何しておいで?遠征……じゃ、ないよな。軽装だし」
 一向に草むらに座り込んだまま動こうとしない人外に手を貸して立ち上がらせると、彼は真黒い目を片側だけ細めて言った。エルシフルは人真似の合間に、こうして時折獣の気配が交ざる。また、それはデュークがこの奇妙な生き物に好感を抱く数少ない箇所でもあった。
「ああ。この丘に用がある」
「おー、おれに会いに来たか親友!」
「黙れデュビア」
 男の獣性はすぐになりを潜めて、拙い人真似をまた始める。馴れたものだ。
 「いや、おれ飛べるし一応」と矢張り何処かズレた不満を口にする始祖の隷長[エンテレケイア]を置き去りに、デュークは腰に下げた鞘から剣を引き抜きうっそうと生い茂る草を払う。
「キルタンサス、という花を探している」
 エルシフルに背を向けたまま、デュークは言った。言ってはいけない理由がなかったので何気なく口にしたのに、背後からは何故か化生が息を飲む気配がした。動揺、と言い換えても良い珍しい彼の反応を訝しく思い、デュークは剣を振る手を止めた。
「エルシフル?」
 振り返れば、彼の濃い色の視線はしっかりとデュークの方に向いていた。だが、静止したまま呼び掛けには応えない。もう一度呼び掛けようとデュークが口を開きかけたそこで、珍しく裏返った男の声が被った。
「か、花卉ぃ……?ちょ、お前それは……」
「何だ」
「にっあわねー」
 しみじみと言われる。取り合わなければ良かった、とデュークは心底思った。
 言い放たれた言葉に言葉を返すどころか、表情にすら反応を示さず男に背を向けると止めていた手の動きを再開する。だが、そんなデュークの心情を気にした風でなく、背後から下品な哄笑が上がった。彼の自称得意とする人真似の一つだが、何度人間はそんな笑い方をするものではない、と言い含めても直らない。直らない、というより直す気がないのかも知れない。最近はいちいち指摘するのも面倒なので放っておいている。
 一通り笑い終えて満足のいったらしい化生は、背後からデュークの肩に腕を乗せて体重を掛けてきた。肩が下がって上手く剣を振るえない。
「で?親友殿はアレか、発情期か」
 言っていて途中から笑いが堪えられなくなったのか、煙掛かった語尾が楽しげに揺れる。成る程、とデュークは感心した。確かに、先にこうして肩を押さえてしまえばそう簡単には剣は振るえない。今、無性にこの人類を遥かに超越した中庸の徒を斬り伏せたい衝動に駆られるのだが、それも儘ならない。業腹だ。
「花卉ってのは猿共が具合の良い雌に求愛行動するときの必須アイテムなんだろ。手伝うかー、デュラン?」
 言いながら、とうとう我慢が利かなくなったらしい人外はデュークの肩に額を押し当ててひぃひぃ笑い始めた。麦藁帽子から不自然に突き出した雑草の類いが頬に掛かって痒い。
 斬り伏せるにせよ殴り掛かるにせよ蹴飛ばすにせよ、先ずは引き剥がすことが先決か、とデュークはエルシフルの頭を押し遣った。すると人外は随分とあっさりデュークから身を離し、それから一歩二歩と後方に下がって距離をとる。
「そう怖い顔すんなって、ジェラートちゃん。カッカすると溶けるぞ?」
 哄笑ではなく、喉を鳴らすようにして人外が笑った。彼の言うような感情とは程遠いところにデュークは居たが、いちいち訂正する気にもなれず一度剣を鞘へと戻す。
「怒らせているのはお前の方だ」
「おれからして見れば初恋だろーと初めてのお使いだろーと大差ないわけよ。嬉しーじゃない?おとーさんとしてはさあ」
「お前のような低俗な父親を持つ俺は不幸だな」
 デュークは言外にエルシフルの言葉を否定しに掛かる。だが、その言葉の裏に気付かないわけでもないのに彼は静かに笑みを湛えるばかりだった。
 この男は無垢ではあるが無知ではなく、増して無邪気ですらない純真とは程遠い生き物だ。こうして人間の範疇に納まる程度にからかわれている内はまだ、良い。
 本質は、デュークもこの男も恐らくは似通っている。だが現象――出力だけが、酷く遠い。けれどそれは言い換えれば由来するところが万物の霊長を騙るものと、終わりの名を冠するものという、たったそれだけの差異でしかないのかも知れない。
 勿論、それはデュークとこの異端的な始祖の隷長[エンテレケイア]に限ってのみ言えることで、本質的に両者は限りなく程遠い生き物だ。その事実を認めるのは癪に触るが、それでも確かにヌミノーゼの希薄な、超常的存在でありながら低俗なこの生き物と在るのは同種である人と過ごす時には決してない気安さがある。安らいでいる、と言ってしまっても良い。勿論ヌミノーゼを感じさせないのは彼の本質には神威に不可欠な戦慄と魅了の内、後者が著しく欠けているからだ。そういった意味ではデイノーンとしての側面が色濃く出ている始祖の隷長[エンテレケイア]である、とも言える。
 どうしても、会えば認識を新たにさせられてしまう。だから、あまり会いたくはなかった。ただでさえ人の輪を煩わしく思うのに、人外に安らぎを覚えるなど正気の沙汰ではない。その上、よりにもよってこの神威の欠片も見出だせない始祖の隷長[エンテレケイア]のはみ出し者にだ。人の輪を外れかけている自分が、始祖の隷長[エンテレケイア]の模範から掛け離れているこの男に安らぐというのは、異端であるが故の傷の舐め合いにも似ている。その事実が、デュークは気に入らなかった。
 黙り込み、逡巡するデュークにエルシフルは何も言わない。曖昧な笑みを口の端に乗せて、ただデュークが口を開くのを待っている。まるで犬か鏡のようだ、とデュークは思った。
「取り敢えず、人間の場合、発情期ではなく思春期と形容する」
 わざわざ正すほど彼の発言が常軌を逸していたというわけではなかったが、何となしに餌を撒けば、腹を抱えて人外は笑った。いい食い付きだ。
「ますますにあわねー」
 一通り笑い終えると、エルシフルは改めてそう言った。そんな人外の言葉に、デュークは満足しながら頷いた。
「知ってる」
 自分でも、随分と穏やかな声音だな、とデュークは思う。この化生相手に柔らかな物言いだと、そう思う。
 返された言葉にエルシフルは笑みを潜めた。感情の削げ落ちた顔でデュークを見つめ、何事かを言おうと口を開きかけて、止めた。
「エルシフル?」
 問い掛けと同義の呼び掛けに、人外は左右非対称の笑みで以って応える。そうして笑うエルシフルが、デュークは嫌いだった。本当は、不透明な意図に諦念でなく苛立ちで対峙しているのだと、そう自覚させられる気がするからだ。
 デュークの苛立ちなど素知らぬ顔で始祖の隷長[エンテレケイア]は頭を一振りすると、次の瞬間にはいつもの人を食ったような笑みを誂えて「行こうか」とデュークを促した。

