いわれのある橋と日野八景 (日野・港南台)


むかしは、小坪から流れてくる日野川と、榎戸から流れてくる小川があって、その合流するあたりに「下馬橋」という橋がありました。
 そしてこの道を通る人は、この橋のあたりで馬からおりなければなりませんでした。
 それは,そのふきんに身分の高い人の屋敷があったためです。日野小学校の近くには,「御所ケ谷」という地名が残っていて,いまでもそこには「御所ケ谷橋」があります。
 そういえば,下馬橋のすこし下流には,「殿田橋」がかかっていました。港南台一丁目のあたりには,殿田という地名もありますが,きつと殿様の田んぼだったのでしょう。
 また,バス停「金井」のある日野南の高台は,殿山ともいいます。だれかえらい殿様のための見張り台だったのかもしれませんね。

 春日神社の前の低地は,むかし,日野川の水がたまっていて,湖のようだったとの言い伝えがあります。
 そして,このあたりを「舟木」といい,遠いむかしには,その湖のほとりで,舟を造っていたという言い伝えがあるのです。
 宮下村には,「舟木」のほかにも,「いかり」とか「大いかり」というような舟に結びつく古い地名がありました。このうち「いかり」という地名は,いまの港南台一丁日の陸橋に「錨橋」として残されています。
 といっても,ここを舟が通って錨をおろしたのではなく,ここでは,錨のような舟の備品を造っていたのではないでしょうか。
 なぜなら,このあたりでは,古代から製鉄が行われていたからです。その作業所らしい跡も,たくさん見つかっています。そこでは,砂鉄から武器だけではなく,錨も作っていたのでしょう。

 こういった由緒ありげな,名前だけ残っている場所の,ほんとうの由来を知るのは,橋だけなのかもしれませんね。
 それから,この日野には古くから,近江八景や金沢八景と同じような,日野八景がありました。
 その日野八景を説明しますと,次のようになります。

○宮前の晴嵐 みやまえのせいらん
 (宮前とは,現在の春日幼稚園付近をいい,晴れた日に立ちのぼる山の空気の美しさを表しています)

○伊勢山の秋月 いせやまのしゅうげつ
 (伊勢山とは,「ダイクマ」から見て,鎌倉街道を挟んだ真向かいの山のことで,その山にかかる秋の月をめでたものです)

○御供井戸の夜雨 こくいどのやう
 (御供井戸とは,春日神社の前の道にあった井戸のことで,今も地名が残っています)

○真南の帰帆 まんのみのきはん
 (真南台とは日野九丁目にあった,金井村で一番の高台で,そこから見える,川や海に浮かぶ帰り船の景色をいいます)

○徳恩寺の晩鐘 とくおんじのばんしょう
 (徳恩寺は春日神社車隣りにあるお寺で,そこでつく夕方の鐘のひびきをいったものです)

○殿田の落雁 とのだのらくがん
 (殿田とは,港南台北公園付近の古い地名で,そこに空から雁の群れがおりたつ景色をいいます)

○大多良の暮雪 おおたらのぼせつ
 (大多良とは,市営港南車庫付近の地名で,そこに降る夕暮れ時の雪の眺めをいったものです)

○舟木の夕照 ふなきのせきしょう
 (春日神社の前,舟木のあたり,そこに流れる日野川の支流に照りはえる,夕日の美しさをたたえたものです)

 このように並べると,むかしの人は大げさなことを言っているようにも思えますが,たとえば,真南台についていえば,いまはわずかに,住宅地の中の高台としてしか面影を残していません。
 しかし,いまでも横浜港で打ち上げる花火を,この高台のあたりで見る人がいるのですから,むかしはもっと高かった真南台で見た,「真南の帰帆」の風景は,嘘ではなかったかもしれませんね。
 いずれにしても,むかしの人は自分の住んでいるこの日野の土地を,どこよりも良いところだと信じていたからこそ,このような話を残したのだと思いますよ。






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