幕府隠密の村、松本 (港南)


 港南中学校のうら手の高台に、正覚寺という古いお寺があります。六十六の石段をのぼって行ってみますと、そこはもう四方八方が見渡せる眺めのよい所です。
 むかしは、このお寺の近くに大きな松の木があったそうで、いまの港南一丁目から六丁目を中心に、この辺一帯を松本村とよんだということです。
 この「松本」という名前には、大さな松の木があったというだけでなく、ある秘密がかくされていたというのです。
 時は今から四百年ほど前のこと、正覚寺という寺の近くにある、巨大な松の老樹の上から、ひとりの隠密が身をひそめながら
「ボアー、ボアー」
 とホラ貝を吹きました。
 すると、どこからともなく、幾人かのさむらいが、この松の木めがけて集まってくるのでした。
 このさむらい達は、徳川ゆかりの者たちです。実は、このあたりは、徳川と戦った旧小田原北条氏の重要な拠点で、相模衆十四家と呼ばれた間宮氏の支配地に近い場所でした。
 この間宮一族は、十四家の中でもひときわ才たけた、力のある武士の集団でした。この間宮一族の中には、小田原が落城したあとに徳川家康の家臣となった者もおりました。
 しかし、家康は、この者たちは、いつ謀反をおこすかわからないと思い、身分の低い武士たちに農地を与え、常に一族の動きを監視させていたのです。
 ホラ貝の合図で、松の根方に集まってきたのは、こうした隠密たちだったというのです。「松本」という村の名前には、そんなわけがあったというのです。「松本」という地名は港南の他にもいくつかありますが、何らかの関係があるのかもしれません。
 また、松本は、徳川の旧姓松平からとったもので、徳川とかかわりの深い所につけられた名前だという説もあるようです。
 現在、正覚寺付近には、目印になっていたという松の巨木はありませんが、西松本、東松本という名前の町内があるのは、この名残りかもしれませんね。
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