 乱立した緑に、鳶色が分け入って行く。人の手が入らない藪は足場が悪いだけでなく、至るところに蔓や蔦が絡んで進行を困難にしていた。その中をエルシフルもデュークも、危なげない足取りで進んで行く。彼は人型ではあるが人でなく、その後ろを着いて行くかたちのデュークもまたこうして野山の類いに分け入るのには慣れていた。エルシフルはこの丘一帯をテリトリーとしている始祖の隷長[エンテレケイア]で彼と付き合う内、必然的にデュークは足場の悪い道行きに然程抵抗を覚えなくなった。
 以前はザーフィアス周辺のマイオキア平原一帯に棲みついていたらしいが、森林伐採や開拓などで彼の好む日陰が激減し、人目に曝されることが多くなった為に大陸の端の端とも云えるエフミドの丘にまで追いやられたのだという。マイオキア平原が拓かれた頃というと帝国の建国と前後していると思われるので、帝国の歴史と同程度の年月をこの始祖の隷長[エンテレケイア]はエフミドで過ごしているということになる。言い換えれば始祖の隷長[エンテレケイア]であるエルシフルはこの丘一帯のみならず、大陸を統べる主だった。彼自身が威厳や神威とは程遠くても、その事実は認めなくてはならない。だが同時に、ならば丘に棲むエルシフルに訊けば目的のもの――この場合は花も、すぐに見付かるのではないか、とデュークは考えたのだった。
「その花卉って、裸猿共が勝手にそー呼んでるだけだろー。もーちょいさあ、具体的に何かないわけ?いや、違うな。おれでも分かる猿的名称で例えてくれて構いません、ってやつですよ。どう?」
 思いの外、始祖の隷長[エンテレケイア]というのは使えないものだな、と簡単な花の名前を羅列し始めた化生を横目にデュークはしみじみと思った。
 先ずは、赤い花だと教えた。だが、この生き物には「赤い」という概念が存在しないようだった。否、知覚の伝達経路が人とは異なる為に、デュークの言う「赤」とエルシフルの認識する「赤」との間に誤差が生じている、という言い方の方が正しいのかも知れない。勿論、全ての始祖の隷長[エンテレケイア]が彼のような視覚(色覚)、ひいては知覚を持つというわけではないだろう。身体的特徴は外面のみならず、機能もまた元となった種の遺伝子プールに準じているに違いない。
 たんぽぽ、ひまわり、あさがお、カツミレ――と、呪文のように指折り花の名前を挙げる人ではないものの隣に並び立ちながら耳を澄ませる。波の、音が聞こえる。意識すると、途端に濃い新緑と濡れた土の匂いに混ざって、潮の薫りが意識された。海が近い、この丘特有の匂いがデュークは好きだった。
「野草の類いばかりか」
 うばら、どくだみ、あざみ、と続けていたエルシフルに横槍を入れると、彼は少しむっとしたように黙り込んでしまった。
 「高級嗜好かよ……」舌打ちして吐き捨てる彼の様は何とも人間臭い。「薔薇、か百合……蘭もか?」
 野草の類い、特に薬効が期待されるものには人の呼称含め、それなりに造詣は深いらしいがいざ観賞目的で品種改良の進んだ種となるとすぐには挙がらないようだ。その辺りはケダモノらしいな、とデュークは思う。だが、花に関する知識は自分もこの男と似たようなものか、と思い直す。
「百合、だな」
 一番近いのは、とは言わないでおく。口を閉ざした理由は、言えば煩く絡んできて面倒だという思い半分、正解に行き着いたと分かり彼が嬉しそうな顔をしたのとがもう半分だ。
 「おっし、ビンゴ!」軽く拳を握って、何処まで意味を分かっているのか知れないがエルシフルは喜びを露わにした。「……っかし、昔は根っこにしかキョーミなかったくせに」
 彼の付け足したぼやきに、これは訂正すべきか、とデュークは眉を顰めた。
「球根だろう、百合は」
「一緒だろ。海とか川とかが水溜まりなのと一緒、山も平野も土くれなのと一緒――猿共はちょっと物事複雑にし過ぎなんだよな。もっとシンプルなんだよ、世界ってのは」
「お前の物言いはシンプルなのでなく、ただ乱暴なだけなのだと思うが?」
 人間を遥かに凌駕する知的生命体とは思えない言い種に、デュークは嘆息と共に笑みを溢す。確かに、超常種だからこその高慢な物言いと取れなくもない、と思ったからだ。
 エルシフルは明確な意図を以って唇を薄く開いた。だが、言葉が紡がれることはなかった。先程のように何事かを言い掛けて、そしてやめてしまったのだろうか、とデュークは思った。
 濃い、影のような色をした眼がデュークから逸らされる。視線の先には緑の合間から見える海があった。水平線は曖昧で、海は空の青を映し込み溶け合うようにしてそこに在った。
 「まあ、好きだもんな」海を見つめたまま、エルシフルが言った。「物事、面倒臭くするの」
 言葉は確かに紡がれたが、それは彼が本来言おうとしたことではないのだろうな、とデュークは思った。同時に、ならば彼は何を本当は言おうとしたのだろう、とも思った。だが、その考えを浮かんだ傍から振り払う。仮定の話に思考を巡らせるのは不毛だった。
「何だ、それは」
 だからデュークは彼の覆い隠したものには気付かないふりをして、ただ提示された言葉に対してのみ問いかけた。
「何かな。こう、アクションを起こすのにいちいち理由が必要なとこ、とか」
 語尾が、微かに揺れる。何処か頼りなさげに響くのは、その返答が即席に誂えたものであるからなのだろう。だが、指摘することはしない。
「確かに、イドに基づきエアルに集る生き物には分からないのだろうな」
「しっつれーな」
 言って、彼は朗らかに笑った。いつものエルシフルだった。
 時折、不思議に思う。人間を遥かに凌駕する「彼ら」は、決してその力を淘汰の為に振るうことをしない。知識にしてもそうだ。ひけらかし、誇示することをしない。それだけの力や、知識を得た生き物にとっては自己顕示欲のような俗物的発想はないのだろうか、とも思う。浮世離れした、賢者乃至陰者めいた彼らを、人間の物差しで測ろうとすること自体が愚かしいのか、とも思い至る。
 今よりも更にデュークが幼かった時分に、そのままの疑問をこの人外に投げたことがある。すると彼は、人は本能を抑制するために知恵と言う名の理性を手に入れたが、自分たちは知識に基づき導き出した結果が本能に合致することが多いだけだ、と答えてから、その後に、勿論おれたちはとても理性的な生き物だし、と付け加えた。そのときは、彼の言葉の意味はそれとなく理解し、けれどそこに含まれるであろう何某かにまでは考えすら及ばなかった。デュークはそのときエルシフルという始祖の隷長[エンテレケイア]がどういった生き物なのか、ということだけを理解し、納得した。つまり、下らない問答を好む、自分が面倒臭いと断ずる猿よりも余程面倒臭い性質のこの人外は、その実投げ掛けた問いには面倒臭がることなく持ち得る限り誠実な答えを返してくれるらしい、ということだ。ただし、返る答えはそのときの相手に理解出来る、ぎりぎりの範疇に限られる。そうした、彼の小手先の加減にどれ程の意味があるのかはデュークには知れない。けれど、相手によって答えの程度を変えてみせるこの生き物を、鏡のようだとデュークは思う。そして、人は人を写す鏡だという言葉を思い出す。なら、彼の人真似は人真似では決してなく、人とそうではないものの差異とはどれ程のものなのだろう。
