米倉丹後守の通った道 (上大岡)


 「下にー,下にー」という声とともに,おごそかに通って行く,ものものしい大名行列。野良仕事をしていたお百姓さんも,先を急ぐ旅人も,何はともあれ「ははあー」と地面にひれ伏す・・・。江戸時代,大名は参勤交代のために,領地と江戸を往復しなければならなかったので,東海道などの大きな街道筋では,こんを光景がよく見られました。
 港南区は,そういう街道筋ではなかったのですが,それでも,上大岡の,いまのグリーン通り商店街には大名行列が通ったという話が残っています。一体だれが,どこへ向かったのでしょうか。
 実は,グリーン通りは,そのむかし,「かねさわみち」といって,いまの金沢区から通じる道でした。また上大岡の先,保土ケ谷に向かっては,「ほどがや道」と呼ばれる道につながっていました。
 保土ケ谷といえば東海道,そうです。この「かねさわ道」「ほどがや道」を通って保土ケ谷から東海道に入り,江戸へ向かった大名がいたようなのです。
 さて,その大名は?「かねさわ道」をずっとたどつていくと,金沢区町屋にあった幕府の陣屋に行き着きます。その近く,いまの金沢八景駅の西側の谷戸に,大名屋敷があったのです。六浦藩・米倉丹後守。一万二千石と小さいながらも,れっきとした大名です。ちなみに,横浜のあたりは,ほとんどが,天領といって幕府が直接治めていました。大名がいたのはこの六浦藩だけですから,グリーン通りを通ったといわれているのは,この大名だったと思われます。
 上大岡もその頃は,家などほとんどない一面のたんぼ。その中の一本道を堂々と行く行列を,港南の人々は,どんな思いで迎えたのでしょうか。
 さて,江戸時代の終わりのころになると,三浦半島の先端や金沢の沖に,外国の船がときどき姿を現わすようになりました。そこで,この近辺も急にあわただしくなりました。
 幕府は,浦賀に奉行所をおいてその警備にあたり,「かねさわ道」や「ほどがや道」を多くのさむらいが通ったことと思われます。当時の港南区の人々も,何事かと心配したことでしょう。