 「ディーター」と、また自分のものではない名前で呼ばれる。だが、それが自分を指し示す記号であることをデュークは知っている。例えどんなに、本来の名前から掛け離れた呼び掛けであっても彼がデュークに呼び掛けるという明確な意志をその韻に含ませたのなら、それらは全てデュークを指し示す記号だ。そこに、違える余地はない。
 麻で出来た、綾織の手袋に包まれた指先が海岸線を指す。その傍ら、空に枝を広げた樹の根元にデュークは赤い花を見る。自然美に基づき曲線を描く花が、ひっそりと生えている。
「んー……619から626、ってとこだな。『赤い』んだろ?」
「ああ」
 キルタンサスだ。
「キルタンサス?」
「恐らく」
 デューク自身、実物を目にしたことはなかった(そもそも花に興味がなかった)。なので、提示された条件と照らし合わせる他に目的の花を判別する術をデュークは持たない。
 それよりも、気になるのはエルシフルだった。属名だけとはいえ「デューク・バンタレイ」とまともに言えた例しのないこの生き物が、一度聞いただけの花の名前を正確に口にした。故意なのか、本当に人名に限り間違えるのか、判断に困る。花の名前とはいえそれも人の付けたものであることには変わりないのだから、前者である可能性が限りなく高いが、例えば人名に限り覚える気が全くない為に間違えているのだとしたら、それはそれで腹立たしいことには違いない。
 だが、この人外が癇に障るのはいつものことだ。その上で、結局は共に居ることを選んでいるのもデュークだ。
 目的の花を目の前にして黙り込んだデュークを不機嫌そうだ、と人外は言って笑った。
「貴様の酔狂にはほとほと嫌気がさすということだ」
「不機嫌じゃなくてご立腹かみどり児。何をそんなにぐずってる?」
 煩わしく思い嫌味で返せば、かえって相手を喜ばせる結果になったようだ。両手を伸ばしてデュークの頭を掻き混ぜる人外を押し遣り、溜め息を吐く。
「いい加減人の名前を覚えろ」
「分かった、ジェラシーだな!」
「違う」
 否定するものの、振り払った筈の手が再び頭に伸びてきたので、先の言葉を紡げないままデュークは後退するしかなかった。だが、その一拍の間は混乱しかけた思考を整理するには充分な時間だった。
「花の名前より、先に覚えるべきことがあるだろう」
「何だ、やっぱジェラっこデューくんなだけじゃん」
「……違う」
 疲れた。
 再び黙り込んだデュークに、エルシフルは顔の半分だけを歪めて見せた。笑っている。
「拗ねるんじゃあないよ、親友殿。外観と名称が直結していれば覚えるのは容易だ」
 指摘されて、歪みの名を持つ赤い花へと視線を戻す。
「……単純だな」
「単純結構!何度も言うけど、物事をいちいち複雑化するのはそちら側なんだぞ?その上、それを然も崇高だと勘違いしているから尚のこと性質が悪い」
「そちら側、というのは人間ということか?……一緒くたにするな」
 唸るように言い放つデュークとは対照的に、エルシフルは随分と楽しそうだ。
 「へぇ……不愉快?」だが、笑みを含む声音には、微かに驚嘆が滲んでいた。「それはプロトタイプ理論として、猿共を一つのカテゴリに括ったことへの不満かな?それとも……自分がそこへ括られたことへの不満?」
 驚きに似たものはすぐになりを潜めて、人外は歌うように、滑るように、言葉を列ねた。それら言葉の羅列を、デュークは鼻で嗤い一蹴する。
「そのどちらもだ」
「いいねぇ、高慢で!自分は他の猿共とは違う特別な存在だと、そう思っているわけかモノゲネース(独り子)よ!」
「高慢なものか。他者との違いとは個性でなく異端だ。……単なる事実に過ぎん」
「価値観の相違だな。猿とお前、それにおれとお前の」
 珍しく、少しだけ突き放した言い方をする。人の輪を外れている自覚も事実も受け容れられるのに、何故か彼の明確な線引をするような物言いにデュークは少なからず狼狽した。勿論、顔にも言葉にも出すことはしない。それに、エルシフルはすぐに「だが」と言葉を続けた。
「お前は憤るんだな」
「……自己と他者の輪郭が曖昧となること、それは確かに不安だ。面倒なことに、人はそういう造りになっている。そのくせ、他者との相違は異端として排除する。これもまた、面倒なことに」
「異端であるというのは、孤独と同義なのか」
 エルシフルは言って、双眸を細めた。だが、そこに感情は乗らない。投げ掛けられた言葉もまた、断定とも疑問とも取れる曖昧な響きしか持たなかった。だから、デュークもただ首を左右に振り「分からない」とだけ告げた。
 赤い花に見付けたときと同様、手袋に包まれた指先で示すとエルシフルは口を開いた。
「なら、それは美しいといえる?」
 そうして、花は美しいのか、と問うてきた。
 花は、美しい。美しいものだ。個人的な思い入れや好みの差こそあれ、一般的に、そして本質的に、人は花を「美しい」と感じるようには出来ている。だが、それをこの、人ではないものに説明するのはとても難しいことであるように思えた。
「恐らく」
「一般論だな。一括りにされることを厭うなら、犬に食わせてから口を開け。お前まで猿真似をする必要はないだろ」
 「真似るまでもなく、お前は確かに人なのだから」、とエルシフルは付け加えてた。この人外は何処でそうした言い回しを覚えるのだと呆れながら、デュークは再三花へと目を向ける。
 花は赤く、名が体を表すように曲線を描いている。花弁は放射状に外側に反り返っていて、先端に向かうにつれて細くなっている。色合いと、形状とから何処となく攻撃的な印象を受けた。――だが、それだけだ。
「醜い、とは思わない」
「だが、美しいとも思わない?剣だの魔術だのを勉強する前に詩でも読むべきだなあ、親友殿」
 好き勝手に人を扱き下ろしながらも、先程の答えよりかは幾分気に入ったらしい。エルシフルは奇妙な音階を口ずさみ(鼻歌だろうか)、手袋から指先を引き抜くと赤い花へと伸ばした。所々黒ずんで不恰好に欠けた爪先が花の茎を絡め取る。そのまま手折るのだろうとデュークは沈黙を守り静観していたが、そこで人外の手は止まった。
 或いは、これがエルシフルでなければデュークは静止する手に躊躇いのようなものを感じて取れたのかも知れない。人の一時の享楽の為に、慎ましやかな美を摘み取ってしまっても良いのだろうか――そんな独善的且つ自己陶酔的な感傷に浸り止まる手もあるのだろう、と思えたかも知れない。
 だが、エルシフルだ。それはない。あり得ない。
 一瞬の、躊躇ではなく逡巡に止めたを、けれど再度動かすときそこに迷いはなかった。緑との間に濃いコントラストを描く花は容易く手折られて人外の手の内へと納まった。
「美醜など……」
「不満?万物のイデアを感情論で判断するのはお前たちの十八番だろ」
 手の中の、百合に似た焔色を弄びながらエルシフルは言った。
 他意は、恐らくはない。揶揄もないのだろう。だが、まるでお前は感情的なのだとそう言われているようで、意図せずデュークは眉根を寄せていた。
「それに美醜、って対比も良いよなぁ」
 その眉間の皺を、空いている方の手で引き延ばしに掛かりながらエルシフルは言う。粗く織られた手袋の生地が擦れて痛い。
「何が?」
 問い掛けながら腕を押し遣れば、人外の指先はあっさり離れて行った。超常種の徒言にいつまでも付き合う義理もない、とデュークはエルシフルの傍らにしゃがみ込む
「対比だってば。美醜、男女、善悪に静と動、昼夜苦楽、真偽陰陽愛増エトセトラ……直接的なものから概念的、抽象的なものに至るまで、ありとあらゆるバリエーションに対応してる。全く、素晴らしいね」
「何のことだ、と訊いている」
 目的のもの(キルタンサスだ)を回収する手を止めることなく、一息に訊く。エルシフルの動く気配がしたが、背後のことである上俯いていたので何をしたのかまでは分からない。人真似を好む彼のことなので肩でも竦めて見せたのだろう。ギャラリーの目もないのに念の入ったことだ、と呆れ半分、純粋な感心半分とを込めてデュークは溜め息を吐いた。
「『迷人は方に依るが故に迷うも、若し方より離るるときは、則ち迷うこともあること無き』――と。ディコトミア(二元論)。大好きだろう、人間?」
 花を摘み取る、作業の手が止まる。結局のところ、人の定理を揶揄しているだけだ。
 現に、言ってからくつくつと喉を鳴らして人外は笑った。目に入らないのなら耳に入れてしまえ、というような意図の滲む笑い声だったが、そんなことはどうでもいい。
「括るな」
「だが、引き合いに出したのはお前だろ、くせっ毛[アイビー]ちゃん」
「醜いとは思わない、とは言ったがどちらかに偏倒するようなことは言っていない」
「同じだろ。どっちにしろ、答えを提示する手段としてお前はディコトミー(人為的パラメータ)を言葉の端に乗せた。本質と実存を対比させながら、本質を原因に、そして過程を経て実存という結果に表層化しなければ本質を捉えることの出来ない矛盾と同じだろ」
 乱暴に、締め括る。
「そちら側はおれを乱暴だとかなぐり捨てるけど、おれに言わせりゃ乱暴なのはそっち」
 恨みがましくあげ足を取る始祖の隷長[エンテレケイア]に、根に持っていたのかとデュークは今日何度目にかになる溜め息を吐く。
 花を摘む手を再開させようか、と手を延ばしかけたが小脇にはもう充分な量の花を抱えているような気もする。逡巡の後、手を引き戻すとデュークは立ち上がった。振り返ったところで、エルシフルと視線が絡む。
「まだ何か言いたげだな化け物。ディコトミア(二分法)に帝国とギルドまで持ち出さなくては気が済まないか」
「あー……っと、そういうのもありだったか」
「茶化すな」
「寛大だな」
「次に会ったとき、出会い頭早々に話の続きをされては堪らない」
「ふーん?次があるのか……やっぱ寛大なんじゃないかな」
「会話をしろ」
 促すと、エルシフルはんん、と唸り口元を隠しながら視線を反らした。
 人間といいクリティアといい、人型を取る者はどうしてこうも口元を覆い隠すのか、とデュークは考える。言いにくいことなのか、優先順位を定めているのか、どちらにせよそれは隠す者の所作だ。
「人、は……ことある毎におれたちをエン・テロス(終わりを成すもの)――エンテレケイア(円現態)と称するけれど、ならば果たして自分たちは何ものであるつもりなんだろうな」
 核心を言いあぐねて、矛先を故意に反らしたような物言いだな、とデュークは思った。
 人間のように嘘で取り繕う必要のない「彼ら」は、基本的に嘘はつかない。魔術を使わないのと同じだ。だから、真実を明かす気がないのなら初めから全てを覆い隠してしまうか、言わないという確固たる姿勢を貫くしかない。だが、エルシフルはそのどちらをも選ばなかった。多少歪曲しても、告げる気はるのだということだ。
「過程のエネルゲイア(実現態)か、はたまた原因のデュナミス(可能態)でも気取るつもりなのか」
「さてな。だが、アルケー(始原)であるエアルの調停者がテロス(終結)であるのは、確かに出来た話だ」
 成る程、ここでもエルシフルの言うディコトミア(二元論)だ。そうは言っても始祖の隷長[エンテレケイア]をエンテレケイア[存在はそれ自体で充足している]――と位置付け形容したのは人間の側であるので(彼らの性質上、自ら名乗ったとは考え難い)、それこそエルシフルの言う窮屈な二分法を押し付けられた形になるのだろう。挙げ句、自身を可能性と多様性の体現者なのだと豪語するとあっては傲慢も良いところだ。
「そこまで蒙昧だとは思いたくないな」
「今更!」
 笑いながら人外が茶化す。デュークなりの深刻さを孕んでの発言だったが、通じていない。
「だが、猿共の蒙昧さはときに真理へと近付きもするだろ。おれたちの本質をアパテイア(無関心)に準えたのはなかなか皮肉が利いてると思わないか?本質としての無関心の対に、実存としてのテロスが配置されるというわけだ」
 エルシフルは本質と現象を対極に位置付けられたモルフォス・デュオ(二つの形態)としてでなく、そのどちらをもパリントロポス・ハルモニエー(逆向きに働き合うものの調和)であるとした。
「そして何より、猿共の傲慢さと蒙昧さとが、お前たちを根の公式の入り口へと立たせたんじゃないか」
「リゾマータ(根)――ストイケイオン(根源物質)確立の定理、か。だが、それらは千年もの昔、既に実装されていた理論体系だ」
「そう。でなけりゃ宙の戒典[デインノモス]の説明がつかない」
「だが、今やその技術は失われて久しい。魔導器[ブラスティア]文明ともども、な」
 回りくどい。だが、言葉遊びや問答が無意味であるとも思えない。
 そうだ。これら全ては問い掛けだ。言葉を濁す始祖の隷長[エンテレケイア]が、デューク自らに解答を導き出させる為の過程だ。人を食ったような物言いに、彼は問い掛けを忍ばせる。
「かつて滅んだものが再び巡ってきたところで、そこにどれほどの意味があるのか。増してリゾマータの公式など、過去の産物の復元に過ぎない」
「猿は『それでもなお滅びざるもの』を希求してやまないんだよ。万物の巡りなど反復と大差ないのになあ」
 太陽が陰ったのか、緑の陰影が輪郭を曖昧にする。エルシフルは空を仰ぎ見ると、小さく鼻を鳴らして「雨が来るな」と言った。
「滅んだものには滅びただけの理由がある。魔導器[ブラスティア]の発掘も魔導士共の研究も、本来ならば触れてはならないものだ。それはお前自身、よく分かっているだろうに」
 だが、この始祖の隷長[エンテレケイア]は同胞の多くが懸念する、過去の災厄の引き金となり兼ねない魔導器[ブラスティア]の再訪や魔導士たちの行き過ぎた研究、約束を違えた満月の子らの末裔に警鐘を鳴らすことをしない。ただ、なるようにしかならないのだと穏やかな笑みを湛えるままに本質が指し示す通りの、無関心という名の博愛を貫いているだけだ。
「古狸め」
 デュークの呟きに応えるようにして、疎らに雲のちらつき出した空からエルシフルの視線が引き戻される。彼は手の中の花をくるりと踊らせて笑んだ。
「なあ親友。ストイケイオン(根源物質)を定義する根の公式の基本を、今の魔術かぶれが何て言うのかおれは知らないけど、彼の最盛期にはそれら循環は乾湿と冷熱という二つの対比の組み合わせから成っていた。それらがストイケイオン(根源物質)を形作り、更に志向性を持たせることで万物を構成させるというわけだけど……さて、本質を実存に、ヒュレー(資料)とエイドス(形相)にまで昇華させるその志向性は何て呼ばれてたと思う?」
「結合と離散、或いは収束と拡散」
「やれやれだな。だからおれは、お前に詩を詠んで花でも愛でてろって言いたくなるんだ」
 手の中の赤を不機嫌そうに揺らしてエルシフルは言った。
 だが、デュークは彼の投げ掛けた不透明な問いに対して、自身の答えが間違っていたとは思わない。現に化生は万物を乾湿と冷熱という二種の対の「組み合わせ」から生るのだとした。だから、そこには結びつきだけでなく、引き離す為の志向性も必要になってくる。デュークが言いたかった概要とはそんなところで、口の端に乗せた単語に深い思い入れはない。そうしたニュアンスが伝われば良いだけだったし、充分に伝わったのだとも思う。そうでなければこの人外が、詩を詠めなどと言って笑う筈がない。
 エルシフルは器用に指に花を絡めたまま、両手を口元で合わせた。
 「ピリア(愛)とネイコス(憎しみ)」花弁に隠された人外の口元が、それでも盛大に弧を描くのが見て取れる。「愛と憎しみ、争いだってよ。解るか?」
 自分にはまるで解らないのだとでも言うように、エルシフルは絡み合わせた両掌を解いて肩を竦める。解るか解らないかの二択ならデュークにはさっぱり解らないのだが、それ以前にこの人外の意図が奇怪にして難解過ぎるのが悪いのだとしてしまえばそれまでだ。
「二元論だけじゃなくって感情論まで持ち出して来るだなんて、魔導器[ブラスティア]文明最盛期の魔道を患う猿共は押し並べて大したロマンチストだと、そういうことだ」
 だが、エルシフルはそこまで言い終えると、口元に笑みの形を残して押し黙った。だからデュークは解らない、と断ずることをやめた。この生き物と対話をするというのは、こういうことだからだ。
「おれのカードはあらかた開いた。その辺はそっちに期待してないから、お前は詩でも読み聞かせてくれればいいよ」
 それにしても回りくどい。何かしらを提示するにせよ、他の言い様はないのか、とデュークはエルシフルを睨み付ける。以前、彼と同じ始祖の隷長[エンテレケイア]である焔の怪鳥も丁度今のデュークと同様の不満を漏らしていた。同種の目から見ても、この「エルシフル」という生き物は奇怪以外の何ものでもないらしい。
 エルシフルは、二元論に拘った。リゾマータの公式を引き合いに出し、ゲライオス文明にも触れた。始祖の隷長[エンテレケイア]をテロスと位置付け、対比を誂えた。ストイケイオン(根源物質)を構成する、その志向性を――
「……争い?」
 ゲライオス文明に、触れた。引き合いに出した。有史以前の、大戦に因って幕を引き落とされた人類の最盛期を、あげた。そして、全ては反復に過ぎないと嗤ったのだった。
「人間と、始祖の隷長[エンテレケイア]との間で……戦が起こる」
 思い至り、そのままを舌に乗せる。だが、言葉は虚ろに響くばかりで実感を伴うことはなかった。
「正解」
 笑みを孕ませた声音で、デュークの言葉がこれから起こり得る現実なのだとエルシフルは断じた。
「……何故だ。帝国がお前たちとの盟約を違えたからか?それは、始祖の隷長[エンテレケイア]の総意なのか?それともゾハートが……お前も、俺達を滅ぼすべきだと、そう……」
 そう、思っているのか、とは訊けなかった。彼の笑みが、消えたからだ。
 すぐに、エルシフルはデュークが無理に途中で言葉を切ったことに気付いた。そして再度笑みを浮かべようとして失敗したのか、結局眉間に皺を寄せて口の端を吊り上げた。
「総意、ってわけじゃない。ただ、まあ、ウチのお姫さんはおれなんかよりずっと慈悲深くおいででね」
 ゾハートだ。エルシフルや焔の怪鳥、金色の獣と同じように過去の大戦を経た、始祖の隷長[エンテレケイア]の中でも旧き者と呼ばれる一角、その一柱だ。
「始祖の隷長[エンテレケイア]に人望というのも妙な物言いだけど、とにかく彼女の発言には力がある。信奉者も多い」
「信奉者がそのまま賛同者とイコールになるということか」
「更にそこに、純粋な賛同者も上乗せされる。……悲しいことに、おれたちの側にも数の暴力ってのは存在してるんだよな」
 エルシフルの視線は、海へ向けられているようにも、花へ向けられているようにも見える。デュークのことは、見ていなかった。
 先ずは総意ではない、ということをエルシフルは明かした。それがどれほどの気休めになるのかは知れない。
「決定打は、アスピオに出入りしてたクリティアがテムザに持ち帰った研究だな、魔導器[ブラスティア]の」
「それが、エアルに悪影響を及ぼすものなのか?」
「エアルにも、エアルクレーネにも。端的に言うなら、需要と供給のバランスが崩れ兼ねない。っつーか崩れる」
 ゾハートの懸念はそこか、とデュークは納得する。かつての満月の子の末裔――今の皇族が始祖の隷長[エンテレケイア]との盟約を違え魔導器[ブラスティア]の発掘を行っているというのは今になってのことではない。それを、始祖の隷長[エンテレケイア]の総意を得られないまま強引に推し進めようとするには、如何に強大な力を持つ一柱といっても無理があるように思えた。それこそ、周囲を納得させるだけの正当な理由が必要になってくる。
「まあ、後は彼女が何処まで事の次第に差し迫っているか、だな」
 エルシフルの言い方には含みがある。独白めいているようであって、まだ魔導器[ブラスティア]研究以外の決定要因があるのだということを暗に仄めかしているようでもあった。
 不可解さを露わに双眸を細めるデュークに、エルシフルは片方の眉尻を柔らかく上げて見せる。
「おれだってさ、それなりにポイントを押さえてはいるつもりなんだよ」
「帝国、か?……何がある」
 この人外と人間の接点は、気紛れ且つ曖昧だ。それを、多少の間を置くことはしても十数年間ザーフィアスには通い詰めた。だからデュークは特に迷う素振りもなく、帝国を挙げた。
「先祖返り、かなあ……とか」
 低く、唸るような声でエルシフルは言った。
「満月の子の、か?」
「うん。そう。……ただ、まだ生まれて間もないのか、力を使う機会があんまないんだろうな。エアルの乱れも追えなくて、個人の特定までは出来ない。城ん中には居ると思うんだが、クロームも掴めてないみたいだしお手上げだ」
 「おれもデュークに会いに帝都に出入りしてなければ気付かなかったくらいだし」、と付け足される。同時に、彼の口ぶりから満月の子の先祖返りの存在は、始祖の隷長[エンテレケイア]の中でもごく一部――恐らくは、エルシフルとクロームの二柱にしか知られていない事実なのだとデュークは察した。裏を返せば、クリティア族が故郷へと持ち帰ったという魔導器[ブラスティア]の研究だけでなく、その先祖返りの存在が明るみに出れば、始祖の隷長[エンテレケイア]は総意として人類の殲滅を決め兼ねないということだ。
「ベリウスはそちら側に付く。他の同胞は不明。グシオスやアスタルは静観を決め込むようだが、フェロー辺りはヤバいかもな」
 知っているいくつかの名前が、取り敢えずは敵対する道を選ばずに居てくれたことに、デュークは取り敢えずの安堵の息を漏らす。
 だが、それはあくまで最悪の状況に陥った場合の想定だ。今考えるべきことは最悪の状況を回避すること――戦争を、引き起こさないことにこそある。幸い、デュークは事前に始祖の隷長[エンテレケイア]側の動向を知ることが出来た。或いは、その事実を皇帝に進言し話し合いの場を設けることが出来れば、両者の衝突は避けられるかも知れない。
「やめとけ」
 デュークの胸の内を見透かしたかのように、エルシフルが言った。
「団長やら首席隊長クラスならいざ知らず、お前のような下っぱの言葉に誰が耳を貸す。第一に、おれたちのことは何て説明するんだ?戦争が起きる前にお前の首が飛ぶぞ」
「だが、戦争が起きれば多くの血が流される」
 戦争が起きてしまえば、万物の霊長を気取る人間種の更に上位に座する「彼ら」が、総意に近いかたちで人間を滅ぼすと決めたら、デューク一人の命がどうこうという問題ではなくなる。どうしてそんな簡単なことが分からないのか、とデュークは吐き捨てた。するとエルシフルはそんなデュークの苛立ちを鼻で嗤い一蹴した。
「馬鹿かお前は。何故、今、おれが明かしたんだと思ってるんだ」エルシフルの暗い色の目がやんわりと細められる。「城内にはクロームを放ってあった。その彼女が、会合の機会は持てないとそう――」
 判断したのだろう。だからエルシフルは、他でもない「今」になって、デュークに始祖の隷長[エンテレケイア]の真意を明かした。何かにつけては適当な理由で、城に常勤するデュークを訪ねて来ていた人外の真意もまた、そこにあったのだろう。
「大した暇人だ」
「ま、お前に会うついでだよ」
「そちらがついでにあたるのか」
 過ぎたことに、今更腹をたてても仕方がない。不毛だ。だが、この人外にはデュークの歯痒さは分からない。
 何もかも終わり、「今更」と片付けなくてはならない「今」になって、避けようのない未来を突き付けられるのは、これもまた、不毛だ。エルシフルが、クロームが、もしかしたら今名前の挙がらなかった多くの始祖の隷長[エンテレケイア]さえもが、戦争を回避しようと苦心していたその時に、何の協力も出来なかった自分、出来ないのだとそう判断された自分に、腹が立つ。
「それでも、両者が話し合える機会を設け、互いに歩み寄ることさえ出来たなら……」
 戦争は、回避出来るかも知れない。
「分かり合うことが、出来たなら」
 人も、始祖の隷長[エンテレケイア]も、血を流さずに済むかも知れない。或いは、自分とエルシフルのような関係を、人と「彼ら」も築き上げることが出来るかものかも知れないと、そうデュークは思うのだった。
 「無駄だろ」言い放つでもなく、奇妙に淡々とした調子でエルシフルは言う。「無駄だよ。おれとお前ですら、こんなにも分かり合えてやしないのに」
 表情を欠いていたエルシフルの顔に、再び笑みの色が乗る。口の端を吊り上げて突き放す言い様は酷薄なまでに愉しそうだ。
「お前は、ゾハートに賛同するのか」
「うん?……うーん…………お前はどうなんだ。他の騎士同様に人類、否皇帝の尖兵として大地を焼き、星を喰らうのか?星の触覚のおれたちに、相対するのか?」
 エルシフルの問いに、言葉が詰まる。即答出来ない。
 人、という種族への思い入れは、その実酷く曖昧だ。自身の由来、起源としての認識しかない。それこそ、人間社会などより「彼ら」との間柄の方がデュークにとっては余程密なものだった。だからここに至って言葉に詰まる、自分自身にデュークは酷く動揺していた。
「そら見ろ。悲しいな、親友。おれとお前はこんなにも分かり合えない」
「本当に、分かり合えないのだとそう、そう思うのか。お前は」
「勿論。何だ、お前はおれと分かり合えているつもりだったのか」
 分かり合えているつもりだった。そうでなければ人間と始祖の隷長[エンテレケイア]の間で戦争が起きるということに、こんなにも動揺はしなかった。
「幻想だな。だが、別に嘆くようなことじゃあない。何も、おれとお前とに限った話じゃないさ」
 デュークの答えを待たずに、エルシフルは断じた。
 まるで縮図のようだ、とデュークは思った。世界の縮図だ。お互いに、お互いの属する種族から最も掛け離れた位置に座するが故に、最も近しく在れた二人が、その実端的に世界の有り様を示しているようで、その皮肉に、愕然とする。
「こちら側とそちら側に限った話、でもないしな。現にこちら側にもベリウスをはじめとするゾハートをよしとしない一派も在れば、そちら側も帝国だのギルドだのと意見の相違から別な派閥に別れてる」
 日の陰った緑の中で言いながらエルシフルは一歩、デュークへと近付いてきた。デュークは微動だにしなかったが、エルシフルは脇を擦り抜けただけだった。その動向を見守る。
「お前たちときたら事物を自分たちの基準に従いアガトン(善)だのカコン(悪)だのとに二分するだけで、理屈としての分類しか成されない。事実あらゆるカコンは地上を走る。河川には猛毒が流される。飢餓で赤子が腐っていく。力ない雌が強姦され啜り泣く声が路地裏に響けば、また別の日には幼児の生首が宙を切る。どうだ、カロカガティアなる猿?こんなにも全てがゆるされている世界で、お前は何を嘆き、憤る」
 緑に縁取られた青い潮騒と風の音とを背景に、揺れる赤い花の前にしゃがみ込んでエルシフルは今一度、人の二分法を笑う。その上で尚、デュークに問う。
「多分、お前の言わんとすることは正しい。そして美しい。――猿共の、言葉だか記号だかに準えて示し表わすなら」
 エルシフルは言葉を切る。ならば世界の、エルシフルの観点から示し表わした場合、間違っているのは自分の方であるのかという問いを、デュークは飲み込んだ。
 「だが、お前の主張はゆるせないものをゆるさない」デュークに背を向けるエルシフルの表情は分からない。「それを、人は戦争と言う」
 緩やかな弧を描く、鴟色の背中はそのまま更に小さく丸まった。花だか水平線にだかに向けられていた視線を、足元に落としたのだろう。麦藁帽子から飛び出した雑草が跳ねる。
「……飛躍し過ぎだ」
「そうかな?……そうかも。ただ、全てがゆるされているこの世界で、ゆるせないものをゆるさない、という主張を貫くのは不毛なんじゃないかと、おれは思ってさ」
 花を持たない指先は、手持ちぶさたなのか足元の草を絡めては引きちぎるという無為な行動に費やされ始めた。
 エルシフルは、デュークの言葉を否定しているわけではなかった。だが、主張をしていた。
 中庸の徒を気取る、この人型が主観を交えて物事に触れるのは珍しい。そもそもが、世界と人類とを秤に掛けたかのような「真面目な話」を自ら専門外と言ってのけさえもするエルシフルが、矢張り今、何故、自らの主張を提示する気になったのかデュークには解らない。
「それは、流される血を享受しろということか?」
 デュークは訊いた。苛立ちはなかった。ただ、彼の投げ掛けるものや、提示するものに対する純粋な疑問だった。二分法を嗤う超常種は、ならばこの全てが容されている世界に満ち溢れた許せない幾つもの事象すらも、カコン(悪)をアガトン(善)として受容しろと、そう主張しているのかということを、デュークは問い質さなくてはいけない。
 だが、エルシフルは頭を振った。
 「それは違う」はっきりと否定した。「ゆるせないことは、あくまでゆるせない。毒は毒だ。そうじゃなくって、ゆるせないものを、ゆるせないままにゆるすという逆説を生きること。毒を毒のまま呑み干す矛盾を、行為において引き受けるということを、おれは言いたい」
 それが、この始祖の隷長[エンテレケイア]の主張なのだという。自身のイデア(本質)はアパテイア(無関心)にこそ顕在し、それをまた資料と形相の如く体現するのだと、そう、彼は言う。
「実際、難しい話だと思いはする。おれ自身」
 言いながら、それでも尚、この人外は「ゆるせないものをゆるさない」という正義こそが戦争の本質であるのだと断じた。
 彼らがイドに基づきエアルを鎮める行為を習性として課された生き物であるのなら、人もまたホルメーに準じた二分法を用いて負の要素を忌避する性質を持つ生き物だ。
「結局……」
 この人外の意図は何処にあるのか、と考えたら口に出ていた。言い掛けて、途中で口をつぐむ。だが、エルシフルは顔を上げ肩越しにデュークを見上げてきた。そこには揶揄や嘲笑の類は見て取れなかったので、純粋に言葉の先を促しての視線なのだろう。
「……お前は始祖の隷長[エンテレケイア]として、人間を滅ぼすのか、エルシフル?」
 先の主張にもあったように、無関心を貫くというのならそれもまた同じことだ。
「始祖の隷長[エンテレケイア]として人間を滅ぼす、って言い方は語弊があるなあ親友?そもそも、始祖の隷長[エンテレケイア]は猿を滅ぼす存在じゃなくてだな、」
「始祖の隷長[エンテレケイア]如何はどうでもいい。主張も理解はした。次はお前の意向を聞かせて見せろ」
 話が脱線する前に言葉を遮ってしまうと、人外はデュークから視線を外して宙に泳がせたあとに緩慢な動作で立ち上がった。
「始祖の隷長[エンテレケイア]に二分法は不要だ。おれたちはほんとなら、とことん無関心な生き物でなきゃならない。星の命運も在り様も知ったことか。猿共が勝手に自分で自分の首を絞めているだけだってのに、なぁんでこっちで奴らのケツを拭く必要がある?増して慈悲だか制裁だかをくれてやる義理もない」
 人の生き死にも、エアルの氾濫も、満月の子の再来も、星喰みの驚異も、星にとっては些末なことだ、とエルシフルは括った。
「乱暴だな、やはり」
 だが、彼らしいと言えば彼らしい。勿論、返された言葉の内容は全人類を見放し、且つ同種すら冷厳に突き放したようなものだったが概ねデュークはその答えに満足していた。
「いやいや。そこんとこはさ、志向性の問題なんですよやっぱり」
 そう言って、エルシフルは器用に指先で花を回すとそのまま腕を延ばしてデュークの髪に差し入れてきた。耳元から垂れ下がった花弁が揺れて、頬を擽る。
 何をするんだとも、どういう意味だとも言えずに、デュークはただ眉根を寄せた。
 「無関心を気取るならそこに志向性を与えてやればいい。ずっとそういった話の流れだっただろ?」デュークではなく、その耳元を飾る花に目を細めてエルシフルは言う。「愛なり、憎しみなり、その辺はお前の好きにすればいい」
 呆れた。怒っても、或いは許されたのかも知れない、とすら思う。だが、呆れが先に立ってしまったのだから仕方がない。
 それでも、デュークはこの、主張などそう滅多なことではしない人外が、たまにふとした気紛れに押し付けて与えてくる重みに溜め息一つの猶予しか与えられていない。その一つ、ただ一つ分で、納得し、理解に至り、ゆるしてしまう。そうだった。まるで世界の縮図のような立ち位置に在るデュークと彼とは、いつだってそうして様々な不都合に折り合いだとか、妥協だとかを示しながら、こうして今日に至るまでの関係を、ずるずると不毛に、ときには愉悦に似た何かを滲ませながら続けてきた。
 デュークは、頭を振った。エルシフルの言葉を否定するのではなく、ただ人としての基準や美徳、利益といったものを振り払うように、頭を振った。
「お前に、同胞を裏切れとは言えない」
「おれだってお前に、人を捨てろなんて言いたかない」
 間一髪入れずにエルシフルが返した。だが、予めデュークの言葉の先を読んでいたというよりも、それは言葉に対する反射にも思えた。
 「……無理だ」彼の本質に志向性を与えることは、出来ない。「お前こそ、言えばいい。俺は人の世に執着は、ない。そちら側に付けとそう、」
 一言でいい。彼が望むなら、そこに理由の全てを押し付けて人という種に背を向けてしまえる(彼に理由を背負わせなくては、同種を裏切ることすら出来ない)。同じことだ。エルシフルがデュークに促す応えも、デュークがエルシフルに求めるものも、ベクトルこそ異なりはするものの、限りなく種の外側に近い場所に立つ自分たちの何れかが境界を超える為に望むのは、ただ最後の一押しに他ならない。
「平行線だな」
 だが、エルシフルはそう言って喉に籠もる笑いを溢しただけだった。鳶色の袖口を翻して、デュークの脇を擦り抜けて行く。草も切り分けられ、随分と均されてしまい既に獣道とすら呼べない二人で辿った道がそこにはある。その道に一歩、差し掛かってエルシフルは足を止めた。
「なら、次に会ったときには殺し合いか」
 肩を竦めるエルシフルの声音は、確かに互いに提示し合った応えを残念だと嘆くように響いた。だが、その調子がひどく軽いもので、デュークは思わず吹き出した。

 来た道を引き返す。帰りは下り坂なので幾分楽だ。足元の見通しも良い。エルシフルは、デュークの二、三歩ばかり前を歩いている。彼特有の怠惰を滲ませた緩慢な歩調は相変わらずだが、一向に距離が縮まらないのはいつも不思議だ。
 ふと、坂を下り始めてからお互いに一言も声を発していなかったことに気が付いた。デュークはさて置いても、この人外が長いこと沈黙を破らずに居るのは珍しい。そんな些末な変化を気に留めることはしても、結局その背に声の一つも掛ける気にはなれないのだから、まあこんなものかな、とデュークはエルシフルを視界に捉えたまま首を傾けた。デュークの動作に合わせて、耳元の花も揺れる。そういえば付けられたままだった。ほんの少しだけ斜めになった視界に、それでも変わらず雑草の飛び出た麦藁帽子を収めながら、ギャラリーなど居なくても無意識的な癖のようなものは簡単に表層化してしまうのだな、と感心する。
 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか緑は開け、足元はなだらかになっていった。そう歩かず、舗装はおざなりだが完全な平地の街道に差し掛かる。
 デュークより前を行っていたエルシフルが、頭の上で指を組み、伸び上がりながら「これからどーすんだ」、と問うてきた。先刻の今で問い掛けることか、と思いながらデュークは溜め息ついた。するとエルシフルは、あーだとかうーだとかいった類いの呻き声のようなものを上げたあと、頭の上の指を解いた。
「このまま帰んの?それとも、ノールまで足伸ばして一杯引っ掛けてく?」
 判っていて訊いているなこれは、とデュークは抱えた花に視線を落としながら思った。
「人の口にするものなど、味も分からないのによく言う」
 だが、考える。もしこの手に抱える花がなければ、もしこの人型が人真似でなく本当にデュークと由来を同じくするものだったら、そんな取り留めのないことを、考える。きっと、デュークは彼と酒を酌み交わすことをしないだろう。このまま花などなくても自分は帰路につき、また人外は味も分からない酒を観察と検証と称して啜るのだろう。そんな気がした。
 平行線なのは、確かだ。それは種という隔たりを取り払っても尚、デュークとエルシフルとの間に存在している。それを、悪くないとデュークは思う。
「……帰る。花も枯れるからな」
「だよなあ。じゃ、おれ一人で行こっと」
 エルシフルが背を向けながら「じゃあまたな」、と告げればそこに「ああ」、と曖昧な返事をしてデュークもまた踵を返す。それは二人の別れ際の常だった。
 次に会う、そのときは互いに殺し合うのだとそう宣言したのはつい先刻のことだというのに、いつも通りのやりとりに気が抜ける。次の出会い頭にも矢張りいつもと変わらずこの人外は、デュークの名前を正確に呼ぶことなく笑いかけてくるのだろう。同時に、そうして人真似に興じながら人を殺して回るのだろう。それとも、このときばかりは星の触覚としての本質を剥き出しに、始祖の隷長[エンテレケイア]としての姿とまみえるかも知れない。そんな、遠くない未来に訪れる終わりの日を思う。
 デュークは、足を止めた。理由は知れない。だが、タイミングを見計らったかのように、背中に自分の名前を呼ぶ声が掛けられた。
「デューク」
 彼の中の、「デューク・バンタレイ」に呼び掛けるのだという意図と、韻とが合致した様をデュークは初めて耳にした。少なくとも、過去にこうした意味合いで彼に呼び掛けられた記憶はない。何ということのないただの韻の組み合わせに、確かに利便性はあっても思い入れには至らないものなのだな、とデュークは思った。
 それでも、呼び掛けられたのなら言葉を返すべきかとも思い、振り向きざまに「何だ?」とデュークは言った。
「デューク・バンタレイ」
 向き直ったところで、また呼ばれた。ゆっくりとしたその調子は、感情が乗っていないようにも、一つ一つの韻を噛み締めているようにも響いた。
 デュークは、今度は返事をしなかった。エルシフルは、デュークを見ていた。その指が気だるげに持ち上げられると、彼は自身の耳元を指し示した。そこは丁度、エルシフルがデュークの髪に花を差し入れた場所だ。今も時折、視界を赤い影が掠めている。
 デュークの意識が花へと向けられたこと、自身の意図が正しく伝わったことに満足したのか、エルシフルは片側の口の端を吊り上げた。
「猿の言葉に『名は体を表す』、ってのがあるだろ。言い得て妙だ」
「それはさっき聞いた」
 花の名前を、外観と名称とが直結してさえいれば覚えるのは容易いことなのだと、言ったのはこの化生自身だ。彼は、意図して反復している。
 「だからさ、おれは結構お前のファミリーネームは気に入ってるんだ」エルシフルは開いてしまったデュークとの距離を詰めながら言った。「異音、だろう?パンタ・レイ(万物流転)の」
 剥き出しの指が伸びてくる。触れてくる。デュークの髪を一房絡めるように撫でて、そのまま耳元の花に指先で触れた。
「美しいな」
 主語を欠いた彼の言葉が何ものを指しているのか、デュークには知れない。それは世界のようでもあったし、深い考えもなしに花を美しいと言っただけだったのだとも思えた。話の流れから、デュークの名前を指していたのかも知れない。
 訊ねることも出来たが、デュークは問い質すことをしなかった。そこに名前を付けてしまうのは、何となく無粋な気がしたからだ。
 ただ、二分法の彼方からエルシフルがアディアフォラを口にしたという事実は、確かだった。







TOVで二次をやっているからには、一度は書いておきたい希語満載話ということで!(笑)
どうにも二番煎じかつ低クォリティな出来で申し訳ない、です。
エルシフルが口にした、「迷人は~無き」は「大乗起信論」の第一章「顕示正義」から引用です。
(20090807)